1153 信長殺しは秀吉か  3

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 握り飯で腹がくちくなってから、
「囲まれっぱなしでは、むずむずしまする。腹ごなしにいっちょうもんでやりとうご
ざる。暑気払いに、からこうてやるのでござる」
と、団平八や猪子平介が信忠に願い出て、追手門の内側に弓隊、鉄砲隊を三段ずつに
並べさせ、仕度ができると、さーっと先に跳ね橋を下ろさせ、気負いだった寄手が押
しかけてくるなり、やにわに門を左右に開け放して射すくめ、散々に脅かし、ひるん
で逃げかける背後から
「こら待て、ここな不所存ものめ」
と、武者どもが槍をふるって後を追いかけ、散々に暴れ廻って突き立て、胸の溜飲を
おろすと、さーっと門内へ引き上げ、橋を上へ釣り上げて、また鉄板打った大門をぴ
しゃりと両側から閉じてしまう。
 そして頃合を見計らって、東の門を開け、西の門を開け、敵の意表をついては、こ
ちらから攻めだす仕草などしてみせ、
(えたり面白し)
と興がって、退屈しのぎに敵を翻弄しているうちに、まぶしい陽射しが中天に登って
きて、暑さがぐんぐん厳しくなった。
「まだ来ないのか‥‥」
 さすがに気になってきて、だれもが安土からの援軍を気にしだした。立てこもって
いる五百騎は殆ど無傷で、後から駆け込みで加わってきた者どもを加えると八百ぐら
いには、数は増していたが、二条御所の中に取り込められた恰好になっているから、
どうしても少し焦りが出てきた。
 それに、今まで一の宮誠仁親王の御所にあてられていたので、人数も少なく米の貯
えがなかった。八俵ほどを握り飯にこしらえたら、もはやあとは二十俵ぐらいしか残
っていなかった。
 だから米倉を覗き見した者達は、
「これでは食い延ばしても二日ぐらい」
と心細げに不安の翳を顔に浮かべた。
 すると濠を越した隣の太政大臣近衛御殿の邸内が俄かに騒がしくなった。
どこからか新手の連中が来たらしく、夥しい武者が雪崩込んでいた。
 何事かと見上げると、名物に謳われている桜並木の梢から、ひょいひょいと野猿の
ように武者どもが大屋根に跳び移っていた。
 花はとうになく、黒ずんだ葉だけの桜樹の枝が揺られ続けているうちに、そのざわ
めきがやがて落ち着き、一斉に硝煙くさい臭いを噴いて、火蓋が烈しく切られてきた。
「鉄砲衆を大屋根に乗せ、こちらの前庭を狙い撃ちする気か」
と、こちらも慌てて銃隊を繰り出して迎え撃たせたが、茂った樹葉が青黒い垣を尾根
に這わせ、見当が巧くつかなかった。
 だから撃ち合っても、随分とも違いがあって、向こうのほうが手強く、見る間にこ
ちらの武者が仕留められ、津田又十郎、源三、勘七、九郎二郎、小藤次といった、槍
をとらせては海道一とも讃えられた津田一族が、あっと云う間もなく鉄の火の玉にう
ち挫かれた。
 すると、ドカァンと爆音がして、大地まで揺れた。
「裏御殿が爆裂され、ふっとんでござる。お濠から水を汲みたいにも、門を開けては
泳いで敵が殺到し押込みまする」
と斎藤新五が、血相をかえて走ってきた。
「ひどい爆音だ。建物が粉々だ」
と騒いでいるうちに、きな臭い臭いが這い廻るように延びてきて、火の粉がパチパチ
舞ってきた。そして突き刺さるように火箭が地べたに落ちると、真っ黒な燃えかすに
なった。
 火は表御殿へも移ったのか、めりめり地響きさせて、柱がどっと焼け落ちる音がし
てきた。熱気が立ちこめ、まぶしい陽射しに火の色は見えず、黄黒い煙だけが濛々と、
旋風のようにはらんで押しかけてきた。
 すっかり様相が一変してしまい、繋がれた馬柵の駒どもが、ひんひんと悲しげにい
ななきを上げだした。
 それなのに、また大地をもひっくり返すような大爆音が続けてした。
