1108 謀殺  8

                家康という男

嫁にてあれど

「えっ‥‥駿府から大御所様が、お出ましになられて、もう、この江戸城へ御到着と
な‥‥なんで、早う言いませぬ。粗相な。」
と、江与は吃驚して声を張り上げた。
(誰もよこすでない)
(何があっても知らせるでない)
と、うるさがって人払いをし、中臈どもでさえ寄せ付けぬように言いつけてあった事
すら、すっかり自分で忘れているくらい慌てふためいた。血相を変えていた。眼尻
(まなじり)もぐっと上へ反り上がって、いつもの癇症を起こしていた。
「申し訳ありませぬ」
と、口答えするわけにもゆかず、召し使いの女共は言葉を濁して手早く詫言をしてか
ら、立ったまま江与を四人がかりで着替えさせ、踏み台にのったのが髪をとかし上げ
た。
 顔だけは自分でないとお気に入らぬゆえ、襟白粉を牡丹刷毛ではくところまでしか
侍女はできない。といって全部着付けがすんでから、また座っては着崩れがする。
 そこで、日当りの具合を加減して、よく映るように鏡筥を捧げるもの、左右に紅盃
や眉筆を持つ者と、みな置き台代りに手をさしのべて、それに化粧道具を並べて、江
与の化粧(おつくり)に手伝いした。
 が、江与は春日局のように京白粉を壁のように塗りたくりはしない。いつも薄く水
でといたのを塗ると、あと、とのこ刷毛で頬を明るく見せるくらいで、口紅も下唇に
だけさすきりである。
 この化粧の仕方は、天正十一年、北の庄の城で爆死した母親の於市御前の見よう見
真似である。ということは、江与も母譲りの美貌で、厚化粧の手間がはぶけるという
事でもあろう。また四十を越していても、鼻筋が通った男顔なので、少し手を入れる
と凛々しくもみえた。

 だが、いつもは手軽な化粧ゆえ、立った侭でさっさとすまして終えるのに、今日は
なぜか肌がむくんでいる。はいだ水白粉がむらになったり、のびが悪くて、思うよう
に皮膚へ乗らなかった。
 口紅も、紅盃の縁を口へあてがってつけ、あとは紅筆でぼかすのだが、これも黒ず
んだような彩りにみえた。だから江与は癇癪をおこして、湯桶を持ってこさせると、
すっかり化粧した顔を拭かせ、また初めからやり直しをした。こんな事は滅多にない
ことである。落ちつかなかった。何か気がそぞろだった。だから、
(はて、何故だろう)
と、自分でも不審に思えるくらいだった。が、
(これは大御所様が来ているせいやもしれぬ)
と思い当たると、自分でもがっかりした。
(この齢になっても、まだ恐れているのかや)
と嫁の身が汲々と情けなくもなった。
 しかし、夫の秀忠は怖くないのに、舅の家康は、もう嫁にきて二十年たっても、何
故怖いのかなどと詮索している暇はない。おっつけ、この大奥へ、もう家康が渡って
くる頃合だからである。
 顔を洗い直させた後、傍らの侍女の指先も借りて、江与はなんとか恰好だけつける
と、頭陀袋を髪の上にかぶせ、その中へ香壷を入れさせた。二度化粧のし直しをして
時間をくっていたせいであろうか、銅の壷は、中の炭火がおこりすぎていて、頭の地
肌が火傷しそうに熱かった。だから、
「止めよ」
と、香を焚きしめるのは打ちきりにさせて、
「行く」
と江与は仏頂面で指図をした。
「‥‥御台様、お出ましえ」
警蹕(けいひつ)が、御廊下ごとに畏まる女どもの口から口へ、鞠が走っていくよう
に伝わった。
「奥之口」の御廊下より「小鳥の間」へ入っていくと、丁度うまく間にあって、向こ
う側の「宇治の間」の方角から大御所がたった今、上御鈴廊下より大奥へお出ましに
なられたところらしく、
「‥‥大御所様、おなり」
と、入れ違いの警蹕が響いていた。
 江与は急いで、御対面所脇の畳廊下から御入側の六枚床の間へ、お出迎えのために
進み出て、そこで平伏して待った。すると、跫音が近寄った。うつむいた侭で数える
と、家康一人ではなかった。夫の秀忠が案内してきているのかと算用したが、二人の
