1147 秘聞 柳生石舟斎 10

野伏(のぶせり)たち

 引馬から二里三十町の道のりに舞坂がある。そこから新居へは渡船が出ているから、
「舟にさえ乗ってしまえば、今川の追手もかかるまい」
途中で草鞋を求め、濡れた布子を風で乾かすように、気賀(きが)の江を南にみて篠
原から坪井まで、
「急がねばなるまい」と気丈夫な千賀は妹をせかして、野分けの道を走るように春日
村さして向かってきたところ、
「やれやれ、若い女ご二人で裾から雫をたらしながら、急いで行くところをみると、
うぬらは頭陀寺から逃げくさってきた奴だろう」
 薮の蔭にひそんで待ち構えていたらしい野伏(のぶせり)が、てんでに青竹を切っ
たのを槍の如く構え現れてきて、
「えい、通すものか」と道を塞ぎにかかった。
「理不尽な‥‥何を致すかっ」
千賀は父の加兵衛が背中にしょわせてくれた脇差の鯉口を切って、引き抜きざま、
「女人とみてとって侮った真似をしてくさると、後悔するぞ」と大上段に振りかぶっ
た。
 ところが野伏どもは、
「ほう、女ごだてらに剣戟(けんげき)沙汰をしようというのか‥‥こいつは面白い」
輪になって取り囲むようにし、長い青竹の先で突いてくる。
 だから春桃は怯えてしまって、しくしくまたしても泣き出したが、千賀はきっとし
て、
「お泣きやるな」
と叱りつけ、胸の乳房を狙って突いてくる竹をつかむなり、それを力任せに引っ張っ
ておいて、
「おのれっ」と脇差を降り下ろした。
 だから斬られた青竹は、ころころ音をたて転がっていったが、その野伏は仲間の手
前か逆上して、
「やりやぁがったな」
と隙を窺って、千賀の横から抱きつき、手にした脇差をもぎ取ろうとした。
 これには春桃もびっくりし、恐ろしさも忘れ武者ぶりついて、
「姉さまに何をしやるっ」とばかり、その二の腕に歯を立てた。
 その野伏は、
「痛いっ」と悲鳴を上げて尻餅つき、他の連中も面食らったように、
「女と思い舐めてかかったら、こやつらはとんだじゃじゃ馬じゃ」と道をあけた。
 そこで千賀は、
「さあ、この間に早う‥‥」と春桃をせかし、浜名の渡しへと急いだ。
 そして、船宿みょうが屋の前の乗合船へ、掛板を転がるようにして乗り込み、海上
一里の渡しを終え新居へ着くと、
「もうここまでくれば、討手も野伏も追いかけてはくるまい。白須賀へ急いで行(い)
のう」春桃の耳へ口をつけんばかりにして囁き、励ましを言った。
 遠州白須賀というのは、後に旗本白柄(しらつか)組の久世三四郎、加賀爪甚十郎
の出身地として知られる別所で、その先の山が三州鳳来山で、「峯の薬師」として知
られている。
 つまり松下加兵衛の頭陀寺と同宗旨のところで、そこへさえ辿りつけば、峯の薬師
寺で道中の護衛をつけてくれるか、次への伝達をつけるかしてくれるから、そこから
後は大和柳生の庄まで、のんびりと旅してゆけるのである。
 だからして千賀は、
「早う、早う」と急き立てるのだが、まだ子供っぽい春桃は肥えているほうなので、
すぐ息切れがしてしまい、
「姉様、苦しい」とか「足が痛い」と急がされるたびに泣言を言う始末。
 そこで持て余してしまった千賀が、
「もう、ほんの眼と鼻の先というところまで来ているのに、なんと聞き分けがない‥
‥」
とは、たしなめたものの、
「これから先は汐見坂の難所‥‥馬でも引いて来る者があれば、それに頼んでやりま
しょうわいな」
妹をいたわりつつ、びっしり敷き詰めたように紺菊の小さな花が咲いている山間の道
を進んでゆくと、眼下に七十五里の長さがあるという遠江灘が一望のもとに見下ろせ
