1144 秘聞 柳生石舟斎  7

奇蝶御前

 若葉は、お目にかける約定で盃事の仕度をしてもらったり、小袖を後からもう一重
ね賜ったのに、新介の方には何の褒美もない。
「‥‥つまらん」と思った。
 だから、信長と語らって、思うようにならぬ若葉は放りっぱなしにして逃げてしま
おうかと、
「信長様、百姓家のあの婆の許には、着るものも道中の乾飯(ほしい)もみな用意ず
みでございますれば‥‥」
と、いつまでも発足できる旨を告げたところ、
「うむ」と信長は世にも照れ臭そうな、妙ちきりんな顔をしてみせてからが、
「‥‥女ごというは口うるさきもの、とばかり思うていたが、下の口の方はまた格別
じゃな」
真っ赤になってうつむきながら答えた。
「えっ‥‥」これには新介もがっかりしてしまい、
「では、城を逃げるは見合せにござりまするか」と、これ又、ますますくさらされた。
 そこで、面白くないから、かくなる上はいっそのこと一人でどこかへ行ってしまお
うかとも思っていると、美濃から奇蝶の輿入れについてきた安藤伊賀守という御付け
人格の男から、
「そもじにお扶持を下しおかれるよう、古渡の大殿にかねて願い出てはあるが、その
家臣のその方に先に俸禄は出してやれぬとの御諚。しかし御方様が、その方は他の者
はよう見せぬような忠勤ぶりまで御覧にいれたとかで、きつう感心しとられるによっ
て、美濃より送り込んでくる米扶持のうちより、年百俵の割で相渡すこととなったぞ」
と言い渡された。
 この時代の美濃の一俵は三斗入りだが、百俵といえば三百斗で三十石。
しかし普通、百石取りといっても四公六民なら正味は四十石から、不作の時には二十
石にもなるから、まるまるの三十石といえば、百石取りよりよい勘定になる。
 それに米をあまり作らぬ柳生あたりでは、当主になっても正味の米は十石ありやな
しやだったからして、新介は、
「うへえっ」とばかり両手をついて感激してしまった。人間誰しも暮らし向きには弱
いものである。
 早速、赤いつつじの咲こぼれる裏御殿へ回り、
「おかたさまは、おいでにござりまするか」と奇蝶御前の許へ礼を述べに行ったとこ
ろ、
「よう、おじゃりましたな」
 明かり取りの油桐障子をあけたのは、若葉で、
「おかたさまのお許しじゃ‥‥お前様も上へ上げていただくがよい。美濃よりの到来
物の甘い蜂屋柿をご相伴させてもろうていまするのえ」
と声をかけられ、新介はまるで若葉に頭を下げる格好で濡れ縁まで上がったところで、
「伊賀から聞きやったと思うが、あれだけあれば若葉と共に睦まじゅう暮せるじゃろ」
と声をかけられ、またも畏まって、
「かたじけのうござります」と頭を下げれば、
「そもじは、この若葉を丹生の山へ残したまま、引馬へ行ったり末森へ赴いたりいた
し、長年放りっぱなしの情のこわい男じゃそうなが、これからはそないな男の身勝手
は、このわらわが許しませぬぞ。覚悟するがよい」
とまで頭ごなしに言われてしまった。
 どうも普通の女では恥ずかしがって見せもせぬ初夜の営みを、忠義と割り切って若
葉が堂々と四つに組んで見物させたのが、奇蝶御前にはよほど気に入られてしまった
らしく、
「そもじには伊賀が申し付けた通りにいたすが、若葉にも、わらわの化粧料のうちか
らやはり百俵渡し、この身の側へおく‥‥なんせ若葉は、それなる欅の樹に眼にも止
まらぬ早業で駆け上がるが、枝から枝へとぶら下がって降りるありさまは、まこと天
晴れなものである」
 さも満足そうに誉めているのだが、聞いている新介にしてみれば、同額の百俵を若
葉までが貰うのなら、なにもありがたがって礼など言いにくるのではなかったと思う
し、その上、樹から樹へ女の身空でとんだと聞くと、
