お名前: ヘイ
原監督は上杉謙信「車懸かりの陣」で対抗
http://sports.jp.msn.com/article/article.aspx?articleid=369832
う〜む、車懸かりかあ〜。
くるまで待とう、ホトトギス。
キツツキじゃあ、ダメなんだよね。
[2008年12月12日20時50分]
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お名前: 天下の三陪臣
まずは、ウィキから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%AA%E8%87%A3
>陪臣にして、直江山城、小早川左衛門、堀監物杯は天下の仕置をするとも仕兼間敷(しかねま>じき)ものなり」
>豊臣秀吉が主君で、その直臣である、上杉景勝の家臣直江兼続、毛利輝元の家臣小早川隆景、>堀秀政の家臣堀直政はそれぞれ陪臣にあたり、陪臣であるが天下の仕置も務まると評価したも>のである
「愛」の冑飾りで、来年の大河の主役「直江兼続」、小早川隆景案外有名ですね。
堀直政は余り知られていないですね。
一応、豊臣家の家臣の陪臣ですから、江戸時代は、豊臣秀吉が恐れられていたようです。
堀秀政は、久太郎というと知っているひとも多いでしょう。なんでも介者流の達人だった
らしい。いまでは、剣術が発展して、柳生但馬や宮本武蔵など兵法者が戦略のようなものを
練っていたらしいですが、戦国時代では、拳法のように介者流が流行っていたかも?
天下の三陪臣 いいですね。
ウィキの記事にもあるのですが、大石家の家臣は、浅野家の家臣ではないので
直接命令権を持たなかったとありますね。誰のことかな?
四拾七士のカードにある人かな?
何か気になりますね!
江戸通
[2008年12月01日23時54分]
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お名前: ま
今川義元である。
なぜならば 永禄年間に100万石の版図と最大動員で
3万。
桶狭間で25000兵ぐらい動員できたのは彼しか
いない。彼が上洛してたら、足利義輝を室町幕府中興
の祖にすることも、今川幕府も可能だった。
織田信長のように元亀年間の死闘はなく、わりと
すんなりいったのである。
[2008年06月28日23時00分]
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お名前: AA
コンビニで俺も見た!!
この本タイトル間違ってるよ!最強の定義が説明されてないし、この本に載ってる武将より遙かに高い能力を持つ武将が書かれてない
松平清康、太田道灌、立花道雪、諏訪頼満、朝倉宗滴
下の武将とかありえない
今川義元、顕如、大友義鎮、朝倉義景、仙石秀久、真田信繁、後藤基次、大谷吉継、本多忠勝、井伊直政、浅井長政、柴田勝家、武田勝頼、前田利家、山中幸盛、蒲生氏郷、本多忠勝、井伊直政、石田三成、島清興、後藤基次
仙石よりは能力高いだろ → 鮭延秀綱、里見民部、南条隆信
[2008年03月24日14時17分]
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お名前: ぞく逸話のたぐいは?
山鹿素行
********岩波日本史辞典******
1623-85(元和8.8.16〜貞享2.9.26)
江戸初期の儒学、兵学者。名は、高祐(たかすけ)、高興(たかおき)
通称甚五座衛門、字(あざな)は、子敬。会津若松の浪人の子。はじめ林羅山に
入門し、小幡影憲、北条氏長に兵学を学び、その後も和学や神道うぃ学んだ。1652-
60赤穂藩に仕え、この間独自の兵学を完成。他方赤穂藩出前後から、朱子学に疑問
を抱き、現実の生活役立つ学問を求めて。儒学の古典を直接学び、新しい学問を構想
して「聖教要録」にまとめたが、幕府に咎められ赤穂に配流された。古学の先駆者。
著「中朝事実」「武家事紀」「配所残筆」「山鹿語録」など
***************************
なお!北条氏長、江戸初期の旗本で、甲州流軍学を修めた人で、慶安の軍令を
作ったとあります。
史実では、山鹿流という兵学は、甲州流に近いらしいです。
で、そこうのほうはとうなの?(駄洒落)
山中鹿之助だから山鹿流とか、いっちゃいましたか?
江戸通
[2008年03月01日01時53分]
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お名前: 逸話のたぐいは?
>山中重治は、鹿之助の通り名で有名、MRネバーギブアップ
山中幸盛 通称鹿之助
「サムライ日本」の影響でしょうか。タフで若く、諦めない
という山中幸盛の数多くの逸話は、現在ではないようですね。
世界遺産「石見銀山」の影響もあるのでしょうか?
1568年京都で僧籍にあった尼子勝久を還俗させ、隠岐諸島に
潜伏し、海賊衆、尼子家所縁の豪族を決起させ、あっと言う間
に出雲を制圧するも、毛利家に敗れた。とありますね。
織田家中にそんな家臣がいたのか?重治(しげはる)かなど
という話も過去のものになっているようです。
万見重千代?が暗躍していたのかも?はっきり知りません?
江戸通
[2008年02月24日09時22分]
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お名前: 江戸通
「教えてください」にも同じテーマがありますが、
コンビニで買った500円シリーズからのテーマに
しました。
武将50人の新事実続出!!
北条早雲
斎藤道三
今川義元
織田信長
尼子経久
毛利元就
松永久秀
武田信玄
山本勘助
山県昌影
上杉謙信
顕如
北条氏康
竜造寺隆信
大友義鎮
朝倉義景
浅井長政
柴田勝家
武田勝頼
豊臣秀吉
前田利家
竹中重治
山中幸盛
蒲生氏郷
明智光秀
黒田考高
吉川元春
小早川隆景
長宗我部元親
徳川家康
本多忠勝
井伊直政
石田三成
島清興
藤堂高虎
宇喜多秀家
仙石秀久
後藤基次
大谷吉継
真田昌幸
上杉景勝
直江兼続
加藤清正
福島正則
最上義光
島津義弘
真田信繁
伊達政宗
佐竹義重
立花宗茂
真田信繁は、俗称幸村で、幸村というのは、江戸時代に創作された名前だそうです。
山中重治は、鹿之助の通り名で有名、MRネバーギブアップ
立花宗茂は、明との対戦で武功を揚げた名将で、関が原で浪人となるも、武功を賞賛
した、徳川家康が大名に取り立てとあります。
全然知らなかったのですが、石田三成は、総奉行として朝鮮に渡海し、大谷吉継とコン
ビで兵站を担っていたそうです。
戦国の百人とかいうのもあるようですが、個人的な好みでいえば、武田信玄ですね。
昔、逓信博物館にもあった武将は、武田信玄でした。武田家の通信網の整備は、当時
としては画期的なものだったそうです。
[2008年02月17日13時51分]
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