1131 徳川家康 11

「永禄三年三月十日に、尾張と駿河の中間の曳馬城にて、ご対面の儀式をあげたし」
 飯尾一門の骨折りで双方の話合が纏まった。しかし、その三月に入ると、信長は、
「いやだ」と言い出した。びっくりした奇蝶が、
「それでは、御違約になりまする」いくら声をからして責めてみても、信長は、きん
きんした声で、
「おれは行きとうない。なら、うぬが代りに対面でもなんでもしてこう」怒鳴りつけ
るだけだった。
 だから仲立ちしている飯尾近江も当惑しきって、その計らいで、五日になると曳馬
城の家老職江間庄兵衛が、信長を安心させるためにと人質にやってきた。そこで、
「もはや、こうなっては、のっぴきなりませぬぞ」奇蝶も安心していたが、さて、い
よいよ切羽詰まってくると、信長は、ぷいっと馬をかけ何処かへ蒸発してしまった。
「約束の日までにあと三日しかないというに‥‥」
 奇蝶も泡をくって、家臣どもに手分けさせ探し回らせると、なんの事はない。末森
城の女の許にいることが判明してきた。あまりの事に呆れはてるというより、
「不届き千万にも程がある‥‥」眼尻をつりあげて奇蝶は腹をたてた。
 というのは、奇蝶が己れの名をとって、向こうにできた児に奇妙丸と名づけ手許で
育ててやっているのに、末森城の生駒将監の後家娘は信長と切れていない。それどこ
ろか、その三年後に男児を重ねて作り、昨年の暮には女児までまた産んでいた。だか
ら奇蝶としてはかねてより、
(悪い芽は早く摘むに限るともいうゆえ、あの女め早く殺しておけばよかった)と後
悔している。だが、今となっては追いつかない。なのに、又ぞろそこへ信長が逃げ込
んでいると聞かされては怒髪天をつく思いであった。それゆえ、
「‥‥如何なされまする。吾らが迎えに行ったとて、お戻りになられる信長の殿では
ありませぬ。御方がご自身で末森城へ迎えにゆかれるしか、とるべき手段はござりま
すまい」
 心配して色蒼ざめた飯尾近江に、いくらせつかれても、奇蝶としては、赤児や幼児
に取り巻かれた女の居る所へ、夫を迎えに行けはしなかった。
(そんな口惜しいことは、死んでも厭じゃ)と思うから身体をよじらせ黙りこんでし
まうしかない。
(なんぼなんでも、せっかくの御対面の約束を、よも反古にはなさるまい。もし破ら
れたら今川勢の先手が押し出すに先だって、まず道路掃除のように攻めてくるは必定。
そして尾張を占領してのち、おもむろに今川義元が駿府から出陣してくるのは信長の
殿とてよお知っていなさるはず)と考え、
「心配せずともよいぞえ」と気づかう飯尾近江にも、さりげなくいった。
 だが翌日になっても、信長は戻ってこなかった。さすがに奇蝶も気が気でなくなっ
てきた。
(信長の殿も殿なら、あの女めは、いったいなんじゃえ)癪にさわってならなかった。
(愚図ついていては、せっかくの尾張半国が累卵の危うきにあるに、何故、殿をお帰
しせぬのか)
と、こめかみに筋をたて、
(室である本妻のこちらは必死になって心配しとるのに、妾とは殿に甘えるだけでよ
いと思いおるのか。はしたなき浅慮のものよ)いまいましさが嘔吐のようにこみあげ
てきた。
 それでも奇蝶はじっとたえた。だが部屋にこもってもいられず、気が気でないから
櫓の上に佇(たたず)んで夫の帰りを待ちわびた。
 日暮れになって茜色に空が紅く染まりだした頃になって、やっと末森の方角から、
薄の穂のような砂煙がみえてきた。やれやれと五条川の水の流れに眼を落し、
「ようやく、戻ってござらっしゃった」と、奇蝶は胸をなぜおろした。
 だが心配して櫓の上に立っている所など、夫には見られとうもないから、急いで己
れの居室へと戻ってしまった。そして、
(夫と顔を合わせたら、この際は泣く方がよろしきや。それとも胸のもやもやを吐き
だし喚きちらす方が気ばらしになるかも‥‥)と、思案しながら待っていた。
