1124 徳川家康  4

 なにしろ信秀が、あっという間もなく倒れ、苦しがって唸り続け、ろくに口もきけ
ずに頓死してしまったから、「葬儀をどうせい」との後の指図もなかった。そこで如
何に致すか、てんで何も明らかにされてはいない。
 先祖からの伝習で北向きにし、顔に白布をかけた信秀の遺骸の前で、生母違いとは
いえ実子の四郎と二郎が声を揃え「仏式」の宣言をしたからには、もはやそれになり
かねない状態になっていた。だから、順からゆけば二郎の次で三郎の名もつけられて
いた信長としては、
「阿呆な呆けた事を二人して吐きおる‥‥」
 遺骸の枕許に立てられた魔除けの白紙御幣を、きっと睨んだまま黙念としていたが、
内心はかっかとしていた。というのは、なにしろ出かけてくる時に、奇蝶が、
「もしも、父信秀さまに万一の事があれば、わが父道三と誓紙まで入っていることゆ
え、そもじが尾張の跡目‥‥そこを考え、見苦しゅうないようなされませぇ」
と、送り出してくれた。他の美濃衆も、今こそ我等が供してきている正念場とばかり、
きっとして見送りに出ていた。
 だから信長も、いわれるままにそのつもりで、この古渡の城へ来たのだが、どうも
様子がちがう。それにしては丸っきりおかしかった。
 一首名(おとな)とよばれる家老筆頭の林新五郎をはじめ、誰一人として信長をそ
のように扱ってくれない。みな弟の四郎の側へにじり寄ったり、ついてきている土田
久安にばかり何かと相談して、信長の方は振り向こうともしない。じっと耳を澄ませ
ていると話が筒抜けに洩れてもくるが、聴いていると、
「葬式の喪主になられるお方こそ、大殿様は遺言なされなんだが、当尾張のお跡目で
ござろう」
などと、まこと勝手な話ばかりしていた。
 だから信長としては(これでは奇蝶のいった話とは、まるで違う)と眼をむき、
(一体これは如何なる仕儀であろうか)と、すっかり自信を喪失してしまい、ぼんや
り考えこんでしまった。
 もちろん、これが後年の信長ならば、「なんじゃい」と大喝、一声張りあげ喚きも
したろうが、このとき、まだ十八の少年には、そこまでの勇気も出なかった。
(俺の側へも、一人ぐらいは相談する者が、来てくれぬものか)と、ただそればかり
を待った。
 だが、誰も信長の側へ寄って来なかった。といって、集まって来ぬからと、まさか
信長の方からのこのこと家来の許へ、いざよって話をしにも行けない。だから、放り
出された恰好の自分に、
(こりゃ、どうなっとる)ひとりで歯がみして口惜しがった。
 そして、どうもこの様子では、すでに暗黙のうちに、次の跡取りは弟の四郎信行に
決っとるらしいと、信長にも次第にこの場の成行きが呑みこめてきた。
(するとだなあ、美濃の斎藤道三と亡き親父の殿との約束で、次の跡取りは、この信
長に決っとるとかいう‥‥奇蝶が出掛けに、この俺にいってよこした事は、ありゃ真
っ赤な嘘だったのか)
 がっかりして信長は、ひとり赤面してしまった。白布を被された父信秀の遺骸を見
詰めながら、
(そういえば、この親父さまは、いつか、女のいう事を真にうけるでないぞ)と教え
てくれたが、
(さては今日かくあるのを予期されての、生前の戒めじゃったのか)
 胸をうつような、ぽかんと孔をあけられたような、妙な気分にさせられた。そして、
「次の跡目が、弟の信行と決っているものなら、ここで睨み合いをしていては、まず
いのではなかろうか‥‥」心許なくなった十八歳の信長は、あわてて胸の中で自問自
答をした。

 なにしろ、もしもその弟の四郎信行と仲違いになったら、尾張にはいられんように
なる。すると奇蝶に伴われ、美濃へ行かねばならん事になるだろう。するとである。
今でこそつるつるした絹物や白い柔飯に我慢できなくなれば、飛び出して逃げもでき、
近在の百姓家で面倒もみてくれるが、美濃へ行ってしまったら、こりゃその逃げ道さ
