1142 秘聞 柳生石舟斎  5

平手政秀の立場

 柴田権六の隊が己が背後を忍び抜け、加藤図書の隊に合併して、それが一緒に雑木
林の中で火攻めにあっているなどとは、織田信秀には知りようがない。
 だから待ちわびて、ぶりぶりしながら平手政秀を呼びつけ、
「使いにやったその方の組下の者は、確かに連絡してまいったのだな」
念を押すように大きな目玉をむいた。
「はあ‥‥」これには政秀も当惑した。本当に組下の者なら呼んでこさせて、
(これが使いにやりました当人にござりまする)
と引き合わせる事もできるのだが、古いぼろの布子に菅笠をかぶらせてきた吉法師を、
その実父の前へは連れてこれなかった。
 といって俗説のように、平手政秀が信長のお守り役を言いつかっていて、その養育
料を猫ばばして、ひどい身なりをさせていたのではない。
 だいたいお守り役といった職名は、天下泰平の世になって、御旗奉行御弓奉行御槍
奉行の三役や、鉄砲奉行、武者奉行といった戦時体制の役名がなくなった後、何かの
職名を新たに作らないと、役扶持がつけられなくなったので、お子様の養育係として
役職が新たにできたのである。
 明け暮れ忙しく戦に追われていた頃には、そんな男の子守のような暢気な役目はな
かった。平手政秀が信長のお守り役のように誤り伝えられているのは、吉法師と呼ば
れた頃から十五歳の時まで、桶狭間と田楽狭間に挟まれた平手の庄の、政秀の許に引
き取られていたからであり、後に政秀が諌死して信長が改心するというのも、全くの
作り話で、実のところは、生母の横死に絡んで信長が祖父の政秀を責めたからだろう。
 なにしろ一般にひろまっているように、諌死までした忠臣ならば、平手一族は身内
の事ではあるし、信長によって引き立てられ、大名として残ってもよいはずなのに、
それが跡形とてもない。
 元龜三年の三方が原の合戦の時、政秀の跡目平手汎秀(ひろひで)が、信長の叔父
という毛並みから織田信長の代理として、徳川家康の応援に行ったが、それに付き従
っていった佐久間玄蕃らが、さながら見殺しにするよう放ってきたから、平手汎秀は
武田信玄に首を取られてしまっている。しかも、故高柳光寿博士の「戦国戦記・三方
が原合戦」によれば、信長は汎秀の遺骸を持ち帰って弔うのを許さず、そのため昭和
初年になるまで三方が原の古戦場に、平手汎秀の小さな石碑が孤影悄然(こえいしょ
うぜん)と取り残されていたそうであるし、名古屋の赤塚の志賀町には、平手政秀一
族皆殺しの信長の上意討ちに対し、汎秀の妻を初め、一族どもが悔し涙を川の如く流
して憤死したという「涙塚」が、名古屋大空襲までは残っていて、眼病に霊験のある
祠として参詣人も多かったと伝わっている。
 だから、後にそういった仇討ちをされるという事は、平手一族は吉法師時代の信長
を可愛がるというよりも、それどころかあべこべに虐待していたのだろう。そこで政
秀は、吉法師の身なりの粗末さにも気が引けたが、それよりもまだ幼い者を伝令に出
してやった己れの酷い仕打ちに後ろめたさがあって、
「‥‥間違いなく使いは済ませました旨を報国しよりましたが、戻るところを狙われ
て深手を負って立ち戻り、手当の甲斐なくその者は落命しよりました」と、その場を
とりつくろうように、口からでまかせを言った。
 それには信秀も、うむと唸ったきりだったが、
「死んでしもうた者をここへ呼んでこい‥‥というも無理な話じゃ。よっしゃ向こう
がなかなか来んのなら、いつまでもここに座して敵の石やイガ栗の洗礼を受けとるよ
り、こっちゃが柴田権六の方へでも寄ってゆき、その新手を加えて、一挙に井の口城