てきた。そこで思わず足を止め、
「見てみいや‥‥幼い時より朝な夕な慣れ親しんできた遠江の海とも、大和へ行って
しまえば当分のお別れぞ」と指差した。
 春桃もそう言われると名残り惜しそうに、
「あの穏やかな青い海が、もう見られんようになりまするのか‥‥」小さな溜息を洩
らした。
 すると、その時。
姉妹は海を感慨深そうに見下ろしていて、気づかずだったが、頭上の赤松の枝が、か
さこそ音をたて、ついで、ばさっと上から、いちびの樹皮で編まれた投網が落ちてき
た。
 背の高い千賀は何か頭にかぶさってきた気配に慌てて咄嗟に身を屈め、妹の身体を
突き飛ばしたので、春桃の方は助かったが、千賀は樹皮編みの網の中へ閉じこめられ
てしまった。
 手繰り上げられ、網の中に入れられたままで宙吊りの格好となった。
「‥‥うぬらは白須賀や峯へ向かうからには、やはり奴等と同じ人外者じゃろ。見た
目は人間様のようでも獣同然の奴じゃろが‥‥さあ捕えたからには煮て喰おうが焼い
て食そうが、こちらの勝手‥‥じたばたしやあがるなっ」
赤松の枝に跨った男が、にやにやしながら呼ばわってきた。
 ----人外という言葉は、今も三重県伊賀の里で、その昔、百地三太夫の砦のあった
と伝えられる地域には「人界」という文字に替えられ残っている。
 つまり、昔の忍術なるものが、小説や映画では派手でも、その奥義書などをみると、
「百姓に見咎められたら、田畑にとびこみ、案山子の真似をして化けろ」とか、「百
姓の住む村方を通るときには見つからないように獣の皮を頭から被り、四つ足でいっ
きに走ってしまい難を避けろ」
などと、もっともらしく出ているが、差別されていた山者は、百姓に見つかったら獣
同様に扱われ、殴殺されたり他へ売られてしまうからして、その予防のための「忍び
の術」だったらしい。
 つまり、人外の者は人外の地だけが限定居住地で、そこから外へ出入りするのは危
険がつきものだったから、いかにして百姓の眼を晦(くら)まして人外地へ出入りす
るのかを考えたのが、本当の忍術というものだったようだ。
 なにしろ、まだこの時代は、
「徳川家康公は鳳来寺の薬師寺十二神将の生まれ変わりである」というので、やがて
同宗の者の組織票で権現様が天下取りをする以前だったから、峯薬師や白須賀あたり
は今で言う「橋のない川」のような扱い方をされていて、そこへ行こうとする者、出
ようとする者は畜生なみと扱われ、何をしてもよいという定めがあったものらしい。
 つまり薬師寺信心の者からなら、松下加兵衛の娘である千賀達は、まるで神様の姫
君のように偶されたろうが、宗旨違いの里人からすれば一匹の牝にすぎなかったのだ
ろう。
「姉様を返せ」春桃は伸び上がっても手の届かぬところで、宙吊りされてしまい、背
中の脇差にも手が伸ばせぬ姉を、なんとかして救おうと必死になって叫んだが、なん
ともならず、かえって松の木の男から、
「待っちょれ、投げ縄は一つしかないで、おめえは降りていって、ふんづかまえて縛
ったる」
と言われるような有様だった。だから網の中から千賀は血を吐くような声で、
「私に構わず、お前は逃げておくれ‥‥そこの雑木林さえ越せば逃げ込めるのだから」
と訴える如くにも呼ばわった。

 ----大村由己の「天正記」第八巻の「小田原御陣補記」によれば、
「将軍(秀吉)は三月一日帝都(京都)を出御ありて、同二十七日に駿州三枚橋につ
きたもう。途中遠州汐見坂にて土地の男ども五十人あまりの首を討たせたもう。その
昔、今川義忠公ここの土民に殺されしための罰ならむか」