数では足音の刻みが合わなかった。そこで、
(はて、面妖な‥‥)
と息を控えて考え込んでいると、
「こりゃ、御台か‥‥出迎え大儀」
と、早く死ねばよいのに、まだ長生きしている舅の声が、すぐ頭上から落ちてきた。
「はあッ」
と、江与は不意をつかれて泡をくった。
 が、びっくり仰天してしまった。といって何も、家康に声をかけられたぐらいで、
四十三にもなった江与が驚くわけはない。なにしろ、「徳川台記」によれば、この十
年後に彼女は、この世を去るのである。そんなに死ぬのが近くなっている大人の女が、
面食らって驚くには、やはりそれにはそれなりの驚くはっきりした理由があるもので
ある。
 何故、仰天したのか。
顔を上げた途端、そこに能楽の姥面そっくりの春日局の、真っ白な厚壁のような顔を
見たからである。
(どうして、春日局が、家康や夫の秀忠の後から、のこのことこの場へ現れて来おっ
たのかえ‥‥)
全く得体もしれないが、考えている暇もない。つかつか家康が歩んでいくから、江与
も立ち上がって後をついてゆかねばならない。ということは、御台の江与が春日局の
後をついて行かねばならぬ。
(そんな莫迦げたことがあるものか)と、目くじらをたてる。だが、ぴったりくいつ
たように歩いていられては、割り込む余地もない。見かねて、ついてきた中臈が春日
局の袖を引こうとしかけた。だが、江与は狼狽して止めさせた。なまじ、そんな事を
して春日局から声でもかけられでもしたら、よけいに御台所としては立場に窮するだ
けのことである。まぁ、もそっと辛抱したら、ええのじゃと自分で自分で言い聞かせ
るしかない。
 御対面所へ罷り通ると、家康はつかつかと上座についた。
江与は、今度はすぐ秀忠の背後へ誰も割り込みがきかぬくらいの間隔で、ぴったり密
着するように座った。といったところで、何も二十年も連れ添い、今では形ばかりの
女夫でしかない秀忠が愛しさに、小娘のようにへばりついたというわけでもない。た
だ、こういう具合に陣取らねば、恰好がつかなかったからだけである。
 もちろん、春日局がどの辺りに畏まっているか、振り向かないから判りはしない。
だが、もう、この居場所さえ確保しておけば、今更背後を見るまでの事もない、と江
与は考えた。つまり畳廊下での春日局の無作法を、これで見返した、いや成敗してや
った、というような満足感に、初めて江与は自分でもほっとした。
 そこで、心を鎮めた江与は、改めてやれやれした気持ちで、おもむろに顔を上げた。
正面の家康と視線が合った。この五月の大坂夏の御陣では草鞋がけで、真っ先にのり
こんだという話だが、それから二月たらずで、めっきり老い込んでしまっていた。ま
るで別人のような感じさえする。白い毛が、前は銀色にぴかぴかしていたものだが、
光線があたらぬせいもあろうが艶がなく薄汚れて眺められた。しょぼくれた唯の爺む
さい老人にすぎなかった。だから、
(なにも怖がる事はない)
と江与は唾をのんで、自分に言い聞かせたりした。
 ----この年、九ヶ月たらずで、翌元和二年四月十七日に徳川家康は死んでいくのだ
が、そこまで詳しく予知できなくとも、もう、この得体の知れない爺さまも、あまり
先はない。もう寿命じゃなと、久しぶりにみた舅の老衰ぶりの烈しさに、安堵にも似
た溜め息を口の中で江与はかみころす。
 そして、夫の秀忠があらためて、
「ようこそ遠路、おこしなされました。御用ならば、若い手前が参上つかまつりまし
たものを‥‥」
と挨拶する側で、はやり手を揃えて、
「ほんに、よう、わたらせられました」
嫁の立場として、江与も恰好をつけるための言葉を述べる。
もちろん肚の中では、
(この爺さまは冬に死ぬか。暑いうちなのか‥‥それによっては喪服も違ってくるわ
え)
そんな事ばかり江与は勝手に考えている。
「大御所」と呼ばれ、久野別所の久能山に近い駿府城に隠居している老人を、夫の秀
忠や男の家来どもは、みな、まだ怖れをなしているが、女の江与は、その老衰ぶりを