を叩きつぶしてこまそ」
 ついに決心をつけたように大声でよばわった。
この時加藤図書の左翼の方へと志していたら、火達磨になっている熱田砦の者を救出
することができたろうが、折あしく判断が逆になってしまい、もはや柴田隊のいない
右翼の方へと、信秀の本隊は転進することになった。

 さて平手政秀は、まさか自分の口から、
(銭五十枚を出してちょう)とも信秀に言いかね、戻ってくると、ちょこなんと餅貰
いたさに待っている吉法師へ、
「おみゅあ、とろいでいかん。本当に、ちゃっと[ちゃんと速やかに]用事をたして
きたんか」
ぶつくさ尾張弁で言った。しかし当人は、子供ながら脳天を突いて出すようなきんき
んした声で、
「そんな事言やあたって、ちゃんと末森隊へ行って、向こうの頭の大男に、一緒にな
らないかんわねと言うたったで‥‥聞かっせたらわかるがね」
せっかくあてにして行ってきたのに、餅を貰い損ねては大変だと眼の色の変えてまく
したてた。
「しょむない‥‥だったら向こうが来るじゃろに、ちっとも来いせんでいかんがね」
 政秀は怖い顔をして、父の信秀からほったらかしにされている孫を睨みつけ、
「おみゃあは口数が多いで、そんでみんなに好かれんのじゃ、ちいと慎まなあかんぞ」
約束の餅をくれてやるかわりに叱言(こごと)を与えた。
 吉法師はがっかりしたが、そのうちにはくれようかと気を取り直したが、
「もち、もち」と口の中でぶつぶつ言いつ、大人達の後について背丈ほどもある草の
茂みをかき分けかき分け進んでいった。
 ところが、大場の里まで出ても、三方の柴田権六の隊に追いつけない。
勿論いないものを、いくら探しても無駄には決まっているが、信秀は何も知らず、
「早うせい、早うに見つけて一つになり、井の口の城を今日こそ落としてしまうのだ
ぞ」
気が気でないように喚き散らし、一同の者を督励した。
 しかし、まだ夜のうちから、真っ先かけて那古屋城より出てきた林佐渡、美作の部
隊は、すっかりへたばっていて、
「あれなる人家のある所にて、兵などに食させてやらねば、昨夜より何も口に入れて
おりませぬゆえ」と信秀に許しを求めに来た。
「そうか、腹が減っては戦になるまい。よし、皆の者も大場の里へ入れてやって、交
替に飯を喰わせ、一休みさせてやれ」
 信秀自身も疲れきっていたので、今でいう大休止を命じた。
 そこで、今度こそ餅を貰えると喜んだ吉法師は無論のこと、他の者達も、やれやれ
と皆大場部落へ駆け込むなり、手足を投げ出すように寝転がって、
「腹も減ったが、先に一眠りしたい」
 それぞれ藁屋根の蔭へかたまって、重なり合うようにして高鼾をかきだした。
 ひとり信秀だけは、
「これだけ家のある部落にもかかわらず、人っ子一人いないとは妙じゃ‥‥我らが近
寄ったを知って逃げ失せたのか」
怪訝な顔をしてあたりを見廻し用心していたものの、湯を沸かさせそれに握り飯を入
れ、湯漬けにしてかきこむと、腹のくちくなったのか無性に眠気をさそい、どうにも
堪えがきかなくなって、
「わしも暫時まどろむぞ」と、大きな家の中へ入ると、そこで物具をとって横になっ
た。
 が、寝ついたか寝つかぬかの頃。
「ワア‥‥」と鬨ならぬ矢叫びの声に、せっかく引きずり込まれかけた眠りをさまさ
れ、
「なんじゃ」声をかけつつ信秀が軒口まで出てきたところ、
「尾張の大将織田信秀どのと見奉って、一矢進上、我こそはこの茜の在にて、その人
ありと知られたる大場弥太郎秀重なり」
どこに忍んでいて、いつの間に姿を現したのか、ここの大場党の面々が、それぞれ強