表御殿も消し飛んでしまった。そして、焔をあげて地面に落ちても、まだ燃え盛る大
きな火の塊が次々と唸りを上げてどんどん落下してきた。

「これは、いかん」
鎧の背に火の粉がついたのを、松の樹にこすりつけてもみ消しながら、焦げ臭い臭い
に源五もあまりの凄まじさにすっかり狼狽しきった。
 火の手に追われて、前庭へ駆け出してくる連中も爆発の煽りをくったのか、片手片
足ともぎ取られて、硝煙臭い血達磨になっていた。
「どうしよう‥‥こりゃ難儀になった」
と、源五郎長益も、すっかり顔色を変えた。
(こりゃ、事によると兄の信長も無事ではあるまい)
と俄かに心細くなってきた。
 本能寺も最後はここと同じ有様なら、とても助かってはいまいと気詰まりがした。
ここの二条御所に比べたら、半分どころか、四分の一の広さもない、たかだか二町四
方の塀もない土堤囲みの本能寺である。
 一万余に包囲され、こんな大爆発に見舞われては、降人するしか助かる道はなかろ
う。
 といって、己れは神様だと自負している信長が、まさか、頭を下げて助けを乞うよ
うな真似は、日頃の気性からみても、とてもしてはいまいと源五は心配になってきた。
それに、
(降伏を敵が受け入れるというのは、『相手に余力がまだ残っていて、長引いて延引
すれば、それだけ厄介』といった時だけ、その話がつくのであって、伴廻りが小姓に
駒の口取り中間と判ってしまっては、なんで敵が斟酌などするものか)
と煎じ詰めて考えてゆけば、どうしても、
(こりゃ、兄信長は、もうこの世にいまい)
と源五は思い知らされ、愕然と唇を噛んだ。そして、きな臭い煙にむせ返りつつ、
(兄じゃの信長が死んだとなると、後はどうなる)
ぎくりとして、死屍累々たるあたりを見廻し、火炎にしみる眼を押さえつつ、息をの
んだ。
 信長を討ち跡目の信忠も殺そうと、こうして大爆発まで仕掛けてきているが、その
下には信雄、信孝の他、羽柴秀吉の許へ養子に行っている秀勝もいれば、まだ幼い坊
丸達もいる。よって、寄手が信長の伜どもを一人ずつ片っ端からしらみつぶしにする
気だとみてとれば、これは
(娘婿の信澄可愛さに、それに天下を取らせようとする明智が魂胆)
としか、他には考えられぬ。信長の直系を根絶やしにすれば、とりも直さず天下の跡
目は甥の身上の津田七兵衛信澄のものになるはず)
源五は唖然として眼をみはる思いをした。

7
「危ないっ」
よろけながら、衛士所の脇から出てきた源三郎を見つけると、源五は飛び出していっ
た。
 肩当の鎧の隙間に薄黒い矢羽を立てていた。抱えるようにして楓の植込みへつれこ
み、力任せに矢尻を抜くと。血が吹き出した。
 練り薬を孔へ押込み、脇から肩へかけ、腰ゆわえの晒帯で幾重にも結ってやると、
「伊勢の兄殿の逆心じゃそうな‥‥」
煤けた頬を持ち上げて源三郎はうめいた。
「えっ三介のことか」
思わず、源五は聞き返した。
 三介信雄の本領は伊勢と伊賀。京には接している。国境に昨夜のうちに待機してい
たら、今暁の奇襲も無理ではないが、信雄と信忠は同じ生駒将監の後家娘を母にもつ
同朋で、これまでは、いたって二人は兄弟仲もよい筈なのである。
 それなのに、その信雄が怪しいと源三郎は言うのである。つまり、
「『おやじさまと惣領どのを倒せば、跡目のお鉢は次男に廻ってくる‥‥本能寺とこ
ちらを襲って、一番儲かるは信雄のやつ』と、中将信忠様も口惜しがっておられ、さ
かんに歯噛みをされ、『裏御殿、表御殿が次々と大爆発をなした不可思議さも、まさ
かこちらに裏切り者がいようとは思えず。といって、あの濠を越え厳重な石垣をつた
い、閉じた大門を乗り越え、普通の者が侵入してこられる道理もない。すると、こり
ゃ忍びを仕事にする伊賀の者。つまりは信雄の手下じゃろ』