とあるが、秀吉は若い頃に松下加兵衛の厄介になり、千賀を好いていたようであるか
ら、この地における千賀の災難を思い出し、その復仇をしたのかもしれぬ。

多武峯(とうのみね)合戦
 刀で矢を払う術、刀で槍を押さえる術、そして吉岡流の小太刀で己れの前後左右を
守り得る術を修練した柳生新介は、吉岡又一郎憲法の推薦で、大和信貴城の松永久秀
の寄騎となり、その名も新介から「柳生宗厳」といかめしく改めた。
 これは父新左衛門が志津と共に柳生で仲睦まじく暮しているのに、自分は盃をあげ
るばかりになっていた若葉が、里者による人狩りのあった日から行方不明となり、そ
のまま杳として消息がつかめぬのに気落ちしてしまい、柳生へ戻る気がしなくなった
せいでもある。
 さて、主君松永久秀は、もともとは室町御所奉公衆長岡藤孝の家人の出で西岡にい
た者だが、文字の読み書きができるところからして、三好長慶の祐筆に召し抱えられ
た者で、「機転がきく」というので重宝がられ、京奉行のような役にもつき、永禄二
年からは大和の信貴山城を貰って大名の端くれに出世。ついで翌三年二月には御相伴
衆の一人に立身し、「従四位下弾正小弼(ひつ)」任官した男である。
 この弾正とか掃部、内膳といった官名は、捕吏、掃除、膳運びを意味する下級官吏
の名で、これに任ぜられるということは、「公家ではなく地家の出身者」であるのを
表示しているようなものだから、宗厳にすれば同門同宗の主従という事になる。
 つまり反仏的な血筋ゆえ、この四年後の十月には、奈良の大仏殿をも松永久秀は焼
き討ちしてしまうのだが、この永禄六年(1563)の正月も、久秀はぶりぶりして、
「坊主は怪しからん‥‥この大和の国はまるで坊主の国みたいに、みな威張りくさっ
て癪にさわるが、興福寺を叩くと筒井順昭めの伜の筒井順慶めが、血気にはやって、
そのうちここへ攻めて来よう。それでは一つ国内で忙しい事になるから、年の始めの
試しとて、比叡山の多武峯の坊主どもを懲らしめてやらんずと思う」
と、いきなり七草の雑煮粥を祝いながら言い出した。そして、
「兵は迅速を尊ぶという。ここでこう口外してしまったからには、相手は禅寺ゆえ、
禅は急げともいうで、出陣の貝を吹かせえ」
屠蘇に酔った赤ら顔をてかてかさせつ、
「速戦即決、二日もかからんじゃろうから、食糧は正月餅を持ってゆこうぞ」と、自
分から鏡餅の大きいのを網袋へ入れて腰に吊るし、
「俺が馬をひけえっ」と怒鳴りつけた。
 さて寄騎になったばかりの柳生宗厳は、正月の年始に来ただけゆえ、鎧甲冑の類は
つけていなかった。しかし松永久秀が、
「では行くぞ」と馬を駆け出させたのに、
「ありゃ、しばらくこれから用意して‥‥」とも言えぬから、えいままよと平服のま
ま寒気よけの毛皮の袖なし羽織をひっかけ、
「では、お供をつかまつらん」と、その後を馬で追った。
 もちろん、こうした火急の出陣なので、それぞれ用意にとって返した者は、間に合
わぬ事になって、松永久秀に続いた者は馬のり二百に徒歩四百ぐらいの小人数だけだ
った。
 さて松永の家来どもさえ不意の出陣で面食らったほどだから、多武峯の僧兵達も、
まさか正月早々に合戦になろうとは夢にも思っていない。みなそれぞれ僧坊にかたま
って般若湯などを酌み交わしていると、
「わあっ」と時ならぬ鬨の声がしてきた。そこでびっくりして物見を出してみると、
「大和の松永久秀が攻めてきたぞ」という知らせである。僧兵どもはこれまでの酔い
も冷めはて狼狽した。
 しかし討って出れば不意をつかれているだけに、損害が出るのは目にみえている。
だから互いにいましめ合って、