目の当たりに見ては、少しも恐いとか、もう思えなくなっていた。もはや、全くの死
に損ないの田舎の爺さまでしかない。
 どう眺めてみたところで、なぜ先刻まで恐れていたのか、自分でも判らぬくらいで
ある。そして思えば、嫁に来ての二十年間。この老人から厭な事を云われたり、つれ
なくされた事が次々と思い出されて、江与は癪に触ってならなかった。
 普通の家ならば、「嫁いびり」をされた仕返しに、今度は嫁のこっちが「年寄り苛
め」をしてやる番なのである。それが。江戸と駿河と離れて別居しているものだから、
この老人はノホホンと大きな顔をしているのだと、江与は忌々しさにそう考える。
つまり、夫が頭を下げているからこそ、つきあいで御台所として手をついているが、
もはや内心では畏怖どころか、あべこべに江与は、この老衰しきった老人を軽蔑しき
っている。

 ----あれは、嫁いできて魔もない頃じゃった‥‥と、江与は思い出す。
「どうじゃ、まだ十七の新郎では、そなたのような三度も四度も嫁入りしてきた千軍
万馬の剛の者には堪えがたろう‥‥なんなら、この家康が伽してつかわそう」
と、あの老人は確か二十年前にはっきり言った。
 とかく女は、そういう事だけはいたって覚えのよいもので、まだ耳朶のふちに、昨
日聞かされた声のごとく、忍ぶ草の篭釣瓶のように釣り下がっている。
 口にした男の方は、その場の考えなしの戯れ言。いうなれば、ものの弾みの冗談
(てんごう)かもしれぬ。だが、女は、だからといってそうはみないものである。
 つまり、女というものは、どんな場合でも男を二つにしか分けて考えない習慣があ
る。自分の身体を狙って、そこへもぐりこみたがる様な男。そして、そういう事とは、
まるっきり関係なさそうな型との二種類に、女は頭ではなく腹の下の方で、これを分
けて、はっきり前もって区別してしまう。そして、その上で用心して、つきあったり
眺めたりするものである。
 ところが男は違うらしい。ともすると女のそこを大切な秘め所のようにも勘違いす
るのか、女ごの顔を見るなり、まず、そこの具合などを考えたがる者が多い。しかし、
女自身にとって、そこは煩わしい個所であり、毎月決まったものの他に、後尻と違っ
て締まりが悪いから、尾篭なおりものもして難儀することも多い。だから顔型が眉目
(みめ)よいと、自惚れて鏡を見たり、水桶に写してみて己れの貌に見とれる女はい
ても、まさか、そこの恰好がよかろうか、具合はいかがかと広げて覗きこむ者はいな
い。
 つまり、女にとって、そこは格別己れとしては誇らしく思えたり、自慢げに他人に
見せびらかすような個所ではない。だからこそ、どうしても、女ごに対してそこの話
をしたり、それを所望するような者は誰しも、女は軽蔑したくなる感情を密かに持っ
ている。
 だからして、平静に安心して付き合える男と、そうでない型との二つに、女は分け
てしまうものだから、舅とはいえ、そんな軽口を叩いた事のある家康は、江与の眼か
らすれば唾棄すべき下らぬ男であり、その反面、油断のならぬ恐ろしい相手だという
観点もなりたってくるのである。
 世間では、「男の世界で尊敬される豪い男」というのがいるが、そんなものは、女
の世界ではまるっきり信用しないものである。
 いくら家康が、戦功者であろうと、大坂城を滅ぼして天下を握ったにせよ、そんな
ことは江与にとっては直接には何の関係もない。だから感心したり尊敬する事でもな
い。、
 ----あの時、私はもう大人だったから、にこやかに笑ってしまい、
「お戯れを‥‥」
と逃げてしまったが、もし世間知らずの小娘だったら、どうだったであろうか。単に
口先だけの冗談で済んでいたであろうか。言い出したきりで、あの家康はそれで許し
ていたろうか。
とは、折りにふれて時々は考える。そう思うたびに感じる生理的な不快さは言い様も
ない。
 なにしろ、最初の夫の佐治与九郎もとうに死んでいて、もはや思い出す事もない。