(昔からの木登りの癖が、まだ直らんとみえる)
と妻の身を気遣うより、
(御殿の中には美濃者の男も多い。なのに股倉開いて樹の上で離れ業をやるとは、よ
くよく他人に覗かせたがる性分じゃな)と、顔が赤らんでくる思いになり、
「てまえ歯が病んでうずいておりますれば、柿はまたの折にいただきまする」醒めた
心のまま、ほうほうのていで引き下がった。
 そして夕方、新しくあてがわれた長屋へ、若葉が戻って来るのを待ちかねて、
「いくら山育ちにせよ、里へ出て来たら少しは考えてみんか‥‥女ごが股をひろげて
木登りするなど言語道断の沙汰ではないか。丹生の神宮寺で、姫とかしずかれていた
身分の程を忘れてか」
と叱りつけてみた。すると若葉も初めのうちは、しくしくとしおらしく鼻をすすって
いたが、
「あれで‥‥百俵のところが倍になったのゆえ、それでよろしゅうござりましょうに」
 しまいには恨めしげな口をきき、さも新介が妬情を起こしているかのような言い方
をした。
 だから憤然とした新介が、
「いくら御前様に眼をかけていただいておるからとは申せ、夫に対しての雑言三昧聞
き苦しや。丹生は知らず柳生の庄においては、そもじのごとく小袖を欲しがったり、
やたらと着ているような女ごはおらぬわい。あさましいとは思わぬか」
びしりとばかり頭ごなしに言ってきかせた。
ところが、若葉は口惜しそうに顔をあげるなり、
「何をお言いなされてか‥‥お前のおやじ様新左衛門様は、この私とたいして年の違
わぬ若い志津という女ごを、ずっと愛(めご)しなされ、機嫌とりに赤い薩摩小袖な
ど着せていられるを、ちゃんとこの眼で見てきておりまするに‥‥」
「えっ、そりゃまこと」
この口答えに、新介は憮然として、
「そう言えば正覚坊より、おやじ様が柳生へ生きて戻ってござっしゃり、焼けた館を
建て直したとは聞き及んだが‥‥その肝心なおやじ様よりこのわしへは、なんの便り
もよこさぬのは、さては、若い女を作りわしに気まずいからであったのか‥‥」
忌々しげに下唇を噛みしめた。
だから、はずみでうっかり口外してしまったものの、新介の剣幕に驚いた若葉は、気
づかっておろおろしながら、
「いかがなされまするご所存か‥‥」と、唾を飲み込み尋ねかけた。
 しかし新介は、それに答えようともせず、立ち上がると、土間の藁草履をひっかけ、
城の大手門からとっとと出ていってしまった。
 若葉も狼狽して、番衆にことわって外へ出してもらい、柳並木を駆け抜けるように
して走って行く夫の後を、見え隠れについてゆくと、やがて田圃の中を抜けて、ある
百姓家へ入った。
 はて、何をするかと百姓家の戸口のところで、息を殺して夫の様子を窺っていると、
「おばば、預けてある物を出してくれぬか。今から発足するのじゃ」
 まず草鞋から履き替えだしたので、思わず若葉も土間へ駆け込み、
「‥‥お前様どこへ」
せきこんで尋ねると、振り返った新介は若葉を睨みつけたまま、
「言わずとしれた柳生の里だわさ」
と、ぶっきらぼうにこたえた。
「柳生は俺が跡目を継ぐところ、おやじ殿が若い女を抱え、それに嬰児(ややこ)で
もひり出させ、俺を除け者にしくさったらなんとするぞ」
 編笠を受け取って夜露除けにかぶり、乾飯の袋を肩に結んで出てゆこうとする。
「ならば私も‥‥」と縋りつけば、
「お前は御前様のお気に入りで百俵扶持じゃ、薩摩小袖さえあれば、俺などどうでも
よかろうが‥‥」
邪険に振り払ってそのままさっさと出ていってしまった。
 すると、歯かけのおばばが、泣き崩れる若葉の側へ寄ってきて、
「もう一人分の預かり物がある。お前様もこれで旅仕度をさっせ、なに、走ってゆか
したら、本道じゃ‥‥すぐ追いつけるで、ええわさ」