「相手になるな‥‥放ったらかして相手にならずば、そのうちに引き上げてゆくだろ
う」と、僧兵達は、だんまり戦術をとった。
 二日、三日は遠巻きにして様子を見ていた松永久秀も、持ってきた食糧が正月餅で
は、そう長続きがしない。そこで四日目には、「チンチン」引き鉦をうたせて、さあ
っと信貴山城へ引き上げてしまった。
 それに、「してやったり」と僧兵どもは安堵した。もちろん、それから十日あまり
は、
「又ぞろ不意討ちされてはかなわぬから」と用心して見張りも遠くまで幾組も出して
おいた。
 しかし下旬の二十五日あたりになると、気抜けしてしまい、もうよかろうと見張り
も止めてしまった。ところが二十七日の朝まだき、
「わあっ」と松永久秀は、前に倍する千余の軍勢で、またも多武峯に襲来した。
 今度は油断しきっていたので、守備を固めて、だんまり戦術をとることもできず、
塀を何ヵ所も叩き壊され乱入されてしまった。
 柳生宗厳も今度は鎧具足に身を固め、松田源次郎、鳥居相模介といった側近の者ら
十余名を従えていたから、
「やあやあ、我こそは柳生の住人にして、新介宗厳なるぞ」とばかり、槍を抱えて塀
の間から真っ先かけて跳びこんでいった。
 さて多武峯を守っていたのは、俗に多武峯衆と呼ばれる僧兵団の他に、この今井村
の豪族今井兵部や岡野周防(すおう)の率いる千五百の兵達だったが、その中に、十
人力の強弓をひくといわれる蓑輪与市(みのわよいち)よよぶ当時評判の法師武者が
いた。
「やあやあ松永の仏罰あたりの亡者どもめ、この与市の一矢を受け、さっさと七大地
獄へ落ちてゆけ」
と、息つぐ間もなく射かけてくる弓勢の凄まじさに、せっかく塀を壊して乱入した松
永勢も次々と射倒されて、身動きできぬ有様となった。
 すると、この時。
「我こそは矢留双心斎より矢留術の秘伝を受けし免許の達人なり。いざいざ、その矢、
見事にこの身へ当ててみさっしゃい」
大音声でよばわって、蓑輪与市めがけてりゅうりゅうと槍をしごいて突進していった
のは、いわずと知れた柳生新介宗厳である。
 そこで蓑輪与市はきっとして、矢をつがえ、
「いかに矢留の達人とはいえ、この与市の十人力の強弓の矢は、よも打ち払えまい」
と怒鳴り返してきた。
 だから新介は、その間に小走りに近寄り、
「論より証拠、いざ射てみそうらえ」とよばわった。
「おう」と与市は弓を引き絞り、ヤアと切って落し、これが唸りをたてて飛んできた。
「あっ」という間もあらばこそ、それが槍の柄を払っていた新介の左手の甲にぐさり
ときた。
(しまった。俺が習ってきたのは刀で矢を打ち払う術、こない重い槍一本では気侭に
左右へ振りまわせぬぞ)思わぬ不覚にはっとして、与市を見れば、
「柳生といえば山者ならん。卑しき分際にて最前よりの広言、まことに憎らし。いざ
二の矢にて、その首ひきちぎってくれんず」
今にも第二の矢を放たんとするところ。そこで伴ってきた松田源次郎が、とっさに、
「おん身代わりつかまつる」と前へとびだし、与市の矢を深々と胸に受け朱に染まっ
て倒れた。
 しかし、その隙に鳥居相模ら十余名が、
「わあっ」とばかり、第三の矢を射たんとする与市を槍先でひっくり返し、蓮根のよ
うに穴だらけにしてしまった。
 命拾いした後の新介宗厳は、松田の仇討ちとばかり、めざましい働きをしたのだろ
う。
「去月二十七日、多武峯東において槍先にて敵数輩の首をとったり追捕りされし武勲
は、後口(後から続く)の者にも比類なき働きで、戦功が抜きんでていた事を認める
ものである。柳生新介殿
二月二日付、 松永久秀(花押)」
