1171 織田信長殺人事件  3

「さて‥‥」と十郎左は座り直した。そして、
「わが丹羽家というは織田の如き土着の出身ではないぞ。海を渡って当国へ遠征して
きた舶来人の末裔である。よって明国と安保条約を結び、銭も共通にしてしまわれた
室町御所の華やかなりし頃は、尾張管領の斯波家にあっては右の柱とも敬われたもの
である。ところが、先々代の斯波義達様が遠州引馬城(後の浜松)にて今川に破れ、
捕虜となられた後に斯波家は衰徴。その巻き添えにて当家も零落れたなれど、よいか
‥‥丹羽は斯波家重臣の尊ばしい素性であった‥‥ここのところを、よく性根をすえ
ておぼえておけ。さぁ信長ごときにおめず臆せず、さっさと引き返して行って『用を
言いつけるなら、はっきり判るように云ってこませ』と談じてこい」
と、いつもの癖でけしかけた。
「うん」仕方なく五郎左は言った。
ぐずぐずしていると又殴られそうだから、藁草履をひっかけると外へ出た。しかし、
「無茶をいいおる」と、いまいましがってぺっと唾をはいた。
 たとえ昔は丹羽家の方が豪い衆であったにせよ、今となっては向こうが旦那で、こ
っちは家来である。内弁慶の父親にいくら叱咤激励されたからといって、まさか信長
の許へ談じ込みになど行けるはずはない。だからして、道端の青い花をつけた露草の
丸まった葉っぱを引き千切り、
「忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず、嗚呼悲しからずや」
 口癖でもらし、唇へもっていくと舌を尖らせ吹いてみた。が、笹や篠みたいに葉に
腰がない柔葉なので、いくら頬をふくらませてもプウとも音はしなかった。
「如何なされました、落し物でござりまするか‥‥御手伝いなど致しましょうか」
しょぼくれて五郎左が野分けの道を歩いていると、背後から声をかけてきた者がある。
「これは、お寧子様か」うなだれていた五郎左は、少し照れたように赤面したが、
「ひとつ、助けてちょうせんか?」と、これまでの一部始終を早口で話した。それな
のに、
「相変わらず、おみゃあさんは愚図だわね。だで、お花さんかて丹羽の家へ後添いに
行かっせるのを、迷っていなさるんじゃろうね」と、木下藤吉郎の嫁女は尾張弁で関
係ない事を口にして、
(なんと、男とはしようがない役立たずじゃ)といった顔をした。そこで、
(ばかにしとる)と五郎左もふくれた。しかし、お寧子の妹で、今は浅野長吉の後妻
に行っているお犬と、お花は友達である。だから口答えして後で意地悪でもされては
と用心し、
「なぁ、そう云わんと教えたったらええ」
五郎左は甘えるように頼み込んでみた。
 すすと、お寧子は説教するみたいに、
「おみゃぁさんはそれだでいかんぎゃあ。そんなとろい事で出世できますかね‥‥早
ようお花はんとこの親爺様に聞きに行ったらええぎゃ。あの父っさまは物頭の下のお
指図方じゃもん。何に御用でお呼び出しを受けやぁたかすぐ教えてちょうすがね」と
言った。
 が、五郎左は滅相もないと首を振って、
「おらぁいやだ。きまり悪う」て、と拒んだ。
「何を云うとりゃぁす。おみゃぁも、うちの藤吉郎と同じ申の二十五じゃろ‥‥近頃
の娘は男をよう見るで、もっとしっかりせな、だっちゃかんがね。はよ行ってりゃぁ
せ‥‥」
 と、お花の事を云ったものの、お寧子もしょげ切った五郎左が憐れになったのか、
「よし、ついたって代りに御用向きを、この寧子が聞いたろまいか」と言い出した。
「本当に聞いてくれるんか‥‥恩にきるで」
感激しきった五郎左は両手をひろげた。
「お寧子様の云う事なら、俺何でもきく、何でもやるで‥‥」と繰り返した。すると、
寧子は顔を赤くしてしまい、
「間にあっとるわ、今は亭主がいるで‥‥」裾を合わせ目を押さえて口にした。