 若葉の足に草鞋を履かせてやりつつ、
「‥‥おみゃあはだいぶ気強そうじゃが、男は立ててやらないかすか」と、もぐもぐ
とさとすように注意をした。


武とは戈を止めること

「なに新介が戻ってきたとな‥‥」
そこは親子の情、新左衛門はちょうど夕餉の膳に向かっていたところだったが、箸を
取り落とさんばかりにして腰を抜かした。
 が、傍らで給仕していた志津は、
「まあ、さようで‥‥」と口にはしたものの、さすがに狼狽の色を顔に浮かべた。新
左にすれば血の繋がった伜でも、志津にとっては見も知らぬ赤の他人でしかない。
 まして新介というのが自分と同じくらいな歳、ときいているだけに、もし顔を合わ
せたらどういう態度を見せたらよいのか、突然の事なので、まずそれに慌てたのであ
る。
 しかし新左衛門は、そうした若い志津の心の動揺に気をつかってやるよりも、
「かまわぬ。飯はやめる‥‥ここへ通せ、早うさっさと案内してやれ」
と告げにきた郎党の一人へ、
「は、早うに‥‥」吃りながらせきたてた。
 が案内させるまでもなく、踏板を軋ませるような歩き方で、
「また新しく建て直したというのに、間取りも廊下も以前とそっくりそのまま‥‥こ
れでは、前の図面を筒井方に写されていたら、不用心きわまりない話ではないか」
野太い声を響かせつつ髯もじゃの新介が、新左の居間近くまで寄ってくるなり、
「‥‥入ってもよろしきや」と敷居口のところから声をかけてきた。
「何を言うとる。お前の家ではないか。そない他人行儀な断りの言わんと、さっさと
中へ入ってこい」
 新左衛門は嬉しそうに腰を上げ、一別以来、見違えるほど逞しく成人した我が子に、
「わらびの煮付けに、お前の好物だった岩魚の塩焼きもある。腹がへっておろうが、
のう、一緒に喰わんか」
はしゃぐように膳の上を指差して呼びかけた。
 が、志津は、新左がそう言ったからといって、新しい膳部を用意するでもなく、じ
っと新介を警戒するように見つめ、まだ廊下に残っているらしい人影を、身体を斜め
に構えるようにして、覗き見していた。
 新左衛門もそれに気づき、自分も首をつきだすようにして新介に、
「誰ぞ、まだいてか‥‥」と尋ねた。
「はあ、控えさせてありまする」
答えた新介は振り向きざま、大声をはりあげ、
「いつものそもじにも似んと、なにをもたついているのぞ‥‥ここはわれらの館と父
者(ててじゃ)も言うてくだされたではないか。遠慮気兼ねはいらん、早うに入って
こませ」と呼びかけた。
「‥‥はあっ」それに答え、にじりよるように敷居口へ両手を揃え、
「お久しゅうござりまする」身を屈めると、肩を落すようにして頭を下げた。
「なんじゃ、どこの誰ぞと思うたら、これは丹生神宮寺の若葉姫ではおじゃらぬか‥
‥まあまあ、樹から樹へ猿神様のごとく飛んだり跳ねたりしなされていたのが、これ
はまた、とんと女らしゅうなられましたな」
新左衛門はにこにこしてからが、大きくうなずき、
「そもじは、丹生明神と夜支布神との間に誓紙の取り交わされている許嫁の間柄で、
とうに新介と女夫になる事は決まっとる女ごゆえ、いわば定められた柳生の嫁ご‥‥
この庄三百の女ごの総束ねをする主婦(もとめ)の座につく人‥‥さあ、ずっといら
れませえ」と手招きした。
「お言葉に甘えまして‥‥」
若葉は中腰のままで居間へ入ってきたが、それを爪先から頭にいたるまで、志津は舐
めまわすような眼で見上げ見下ろしつつ、眼と眼が合うと、作ったような微笑を浮か
べ、
「いつぞやは、ご無礼を‥‥」自分の方から先につつましやかに声をかけ会釈をした。
 しかし新介の方は志津とは初対面だけに、