といった感状も残されており、また、この手柄によって、
「白土並びに上笠村の替地として秋篠村分をさしあげる。この地はすべて貴領なり。
よってくだんのごとし。六月十六日、柳生新介殿へ、
松永久秀(花押)」
といったのも現存している。


春桃御前

「尻をやられ背を射られたというのなら、逃げるところをと格好も悪かろうが‥‥槍
を握っていたために、評判の蓑輪与市の矢を受けたは、誇れこそすれ、そないじめつ
く事ではないわえ」
と松永久秀は下賎から立身した出頭人(成功者)だけに、しきりに慰めてくれる。
 わざわざ感状も出してくれたし、百姓が住まっていて米を作っている村を、そっく
り一つ領地にくれた。だから言うことは何もないようなものだが、柳生新介はくさり
切っていた。今の言葉でいうなら、自身喪失をして、全く自己嫌悪に陥ってしまって
いた。
(あれだけ矢留双心斎から仕込んでもらい、勢いこんで飛んでくるどんな矢でも百発
百中で、右へ左へと払い切れたのに‥‥刀でなく重くて長い槍だったから避け損ねた
のか。または戦場ゆえに上気し、あがってしまっていたのか‥‥それとも蓑輪与市の
凄まじい弓勢に、あの時は瞬間的に己れの心が怖気づき、それで足萎えみたいに肩が
すくんでしまい、手がしぼんで払い損ねてしまったのか‥‥)すっかり新介は懊悩し
ていた。
 なにしろこれまでに会得した吉岡流小太刀、中条流一刀術と三本柱になっていた矢
留術に、自信を失ったということは、後の二つも心許なく、まるで全てが突き崩され
るような感じになってきたからである。
「‥‥所労でござれば、柳生へ一時、在荘(ざいそ)のお許しを」と願い出た。在荘
とは、この時代の言葉で、賜暇の事をさす。
「うん」松永久秀は黙ったまましばらく考えていたが、
「よしっ」と承諾したものの、髯をひねりあげ、
「もし今度、筒井めが柳生の庄を荒らしにきたら、その方はわしの寄騎。この久秀は
その方の寄親じゃ。すぐ知らせえ。いつ何時なりとも助けに行き、小生意気な筒井順
慶はもとより、彼奴のおやじの筒井順昭も、手ひどく仕とめてくれんず」
他からは鬼とも渾名される男だが、新介にはやさしい眼をむけていたわりの言葉をか
けた。
 そして新介が、いよいよ柳生へ発つという時には、わざわざ銭を袋に入れて持って
きて、
「のう、早うに戻ってこいや、待っとるぞ」とまで名残り惜しそうに言った。
 しかし新介にしれみれば、自分という者を支えていた信念が、ぐらいついてきた今
は、主人の松永久秀にやさしくされたり頼られたりするのがひどく煩わしく思われ、
「はあ、身体の調子さえよくなれば、すぐこちらへ戻って参じまする」と氏人の郎党
らの者に馬を曳かせ、そのまままっすぐ柳生谷へと旅立った。
 そして紅葉館へ戻ると、懐かしげに小走りで出迎えてくれる父新左衛門に、
「おやじさま、この新介はどないしたらよろしゅうござりましょう」
他に相談する相手もないまま、左手の拳の生々しい矢傷の痕を見せつつ、多武峯合戦
の顛末を話した。すると、
「うむ‥‥」
新左衛門も我が子の悩みが、よく判るだけに返答にとまどった。
 しかし無言のままでは通せないと思うと、
「その昔にもよく言ってきかせたように、我らの武とは戈をもって迫ってくる者らを
防ぎ止めるのが目的。いわば護身の術じゃ‥‥なのにその方は、それを逆に用い、戈
の代りに槍をもって多武峯衆へかかっていった。つまり護身という受け身ではなく、
あべこべに捨身立命、攻めの手に用いた。じゃによって夜支布神社さまの御加護が得
られんと、そないな手傷を負うてしまったのじゃろうが‥‥」