 すると、跫音がして板戸の外から、
「参上」と侍女の声が聞えてきた。
「待ちかねていました」奇蝶はいった。
 だが、戸があいても中へは入ってこずに、外でじっと、おとなしくかしこまってい
る気配である。
 そこで、(柄にもないなされかたではある)と思ったが、その反面、
(さすがに信長殿も照れ臭うて、わらわに顔を合わせるのがきまり悪がってござるの
かや)すこし満足に似た心地も味わった。だからして、
「‥‥神妙な」奇蝶はそんな言葉で廊下にうずくまっている相手をほめてやった。
 しかし次の瞬間、
「ハアッ」野太い声を出されたので、これには奇蝶もびっくりし、
「誰じゃ」薄暗い廊下を、のび上がるようにして覗きこんだ。すると、
「はあッ、末森城よりの使いとして柴田権六、ここへまいりました」
 その男は髭達磨のような顔を敷居口へみせた。
「なんとした事か、殿は‥‥」
 きめつけるように奇蝶が声を震わせると、権六も狼狽しきって、おそるおそるに、
「あの、俄かの御発病にて、身動きもかないませぬゆえ‥‥」すこし吃りぎみに答え
た。
「うぬは、そういえと命ぜられてここへきおったのか。それともその二つの目玉で、
ちゃんと殿の御様態を確かめて参ったのかえ‥‥どちらじゃ。さあいうがよい」
 きめつけられると柴田権六は、大きな身体を亀の子のように縮め、世にも情けない
声で、
「はあ‥‥」といったなり平伏してしまった。それを見降ろしながら奇蝶は、
(こないに、嘘などいえぬ正直者の権六を、よりによってわざと使者に立ててよこす
とは呆れはてたる仕打ち。さては、このたびの対面は、あくまで出とうないというお
肚か)とも感じた。
 そこで思案にくれ困ってしまったものの、奇蝶はやおら考えあぐんだすえ権六に、
「うぬは、信長の殿が枕から頭も上げられぬ病気なのを、眼のあたり眺めてきた事に
せいや‥‥すりゃ嘘のつけぬ権六がいうことなら、まあ皆の衆もさだめし信用しよう
ぞ」といいつけ用心して、
「これも御奉公じゃぞ」強く念押しをした。そして、一首名(いちおとな)の家老職
筆頭林佐渡の許へ駆けつけ、そちの口より信長の殿の発病を申しあげ、御対面の時日
の延引をなんとか頼んでみてくりゃ。もし、どうあっても改変ならぬものならば、こ
の奇蝶が参ってもよいと、そないに伝え、よく誠意を披瀝してくるがよかろう。抜か
りなく頼みまするぞ」と命じた。
「‥‥かしこまって」と佐渡守が退出するのを見送ってから、さて畏まっている権六
に、
「今みた通りに林佐渡をやって、これで一時は延ばしたが、所詮は致さねばならぬ今
川義元との対面。そこのところをよく心し弁え、末森へ戻ったら、忠義者のうぬの口
から、殿さまが早よう此方へ戻られるよう、お諌め仕るがよい」
 自分は末森城へ行きたくないからして、権六に努力させようと、
「わらわは、うぬのような誠実な男を、頼りに思っているのえ」とつけたしまでいっ
た。
「うへえッ、この私めを、そないにまで‥‥」
 髭づらをくしゃくしゃにして、柴田権六は感きわまって引き下がっていった。
 だから、次の日あたりは、きっと信長も戻ってくるだろうと奇蝶は当てにしていた。
 しかし日没になるまで待っていたが、どうも、権六の骨折りも無駄だったらしく、
夫信長は戻ってこなかった。そこで、むしゃくしゃして、
(悪いのは、なんといっても信長だ)と思いはするものの、すでに嫁いできて十二年
もたつ奇蝶にしてみれば、何かしら心の隅に肉親の者を庇うような気持ちも滲みでて
くるものだからして、つい、
(なんというても‥‥やはり悪いのは女の方なんじゃ。人の夫を寝とりおって、この
大事な際に戻してよこそうともせぬは怪しからぬ)呪わしい気持ちになって、木枕の
角に歯をあて眠られぬままに鼠のように音をさせ齧りさえもした。

