1141 秘聞 柳生石舟斎  4

柳生新左衛門

 天文十六年七月十二日、足利将軍義輝は、前将軍義晴と共に都を追われ近江路へ逃
げた。
 この騒ぎに筒井順昭も二千の兵を擁して、大和路から近江へとその軍を進めた。
そこで、この好機を逸するべからずと、旅先から柳生新左衛門は馳せ戻ってきた。
 郎党頭の佐平は、今は剣塚のある古城山の西北の地獄岩や鰐目の窪地に、生き残り
の柳生の庄の者を隠していたが、
「長吏頭の新左様が、ご無事でお帰り」
というのにはびっくり仰天し、
「はてさて、紅葉館に最後まで踏みとどまり、紅蓮の焦熱地獄を川の中へ潜って防ぎ、
敵の大将筒井順昭の姿を見つけるや、山刀にて刺し殺さんといたしたとかいうて、興
福寺山門に曝首にされていなされたというお頭様が、生きて戻ってござらっしゃると
は、こりゃ面妖なこと‥‥」
 半信半疑の面持ちで、知らせに来た者と麓まで迎えに降りたところ、
「おう佐平、その方も健固でなによりであったのう‥‥」
髪も髭も白くなってはいるが、まごうことなき柳生新左衛門の姿。
 だから佐平は、ほっとしてうれし涙を浮かべ頭を下げ、
「ようこそ、お戻りなされました‥‥」と挨拶はしたが、気になってならぬので、
「つかぬ事を伺いまするが、三年前に敵の大将に取り組んでゆき、討たれまさいまし
たは」ときいてみると、
「ありゃ、弟の権平じゃ。わしはよせと申したのじゃが、命を永らえるも時によりけ
り、柳生一族がみな煙とともに消えうせてしまうも、筒井めに対し腹の立つところ。
わしが兄じゃの身代わりとなってかなわぬまでも恨みの一太刀なりと加えてくれんと、
竹の筒をくり抜き、それを咥えて水中に潜んでいたのじゃが‥‥惜しいところで打ち
洩らしてしまい、さぞかし権平も無念であったろう」
暗涙にむせび目頭を押さえるありさま。そこで佐平も、
「あのお方様なら実の御兄弟であり、よう似てござらっしゃったで、筒井の輩めが、
お頭様と取り違えて首を曝したも無理からぬ事‥‥とはいうものの、そりゃさぞかし
お心残りであったでござりましょう」
と、これもつられて共にもらい泣き。岩の間から、ぞろぞろ下へおりてきた者達も、
みな権平の死を悼んだり新左の無事を喜んだりで、悲喜こもごもの複雑なありさま。
 しかし新左衛門は、いつまでも涙ぐんでもいられず、郎党頭の佐平や主だった者を
近くへ呼び集めると、
「将軍家並びに前の将軍様までが都を落ちられるようでは、天下はまたも麻の如く、
筒井めも、ようこの柳生谷へは二度と攻め寄せてはくるまいと思うが‥‥奴等が上洛
しておる今のうちに、女子供も力を合わせ、新しい砦ともなる館を築かずばなるまい」
と、まず下知してから、道中で書いてきたらしい絵図面をひろげ、
「やはり場所は前に焼けた紅葉坂のあたりが、なんといっても究竟(くっきょう)の
地‥‥よってあの場所へ、前に建てた通りに荒木のままでよいから、すぐ木組を作る
よう、切り出して仕度せい」
と順繰りに役の割出しをしてしまうと、さて新左衛門は、
「留守中の礼を言わねばならぬ。よってひとまず丹生の神宮寺へ、わしはこれから行
って来ようと存ずる」
と言い出した。そこで佐平があわてて、
「お跡目の新介様は丹生にはおられませぬ。お頭の言いつけじゃからと遠国へ行かし
ゃったままでござりまする」
と告げたところ、新左衛門もはっとしたように、
「おう、そうであった‥‥彼奴(かやつ)めにはきつい事を言うてとらせてあるが、
無事に過ごしていようかのう‥‥」
 子を想う親心、ぐっとこみあげてくるのを押さえるように咽喉仏を膨らませ、木菟
