1047 江戸侠客伝 13

江戸ッ子 上州ッ子

「男だ、やろうぜ」「よしきた兄い」
 二人は腰の脇差をひねって目釘をぬらし、とんでくる弾丸をものともせず、つかつ
かと馬の側までゆくとまず加助が日本語で、
「お控えなすって‥‥」
 三度笠を地面において仁義をきった。
 佐市の方も、近寄ってゆくなり、すこしは言葉ができるから、
「ノソートロス(俺っち二人は)」と自分たちを指さし、次は訳すのが難しいから、
「国定忠治は鬼より恐い、にこっと笑えば人を斬る‥‥いいか、おれたちゃあ、その
子分だぞお」
と、なまの日本語でやってから、
(俺たちも忠治親分と同じだぞ)
ニコニコっとわからせようと笑ってみせた。
 なのに相手は血のめぐりが悪いのか、
「ノーエンティエンド(わからん)」
と首をふりつつ、屋根の上から撃ってくるやつは、もんどりうって一発のもとに落下
させ、馬柵の蔭から狙ってくるのには、壁へ撃ちこんだ弾丸をはね返らすという器用
な真似をやってのけ、右に左に射ちまくって倒していた。
 が、そのうちに馬の繋がれていた柵が流れ玉に当たったので、驚いた馬が棒だちに
なったまま、
「ヒヒイン」と此方へとんできた。
 佐市は馬方の伜で子供の時から扱い方に馴れているものだから、両手をひろげ、
「ドオ、ドオ」とよばわって近寄ると、うまいことその暴れ馬をしずめた。
 ところが、此方がニコニコしているのは、
(ニッコリ笑って人を斬る国定一家のJISマーク)とは知らぬ荒くれどもは、それ
を好意の微笑とでもとったのだろう。そこで佐市が引っ張ってくる馬に、
(自分が鞍の上で抱えているメリーを移すように)と、手招きで加助に忙しそうに教
えた。
「うん」そこでうなずいて近づいた加助は、
「おい、娘さんをそっちの馬へ移し換えるんだとよお‥‥」早口で佐市に合図をする
と、
「よいしょ」馬を引っ張ってくるなり、佐市は自分が鞍に跨り、メリーを抱え移すと、
今度はすり抜けるように自分が降りた。
 親分の忠治にそっくりな、ずんぐりした身体つきだが、こういう早業をさせると実
に素ばしっこい。
 遠くから見ていると、パッパと瞬く間にやってのけたようにも視えたらしい。
 だからして、
「メリーの運命や如何に‥‥」
と心配して見守っていた酒場から出てきた連中も、口笛をピイピッとならし、荒くれ
どもの手から離れて一人で馬にのったメリーを手招きした。そこで、
「これからどうする、兄い」と佐市はきいた。
「うまいこと馬にのせたんだ。早いとこ、その尻っぺたをぶん殴れ」
「女の、尻をかい‥‥」
「ばかいうねえ、馬のだ」と加助がいうと、そこは馬喰(ばくろう)の伜だけあって、
目につくように馬の尻など叩かず、尻っぽの毛を力まかせにひとつかみ抜いてしまい
そうにぐんと引っ張った。
 これには馬もびっくり仰天。
 背中にメリーをのせたまま、後足で砂を蹴り上げると、もう韋駄天ばしり。タカタ
ッタと蹄の音も高らかに駆けて行ってしまった。
「エ・ベルディア(しまった)」
 びっくりしたのは、メリーをかっ払ってきた三人。ここで、せっかくの獲物に勝手
に飛んでゆかれては、何の為に此処へまで押しこんできたのかわからないと、その後
を追うべく馬首を転じようとしたときである。
「覚悟しやあがれッ」
 先に加助が脇差を抜きざま、いきなり斬りつけた。
 国定一家は、馬庭念流(まにわねんりゅう)の道場が縄張内だったので、死んだ忠
次をはじめ身内の者は、ここでヤットウの稽古をつんでいる。
 だから念流の居合抜きの早業で、さあっと引っこ抜いたはよいが、まさか馬にのっ
ている奴の肩や頭を、真っ向う唐竹割りというわけにはゆかない。長靴から出ている
膝頭のあたりを斬り払うと、
「こらしょッ」
と、その上の大腿のところを引っ張った。
 まさか足を切られたり曳きずられたりするとは思ってもいなかったらしく、身体の
重心を失うと、此方へ転がり落ちてきた。が、
「ズドン、ズドン」続けざまに三発ばかり撃ってきた。だが落馬しながら射ってくる
のでは当る筈もなく、地面に刺さって砂煙をあげるだけだった。だが、
