1112 謀殺 12

 生れた途端に父の浅井長政を失い、天正十年の六月に、織田一門の大黒柱の伯父の
織田信長を亡くし、翌年には北の庄で、生母の於市御前を亡くし、孤児になった身の
上では、江与には頼ろうにも誰もいなかった。
 だから、そんな立場を見かねたのでもあろう。親を亡くした仔猫を引取ってくれる
ように、織田一族の親類にあたる尾張大野の佐治の家で貰ってくれた。
 数えでもやっと十一歳だったが、嫁入りという恰好で引取られ、式も上げ盃事もし
た。だからでもあろう、夫の与九郎は何日にもわたって幼い江与に変な事をし続けた。
しかし、そんな年頃の小娘が、一人前に扱えるわけはない。しまいには倦かれて後は
放っておかれた。だから江与は、それをよいことにして、侍女立ちと草花摘みしたり、
大野の浜で貝殻拾いに興じていた。
 翌年、大坂表へ来るように使者が来た。姉の初や、茶々も待っているときいて、す
ぐさま旅立ちの仕度をした。佐治の家でも、秀吉の命令には背けもしないから旅行は
許してくれた。
 しかし、大坂へついた途端、また嫁入りじゃと、今度は丹波亀山へやれらた。
盃事は二度目で馴れていたから、初めての羽柴秀勝に、色々とおませな口ぶりで、三
三九度の仕方など教えてやったものである。
 もちろん顔を合わせたのは、盃の時が初めてだったが、従兄妹どうしという気安さ
があったせいもあろう、すんなり、ままごとのように興がって何にあれうちこめた。
 そこで、前夫の、佐治与九郎一成が、何度も試み徒労に終わって止めてしまった事
も、今度は二人で他にする事もなく、倦きずに繰り返して、協力一致して努力をした。
だから、その甲斐があって十二歳の江与も、他の事はできなかったが、どうにか、そ
れだけはできるようになった。
 そんな矢先の事、あの小牧長久手の合戦が起きた。
「‥‥お前様など出陣しゃぁたとて、からっきし、戦にはなんの為にもたちゃぁせん
のになぁ」
と、十四歳の夫の出陣が悲しくて、だだをこねた覚えがある。しかし秀勝は、
「俺が行かんでは‥‥丹波亀山一万の兵を誰が宰領してゆくのかや‥‥考えてもみさ
っせ」
と、夜の床では犬みたいに四つん這いになって、はしゃぎまわる夫が、まるで別人の
ように、よい恰好をみせてくれた。鎧などつけると凛々しくていさましかった。
「好ましい恰好‥‥良い恰好じゃのう」
と、江与『好きだ』と、そんな感じ方を異性に初めてした。
 合戦は無事に終わった。何の手傷もおわんと、十四歳の夫は戻ってきた。江与はほ
っと安心した。だが、幼い夫は、少し後ろめたそうに、
「‥‥汝の前夫の大野城主佐治与九郎が、敵の徳川方に船の算段したとかいうて、叱
られた挙句、追放され闕所になった。おおかた本当のところは、そなたを勝手に召し
上げられた事に腹をたて、不平がましく何かと申し上げたのを、養父の秀吉が腹を立
てられたんじゃろうのう」
と、そっと教えてくれた。
 しかし、前夫といわれても、何の事もなかった与九郎の事なので、江与はただ、
「ふふん」
と言ったきりだった。また、それしかいいようもなかった。なのに十四歳の夫は、
「うぬは情なしの冷たい女ごよのう‥‥」
などと、男どうしのせいか、そんな口をきいたりした。
 その頃、丹波亀山の城へは、「明智光秀の遺臣狩り」という名目で、前田法印父子
が秀吉から廻されてきた。
 法印は「前田玄以」と前は名乗っていて、天正十年六月二日の朝、信長様が爆死さ
れてから二条城へ織田信忠様が入る時になって、
「‥‥その方は僧体ゆえ、道中も無事に通過できよう、よってすぐさま、岐阜へ立ち
戻り、幼い伜の三法師らを頼むぞよ」