えなくなる。
(あっちの百姓が自分に、まさか不憫をかけ、いたわってくれる)と、そこまでの自
信はもてなかった。だからして、つい信長は、
「食うためと思えば仕様がない。なんとか信行に睨まれんよう、仲良うしたいものだ
‥‥」
 そんな気づまりから、つい口の中で呟き弱音をはいた。しかし、弟のいう(仏式の
葬儀)には、どうしても賛成ができなかったし、それに今になって、こそこそと信行
の側へ、自分から立って行って反対するのも、照れ臭くて出来はしなかった。また勇
を鼓して近寄ったにしろ、何といって声をかけて良いものやら、とんと思案も浮かば
なかった。
 だから信長は、はたと当惑しきった表情で、「からす勘十郎」と幼い時から渾名さ
れている色黒の弟信行の顔ばかり、じっと見詰め、視線が合かけると狼狽して天井を
向いた。
 そして、
(その裡には、誰かが仲へ入って、弟との間を取持ちしてくれよう)と心頼みして、
じろじろと重臣どもを見渡してみたが、てんで手ごたえがなく、向こうの方が信長か
らの視線に合うと、さっさと逃げてしまう始末だった。だからして、もどかしさにい
らいらして、
「どうして俺だけを、よってたかって聾桟敷(つんぼさじき)へおく」
と、小用に立って行った平手政秀の後を追いかけてゆき、自分では小声のつもりだっ
たが信長は、喚くようにキンキン声で尋ねかけた。
(‥‥信行に付添って一切の指図をしている土田久安が、信行の生母土田御前の父で、
御守役の立場ならば、この平手の爺として、俺の亡母の父にあたるから、俺の守役の
わけだ。それなのにちいと薄情すぎやしまいか)怨めしさをこめて口早やにいってや
ったのである。
 それなのに、平手政秀ときたら、肩を怒らせたまま信長を振り向きもせず、
「おてまえさまは確かに第三番目の伜殿ではござったが、今では隠れもなき美濃の婿
どの・・・」
 そんな言い方だけを残して、逃げるように、せかせかと足を急がせて行ってしまっ
た。
「ふん」これには信長はむくれきった。そこで、
「そうか、俺と口をきくと、美濃への加担入れと、周囲から白い眼で見られ爪はじき
されるのが、そんなに恐ろしいのかよ」
 癪に触るから叩きつけるように、腰が曲がりかけの前屈みの背中にどなりつけてや
った。そしてついでに、「畜生ッ」と喚きたいのを辛うじて堪えた。
(平手の爺めには、何人も孫がいるじゃろうが、俺からすれば祖父(おんじい)はあ
やつ一人‥‥母も亡くし、父も今亡くした俺には、血縁は、あの爺しかいない。それ
なのに、なんじゃい)
 無念というか、口惜しいというか、泪がぼろぼろでてきた。拳固で顔をこすり上げ
息を飲み込んでも、どうしても咽喉へ込みあげてくるものが押さえきれず、信長は周
章てて唾で飲み下そうとした。
(平手の家さえ、この俺にもそっと親身にしていてくれたら、俺だって百姓家へ食乞
に行かんと、ちゃんと平手の爺のところへ雑炊を食いにもいけたんじゃ。それなのに
俺が美濃から嫁とりした後は、まるで俺に近寄っては美濃方に組するように思われは
せぬかと、ただそうした世間体ばかり気にしくさって、とんと自分の屋敷へさえも入
れようとはしくさらんではなかったか)
 想い出すと癪にさわる事ばかりである。
(だが普段はいい。何時もなら薄情に扱われても、母が死んでからは冷たいのは、よ
う弁(わきま)えているから、そりゃあ構やぁせん。しかし時によりけりだ。親父の
殿が没(なくな)って俺が一人ぼっちにされて困っている時ぐらい、祖父として、ま
あ守役のような立場なら、せめて側へなど座っていてくれても良さそうなものではな
いか。それなのに、廊下で呼びかけただけでも、疫病神にあったように、振り切って
逃げてしまうとは、こりゃなんの真似じゃいな。非道いにもきりがあるわい)