 三月十日の今川義元と織田信長との対面が、一月延びて四月十日になった。
 それでも信長は、まだ具合が悪い、本復しておらぬと末森城に頑張ったままで駄々
をこねていた。
 しかし、そんな事をいっていて、もしも今川方から見舞いにでもこられたら、
(肝心な信長が清洲の本城に、寝ていないことには話が嘘になる)と、そこを心配し
た林佐渡や佐久間兄弟らの家老どもが、まるで担ぎ出すようにしていやがる信長を末
森城から連れ戻してきた。
「ほんに、ご苦労にござりました」やっと奇蝶も愁眉をひらいた。
 しかし他の女と、ずうっと接してきた夫へのいまわしさは、吐き気がでるくらい咽
喉もとで疼き、顔を合わせるのもおぞましかったが、
(いやいや‥‥今は、それどころではない)と我慢して、
「‥‥おまえさまは今を去る七年前、もしもの時は人質のこの奇蝶を殺せとまで勇ま
しゅう仰せられて、境目の富田の正徳寺へわが亡き父の道三に逢いにゆかしゃったで
はありませぬか。なのに、このたびは、なんで、そのように気遅れなされまするのか」
 責めるというより、励ますように、できるだけ優しそうに眼差しをむけたところ、
「‥‥鉄砲がすかんのじゃ」吐きだすように信長は、ぼそっといった。
(そうか。いわれてみれば思い当たることがないでもない)
 奇蝶も初めて、夫信長の心底がよみとれるような気がした。
(前に美濃の道三の許へ行ったのは、投げ瓢箪を思いつき、それを拵えてから出かけ
て行ったのだ)
と想い出したからである。そしてその時は戻ってきてから奇蝶が、その割れ瓢箪は昔
からあるものと口を滑らせ、信長の気を悪くさせてしまったが、
(あの時は、あの考案があったからこそ勇気づいたが、今度は、まだ何の思案もつか
んらしいから、それで気が進まんのらしいような)
と、すこしは判ってきた。だから、
「まあなにも戦さをしに行くのではなく、ご対面ゆえ大事はないものと思いまするが
‥‥」
と慰めてはみたが、やはり信長は浮かぬ顔をして、また繰り返すように、
「鉄砲が‥‥」と呟き、口をひしゃげてみせた。
 奇蝶も飯尾近江から聞いて、(今川義元が、泉州境の鉄砲鍛冶が拵えた銃やマカオ
から輸入される火薬を、西征にあたって金に糸目をつけず仕入れていること)はかね
てから知っていた。
 しかしである。亡父道三入道は、そんな南蛮渡りみたいな兵器を使わんでも、どの
合戦の時にしろ死ぬまでは、みんな勝っていなされたと想うと、信長がそれに恐怖を
感じているのが愚かしくさえも思えてきた。それだからして、
「鉄砲とかいう物は雨に火種が湿れば、てんで役立たずとか聞いておりまするが‥‥」
 見るにみかねて、元気づけるよういってみた。しかし信長は、
「雨火縄とか申し、火のついた細縄に雨の掛らん防水袋を革屋どもに作らせ、ちゃん
とその用意はしとるげな」むしゃくしゃしたように答えた。
 だが、そういわれたとて、「へえ」とか「ほう」とは口にせぬ奇蝶の性分なので、
すかさず、
「もし大雨ならば、よろしゅうござりましょうに‥‥」咄嗟にいい返してしまった。

「四月十日も都合が悪い」と重ねて今川方に申し送ったところ、「それでは困る」と
何度も双方の使者が行き来して、ぎりぎり決着したのが、五月一日である。
 この日に今川義元が駿府城を出陣するから、出迎えを形式で信長がゆき、尾張まで
は駒の轡を並べて同行し、清洲城へ義元を案内して馳走をする。そしてその席上、義
元から、
「尾州半国十七万石の安堵状」を下賜され、ありがたくそれを押し頂いた信長が、
「駿遠三の入口になる尾張を固く守って留守しまするゆえ、めでたく都入りをなさせ
給い、御武運を開かせませ」と挨拶するように、色代(あいさつ)の文面までが前も
って書き送られてきていて、この通りにいうようにとの指図までされていた。
 しかしその席での話のはずみようで、