(みみずく)のようにウウと呻きを洩らした。
 が、その時。
「そうご懸念は無用‥‥」と赤松の茂みから声がかかった。
これには新左衛門もぎょっとして、
「何奴っ」と振り返って仰ぐと、
「わしじゃ、丹生神宮の正覚坊でござる」
茂った枝の間から顔を出し、
「一別以来とんとご無沙汰」にやっと懐かしげにしてみせ、青い松葉と松かさをころ
ころ落しながら、地面へさっと飛び降り、
「にわかに騒々しゅう皆の衆が集まってござるによって、何事ならんと存じましたが、
他部落の身、そこで遠慮してとんだ高見の見物を決め込んでいた段、平にご容赦」と
頭を下げた。
 しかし新左衛門はそれどころではなく、
「てまえ伜の新介めは‥‥」たたみ込むように尋ねかけた。
すると正覚坊はにこやかに大きくうなずいてからが、
「お手前が行けと言わしゃった言いつけを守り、薬師寺派東海の本山頭陀寺へちゃん
と行かれ、かしこの砦を守っていられる松下加兵衛之綱様に、今も仕えていなされる
と、破石の薬師寺へ伝達が参っており申すぞ」
言われて新左衛門も、やっと愁眉を開き、
「松下殿は有徳なご仁。じゃによって伜めに、他人の飯を食するのも身の修行と思い、
行けとは言いましたなれど‥‥さようか、ちゃんと言いつけ通りにしておりまするの
かや」
 さもうれしげに、にっこりした。すると正覚坊は、
「こうして、おやじ様も無事に柳生の庄へ戻ってござって、焼けた紅葉館を建て直そ
うという時に、跡目の伜どのをそうそう他国へ、修行のためとはいえ置きっぱなしに
しておく法はない。呼び戻してやりなされ。使いはこの正覚坊が野を跳び山を駆け、
遠江の引馬まで五日もあれば楽に行けますでのう‥‥」
自分からかって出るような口をきいた。
「それはありがたい仰せ、こうなれば新介には一日も早うに帰ってきてほしいところ
‥‥すぐにも使いに行っていただきたいが、そなたを借りるとなると、こりゃまた丹
生様に先にお断りせずばなるまい」
と、新左衛門も嬉しそうに声をはずませたところ、やはりずっと他の松の木の梢に身
をひそめていたのか、
「おじさま‥‥」恥ずかしげな小声で、若葉が呼びかけてきて、飛び降りるのは女の
身でははしたないと思ったのか、幹につかまりながら降りてくるなり、
「ご機嫌よろしゅう」と挨拶してから、
「父もかねがね新介様の居所が判ってからというものは、呼び戻しの使者に正覚坊を
立てようと、口癖のように申しておりましたところ‥‥これから丹生に山へ登って父
とお話しなさる前に早う正覚坊を発たせてやって下されませ」
と言い出した。これには新左衛門も、
「赤児も三年たてば三歳になると申すが‥‥わしがこの前ここにいたころは、まだね
んねでござったそもじが、もうそないてきぱきした口をきかっしゃるのか」
舌をまくように感心して、付け加えて、
「新介とそもじとは親どうしが取り決めた許嫁の仲。ここへ呼び戻したら早速にも盃
事などさせねば相なるまいのう」
 娘盛りの、肉づきがよく肩から胸へ、ふくよかなやさしい膨みをみせる肢体をしみ
じみ見返せば、若葉も松の木から降りてきたときの気張りも何処へやらといった風情
で、
「‥‥まあ助けておくれ」
正覚坊の背後へはりつくように身を隠してしまい、囁くように、
「おじさまのいけず‥‥」うらめしそうに顔をあからめて、そんな言い方をした。

斎藤道三入道
 世の中には行き違いという事が、ままあるものである。正覚坊は、まだ新介が遠江
引馬の頭陀寺にいるものと、そちらへ迎えに発ったのだが、その頃にはもう新介はい
なかった。
