1048 江戸侠客伝 14

血と焔の殴りこみ

「あッ」声をだしたのと、耳の中へ、
「ダダン」銃声がしたのと殆ど一緒だった。
「しまった」加助が眼をこすった時には、赤い服の兵隊が廻りをとりかこんでいた。
「おう起きろ」
 まだうつ伏さったままの佐市をつくと、
「カラーイ(あきれた)」
 酔ってその下で寝ていたメリーが、もう眼をさましてスカートをめくり、下着をひ
っぱり出しては破っていた。
「何してる」と覗きこむと、メリーはちぎった布を加助に手渡し、ウイスキーの瓶の
口へさしこむように手真似でしめした。
 佐市も腹ばったままで手をだすと、一緒に瓶の栓をぬいて詰めかえた。
 子分の連中も柱の蔭へ入ったり、羽目板の脇へひっこんで、ウイスキーの箱をひっ
ぱってくるなり、片っ端から詰替えをした。
「ムイ・ビエン(もう良くってよ)」
 メリーはマッチを取り出してシュッと火をつけるなり、布栓に点火した。
 日本の酒と違って此方のウイスキーは度が強いから、みる間に青い焔がボオっとつ
く。すると、その焔を次々と箱の瓶に移しおえると、
「シー(いいわよ)」
 メリーが合図した。そこで加助も佐市も、子分達も、てんでに焔のもえる瓶をもっ
て、
「ヤーホー」とばかり飛び出すと、
「エスタ・ビエン(これでもくらえ)」
とばかり投げつけた。瓶は弾けとぶと火の玉になって勢いよく転げ廻った。
 思いがけない奇襲にあった赤服の兵隊は、
「ヒエイッ」と隊列をくずして逃げだした。
 佐市は長脇差をひっこ抜くと大上段にふりかぶり、子分たちには手に手に銃をもた
せ、
「それッ」と駆けだしていった。
 加助も負けてはいられないから、
「叩っ斬るぞ」「国定一家の腕をみせるぞ」
 大声でよばわりながら、くいこむ程にしめつけた脚絆の足先で砂をけりあげつつ、
「こら待て」と追いかけてゆく。
 ところが突如として、
「ベディール(助けて)」
と悲鳴がする。
 はっとして火焔銃の転がった炎の彼方を透かしてみれが、南京の陳が弁髪をつかま
れ、今や赤服兵の鉄砲の台尻で脳天を割られかけんとする寸前。そこで加助は、
「おのれッ」刀をつきだし、そのまま泳ぐようにかけてゆくと、
「フロイビール(やめろ)」
 いつも赤服のカーニー軍の兵士から、賭場荒しをされる時に聞かされている一つ覚
えのスペイン語で叫ぶなり、
「たあッ」と、まるで海へ身投げでもする恰好で、刃をたてたまま飛びこんだ。
 すると、向こうもすかさず身構えるなり、
「トーント(ばかめッ)」
 銃をもち直し引金に手をかけようとした。
 が一瞬早く、加助の切っ先が向こうの肋骨と肋骨の間にグサッと突きたっていた。
だからドカーンと鼓膜を叩き破るくらい轟音はしたが、空へ向けて発射したらしく、
「エスペラール(待て)」とかなんとか、未練たらしく口にしていたが、日本刀を胸