(なんじゃ、この若い女は‥‥)といった具合に、ぶすっと志津を見ていた。
 そこで新左衛門がとりなし顔に頬を綻ばせ、
「これは志津というてな‥‥わしの身の回り一切をようみてくれとる、気の優しい思
いやりのある女ごじゃ」
 改めて新介に向かって引き合わせるような口をきいた。そこで志津も、
「よろしゅうに」と挨拶をし、新介も、
「手前の方こそ‥‥」仕方なく白い歯を見せた。
 だから志津を挟んで男二人の眼と眼は穏やかになったが、若葉の方も負けずに志津
を、掬うようなまなざしで見つめていた。
 しかし、女と女が息詰まるような睨み合いをしているのさえ、新左衛門は気づかぬ
ように、
「立って見せてみろ‥‥別れた時は十八歳で、まだ骨細なところもあったが、すっか
り見違えるように逞しゅうなりおったな」
上機嫌で粟酒の杯をなめなめ、
「可愛い子には旅をさせろというが‥‥それにしても肩の付け根から二の腕にかけ、
見るだにびりびりしとる。長の道中だったゆえ、よほど色々な修行をしてきたものと
見えるが、さて、弓を習ってきたのか、それとも槍なのか‥‥」
 髭についた粟粒をむしって口へ入れつつ、さも頼もしげに、頑丈になって戻ってき
た新介を眼を細くして眺めつつ尋ねた。
 しかし、仁王立ちになったままの新介は、
「十一和谷にある天狗の祠のところで、おやじさまはなんと幼い頃のわしに教えられ
たぞ‥‥」
と言い返し、両手で天井の梁を押し上げるような格好をしつつ、
「武の字はなんと書く、戈を止めると書く。戈とは何であるか。昔の唐(もろこし)
の武器で、それを持って渡ってきた者らが、我らの祖先を苦しめ苛んだ凶器である‥
‥よって、その戈をなんとかして止めんとし、先祖伝来我らはその技を磨かんと励み
きたったものの----と、おっしゃられたではないか。なのに、なんで人を射ち殺す弓
矢の術や、戈が変わった宝蔵院の番人どもの鎌槍など、習って参ろう筈はありますま
い」
と言い切った。
 それゆえ新左衛門も、
「そりゃその通りじゃが、この柳生にしてからが理不尽にも、なんの咎めもないにか
かわらず、筒井順昭の率いる興福寺の僧兵どもに荒らされ、この館さえ焼き払われて
しまったような世の中じゃ。弓には弓、槍には槍、刀には刀しか、相手の戈を止める
武の道はなかろうが」と口にして、
「‥‥そなたを同じ薬師寺派の引馬の頭陀寺へ落してやってから、わしは京へ逃げ、
西陣の紺屋に隠れていたが、そこで槍をも払いのけられる小太刀の術を覚えてきた‥
‥どうじゃ、そなたに伝えようか」
「紺屋の小太刀でございまするか」
若い新介は少し蔑むような口をきいた。
 しかし、新左衛門は口の端を拭いつつ、
「われら山者はこうした深山幽谷に隠れ住む為、山繭を採り野麻を紡いで、着るもの
をこしらえている。また、銭が入用の時は枯葉を里へ売りに行ったり、薬草の類を摘
んで乾かしては麓へ運び、粟と取り換えなどして暮してゆけるが、里に住み着いた者
はそうはゆかぬ。じゃによってわしが京で身を寄せていた吉岡の家も山よりの茜草や
蘇芳、藍草などを煮詰め、その汁にて布地を染める紺屋はしているが、れっきとした
神信心のわれらと同じ宗旨の者じゃて‥‥」と、わかりやすいように、静かに言い聞
かせた。
 ----山の木や草を使う植木職とか樵、炭やき、染物屋、山の石や土を用いる石工や
左官、それに山の獣の皮剥ぎ、その肉を扱う餌売り、獣脂で作る弓弦といったように、
明治維新までは、代々家職の決まっていたものは地家の民とよばれた。
 かつて大陸からの戈先によって追いまくられ征服されてしまった者達の他は、はっ
きり限定職業が定まっていたのでる。
 つまり、今でいえば田畑で加工して作る米麦や野菜、米屋、八百屋とは戈を持つ側