と言ってきかせた。すると、それで納得したのかしないのか、新介は竹皮草履をひっ
かけ、そのまま戸外へとびだしていってしまった。
 新左衛門はびっくりして、
「これ佐平‥‥」と今では白髪頭になってしまっている郎党頭を呼び、
「どこへ参ったかみてくるがよい」と言いつけた。

 志津も心配しておろおろと、
「信貴城主松永久秀様寄騎衆にまで出世いたし、八木のとれる篠原村一カ村をまるご
と扶持に頂けるまで立身したというに、なんで、それを弊履のごとく打ち棄て、また
山者になりに戻ってござらっしゃったのやら‥‥」
眼に涙まで浮かべてしまった。するとそこへ、後をつけさせた佐平がたち戻ってきて、
「十一和谷の天狗塚のところへ行かれ、あそこで一人で木刀を振り回していなされま
する」と知らせた。
 だから志津は、ますます顔色を変えてしまい、
「身体の調子がすぐれぬとお暇をとってきた者が、戻ってきてすぐ席も温まらんうち
から、木刀を振り回しておるなどとは、こりゃ正気の沙汰とも覚えませぬ‥‥やはり
若葉どのの消息不明がこたえて、それで気が変になられたのでござりませぬか」
口には出せぬが己れの身の誤りを自分で責めるごとく、その場に泣き崩れてしまった。
 そこで新左衛門も、
「そう齢も違わんというのに、新介の事をわが子のようにして案じてくれるその方の
気持ちはうれしいが、ああした不可思議な振舞いに及ぶは‥‥やはり若葉が攫(さら)
われてしまって、未だに消息も判らんせいも多少はあるじゃろな」とうなずき、
「‥‥ならば、今ここへ来ておる松下加兵衛殿の娘御春桃どのを、いっそ新介の嫁に
してやったら、それで少しは心身ともに落着こうか」
相談するごとく志津の肩先へ呟いた。すると、
「それは重畳。あの春桃様なら気立てもおよろしいし、ふくよかな感じが好ましい姫
さま。新介様にはお似合いの女夫となり申そうというもの‥‥」
まるで罪滅ぼしができたような晴れやかさで、今まで泣き伏していた志津がにこにこ
した。
 だから新左衛門はそれにつられるごとく、
「松下加兵衛といえば東国では唯一人、知らぬ者はない薬師寺派の城持ち大名‥‥こ
のたび今川氏真に攻め込まれ、頭陀寺十二坊ことごとく焼失させられ西塚の砦にたて
篭っているとはいえ、由緒ある家門のうえ、我らとは同宗旨。こりゃ願ってもない良
縁かもしれぬな」
自分の思いつきをすぐ志津に賛成され、すっかり上機嫌になった新左衛門は、
「新介には、このわしから言いきかせるが、女ごは女ごどうしとかいうで、春桃には
お前から話をするがよい」
気忙しげに言いつけた。そこで志津は離れになっている奥書院の春桃の部屋へ行き、
「唐突じゃが‥‥この家の跡目の新介殿が戻ってこられたのじゃ」
と、まず顔色を窺うように話してみてから、
「ここの新左衛門の殿は、あなたさまをお預かりしたのも何かの因縁、いっそ伜新介
の嫁にと望んでおられまするが‥‥いかがなものにおじゃりましょう」
たたみかけるように話を切り出してみた。
「はい‥‥」春桃はそれにおどおどこたえた。
 なにしろここへ来る途中、遠州白須賀と三州峯の薬師に挟まれた汐見坂の難所で、
待ち伏せしていた人攫いの網にかかって、姉の千賀を拐されてしまって以来、姉の身
を案じながら一人で心細さをかこっていたところである。それゆえ、
「新介さまにお目もじするは久しぶり‥‥」と恥ずかしそうに身をくねらせていたが、
低い声で手をつき、
「どうぞ、よろしゅうに」と挨拶をした。
 志津は戻って新左衛門にそれを話すと、
「お手柄、お手柄‥‥新介の方は、わしの言いつけどおり何でも致す伜ゆえ‥‥これ