そないに、中将さまの近習衆も言っとられる‥‥」
矢傷の手当をうけて、ほっとしたのか、源三郎は耳にしてきた事を、顔を歪めながら
も弁口した。
「そうか。中将殿や、お側衆は三介信雄が怪しいと、そない噂をしておるか」
うなずきはしたものの、源五は余計にわけがわからなくなってしまった。
 三七の仕業かと思えば、桔梗の旗が見え、明智の逆心かとみると、これも違うとい
う。
 本能寺からも轟いてきたが、これまで耳にした事もないような大爆音が次々と炸裂
して、城内の御殿も厩も空高く吹っ飛ばされ、そのため名代の武者達までが槍をふる
う間もなく、石ころみたいに飛ばされてしまう。
 もう、きな臭い硝煙が渦を巻いていて、爆風で折れた松の枝に屍骸さえひっかかっ
ている始末。混沌としてわけもわからない。
「なんせ、こんな物凄い爆裂は前代未聞じゃ。今度ドカンときたら我らも砂礫のよう
にとび散ってしまうわ。なら肩へ掴まれ。ここでまごまごしていては、だんだん熱う
なって、蒸し焼きにされてしまう。外へ駆け抜け、はたして、どやつの謀叛か、とく
と検分してくれん」
源五は、何とかして甥だけは落そうと思った。まだ年端もゆかぬ者を、紅蓮の焔に包
ませ爆薬で、ちぎれた雑巾のようにしてしまうは忍びなかった。だが、源三郎は、鼻
の下をこすりあげながら、脱出しろというのに、頑なに首を振った。
「おりゃ、小さい時から美濃岩村の大伯母のもとへ養子に出され、武田四郎の軍勢に
取り巻かれ、敵の秋山信友に占領されてからは、大伯母は信友の嫁様になり、おりゃ
も信友を父と呼ばされとった。ところが、兄信忠の軍勢に岩村の城が織田方へ取り戻
されると、大伯母は、
「敵と女夫になった」と、おやじの信長に打首にされ、おりゃは子供だからとお構い
なしで安土へ引き取られ、その翌年、元服させてもろうたが、いくら年弱とはいえ、
これでは、何だか歯にものがはさまったような心地。ここで又、兄の中将信忠を見放
して、俺だけこの御所の外へ出てみい‥‥今度は、どないに人の口に扱れるか‥‥て
んで、俺が男道が立たぬぞえ」
と、まるで駄々をこねるように、小さな身体で地駄を踏んでみせた。そして、
「源五郎伯父は、今まで何処へも養子に行っとられん。よって立場としては、気侭な
楽な身じゃ。ひとつ、我が織田の行末をよしなにお頼みしまする」
などと源三郎はたいそうな口のききかたをして、爆裂で崩れて落ちた御殿の方角へ、
手槍を杖に後も振り返らず駆けていってしまった。
「童(わっぱ)のくせして、小生意気、猪口ざいな」
と口では言った。だが、うっすら涙ぐんで見送った。そして、たんだ一人で取り残さ
れると、
「こうなると、おりゃが織田の家の行末を見るのか‥‥」
口の中で源五は低く呟いてみた。
 一度でも他家へ入って、そちらの名跡を立てた者は、もはや戻って本家の跡継ぎは
できぬが、この時代の定めだったのである。
 すると信長の兄弟では、まず考えられるのは、大阪城に今いる八男の上野介信包と
自分だけだが、信包は、今の三七信孝が神戸にやられる前に養子にやられた恰好にな
っている。だから改まって正統の跡目となると、信秀の伜ではこの自分、つまり織田
源五郎長益しかいない。
 自分の口からではおかしいが、信長の伜どもでも、信忠と今の源三郎は、どうあっ
てもここで戦死の覚悟らしいから、すると残りは
(二十三の信雄以下で、これまた未熟。といって跡目の信忠の伜の三法師らも岐阜城
にいるにはいるが、これとて、みな赤子)
と指を折って数えだしてみると、
(これでは、どうあっても衆目のみるところ、十指の指差すところ、誰が考えたにし
ろ、次の天下様は信長の伜どもではのうて、信長の弟になるこの年長の自分しか、他
にあるまい)
としか考えざるを得なかった。