「ふてえ野郎だ。飛び道具なんか使やあがって」
 加助は自分が先に斬り払ったくせして、地響きうって落ちてきた相手に跨ると、
「止めだ」と、咽喉ちんぼのところへ、ぶすっと刀の切っ先をつきさした。
 しかし加助はそれでもよいが、難儀をしたのは、残りの二人を一度に相手にしなけ
ればならぬ佐市の方だった。こうなっては江戸ッ子も上州っ子もない。
 いくら「向う牛」と仇名される向う意気の強い奴でも、長銃や短銃をバカスカ射っ
てくる二人を一度に、長脇差一本であしらえるものではない。そこで蹲(うずくま)
っていたが、
「えいッ」と隙をみて、酒場の方へ向いている馬の尻っぽをまたも力まかせに引っ張
った。
 ヒヒヒインと馬が酒場の方へ駆けてゆくと、屋根にいた身軽な男が、いきなり頭の
上から飛び降りてきて、その鞍のあぶれものを転がした。
 こうなれば残りは一人である。佐市はずんぐりした身体を、打ち上げ花火みたいに
ポンと飛び上がらせ、拳銃をもっている相手の右手首を、
「ブスッ」と下から突いてでた。
 刺さりはしなかったが、血がパアッと散った。そして、ついでみたいに、手にして
いた拳銃もドサッと落ちてきた。が、あいにくそれは佐市の足にあたった。
「痛え。ひどいことをしやあがる」
 いまいましがって、その拳銃を力まかせに蹴飛ばしてしまうと、
「この野郎、降りてこい」
 鞍の上から脚を引っ張って、引きずりおろすなり、これをケサ掛けに斜めにズバリ
と叩き斬った。そして、
「おう兄い、おれっちも方づけたぞ」
と肩で息をしてみせたはよいが、酒場の方から、ぞろぞろ寄ってくる毛唐共には、
「しまった。他国者の俺たちが‥‥この土地の人間を二人まで害(あや)めたとあっ
ちゃあ、ただでは済むまい」すっかり蒼ざめてしまった。
 加助も、もろに返り血をあびた朱達磨のような顔でそれにうなずき、
「ここで御用弁になったんじゃ‥‥せっかくメリケン三界にまで、長い草鞋をはいて
きた甲斐がない。おう、これを、この馬にのっけてくれろ」と佐市にせがんで尻をむ
けた。
 空になった馬が幸い三頭いる。だから、これに乗って逃げられるだけ遠くへ高飛び
しよう、というのだが加助の方は、なにしろ生まれが馬喰ではない。だから器用に鞍
へ跨れない。
 そこで佐市に尻をもち上げて貰ったが、泡をくっているから巧く乗っかれず、もた
もたしているところへ、どかどかと酒場から駆けよってきた連中が集まってきて、
「ポール・ケ(どうした)」
と口々に騒ぐ。そして、背後を指さし、
「エーリョス・ラ・ブースカン」
というのだが、これは佐市にも通じないらしく、妙ちきりんな顔をした。
「好かん‥‥というとるで、こりゃ獄門首にさらされると違うか」
情けない顔をした。
 だからして、せっかく馬の鞍にしがみついたところで、その手綱を廻りの群集にと
られてしまい、逃げるにもう逃げられず、まるで、「引廻しの上、獄門」といった恰
好で曳っぱられてゆく加助も、
「やっぱり、おれっちたちゃ‥‥ついていねえやな」と、こぼすが、わいわい騒ぐ人
声に消されてしまって、てんで佐市に届かない。
 が酒場の前までくると、
「アーモ」と叫びながら、女がとびだしてきたのには、これは二人ともびっくりした。
その言葉が(惚れちょる)とか(好き)だくらいのことは、佐市も加助も知っていた
からである。それに自慢じゃないが、日本にいた時だって、こんな台辞(せりふ)は
若い女からかけてもらった覚えのない二人なので、ドキンと胸が高鳴ってしまって目
まいまでしそうになった。
 だから、その娘がメリーであって、
(佐市にしてみれば、馬に乗せて反対の遠くへ走らせたつもりが、馬は尻っぽをむし
られて立腹したものの、飼主のいるこの酒場へ大廻りしながら戻ってきて、のせられ
た彼女も危ういところが助かって帰ってこられ、それで感謝しているのだ)
と頭の回転が咄嗟にきくわけもなく、
(これから獄門台にのせられるという瀬戸際に、二人一遍にアーモというは、ちいと
殺生じゃ。これでは死んでも未練がでて、成仏できんのと違うか)
 心配になってきた。だから恨めしそうな顔で二人とも馬から降ろされたものの、