次の夫の羽柴秀勝は、きかん坊の腕白だったというだけで、これとて死んでいて今と
なっては顔さえ瞼に浮かびはしない。よほど、ゆっくり思い出したにしても、輪郭ぐ
らいしか覚えは残っていない。
 次の九条道房。これは厭な奴だった。しつこくて吝で、妻の言うことをきかぬ男の
屑だった。だから追憶は、いつも嘔吐をもよおす。しかし、幸いこれも死んでいて、
もういなくなっている。
 次の四番目の夫は今の秀忠だが、現にすぐ横に座っている。だからこれは仕方がな
い。とはいえ、己れの身体であっても、当人は覗き見さえしたこともない個所へ潜り
こんだ不届き者は、罰があたって秀忠以外はみな死に絶えているのに、かつて入り込
みかけようとしたのが、まだ一人この世に生き残っている。ということは、当の江与
にとってみれば、まこと目障り以外の何ものでもない。
 だから、江与は形だけは畏まって両手をつき、恭しい態度をとっていたが、
(早う死んでしまえ)
(見るも眼の汚れじゃ)
(なにが、大御所様じゃ‥‥男どもの世界では威張っておれても、女ごのこっちの眼
には下らん詰まらん男ではないかえ)
(何をしに、箱根の山を越え、東下りしてきたか知らんが、この江与はちいとも恐く
はないぞや。ほんに、いやらしい爺め)
と、肚の中では罵りと蔑みで、ぶつぶつ声は出さずだが、一人で呟いていた。
 なにしろ、秀忠が老臣どもの口写しをその侭に、長々と家康にあれこれとなし、こ
ちらの江戸表の報告をしていたから、江与は除け者にされた恰好で、すっかり退屈し
きっていたせいである。

「竹と国を呼べ」
秀忠から江戸表の事を色々聞かされて、「フン」「フン」と耳を傾けていたが、一休
みという事になって、茶菓子が運ばれてくるなり、やにわに家康はそんな言い方をし
た。そして、
「この饅頭はうまそうじゃ。童(わっぱ)どもにくれてやらす」
と、人の良い温顔をみせた。江与は、
(この舅は潮吹(ひょっとこ)とおかめの面を裏表にかけて、京の三条河原で見世物
に出ている一人踊りのように、時々、陰湿な暗い表情と、好々爺のような笑顔を、く
るっくるっと分けて見せる‥‥まこと、得体の知れぬお人じゃわいな)
とは思う。
 が、その反面、
(まさか、こないな年寄りに、もう何ができようぞ)
という下地が心にあるから、格別気にもとめんと、
「誰ぞある‥‥竹と国を、ここへ連れてきやるがよい」
と振り向きもせず言った。もちろん、自分のこの一言で、これから先とんでもない事
になってゆく、などとは思いもしなかった。江与の方には、それだけの読みはできな
かった。
 もし、この時、春日局が前面にいたならば、なんぼなんでも見当もついたであろう。
しかし、眼前の家康と向き合って、ただ過ぎ去った昔の事ばかり、じくりじくり考え
こんでいた江与の方は、すっかり背後に控えている春日局を失念していた。取り返し
もつかぬ事だった。だから後になって、
(あの時、誰ぞ心きいた者をやって、まだ子供の竹千代の首をしめるなり、心の臓を
一突きにして始末しておけばよかったに‥‥)
とは、生涯、悔いて、悔いつくした事だが、その時は何も気づかずだった。
 無関心といえば、やはり後年、駿河遠江五十五万石の太守になりながら、「駿河大
納言忠長卿乱心」という、でっちあげで上州高崎へ押し込められ、竹千代に殺される
事になる国松も、てんで何も予知できぬ無邪気な顔で、加害者になる予定の竹千代と
手をつないで、
「参上」
と小さな口をあけて、侍女に導かれ、御対面所の坐所へ入ってきた。
 そして、十二歳と十歳の二人の少年は、ぎこちない座り方で畏まって両手をついて
挨拶をした。
「お、おう、健やかで‥‥賢うて、良い子じゃのう」
と、家康は眼を細くして言った。そして、
「‥‥こ、こっちゃ来う。饅頭をとらせる」
と、黒漆高台の足付を前によりよせ、少し吃りながら二人に声をかけた。罠だった。