 だから、焼け落ちて燻っている材木や、割瓦の間を縫いながら、石櫓の上へ源五郎
長益は這い登ってみた。寄手の具合を覗くためである。
 すると、西側の町屋の木組みを壊し、そのまま担ぎこんで濠に投げ入れ、ちょうど
それと伝って、敵は押寄せてくるところだった。
 石櫓のすみにへばりついたまま、こうなると、さすがに心細くなって、源五は脅え
た。いくらヤモリみたいに隠れていても、向こうが濠を押し渡ってどんどん入り込ん
できたら、とても何処にも隠れおわせるものではない。
 見つけられ引っ張りだされたら、なにしろ織田信長の弟という身分である。これは
どう考えてもただですむ道理はない。
(否応なしに方の蝶番をはずされ、首と胴はすぐさま切り離されてしまおう)
と思った。
 それなら、さっきの源三郎のように、まだ生きているかどうか判らぬが、信忠の許
へ駆け戻って、そこで織田一門がかたまりあって最期を飾るべきではなかったかと、
源五は決心した。
 だが、振り返って見下ろすと、もはや熊手を石垣にひっかけ、よじ登ってきた連中
が、既に煙にまかれながら、もう前庭を右往左往していた。
(これでは自分が天下の跡目になるどころの騒ぎではないわい)
もはや源五は進退きわまった。何ともなるまいとみてとった。
腹を切ろうと鎧の前をはずした。だがである。打ち刀の切先を腹の皮にあてがって、
ちくっとしたところで、
「はっ‥‥」
とさせられた。力をいれる握り拳にためらいが出た。
「介錯する者がいない‥‥」
びっくりしたように狼狽させられた。
いくら刀を腹に突き立て、力任せに深くえぐったところで、それでさっさと絶命でき
るというものではない。背後から発止とばかり、素っ首を叩き落としてくれる介錯人
がいなくては、腹を割って血を流してもそのままで、すぐ冥途へは行けはしない。
(十文字に切り開いて孔をあけ、だらだら血が流れ出したところで、それはそれだけ
の事。おそらく痛みはするだろうが、それがすぐにはどうということもない。あっさ
り息など落ちてはしまうまい。即死というわけにはならんじゃろ)
腹を撫ぜつつ源五は迷ってしまった。
(これから刀を腹に突き立て、そこで身動きできず、といって、すぐには死にもでき
ず、自分で持て余して、のたうっているところへ、運悪く寄手の奴輩がやって来たら
何としようぞ)嬲り殺しよりも始末が悪く、転がされて鋸びきに首を刈取られるのが
関の山である。
 それを介錯だと諦めればそれまでの話だが、すっぱりと斬り落されるのと、ごしご
しと刃の欠けた鈍刀(なまくら)で裂かれるのとでは、てんで痛みも違おうわいと、
ぞっとさせられる。
(それに、その相手が名のあるひとかどの者ならよいが、そんな武者はどこでも一握
りしかいない筈じゃ。おおかたは足軽か小者の雑兵達であろう。といって、彼らとて
功名手柄に焦って首を斬りはずして重いのを提げてゆくのだから、よもや間違っても
『死にかけのを見つけて、首をとってきた』とは云うまい。おそらくは、『見事に突
き合って仕留めた』とでも吹聴するだろう。そうなると『織田源五郎長益というのは、
武篇不鍛練にて、名もなき雑輩に打ち負かされた』と蔑まされるのが落ちである。が、
それに対してである。『そんな事はないわい』と文句を言いたくても、首だけでは肩
の蝶番を外されているから口はあってもよも唇は動くまい。そんな死に恥をさらすの
は真っ平だ)
腹を切りかけたまま、考えてしまうと、すっかり源五は弱りきった。

8
 首の付け根を背後から発止とばかり切り落としてくれる介錯人がいないなら、咽喉
を自分で貫き通し、息の根を一息に絶ってしまおうと考えついた。
 源五は小刀を口に銜(くわ)えた。
「やあっ」
とまっ逆さまに頭から下へ飛び降りた。その時又も爆音がし、爆風がきた。