 その場へ突っ立って後姿を睨みつつ、信長は眼を光らせ、
「もし跡取りになった弟の信行めが戦にでて行って討死し、お鉢が俺に回って当主に
でもなってみい。その暁には、あの平手のくそ爺め、それまで生きていくさったら、
皺腹きっと切らせ成敗したるわい‥‥なんというても血につながる祖父じゃから、ま
さか手討ちにして、白髪首叩き落すまではやらんで、そこは堪えるが、ええか。きっ
と仕返しはしたるぞ‥‥雑炊をふるもうてもやらん、平手の家も取り潰してやって、
眼に物みせたるぎゃあ‥‥」
 いまいましさに信長は、ぶつくさと口の中で、恨みのたけを繰り返していた。

「えっ、離縁(され)じゃと‥‥」十七の奇蝶は、おうむ返しに信長のしょぼくれた
顔を睨み返した。そして、きっとして大きな黒目にしめりをみせると、信長の胸倉に
手をかけ力あまって、
「なんで、離婚され退なねばなりませぬ」口惜し泪を浮かべ、こづき回すように押し
てきた。
「待て、出て行けなどいっとりゃあせんぞ」
 咽喉を締めつけられた信長は、喘ぎながら、その手をふりほどき、続けて、
「‥‥もともと、この御殿は、そちらの手で建てさせた。いわばそもじは家持ちで来
たような嫁女だ。出てゆくのは、この三郎信長の方じゃ」と返事をした。
「何も、こんな建物の一つや二つ、美濃へ戻るなら、おてまえさまにくれてゆきます
る。だが、なんで離婚か。そこは後日のためはっきり正念(しょうね)つけて申され
ませ。‥‥さては古渡の城で重役衆に、寄ってたかって何とかいわれて来なされまし
てか」
 大柄な肉(しし)おきのよい体なので、奇蝶に、ぐっと近よられると、まるで白壁
に向きあってるように威圧を感ずるし、香袋にまじった女の体臭もぐっと迫ってくる。
だから信長は眼をそむけつつ、首をふって、息をも止めながら、
「何も、誰にもいわれては来んわい」
 自分でも情けない声をだしかけたが、それでも女になど負けるものかと胸をはって
言い返した。
「まことに‥‥左様でござりましてか」
 のしかかるような声音を響かせ、奇蝶は、一つしか齢の違わぬ十八の夫を見据えた。
「本当じゃ、重臣共も誰一人何もいわなんだ、側へ寄ってこなんだぞえ」
 正直に信長はいったのだが、奇蝶はそれでも、
「面妖な‥‥おおかた重臣でなくば御兄弟衆に、敵国美濃の娘を嫁にしとるのは嘆か
わしい、早よう戻って縁を切り、久離(きゅうり)、別れてしまえ‥‥とでもいわれ
て、それでいいなりにうなずき戻っておいでなされましたのじゃろ」すぐ勘ぐりをま
た入れた。
「違う‥‥そんなことはありゃせんわい」むきになって、信長が抗弁すれば、
「だったら、何ゆえの離別じゃ。さあいうてみなされや」奇蝶は怖い顔をした。だか
ら堪りかね、
「嘘つきじゃから‥‥おりゃ女ごなんぞ大嫌いじゃ。厭なんじゃ」信長は逃げようと
した。だが、
「待ちゃ、いうてよいことと悪いことがござりまするぞ」袖の貝口をひき裂かんばか
りに脇から捉えられて、瓜実顔(うりざねがお)の奇蝶の顔が食いつきそうにのしか
かってきた。そして、
「何が嘘つきじゃ。こればっかりは聞き棄てならぬ」京紅をつけた唇を大きく開き、
「誰ぞある。早うきてたもれ」悲鳴のように、大声で喚き立てた。
 すると板戸の陰で、最前からかしこまって控えていた美濃の家来共は、おっとり刀
で駆けこんでくるなり、血相をかえ、
「姫さまに、無体をなされまするな‥‥」まるで信長が奇蝶を苛めているのかと取り
囲んできた。
 そして捕えて紐で縛りつけそうな剣幕さえ、荒々しくみせた。
「よせ、無体をしかけるのはうぬらの方じゃろ‥‥なんせ俺は尾張の跡目に立ててく
れると、そもじらにいわれ、それで今日まで、この美濃御殿で辛抱しとったが、みん
な嘘っぱちではないかえ‥‥跡目は、俺ではのうて末森城の弟の四郎だったがやぁ。
それにいいか、まだある。うぬらが他国者の癖して、ここで大きな顔しくさって土地