 なにしろ、餌で釣られるのは、どんな場合でも仕掛けた落とし穴が待っているもの
である。そして、それに引っ掛ったら命とりになるのを、まだ十歳の国松は知らずだ
った。子供だから饅頭にだけ心を奪われていた。つかつかと進んで行った。
 江与の方とて気づかずだった。今まさに国松が、その罠に自分からかかりに行こう
とするのに、露ほどの疑念も抱かず、ただにこにことして、その後姿を無心に見守っ
ていたほどである。虫の知らせさえもしなかった。


饅頭への意識

 後に「徳川家光」となる少年は、その日の事を生涯忘れない。
生まれつきなのか、吃る癖が少しあって、あまり他人とは口もききたがらぬ彼に比べ、
異母弟の国松は二つ年下だが、人づきがよくて、弁巧も達者だったから誰もが、「利
発」という、「賢しげな」と取り沙汰をする。少年の眼からみても、弟の国松はそう
見える。だから、本当だろうと思う。
 という事は、自分は賢そうでなく利発でないという意味にもなるが、そこまでは考
えていない。しかし二人並ぶとたしかに気後れはする。劣等感というものであろうか。
何かしら意識させられるものがある。
 もちろん、その時も、饅頭ほしさに駆け寄ったが、機敏な国松に先を越されていた。
だから少年は黒漆の菓子器ごと、すっかり先着の国松のものになってしまうと、上段
の間にとび上がった後姿を見た途端、もう諦めてしまった。
(どうせ、俺なんか何をしたって、国松にはかなわないんだ)
と、あっさり饅頭を断念してしまった。食べたいと思う心持ちより、もう、どうでも
いいといった投げやりな気分の方が強くなっていた。
 そのくせ、ワアッと泣き出したいような、もどかしさもあったし、卵の白身で艶出
しをした饅頭の白さに遠く眼を射られ、
(一つ、いや半分だけでも分けてもらえぬものか)
と、そんな心頼みさえもした。
 そして、駆け出しかけたところで、宙に浮いてしまったような自分の身体をもてあ
まし、今更もとのところへ戻って座る事もならず、棒のように立っていた。
 するとである。家康がそんな少年に向かって、大きなしゃがれ声で、
「‥‥竹千代君。これへ」
と手招きをした。
 だから、遅れかけた自分にも貰えるのかと、急に元気になった。少年は上段の間へ
近寄った。すると、
「此方へ‥‥」
と、座るように指さされた。
 そこで、犬ではないが、「おすわり」をしたらくれるのか、おっかないとは思った
が、その家康の脇へ、ちょこなんと座った。なんなら「お頂戴」をしに片手を出そう
としたところ、向きが変わって反対になったから、将軍家や御台所が眼下に並んでい
るのと眼が合った。そこで、これには少年はびっくしして、あわててうつむいてしま
った。
 しかし、もぞもぞ音がした。そこで、少年は、伏し目がちに覗いた。そうしたとこ
ろ、少年が家康の左側に座ったから、利口な国松は見当をつけ、自分は右側に座ろう
としていた。
 だから、その様子を盗み見ながら、少年は、
(これなら、饅頭は半分ずつ位の割りで分けてもらえよう。七個あるから、まぁ、三
個はこちらにも貰えようか)
と算段した。そして、口の中に唾をためながら、滅多に食べられない砂糖味の餡を空
想で先に味わっていた。そしてただもう、それに夢中になっていた。だから、国松が
家康に何か言われて一段高い坐所から下へおろされたのも聞いていなかった。
 やがて、家康の青黒い静脈の浮いた上に茶っぽいしみのついた指先が、自分の方へ
とのびてきた。だから、てっきり分配が始まり自分へもくれるものと少年は喜んだ。
 しかし、饅頭の方ではなかった。ただ、家康は口だけ動かしていた。
「‥‥よいか国松。こちらの竹千代君は、やがては徳川家の三代将軍ともなる身上じ
ゃ。いくら幼少とは申せ、いずれその方は、その家臣とは相なる分際。そこを弁えん
と同席などせんとするは、これはもっての外のはしたなき振舞いぞ。これからもある
こと、ようく慎めや」
と、べそをかいている国松を叱っていた。