(もし信長が上洛して将軍家になる今川義元のために、忠義を態度で示し先手となっ
て軍勢をすすめ、京の入口で邪魔するかも知れぬ近江の六角承禎や、加賀の朝倉義景
を掃討するならば、今は駿河の今川領になっている尾張の知多郡、愛知郡のニ郡を、
褒美にして戻してやってもよい)
といったような耳よりな話までも、ついでに飯尾豊前守からもたらされてきた。
「‥‥亡き先代信秀さま御在世のみぎりのように、尾張八郡悉皆(そっくり)は無理
にしろ、占領されたニ郡が戻して貰えるなら、こりゃ何といっても設けもの」老臣ど
もはおおいに喜んだ。奇蝶もすっかりこの話には乗り気になっていて、
「朝倉と織田とは昔から、斯波家の跡目争いで対立し合った旧敵の間柄と聞き及んで
おりまする。それをおまえさまの代に、今川の大軍を後楯にして破れるとはこりゃ果
報な話」とも励ましていた。
 なにも奇蝶とて好んで夫に戦さをさせたいはずはなかった。しかし所詮は戦国の世。
いつかは戦火の洗礼を浴びねばならぬ夫なら、絶対に勝てる事が受合いのこうした戦
さを、まずさせてやりたかったのである。つまり母猫が仔猫に鼠捕りを教えるとき‥
‥
 まず自分が噛みついて鼠を弱らせておき自信を仔猫にもたせて仕込むような、そん
な心づもりが、夫をなんとしても守りたててゆこうとする奇蝶の胸にうずいたからで
ある。

 信長もそうした奇蝶の心やりが判らぬでもないし、また今のままで駿遠三の大軍を、
一手で防ぎとめようなどと考えてもいない。
 しかし手をうつとなると、向こうのいいだしたのに、そのままとびつくのでは、
(さもしや)と思う心から駄々をこねるみたいに末森城へ匿れていたのだが、さて、
「ニ郡を返してよこすというのは、こりゃ眉つばものではなかろうか」あまり話が巧
すぎ考えた。
(うっかりそんな餌に釣られて朝倉勢と戦わされて、棄て殺しになどされたら堪った
ものではない)
そこはと用心した。だから、
「そうだ。そんな後からの褒美などより、先になんぞ‥‥」
 いろいろ思案したが、なんといっても癪にさわるのは鳴海の山口九郎兵衛と、今は
中村城にいるその伜の山口左馬助の二人である。これが信長にとっては、かねてより
いまいましくてならぬ存在だったからである。そこで信長は今度は自分から飯尾近江
を、府中の駿府城にむけて使いにだし、
「山口父子はわが父信秀にいいつけられ城代として預かっていた城を横領仕って寝返
った不届き者。かかる輩が居りましては、よしニ郡の返還を賜っても、信長は心を安
んじて朝倉や六角とは戦えませぬ」と口上をもたせてやった。つまり暗に今川方へ恭
順して加勢の出兵を匂わせつつ、
(五月一日の約束は返事待ちという恰好で用意はするが、不安ゆえ見送らせて頂きた
く)と、今川方へほのめかしたのである。掛け引きであった。
 するとこれに引っかかった今川方は、せっかく五月一日に勢揃いし、旗鼓堂々と行
進し上洛するはずだっただけに、俄かに信長が注文をつけてきたのには狼狽した。な
にしろ第一歩を踏み出さねばならぬ尾張がまだ話つかずでは、大軍を府中から京へ向
けて出しようもない。
 そこで駿河御所の重臣は評議の結果、
「山口父子は当今川家へ奉公しだしてより、これで十年よく精勤してはくれたが、父
子で動員できる兵力は合せて千たらず‥‥それに比べて信長の方は亡父信秀の頃より
の旧臣もいるから、これは三千ぐらい動員の能力がある。それに山口父子ではあまり
その名が知られていないから、先手として使えもせぬが、その点、信長ならば、これ
は尾張の織田として、死んだ信秀の武名が轟き渡っているから、これを先頭に立てて
進軍すれば効果的で諸国への聞えもよい。すりゃ小の虫は殺して、大の虫を味方にす
るが、出陣の門出として得策じゃ」と、火急の際だから決議は直ちにきまった。