だかである。
どうも、えてして思うようにはゆかぬものである。落ちて気付くと、噛んでいた筈の
歯を開けてしまったのか、刀身の重さで爆風がとばしてしまったのか、唇の端はひり
つくが、源五の口に刀はなかった。
 つまり、ただ頭をひどく水面にうちつけたのか、朦朧としてぐらぐら眼がくらんで
いたが、あべこべの濠の方へ落ちて、死なずにまだ生きていた。
 水苔か藻草か、ぬるぬるとしたものが、ひりひりする口の端に絡みついているだけ
だった。
 そして、まぶしい陽射しと毛髪までが焦げる熱気に、ずっと火照りきっていた身体
が、まるでジュウッと音をさせるように濠の中でふやけていた。
 息苦しさに浮かび上がって、顔を仰向けに持ち上げると、もう二条御所の火煙は崩
れた狭間からも噴き出し、六月の陽をすっかり翳らせていた。
 さえわたっていた筈の青空も、濠の上をもの黒くすっかり幕でもかぶせたように暗
く掩いつくしていた。
 遅れ馳せに御所へ向かう寄手の連中が、壊した家の戸板や棟木を縄でくくりつけ、
にわか作りの筏を作って渡ってきたが、あちらこちらに投げ込まれた丸太が漂ってい
るから、それに突き当たったり、乗り上げ、そのはずみをくって端の者が落ちたり、
筏ごと横倒しになって水に呑まれた。激しい飛沫をあげて沈んでいった。
 しかし、殺気立って皆で先を争っているので、落ちた者に手をかす者もない。
眺めていると、身軽なのは一度は沈んでもどうにか、もがきながらすぐ浮き上がって
くる。そして必死になって壊れた筏に掴まったり、懸命に泳いで対岸へと渡っていく。
 だが、憐れなのは寸法武者(ずんぼうむしゃ)とよばれる、上から下まで鎧兜に装
束をかためた者達である。
 なにしろ、一度ドボンと落ちたが最後、水中へ転がり込んだらその重さが錘りにな
ってしまって、どうしても浮揚できぬらしい。誰も水面へは出てこない。
 だから、濠の底で断末魔の苦しさでもがくのか、握り拳ほどの水泡がブクブクとい
くつも水面へ押し上げてくるように散らばり、泡のように浮かんできた。
 そして、やがてその泡が次第に小さくなって微かになり消えてしまうと、水面のさ
ざなみもなくなっていった。淀んだ水の上っつらは、また黒い布でも引いたようにお
さまりかえって、ただすえた匂いだけが立ちこめて、むせ返りそうにあたりに漂った。
 静まり返った濠へ時々、ジューッと音させ、飛沫をはねさせて、宙に舞っていた燃
えた木片が火の玉みたいに跳ね飛んで落下してきて吸い込まれた。その焦げ臭い匂い
と、どぶのようなよどみにむせびながら、源五は
(おりゃ、助かっとる。まんだ生きとる)
と、まるで人ごとみたいに考え、そして少しずつ落着いて、やっと正気づくと、美濃
の岐阜城へ残してきている妻や子供の面影がポッカリ浮かんできた。
まるで、人魂みたいに眼の先にちらついてきた。
(逢いたい‥‥)
と思った。一目でいいから、顔を見て、声などかけてみたかった。
 なにしろ源五郎は先月の十四日に甲州から戻り、安土からそのまま岐阜へ戻れると
思っていたところ、二十一日から上京して、ずっと妙覚寺住まいである。
 つまり、戦陣に追い立てられて、ここ五月ごしに別れたきりの妻子である。
(腹を割ろうとした時は気が張りつめていて、おくびにも思い出さなかったのに、冷
たい水に浸って、身体の芯まで凍りつきそうに心細くなってくると、温かい寝床や和
やかな妻子との睦み合いが、なんでか急に懐かしくなって偲べるとは、こりゃ、少し
得手勝手じゃろうかい)
とは思ったが、逢いたい見たいと気にすると、無性に源五は堪らなくなってきた。そ
して、なんとか溺れずに、この濠の中から這いだし、生き抜けようと、そんな心のう
ごめきを、まるで腹下しのようにも下腹に波打たせた。