で話はめでたくついたも同然」と、すっかり喜び、
「今度は前のように、来月の一日などと先のあることを申していて、思いもかけぬ椿
事が起きては大変。今からすぐ盃事をさせ、二人を今宵から女夫にしてしまうがよい
ぞ」
まるで自分が嫁取りするように、新左衛門はそわそわと佐平らを呼んで仕度を命じた。


柳生開眼

「武とは他へ害を与えることをいうのではない。他より害の及ぶのをくい止めるの術
なのである」
日陰に当るところに緑色の苔をぎっしりつけた巨岩の上へ、新介は端座したまま自分
で己れに言ってきかせていた。
「あえて自ら争いを求めるのではなく、襲ってくる迫害の魔手から、いかにして己れ
を守り抜くかという保身、護身のみが、戈を止める武の神髄ではなかろうか‥‥」と
も口の中で呟いてみた。
 そして新介は両眼を閉じたまま、
「なのに俺は、その武を‥‥迫ってくる害をやむなく払いのけるのではなく、進んで
その危害を受けるべく積極的な場へ、自分を押し出すような真似をした。受け身であ
らねばならぬものを、逆に攻めに用いんとしたのである」
 蓑輪与市の強弓で拳を射ち抜かれた時の、己れの無様(ぶざま)さを省みて、じっ
と新介は己れに恥じ入りつつ、
(そうだ‥‥忍なのだ。忍びに忍び、堪えに堪えて、その限度すれすれにまできたと
き、本能ともいうべき自己防衛心が神気を放って、業に力を貸し、術もまた優れた効
目をみせるのじゃろ。要するに熟しきった柿がひとりでに落ちて、種を土中へ植えつ
けるがごとく‥‥降り積もる雪の重みに撓(しな)いに撓った笹竹が、もはや堪え切
れぬまでにしなったとき、折れそうになって初めてはねかえし、雪を払い落としてし
まうのが、武の極意、武のあり方というものではあるまいか----)じっと無念無想の
うちにあって、新介は思考を練り上げまとめ上げようとしていた。
 が、その頃。
春桃御前はおろおろしきっていた。盃をあげた初夜の次の朝だというのに、眼をさま
したら、新郎の新介の姿がどこにも見当たらなかったためである。
 初めは後架(こうか‥‥厠)へでも行ったのかと、あわてて跳ね起き、新床の寝茣
蓙を巻き上げあたりを掃き清めて待っていたが、それでも新介は戻ってこず、どうし
てよいものか、板の間に座ったり立ったりじっとしておれず、一人でいらいらしきっ
ていた。そして心細そうに、
「姉しゃま‥‥」と、別れ別れになってしまった攫われた姉の千賀へ、そっと口中で
呼びかけたりした。
 春桃にすれば、自分では判らない己れの女体が新郎の気に入られず、それで何処か
へ行ってしまわれたのかと、初めての体験で全くといってよいほどに自信がなく、そ
れで狼狽してしまったのである。
 そこで、とてもじっとしてはおられず、
「おかたさまえ‥‥」恥ずかしそうに志津の許へ行き、
「あの‥‥」袂で顔を覆うようにしつつ、口篭りながらそっと呼びかけてみた。
 だから志津も、はっと驚き、さてはと考えたから、そこは優しく、
「女ごの身体というは初めての後は、まるで竹竿でも挿しこまれているみたいに、疼
いたり痛んだりするものじゃが、そりゃ何でもないこと‥‥この私とてその覚えはあ
るが、一両日にて元どおりに本復するものゆえ、決して心配などせんでよろしのじゃ」
側へよっていくなり、柔らかく肩へ手をかけ実の娘か妹のようにいたわり、慰めた。
 しかし春桃の方は、まるまっちい身体をぎこちなく縮めるようにして、
「‥‥私の事ではなく、新介様のお姿が見えませぬのでござります」と訴えた。
 だから早呑み込みをして慰めを言っていた志津は、
「まあ‥‥」と自分の方が顔を赫らめてしまい、改まった調子で、