弓を片手に、織田隊の真ん中へ割って入ってきていた。

柳生の刀技
 さて、柳生新介の加わっている加藤隊の方へ、大場党のような弓隊が迫ってきてい
たら、これはお誂えむきだが、万事そううまくはゆかない。
この方へは火のついた縄や、松の根株を切り裂いた樹脂(やに)くさい松仕手の燃え
さかったのが、どんどん上から放られてくる。
「矢であれば長さがあるゆえ、切り払いやすうござるが‥‥」
と、いまいましがる新介に、
「何をか言う、矢は当たっても、よほどの急所でなくば死にはせんが、脂しみの身体
に火の粉がつけば、生きながらの焦熱地獄ぞ‥‥駄目だと見切りをつけるは地獄の心。
駄目と思ってもそれを克服するが、それぞ助かる心というものじゃ」
 富田一刀斎は大太刀を斜め八双に構え、次々と右へ左へ斬って落し、
「とびかかる火の粉は払わにゃなるまいと申すは、これこの時の言葉じゃ‥‥肩に力
を入れるな、この腕はどうとも動くよう、だらりとさせておき、飛んでくるのにこち
らからは飛びつかず、近寄ってくるのだけ視線で筋をひき、頃合を計って右からは右、
左からのは左へと向こうの勢いに逆らわず、払うというより押し出すように送り込ん
でやるのだわ」「‥‥勢いに反抗せずにでございまするか」
「うん、向こうの勢いを削げば発止とみた眼にも快く払えよう。が、それでは力と力
が突き当たるゆえ、無心の向こうはなんともなくて、人間の方は手先や肩へ跳ね返り
がくる。それに一つだけが飛んでくるのではなく、ほれ、このように次々と息つく間
もなく飛来するのゆえ、むきになって力を込めていては疲れがでてきて、そのうちに
いくら打ちのけても、根気負けしてしまう」
「なるほど‥‥よく判り申す」
「百のうちで九十九まで叩きのめしても、最後の一つが身にあたれば、それで元も子
もなくなってしまう‥‥だから疲れぬよう、根をそこなわぬよう、吹く風にのる如く
手許を順応させて刀を振るのじゃ。脇からみてばかりおらず、自分でやってみい。そ
の方に見学されていては庇ってやるため二人分の幅を動かねばならん」
「これはご無礼、あまりの妙技につい見とれてしまい‥‥」
 新介も刀を構え、矢留の術では矢が長いから跳ね返りが来ぬよう、思い切り烈しく
振り回したのを、一刀斎に教わったように今度は柔らかく刀の柄を握り、これで前方
から飛来する火の粉を、右へ左へ払わずに押しやるよう動かしていたが、
「‥‥烈しい勢いで飛んでくるのは、刀の峰で打ち返してもよろしきや」
と背をむけたままで質問した。
「中条流の刀法では、斬る突く叩くの三つだけじゃが‥‥」
富田一刀斎も火の粉叩きに忙しいので、
「えい、やってみるがよい」と、叫んだ。
 すると柳生新介は、
「では‥‥」と刀を肩にあてるように待ち構え、ビュウンと唸りをたてて跳びくる松
仕手の燃えさかる根株を、力まかせに元の方向へ打ち返し、一度そのコツをのみこむ
と、後は木の上から投げてくるのを、また次々と打ち返した。
 さあ、こうなると木の上が騒ぎになった。脂桶を幹にくくりつけていたり、用いた
脂柄杓を枝に引っかけたりしていたから、これに打ち返された松仕手の火が、どんど
んついたからたまらない。
 それに楢の木や欅は、炭にしたり薪にする木なので燃えやすく、パチパチ音をたて
て木の上の方が焼けてきた。
 だから、斎藤方の伏兵も自分の尻に火がついては、木の枝に跨っていられず、
「熱いよ、熱い」と、松仕手を投げるかわりに自分達が下へ向かって飛び降りた。
 それを富田一刀斎が、相変わらず八双の型に身構えたままで、地面へ落下する寸前
のところで右へ左へ斬ってのける。