 そして山口九郎兵衛と左馬助の父子は別々に駿河御所へ呼び出され、そこで瞞し討
ち同然に殺されてしまった。もちろん表向きは、まさか信長よりの申し出によりとは
できぬから、
「不届のかどあり賜死」ということにされ、鳴海の城へは笠寺の砦に入っていた駿河
衆の岡部五郎兵衛が、弟や郎党を率いて山口九郎兵衛のあとに収まった。
 中村城の方も、桂山砦にいた浅井小四郎が昇格して引き移り、これまでの山口左馬
助の家来どもを、そのまま統率することになった。
 そこで今川方は、信長の条件を一切のんだから万事解決、これで一切落着したもの
と考え、
「五月十五日に三河岡崎城にて、対面の儀式をを取り行う旨」を、改めて通達してき
た。
 やがて威風堂々と五月十五日には先発の井伊隊。そして十一日の朝には義元の本陣
部隊が、駿府の城から繰りだし上洛の門出をした。
 しかし、その十五日。岡崎城へ前夜から泊まりこみで待っているのに、いくら時が
たっても今川義元の馬に、信長はついに現われなかった。
 次の十六日も一日待ちわびたが、清洲城から信長は出てこなかった。そこで義元も
堪りかね、
「此方へ来ようとして落馬して脚を痛めたとの信長の口上はきているが、いくらなん
ぼなんでもそうそうは待てぬ。此方から清洲城へ赴き信長を見舞ってやり、動けそう
もなければ、誰ぞ名代を立てさせ、すぐ織田兵を引率させ先手として進発させねばあ
いなるまい」と岡崎城を出発。
 翌十七日には地鮒附(ちりふ)をすぎ、逢妻(あづま)川から皆瀬川をぬけ十八日
には沓掛の法照寺に本陣をもうけた。
 ここの大浜街道から熱田の浜をぬけ那古野に入れば、清洲城まではもう半日の道の
りだった。
 だが、もし信長の織田勢が、糧食を揃えていないとなると、すぐには進発させられ
ぬ。そこで用心のため義元は三河党の松平蔵人に命じて、氷上姉子(ひかみあねこ)
神社の山麓にある転白川(いま天白)沿いの大高の城に、とりあえず近在の米麦を集
めてこれを入れさせた。
 ところがである。連絡がてんで何もついていないものだから、
(自分らのために米麦を集めてくれているのだ)とは知らぬ織田方の兵が、
(尾張の糧食を奪い取られるもの)と思ったのか、これを追い払いながら、その後を
追ってゆくと、尾張兵は近くの丹下の砦へ逃げこんでしまった。砦といっても、古屋
敷の周囲に板柵を作っただけだった。
「けしくりからんではないか」追いかけてきた騎虎の勢いでぐるりを取り巻いてしま
い、
「狼藉者を引渡せ」掛け合ったところ、逃げこんできた者の親兄弟が砦の中に混じっ
ていたから、それが返事をする代わりに矢の雨をビシビシと降らせてきた。
 包囲した連中は、まさか砦から射かけられるとは予想もしていなかったから、
「ちょこざいな。庇いだてするにおいては目にもの見せてくれようぞ」と思わぬ怪我
人もでたので、
「‥‥こないな砦はふみつぶしてくれるわ」息まいてしまい、大声で呼ばわって脅か
しだした。
 しかし、なにしろ月のでていない淡い星空である。
(まさか三河の兵だけではなく、今川の大軍まで、すぐ近くに来ている)とは砦の者
は気づかない。
 それに逃げこんできた連中も、自分らの命が惜しいから、たいした敵ではないと強
がりをいいふらしていたのだろう。そこで、いくら脅かされても平気の平左の丹下砦
の守兵は、
「そのうちに、痺れをきらして引揚げよう」
 あくまでびしん、びゅんと、松明の灯影を狙って矢を放ち続けた。だが山口父子が
駿府城で殺されたとはいえ、敵方の鳴海砦からニキロぐらいの最前線丹下砦のことで
ある。
 そこで砦大将の水野帯刀(たてわき)は用心のためと心得て丸根山砦の佐久間大学
と鷲津山砦の飯尾近江の許へ、
「三河の松平党の者に不意におしかけられ、囲まれている」と一応の使いは出して知
らせた。


その前夜