 中条流富田一刀斎に伴われて、矢留双心斎のように鰯舟へ便乗を求め、遠江灘の沿
岸を伝うように尾張の宮へと舟旅をしていた。
 さて、この時に尾張は、三年前の天文十三年八月十二日に、木曽川を渡って美濃へ
攻め込んだ織田信秀が、美濃の斎藤道三にこっぴどく撃退されてから三年目。そこで、
(なんとかして今度こそは‥‥)と、すっかり陣容を立て直し、またしても美濃攻め
をせんと、おさおさ準備を怠らずしていたところゆえ、一刀斎と新介が宮の渡しへ降
り立った途端、
「我らは熱田砦を預かる加藤図書之助(ずしょのすけ)様の手の者だが‥‥それなる
二人、こっちゃ来ませえ」
とばかり、舟板をまだ渡り終えないうちに目をつけられ、今でいえば戦時動員徴用令
といのでもあろうか、文句をつける隙もないまま、六尺棒をもった番衆に急き立てら
れ、渚続きの熱田砦の中へと押し込まれてしまった。
「尾張の織田信秀というのは強引なお人と聞いてはいたが、その家来の加藤図書も、
拐し同然に人をこんな所へ押し込めるとは、全くもって言語道断‥‥」
 若い新介は、ぷりぷりと怒り出し、
「おとなしくしている事はござりますまい。腕ずくにてもここから出てしまいましょ
う」
と富田一刀斎をつついた。しかし言われた方は首を振り、
「わしらをここへ閉じこめたは、近日中に戦となるゆえ、猫の手も借りたいところと、
旅のわしらまで、かく禁足したのじゃろ」
 落ち着き払ったもので、にこにこしながら顎の鬚を一本ずつ爪で引き抜き、手の甲
に乗せて数えている。そこで新介は、
「我らにはなんの関り合いもない戦に狩り出されるなど、近頃もって迷惑千万‥‥な
んの義理もない織田信秀ずれに手をかす事はありませぬ。早うに逃げてしまおうでは
ありませぬか」とせっついた。
 すると富田一刀斎は、手の甲に植えつけていた顎の毛を、ぷうっと一息に吹き飛ば
してから、
「合戦というは、我ら兵法者にとって何よりの修練場。その方は習い覚えた矢留の術
を実地に試せるよいおりじゃろうし、わしは我が一刀流に磨きがかけられる。ぶち殺
そうと生き胴の試し切りをなそうと、なんの文句もでんのが戦というものじゃ」
と、かんで含めるような教え方で、
「なあ、せっかくの好機にめぐりあったというに、何も自分から逃げ出す事はなかろ」
と、にんまりした。
「さようでござりましたか。言われてみればご尤もな話。何といって手柄を立てずと
もよい戦ならば、勝敗など念頭におく事もありませぬで、勝手に自分の腕試しができ
まするな」
 やっとの事で新介も納得がゆき、
「それでは戦場で、ひとつ中条流の刀術をなにとぞお教えくだされませ」と、ものは
ついでとばかりに頼み込んだ。
 さて一日おいて、天文十六年九月二十二日の朝まだき。
 まだ空は紫紺どころか真っ暗なのに、
「ボオーッ」と法螺貝の音がたった。
 竹の皮包みの冷たい握り飯がそれぞれ配られ、
「一つは今だが、次のは昼、残りは夜だぞ‥‥一度に余分に食しても後は貰えんぞ」
と怒鳴りつけられ、その一つも口へ入れる暇はなく、大門がぎいっと開けられ、
「それ陣揃えじゃ、五人ずつ一組になって、前の者にはぐれんように歩くんじゃぞ」
 熱田砦から順々に外へ引っ張りだされ、
「こういう暗い道を歩くときは、前方など見るな‥‥頭の上の星を睨んでとっとと進
むんじゃ‥‥肥たごへ落っこちる者があったら、臭くても引っ張りだしてやれ。武士
は相身互いというは、こういうときの事を言うんじゃぞ」とか、
「世の中は一寸先は闇というが‥‥間もなく空が茄子色になったら夜明けの前ぶれじ