と、遺言を仰せつけられたのに、途中で病気になったからといって、一月の余も遅れ
て岐阜城へ辿りついたのを、当時その城に、亡き於市御前や姉の茶々達といた江与は
よく覚えていた。
 が、前田法印は、その咎めもなく、秀吉の代になると、京奉行にまでなった。そし
て、信長様殺しの科人詮議をしていたが、そのうちに父子して丹波亀山の二の丸に移
り住み着いてきた。
 天正十三年のこと、江与はまた秀吉から呼び出された。何事ならんと、取るものも
取りあえず、大坂表へ発足した。すると、到着した途端に、十五歳になったばかりの
夫の秀勝の急死を教えられた。まるで嘘みたいだった。前田玄以が二の丸から本丸に
移って、新城主になったとも聞かされた。
「‥‥そないほお(莫迦)げた事があろうかや。あない元気に手を振って、この身を
見送って下された夫の殿が、たった一日や半日でぽっくりあの世へ旅立たれるなど‥
‥まさか本当とは思えはせぬわいな」
と、江与は嘆き悲しむよりも駄々をこねた。
 しかし太閤殿下の口から直接に、
「今は亡き信長様の忘れ形見の秀勝を失って、わしもがっかりじゃ。不憫なことをし
たのう」
などと泪声を聞かされると、江与は本当に夫は死んだのだと実感がわき、おんおん哭
いてしまったものである。

 が、今になって思えば、夫の羽柴秀勝は故信長様の伜という生れゆえ、当時の秀吉
にとっては邪魔者ゆえ消されてしまった疑いもある。おそらく医師あがりの前田法印
が、その為に前から丹波の城へ来ていて、毒殺した手柄で亀山城主にしてもらったの
でもあろう。
 が、その頃の事を思い出してみれば、秀吉に慰められると気がすんでしまって、そ
こまでは疑いもしなかった覚えである。そこで、江与は、まだ十三歳だった日の己れ
の事を振り返ってみて、
「‥‥あの頃の年頃では、女の愛というものを、まんだ持ち合わせていなかったのか
もしれない」
と考える。侘しくもある。そして、何だか愛のない乾いていた自分が情けなくなって
くる。堪えようもない。
 といって今更、それもどうしようもない。だから、まだ泣き伏している尼体の五徳
に妬ましさをつい感じてしまい、たてた茶碗を差し出しながらも口惜しさに泪ぐんで
みせたりした。
 そして、
(女ごにとって、もし男を慕い、それを懐かしむ事が唯一の生きがいであるならば‥
‥その内に心の臓の病で倒れ、あの世の岡崎三郎信康殿の許へ行かっしゃる、この五
徳は果報者‥‥それに比べて、次々と男の肌で身を温めながら、ろくすっぽ、どの夫
をも愛(めご)しゅうは思えなんだ自分は、なんと憐れな女ごではないか)
と、号泣したいのを江与は必死に堪え、
(うつせみの身の愛がもてなんだ、この身の虚しさは何に譬えようもないものなら
‥‥もはや新たに男を索められる齢でもないゆえ、かくなる上は何はともあれ、己が
産んだ子の国松をもって、竹千代に換え三代徳川将軍家に致そうぞ‥‥よし死んだ家
康めの出自がどうであれ、夫の秀忠が村の鍛冶屋の娘の子であったにせよ‥‥あの国
松は、亡き織田信長様の姪御にあたるこの身が腹から生まれたる由緒も正しき血脈ぞ。
よって、かまえて次の将軍職につけ、国松の手に権勢を握らせてやらずば‥‥何のた
めに、この世に生れてきて、次々と夫を持ち、子を作ってきたのか意味もなや)
と、唇をきっと噛みしめつつ、江与は目頭を指先で押さえながら、自分で自分に言い
聞かせていた。


青い海への展開

 元和六年(1620)九月七日の事である。
畏れ多くも、後水尾帝より、伝奏が勅使として江戸城へ下向され、
「将軍世子元服」を祝う旨の優渥なる御勅書を下し賜り、
「徳川家光」