「おう佐市。もう観念しろや。こんな土壇場で女から巧いこと云われたって、もはや、
どうなるもんでもないじゃなし‥‥」
 自分に云って聞かせるみたいな調子で、げっそりしていってのけた。佐市もうなず
き、
「それに‥‥肝心かなめな舟玉さまがよぉ、繃帯でくいこむように包まれている女じ
ゃ、こりゃ、なんともならねえもんなあ」
 いさぎよく諦めをいっているところへ、
「ムーチャス・グラシアス(嬉しいわ)」
とばかりメリーが寄ってきて抱きついてくれた。
「むちゃすんな‥‥寝ている伜を起すような真似はよしちょくれ」
 加助が悲痛な声をはりあげているとき、栃木陣屋の熊倉嘉三をふた廻りも大きくし
たような巨大漢が、のっしのっし近づいてきた。
 てっきり召捕られるものと覚悟をつけ、
「好きだなんていってくれる阿魔っ子の前でよぉ、互いに未練な真似はよそうぜ」
 二人そろって、お縄頂戴と手をだした。するとである。縛られると思った手を、向
うの熊みたいな掌が押さえこむように握ったと思いきや、チッチョンギッチョンと振
りながら、
「ケ・アレグリーア・デ・ベールレ」
(逢えて嬉しや、国定一家)といった意味のことを口にしだした。


国定一家の旗上げ

「ヘーイ、丁半、どっちも、どっちも」
 盆ござにする七島茣座(ござ)もないから白っぽい毛布をしいて、加助が胴元。佐
市は壷ふり。
 始めてみると、こういう博奕はこちらでは珍しいものだから、次々と人だかりがし
て寄ってきては、
「コモ(どうするんだ)」と張るやつより覗きにくる者の方が多い。そこで佐市が汗
を拭きながら、さいころの目で説明するのは厄介だから、右側に一(ウノ)、三(ト
レウス)、五(シンコ)、左側にはニ(ドス)、四(クワトロ)、六(セイス)、と
チョークで数字をかいて、
「デメ、デメ(張った、張った)」
 汗をふきふき、しきりに客よせをする。
 加助も胴元だからと日本の貸元衆のように、どてんと座っているわけにもゆかず、
自分も怪しげなスペイン語で、集った連中に、
「クアール・エス?(へい、どっちで)」
と佐助の手助けをして声をからして呼びこみをする。まあ眼色毛色は変っていても、
人間の博奕好きは本能みたいなものだから、そのうちに結構一人はり二人はり毛布の
廻りは一杯になった。が初めのうちは、小さなサイコロの目が立ったままでは読みに
くいからして、
「クァントス(いくつか)」頭の上から、次々と賽の目をきいてこられて煩わしすぎ
る。
「なあ兄い、客人も座ってもらわなくちゃあ、やりにくいことおびただしい」
とはいっても、日本人と違って座りつけていない毛唐を、ぐるっと毛布の廻りに行儀
よくは並べられるものではない。とどのつまりが毛布の方を上に持ち上げることにし
て、下へ古卓子を入れて高くした。
 そうなると壷ふりも胴元も座ってはいられない。そこで仕方なく二人とも立ちん棒
で、
「クアール・エス(どっち、どっち)」とか、
「ムーチョ・ムーチョ(どんどん賭けな)」
とやるしかない。しかし馴れてくると格別それでどうという事もない。
また客の方もなにしろ、一から六までの数字の奇数偶数にかける手軽な勝負なので、
「ケ・セ・ソ(そりゃなんだ)」と野暮をきくものもいなくなって、テーブルも一つ
ではたりないくらい満員になり、そこで加助と佐市は別個に場所(しょば)をかえ、
白毛布の盆をしくようになった。
 ----いまアメリカで博奕場のカード切りやルーレットの玉廻しのことを、ラスベガ
スあたりでも、「テーラー」とよぶのは、このとき加助と佐市が、勝った方からの一
割を「寺銭」にというので日本語で、「てら」「てーらー」といったのが言葉の語源
だと、ネヴァッタァへ行ったときトロピイカァナのボスH・ジェンズから聞いてきた。
真偽は判らないが有りそうな話である。
 さて、そのうちに日本人はいないが中国人あたりが、目色毛色も同じで髪毛も黒い
から、まんざら他人とも想えないのだろう、寄ってきては手助けしてくれたり、うる
さい客をなんとかあしらったりしてくれた。