 だから、人目につかぬように顔を持ち上げ、初めは丸太に顎をかけて浮いていたが、
しまいには、もう見栄も外聞もなくなった。生きようとする存念で、流れてきた死人
の股ぐらに頬を挟みこんだ。勿論、敵か味方か、うつむきの屍体で、そこまでは判ら
なかったが、浮き袋の代りに両腕で掴まった。
 なにしろ、水に漬かった土左衛門の屍体は、すっかりふやけて、腹や尻は太鼓のよ
うに膨らんでいた。そして死臭がむうっとした。
 だが、そんな事に構ってはいられぬから、源五は身体を浮かして、手足の自由が効
きだすと、まず鎧の草ずりをむしりとった。次いで目立つ己れの絹布の鎧下着も脱い
でしまった。そして水面まで浮かばずに、プカプカ漂ってる屍体を脚で探りだして、
足首で引っ掛けると、その男の物具を剥ぎ取った。水を吸った布子だが、まさか丸裸
も変だろうと、水の中で袖に手を通した。
 だが、羽織ってみると、死人の冷たさか、水の感じか、余計に歯の根が鳴った。ぶ
るぶる震えた。
 が、源五郎は必死である。流れている藁を拾うと、髪の元結をふやけた爪で抜き取
り、ざんばらに後へ撫ぜつけ、どうにか自分で手探りで総髪に結え直した。
「おう、おう」
と、二条御所の中から喧しく勝鬨がした。
 源五は口惜しさに涙を自分でも意識した。しかし、といって、どうなるものでもな
い。追い立てられるように澱んだ重く青黒い水面から顔を突き出してみた。
(さて、何処の岩礁へ這い上がろうか)
と眺め廻すと、西側に壊して運んだ屋根裏や戸板、丸太がまだ積み残してあった。這
い登れば何とかうまく身を隠せそうだった。
 占領して御所の門を開いた連中は跳ね橋を下ろし、そこから濠の水を汲んで火を消
していた。近衛家の雑掌達も集まって大瓶に縄をつけ、水汲みを手伝っていた。
 火の手は水を浴びせられると茶っぽい煙になって、這いだすように濠まで流れ込ん
できた。濛々と水面は湯気をたてるように煙りだして、源五は咳き込みながら息来る
しさにまた水中へ潜ったが、ここから脱出するのは今だと覚悟をつけると、西の縁ま
で泳ぎつき、立てかけの棟木を押さえ、ふやけた手肢に満身の力を込めて這い登った。
(どんな事があっても、今日の事は忘れまい。なにがなんでも、この謀叛をしくさっ
た奴、きっと捕らえ眼にもの見せてくれん)
びしょ濡れの汚い布子姿で、取り壊した家並みの裏を縫って走りながら、源五は忌々
しさと腹立たしさに、照りつける陽光の下を、がたがた震えながら吼えるように、何
度も自分に繰り返して呟いた。
 そして、本能寺の兄信長の事を思うと、気になって、まるで子供のように、
「おん、おん‥‥」
喚きをあげ、顔を歪めたまま、ひた走りに無我夢中で駆け抜けていった。


山岡道阿弥

1
 燃えている。ここも燃えていた。
瀬田の大橋が薪を積み重ね、めらめらと生麻(きあさ)のような焔を噴き上げ、白く
燃えていた。
「そこの舟の者。山岡が手の者か」
火掛かりを検分して引き上げてゆく二艘の舟に、源五は慌てて声をかけた。
 煙の渦をまく二条御所の濠から這い出し、寄手のはぐれ駒を見つけ、鞍や鐙をはず
し、わざと菰をかけ、それに跨って洛中を間道から必死に逃げ出し、ひとまず安土へ
と大津を抜け、瀬田まで来ると、肝心な橋が今ちょうど火をつけられたところ。これ
では渡りようもない。
「おまえさまは‥‥」
と、荒目布子の短いのに、もとどりの縄からげした風采をいぶかしそうに見返して、
舟の足軽頭のような男が、まだ燃え盛る松の仕手束を振りながら尋ねかけてきた。
「織田源五郎長益である」
少し気恥ずかしかったが、思い切って名乗りを上げた。すろと、向こうも面食らった
ように驚いて、急いで漕ぎ戻すと舷(ふなべり)を岸へつけ源五を乗り移させた。
 煙っている橋桁から漕ぎ離れて中州へ出ると、対岸の山の中腹に山岡景隆の城が薄