と改めた竹千代に対し、
「従二位、権大納言」
との位官名のお沙汰を忝のうした。
 なにしろ、これまでの竹千代は無位無官である。それが一足とびに、
「こない高い位や官を授爵されたのは‥‥前代未聞の事である」
と、さかんに大奥で噂された。

「‥‥面白うない」
国松は爪を噛んだ。
 この十五歳の少年は、今度、家光になった竹千代とは昔から仲が悪い。この世の中
で一番嫌いな、虫酸(むしず)のはしる相手なのである。だから、余計に、もう忌々
しくてならなかった。
 なにしろ、どの少年にとってもそうであろうが、同じ年格好の者が、何といっても
子供同志では、これが最大の敵なのである。そして、いつもの事だが、
「だいたい、もともと、こんな筈ではなかった」
と腹をたて、国松は思い出しては憤慨する。
「‥‥忘れもせぬわい」
 国松は思い出すたびに、眼の色を変える。なにしろ、ひょっこりと駿府から、今は
亡き大御所様が出府された。そして、その時から全ての話は逆転してしまったのであ
る。
 当時、国松は十歳だった。だが、昨日の事のように、よく覚えている。そして思い
出すたびに胸がむかむかしてきて吐き気をもよおす。まったくやり切れぬ追憶のせい
なのである。
 それまでの国松は、小麦色の艶をした丸い顔をもつ快活な少年だった。だから誰も
が口を揃えて、
「よいお子様」「すぐれた和子様」
と、城内の女どもはこぞって国松を誉めそやした。
 その賞賛にこたえるべく、少年も自分でも「良い子」であるべく気をくばった。無
頓着そうに装っていても、その名誉を保持するために心をくだいていたような覚えで
ある。つまり、いつも大人の云う事は、自分が目にみえて損をしない限りは「うん」
「うん」と素直にきいてみせた。お行儀や御作法のやかましい江与の方の前に出ても、
国松は決して膝も崩さず端座して畏まっていた。
 だから、みんなに「賢い子」「お利口様」といわれ、そう自分でも思い込み信念を
もってふるまった。つまり明るい元気な子だった筈である。
 ということは裏返せば、「誰からも好かれている」という自信から、それは涌きだ
していたものなのである。つまり安心感が国松の根底にあったのだといえよう。
 その時も竹千代と並んで呼ばれ御対面所へ入った瞬間、一段と高い坐所に座ってい
る萎びた陰鬱な尖った顔をした老人が「大御所様だ」とは判ったが、国松は怖れもし
なかった。なにしろ、
(誰からも好かれているのだ)
という自信が国松にはあったからである。そこで、
「饅頭をつかわそう」
と云われると、何の躊躇もなく、つかつかと前へ進み出たものだ。
(竹千代ずれには下されんでも、自分には大御所様といえども、さだめし好意をもた
れて、まず真っ先に賜るであろう)
という安心感があった。もちろん饅頭などはいつも江与の方から貰っていて、しょっ
ちゅう口にしていたから、左程までにがっついて欲しくもなかったが、遠来の老人が
せっかく、
「くれてつかわす」
と言っているからには、さも欣ばしそうに、とんで行って貰ってやるのが礼儀。
 つまり(良い子としての勤めであろう)と思ったからこそ、さも嬉しそうに黒漆の
高つきの菓子台の側へ行ったものだ。
 もちろん座所というのは畳二畳重ねた分くらいの高さがある。だから国松は、身軽
なところを見せて進ぜようと思えばこそ、敏捷にひょいと上へ跳ね上がった。つまり
褒められるためなのである。
 ところが反対だった。いつもならば、
「これは、これは」
と賞してくれる筈なのに、その時は、あべこべにいきなり、
「‥‥こりゃっ」
と嗄(しわが)れ声で窘(たしな)められてしまった。だから国松がきょとんとし、