で、魚とか鋳掛け屋、油といった仕事は、戈で追いまくられ降参した俘囚の子孫達の
原日本人に限られていたのである。


女と女の目

「新介めがあないに大きく、逞しゅうなって戻って来たは、まことに目出度いこっち
ゃ。丹生の神宮寺の方でも、もとより異存はないであろうことゆえ、来月の朔日には
御神前で、あの二人の目出度い盃固めの式を執り行なってくれようぞ」
 新左衛門は、もううれしくて堪らぬらしかった。
そこで寝間に入ってからも、離れ書院を当座の居間にとあてがってやった伜夫婦の事
をまだ口にしていた。
 しかし志津の方は、それに、
「ああして二人はもはや女夫になってしまっていますゆえ‥‥盃事は一日も早い方が
よろしゅうおすよってな」
と表面は取り繕って言ってみたが、心の中は少しも穏やかでなかった。求められるま
まに新左衛門に身体を預け、いつものごとく新左のなすがままに委ねていても、てん
で、少しもその気になるどころではなく、
(盃事をあげ、あの女が主婦(もとめ)の座についてしまえば‥‥この館の女どもは
正式に若葉を、崇め奉ることになろう‥‥すりゃ、それから先、この身はなんとなる
のじゃえ)と思い悩むと果てしなく、
「‥‥どうしたのじゃ、まんだ声が出ぬではないか」と、耳たぶを舐めんばかりにし
て囁いてくる新左衛門に、とても応える気分になどなれる筈もなかった。
 なのに、新左衛門ときたら志津の悩みにはまるで無頓着の様子で、黙っているのを
よいことに、
「盃事さえめば跡目の諸式一切も新介に譲ってしまおう‥‥すりゃ、わしも隠居の身
ゆえ暇になるで、おまえとのこうした事も昼間からなりと、ゆっくり致せるというも
のじゃて」
などと言いたい放題の事を口にしている。だから志津としては、ますます胸が煮えく
りかえるような思いになって、
(戻ってござった伜どのに全てを譲り、自分は隠居してしまう肚らしいが、そうなっ
たらこの身は、これまでのように皆から、主婦扱いされることもなくなり、隠居所の
お手かけ、側室といった具合に成り下がってしまおう)
と、口惜しさに危うく泣き出しかけた。
 が、女というものは、やたら男に本心を知らせるものではないから、そこは取り澄
まし、
「ほんに、ご隠居なされたら、お身体も休まってよろしゅおすな」
と、それに答え、早くつとめをすませて、一人でゆっくりと善後策を考えようと思え
ばこそ、新左衛門の首へ手を巻きつけるようにして、
「早う、お休みにならんと続けてくだされませ、志津は、志津は‥‥」
鼻にかかった声をわざと出してみせた。すると、いつもの事だが、新左衛門はそれを
真に受け、
「わしのような年で、お前がような若い女ごを、かく堪能させられる者はめったにい
まい。これも若い時より野山を駆巡り、足腰を鍛えておるせいじゃろな」
 すっかり得意になって息はずませ、さながら馬に跨っているごとく、烈しく揺さぶ
ってみせ、そして、
「なにも恥ずかしがらんでもええぞ‥‥共に走るようにその方も動くんじゃ」
手綱でも引っ張るごとく二つ分けした志津の髪の毛の先を握りしめ、
「走れ、走れ、こうだろう、こうすりゃよかろうが」と、おのれも息を荒くしだす。
 しかし、いわれるままになってはいるが、心はそれどころの騒ぎではない志津が、
(おのれ、あの女め‥‥)と思いつめているものだから、つい、うっかりと、
「‥‥若葉」口をすべらせ、名をよんでしまった。
すると新左衛門は、「半ば」とでも聞き違えたか、
「判っておる‥‥いつもと同じ、まだまだじゃ‥‥」
あえぎながらもそれに答え、額から汗の雫をぽたぽた志津の上に落としていた。
 そして、やがて禦し終えると背を向け、新左衛門はそのまま高鼾で眠ってしまった