ゃで、後は歩くも楽になる。ええか、それまでの辛抱じゃから、歩きながら寝てはあ
かんぞ」
 弓の折れたのか青竹かわからぬが、びゅんびゅん唸りをきかせ、組頭達が喚きなが
ら横を駆け抜けて行く。
「まさか熱田砦だけの人数という事もありませぬから、尾張の各地から、こうして暗
い中を大勢の者が歩かされていますのじゃな」
寝ぼけながら、新介が欠伸まじりに聞けば、
「うん、織田信秀が攻めるとなると、三河遠江か美濃という事になるが、わしが発っ
てくるまで、引馬城の飯尾豊前守様には、なんの気配もなかったで‥‥西へ向いとる
ところをみても、こりゃ美濃攻めじゃな」
一刀斎の方は年の功か、いざとなると、しゃきっとしたもので、
「美濃の斎藤道三の許には京からの者が多いぞ。やつらは応仁の乱このかたの千軍万
馬の古強者、その上京をくいつめ流れ込んできた連中ゆえ、相当に手強かろう‥‥よ
き相手で己れが術を試せるは、兵法者にとって果報よのう」
 すっかり意気込み張り切っている。そこで新介の方が、かえって臆するような心地
にさせられてしまい、
「戦というは互いの殺し合い‥‥こちらには他意なくただ己が術の研鑚のつもりでも、
向こうはそうとってはくれず、敵扱いをされて不意に突かれたり、物陰からやにわに
射られ身をかわす隙がなかったら、こりゃどういう事になりましょうやのう‥‥」
気になってきたから、おずおずと尋ねたところ、一刀斎はさり気ない様子で、
「そりゃ死んでしまうだけの事じゃろ」
吐き出すようにぽつんと、それだけ言った。
だから聞いている方はびっくりして、
「えっ、只今何と仰せられました」と尋ね返した。
 しかし富田一刀斎は暗闇の中で、ふふっと忍び笑いをしながら、
「死んでしまう‥‥ただそれだけの事ではないか」と、再び答え、
「まだ死にたくないと、命惜しみする心があるのか」逆に聞き返してきた。
「はあ、ないと言えば嘘‥‥手前には先祖代々の土地を取り戻さねばならぬ大事な使
命が御座りましてなあ‥‥」
 仕方なく新介は歩きながら、柳生の庄を筒井順昭に襲われ奪われた経緯を物語った。
すると一刀斎は、
「何か曰くありげとは、かねて思っていたが‥‥そうか、そういう悲願があったのか。
ならば合戦になっても俺から離れるな。この中条流の刀術にて、いかに危急の場に臨
んでも、かまえて一命は守って進ぜよう」
きっぱり約束してくれた。そして、
「柳生というは山の中の土地ゆえ、筒井など仏家の者が狙うは怪しからぬ極み‥‥」
と呟いていたが、想いだしたように、
「そうそう斎藤道三めも、聞くところによれば京の妙覚寺という日蓮宗の寺にて、小
僧のときより修行していた生臭坊主上がりじゃそうな。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと
も言うで‥‥戦になったら思い切りやってみよ」と言い、けしかけるような口のきき
かたをした。
 だから新介が、
「それでも、手前を一刀流の極意とやらで守って下されまするか」と念押しをすると、
「うん、その場になってみねばな‥‥」
前と違って頼りげな事を言い出した。
 そうこうしているうちに空の方は藤の房みたいな色に変わっていて、それが少しず
つ水でとけるように淡く、徐々に青くなってきた。
 しかし手を前に突き出してみると、まだ指が見える明るさではなかった。

美濃攻め合戦
「なに、またもや性懲りもなく尾張の織田信秀めが、討ちこんで参ったと申すのか。
是非に及ばん。三年前と同様に、完膚なきまでにやっつけてしまえ」
 今は鵜飼の長良川で名高い金華山だが、当時は稲葉山といった。そこの井の口の城