あっけらかんな表情で棒立ちになっていると、そこをすかさず、その歯の抜けた大御
所様から、
「わりゃ、なんじゃえ」
と口汚なく面詰されてしまったのだ。しかも、まるでひねた冬の木の枝みたいな枯れ
た腕で、みぞ落ちのあたりをぐんと突かれた。見かけと違って力があった。
「‥‥あっ」
と、たまげた声をあげた時には、のめるように身体が傾(かし)いでいた。辛うじて
爪先で踏みとどまって転げはしなかったが、たたらをふんまえた恰好になって、片足
は上で、もう一本は下という、無様な恰好のままで凧が木の枝に引っ掛ったみたいに
揺れていた。
(醜態である‥‥)
と、いつも行儀のよいのを誉められ、誇りにもしていた国松は狼狽しきった。
 すばやく身体を縮めて畏まって座り直すと、何が何やら判らなかったが、それでも
両手をついて、
「おそれいりまする」
といったような事を、良い子らしく神妙に応えはした。そして国松は、
(こりゃいかなる事になっとるんじゃろ)
と、思いもかけぬ屈辱に慌てふためいた。
 恐る恐る顔を上げるなり上目使いに、父秀忠の、その又父親にあたるという七十四
歳の老人を、掬いあげるような眼差しで国松は、その時眺め直したものである。
 なにしろ、これまでいつも良い子であると思っていた自分が、こんな理不尽な扱い
をされるとは、
(こりゃ‥‥どうも世の中が間違っとる)
と思えて仕方がなかったからである。
 ただ、木や縁側から、もののはずみに落っこちた災難みたいな気がしていた。何と
いっても、他人からそんな叱られ方をした事がないだけに、国松はまさか自分が怒ら
れているなどとは思いはしなかった。うっかり勢いよく駆け上がったから、老人の膝
でも踏んづけてしまったのか、自分の粗相で躓いたぐらいに、その瞬間は思ったぐら
いである。
 きょとんとしたっきりだった。暫くは畏まって座ってはいたが、ぽかんとしていた
記憶がある。だから、もぞもぞした竹千代の方が手招きされて、優しくものを云われ
るのを目の前に見ても、
「ありゃ‥‥おやおや、俺と竹千代を、この爺さまは耄碌して人違いしていなさる」
と思ったくらいである。なにしろ、
(いつも大切に扱われるのは自分なんだ)
という確固たる優位を国松は持ち、竹千代なんかは見下して馬鹿にしていたせいであ
る。
 それなのに、その時から無惨や、それはひっくりかえしになってしまった。
(‥‥良い子と言われてきた自分より、これまでろくでなしと女中どもから軽く扱わ
れていた竹千代が、なんで俄かに豪くなってしまうのか)
と、国松には、この価値判断の狂いが呑み込めなかった。
 しかし、その日からは転がっていく石ころでしかない自分を、国松は見るようにな
っていった。
 ちやほやしてくれた侍女共も掌を返して、皆よそよそしくなってしまったと感じだ
した。
 自分より二つも年上のくせしに背の低い吃りのちびの方が、周囲からちやほやされ
出したのは、まったく云いようもなく国松には不快そのものだった。
「莫迦(ほお)げとる‥‥」
と、国松は昼夜むっつりとして、それからは、ぽつんと「考える葦」になってしまっ
た。なにしろあまりにも急激に周囲が変化してしまったので、国松はついてゆけなか
ったのである。
 ただ、はっきり云える事は、家光に春日局という変てこな女がついているのが、ど
うも、この優劣競争の鍵のようにも見受けられた。冷静に国松が観察を下した結果な
のである。
 そこで対抗上、こちらは春日局に代わるものとして、御台所のところへ入り浸って
国松は、
「ねぇ」「ねぇ」と、あけくれ心を込めて一心不乱に甘えてみた。