「五郎左が言いつけられた作事方というのは、聞き直してもらったら鉄砲の手入れだ
った。
 元は斯波家の侍だが、今は織田家随身の者で雑賀右京というのがいる。これが信長
の言い付けで和歌山から雑賀鍛冶を伴ってきてから、修理を城内の馬出曲輪の隅で始
めたのである。
 しかし、なんといっても品物が桶狭間合戦で今川方の足軽が担いでいたのを根こそ
ぎかっぱらってきた鉄砲である。そうっと分捕ってこられたらよかったろうが、なに
しろ乱戦だった。それに鉄砲を知っている者がせしめてくるのなら大切にしてきたろ
うが、人手不足でついてきた野次馬にまで加勢させたものだから目茶苦茶である。
 まぁ、向こうの鉄砲足軽が振り回したのか、こちらが分捕ってから薪ざっぱみたい
に殴ってのけたせいなのか、どれも皆傷だらけである。筒先が折れたり曲がったり、
一番肝心な「見当」と呼ばれる照準までがふっとんでいる。もちろん銃床の板も割れ
たり欠けたり、満足なのは数える程度しかない有様だった・
 だから、「筒口から火挟みの皿までの故障は鍛冶、引き金と台〆鉄をとった台木は
木工方」
と五郎左は捻り鉢巻きで、まず分類するのにてんてこまいである。なのに、
「どうじゃ。あんばいよう、やっとるか」
気になるらしく、のぞきに来た信長の後から、鉄砲奉行の木下勘平が頗る上機嫌で笑
いが止まらぬような顔で、
「しっかり精出してやれよ」などと小者達に声をかけながらやってくる。
「‥‥これは、お寧子様の兄上様」
と五郎左は信長の方は煙たいから最敬礼だけにして、木下勘平の方へ声をかけた。な
にしろこの仕事を言いつかった時、話が判らず困っていたのを、寧子に助けられた義
理がある。
 だからついその名を口に出したのだが、途端に勘平は不機嫌な表情をみせ横を向い
てしまった。
 しかし、信長のほうは山と積まれた鉄砲に満足らしく、あちらこちらを見て廻った
あげく、
「これ五郎左、その方の仕事はこうして区分けして修理させた後、また鍛冶の雑賀と
大工の岡野から直ったものを集めさせ、それを一つに組み合わせ、これなる木下勘平
に渡すのじゃが‥‥しっかりやれよ。たとえ一挺なりとも無駄にするな。心して励め
や」と言った。
うへえっ」五郎左がかしこまって頭を下げたところ、いつもの調子で信長は、せかせ
かと大股で立ち去ってしまい、顔を上げるとそこには苦虫を噛み潰したような勘平の
顔だけが残っているきりで、
「お寧子は‥‥もはや木下家からは勘当されとるんじゃぞ。親爺から触れしてもあろ
う」
とすぐに文句をつけに来た。勘平のいう親爺とは、お武者奉行の木下助左のことで、
娘共は上の「おえい」を織田家槍奉行の杉原十郎左の跡目七郎左へ嫁がせ、御弓奉行
の浅野又右の跡目の長吉(後の浅野長政)には、お寧子の後釜に「お犬」をやってい
る。
 そして今度は、助左は跡目の勘平を鉄砲奉行にしてもらったから、織田家の軍事奉
行は木下一族一門ですっかり押さえているような権勢ぶりである。
 それに、この勘平の弟の小市と雅楽助も、共に「放れ駒」「天狗面」の絵旗を許さ
れた指物武者で、この二人は信長付の使い番。現代で云うなら幕僚といった高級参謀
の要職である。
 だから五郎左は勘平に抗議されながらも、
(あの藤吉郎という奴は俺と同じ齢だというのに、なんとすばしこい奴じゃろ‥‥こ
れだけ織田家の重職を占めている木下一族へ、お寧子様という女ごを巧く足場に潜り
込んで、そんで喰いつくとは、たいした智慧者じゃのう)
舌を巻いてすっかり感心し、
(今でこそ藤吉郎めが勝手に木下姓を冒したというのでお寧子様は勘当され、親爺様
や兄弟衆も憤ってはいるが、なんせ一つの血に繁った間柄ゆえ、行く末はあの藤吉郎
も木下の一門という事にされて、きっと縁故で立身していくんじゃろ)とうらやまし