 柳生新介も、もう飛んでくる松仕手はないから、一刀斎のやるように見よう見まね
で、
「うわっ」と、まず一人を胴斬りにしたが、人体というのは真ん中に太い骨が入って
いるから、これに刀身があたると、ずしりと反動がきて手首が痺れそうになる。
 そこで、どんな具合に一刀斎はしているかと、覗きみしてみれば、さすがに中条流
の開祖だけあって、同じ斬るにしても厄介な胴などは斬っていない。
 人体で一番斬りやすい首筋のところを、発止発止と叩き斬っている。
そこで新介もその通りに、頭をめがけ、下から逆転斬りに、とおっと斬って出たら、
首はころりと転げ落ちたが、舌顎の歯根にでもあたったのか、刀身の方もカチンと二
つに折れてふっとんでしまった。
(刀は槍と違って脆いものなのに、よくも一刀斎殿は保たせてござる)
 不思議に思って覗きこんでみると、火達磨になった味方が、地面に転がろうとする
のに邪魔で、苦しまぎれに放出したらしい刀を、十本あまりも集めていて、それを次
々と用いていたらしく、折れたのや曲がったのがあたり一面に散乱していた。
 そこで新介も、そうなのかと自分も落ちている刀を束にして拾い集め、これを用い
て、
「さあ来い、きたれ」とばかり、燃える焔を背にして、不動明王のように頑張ってい
ると、
「あーこれこれ、よくぞ頑張ってくれた。おのしら二人の働きで、わしの連れてきた
末森の者らは火に焼かれんと助かったぞ」
 側へ寄ってきた大男が、感きわまったように煤けた顔から大粒の涙をみせた。
「我らは旅の者にて、宮の渡しで熱田砦へ入れられ、ここへ連れてこられただけの者
‥‥もはやご用ずみとあれば、これにてご無礼をつかまつりたい‥‥」
 雑木林のあらかたが燃え落ち、斎藤方の伏兵はそっくり退治済みのところゆえ、富
田一刀斎は、もう長居は無用とみてとったか、さっさと川辺の方へ行ってしまいかけ
た。
 そこで新介も、遅れてはなるまいと、その後を追おうとしたところ、
「紺は藍より出でて藍より濃しとは申すが、もはやこの富田一刀斎は、お手前に教え
る事は何もない‥‥あの打撃刀法のごときは、わが中条流では考えも及ばなかったと
ころ‥‥いやはや感服するというより、年のみ多くくって無能の身が恥ずかしいやら
恨めしいやらでござる」
と、片手拝みの恰好で立ち去ってゆこうとする。
 新介はそれでもなお後を追いかけ、
「矢留双心斎様より奥義の免許を受けましたなれど、あなた様からは中条流のお許し
を‥‥」
と、心許なさそうに声をかければ、
「今更免許皆伝の、奥義許しのというのもなかろう。もって生れた天稟(てんびん)
のご器量で、おてまえは中条流以上の妙技を、もはや会得しておられる‥‥かくなる
上は、中条流などにこだわらず、自分で新しい流派など立てられたがよい」
そのまま、すたすたと逃げるように足早に行ってしまった。
 しかし新介にしてみれば、富田一刀斎の言うことは誉めすぎで、厭味たらしくさえ
思え、裏切られたような気でいたが、
「‥‥わしは末森城におわす織田四郎信行様従弟の血縁をもって、城代を勤めおる柴
田権六と申す者‥‥今のご仁の口のききようでは、おてまえは天下無双の兵法者のご
とくある。ひとつ、わしの城へ草鞋をぬいでは下さらぬか」と、懇切丁寧に求められ
た。そこで、
(さては富田一刀斎殿は、わしをしかるべく士官させてくれようとの親心で、売物に
花を添えるよう、あない誉めちぎってくだされしか)と初めて新介も得心した。


               新 介 初 手 柄

信秀の家系

 柴田権六や加藤図書の方は、雑木林に閉じこめられ火葬にされかけたところを、辛