で、斎藤道三は、まだ寝ているところを、境目からの急を告げる知らせに、すっくと
ばかり跳ね起きざま、いつもの寝起きの悪さを倍にもして、
「けしくりからん奴じゃ」
ぷりぷりしながら、すぐ自分で胴丸鎧をつけ歯で紐をくくった。そして、
「すぐ馬引けっ」大声で呼ばわったが、思い直してか、「待て」と叫んで、仁王立ち
のまま、
「飯じゃ、冷飯でよいから湯漬けで食してゆく、生味噌を上に乗せてこい」
口へ箸でかきこむ手真似をしてみせた。
そこへ城内曲輪に住まっている家老の、長井隼人が駆けつけてきて、
「いかなる手立にて‥‥」と伺いをたてにきた。道三はしばらく考え、
「この前は四手に分かれて挟み討ちにしてくれたゆえ、今度は用心して一つにならず
分散してかかってこよう‥‥纏めて叩けぬとは厄介じゃな」
と口にはしたが、振り返って小姓の者に、
「違い棚から、三の印のついた畳紙(たとうし)を持って参れ」と言いつけ、取り寄
せるなり観世縒(かんぜより)を解く間ももどかしげに引きちぎり、
「これは、かねて、かかる事もあろうかと暇な折に作っておき、祐筆の者に同じもの
を写させておいたのじゃ‥‥わしが一枚、残りの三枚はその方に遣わすによって、そ
れぞれの者に分けてやり、これに認(したた)めあるように計らえばよい‥‥さすれ
ば勝利は間違いなしじゃ」と言い渡してから、
「早うに行け」と命じ、自分は湯漬けの飯碗を抱え込むようにして、音をたてながら
掻き込んだ。
 そして食しおわると下腹を軽く叩き、
「さて腹ごなしに尾張勢をやっつけるか」
肩鎧を小姓につけさせつつ、自身満々に大きなげっぷを一つした。

 しかし木曽川の河田島を中次ぎ場にして、ようやく対岸の軽海ヶ原(現在の各務ヶ
原)へ繰り出した織田勢の方は、それどころではなかった。
 織田信秀の本陣のみを目指して、いつ伏せられていたのか、斎藤方の兵が葭(よし)
草の茂みから、めったやたらと凄まじい礫打ちを、突然開始しだしたからである。
 石といっても馬に当たれば竿立ちしてしまうし、人間に当たれば落馬するのもいる。
 それに兜などかぶっているのは限られた者だけで、後の者は菅笠を頭の上へ乗せた
り鉢巻をしている程度である。
 だから、徒歩の兵はうかうかすると頭の鉢を割られてしまいかねぬから、地面に這
いつくばったまま前へ進みたがらない。
 なのに、そこへもってきて次は左右から山栗のイガを菰に入れて投げつけてくる。
たかが栗の外殻で棘がついているだけのものだが、馬にしても鉄蹄などは打たず、藁
沓を履かせていた頃だし、徒歩の兵はといえば、爪先から土踏まずまでの半沓か、あ
とは裸足だったから、
「痛い、痛い」と踏んづけてしまった者は、戦うどころか、へたって地面へ座り込ん
でしまう。
 毛抜きでも持っていれば、イガの棘もとれようが、指先ではかえって深く肉に喰い
込ませてしまう。
 前方からは投石、左右からは栗のイガとなれば、安全なのは後方しかない。だから
織田信秀がいくら鞍を叩き声を嗄(か)らして、
「進め、進め」と躍起になって叫んでも、一歩前進二歩後退といった有様で、せっか
く軽海ヶ原へ這い上がってきたのに、もとの川の中州へとみな退却したがってなんと
もならぬ。
 そこで信秀は、やきもきして、
「危険を分散させようと別個に渡河させてある末森城の柴田権六の隊や、熱田砦の加
藤図書の隊に、至急に伝騎をとばし‥‥外側から、このうるさき礫打ちや、イガ投げ
を追っ払うよう、しかと言いつけい」と命じた。
 用心して四手に分かれて井の口城を狙ったのが、まんまと裏をかかれた結果となり、