を差し込んだまま仰向けにひっくり返った。
 しかし佐市の方はメリーを庇っているから思うようには進めないとみえ、燃えさか
るウイスキーの青い人魂みたいな焔の中で、
「こんな唐変木に負けるこっちゃねえ」
 大きな声でまくしたてていたが、仁王だちの恰好で途中で立ち止まってしまい、そ
の侭では、なんともならないと見てとったか、
「おう、おめえら、このメリーさんをリチモンドへ送ってきな」
と周りの子分に云いつけるなり佐市は、
「兄い‥‥国定一家の晴れの殴り込みだ」
と、相手の胸に突き刺した刀を、足で踏んづけて引っ張っている加助に声かけてから、
「てやあ、がんでい」
 とびくる弾丸をものともせず、すぱあっと駆けより近寄ってきた赤服の兵隊を、
「二つになれッ」
とばかり肩口からひと息に切りさげた。
 が、そのとき。
 一緒についてきたジャマイカの熊が、やられたとも云わず、キリキリ舞いをして、
ズッテンドウと眼前にぶっ倒れた。
「畜生ッ、さっきは当家の朱が脳天に鉛玉をうちこまれ、石榴みたいになって、ひっ
くり返って殺されたが、またもやられたか」
 二人は顔を見合わせ暗然とした。なにしろ不意を襲われ、しかも酔っ払って寝込ん
でいたところを襲撃されたので、思ったより被害はひどく、振り返ってみたところで
は、三々五々倒れているのは、どれもこっちの子分ばかりである。だから、
「こん畜生め、目色や毛色は違っていても、盃をやったからにゃ国定一家だ。なのに、
むざむざ、やつらに殺られちまっちゃあ、死んだ忠治親分に申訳もねえ」
「うん、そうとも、撃ち殺された子分どもが成仏できるように、こうなったら死なば
諸共つきこむしかあるまい」
 きっとして二人ともうなずきあった。
 そして手にべったり滲みこんだ血糊をこすって、砂をつけ長脇差を持ち直し、
「兄い、ゆこうか」身体を屈めたまま佐市はいった。加助もうずくまったまま縄襷を
きつく引っ張って締め直すと、
「うん、流れ流れてメリケン三界‥‥えれえ所で土になっちまうんだなあ」
 思わず愚痴っぽく唸ったが、鼻っつらをこすりあげると、ひとつ、
「えへん」と咳払いして気張ってから、
「じゃあ、生まれてきた時ゃ別っこでも、死ぬ時は一つとお云いなすった国定忠治親
分のお言葉通り‥‥」
 身構えるなりニヤリとした。耳の脇や頭の上をかすめて、ビュンビュン弾丸はとん
できたが、二人とも、それをせせら笑って、
「構ったこっちゃねえ」
 腰を屈めたままで長脇差を振りまわし、
「ウワアッ」とばかり駆けこんでいった。そして、
「ハハア、又も出ました三角野郎が、四角四面の櫓の上で、音頭とるとは恐れながら、
国のなまりや言葉の違い、許しなされば文句にかかるが、オオイサネ」の二人の歌声
が、つんざく銃声の中へ包みこいまれ、そして吸い込まれていった。