うじて助かったが、ここに哀れを留めたのは織田信秀である。
 それまで一番可愛がっていた長子の一郎信綱を討ち取られてしまい、その身も、す
っかり大場党に包囲され、そのあげくが、
「無駄な抵抗は止めにさっせ」と言われ、やがて井の口の城から駆けつけてきたのか、
「手前は長居隼人‥‥主人斎藤道三の使いで参ったが、かくなる上は尋常に降人なさ
れ‥‥決して悪いようには取り計らい申さぬ」
とまでやられてしまった。だいたい信秀というのは柳の御所とよばれた今の名古屋城
ニの丸あたりへ、今川氏豊が城を築いて君臨しているのに巧く近づき、やがてそれを
追い落としてまんまと今では尾張一国を領有した男。
 西は犬山の木下城を落として、そこの木下一族を己れの家来にし、城には弟の信清
をすえ、東は三河安祥城を降し、そこへは我が子の二郎信広を城代に入れ、今まで戦
うところに敵なしのありさまで、東海一の勢力を誇る今川義元さえも、三河の小豆坂
で二度まで撃破している。
 そうした中で、これまで唯一の瑕瑾(かきん)は、忘れもしない天文三年八月十二
日の美濃攻めの失敗だった。
 そこで臥薪嘗胆とまでゆかなくとも、良き矢を揃え、槍の穂先を砥ぎに研いでの今
度の復仇戦だった。
 なのに、またしても惨敗。今度は己が身まで捕えられてしまう羽目に落ちこんでは、
ふだん気の強い男だけに反動でがっくり気落ちしてしまった。それに悪い時には悪い
事が重なるというが、大切に眼の中へ入れても痛くないように、手許において可愛が
っていた長男の一郎に討死を遂げられ、不要な味噌っかすのつもりで平手の庄へ放り
っぱなしだった三郎が、どう紛れ込んできたものか捕虜の中に混じってぴんぴんして
いた。
 が、それはよいとしても、その恰好のむさ苦しさは、親の信秀にしてみれば冷や汗
ものだった。
 藤蔓織りのぼろぼろの布子に破れ菅笠では、まるっきり田圃の案山子である。だか
ら他に判らぬよう黙っておとなしくしておればよいものを、
「おりゃ織田信秀が三男吉法師なるぞ」
きんきんよく透る声で名乗りを上げている。
(ええい、親に恥をかかせおって‥‥)信秀が冷や汗をかいて、忌々しがっているの
に、当人は子供とはいいながら、とんと無頓着なありさまで、野良声をはりあげ、
「餅を所望じゃ。喰わせたれ」あたりかまわず、喚いているのである、
 だから平手政秀か、その伜の汎秀でもおれば、(なんたるさまじゃ)と叱りつけて
やりたいところだが、みな要領よく川の中へ逃げ込んだらしく、平手党の者は一人も
捕えられていない。捕まっているのは吉法師だけである。
 これでは餅を喰いたさに、わざと捕えられてきたような有様で、信秀としては赤面
どころではなく、あまりのみっともなさにむしゃくしゃしていると、そこで斎藤道三
が、餅を高坏(たかつき)に乗せ自分で持って出てきた。そして、
「そこなお子、信秀殿の御三男か‥‥所望の餅じゃ。みな振舞って進ぜるによって、
ゆっくり食されたがよい」とにこにこしてみせ、
「‥‥尾張の織田殿のお子なら、仕立ておろしの新鎧によき太刀など佩(は)いての
初陣ぶりこそ至当なるに‥‥かかるいぶせき姿とは、恐らく父殿が軍備に銀をつぎ込
みすぎ、不憫や手が回らなんだのであろうか‥‥」
と言いさし、吉法師が眼を白黒させて餅を頬張っているのを見据え、
「育ち盛りで食したがる子に、ろくに餅なども食わさんと銭を慎み、それで討ち込ん
でござったのか、とんだ三年目の負け戦‥‥気の毒なことよのう」
言いたいことを一人で喋りまくった。
 だから信秀はついに堪忍袋の緒を切らしてしまい、ここ数年というもの城へも呼ん
