テーマ:パソコンの御蔭

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お名前: ヘイ
パソコンというと、今は潜水艦のシミュレーターに少しはまってます。ドイツのUボートとかいうやつですね。
ゲームだから、そのうち飽きてくるのかもしれないけど。

シミュレーター関係で好きなのは、船なら潜水艦、飛行機なら爆撃機ですね。

昔のゲームセンターは、CGはまだ無かったけど、機械仕掛けの視覚・音響効果などが面白かったです。今のやつは、ほとんどがCGばっかりで機械仕掛けの面白さは無いね。
パチンコにしても、昔のやつは機械仕掛けのからくり人形的な面白さがあったけど、今はギャンブル性も強く、見て楽しめるのは液晶画面だけ。今のパチンコスタイルになってからは、もうやってないなあ。


[2007年07月02日16時11分]
お名前: ちょっと気が付いた事ですが
 昭和44年頃島根県吉田村でたたら製鉄の復元を
鐵鋼連が行なったとき、当時の記録をNHKの資料を交えて、科博の
関連の産業技術機構が、公開しているのですが、
データ―ベースのアクセスなど、現状では、写真も行かなくては、
見れないようです。
 伝統的な、たたらによる製鉄は、地方によってだいぶちがうようですが、
昭和44年の資料が、現在では、基本になってしまったようです。
 日本刀のような「重要美術品」の材料の鉄は、南北朝頃から、急に品質が
劣化しはじめ、一部の名刀を送り出す工房しか、製法は伝わらなかったのでは。
 連続して、放送された「金の歴史」で精錬方法などの影響もあるのでしょう。
 新刀、新新刀を作るにあたって復活(多分)した「卸し」の手法や、
実演が行なわれた「たたら吹き」といった手法は、広義のたたら製鉄にあたる
かも知れませんが、別のものとして伝承されたり、復活されたりということを
繰り返しているようです。
 サーバーの問題や、関心のあり方に現在の、公開技術では難しい側面もあるの
でしょう。
http://sts.kahaku.go.jp/sts/stsdb.html
 ご参考までに。
 江戸通
[2007年04月08日15時13分]
お名前: 魔界転生’2’
 小説ではないですが、柳生兵庫守にもし、二人の子供が
いたら、石田三成から伝えられた「正宗」を伝えられ、
徳川幕府を脅かす存在となったのは、まずまちがいない。
 というシナリオを番組で取り上げていましたね。
 残念ながら、石田三成は、刀フェチで淀殿とはできてなかった
ようで、柳生家にも、人材がいなかったので幕府は安泰だった
ということでしょうね、
 刀剣規制は、幕府にもあり「長刀」と言われる90CM以上の
刀は使用禁止で、土方歳三の愛用した和泉守兼定とかは、幕末の
風紀紊乱のなせる技でしょうね。
 出雲大社や他に秀吉献上の名刀として残される刀は、いずれも、
秀吉の体格に合わせた小ぶりのものが多く、後、75CMあまりの
刀以上は、戦乱を招くと生産も携帯も規制対象となっていきます。
 又、正宗は、鎌倉以来のブランドであったものが、繁栄したらしい
のですが、石田三成の趣味の域を越える傾倒をしたのも正宗だという
ことは、面白いですね。
 「清廉潔癖」という性格の一部が、パソコンから浮かび上がってきた
ようです。

  江戸通
[2007年04月07日12時01分]
お名前: 逆輸入?
 大阪の豪商が、中国から輸入したとも堺の浜に漂流していた
ものを連れてきたとも言われる。水虎です。
http://www.ufo.org.tw/news/2005/061705-1.htm
 大分あたりの生息する河童かと思っていました。残念ながら
中国発でした。寺は焼失したが、残ったので、現在は未公開、
水神として祀られているようです。場所は、大阪だったようです。
 ところで、本題、一部の端末に「 」としか表示されなかったのですが、
「ずく」和鉄のこと。
「けら」たたら吹きで作られた鋼と不純物の多いもの
 案外この「たたら吹き」というのは、ハイテクで近代製鉄の二段階の
製鉄方式よりも手作業ながら多くの技術の上に成り立っていた事が、解明
されたそうです。
 昨年、一昨年と科学博物館や、科学技術館で披露してました。

 江戸通
[2007年04月03日01時30分]
お名前: 江戸通
 日本史の研究が進むなかで、応仁文明の乱(1467〜1477)から
島原の乱のなかで、探査された負傷者は、
 矢疵   38.6%
 鉄砲疵  22.6%
 槍傷   20.8%
 石.礫疵 11.3%
 刀疵    4,5%(長刀などを含めた場合約7パーセント)
となります。
 是が、鎌倉、南北朝になると
 矢疵   86.1%
 石.礫疵  2,8%
 刀疵による負傷者は、不明
 と言う結果になります。(NHK教育TV調べ)
  では、いったい刀、日本刀は、なんの為に身につけていたのか?
 1、護身用
 2、首取り
  となります。中でも、大阪城の戦いでは、1日に1万4千以上の刀が
 使われたとあります。一人で一本の刀で首を一つ取る以上の事もあった
ようなので、実際は、もっと消費されことでしょう。
 幕末、廃れたと思われた剣道が、脚光を浴びたのは、何処から、誰から
襲われるかもしれないという現実の脅威に対応した結果であります。
 その中で、古刀の復活を唱えた水心子正秀は、材料に着目して、「たたら吹き」
では、往時の名刀はできない、「銑」を「卸す」という手法を復活させ、
名刀を多数世に送り出したそうです。
 新選組の近藤勇が、佩びていた刀などは、その一部だそうです。現代では、
たたら吹きで作られた「ヒ」から良質の部分を「玉鋼」として削りだし、
和鋼の原料としているようです。
 石田三成は、刀フェチで、島左近を禄高4万5千石の内、1万5千石を支給し、
その島左近の娘が、柳生兵庫守利巌妻となり、正宗を伝えたということです。
 これが、なんとパソコンによる資料整理の御蔭でできたそうです。
 TVでは、「柳屋花禄」さんが言ってましたよ。台本上は


  江戸通
  
[2007年04月01日21時52分]
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