信秀としては無念の形相凄まじくといったところだった。
 この時十四歳になっていた吉法師、後の織田三郎信長も外祖父平手政秀に、
「一人でも多く連れて行くためじゃ。古笠でもかぶせて伴ってゆけば、一人前に見え
るじゃろ」と尻端折り姿で人数の中へ加えられてきていた。
 しかし吉法師が三歳の折、その生母である平手政秀の娘八重は、吉法師を連れたま
ま里へ戻ったままになっていたし、信秀もその後に末森城の土田御前に生ませた四郎
(後の武蔵守信行)、山口左馬助の娘に作らせた五郎と、子が多かったので、里へ戻
した信長がもういっぱしの恰好で、錆び槍担いで人数の中に加わって来ているなどと
は、この時知る由もなかった。
 さて、末森の柴田隊や熱田の加藤隊を呼んでこいと、信秀は虎鬚をふるわせ唾を飛
ばしてしきりと下知するのだが、なにしろ礫打ちされて頭に瘤を作ったり、足裏に踏
み抜きをしてちんばを引いている兵達は、
「はい」「はい」と口では言うものの、誰もなかなか動きだそうとはしない。
 かたまっていてさえ散々な目にあっているのに、その中から一人で飛び出して行っ
たら、敵からどんな仕打ちを受けるかと、命あってのものだねとばかり、皆肩をすく
めて出たがらない。
 といって後年、日露戦争の頃でも、またも負けたか第三師団といわれるぐらいに、
名古屋の兵隊は京都の兵隊とともに、きわめて穏温だったのは定評があるから、血筋
はあらそえぬもので、ご先祖にあたる彼等も、指を二本立てるVの字の反戦記号など
はしなかったが、それでもみな尻ごみして、
「おそがい事だっちゃかん。いかすか‥‥」と、伝令に行けという命令を無視してい
た。
 そこでさすがの信秀も堪りかね、
「恩賞じゃ、行った者には銭十枚、いやこの際じゃで、五十枚くれてやらすぞ」と、
大声でよばわった。
 すると年寄りは、死に欲をかくものというが、その声を聞きつけるなり、
「これさ、平手党の中で誰ぞ伝令に立つ者はないか。五十枚の中から十枚をくれてや
らす」
と伴ってきた家の子郎党の面々に呼ばわる声がした。
 しかし、命懸けでとび出していって、四十枚も平手政秀にピンはねされるのはつま
らんと、皆胸算用するのか寂として、手前がやつがれがと名乗り出る者もない。
 だから平手政秀は、
「人間儲かる事となれば、他人の命さえ取ってしまうが戦国のならわしなのに、ただ
お言いつけを守っていくだけの使い奴(やっこ)の仕事で、銭を十枚も利得するのに、
なんて欲のないやつらじゃ」
 己れの欲深なのを棚にあげて、ぶりぶりしていたが、そのうち叢にうずくまって鼻
くそをほじくっている幼き日の信長を見つけると、
「なにも敵の首を取ってこいと、敵中横断して井の口へ行けとのお指図ではない‥‥
たかが味方を呼びに蟹のごと横ばいして行くだけの仕事‥‥」
と、一人合点をしつつ、
「これさ吉法師、力業の入用な勤めではなく、ただふっとんで行ってくるだけの事ゆ
え、こりゃこまいその方でも出来ようというもの‥‥親の恩が山よりも高ければ、そ
の親の親である祖父の恩は空よりも、もっと高いんじゃ‥‥今ぞ報恩の時と心得てひ
とっ走り駆けてゆけ。お前ならば大人より矢や石に当るのが、一回り身体がこまいで
すくなくてすもう」
妙な理屈をつけて励ましを言った。
 吉法師の方は、ただぽかんとしてそれを聞いていたが、
「駄賃に、餅でもくれるのか」ときいた。
後には織田上総介信長となるほどの男でも、まだ十四歳では銭を貰っても酒や女には
縁がない。だからして、もっぱら食い気のほうで掛け合いをしたのである。