 まさか丹下砦で三河の兵と尾張兵が衝突しだしているなどとは、そのときの信長は、
まだ知りようはずもない。
「どうあっても明日は、おもしろくもないが、今川義元めに対面せずばなるまいのう」
 きんきんした声で唸ってから、「くさくさする‥‥鼓をもて」とよばわった。
「はあッ」小姓の藤八がもってくると、肩にあてがい、「やあッ」とかけ声と共にポ
オンペン二つ三つ叩いたが、気が変ったのか、
「おれは舞う。お濃をよんで参って鼓をうたせい」叱りつけるようにいいつけた。
「かしこまって」藤八は奥殿へ行き、奇蝶を迎えにいった。
 急いで髪もなでつけず奇蝶がくると、
「小淳盛じゃ‥‥」鼓を顎でしゃくって、気ぜわしげに信長はいった。そこで奇蝶が、
「人間わずか五十年、化転のうちに比ぶれば、あにさだめなき人の世や‥‥」
 じっと舞う夫信長の背をみつめつつ、小鼓を打ちつつ、
(‥‥こりゃ死ぬ覚悟をつけていなさる)はっと胸つかれる思いがした。そして、
(長年にわたって織田に弓ひき、今川に返り忠をしていた山口父子でさえ、都合とあ
ればさっさと殺しもする今川の非情さ‥‥巧いこというて奇妙丸を人質にとってしま
えば、この信長の殿などは、生かしておくも用なしと、対面の席でなぶり殺しをする
肚やも知れぬな‥‥)
 ぐっと槍先を胸許へたぐりこまれる感じを抱いた。だからして、
「ポンポオン」と掌で鼓の面を叩きながら、
(この身は事なかれとばかり考え、夫の信長を今川義元と対面させる段取りばかりつ
けていたが、こりゃ女ごの浅知恵であったかも知れぬ)と、悔いる心地がひしひしと
突き上げてきて、
(うかつに対面の儀式へ夫を送り込むとは、こりゃあ死なせにやるようなものじゃっ
た)狼狽した。
 それゆえ舞い終えて、突っ立っている夫信長の脚もとまで、鼓を置くなり奇蝶はに
じり寄り、
「おまえさま‥‥やはり対面になど行かれるでない。もしもの事があったら何とされ
まするえ」
と諌め、きっとして、
「今川との和平話にて陣ぶれもしてござりませぬが、なんなら今からでも、ふれ太鼓
を打たれませ」
と進言した。信長が怪訝そうに、
「これから人集めして、三万五千にものぼるという、駿河御所の大軍と戦うのか?」
ときくのに、
「いえいえ、戦わず、この清洲に篭城し今川の軍勢が上洛するのを見送るのでござり
まする。すりゃ向こうとて此方から矢を射かけぬ限りは、よも攻めてはきますまい。
それに、じっと穏やかに見守っているものを一々攻めていては、上洛するのに手間暇
もかかりますゆえ、この城に兵を集め固く守っている分においては‥‥そのまま行き
すぎましょう」奇蝶はすぐさま答えた。
「女ごというは、ああも考えこうも迷い、いろいろと気の変るものじゃな‥‥もちろ
ん、その策も悪うはない、義元めを京へやった後、われらは空巣稼ぎに、これまで奪
われた所領を取り返し馬を肥らせ、いま鍛冶屋で作らせてある槍ぼこをもたせ、やが
て都から戻ってくる義元と決戦するも、また良き方策じゃ‥‥しかし、今となっては
な」と、そこで首を傾げて苦笑いをした。
「何故にござりまする‥‥」
「そなたと飯尾一門の橋渡しで、すでにこの信長は義元に対面上参上ということに決
まりおろうが‥‥それを慌ただしく今になって改変してみい。誰しも『信長は怖気づ
いてしもうた、臆病風にふかれよった』と申すじゃろ。そうなってみい、人は一代名
は末代。あたら弓矢とる身でありながら、この信長公記は後世までの笑い者になるは
必定ぞ」
「では、あくまで行きなされまするのか」
「ああ行かいでか‥‥よし殺されるにしろ、もはや俎上の鯉。ここで、どたばたあわ
てるではない」
「といわしゃっても‥‥」気は強くても奇蝶も女。すっかり涙声になってしまって、
「おまえさまをやりとうはない。死なせとうはない」両足を下から抱えこむようにだ
きしめた。ところが、