 歯が抜けている家康の言葉は馴れていない者には聞き取りにくい。まして饅頭に心
を奪われて、気もそぞろの少年の耳には、
(早く駆け上がってきてはしたない。口いやしいことである)
とで多分言われているのだろうぐらいに思えた。だから少年は、
(俺は愚図だから遅れたが、それがよかったのか)
と、ほっとした。
「さぁ、た、竹千代君。饅頭じゃ」
と、今度は、ようやく待望の菓子器を、そのままくれた。しかし、うっかり早く手を
出して、国松と同じ様に「口いやしい」と下へ落されては損をするから、
(待てよ。慌てるでない)
と自分に言いきかせて、手を出したいのを堪えた。
「よし、よし、さ、さすがは三代将軍家の貫禄じゃ。おっとりしておる」
 そんな言い方で、まるでやつでの枯葉を裏返したような、盛り上がった筋としみの
浮いた掌で、頭を撫ぜられた。
 少年は気味悪さに首を縮めたが、さては、もう食べてもよいのかと、おそるおそる
饅頭の山に手をのばした。すると家康は、
「‥‥国松にくれてやりなさるのか。そ、そのように家臣というものは慈しんで可愛
がってやらねばなるまい‥‥これ国松。有難くいただくがよいぞ」
と、ゆっくり判るように言った。
 せっかく口をあけて、自分の唇のところまで持っていきかけの饅頭を、少年はしか
たなく、手を出した国松にくれてしまった。惜しかった。
 だが、向こうは向こうで、
(残りの六個をどうする。独り占めにしてみい。後で承知せんぞ。泣かしてやるぞ)
と言わんばかりの恨めしい目つきをひからせていた。そこで、
(この侭では難儀する。後で困るから、いっそ、この饅頭を早いとこ、ここで食べて
しまおうかい)
と少年は少年んで往生して、国松に苛められるのを惧れ、思案にあぐねている矢先、
向かい側の方では肝腎な饅頭には関係なしに、
「この度の御出府は、さては跡目決着のために、わざわざお越しなされましたか‥‥
御指示通りに竹千代をもって、徳川家三代将軍の職を譲る事と致しまするでござりま
す」
と、秀忠が畏まって云うと、居並ぶ御台所や春日局もいっせいに両手をついて、
「はあっ」
と、皆そろって、帚で掃かれでもしたように頭を下げてしまった。
(しめた)
と少年は思った。この隙である。急いで少年は饅頭の一個を鷲掴みにとるなり、半分
かじって、あとは素早く呑みこんだ。そして眼前の大人達が、まだ頭を下げているの
を見てとると、二つめの饅頭をねじ込むように口中へ放りこんだ。とても噛んでいる
余裕などはない。これも続けて、ぐうっと息を止めて呑み下した。
 むせっぽくて咽喉につかえそうで、息苦しかった。ただ甘みが微かに舌の上に残っ
たきりで、食したような気はとてもしなかった。だが少年は夢中だった。
 皆が頭を上げた時は、少年は唇をこすって何食わぬ顔をしていた。だが国松だけは
眼顔で、
(早いとこ、やりおったな)
と、言わんばかりに、四個になった黒漆の菓子器の饅頭と少年の口許を交互にじっと
睨みつけていた。恨めしそうだった。
 そこで少年は気になって、大人の中でも、
(自分が饅頭を今頬張ったのを見咎めた者がいようか)
と、一人ずとを眺め廻してみた。というのは、頭を上げた大人は、みな誰もが怪訝そ
うな、そして呆気にとられたような表情さえも見せていたからである。
(こちらは無我夢中だったが、どうも見られたらしい)
と、少年は勘ぐり、
(もし、後で文句をつけられたらいかがしようぞ)
とも心配になってきたせいでもある。
 ところが、一人だけ、妙ちきりんな顔をせずあべこべに、にこにこしている顔があ
った。誰かとみると、それは、あのおっかない春日局なのである。
 人の腹を懐刀でサアッと一筆書きするみたいな殴りようで、たとえ上面の薄皮だけ
でも切ってしまった事もある恐ろしい女である。これまで大嫌いな奴で、顔を見るの
も恐ろしかった筈だが、今は違う。にこにこしてこちらを見ている顔と向き合うと、
なんだか唯一の味方のような気がしてきた。少年も思わず、それにニコッと微笑み返