中条流刀術
「なんじゃい‥‥」
のち柴田勝家となってからは、信長のために犬馬の労をとり、その死後も弔い合戦に
賎ヶ岳で秀吉と戦い、敗れて北の庄の城で自刃する運命となる権六も、この時は弱冠
二十と六歳。
 だから、ちょこまかと草の茂みをかきわけ、転がりこむように走りこんできた小童
が、後の信長となっておっかない主君になろうなどとは、予想だにしていない。そこ
で居丈高に、怒鳴りつけるように喚いたのだが、
「早うに、一緒にならないかん‥‥と言うとりゃあすぎゃあ‥‥」
と使いにきた吉法師は繰り返すだけである。
「どこと一緒になれと言いつかってきたか?」
柴田権六も、この小童が味方だということは、目印に笹の葉をつけているから認めた
ものの、何を言いに来たのか呑み込めず、何度も聞き返した。
 しかし吉法師は、餅を貰う約束でとびだしてきたのであって、用向きの方はそう確
かめてきたわけではなかったから、しつこく尋ねられても、
「さて‥‥」と首を傾げ、
「わからんぎゃあ」と答えるしかなかった。
 それゆえ権六も当惑したが、三手に分かれて突入したのは予定の行動で、これが急
に変更されるとも考えられぬし、
(早うに一緒にならないかん)というのは、どこかへ合流せよとの意味合いらしいが、
敵の方へくっつくという事はないから、味方の本隊が加藤隊かと迷った。しかし強気
一点張りの織田信秀が、(自分のところへ助けに来い)というわけはなかろうと咄嗟
に考えた。そこで権六は、
「よっしゃ判った‥‥左翼の加藤図書の隊が敵の大軍と遭遇し、苦戦しているから助
けに行ってやれとの思し召しじゃろ」
 すぐさま川べりに末森勢を戻してしまい、
「よいか、これから本隊の背後をまわって、左翼の加藤隊の方へ行く‥‥これは隠密
を要する行動じゃから、敵にはもちろんの事、味方の本隊の者にもわからんよう、そ
っと音させずに草の茂みを這ってゆけ」
 厳しく言ってきかせた。だから一同の者は命令どおりに、嘶かぬよう馬の口は草で
縛りつけ、人間は匍匐(ほふく)の恰好で信秀の本隊のはるか後方を抜け、見つから
ぬようにして熱田砦の加藤図書の隊に苦心してようやく辿りついた。
 しかし加藤隊は別にどうという事もなく、
「なんじゃ、おぬしらなんで来たんか」という事になった。
 そこで権六も苦りきって、
「せっかく四つんばいになって来てやったのに、なんじゃその挨拶は」と、むくれた
が、
「おおかた三手に分かれるよりは、二手で進むべしと、殿が作戦を変更なされたのじ
ゃろ」
と加藤図書が慰め顔で言うものだから、
「そうか‥‥それなら大方そうであろう」
権六も機嫌をなおしてからが、
「ここは敵地、こうして一隊ずつ離れ離れに進むよりは、固まって進む方が大船にの
ったようで安気じゃのう」と、にこにこした。
 さて、柴田隊が背後から寄ってきたとき、それをてっきり斎藤方の逆襲とみてとっ
て、
「いいか抜かるなよ‥‥向こうが矢を射かけてきたら、おのしが矢留の術を実戦に用
いて、片っ端から叩き払え‥‥敵が近寄ってきたら、わしが中条流の極意をもって、
刀の目釘の続く限り一刀流の冴えを見せてやる。そのときわしの刀法をよく見定め、
同じ様に刀を振るえば、おのしも実地に修練でき、刀の使い方が覚えられるというも
のじゃぞ」
 富田一刀斎に言われ、新介もその気になって、すっかり勇みたっていたところ、こ
れが誤りで味方の柴田隊と判明して落胆。
「なんせ戦とは、そうそう思うように参りませぬもの‥‥でござりまするな」
と、くさらされてしまい、
