テーマ:光圀語録 2

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お名前: 盃のなかには春がある
 げに盃中には別に春を置くぞかし。飲酒を別春会というべきぞ。

 西山の山荘勤務の下たちは、この句にちなんで飲酒会を別春会と
いうようになりました。
 
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007122300005
 徳川将軍家親戚として、オランダ政府から「風説書」として
昨今の情勢を聞いていた光圀でした。
 イギリス首相は、国教会の職務があるので、家族がカトリックで
あっても引退するまで、国教会徒だったようです。
 オランダは、国是は、新教徒ですが国民の多数は、カトリックでした。

 江戸通
[2007年12月23日20時32分]
お名前: 告と表札
 若い頃の光圀は、藩政を担っていましたが、
残念ながら、幕政とは無縁です。
 告に朱書きと言っても、告の原案に書いた
ものが、若いものが、「わかんねえーな。」
とか「どういう意味」としていたかも知れません。
 ご隠居と呼ばれるようになってからは、江戸在府
が多く、自ら作った「西山荘」には行けなかったので
いる為の口実が「大日本史」ではないか、と揶揄する
ことも多かったのでは。
 江戸参府記には、オランダやイギリスの公使が、
謁見の時、踊りを披露し、是を諸大名が、別の間で、
散見する事が、記されていますが、公使は、踊りが
嫌いでこれをなんとか阻止したいという事が、散々
語られています。
 光圀は、隠居後、謁見とは別に、三代様並びとして
将軍家親戚ということで、公使の説明を聞く事ができた
のですが、これとは、関係のない話でした。


江戸通
[2005年12月11日20時51分]
お名前: 或いは「書経」か
 なんじ多士よ。わが小国は、あえて殷命を戈い(うばい)
にしにあらず。これ天に与せず。われを弼(たすけ)しなり。
 という、周の成王が呼びかける儀に解題として示したもので
はないかと、私は考えています。
 周は小国で、殷に比べれば、瀕というべきか!
 天命は、どうもわれを助けているようにも思える。
 「薄く広くせよ」と「西山遺文」にもあるようです。
 朱書きを告にしたという説もあるようです。

  江戸通
[2005年12月09日22時00分]
お名前: 江戸通
 薄くひろくせよ
 藩政を担っていた頃の、光圀の珠玉の一句です。
 とかく、御用商人、御家人に厚くなりがちな、支出を
兎に角、薄く広くせよと。家臣を叱咤した故事にあります。
 ERIやEホームズの話ではないのですが?
 ところで、お姫さまで有名な、カズこと三浦和子さんに
変わって、原沙知恵さんが登板でし。
 沙のじは、沙ごじょうの沙だったかな。とか!
 カズが帰ってくるのです。身が引き締まる思いです。

  江戸通
[2005年12月08日21時43分]
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