くなった。だが、
「早よ、雑炊を喰ろうて、鍋は洗うか、水に浸けておけよ」
疲れ果てて、やっと自分の家へ戻ると、父の十郎左が、もう暗くなった家の中から怒
鳴ってきた。五郎左は、
「うん」と返事して鍋の蓋をとった。すると退屈しのぎに早く十郎左が煮て食べてし
まった後らしく、残りはもう冷えて固まっていた。
 椀に盛るのも厄介なので土鍋を抱えたままで、むしゃむしゃ掻きこんでいると、
「‥‥土鍋は上へ持ち上げてはいかん。落とすと割れるぞ。下へ置いて自分がつくな
って(屈みこんで)喰え」と声が飛んでくる。
 なにしろ口やかましい父親である。
昔からよく、まだ子供だった五郎左をつかまえ、
「おまえはそんじょそこいらの土民や土豪の伜ではない。れっきとした由緒ある身で
ある。しかと立身し丹羽の家名を興すべし」
と口癖のように云っているが、土鍋が割れたら損をするから、犬や猫みたいに手で持
たずに、口を持っていって食べろと言うところをみると、
(貴種だといってもこれでは大した事はないな‥‥)
稗殻が粒々している雑炊の固まったのを、五郎左が喉へ流し込んでいると、
「いいかげんに、うぬ、また嫁取りせい‥‥槍柄を握っていた手で炊事洗濯するのは
真っ平御免じゃ」と、今度は文句をつけてきた。
「うん」これは同感なので、五郎左も返事したところ、十郎左は寝茣蓙から起きてき
て、
「本当に貰う気があるンか?」
自分が嫁取りするような顔で、どさりと板の間にあぐらをかいて、
「‥‥いいか、嫁を貰うならば才たけて、心やさしき女ごを、なぞと考えたらあかん。
わしの体験からいくと、才たけた女というのは、すぐ男をこばかにしおって、ぐずじ
ゃとか、阿呆めとかぬかしよる。とても辛抱しかねる。それに心というのは、こりゃ
覗いても見えんもんじゃろ。そんな不確かなものが優しいかどうか、どうしてわかる
‥‥なんせ世の中には他人には良く思われようとして優しくて、その反面連れ添う夫
には酷いのがなんぼでもいる‥‥お前の前の嫁の妙も実はそうじゃったろう‥‥」と
息巻いてから、
「どうしても、また嫁取りする気なら、いいか、才とか優しい心はいらんから、うま
い物を作って喰わせてくれる女ごを貰え‥‥わしはこの頃ものを口にするしか楽しみ
がないでのう」最後には自分の望みをつけたし終わりにした。が、どうも、それでは
気が引けるのか、
「あのお花のとこへ、今からでも行ってこい。あの娘はよいところがある」と付け足
した。そして、
「ありゃ小柄な娘じゃな‥‥よいか。女夫(めおと)になるとは、まず行く末の夫婦
喧嘩を考え、男は勝てそうな嫁取りをするべきじゃ」
と十郎左は暗がりへひっこんでから答えてきた。言われて五郎左も、
(そうか、前の妙は大柄じゃったから、いつも喧嘩して取っ組み合いになると、まさ
か刃物は使えんゆえ、やむなく三度に一度は組み敷かれ頭をどづかれていた。前車の
覆るは後車の戒め‥‥とは、この事なりしか。よし、あのお花ならばきゃしゃで小柄
ゆえ、俺も前のように取っ組み合いをしても押さえこまれなどしまい。その点は大丈
夫であろう)
と、その気になって、月明かりを頼りに表へ出た。しかしである。
(同じ二十五歳でも、藤吉郎という奴は、あんなに親兄弟の良い寧子をせしめ、なん
で俺は二度目とはいえ、たかが三十貫取りの指図役ふぜいの娘を嫁にせないかんのじ
ゃろ)と考え込んでしまい、
「月見れば、ちぢに思いは‥‥」と思わず夜空を仰いで唸っていると、草ずれの葉音
が絡まって、
「ちょっと、なにしてりゃぁすの?」
女の声が、するどく礎石のように飛んできた。

「こういう仕事は、根気よく入念にやらねばいかん‥‥人から愚図じゃと言われる五
郎左を選んで事に当たらせてみたが、ようやった。こまめに部品を補い、有無相通ず