が、
(なんとかせねばなるまい‥‥)千々に思い乱れる心から、志津の方は眼が冴えて、
いつまでたっても眠りにつけず、
(どうしたものか、あの小生意気な女めを主婦にし、その下にかしずくなどは厭な事)
と歯ぎしりする思いで朝を迎えてしまった。
 起きだして、まだほの暗い台所口へ出ると、かまどに既に火入れをしていた女ども
が、
「お味をみそうらえ」と待ちかねていたように、朝の粟雑煮を木をえぐって作った丸
杓子によそい土皿(かわらけ)にのせて恭しく持ってきた。
「よし、これへ」と指図して、志津はその素焼きの皿の端に唇をつけ、
「少し塩味が強い、水を増しや」と言いつけ、改めて味見のし直しをして、
「よし」と許しを出すと、そこで初めて、かまど前の女から水汲みの者たちまでが、
皆打ち揃って土間に平伏し、
「おはようさまにござりまする」と挨拶した。
「よし、今日もしっかり働き参らせそうらえ」
立ったままで志津はそれに声をかけてやり、
「お髪(ぐし)を‥‥」と迎えにした侍女に、
「----用意はできましたのかえ」と、己が居間へと入った志津は、油桐紙をひろげた
上に置かれた湯気をたてた耳盥(みみだらい)の前に座り、
「これさ一人は‥‥いつものように正面から鏡をみせるよう、よく持っていや」と言
い付けた。
新左衛門に夜毎抱かれ、皺くちゃな手で撫ぜられたり、前歯のもげた口で首筋などを
タコのように吸われるのは、背筋がぞっとするほど厭でたまらぬ事だが、館中の女た
ちにかしずかれ、平伏される朝の味見は爽やかなほど、じんと心やすまるものがある。
 そして侍女三人がかりで髪をとかせたり、山の小鳥の糞の入った布袋で顔をこすら
せ、朝の化粧をする楽しみも、これまた他に引き換えようのない喜びである。それゆ
えこれまでは鏡に映る己れにむかい、
(これも人並はずれてよい器量に生れついた女の幸せ)と頗る満足していたのが、
「あの若葉めが主婦になってしもうたら、台所口へ出て食物の味見するのも、この髪
すきの侍女どもも、みなこの身から奪われてしまおう」
口の中で呟くのさえ心の臓へ響いてがたがた動悸がしだす始末。
 その時正面に畏まっていた鏡持ちの女が、少し身体を斜め前に動かした。すると、
円形の銅鏡に志津は自分でない若い女の顔が、ちらりと覗いているのを見た。
「‥‥若葉だ。さてはここまで様子を窺いにきおったのか」またしても、胸がしめつ
けられるほどの圧迫を感じた。
 しかしである。そこはさり気なく、志津は己れの貫禄を示すようにも、
「誰ぞ‥‥」と鷹揚な声をかけ、それから、
「おう新介さまの嫁御寮か‥‥ご遠慮なさらんと、お入りなされませ」
 振り向きもせず口に出してみた。勿論志津の思惑では、
(こちらから先に声をかけさえすれば、こそこそと若葉は退散してゆこう)との計算
であった。
 ところが、ものに動じぬというか、それとも、神宮寺の姫という、その育ちからく
る屈託のなさでか、
「では、お言葉に甘えて‥‥」
若葉は既に居間へ足を踏み入れたらしく、その滑らせるような足音が背後から、まる
で志津には襲いかかってくるもののような気さえした。
 そのため米ぬかと鴬の糞の袋でこすっていた、さながら白塗りの土蔵壁のような顔
を、志津は思わずこわばらせてしまい、ぶるぶる小刻みに震えながら、
「今は見苦しい下地こしらえの最中‥‥」と拒み、帰そうとしたのだが、その時はも
う、
「志津様はお美しく見られるも道理、よう丹精されていまするなあ‥‥」
若葉が側へ屈みこんで、掬い上げるように覗いていた。


鬼一法眼吉岡流

 柳生新左衛門は、自ら鍛えてきた吉岡流小太刀の技を、戻ってきた新介にさっそく