 いうなれば、これは捨て猫や迷い犬が、何とかして力になってくれる保護者を見つ
けようと、人間の側へすりよっていって、懸命に頭をなすりつけて甘えるのと同じ様
なものだが、ずうっと大奥の中で育った国松が、まさか、そんな事を知っていて真似
をしたのでもなかろう。
 ただ、きわめて本能的にそうした所作を試みたにすぎない。つまりは心細かったせ
いなのだ。
 しかし、御台所の江与は違う。
「こないにまで慕うてくれるいじらしさ」
と泪にくれた。
 国松も気配を察するとオンオン声をたて、まるで赤子のように江与に取りすがって
泣いてみせた。
 これは、国松にしてみれば、もらい泣きなどといった他動的なものではなく、子供
とはいえ計算してからの事である。なにしろ饅頭の日から竹千代付の女どもが威張り
くさっている。しかし、
「春日局のごときは乳母なんだし、御台所様はもっと豪いんだぞ」
と、国松は比較してから、機嫌をとるために一緒に泣いてもいるのである。が、そこ
は子供の悲しさで、
「なぜ竹千代には乳母といわれる春日局が、ずっと大きくなってもつきっきりで、自
分の乳母は昔はいたろうが、今は暇をとって城中にはいないのか」
という点までは考えが及ばなかった。

 この六月に、末の妹だという事になっている和子が、夥しい荷物仕度を調えて、な
んでも、
「‥‥末には天皇様の嫁様になるのだ」
という事で京へ送られていった。
 だから国松は、
(きっと、そのお返しに自分の許へ、天皇様の皇女様か何かが、お嫁様に来て下され、
それで竹千代めの鼻をあかせよう)
と心頼みをした。
 もう十五歳になっていて、春の目覚めというか、そうした空想を愉しむような年頃
になっていたせいもある。が、こればかりは恥ずかしいような心地がしたから、さす
がに国松も御台所や、おつきの女どもにも相談はしなかった。ただ自分一人で邪念妄
想をしていたにすぎない。
 そのうちに、大奥の女どもが、お局や廊下まで大掃除をし始めた。
(節季でもないのにおかしや‥‥)
と思い国松が、
「なんであるか?」
と、おつきの老女にそれとなく尋ねてみたところ、
「畏きあたりより御勅使様が東下りしてこられまする‥‥じゃによって、あたりを清
め、大掃除など致しますのじゃ」
と教えてくれた。
 あちらからもこちらからも、よくこれだけ溜めてあったと思うくらいに塵芥が出て
きて、女どもは庭先にそれを集めて山にすると、用心のため水桶を並べて焼却しだし
た。
 国松は栗の実を貰って、その中にくべパンパンはじけ出すのを興がって、さも、ま
だ無心のように振舞ってみせていたが、夜ともなって床につくと、そうもしていられ
なくなった。
(なにしろ京より勅使が御差遣というのは、どう考えても妹の和子を送り込んだお返
しに、向こうの姫御寮がこちらへ来る事に違いあるまい)
と思いつめていたからである。
「おりゃ、まんだ一度も経験がないが、嫁取りしたら、どないに致すもんじゃろ」
と、十五歳に国松は夜毎に煩悶した。だいたいのところは、これまで無邪気そうに装
って、女ごどもの話をそ知らぬ顔して小耳に挟んでいたから、まんざら知らぬという
わけでもなかった。
 しかし百聞は一見に如かずとはいうが、耳学問だけでは何とも心許なかった。だか
ら、多分ここが突出しているから、これを用いるのだろうとは想像をたくましゅうし
ながら、
(さて、いかようにして、ここを使うのじゃろか)
と、夜毎そこを掴んで引っぱってみたり、撫ぜまわしてしごいたりしながら、国松は
あれこれと心をくだき悩み抜いた。
 なにしろ掃除にあけくれる女どもを、老女どもが口喧しく見廻って歩いては、
