テーマ:玉音放送

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お名前: 広嗣
 玉音放送への反応は、様々だったと言えます。

 意味がさっぱり分からなかった人や素直に敗戦を受け入れた人がいる一方で、「敵の謀略放送だと分かった」と叫んで「徹底抗戦」を主張した人もいました。尤もこの人たちの主張も、竜頭蛇尾に終わったようです。国民は内心敗戦を事実と素直に受け入れられたということなのでしょう。

> 後、東京大空襲があった時、一番最初に逃げ出したのは・・
>偉そうに空襲にあった時の防災・竹やり演習?指導をしていた
>町会の役員といった地元の有力者だったそうです。
 比律賓で取り調べからは程遠い残虐な拷問を現地住民にしていた特高ほど米軍が上陸した時の逃げ足は早かったそうです。


[2008年08月11日08時28分]
お名前: 四角五角
 私の母も玉音放送を聞いた日のことは覚えていました。で、祖母の反応はというと「戦争が終わってホッとした。電話もかけられる」みたいです。出征していた祖父の心配は当然ありましたけれど、あまり悲壮感は無かったようですね。これは地域性がもの凄く出るみたいだと思いました。

 ちなみに手塚治虫は大喜びだったそうです。

>後、東京大空襲があった時、一番最初に逃げ出したのは・・
>偉そうに空襲にあった時の防災・竹やり演習?指導をしていた
>町会の役員といった地元の有力者だったそうです。
 いつの時代も偉そうぶっている奴ほど逃げ足だけは速いようです。国会議事堂の住人も多分…。
[2008年08月11日00時45分]
お名前: ルイ17世
 私も、亡き祖母や母から玉音放送の時のことを聞いたことがありますが
受信状態も悪かったのか、あるいはラジオも性能がよくなかったのか、
まず「何を云っているのか・・全然聞こえず・・また聞こえても意味もわか
らなかった!」そうです。
 但し・・その後に徐々に口伝(号外もか)なんかで・・「戦争が終わった」
というのを知った様ですが・・。
>当時のほとんどの国民は、戦争の意味もわからず、ただ空襲に逃げ
>まわっていたというのが実態のような気がします。
 ま〜当時は、情報が国民に知らされていなかったし、考えることも
ダメ!だったからでしょうね。それに、戦争に疑問なんかもって変に
口にしたら「非国民」で特高警察へのご厄介になるですから。
 なお、余談ですけど祖母によれば、東京大空襲以後は「日本は負け
るな・・」と思っていた人が多かったそうです。
(但し・・表立って口には云えなかったでそうですが・・)
 後、東京大空襲があった時、一番最初に逃げ出したのは・・
偉そうに空襲にあった時の防災・竹やり演習?指導をしていた
町会の役員といった地元の有力者だったそうです。
[2008年08月10日21時23分]
お名前: そんし
第二次大戦の敗戦を国民に伝えた天皇の肉声放送いわゆる玉音放送の前に、日本国民はみな一応にその場にへたり込んで涙するシーンのドラマがよく放送されますが、実態はどうだったのでしょうか。

最近のドラマの中には、本心では戦争に反対していた人々が、玉音放送を聞きながら「やっとこれで戦争が終わった」とほっとするシーンがでてきたり、子供達を前に「明日からは教科書を持ってきなさい」と、嬉しさをかみ殺しながら誇らしげに言ったりと、なんだか戦後の脚本家が書くと、こんないいかげんな玉音放送シーンを書いてしまうのかと、あきれかえっるような場面がたくさん出てきます。

亡母から玉音放送の時のことを聞く機会があったのですが、我々が常識と思っていた玉音放送のシーンとは、かなり違っていたようです。たぶん日本全国ほとんどの場所で玉音放送の場面は、それと似たり寄ったりだったろうと、納得できる話でした。

その日、天皇陛下のお言葉があるというので、隣組の全員が輪番の組合長の家の庭に集まり、縁側に出したラジオの前で、玉音放送を待っていたということです。他は全戸農家でしたが、我が家は、父親が勤務に出ていたので、母親だけが出ていったそうです。

やがて厳かに玉音放送が始まり、その間だれひとり微動だにせず、神妙に聞き入っていて、やがて放送が終わったとき、そこにいる全員が虚脱感で言葉がないように見えたと母は言いました。

ところが次の瞬間、母親の前で信じられないような光景がおきたのだそうです。
「ああ、ありがたいお言葉だったねぇ」
「天皇陛下から直々に頑張れってお言葉があったんだから、苦しくても頑張らなければね」
そんな話をしながら、隣組の全員が、にこにこしながら、家路につこうとしていたのだそうです。

つまり今の玉音放送の意味を、そこにいた誰もが全く理解できていなかったのです。
「何言ってるんだい、戦争に負けたんだよ!」
母は思わず叫んでしまったそうです。ビックリしたような顔で、この人は何てことを言い出すんだと立ち止まった隣組の人たちの前で、いまの放送は、日本が降伏したって意味だと説明して聞かせたそうです。

その中には、学歴もあり相当教養のあった地主クラスの人もいたそうですから、彼でさえ意味が理解できなかったということは、この日、日本全国で玉音放送の前で、同じ光景が広がっていた様子が容易に想像できます。

母親がなぜ理解できたのかはよくわかりませんが、まあ田舎の中では少しは都会出身の人でしたから、多少理解できたのでしょう。

それほどに、難解な言葉を駆使して、「負けた」という言葉を避け、体裁を取り繕おうとした詔勅でしたからね。

たぶん玉音放送では誰も理解できず、しばらく後になってから、別のルートで知らせが来て、はじめて日本の敗戦を知ったという村々が大半だったのではないでしょうか。

国民全員に話して聞かせる言葉にしては、あまりにも難解な表現で、負けたとは一言もいってないわけですから、当然と言えば当然です。

リアル性を追求するドラマを書きたいのなら、脚本家はこれくらいリアルな玉音放送シーンを書いてくれないとね。天皇陛下の肉声をありがたがっているだけで、意味も理解できていない人々のシーンなんて戦争ドラマの玉音放送シーンで見たことないですね。ドラマじゃ放送を聞きながら、小さな子供まで泣いてますからね。

これが象徴しているように、当時のほとんどの国民は、戦争の意味もわからず、ただ空襲に逃げまわっていたというのが実態のような気がします。

そんし

[2008年08月10日10時44分]
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