でやらぬので、自分の顔を見忘れているらしい我が子に向かって、
「見苦しき身なりにて出てきたは、もし乱戦となった折も、その恰好ならば土民の子
とも思われようとの、大人どもの才覚じゃろが、その口やさしさはなんじゃ、これ吉
法師、そちのような恥かきは親の面目玉を踏みにじるもの。よって、今日後一切不縁
じゃぞ」
もう自棄っぱちに勘当を言い渡した。
 すると斎藤道三は、
「面白や。信秀殿が棄てられるお子なら、こちらが貰い申そう。わしの娘の奇蝶と行
く末は女夫にし、尾張を継がせたいと存ずるがいかがでござる‥‥それでよしと納得
され、起請文を取り交わされるならば、もって和議となし、お身柄はすぐ境目までお
送り申そう」
すらすら言ってのけられ、信秀は仕方なく、「よう候」ぶすっと返事をした。

 さて、織田信秀は捕われて一方的に条件をのまされ、とんだ目にあっていたが、先
に無事退却できた柴田権六を迎えた末森城では、
「これは柳生の大先生でおじゃりまするのか」
と、新介が下へもおかぬもてなしを受けていた。
(これは自分と富田一刀斎の二人で、木の上の伏兵をやっつけ、そのため末森城の兵
はあまり損傷なく戻ってきられたので、それを恩にきて嬉しがっているのだ)と、新
介も初めのうちは思っていた。
 しかし、どうもそれにしては様子がおかしいのである。
だから不審になって新介は、
「なんでこないに城中が沸き返って、みな祝い酒に食べ酔ったり、手前ごときを寄っ
てたかってちやほやするのでござろうか」
そっと柴田権六に聞いてみたところ、
「いや、実のところは‥‥」と、大男は頭をかきかき、
「お跡目の一郎様が討死さっせた上、大殿の信秀様と三男の吉法師殿が美濃の捕虜‥
‥二男の二郎さまは三河安祥の城代ゆえ、後に残るはここの土田御前が、信秀様との
間に産ませた四郎さま‥‥そこで尾張の跡目がこの合戦で転がりこんだと、末森城で
は城をあげ、呑めや歌えの前祝いにござる‥‥」
と打ち明けてきた。
 これでは、ちやほやされるのも、もののはずみというか、ついでのようなものであ
る。そこで新介としては面白くないから、
「お招きをうけ、お雑作をかけ申したが、手前もそろそろご無礼を‥‥」と辞意をつ
げたところ、
「そりゃ困る」権六は大きな掌を振って、
「大男総身に知恵が回りかねというが、わしゃ知恵の方はようまわっておるが、身体
がでっかいので他の方はとんと無器用。そこで雑木林で目のあたりみせてもろうた刀
の使い方を、ぜひとも、わしに仕込んでくだされ」と言い出した。
「おてまえに一刀流を‥‥」
「いかにも‥‥」
権六は大きくうなずき、
「ずばりずばりと大根をなで切りにするようなのは難しそうじゃが、せめて飛んでく
る矢を払いのける術ぐらいは、なんとかご教授願いたい。なにしろ、わしの図体は、
こまかい男の倍はある。ということは並の者なら当たらんで避けてゆく矢でも、わし
にはぶすっと刺さる事になる。そこでひとつ、袖すりあうも他生の縁というで、教え
てやっては下さらぬか」
 いかつい肩を曲げ、頭までへし折るようにして下げた。
言われてみれば、他の者なら当たらぬような矢まで身に受けるとは不運な話と、新介
はすっかり同情して、
「よろしい、及ばずながら、これまで習得した術を納得のゆくよう披露し、おてまえ
にご伝授つかまつろう」
と、つい話にのって承諾してしまった。


空飛ぶ娘

「柳生の若‥‥おまえさまを頭陀寺へお迎えに参じたら、一足違いで旅立たれた後、
そこでやむなく丹生へ戻って、その後の消息を追い、やっと、ここと判って出直して
参ったのじゃ。神宮寺では姫も首を長うして待っとられる」