紫色の陰翳を浴びていた。
 だから、
(同じ水でもまるで違う。綺麗だ。透き通って小魚が泳ぐのまで見える)
と、源五は薄絹でも張付けたような静かな水面に、黄色い花を咲かせて漂っているあ
さざの浮草を、そっとふなべりから指先で摘み取ってみた。
 山岡景隆は、三井寺の光浄院の暹慶と号した景友の兄で、足利将軍義晴によって山
城半国守護代に任ぜられ、天正元年の足利義昭の旗上げに与したが、光秀の命乞いで
助命され、その後は実直さをかわれると、安土への要路の、この瀬田の守備を命じら
れ、近江膳所の石山寺城を守る弟の山岡景祐と共に、ここ十年陰日向なく兄信長に今
日まで奉公している評判な男である。

 対岸へ舟は着いた。
いぬわらびの茂った山道を案内されるままに、源五はよじ登った。
 ところが、やっと城門まで辿りつくと、中へ入って湯漬け一杯の振舞いを受けるど
ころか、乾草や枯芝が山のように積み上げられ、門口は塞がり、今にも火をかけんば
かりに油樽を抱えた雑兵が並んでいた。
「いったい、どうした事か」
出迎えに現れた城主の山岡景隆に、源五は面食らいつつ、急いでわけをきいた。
「どうもこうもござりませぬ。明智日向守の家職(かしき)、斎藤内蔵介より使いが
きて、『今から安土へ入城するによって、軍勢を率いて同行せい』との通達。よって、
通れぬように橋は今焼き払っておりまするが、向こうは近江丹波の精鋭一万三千。こ
ちらは石山の弟と併せても高々二千。正面きって戦って、もし城を奪われますると、
ここが、向こうの足場になるは必定。よって、惜しゅうはござるが、思い切って焼き
払ってしまい、家人もろとも、これから山中へ潜り込みまする」
と、家来どもに指図しながら早口に答えた。
「安土城へ入りたいのだが‥‥」
と、源五がすかさず相談をもちかけると、
「滅相もない。もう少し様子を見てからになされませ。手前も、せめて五千の兵力が
あれば、やつらに橋を渡らせ、半分ぐらいのとこで前後から火をかけ、おっとり囲み
も致しまするが、なんせ微力にてそれもならずに、こうして逃げ込む算段をしておる
ところ。源五様とて、手勢の何千も連れておられるものなら、そりゃ、このまま守山
越えにまっすぐに安土へ入られても苦しゅうはござりませぬが、恐れながら、その御
身柄一つで、やたらに軽挙などなされますな」
ずばりと言われて、返す言葉もなかった。
 兄の織田信包が、信孝の神戸城に付けられているよう、源五も信雄の岐阜城に配属
され、一門として敬われているが、身代はお情け程度である。つまり、ろくに手勢を
もってはいないのである。
 だから赤面しながら黙っていると、対岸に膳所の方角から白い砂煙が旋風のように
輪になって見えてきた。
 すると景隆は手にしていた青竹を、それをずっと待ちかねていたように、大きく円
を描いて振った。
兵どもが火をつけた。
 二層建ての山城は、狩り集められた芝や乾草に火をつけられると、みるみるうちに
きな臭い黄ばんだ煙を吹き上げた。そして綿雲みたいに空に伸べ広がると、膨らんだ
まま風になびいた。
「煙うて、眼が痛い」
景隆は風上の突き出た道端まで青竹を杖にして登りつけると、塩釜菊の花が赤くとり
まいている桜の根株に腰をどっしりおろして対岸を見下ろした。ちょうど軍勢が近寄
ってきたところである。
 瀬田の大橋があらかた焼け落ち、安土へ進みたいにも、進軍を阻止されたその軍隊
は、まるで途方にくれたように右往左往していた。
 その混乱している有様がこちらの山からは、すっかりまるみえに見下ろせた。じっ
と見据えたまま、
「こりゃ、思いのほかに人数が少ない」
不審そうに景隆は伸び上がって眼勘定をし、数え直しを何度もした。
「なんでも、行きは一万三千と聞いとるのに、帰りはどうみても三千。これはどうし