るよう、よく融通しあって見事に千二百挺の鉄砲を新品同様に再生した手柄。何を恩
賞にくれてやろうぞ」
信長はにこにこ上機嫌だった。なにしろ鉄砲というのは紀州の雑賀鍛冶によって国産
品ができてはいたが、一挺が二十匁もするという高価なもので、とても安易には入手
できず、安部金山で銀を掘り当てた今川義元が遠州今切の浜から輸入するのを、当時
の信長は羨望と妬視で、前田犬千代を潜入させて、その数を調べさせなどしたのであ
る。
 英国ではスパイの事を「Fox(狐)」といい、フランスではムンクをあてる。世
界中どこへ行ってもワンワンすぐ吠えだし、もてあます犬ごときをスパイの代名詞に
する国はない。
 何故「日本だけは密偵が犬なのか」と調べていたら、寛永四年十月の大地震で海中
へ埋没してしまった今切番所の古記録の写しが浜松の火鎮神社(旧白山神社)にあっ
て「塩尻文書」に収録されているが、それに、永禄十一年に越前府中の城主にようや
くなった前田又左衛門の名で白須賀の白山神社へ、何を奉納したか判明しないが、
「寄進」との記載がある。
 又左衛門は後に前田利家となるが、若いときは犬千代で、
「桶狭間合戦前の三年間は信長に追放され、どこか他国へ潜入していた」のは周知の
事である。
 そこで塩尻文書が今切番所と同じ白山神社の古記録である点を考えると、犬千代が
ここの番所へ潜り込んで白山神社へ出入りしていた事がわかる。
 信長は森乱丸の事も「乱」「乱」と呼んでいたから、犬千代も「犬」「犬」と呼ば
れていたかもしれない。そして犬千代は信長在世中は能登半島の七尾城主止まりで柴
田勝家の組下に入っていた。つまり犬千代の華々しい手柄は、今切番所に入り込んで
鉄砲の輸入量を密かに調べていた事ぐらいしかないから、口の悪い信長が「犬は間者
じゃ、密偵じゃ」と言いふらしたのが普及して、とうとう日本では「犬がスパイ」に
されてしまったとの話さえある。
 さて、
「何なりと望んでよろしゅうござりますか」
愚図と言われる割には、丹羽五郎左は珍しく褒美と聞いて、てきぱきものを言った。
 だから信長も、ほほうといった顔を見せたが、なにしろ濡れ手で粟のつかみ取りで、
一挺買えば銀20匁もするものを、元手を殆どかけずに千二百挺も揃えられたのだか
ら、
「‥‥苦しゅうない。なんなりと望め。五郎左が真面目な男とよう判って、これから
は重く用いて取らそうと思っていたところじゃ。扶持なり役向きなり何でもぬかせ」
と実に機嫌がよい。そこで五郎左も安心して、唾で唇を何度もよく舐め濡らし、
「恐れながら‥‥、奉行職を一つ」と早口に言ってのけた。すると信長は、
「うん。それくらいの値打ちはある。だが、そうそう専任の廃品回生の奉行を置く程
には、古鉄砲はたやすうは手に入るまい」
首を傾げて考え込んだ。だから五郎左は慌ててしまい、
「て、てまえではござりませぬ‥‥」それに答えた。
「なんじゃ。誰を奉行にせいと申すんか?」呆れ顔でキンキンした声を出す信長に、
「先に足軽より士分にお取り立てを頂けましたる新参の木下藤吉郎めへ、なにとぞ、
しかるべき御役向きの奉行を」と五郎左は這いつくばって言上した。
「うーむ」信長は顔を逆撫でししてから、
「藤吉郎と申すは、鉄砲奉行木下勘平の妹の婿じゃろ‥‥それを自分の手柄にかえて
推挙したいと申すんか?」と尋ねた。
 うっかりいつものように「うへえっ」と頭を下げると、さっさと消えていなくなっ
てしまう信長に懲りているから、今日は、
「いかにも左様にござりまする」と顔を上げたままで、五郎左は言ってのけた。
「‥‥どうやら、寧子に強引に言われてきたとみえるな‥‥さては五郎左、うぬはあ
の女に借りた事があって、その償(まや)かしかや」と、吹き出しそうな表情を二十