と末森城へ現れた正覚坊にまくしたてられ、つい新介も、
「うん」望郷の念止みがたきものが湧き出てきて、
「では‥‥」と戻る気になった。ところが正覚坊が口を滑らせ、
「おやじ様も、昔のごとく紅葉館を作り直されて、おまえ様の帰りを待っておられま
するで」
といった言葉に新介はひっかかった。思いもかけぬことに、さっと顔色を変えると、
「おやじというは、わが父柳生新左衛門か」
むきになって聞き返した。だから正覚坊は呆れ顔で、
「何を言うとられまする‥‥この世の中に、おまえ様のおやじ殿というは、新左衛門
様ただお一人しかいないはず」と言ったところ、
「おれがおやじ殿は、やぎう者の面目にかけて、おりゃ死ぬからその方はわしに代わ
って、柳生の庄を取り戻せと言わしゃった。じゃによって、わしは徒手空拳、なんと
かして筒井順昭から柳生を奪い返すためには、身に術でも覚えておかねばと、矢留の
術や、中条流一刀術まで修得したのよ‥‥それを今になっておやじ殿は健在。とっく
に柳生の庄は取り戻し、焼かれた館も再建ずみと聞かされては、まるでぺてんにあっ
たようなものじゃ」と、ごねだした。
 そこで正覚坊も困ってしまい、
「はてはて、そない怒られる事はなかろう。この世に一人しかないおやじ殿が息災で
無事に戻ってこられ、前にも増した堅固な砦を築き直し、丹生の姫とお前様に盃事さ
せたら、一切のお譲りなさろうと待っておられるのじゃ。結構な話ではござりませぬ
か」と説教じみた口をきいた。
 しかし新介は目くじらをたて、
「獅子はその子を千仭の谷へ蹴落として、その力を試すとはいうが、なんで人間のお
やじ様が、このわしへ嘘を言ってまで、その真似をする必要があるものか‥‥新しく
出来上がったという黒板塀の紅葉館へ、これからわしが戻って行き、死んだと思った
おやじ様、いやさおやじ殿、無事でこうして逢えるとは、お薬師様でもご存じあるま
い‥‥と申せとでも言うのか」
すっかりむくれて腕組みしてしまった。
 だから正覚坊はますます困り果て、
「なんでも、話ではお前様のおやじ殿の新左衛門様が、やぎう者の底意地みせてくれ
んずと、燃えている館へとってかえしかけたところ、叔父御の権平殿が、兄じゃは柳
生の頭ゆえ生きて後の面倒をみてくれ、わしが代りになると、よく似ているのを幸い
に、柳生川を潜って水中から燃えている館へ入っていき、そこで筒井順昭を討ち洩ら
しはしたが、柳生者の名に恥じぬ壮烈なご最期の由‥‥お前様も子供ではないのじゃ
から、そこのところは納得し、機嫌を直して戻ってもらわな弱りまするが」
と、かきくどいたが、新介は返事もしないで横をむいてしまった。
 万策尽きて正覚坊は、
「止むを得ませぬ」と、丹生へ戻った。
 しかし、新介の帰りを待ちわびていた神宮寺の姫若葉は、
「なんじゃ、子供の使いではあるまいに‥‥」
悔し涙をこぼして正覚坊を責めたてた。
「ま、待ってくだされ。かの地へ行っては文句を言われ、ここへ戻ってきては叱られ
では、この正覚坊の立つ瀬がありませぬ‥‥いっそ、姫様、お前様が御自分で行かし
ゃったらいかがでござりまる。女子の髪の毛は象をも引っ張るといわれるゆえ、ご自
身で行かしゃったら、新介殿のお心もとけ、きっと帰ると言っても下されましょう。
もはやこの正覚坊の出る幕ではござりませぬで‥‥」拝むように両手を合わしてしま
った。
 そこで気の強い若葉は、
「ええ、もう頼まぬわい‥‥この身が尾張の末森とやらへ、そなたの申すよう行こう
ぞ」と言い出した。
「では私めはお連れいたしはしまするが、掛け合いは自分でなされてくださりませ‥
‥」