授けようとしたのだが、なにしろ当人が、
「紺屋の刀術など‥‥」と鼻先でせせら笑うような素振りなので、
(我が子とはいえ、成人して、こないに大きくなると、もはや思いのままにはならぬ。
下手な教え方をしてぶざまな事にでもなったら、親の威厳を損ねるやもしれん)と、
そこは用心をした。
 なにしろ、骨肉を分けた父子の仲とはいえ、十八歳の時に手放したのが、すっかり
陽焼けした大男になって、しかも女づれで戻ってきたのに対し、当初は何でもなかっ
た男対男の気づまりを、次第に無意識ながら感じていたのである。
「どうじゃ、わしの受け売りよりも、百聞は一見に如かずという、吉岡道場へ行って
みぬかや」とやんわり誘ってみた。
「京へ行くのでござるか‥‥」
 これには新介も気が動いたようである。そこで新左衛門は、
「まだ世が明けたばかりゆえ、これから発足すれば我らの足なれば暗くなるまでには
洛中へつくであろう」と促した。
 ----さて、俗に、「京八流・鹿島七流」と世にいわれる。
関東の刀流は鹿島神宮の禰宜から出たものが七派に分かれたが、関西では京の鞍馬山
の衆徒八人が伝えたものであり、義経が牛若丸といった頃に鞍馬山で天狗に習った‥
‥などというのは、これは虚誕の節であると、江戸時代の貝原益軒の「知約」にはで
ている。
 が、鞍馬というのは寺であっても仏法専一ではなく、延暦寺の七福神法のごとき修
験道で栄えた所で、衆徒とはいえ元々坊主ではなく、山伏たちのことである。
 また、「義経記」などというのは、もとより昔の大衆読物であって、何の信頼性も
ないものだが、それによれば牛若丸といわれた頃の義経は、京一条堀川に住む陰陽師
鬼一法眼の末娘と馴染みを重ね、その手引きによって法眼秘状の唐の六韜三略を、ま
んまと盗みだす事を得、
「このために牛若丸は鬼一法眼の刀術の秘伝と兵法の極意を得て、のち平氏を破るに
いたるのである」となっていて、幕末・文政期の絵入り草子「復讐銘々伝」などにか
かると、勿論でたらめではあるが、
「権勢の平家に招かれたが応ぜず、牛若丸を挟みたまい兵術秘書をさずけたまいしと
いう。されど、この人はその来歴を知らず、かの異国の鬼谷子(きこくし)になぞら
えて、その名をつけたものではあるまいか」となって、
(黄石公が漢の高祖の臣の張良に兵書を授けた)
という故事をもじって書いているのだが、さて、この鬼一法眼の名を、
「帰一といい名を憲海とよび、今出川義円ともいうが、実在の人間で伊予国吉岡村の
出身なり」とするものから、荻生徂徠は「南留辺志(なるべし)」において、鬼一は
紀一であるとし、篠崎東海の「不問談」には、鬼一は紀一でなく紀氏、つまり紀州の
一の氏ではないかなどと書いている。
 しかし、明治になるまでは漢字はみな音標文字だったから、発音さえ一緒なら鬼一
でも紀一でも同じ事なのに、江戸時代の学者とは案外にのんびりとして他愛ないもの
である。
 さて、これも幕末の絵本だが、「武稽百人一首」というのにかかると、やや本当ら
しく格好がつけられてきて、
「鬼一法眼は四国伊予の産にて〓(人偏に兼)仗律士(けんじょうりつし)三代目吉
岡憲清が子にて、幼名を鬼一丸とよび陰陽博士阿倍泰長(やすなが)の門に学び、天
文地理を覚えし後は鞍馬山に参篭。多聞天に祈ってその示現により、ついに兵法にお
いて天下万世に仰がれり」となっている。
 つまり鞍馬八流とか京八流といわれても、まともに伝わっているのは、京では吉岡
道場だけだったので、これに鬼一法眼や義経、それに鞍馬山の天狗などまで結びつけ
たのだろう。
「擁州府志(ようしゅうふし)」によれば、
「京の西洞院通りに住む吉岡氏は染物業を営むも、黒茶色を好みて染めるをもって、