「未練をいうでない。よし、ここでそなたの申すように、ふれ太鼓を叩いて武者集め
などしたところで‥‥すっかり和平話に気をゆるめている者共が、なんで俄かに勇気
をだし篭城など致すものか、よってたかってこの信長に、無茶するなと意見したり讒
言するのが関の山じゃろ‥‥この期におよんで、じたばたするでないぞ」と、やさし
く足許に泣き伏す妻の奇蝶にいってのけてから、
「藤八、うぬの眼からみても、今からの篭城の支度は、無理であろうが‥‥」
 廊下にかしこまっている小姓頭に声をかけた。いわれて藤八も顔をあげるなりいい
にくそうに、
「ご重役やお歴々さまは、駿府御所さまの軍について上洛する予定にて、めいめい在
所へひきとられて旅のお仕度中。いまここで、ふれ太鼓をうちましても、ご府内の長
屋衆の他はすぐには集まりますまい」それに答えた。
「それみい‥‥在所へ戻っている者共が駆けつけてくるは、この城が今川勢に囲まれ
てしもうてからの話。とても間にあうはずのものではない。これぞ、下手な考え休み
に似たりという口じゃろ」
 奇蝶の肩に手をかけ、そっと押さえこまれている脚をそっと片足ずつ抜くなり、
「ねむい‥‥おれは、もう寝る」藤八に命ずるなり、すたすた寝所の方へと行ってし
まった。

「けしからん」丹下砦まで狼藉者を追いこんだ三河の兵達は、その頃、すっかり肚を
たてていた。
 なにしろ一町四方ぐらい竹薮に包まれた唯の古屋敷に物見櫓がついているだけの砦
である。
 こもっている人数も、せいぜい七、八十人とはいないと見当もつく。それなのに、
小癪にも抵抗して矢を射かけてくる。
 だから此方から弓矢そろえて矢戦をしてみたが、ぎっしり密生した竹薮に妨害され、
がさがさ笹の葉を騒がすだけである。
「竹に矢竹と射こんでも、なんともならん。面倒くさいから押しこんで討ち入ろう」
 ごうを煮やした一人が槍をしごいて意気ごむと、
「われらを三河者と侮って嘲弄しおるのが、なんとも気にいらぬ」すぐそれに他の者
も賛成した。
「しかし攻めこむとなると吾らの判断だけでなく、こりゃ一応は御下知を仰がねばあ
いなるまい」
 年かさの武者ははやる連中をおしなだめた。なにしろ松平蔵人を初め、それに従う
三河衆の重臣は、みな大高城にいて、ここへ来ている連中は追いかけてきた端武者ば
かりだったからだ。
「いや、おや、これから戻ってお指図など仰いでいては夜があけてしまう‥‥それな
らいっそのこと火をつけ、すっかり焼いてしもうたがよい」といいだした者がいた。
「そうか。失火ということもあるから、それなら別に御下知を賜らんでもこりゃ後日、
重役(おとな)衆より、お咎めをうけることもあるまい」すぐ年かさの武者も、それ
ならと同意した。
 枯草や乾かしてある稲束を担いできて、四方から竹薮へ押し込むと一斉に火を放っ
た。
 伊吹おろしの夜風に煽られたから、見る間にパチパチと笹が焼け、太い青竹がポン
ポン鉄砲のような音ではぜて燃えだした。
「ざまぁ見ろ‥‥」とばかり手をうってぐるっと夜目にも赤々とした焔が、丹下砦を
取り囲んだのを見届けると、溜飲を下げた三河の兵たちは、早々に一人残らず大高へ
逃げて行ってしまった。
 ----だから、このとき、今川家か織田家の物見が、この丹下砦へ実地を調べにきて
いたら、竹薮が烈しく燃えているだけで、戦さなど起きてはいないことは、すぐ一目
で判ったはずである。
 しかし、どちらからも馬を駆けて様子を偵察にくる者もいなかった。
 ただ、しんとした夜の静寂をつんざくように、パチパチポンポンと青竹のはぜる爆
音が轟き、赤い火の柱が立っているきりだった。
 さて、このとき。
 大高城より丹下砦にそった黒末川の流に、尾張河内長島の服部右京の一向宗の門徒
勢が舟を連ねてやってきていた。
 信長とはこと違い早めに駿府の府中城までゆき、今川義元に拝謁して、これまでの
