1130 徳川家康 10

 さて、道三が鷹狩に出かけて騒動になったのが弘治元年十一月二十に日だから、丁
度その翌日の二十三日の事。
 新那古野城主織田孫三郎信光は、もともと今川方の左馬助氏豊の築いた板張りの城
が気に入らず、これを白壁塗りに換え、せめて三層建てぐらいの東海一の名城に普請
しよう、そして己れの本城を、守山から此方へ移そうとかねて考えていた。
 そこで地鎮祭と施工勧請のため、白鳥神社の熱田源太夫の宮の神官や味鋺(あじま)
の陰陽師どもを招いた。
 新たに増えた領地に満足し今や多井(おだい)川を境に東半国を持つ孫三郎は、信
長より版図も広く既に事実上の尾張の当主である。だから神式の行事がすみ、慰労の
酒宴ともなると得意げに、
「これ信長、遠慮せんと、どんどん飲むがよいぞ」と太っ腹なところをみせ、自分も
酔ってくると、
「おのれも兄信秀の倅じゃ‥‥いつかは親父ぐらいにはなれるよう‥‥よっていずれ
は、この信光が手をとり足をとり仕込んでくれるわ」すっかり上機嫌になって、赫ら
顔をてかてかしだした。
 信長は相手が亡父の弟で唯一の肉親だから、むげに硬い顔もできず、差し出された
大盃を、
「はい、受けたまわって候」とばかり、その盃を押し頂いていた。
 そのうちに酔いが、すっかり回った信光は、
「御神前に供えてある白酒(しろき)をいただき、天佑神助を授かりたいもの」
といいだした。これにはみな仰天して、
「‥‥それは畏れ多い。上げたばかりの神酒をすぐおろして人間がいただくなどとは、
僣上沙汰でござりまする」と守山からついてきている孫三郎の家臣共も諌めたが、酔
ってくると、人に抗いたくなるものか、信光は手を振って、
「構わぬ。わが織田の家は神徒である。なんで御神酒を頂かして貰うて、罰などあた
るものか」
 榊の葉の御幣をさした瓶子に、ぐっと手をのばし、口移しにごくごく呷った。
 すると、それから暫くして信光は引き吊ったような顔になってきたとみるや、やが
て、「‥‥苦しい」ともがきだした。
「あまり御酒を過ごされますゆえ‥‥」家来どもが、信光を抱えて、本丸の奥殿へ連
れていこうとすると、自分でも醜態だと思ったのか、
「構わぬ。暫時たてば、酔いもさめよう」信光は自分で胸毛の生えた襟元を押しあけ
た。しかし、
「‥‥いや、すこし横になられた方が、お楽になられましょう程に」家来達は心配し
た。 さて、清洲城乗っ取りの盟約をしたときから、信長は孫三郎信光とは親子の誓
いをしている。
そこでその時も、まるで実父にするように、側へかけよって背を撫でながら、
「横になられたがよい」しきりにいさめた。
「そうか。信長までが言うのなら、そうしょうかい」と、信光も、やっと承知して、
信長の肩に支えられつつ別室へと移されて行った。
 そこで、
「よかった」「よかった」家臣共もほっとし、
「‥‥信長さまは乱暴者じゃとか、莫迦者(うつけ)という評判もあるが、こういう
ところをみると、うちの殿を実の父親のように労られ、まことの情けの深い方ではあ
る」
と、互いに小声で私語しあった。ところが、ややたって、
「孫三郎信光の殿には、急変でござる」血相変えた宿直(とのい)の者が酒席に走り
込んできた。
「‥‥それ、薬師ぞ」「やれお薬湯を早うに」酒に食べ酔っていた家来共もあわてふ
ためいた。
 招かれていた神人(こうど)達も装束を改めて、すぐ神前にまいり、信光本復の加
持祈祷をした。だが、夜明け方には孫三郎信光は吐血し、のたうって苦悶しながらこ
と切れた。