「いつになったら敵めは、現れて来ましょうのう‥‥」
などと言いつつ、西へ西へとはるかに望める稲葉山へ向かって、犬あざみの茂った野
分けの道を進んでいくと、かなた向こうの木立に何やらざわめく気配がした。
「これ新介、油断すまい‥‥わしの眼の狂いかもしれぬが、どうも行く手の雑木林が
怪しいぞ。事によったら敵の伏兵が隠れているやもしれんと思われる‥‥」
「ならば、みすみす敵の罠にはまる事はないゆえ、組頭なり誰ぞに教えてやりなされ
たら」
「うん、そうも思うが‥‥伏兵らしいと告げたら、わざわざそこへは行かなかろう。
さだめし手前で道を曲がり、敵を置き去りにして避けてしまおう‥‥と思う」
「そりゃ当り前の事でござりましょう。君子危うきに近寄らずといいます。好んで待
ち伏せしている敵に近寄っていき、火の粉を吹いて火傷をおう者もありますまい」
「そうじゃ。だから教えてしまっては、双方がかち合わぬ。それでは戦いにはならぬ
であろうが‥‥」
「だからこそ、難を避けるために教えてやりなされ‥‥と申すのでござるよ」
「いかぬ。その方も兵法を志す者ならば、そうした未熟な考えは、この際きっぱりと
棄てるべきじゃろ‥‥百姓が田植えの時に大雨がざあざあ降ってきてからとて、厄介
じゃ難儀じゃとほざくまい。雨が降って田の土が柔らかくならん事には、苗を植えつ
けても育たんからじゃ。それと同様、兵法も戦あっての術ゆえ、双方衝突してやり合
ってくれんでは、斯道の研究も発達もない。つまり、兵法にとっての旱天の慈雨とは、
実地にいろいろ試せる戦の場じゃぞ」
「まあ、そう言われますると、そのようにござりますな」
「なんじゃその言い方は‥‥不承不承のような口をきくな‥‥まことの兵法者たらん
と欲すれば、己が術の開発のため、我に七難を与えたまえ、戦雲を巻き起こしたまえ
かし、と祈るのだわさ」
 がみがみ富田一刀斎に叱りつけられると、柳生新介は一言もなかった。
それゆえ伏兵の隠れているらしい楢や欅の雑木林へ、敵がいるのを承知のうえで入り
込む結果となってしまった。
が新介は覚悟をつけ、刀の目釘は湿らせていたから、どの方面から飛び込んでくる矢
も、瞬く間に切り払ってしまおうと、眼を八方に油断なく見開いていた。
 なのに、矢は一本も飛んでこず、加藤隊がすっぽりと木立の中へ入ってしまい、後
続の柴田隊も雑木林の中程まで進んだところで、
「ややにわか雨か‥‥」と叫びがあった。
 木の枝が重なり合い、空が葉隠れして、一天俄にかき曇ってきたものやら、そこと
は仰ぎ見ても、はっきりわからなかったが、まるで柄杓で水でも浴びせられるように
ザアッザアッときたのである。
「なんじゃ、この雨、やけにべたべたしとるぞ」
「臭い、へんな匂いがするではないか」
「黄櫨(はぜ)の木でもあって、その葉を伝って降りてきたから、こうなのか」
と怪しむ声に混じって、けたたましく、
「こりゃ、えごま油そっくりじゃ。ごまは草のはずじゃが、美濃では木でも実がつく
のか」
素っ頓狂な叫びも聞えてきた。新介も肩にかかったのを指でこすって鼻先へもってい
き、くんくん嗅ぎながら、
「こりゃ油じゃ‥‥なんとしたのでござろう」
びっくりしたように一刀斎に尋ねかけたとき、前方と後方から、
「熱い、火じゃ」つんざくような悲鳴が同時に聞えてきた。
 油を木の上から浴びせかけた敵が、次は火縄を上から放りつけてきたので、紅蓮の
焔に焼かれ、火達磨になった者があえいで地面に転がり、それを消してやろうと助け
に近寄った者も、油が染みこんでいるので引火し、見る間に肉の焦げる匂いと黒煙と
があたりにたちこめた。