した。何故かというと、少年には少年の魂胆があった。
 この侭では残りの四個の饅頭を、どうも国松に横取りされそうで危なっかしくて心
配だったが、春日局さえ味方にしておけば、強い女だから無事に自分の居間まで届け
てくれるか。さもなくば自分を護衛して、一緒についていってくれよう。それなら大
丈夫だろうと、心頼みができ安堵したからなのである。
 ----この日は、後になって振り返れば、少年が「三代将軍家光」と決まった生涯の
栄えの時でもあったろうが、それは、そうした見方をすればの事であって、その時の
少年にとってはそうではなかった。ただ、己れの居間へ戻ってから、四個の饅頭を一
人でゆっくり食す事のできた最良の日としか、記憶に残っていない。
 えてして、人間は頭脳より胃袋や舌の方が物覚えはよいものなのである。
というのも、なにしろ国松の方は、砂糖入りの饅頭など御台所からももらって、よく
食していただろうが、少年は差別されて、それまでは年に一度か二度しか貰っていな
いせいである。堂々と一度に四つも並べて喰えたような、そんな幸運な日はこれが初
めてであった。つまり、
(自分の思うようになった)
という喜びを、汲々と舌の先から胃袋にまで満足できたのは、臍の緒を切ってから、
開闢以来の、たった一度の喜びだったから、後になるまで、これをいつまでも忘れず
にいたのだともいえよう。

 つまり少年は、この日まで、たとえ侍女達からは、「竹千代君っ」「竹千代様っ」
と呼ばれていたにせよ、あまり実質的にはそんなに大切にされたり、厚遇されていた
覚えなど、まるっきりなかったのである。
 付き従っている腰元や侍女達は、自分達が竹千代付であるということを、まるで、
「損をしている」「貧乏くじを引き当てた」
といったような感じでいたから、それへのしっぺ返しみたいに、鬱憤のはらいせみた
いに少年に対して冷たい素振りを見せていた。
 なにしろ、大奥の権勢を握る御台所の江与の方の方が、国松の方を可愛がって立て
ているのは周知の事だったから、女共にしてみれば、
(国松様が三代の将軍家になられることは目にみえている。すりゃ、国松君付の女衆
は、御幼少の頃よりの御側役ということで、やがては次々と立身できて、身の果報を
得られる事にもなろう。それにひきかえ、竹千代様付に廻された我らは、せっかく御
奉公したのに、これでは芽が出るどころか、やがてはお払い箱になるか、もしそうで
なくとも、運の開ける道はなく、生涯下積みのままで、あたら朽ち果ててゆくのだろ
う‥‥なんたる不運であろうか)
と、目先の判断から、
(これというのも、竹千代様が生来、すこし鈍にわたせられ、向こうの国松君に、ど
うしても見劣りなされるせいじゃ。ああ恨めしや、憎らしや)
というような心地になっていたものだから、名目は竹千代の御側衆であっても、よか
れと尽してくれるどころではない。
(困ったお子様やのう)
という下地が女達にあるから、どうしても疎略になる。それに女のことなので、当人
達は左程までには感じて意識的にやっているのでなくとも、扱われる家光にとっては、
まるで年中眼を光らせて見張りをされているようだし、ともすれば、箸の上げ下ろし
に叱言を云われているような、そんな辛気くさい覚えだったのである。
 なにしろ、犬の仔にしろ子猫にしろ、飼われているからには、誰か一人くらいは、
その家の中で慈しんでくれたり、そっと庇ってくれる者がいるものだが、これまで少
年をそういう具合に取り扱ってくれた者は周囲にいなかった。ぽつんと孤立したまま、
誰に甘えるでもなく良くされるでもなく育ってきた。おそらく面と向かってにこっと
微笑んでくれたのは、今日の春日局が初めてだったような気がする。
 だから少年は、かつて腹に刃をあてられ、たとえ浅手とはいえ、すかあっと斬り裂
かれた恐怖の記憶も、その笑顔を見せてくれた感激で、一変に吹っ飛んで消えてしま
ったのである。