 よほど新介との言い争いに懲りたとみえ、近頃とみに顎のあたりが真っ白になった
鬚を撫ぜ、前もって断りを言った。
 そこで若葉は、これでは一緒に行っても仕方がないと思ったのか、まず先に柳生の
紅葉館めざし、供も連れずにすたすた降りていった。

 しかし、砦の正面から案内を乞うて入ってゆくのも、何やら照れ臭く面映(おもは)
ゆいので、短い布子一枚をよい事に大杉の幹をするする登るなり、その梢に丸めて匿
してある非常用の蔓綱を引っ張り出し、眼下の砦の物見櫓へ先端の鉤を投げて絡ませ
た。
 これは館がこれから先、もし不意に襲われた時には、神宮寺の姫が柳生に嫁げば両
家は一心同体ゆえと、丹生の者が助けに行く蔓梯子用にとしつらえた非常用のもので
あるが、それを若葉は「よいしょ」とたぐって確かめてから、跨ぐように身体を這わ
せ、一本杉のてっぺんから砦の中へと滑り落ちるように入って行った。
「こりゃ天女の逆落としのごとあるな」
面食らったように柳生新左衛門は、不意の若葉の来訪を、きょとんとして迎えたが、
戻って来てから身の回りの世話をさせている若い志津(しず)と呼ぶ女に、
「早うにそそぎを持って参って足を拭き、上へ上がってもらわなあかんぞ」と言いつ
けた。
 だから若葉は頬をあからめつつ、
「こない山の娘の生地のままの格好‥‥とても座敷へなど上がれませぬ」と首をふっ
た。
 といって、新介さえ戻れば嫁にくる家ゆえ、生来の舅に気兼ねしての遠慮といった
気持ちでもなかった。
 たしか婢女のように聞かされていた志津が、赤縞の入った薩摩小袖をちゃんと着て
いるのに、姫とは呼ばれても山繭の衣装くらいしかもっていない若葉の娘心に、びし
りと鞭打つような疎外感を与えたのである。
 なにしろ木綿が広まって、三河木綿などとも呼ばれるようになって、一般化するの
は、一向宗が三河に根を下ろして、綿の実を蒔かせ、寺方で採り入れの指図をしたり、
その収穫を寺百姓の女どもに織らせるようになってからの、永禄年間からの話。まだ
天文から弘治年間にかけては、暖国の薩摩だけに綿の木は栽培され、そこで反物とし
て織られていた高価な品だった。
 ----余談になるが、島津家専売だった木綿を一向宗の僧侶が他国へ広め、薩摩の国
益を損ねたというのが島津の怒りをかって、一向宗が真宗となり本願寺派となっても、
明治までは国禁の宗教とされ、薩摩においては厳しく弾圧されていたのはこれに原因
する。
 さて柳生新左衛門の方は、正覚坊が伜を迎えに行ったのは承知していたから、唐突
の来訪をてっきりそれと結びつけ、
「‥‥うちの新介が戻ってくると、それを急いで知らせに来てくだされたのか」
黙然として立っている若葉に声をかけた。
「それが、その‥‥」
口篭りつつ若葉は躊躇した。正覚坊にきいたように、新介が父への不信感から帰るの
を拒んでいる、とも口にしかねたからである。
 すると新左は急に鼻白んだ顔になり、
「若い娘ごの身空で、空から舞い降りるような、はしたない事は‥‥」とがめだてす
る口調になった。
 その剣幕に若葉は、新左の居間になっているこの庭先へ、物見櫓から塀の上を歩い
てきて飛び降りたのが、なぜそんなに機嫌を損ねたのかと、濡れ縁に出てかしこまっ
ている志津の背後を板戸の隙から覗き見した。
 すると初めは眼が馴れず、暗くて何も判らなかったが、やがて寝茣蓙が敷きっぱな
しなのがみえ、木枕が二つ並んでいるのまで覗けた。
(まあ、こない娘のような女ごと、昼近うになるまで共寝していやったのか‥‥)
見てはならぬものを好奇心から覗いてしまった恥ずかしさで、若葉は狼狽しきってし
まった。