 思いもよらぬ異変に、信光の家臣が狼狽しきっていると、信長も一睡もせぬ赤い眼
で、「まこと、これは神罰によるものではなかろうか」
 主だった家来だけに、声を低めてそっと打ち明けながら、
「亡くなった信光の殿の袂に、実はかようなものが‥‥あったぞ」と紫檀らしい小粒
の玉の揃った念珠を、ひそかに取り出してみせた。これはあまりに意外な話だった。
「やぁ、あの殿が、法敵の仏に、心を移されておられたとは‥‥」教わった面々は眼
を見張った。
 あまりの事に二の句もつげなかった。
「そういえば中村城の山口の使いとかいうて、墨染めの衣を着た者が来た事がある。
さては、その坊主の弁口にまるめられ、宗旨違いの方へお迷いなされてか‥‥」と憶
い出す者がやっとでてきた。
「いかなる天魔に、魅入られ給いしか知らねども、天罰覿面。神罰の怖ろしや」
 そして孫三郎ノブ蜜の主な家来共は、みな蒼ざめてしまい、口を揃えて、その場で、
「我が殿の織田孫三郎信光は、その生前、あなた様と親子の誓いをされていた由、洩
れ承ってござれば‥‥今後は、我らをよろしゅうに」信長の家臣にしてくれと言い出
してきた。

「このたびはまことに御祝着、やっっと尾張二郡まで不運にわたらせられた御身代か
ら倍の四郡にまで領地が取り戻せ、尾張半国をこれで回復できましたは、まことにめ
でとうござります」
と奇蝶もつつましやかに祝いを述べた。
 なにしろ清洲城へ移ってきた奇蝶は、城の外堀として流れている五条川の青い水脈
(みずなみ)が気に入ったらしく、とても喜んでうれしがっていたから機嫌がよく、
「私は長柄川に面した井口城に育ち、女童の頃から、川の流れを眺め暮らして育った
者、とてもせいせいします」
大きな瞳を見開いて微笑んだ。だが、そこまではよかったが、
「これで持ち城も二つに増え、同慶至極」余計な事を、つい口から洩らしてしまった。
 すると信長は覿面に厭な顔をしてみせ、
「末森城もあるによって、三つじゃろうが‥‥」と訂正した。
 というのは、その末森城というのは、かつて尾張の跡目争いのとき、信長に楯をつ
いた弟の四郎信行。生来の色黒ゆえ、「からす勘十郎」と信長があだなをつけ、他の
者もつい「勘十郎ぎみ」などと呼ばれた一つ違いの異母弟の城のことだった。
 話はもどるが、去年の正月。
 駿河勢の村木砦から信長が攻められた時、山口左馬助の中村城の押さえに、その時
はまだ美濃国主だった道三へ、留守を守る合力を頼んだ事がある。すると安東伊賀と
か物取新五といった、しょっちゅう尾張へ来ている美濃武者が正月二十日日に打ち揃
って二千余を率いて駆けつけた。
 ところが中村城に対抗するために那古野城へ美濃衆がそっくりそのまま入り込んだ
ものだから、
「‥‥これは怪しくりからん」と、城代の林佐渡や弟の美作が肚を立て、自分らの兵
を率いて、荒子城の前田与十郎の許へ移ってしまい、そこで、
「美濃の娘婿が当主では、やがて尾張は‥‥美濃に併合されようぞ」
 ふれまわって反信長の旗を立ててしまい、織田本家の彦五郎の許しをうけ、
「末森城の四郎信行ぎみこそ、このさい尾張の当主にせん」と他の重臣共に呼びかけ
た。 そこで互いに相争う事となった。
 ところが信長は八月二十四日、押しよせてきた末森城の軍勢を名塚河原で迎え討ち、
敵将の一人である林美作の首を、自分でとる程の激戦をしたのである。
 この戦に負け弟の四郎信行は侘びを入れてきたので、いったんは許したものの、ま
たぞろ性懲りもなく画策を始めだしたから、やむなく信長は後顧の憂いをなくすため、
これをかたづけてしまった。