「ちゃんと致さねば‥‥不敬になりましょうぞ」
と口癖にしているのを耳にしているだけに、国松としては、自分もやんごとなき辺り
よりの嫁取りとなれば、
(こりゃあ、ちゃんと致さねば不敬になろうぞ)
そこを上から押さえ心配しきっていたのである。
 が、さて、その勅使下向の日になると、
「女っ気なしで、お公卿様だけである」
と聞かされ、国松は、
(これで婚礼初夜の気遣いだけはなくなった)
と、やれやれと下を撫ぜ下ろしてほっと安心した。
 なにしろ御台所や侍女達に教わって聞くわけにもゆかず、といって稽古台に侍女の
中から選んで、それを試しに用いてみる事は、これまで「良い子」として育ってきて
きた国松の矜持がそれを許さなかった。全くのところ困惑しきっていたせいである。
「‥‥えっ」
話を聞いて、国松は愕然とした。なにしろ、
(竹千代が勅使を迎えて対面している)
と耳にした時は、
(やんごとなき畏れ多いところの高貴な姫様のお輿入れゆえ、前もって勅使と申され
る御使番の衆が、先に首実験に東下りしてこられたのじゃろう)
と考えていた国松は、
(まぁ、男ぶりなら見てくれろ‥‥あの家光よりもこの国松の方が、なんといっても
姿恰好もよいが、顔を見てくれたとても、ぐんと遥かにたちまさっとる)
と、かねて自信があったから、
「‥‥家光め、恥をかきにご対面しとるようなものじゃ。きっと御勅使は『こない男
ではお粗末すぎて、かしこきあたりの姫様には恐れ多い‥‥他に頃合なのはござらぬ
か』と仰せあって、『では弟の方の国松を‥‥これならば人品骨柄まこと卑しからず。
なんせ幼少のみぎりより、良い子としての城内一同の定評もござりますれば』という
ような事になって、自分におはちが廻ってくるは、これは掌を指差す如く決まり切っ
たこと‥‥」
と、やがて自分に呼び出しが来ようものと、国松は暢気にかまえて待ちわびていたの
である。
 なのに、話は「嫁様が来る」事ではなくて、
「家光に従二位の官位と、権大納言の授爵という伝達のための勅使下向」
とわかってきたから、国松はびっくりしてしまった。
「‥‥妹の和子と夥しい嫁入り道具をとっておきながら、又、向こうから嫁入りをさ
せるとなると、それに見合うだけの仕度を送り届けねばなるまいと、吝をなされて、
ただの官位と権大納言という、眼にみえぬようなお返しをなされるのか」
と呆れてしまったが、それも家光の方だけで国松の方には何の沙汰とてもない。そこ
で、ますます、
「口惜しや‥‥あの竹が権大納言ならば、この国松は本物の大納言にしてもろうたと
て、ええではないかえ」
と、国松は思うままの事を並べて、御台所に泣きついてみた。すると江与の方のほう
も同感とみえ、暫く考えておられたが、
「もっともじゃのう‥‥」
とは言ってくれた。だが、それだけの事にすぎなかった。
(御台所様は豪い方ゆえ、なんとかこの身に計っていただけよう)
と、国松は心頼みにした待ちわびた。
 が、年が改まって元倭七年になっても、やはり何という沙汰も出なかった。
無位無冠の侭で十六歳になった国松は、がっかりさせられた。そして、
(こりゃ、事によると、このまま家光めがお世継ぎとして三代将軍家になってしまう
のか)と心配になってきた。
 なにしろ、「嫁取りの不安」は身体の中のごく部分的な個所だったのに比べて、こ
れは全身、いや全霊までも脅かされる問題ではないかと、全くもって国松はいらいら
と焦燥した。
「なんと言っても将軍家というのは、一人っきりである‥‥あの家光めが先にそれに
なってしまったら、この俺は、どういう事になるんじゃろ。こりゃ饅頭どころではな
い」