七歳の信長は見せた。
(信長様があないに思い当たるような事を口にされるとは‥‥さては、信長様もあの
寧子殿に強引にせっつかれた事があるらしい)
と、そこは年齢が近いだけに、はっと以心伝心。通じ合うものがあって五郎左もピン
ときて、思わずにやりとしてしまうと、
「‥‥うん」信長も微苦笑を洩らし、
「小者から足軽にした下郎じゃ。どないな奴か見たこともないが、はて何をやらせた
らよいか」と首を傾げながら座を立ち上がった。そこでやっと落着したと、ほっとし
た五郎左は(もう消えてなくなってもよいわ)と考え、「うへえっ」と両手をついて
平伏した。

 これは後年の事だが、織田信長が寧子宛に、
「秀吉などと申すあないな禿鼠めにはその方ごときに、寧子は過ぎた妻であると、わ
しは昔からよく言い聞かせてある。よって嫉妬などせずに、まぁ待つがよい」
という手紙が出され、それが現在も残っているものだから、どの歴史屋も結果論から
して、
「信長が秀吉を高く評価していたから、それで秀吉の為に寧子の慰撫をしたのだ」
と解釈されているが、どうであろうか。なにしろ、この書簡はどう見ても寧子から信
長へ訴えた手紙への返信である。しかし当時は「身の上相談」といった形式は発明さ
れていなかった。また信長は家族の調停員でもなかった。
 今日、会社などでは社員の妻を大切にして贈り物をしたり、招待したりするところ
もあるが、信長の時代には「マイホーム主義」もない。また、現在いくら社員の妻を
大切にする会社であっても、そこの社員の妻である寧子夫人が織田信長社長に直接、
「うちの夫は浮気しております」と訴え、その社長が、
「あいつには昔から、君は過ぎた奥さんだとよく言ってあるんだ。そのうち本人も眼
をさますだろう」と、いくら有能幹部の妻へでも、そんな返信を出すだろうか?
 ところが現実にはその返信が、当時の事なのでポストに投函でなく、御用番の武者
が馬をとばして「はい、速達」と持っていっているのだから変な話である。
 ということは現代なら、その社長と彼女は以前において親しかった間柄と疑える事
になる。これは従来の講談や通俗歴史小説の類が、この、寧子の生家が判らず藤吉郎
の父を木下弥右エ門にしたり、木の下で信長に採用されたから木下党とか、以前に松
下家へ奉公したから、それをもじって木下に、又は木下という空姓があったから、そ
れを使ったといった解釈をしてきたせいである。
 では、これでは
「寧子の実家の木下家が、織田家では重鎮で、その兄弟や姉妹の夫で信長の直臣団は
固めていたから、信長にすれば譜代の重臣の娘である寧子の顔を立てて、その機嫌を
とってやるために、譜代でもない秀吉の方をけなしたものらしい」
とでも、寧子の実家を調べだしてみないと、
(まるで秀吉が寧子と信長の仲を嫉妬して、本能寺の変の黒幕になってしまった)と
いったような事にもなりかねない。


藤吉郎の関係

「なんちゅうお前さんは、とろい人だねぇ。せっかく殿様が、何なりと望めと云うて
くださりゃあとるのに‥‥てんで自分の事は考えんと、どうしやぁたの?」
怨むがごとく訴えるようにも、お花は背をもたせかけてきて強く詰った。
 大きな山毛欅(ブナ)の樹の蔭だから、人目につかぬのは安心だが、どうも照れ臭
くて五郎左は、
(すまん)とも言いかねる。だから手を伸ばしてお花を撫ぜ廻しながら、
「まぁ済んだ事だで、ええことにしとこまいか」とかけあった。ところが、お花は、
「いや、らっさ」と、とんではねた。
 五郎左は肩でも撫ぜるか、猫みたいに顎の下でもさすれば良かったのに、つい尻な
ど撫ぜ廻し割れ目をこすったのがまずかったらしいと慌ててしまい、前の妻の妙にし
たように、
「勘弁してちょう」と頭を下げてしまった。すると、お花の方は(ええわね)と言っ