「盃事をあげてすぐかのう‥‥」心配そうに聞き返した。しかし春桃が低く、
「いいえ、明け方までは確かにおられましたが‥‥」
恥ずかしそうにそれに答えるのをきき、
「さようでおじゃりまするか。なら、めでとうつつがなく、女夫の赤縄(せきじょう)
の契りは結ばれましたのじゃな」ほっとしたように念を押した。
「はい、それは何遍もくり返し‥‥」消え入るような声で春桃は返事をした。
 そこで志津はやれやれと安堵したように、
「うまくいっておらねばどうしたものかと、えろう肝をつぶしましたが‥‥。そのう
ちにどこぞから戻って来られようほどに、さあ、化粧(おつくり)などして待ってい
なされたがよい」優しく言ってきかせた。
 しかし、それでも春桃はまだ心配らしく、
「いったい‥‥どこへお出ましにござりましょうのう」
恨めしそうに志津へ尋ねかけてきた。
「そうそう‥‥昨日もここへ戻ってくるなり、そそくさと十一和谷の天狗塚へ行って
しまわれたで‥‥また今朝もあそこへ行っておられるやも知れませぬな。場所は佐平
でも呼んで案内させまするで、気遣いなら行ってみなされるがよい」
おろおろと心配している可憐な春桃には、その昔、若葉に感じたような敵愾心は抱け
ず、
「お前様は肉はたんとようついていなさるが、肝の方はあまり太うはないような‥‥」
と、からかうような口もきけ、
「さぁ大切な婿殿を見つけに行きなされや」と、その丸まっちい肩をそっと押してや
った。
 そして、志津は、
(あの春桃ならば、この館の主婦(もとめ)の坐を譲っても、間違ってもこの身を粗
末にしたり邪魔者扱いなどはせず、きっとやさしゅうしてくれることだろうのう)
そんな安堵する心地にもなれ、後ろ姿を見送っていた。
 すると、ようやく起きだしたのか、新左衛門の空咳がきこえてきて、
「どないしたと‥‥」と呼ばわってきた。
「はい、春桃どのが、新介様お姿が見えぬと、ここへ尋ねにござりましたので‥‥」
答えたところ、新左衛門は笑い声をたて、
「昨夜の今朝ゆえ無理もないが、そうそう後を追い回されたのでは新介も困るじゃろ」
と言いつつ、油桐塗りの明かり障子をあけ、ぬうっと出てくるなり、
「祝い酒を呑みすぎたせいか、二日酔いのようじゃ。冷たい水など汲んでこいや」
少し反り身になって伸びをした。そして控えの侍女が、茶碗に汲んだ水を持ってくる
と、半分はうがい、あとはぐっと呑み乾し、
「どうじゃ、我らの思惑どおり、あの二人は睦まじゅうやっていけそうかな」
志津に向かって問いかけるような口をきいた。
「あのぶんでは‥‥若葉どのとは違い、春桃様はおっとりして穏やかな気性‥‥なん
せ女っぽうござりまするでのう」
「うん。その事その事。あないに腰周りの大きな女ごは仰山によう子を産むで、わが
柳生の館もそのうちには孫どもで埋まろう」
 眼を細くして新左衛門はにこにこしていたが、
「して新介は、また昨日のように天狗塚か」と口にした。
「はい、おおかたはそのようにござりましょう」
志津が答えたところ、
「‥‥あれはあれなりに悩んでおるらしい。吉岡道場へ預けて仕込んではもらったが、
小太刀の術では、あの新介に開眼させるまでには到らなかったとみえる」と新左衛門
は考え込み、
「誰ぞよき師ともなってくださる御仁が、この柳生の庄へ来られてな‥‥みっちり新
介を、改めて仕込み直して下さればよいのじゃがのう」
子ゆえの親心か、じっと植込みの桃色の木瓜の花を見据えて新左衛門はもらした。
「はい、のう‥‥」志津も、椿に似た木瓜の濃緑な葉に眼をやりつつそれに相槌をう
った。