腕ずくで奪いとっていた尾張二郡の所領を既に安堵されていた服部右京は、何百艘も
の小舟に門徒を三、四人ずつ乗せ、
「よし‥‥ご奉公初めである」と称し水路から参陣してきたのだが、
「‥‥鉄砲の音らしい」と竹薮の音に耳をすまし、
「誰ぞ、見て参れ」と、すぐ物見をだした。
 もちろん見てきた者から、青竹のはぜている音と、本当の事は聞いたのだろう。
 だが服部右京は、すばやくこれを奇貨とした。利用しようと考えたのである。
 織田信長と今川義元が和平して従来の尾張四郡に、いまでは今川領になっている尾
張二郡が返還されては、やはり尾張二郡を奪っている服部右京には面白くもないし将
来の危険というものがあった。
(今川義元が京へ移ってしまったあと、勢力が倍増した信長に攻めこまれでもしては、
長島のニの江の城は防ぎようもなかろう)そこを、かねて危惧していたところである。
 だから、ここで信長と義元を衝突させてしまい、自分の手柄で退治してのけたら、
そんな行先の心配もなくなるし、事によったら信長への尾張二郡の褒美も己れに回っ
てくるかも知れぬ。巧くゆけば、自分が尾張一国の主にも、なれようというものであ
ると服部右京は胸算用した。
 だから右京は、ここで率いた面々に向かって大音声をはりあげ、
「信長めが謀反しおったぞ‥‥。いざやわれらは仏敵の織田勢をうちはらって、御仏
への報恩とせん」
 門徒たちを奮いたたせるために励ましをいった。
「すりゃ、大変である」舟に乗ってきた連中は、てんでに岸へはい上るなり、
「いざいざ」と口々に呼ばわって、槍をふりあげ気勢をあげた。
 さて、織田方の鷲津と丸根の砦は、丹下砦から一応の知らせは受取っていたが、さ
ほどたいした事でもなかろうと放っておいた。もともと主君織田信長が今川家から二
郡返却して貰って和平を結ぶ話は、砦の誰もがみな聞いていたところだから、
「丹下砦では、土地の者と三河者が何かいがみ合いでもしておるらしいが、喧嘩沙汰
なら、その内に、やめるであろう」と高をくくっていた。
 すると、そこへ二手に分かれた軍勢が、ワアッとばかり押しよせてきたゆえ、
「なんじゃろ」と泡をくって愕き、
「‥‥理不尽な」とばかり織田方は肚をたてた。しかし押し寄せられても、別に戦う
筋はないからすぐさま聞き返し、
「こりゃ、なんの真似ぞ」
「誰ぞ話のわかる者がおれば、砦の中へきてくれ」とも呼びかけた。なにかこれは間
違いらしいと思えたからである。ところが寄手は、ふつうの軍勢ではない。
「なんまいだ」「なんまいだ」と、てんでに仏の称名を唱え、槍を構えて、
「仏敵退散、極楽往生」と突きかかってきた。
 なにしろ、御仏のために討死すれば極楽往生は疑いなしと教えこまれているから、
すすんで死を選ぶように脇目もふらずに突撃してくる法悦の一向宗の門徒である。
「やや、さてこそこれは今川勢ではなく、尾張二郡を横領している長島の服部勢が、
どさくさ紛れに押し寄せてきおったのか」と呑み込めてきたから、鷲津砦も、丸根砦
も、泡をくいながらもそれでも必死なって防戦した。しかし、かねてより熱田の白鳥
神社の源太夫の宮を初め白山神を崇めて、仏教の敵国を形づくっている織田信長への
一向門徒の憎しみは強い。
「これら砦を落したら清洲城も占領し、尾張一ヵ国を、御仏に寄進し奉ろうではない
か」
「そうすりゃ仏果の喜捨を賜り、われらは天女の舞い給う極楽浄土へ生まれ変われよ
うというもの」
 一向宗の門徒は口々に喚きあい、いくら砦から矢を射かけられても、閉口たれず、
「死ぬるは、いっとき‥‥来世は末代」とばかり、
「なんまいだ」「なんまいだ」縦横無尽に突撃し、あげくのはては火矢を射かけ、
「仏罰のほど恐れいったか‥‥うぬら地獄へ堕ちてゆけ」とばかり、ついに鷲津砦も、
丸根砦も、紅蓮の焔の中へ突き落しにされてしまった。