てくれると思ったのに、いきなり権柄(けんべい)ずくになって、細い肢体を震わせ
口を尖らせ、
「わしを嫁にしたいんなら、なんで真面目にしゃあせんの」剣突をくわせてきた。
「‥‥まじめに?」と五郎左が聞き返すと、変な顔をして、
「男が女ごを嫁にするとは幸せにしたる事じゃろ。だったら自分が奉行様にしろ、な
んなりと御役につかわせてもらい、その御役扶持で世帯を楽にするよう心掛けるんと
違うんか?」
と、にベもない調子で切り返してきた。
 五郎左は小柄な女ごは、取っ組み合いで喧嘩する時は、まさかこちらが潰されんで
安心じゃが、代りに気が強い。こりゃ口喧嘩は手強いぞと、たじたじになった。しか
し、文句ばかり云われていては、男としてはたまったもんではないと五郎左も考えた
ので、
「‥‥俺が家は、恐れ多くも海の向こうから渡海してござった、豪い様の血脈じゃ。
時世時節で織田家に仕えてはいるが、一奉行になるが如きさもしい望みはない。百万
貫ぐらいの身代になってみよう所存じゃわい」
胸を張って、地言葉はやめてあらたまって堂々を抱負を述べ、ついでに、
「燕雀いずくんぞ鳳凰の志を知らんや」と難しい文句をつけたした。
 お花はうっとりして、
「おみゃぁんち家(ち)は向こうの血引いとるで、よう難しい事言えるンな」と感心
した。
そこで、
「もちろん、今すぐではないが、しかしこの丹羽五郎左は必ず百万貫にはなってみせ
る」
 ここが男の見せ場とばかり、どんと胸を叩いていきがると、
「おみゃが、そない立身しやぁすなら、青田刈りで早よ嫁になっとく方が得じゃな」
お花はまた側へ寄り添い、そっと低い声で尋ねてきた。即座に五郎左は、
「いかにも」と言いざま、抱き寄せると、ぐっと力を込め、エビ折りみたいに押さえ
つけた。
 また、腰の割れに手が当たったが、今度は
(いやらっさ)
とは云わず、お花は低く、
「ええがねぇ」とうわずった声を出した。だから五郎左は、
(女っちゅうものは‥‥同じ事しても、その時で言うことが変わりよる)と妙な気が
したが、人目につかない山毛欅の木陰である。この機を逸せず打ち込むべしと考え、
胸を陣鉦みたいにガンガン鳴らし、お花を力任せに「一番乗りじゃ」といいざまシロ
ツメ草の白い花のこぼれている叢へ押し倒してしまった。
 さて‥‥その頃。
お寧子は、あべこべに藤吉郎の上に乗っていた。といっても、こっちは喧嘩の真最中
なのである。髪ふり乱した寧子が、
「なんで‥‥云うことをきけんの」
と、馬乗りになったまま、藤吉郎の耳を引っ張り頬をつねり、ついで引きむしって折
檻していた。
これには藤吉郎なるも、すっかり音をあげてしまい、圧し潰されそうな声で、
「まぁ止しゃあ‥‥頼むで止めとかんしょ」
と悲鳴を上げ降参してしまった。そして、やっと寧子が手をゆるめて降りるなり、
「いくら女夫の仲とはいえ、不意うちに俺の睾丸(ふぐり)をつかんで絞め上げて、
突き倒すような卑怯で殺生な真似はすんな。おかげで俺がものは腹の中へ入り込み、
めり込んでしもうた‥‥」
と痛そうに股ぐらへ手を差し込んで揉みだした。だから寧子も、
「おみゃぁ、猫の雄みたいに中へ入っちまって、出てこうへんかね」
と、さすがに自分の用いる所だけに狼狽し、首を伸ばし覗き込みに来るところを、い
きなり、
「バシッ」と平手うちをかませた藤吉郎は、
「へんら、へらへら」と、これまでの溜飲を下げるように笑い飛ばした。
 つまり、別に二人ともおかしくも、面白くもなかったが、顔を合わせて歯を見せだ
したということは、これは夫婦喧嘩の休戦である。とはいえ、これから寝てしまう時
刻でもないから、まだ平和調印をしあうという段取りではない。
「せっかく丹羽五郎左に願わせていただいた薪炭(まき)奉行の御役が‥‥なんで気