者に嫌われとるからして、この信長までが巻き添えにされ、うぬらの一味徒党扱いじ
ゃ。だから古渡の城へ行っても、頭から敵国者と見なされ、誰ひとり言葉など掛けお
る者さえなかったわい」肚だちまぎれに、信長はぐっと睨んだ。
(どうでもしろ‥‥)といわんばかりに大声出し、洗いざらいに話をぶちまけ怒鳴り
つけた。

 その日の夕景。薄暗く翳りが忍びこむように、南天の実も黝(くろ)ずんで見える
ようになてきてから
「‥‥刺客が侵入してきよった」
 大声で呼ばわる声が響きわたって、美濃御殿の中は、もう上を下への大騒動になっ
た。
 だから、座敷牢のように奥まった部屋へ、あれからずっと閉じこめられっ放しの信
長も、びっくりして何事だろうかと気になるからして、張蕃をしている美濃武者に、
「一体、誰を狙って忍び込んだのかや」と訊いてみた。
 すると、その武者は、事もなげに鬚をつまみつつ、
「‥‥おおかた、おてまえさまでござりましょうな」と言った。
これには聞いた方が、
「えっ」と面食らった。だが、あまりに唐突だし、狙われたのが自分だ‥‥、とは
「まさか」
と自分で打ち消し、信長は、ケタケタ一人で嗤(わら)いだしてしまった。そして、
「古渡城でさえ、誰一人として相手にせんような俺を、わざわざ狙いに来る者やある。
なんぞの間違いじゃろ。ええ加減にせいやい」
 呆れ返ってしまて、なにしろ前夜のお通夜で一睡もしていないものだから、信長は
そのままグウグウ寝てしまった。
 ところが夜半。
ビシン、ビシンと唸りをたて、矢つぎ早に板戸がなった。これにはびっくり仰天。眼
をさますと、
「‥‥曲者」という叫びと、慌ただしい跫音が庭先から聴こえてきた。
「やや・・・」とばかり、眼をこすって信長も驚いてとび起きた。
 紙燭をつけてみると、驚いたことに雨戸から矢じりが、にょきっと土筆坊主みたい
に出ていた。算えると矢は三筋もあった。三分板の雨戸を抜きとおし、半分ぐらい突
き出しているのもあった。それをまじまじためし透かし触ってみて、
(俺は、本当に命を狙われとる)初めて実感がわいてきた。恐怖といったものを信長
は初めて感じた。
「さては親父の殿の信秀存命中は美濃とは和平していたが、もはや今となっては、そ
の必要もあるまいと見切りをつけ、四郎信行が跡目をとる景気づけに、まず那古野の
美濃衆を追っ払うための夜討ちかや・・・それにしても、まだぞろ捲き込まれ、俺まで狙
われては、どうもならんわい」
 ぶつくさ独り言を言いながら信長は、剣呑なこんな所からは一刻も早く脱出してし
まわねばと、しっかりくいこんだ矢を手がかりに掴んで、よいしょと雨戸を外しにか
かっていると、そこへ、
「・・・まだ外に敵がいるやもしれず、外へ出られては、危のうござります」
 薙刀を脇に抱え、頭へ鉢巻きをしめた奇蝶が顔を見せた。
「うん、しかしこりゃ一体どうなっとる。古渡城や末森城から押し寄せて来いでも、
ここ那古野城の兵だけに取り囲まれたにせよ、この美濃御殿など百とは頭数がおらぬ
ゆえ、やられてはひとたまりもあるまい・・・というて、逃げ出してゆくそなたに伴われ、
俺は美濃へなど連れていかれるは真っ平御免じゃ」信長は照れ隠しに、うわずっとキ
ンキン声を張りあげた。だが、
「ご案じ召されまするな」能面のような白塗りした平べったい顔で、それだけ言い残
すなり、侍女を伴い奇蝶は、さっさと行ってしまった。
(なにが心配するなだ)と信長は横になったが、むしゃくしゃした。そして夜が明け
たら、何処へなりと待避せねばなるまいと考えながら、すこし、まどろんでいると、
やがて陣馬のいななきがきこえ、またしても騒然としだしてきた。どうも相当の兵力
らしかった。
(さては手遅れ‥‥もう織田勢に取り囲まれてしもうたか・・・こうした手筈をつけ俺を