たことじゃろ。それに、どやつの鎧や旗指物も、てんで汚れてもおらん」
と、世にも不思議そうに景隆は、二条城から落ち延びてきた源五に口早に尋ねかけた。
「洛中へ押込んで本能寺を取り囲んだ時は一万三千いたのに、たった半日で昼過ぎの
今になると、こんなに人数が減るのは、よほどの激戦だったのだろうか。それにして
は戦をしてきたにしては、旗指物も身なりも皆きれいすぎて、妙ちくりんで納得がゆ
かぬが」
と、くどくどと、源五に山岡は尋ねかけるのだが、いくら訊ねられてもそこまで判る
筈もなかった。
 橋を焼き落され安土へ行けぬ軍勢は、暫く評定をしていたが、五、六百の兵を割く
と、残りは引上げにかかった。
「あんな小人数なら構ったことはない。迎え討って一戦すべきじゃった」
残念がってぶつぶつ呟いていた景隆も、敵がすごすご戻ってゆくのを眺めると、
「これでよい。まずはかねての手筈どおりに瀬田の唐橋を焼き落しましたわい」
と、手を叩かんばかりにニコニコした。
 だが、奇妙そうに長い眉毛を動かして、
「本城の丹波亀山へ戻るべきなのに、湖畔に沿って明智めは旧城の坂本へ向かいおる
が、こりゃまた何とした事でござりましょうのう。とんと解しかねますわい」
と口をつぐんで考え込んでいるようだった。
「まったく変てこじゃ。こりゃ、なんぞからくりがあるのとちがうか。光秀が戻るの
は自分の本城の丹波であるべきなのに、昔の支城にすぎぬ坂本へ向かうのは、どうも
おかしい。勝手がちがう」
源五も気にしていたところなので、声を落として尋ねかけた。すると。景隆はあっけ
らかんとした表情をしていたが、暫くして、
「わしは去る天正元年二月に将軍家の思召しにより、この瀬田にいた亡き父の景之や、
磯谷新左と共に伊賀甲賀の者共と一向門徒ら二千をもって信長様に宣戦し、今堅田の
砦を構えた。すると、織田方になった明智光秀が、かこい舟をこしらえ舷側に鉄板を
貼りつけ矢玉を防ぎつつ東から西へ漕ぎ寄せてきた。丹羽長秀や蜂屋頼隆の衆は、南
から北へと押寄せ‥‥さてさて、どっちが先駆けをするかという瀬戸際になってなあ
‥‥あの光秀が自分で、のこのこと舟を漕ぎ寄せ敵のわしに逢いに来て、いきなり
『御教書である』と封書をつきつけおった。そんでな(なんじゃろ)とひろげてみる
と何の事はない、わしに旗上げをお命じなされた足利義昭将軍様のもので、『明智に
花をもたせ、まぁ、この際は堪えて、ひとまず開城せよ』とのお達しだった‥‥」
と憮然とした表情で、そんな昔話をいきなり打ち明けてきた。
 それは今から十年も前の事だが、源五もよく覚えている。
なにしろ、千秋輝秋が討死する程の激戦で、西近江がひっくり返りそうな山岡兄弟の
善戦ぶりだったが、新たに兄信長に味方した明智光秀が突入すると、まこと難無く降
参させてしまい、それでいっぺんに明智光秀の武威は轟きわたり、兄の信長の信用も
厚くなり、清洲時代からの重臣の丹羽や蜂屋の譜代衆より光秀が重用されだしたとい
う、極めていわくつきの合戦である。
 当人の光秀は、恩賞の代わりに、三井寺光浄院の兄弟が一族ともに応仁の乱この方、
いかに義に厚き立派な身持であるかを言上し、命乞いして山岡姓に還俗させ、石山砦
を守っていた弟もろとも信長の家臣に推挙したというので、それが評判になり、その
後、室町御所の奉公衆は信長といがみ合いになった将軍義昭を見限って、みな光秀の
手で織田方へと一斉に山岡兄弟を見習って寝返りをうってきたものである。
 だが、当人の山岡から、こう打ち明け話を初めてきかされると、光秀の武篇という
のも、その振出しの瀬田合戦は、ありゃ、まこと、とんだまやかしものであったのか
とさえ、源五としては、あっけにとられたような肩すかしの思いだった。