その色を吉岡染ともいうが、布に型紙をおき防染糊を塗り乾してより、豆汁に染料を
入れて刷毛でひき、後に洗い落すと、黒茶色の地に小紋模様が出るのを、憲法染めと
もいう」とある。そして、
「倭俗、毎事如法にこれを行うのを、憲法」
と注釈がついている。
 訳すれば、如法は仏教用語で、今でいう遵法精神の事だが、(足利時代の日本の風
俗で、押しつけられた命令を、よくその通りに守る者や家を、憲法とか憲法の家とい
った‥‥つまり吉岡の家のように室町御所の命令を素直に守り、課せられた地子銭の
税金を払っている模範的な家が、そうである)というのである。
 さて、こうなると、京に住まっていて、室町御所の足利将軍家の命令を守り税金を
払っているだけで、あれは憲法を守る者だ、そこで染めたものだから憲法染めだと言
われたということは、当時はあまり税金を払う者がなく、室町御所の命令をきく者も
めったになく、珍しがられたというような事にもなるが、‥‥田舎ではあるまいし、
京の四条や西陣に住まっている者が、権力に対し、そんな横着な真似のできようはず
もない。
 御所の番衆が棒をもって歩き回り、
「これ、税を払わぬと承知せぬぞ」とやっていたのだろうから、とても常識的には考
えられぬところである。
 しかるに吉岡家では「武徳編年記」や「当代記」にも出ているが、慶長十九年六月
に御所で斬殺された吉岡又三郎も、憲法といったが、その父の直賢も憲法。祖父の直
光も同じく憲法といって、柳生新左衛門、新介親子が訪れた頃の又三郎の曾祖父吉岡
又一郎直元も、やはり憲法と号していたのである。
 こうなると昭和二十年八月の満州で、ソ連軍が入ってくると赤旗、国府軍が進攻し
てくれば青天白日旗を振ってみせた残留日本人のようなもので、己れから「憲法」と
名乗る事によって、足利幕府の圧迫を逃れ、良民のように振舞って、巧みに世渡りし
ていたのではあるまいかと思える。
 つまり西洞院四条の吉岡又一郎は、京の真ん中に住まっているとはいえ、れっきと
した山者の出で、白山明神か薬師寺派の信者という事になる。
 だからして、それゆえ小太刀などで槍の穂先を防ぐ、吉岡流刀術を編み出したので
あろうし、曾孫の又三郎が御所において、板倉勝重の家臣で名代の槍使い、太田忠兵
衛らの槍先に仕止められてしまったのも、(刀は刃先まで敵が側へ寄ってこずば斬れ
ないが、槍の方は三間槍なら柄の中央を持っていたとしても四、五メートル離れてい
ても相手を突けるし、三メートルまで近づけば向こうの刀の届かぬ範囲で突き仆(た
お)せる)
といった極めて単純な理屈で、死命が制せられる、これは証拠であろう。
 だからして、「常山紀談」とか「積翠雑話」「撃剣叢談」の類には、みな筆を揃え
てこの事を、
「小太刀をもって槍使いどもと闘いしは、これぞ異例の事にして、その勇威はまこと
に誉れを一時に施し、勇名を千載に流したというべきだろう」
と出ている。
 幕末の文久三年から慶応にかけての頃でも、新選組の武術稽古は丁日(ちょうび)、
つまり偶数日は槍をもって武技の第一とし、隊員の訓練をしていたものである。
 さて、
「なんと、こりゃあ久しぶりや、柳生の新左衛門どのではないか」
 ちょうど、店先にいて奉公人に染物の仕分けを指図していた又一郎は、懐かしげな
声をあげ、
「まあ白湯でもくませますよって、どうぞおあがりやす」
と愛想よく軒先に姿をみせ。伴ってきている新介に眼をやると、
「よう似てござりまするな‥‥こちらがよく口にしておられた伜どのではないかえ」
しげしげと新介を見つめていたが、
「おやっ‥‥このお若いのは刀術をやっておられまするな」どう見抜いたのか、呟き
をもらした。