に入ってちょうせんの」さも情けなさそうに、今度は寧子が話を持ち出してきた。ま
たぶり返しである。
「‥‥寧子はな。兄の勘平殿が鉄砲奉行、姉婿は槍奉行、妹婿は弓奉行と、みな奉行
の名がつくで、それへの対抗上この藤吉郎にもなんぞ奉行の役をつけ、それで勘当し
くさった里へ面当てしてこまそという女心の意地‥‥そりゃ俺かてわかる。しかしだ
な、同じ奉行でも鉄砲弓槍の三奉行と薪炭役では、ちいと違いすぎゃせんかのう‥‥」
「何を云うとりゃあす。鉄砲かて台木は板。槍も柄んとこは棒。弓は竹や籐じゃろ。
薪炭かて木じゃ。ちいとも違っとりゃせんがね」
と、寧子は隙を見て又飛びかかりそうな猫みたいな丸い目つきをしてみせた。
「そりゃ扱う材質は似たりよったりでも、薪炭奉行ではちいと恰好がようないで‥」
 藤吉郎はまだ負けずに言い返して顔を尖らせた。
「馬鹿ほど見栄を張るといやぁすが、ええ加減にしといてちょう。軍奉行の方ならボ
ォッと貝が立ちジャンと鉦が鳴りゃあ戦する身は、真っ先かけて陣揃えに並ばななら
ん‥‥行かっせる方はよくっても、後に残る身にもなってちょうせんか‥‥そこのと
ころを、あんじょうよう考えて下されて信長様は、戦の時にも安心できるようと、丈
夫で長持ちするよう戦にゆかんでもええ奉行にしてくだされたのを、なんで判らせぇ
へんの?」
と、袂の端をつかんで、寧子は口惜しがった。
「しょむねぇ」と藤吉郎は言った。そして、
「どうせ俺は流れ者じゃ‥‥士分の出でもなく、小者から足軽をしておった分際じゃ。
薪ざっぽを連雀(背負い棒)につけ背負って歩くが、まぁ身分相応ずら」
と遠州訛りでごねてみた。
「何を言やあす‥‥男ちゅうは槍を握ったら杉の梢みたいに、真っ先かけて突進し、
算用させれば、十本の指で数えができねば足の指をすぐ足しても早よう計算できるく
らいに、なんでも精出して、よう働かないかんもんじゃ‥‥と家の父っさまも云うと
りゃあしたに」
「ああ、お寧子の親爺の木下助左様は豪い衆‥おみゃあんとこは皆、ええ衆だでな」
と藤吉郎は仰向けに板の間へひっくり返ってしまった。それを寧子は、
「ひがみゃあすな‥‥」と、まず諌め、
「男が立身するもせぇへんも、みんな女ごの功(いさお)じゃが。なぁ、この寧子が
塩梅(あんばい)ようやったるで、おみゃあは云うとおりにやらしたらええがねぇ」
と慰めだした。

 一冬あけて永禄四年(1561)の春が来た。
前は丹羽五郎左の方に、家柄が由緒あるからと五十貫扶持。木下藤吉郎は士分とはい
え、これはお目見え以下の二十貫の軽輩だった。ところが薪炭奉行になった時に十貫
増え、この冬の薪炭の使用料が去年の半分以下で仕切れたという手柄で、改めて恩賞
として加増され、今では丹羽五郎左と同額の五十貫になっていた。だから五郎左とし
ては、
(三十貫も、一冬に稼げるなら、自分がやりゃぁよかった)とも後悔している。
 なにしろ父の十郎左に未だに、「へまだ、ぐずだ」と言われ、やっと嫁にした花か
らも「あんた、それで百万貫になれるん」と、夜毎にせっつかれている身分だからで
ある。
 四月の声がきこえ、夕闇になると早咲きの宵待草が川原に白い花を咲かせる頃にな
った。
「こりゃ内証じゃけど、近く御陣(いくさ)があるらしいで、しっかりやってちょう
よ」
と里の父が指図方へ入っているので早耳で聞き込んできたらしく、お花は五郎左を鼓
舞激励する。生家で犬を飼っていた花は、五郎左にも同じ様に躾する肚づもりらしく、
飯を喰わせる前とか女として何かをさせる前に、お預けをさせては言って聞かせる。
「うん」
返事をせんことには、箸も持たせねば裾もまくらせない。まぁ亭主飼育法の一つであ
ろう。
 そのうち五月に入ると、雑賀の手の者が堺からミミズが這いつくばったような文字