殺そう所存ゆえ、古渡城では重臣どもは一人残らず、どやつも側へ寄ってもこなんだ
のか)
 がばっと跳ね起きはしたものの、信長はがっくりした。またへなへな座り込んでし
まった。そして、もうあかんわいとひっくり返った。するとその時、板仕切りの外か
ら、
「----尾張の殿はお目覚めにておわすか。かく申すは美濃三人衆の一人にて安東伊賀
守と申すもの、ただいま手勢二千を率いて信長さま身辺警護に、木曽川の境目を越え
主人道三入道の命令にて到着してござりまするぞ。もはやわれらが参ったからには、
なにとぞ気をお安うなされませ」
 やにわに野太い声がした。そこで信長も、
(敵ではなく、俺を守りにきてくれた美濃衆か)とほっと息を抜いたが、
(それにしても駆けつけるのが、よう、こんなに早く来れたものだ。隣国の美濃から、
こんな夜明けに着くとは、向こうを夕刻に出発してこなければ、とても間に合うはず
もない。だが、夜のうちに騒ぎがあったのがどうしてそんなに早く知れたのか・・・)妙
な事に気をとられた。しかし、
「‥‥御免」戸が開くと、虎髭をはやした三十がらみの強そうなのが、黒糸縅の鎧の
ままで、少し小腰を屈めて入ってきた。
 だから信長は、まさか仰向けにひっくり返ったまま寝てもいられず慌てて仕方なく
起き上がった。
「織田の大殿さま急逝とのことで、もしもの用心に、吾らは境目の木曽川べりに布陣
してござった。それゆえ、こない早う駆けつけられてござる」不審そうな顔を見せる
信長に安東はまず挨拶をした。
 それを聞いて信長は、なんだそうであったかとやっと頷き、
「左様か。道理で到着が早いと思った」
 初めてほっとした。そこで緊張からほぐれたように、にこっと白い歯並びを見せて
しまった。なにしろ二千からの兵が、自分のために駆けつけてくれたという事実が、
まだ十八歳の未熟な心を、素直に勇気づけたのである。だから、つい口を滑らせ、
「此方から曲輪内の那古野城を取ってしまうがよい・・・なんせ先んずれば敵を制すとい
うことがある、構わぬ、やってこませ」と言った。
 先走りすぎたにせよ、自分ではよいことを言ったつもりだったから、やや得意げに
高く突き出た鼻をうごめかし、その鼻の下をこすったりした。ところが、その信長に
向かって、
「もう城は取ってござる・・・なにしろ二千からの兵では、とても入れておく場所とてあ
りませぬ。そこで城代林新五郎殿に掛け合って、もはやすっかり向こうは明け渡させ
てござる。よって尾張の殿には、あちらがお住居、この御殿はもはや引き払い、奇蝶
御前様御同道のうえ、早々に向こうの本丸へとお移りなされませ」にこにこしながら、
肩いからせて安東伊賀は報告した。
「うむ、そうか・・・」と、信長も呆気にとられながらいった。だが肚の中では、
(出し抜かれた)という感じに(おのれ他国者のくせして、出すぎ者めが)いまいま
しさがぐんぐん棒で押されるみたいにこみあげてきた。しかし、この場合は仕方もな
くそのところは堪え、
「よう一徹者の林が、城をあけおったのう」
 立ち上がりざまに笑いを作った。なにしろ昨日の通夜でも、林新五郎や弟の美作は、
信行につきっきりで、信長には挨拶一つしていなかったからである。
「‥‥何事にてあれ、この世は銭でござる。ぎょうさんに銭を運んで参って、もうあ
ちらこちらの重臣(おとな)衆に密かに付届けしてござるによって、尾張の殿には何
ももはや気遣いなされる事はない。大船に乗られたつもりで心安うになされませえ」
と打ち明け話しをした。
「そうか、かたじけない」
「これもみな、奇蝶姫さまがお可愛いばっかりに、晴れて尾張の国主の室になさんと、
斎藤山城守道三様の御心入れにてござりまするぞ」続けて恩ぎせがましくいった。つ
まり、
(礼は己れの主君道三に言って欲しい)といわんばかり、そんな口調で安東は眼を細