 そして末森城を取り上げ、これも持ち城の一つにしている。それだからして、
「合計では三つになるんじゃ」と奇蝶に、恐い顔をして誤りを訂正させたのである。
 ところが奇蝶にしてみれば、その末森城はどうしても数には加えたくない訳が別に
あった。
 なぜかというと、信行を死なせたあと、後始末のため泊まりがけでそこに行ってい
た信長が、あろう事か、その城中にいた生駒将監の後家娘に手をつけ、そこで子まで
産ませてしまったからである。
「まこと口惜しいことではないかえ」
 立腹したものの、もともと子供ができななくて、引け目を感じていた奇蝶にしれみ
れば、強くも咎められず、その赤子を何も言わずに己れの手許へ引取り、吾が児とし
て育て上げようと、わざわざ自分の名の奇の一字をとって「奇妙丸」と名付までした。
 つまり奇蝶の計算では、産まれてきた児さえ取り上げてしまえば、最早その女と信
長の仲は、すぐ切れてしまうものとばかり思いこんでいた。ところがである。案に相
違して信長はその女と別れていない。
 それどころか、そのまま空城になった末森城に、今もその女を住まわせて、
「野駈け」と称しては、しょっちゅう信長は、泊まりに行っている有様だった。
 つまり末森城は、今となっては妾宅であって、信長が女を囲っている所である。だ
から汚らわしくて奇蝶としては、持ち城の一つになど算えたくはなかった。名を言う
のさえ癪だったのである。
 思い起こせば‥‥それは奇蝶が嫁いで来たばかりの頃の話だが、
「白い飯を召し上がりませぇ」と言えば「厭だ」と飛び出して行って、百姓家の裏口
へ入り込んで、稗雑炊の類を振る舞うてもらい、それを掻きこんでは、
「うまい、うまい」と喜んでいたのが十六、七の頃の夫の信長であった。
 絹布の衣服を当てがえば、それも厭がって、小者達の藤蔓織りや芋殻編みのゴツゴ
ツした布衣を着て歩くような育ちの悪さだった。
 だからして、奇蝶にしてみれば、信長の好みがよく判っているだけに、
(どの程度の女を作ったのか‥‥)というのも薄々の見当はつく。そこで、
(たわけらしくて)と、そんな女と張り合ったり、やきもちをやく気にも奇蝶はなれ
ない。しかし、そうはいっても他の事とは違い、こればっかりは我慢するのはあまり
にも腹が立ちすぎる。
 おまけに、もっと肚の立つ事が起きてきた。こちらは浮気どころの沙汰ではない。
 つい最近になって侍女から聞きだした話だが、ニ年前正徳寺へ父道三と対面へ行く
に先立ち、
「もし俺が殺されたら、仕返しに奇蝶を殺せ」と、信長が自分の口からはっきり言っ
て出かけたという話なのである。これには奇蝶も開いた口がふさがらなかった。
「男ちゅうもんは、自分の身がどうなろうとも、情けをかけた己れの妻や児は、あく
までも守り抜こうとするもんじゃえ」と、父の道三から教わってきて、(男とは、そ
ういうもの)とばかり思いこんでいた奇蝶には、これは脳天深くグサリと槍で突き刺
された思いだった。
「この世の中に、こんな非道な男がいてよいものだろうか」
 突き放して眺めだすと、信長には、まるで冷血そのもののようなところがあった。
そこで奇蝶は、夫とはいいながら、いつしか怖しいと想うようにもなった。
 だが、その反面、腕白ざかりの頃の、手のつけられぬ駄々っ子ぶりも覚えているか
らして、
(自分一人の力で織田の跡取りになったような、大きな顔をされていなさるは増長に
もきりがある。ほんにいまいましや)奇蝶としては、まったく信長に肚がたってなら
なかった。
 そこで時としては腹立たしさを押さえかね、こ