 ----南軍がアポマトックスで降伏して、慶応元年には南北戦争も終った。
 かつては準州にも加えられなかったカリフォルニアも、そこでアメリカ合衆国の一
州になった。サンフランシスコは西部第一の都会と変った。
「1861年の暴動」とよばれるこの事件のときに、無惨にも銃火で倒された死傷者
が多かったから、改めてアメリカはマドリッドへ談判の使者を送った。だが埒があか
なかった。
 ところが1898年2月15日。
 ハヴァナへ派遣されていたアメリカ巡洋艦メイン号が爆発。乗組員多数が死亡とい
う惨事がおきた。
 そこでアメリカは4月19日、
「アラモ砦を忘れるな」
「サンフランシスコを忘れるな」とばかり、スペインに宣戦を布告した。ルーズヴェ
ルトの率いる海軍はサンチャゴ湾でスペイン艦隊をたたき、マニラ湾でも海戦に勝っ
た。
 陸軍もキューバ島に農園をもっているアメリカ人の利益を守るために、一万七千の
派兵をして占領した。スペインは降伏した。
 そこで晴れてアメリカ連邦の一州となっていたサンフランシスコも、その戦勝パー
ティーがリチモンドの丘で催すことになった。

 さて、パーティの席上でかっての、戦争中に赤服と戦った人々の武勇談の花がさい
た。
 だからメリーも、去りし日をしのび、
「クニサダ一家というサイチや、カスケという男たちがいて‥‥」と当時のことを話
しだした。
 彼らが火焔瓶を投げつけながら、群がる敵兵の中へ突進していった勇ましかった最
期を、一所懸命にものがたったのである。しかしパーティに集った人々は、
「へえ‥‥」とか「ほう」ぐらいは、メリーのために相槌をうってくれたが、誰ひと
りとして彼らの壮絶な死を覚えている者は、もう一人もいなかった。そこでいくらメ
リーが、
「ワンダフルだった」口を酸っぱくしても、みんな素知らぬ顔をして、しまいにはメ
リーの側からも離れていってしまった。
 ----洋の東西を問わず、やくざの末路というのは何処でもみな同じようなものらし
く、所詮むなしくはかないもののようである。
 アメリカで刊行されている邦字紙羅府日報のK氏の説では、下の二字が入れかわっ
て(カイチとサスケが正しいというのだが)つまり名さえも今では明らかにはなって
いないのである。


アメリカで埋もれた歴史

 各人種の集合体のアメリカゆえ、幕末に日本から渡ったのは、国定一家の残党だけ
でなく、「アパッチのジェロニモは日本のサムライ」といった伝承もある。初めは噴
飯ものと思ったが、一年余り向こうへ行って調べてみたら、青葉くずれとよばれた田
宮如雲に追われた一人らしく、<海外武勇伝>にまとめておいたが、女人のお〓の事
は<幕末女唄>にかいた。[〓は印刷不鮮明により判読不可]


何故に書いたかといえば‥‥ 八切止夫

 これまで<清水港に枯葉が舞った>と、甲州やくざを扱った<任侠意外史>をかき、
ついで本書を三部作として纏めたのは、本姓の上にヤがつくせいか幼い時に友達から、
「ヤーコウ」とよばれたのが、一般にヤー公といわれたり、ヤァさまと呼ばれるのは
普通ではないのに気づいたからである。山田、山崎と多いヤのつく姓だが、推理小説
などよむと初めは怪しくなくとも、最後には決ってヤ印が真犯人になっている。新聞
の三面記事をみても、弥とか矢と当て字は違っても、容疑者にされているのは決って
いる。そこで不思議になり、
「何故でしょう‥‥」と今はなき加藤武雄先生に尋ねたことがある。すると先生は笑
って、
「ヤの屑がヤクザになる」と教えてくれた。言われて調べてみれば、山岡鉄舟と仲の
良かった清水次郎長も、山本長五郎だし、祐天仙之助も山本。弾左衛門も矢野内記だ
し、山田浅右ら手代衆も、近藤勇と甲州攻めに参加した花川戸助六も柳田助之丞だし、
吉原溜支配も谷村四郎兵衛と、みな言い合せたようにヤが姓の上につく。仏教が日本
輸入されたとき防ごうとして戦ったヤの衆の砦が、ヤシロとのちにはよばれるが、官
製保護の大社ではなく、村のはずれにある八幡さま。
 ヤワタとよぶのが本当らしく。ヤワタの薮知らずとよばれる竹の茂った処にある祠
なみだが、ここで真竹で矢を作り弓をこしらえ、私共の祖先は戦ったらしい。後には
騎馬民族と一緒になり彼らの白頭山崇拝に同化され、白山信徒ともなるが、本当はそ
れ以前の渡洋南方系のアラブ種でマレーシアかららしい。というのは、
「ヤー」とか「ヤマァ」というのはアラブ語の海神。そのせいか山本権兵衛とか五十
六といった名将はいたが陸軍にはいなかった。つまりヤのつく私の血が、今まで誤っ
た解明しかされていなかったヤクザの歴史を、ここまでかかせたともいえよう。
(強きをくじき弱きを助ける‥‥)といっても実際には誰も出来はしない。だから侠
客とはアイドルであってそれでよいのだろう。私は八の歴史、ヤの過去を追ってみた
かったのである。


了