という不安だった。
 今でこそ、張り合うみたいに対立していても、それですむけれど、もしそうなると、
どうしても、
「俺は、あのちびの家臣という事にされてしまうぞ」
と、すっかり臍を曲げてしまった。
 もともと表面は穏やかに振舞って、口数も少なく、おっとりしたように見せかけを
作っている国松は、いつも妄想の中でだけしか奔放に自分自身を振舞わせはしない癖
がついていたが、それでも
「この国松が、あの家光に『うへえっ』と畏まっている恰好なんか、想像するだけで
虫酸が走るわい」
と、ぐれてしまいたくなった。
 考えてみるまでもない事だが、もともと幼い時から二人は仲が悪かった。それも泣
かせたり苛められたりというのなら、喧嘩両成敗という事もあるが、国松が十歳の時
までは、いつも一方的に勝ち誇っていた。泣かされるのは決まって脅え切った竹千代
という弱虫だったのだ。
 だから、今になって思い出してみれば、国松は自分が直接にしなくとも、女中ども
を使って、相当の厭がらせもしている。それは、まぁ云いかえてみれば、当時は権勢
のあった国松付の侍女どもが、竹千代付の女どもを舐めてかかって、色んな意地悪を
したという事でもある。が、それはそうであっても、もちろん苛められた時などは、
しゃあしゃぁとして、
「国松君様御存じよりの事ではある」
などと言って、その場逃れをしていたらしい。これは国松も薄々は知っていた。だか
ら、それを思い出すと、
「‥‥彼奴は、俺を恨めしく思っている筈だ。きっと癪にさわっているんだ。それな
ら何故その頃の仕返しを早くせんのじゃろ‥‥仇をうってきたらええ。その方が、こ
っちもさっぱりするんじゃが」
と、やっつけられるもんなら早くやられてしまいたいとさえ、いつは国松は思うよう
になった。
 しかし、一向にその萌しなどあらわれてはこなかった。待ちぼうけというか、肩す
かしである。
 何かの時、同じ城内なので、国松は家光と廊下などですれちがう事もある。
互いに単身ではない。後先に中臈やお側付の女どもが五、六人はいつも付き従ってい
る。
 だが、男は、こっちも一人。向こうも一人きりなのである。だから国松は、そんな
時、
「‥‥やるか」
といった目つきで家光の方へ視線を投げかける。もちろん昔と違って、
「やっつけてしまうぞ」
という威嚇の眼差しではない。あべこべである。つまり、
(やっつけれくれるか‥‥殴りたければぶん撲ってくれてもよい。そんで、まぁ前の
事はさっぱりとしよう。水に流して忘れてくれぬかや)
という殊勝な思い入れなのである。
 ところが家光ときたら、従二位になってしまってからは、まるで人間が変わったよ
うに、
(うぬらごときが何じゃえ)
と云わんばかりに、歯牙にもかけぬというか、こちらが振り返ってまで見据えてやる
のに、ろくに一瞥さえも投じようとしない。いつも、つんつんして浅黒い顔をせかせ
か前につきだして、その侭でさっさとすれ違ってしまうのである。
 だから国松にすれば、全く言い様もないくらいに、無気味な感じがしてならない。
なのに御台所ときたら、人の気もしらないで、いつも国松の顔をみるなり、
「‥‥以前の事を根にもって、竹千代付の者共が、そなたに悪戯(てんごう)でもせ
ぬかと、そればかりを案じているが、向こうも成人し、共に大人になったせいなのか、
それとも権大納言などという官名を賜って、それでいい気になって有頂天になりおる
のか‥‥なにも悪役(わやく)したり意地悪な真似もせぬときく、まこと重畳、めで
たい事ではある」
などと顔を綻ばせ、笑いかけたりする。
 国松にすれば、これでは取りつくしまとてない有様であった。