の入った大提灯に似た樽を運搬してきた。
「火薬だ」と知らされた。
五郎左は鉄砲ちゅうもんは、いくら整備しても火薬がないと弾丸が飛ばんし、その主
原料の硝石は、この日本では一つまみも採れず、マカオとかいう所から購うのでは、
こりゃぁ物要りなものだと思った。
 が、五郎左の心配をよそに、清洲城では次々と合戦の仕度が進んでいった。
そして、五月十二日。満月の晩を選んで織田勢五千は木曽川へ向かって出陣した。
同じ五十貫の同格になった木下藤吉郎が丹羽五郎左の隊へ入ってきて、一緒に並んで、
月明かりの青い夜道を進んでいった。
「わしが、こないに立身できたのも、ひとえにお前様が奉行に推薦して下された御恩
じゃ」
と藤吉郎は感激しきったように声をかけてきた。五郎左も云われて悪い気はしない。
「まぁようやったと云えば、それまでじゃがのう‥‥新参のその方如き者の下知をき
いて、よく台所や宿直(とのい)衆が薪や炭を、あない協力してしまつ(節約)して
くれたものだな」
かねて不思議に思っていたから、ついそれが口に出た。
すると藤吉郎は困ったように、
「ありゃあ、手前の指図ではありませぬ」と左手をばたばた振ってみせた。そして
「足軽上がりの藤吉郎の云うことなぞ誰が聞いて倹約してくれますものか‥‥という
て使う側が力を併せてくれねば、薪一本とて助かりませぬ」
と訴えるように打ち明けてから、
「よって、奉行を仰せ付かった時から、こりゃ難儀な仕事だ‥‥うわべは手軽そうに
みえても、なんせ相手のあること。こちらの身分が高ければ、『この冬は、これだけ
にしまつ(倹約)してくれや』とも指図できるが、足軽上がりでは馬鹿にされて、誰
も云うことはきいてはくれまいと考え、そこで、寧子に『薪炭奉行など恰好がような
いで、もそっと違った見栄えの良い役と換えてもらえんか』と文句を云うと、気の強
い女ごゆえ、なにを、と取っ組み合いの大喧嘩。それから何とかしてくれろよと拝み
倒したら、女はおだてとモッコと何かにはすぐ乗りたがるから『まかせときんさい』
と、寧子が自分で顔をあちらこちらへ出す。すると勘当されてはいても木下助左の娘。
顔がきくものだから、皆協力してくれて、あの倹約‥‥」
と、すっかり正直に内幕を喋った。だから、(なるほど、それでよめた)と五郎左は
肯き、さて、女というは扱いようのあるもので、馴らされている如く見せかけておい
て逆におだてて働かせる途もあったのか。一つ利口になった‥‥戻ったら花に俺もそ
の手を用いてみようと思った。
 それにしても、こりゃ気の良いざっくばらんな男じゃと感心して、
「‥‥今後もなんぞあったら、わしを頼みにしたらええ」同じ五十貫なのを忘れ威張
って口にした。
「よろしゅう」などと藤吉郎も、それにばつを合わせて神妙に頭を下げていた。
 そのうちに夏の空は明けやすいというが、突きがまだ西にみえているのに、小豆色
の空が淡い納戸色になって、少しずつ白くなってきた。
 葦原を吹き抜けて来る風邪も、夜露をはじきとばすようなさわやかさが混じってき
た。すると、
「めざすは稲葉山の井の口城ぞ」
自分を家来どもの目印にさせるように、大巾の白木綿で鉢巻きした信長が、鳥のヨシ
キリにも似たキンキンした声を張り上げた。
「これから攻める美濃の国は、俺が親爺殿(信秀)でさえ、天文十三年、十六年と二
度討ち込んで、コロ負けなされ、後の時はまんだ童(わっぱ)じゃった俺は手取りに
され、今の美濃御前を嫁にすることで、やっと親爺殿もろとも助けられたくらいじゃ
‥‥しかし、今度は違う。俺には鉄砲がある。南蛮渡来の硝煙もぎょうさん荷駄に積
んできとる。よってこの新兵器で、きっと信長は勝ってみせる」
と意気軒昂。戦うに先立って、もう自信のほどをしめしていた。