めて告げた。

 昼すぎになると、また美濃から、豪傑としてこちらの尾張でも評判の物取新五が、
「信長さまと奇蝶さま御警固」と称して騎馬二百徒歩(かち)千名あまりで馳せ参じ
てきた。しかし那古野城は一杯なので、これは古渡城へ入ってしまった。みるみるう
ちに那古野平野は美濃兵で埋まってしまった。
 だから翌日になると、
「かねて美濃国主と、今は亡き先殿さまとの御盟約により、お跡目の儀は三郎信長さ
ま」と、表向きに披露され、すべての事が道三のまいた銭のききめと、美濃武者の武
力を背景にして決着をつけた。
(武勇をもって鳴る先殿でさえ、ニ度も攻めこみながら歯の立たなかった美濃衆が、
既に尾張へ三千二百の余も入りこみ、まだどんどん引きもきらず加勢が境目の木曽川
べりまで繰り出しているの)
を見ては、織田の重臣も四郎信行も、もはや何とも手が出せなかったものらしい。
 跡目披露の宴は那古野で催されたが、これには美濃から調略され先に銭を貰った者
共が、進んで自発的に信長を立てた事になっていたから、安東伊賀や物取新五の美濃
衆は遠慮して、表向きには姿を見せなかった。

 さて信長は、父信秀の後を継ぎ跡目にはなれたものの、なにしろ急なことなので肝
心な父の葬儀にまでは、とても手がまわりかね、容喙(ようかい)の余地はなかった。
 そこで葬式の方は最初の予定通り仏式で営まれる事になった。もちろん斎藤道三が
仏信心でなければ、この方もついでにぶち壊しをしてくれたろうが、道三とて京妙覚
寺の坊主上がりだった。
「俺はいやじゃい。坊主(ぼんず)の経などで、親父さまの野辺の送りなどしてみい。
神罰が当る」
 信長は当日になっても孤立無援であくまでも拒んだ。しかし、もはやどうともなら
なかった。
 そこでせっかく領主になったのも忘れたように、こと面倒になったから、また昔み
たいに目立たぬ古布子のままで飛び出し、葬式に出たくないばっかりに馬をかけて逃
げ出してしまった。
 とはいえ、前のように気ままにはゆかなかった。なにしろ警戒するように要所要所
に美濃衆が伏せられていた。だからせっかく逃げ出してきたものの、すぐ見つかって
しまい、
「‥‥喪主の役儀を放棄されるとはお跡目を棄てられるようなもの・・・宗旨違いで抹香
臭いのがいやなら香を掴んで投げられてもよろしい。だから、ひとまずは寺へ行きな
され。でないと、おてまえさまを、せっかく尾張の殿に仕立てられた、吾らが殿斎藤
道三さまの御心尽しが、すべて水の泡ではござりませぬか」安東伊賀の許へ連れ戻さ
れると、そこで懇々と説諭されてしまった。
 だから信長も仕方がないと観念はしたが、それでも
「俺は神信心じゃから寺は好かん。よってこのままの格好で行って、そなたの言うと
おりに焼香とやらにも頭をなんぞぞ下げんぞ。打ちまいて、それで逃げてきたるぞ。
そんでもええか」
 息まいて念押しをした。これには安藤伊賀も、鼻白んだ顔で、すこし呆れ気味に強
情ばりの若者を見据えていたが、仕様がないと思ったのだろう。大きく頷き、
「御意」と言った。
「よっしゃ」とばかり、信長は馬を駆けさせ、葬儀の真っ最中の寺へ遅れて入り込む
と、
「喪主、尾張の当主、織田三郎信長ぞ」と、自分で大声をはりあげ、、連呼しながら
本堂の仏前へすたすた大股で近よると、いきなり鉄碗の香を鷲掴みにして、
「坊主共、これでも食らえっ」とばかり、一度ならずニ度も三度も灰神楽のようにま
き散らし、さっさと引き上げてしまった。
 ----なにしろ今もそうであるが、江戸の元禄期以降は、「この世の中に、神も仏も
ないものか」と近松の浄瑠璃でも語られるように、神仏は一つにされ、混合で祀られ
もして、同じように扱われてだした。
 しかし。まだ信長の頃は、日本土着の神と印度や支那から伝来した仏とは仇敵同志
の間柄だった。
 つまり中世においては互いに異教徒とし憎みあっていたから、後には延暦寺や高野
山も焼いている信長にすれば、不作法というのではなく仕方もないことだった。


投げ瓢箪

 さて、ニ年たって信長が二十歳になった正月。
「年始の祝儀に、馬をひいて差し出せい」
 わざと信長は平手の屋敷へ使いを出した。その馬とは平手の爺の惣領五郎右衛門が、
もう七年越しに飼っている青鹿毛(かげ)の仔の、やはり逸物の評判の高い三歳の鹿
毛の事である。
 といっても何も馬の一頭やニ頭が欲しくて、それで使者をやったわけではない。古
来、「馬を引く」「とか「馬を献ずる」というのは、武門の作法では臣下の礼をとる
事である。
 だから信長が、平手一族に「馬を進上せよ」は(改めて家来になれ)ということだ
った。
 というのは、父信秀の頃には尾張八郡の内六郡までは斬り従え、一時は木曽川向こ
うの犬山城から東は安祥の城まで押さえ、しめて九郡からの旗頭であった。だが、そ
れも今となっては昔話に過ぎなくなっていた。信長の代になると、かねて美濃嫌いで
有名な山口左馬助が駿河の今川義元に、突如としてまず寝返った。
 そして鳴海の城には、己れの伜の九郎二郎を入れ、笠寺と桂山に新しく砦を築き、
そこへ駿河今川方の岡部五郎平や三浦左馬允を篭らせ、まんまとニ郡まであっという
間もなく尾張領は奪われてしまったのである。
 しかも山口は、これに味をしめ、信長を甘く見たのか、中村に新しく城を築き、堂
々とここへ乗り込んで那古野城と向き合って対立した。
 もともと中村という地名は鳴海の近くにも字名があるが、山口の築いたのは、現在
国鉄名古屋駅の裏口一帯の地域である。
 そして熱田の海に面していた信秀のいた古渡城も、この年に今川水軍によって占領
されかけ、信長は自分の手で壊してしまっていた。
 そして次々と奪われてしまって知多郡まで引けば、もはや残りの尾張はわずか三郡
しかなかった。それなのに、その三郡の内の尾州河内郡(今の長島)さえも昨今は一
向宗の服部左京という本願寺派の者が、
「神信心の信長めは、われらの不倶戴天の仇‥‥世にも尊い一向宗の信仰が、この現
世で神頼みの奴ばらに潰されて堪るものか。わが法力もってして彼らを討ち負かすし
か、御仏におつくしする道は他にはあるまい」
と、一向衆信心の僧俗を集め、これを「門徒構え」と称する砦にして、二の江の丘の
東西に築き、ついに河内一郡を押領してしまい、今では近辺の一向門徒も動員して盛
んに武器を備え、今川義元に通じて信長に反抗しだしていた。
 ところが聴くともなしに信長の耳に、
(先代信秀の頃には、その娘に子を産ませ家老職にまでしていた平手政秀が、織田家
中にもいる仏信心の者たちと秘かに語って、今では河内長島の「門徒構え」と気脈を
通じているらしい)
との取り沙汰も伝わってくる始末となった。
「まさかとは思うが、どうじゃろか‥‥そういえば、平手一族は俺が跡目を取ってか
らは、とんと顔出しをしていない」と、疑心暗鬼のたとえはあるが、信長も気にやん
だ。
 なにしろ平手の家は、表向きは日蓮宗となってはいるが、本願寺派の一向衆らしい
事を薄々は信長も知っていたからである。だから、
(‥‥まんざら嘘ではない)その噂に対して、信長としてはすっかり頭を悩ませきっ
ていた。
「なにしろ余人ならいざ知らず、平手一族が俺の母方の血脈とは誰しもが知っとる‥
‥いくら生母死去のあと、疎遠になって不仲とは申せ、その平手党の面々があからさ
まに俺を裏切って、弓を引きくさっては困る。それではまるっきし俺の面目玉がまる
潰れじゃ。なんとか早目に手をうって、はっきり此方へつけておかんけりゃ、弱り目
にたたり目で、俺の格好がようないわい」と思い悩んだ末が、
「この信長の許へ‥‥馬をひいて差し出せい」と改めて仕えよの使者を出す結果にな
ったのである。