「ソン・エーリョス・チーノス(あん人たち、中国人でしょ)」
 メリーは時たま顔をみせると眉をしかめ、そんな口のきき方をした。
 なにしろ白人の女というのは、どうも肌の色で頭ごなしに人間の区別をしたがる。
 当時の中国というのは「清国」とよばれていて、この時から四十年後の日清戦争で
は負けてしまうのだが、当時は東洋の大国である。
 だから昨日や一昨日できたサンフランシスコなんか来たって、格別遠慮気兼もない
筈だが、赤色や亜麻色の毛をはやしたやつは、
「髪が黒いのはインディアンと同じ」
といった解釈をしているものだからして、せっかくゴールドラッシュを当てこんで、
ここへ流れこんできた中国人も、「鉱区入坑許可書」というインヴォイスを下附して
もらえない。そこでキューバ人やジャマイカの色の黒い連中と一緒になって、靴磨き
や洗濯屋みたいなことをやってしのいでいた。
 加助の賭場へきても、大きく銀ダーラーなんか張らない。銅幣などをちびちび張っ
ている。だから時には見かねて、掃除までしてくれる連中に、加助や佐助も、
「ほらよっ」と時には小遣いをくれてやったりした。すると、その五、六人の若い者
がある時、
「アラーボ・ア」と盆ござ代りの毛布をはたいて片づけをしてから寄ってきた。
「エル・レスペータ」ともいった。
「こいつらぁ、何をいってるんだ、佐市」
ときくと、暫く考えこんでから、
「まあ、豪いとか、感心してるって意味でしょう」事もなげに答えた。そこで、
「何が尊敬に価するのか聞いてくれ」
 佐市をつついたところ、ゆっくり手真似で訳を彼らからききだすや、思わずにやり
と笑って、
「わっちら二人が遠いここまできて、無職(ぶしょく)渡世で奴らの金をまき上げて
いるのは東洋人の誇りだ‥‥と云っているんでやすよ」と、うちあけた。
「何をいってやあがる‥‥俺っちは、泣く子も黙る国定忠治親分の息のかかった子分
子方(こかた)だってことを、よく教えてやんなよ」
 加助が嘯(うそぶ)いたところ、それを訳した佐市は、
「兄い、どうしやしょう」
当惑したような顔をもってきた。
「なんでい」汗を掌でこすって聞き返すと、
「そんな豪い将軍の輩下なら、自分らも加えてほしいと、やつらが云っているんで‥
‥」
 頭のびん先をかきながら佐市が訴えた。
「親分の国定忠治が‥‥将軍さまたあ、なんて下手くそな通弁をしやあがった」
 これには加助も呆れた。なにしろ日本で将軍さまといえば、千代田城に一人しかい
ない。が、此方では、ちょっとしたものでもボスになると、すぐ将軍とよばれるよう
になる。
 だが、そこまでは加助にはわかりようもない。
 とはいえ死んだ忠治親分を公方様扱いされて、満更悪い気のするものではない。
「よっしゃ、盃をくれてやんな。いくらここで国定一家の縄張をたて直すにしたって、
俺とおめえの二人きりじゃあ手が足りねえやな‥‥枯木も山の賑わいともいわあな‥
‥雁首を揃えるのも為になるだろうじゃねえか」
「そうか、兄いのいうのが本当かも知れん」
 佐市は酒場のメリーに話して、ギヤマンの盃と、ビイドロの酒瓶をかりてきて、
「南京の陳」「当家(とんけ)の朱(ちゅん)」をはじめ、「キューバの黒坊」「ジ
ャマイカの熊」といった、こっちから呼びやすい名前をつけてやった連中に、一人ず
つ酒をのませてやってから、
「日本のやくざ無職ってのは、なにも盆ござの垢をなめ、一割ずつの寺銭をとって、
それで呑みくいしようなんて、あたじけねえもんじゃねえ‥‥一端こうと決ったら、
てめぇらの命はって、あくまでも世の為人の為に尽くすもんだ‥‥それが『赤城の山
も今宵限り、てめぇらも散りぢりばらばらに山を降りていったって、このことだけは
生涯忘れる事じゃねえ』とおっしゃった忠次親分のスピーチだった。それを肝に刻ん
で渡世に励みやあがれ」
といってきかせたところ、土地のスペイン語で、シイシイと、小便するみたいな、は
いといった返事をした者もいたし、清国語で、
「明白(みんぱい)、明白」わかると答えた者もいた。
 ところが、この五、六人の連中が子分になったのを、すっかり得意になってふれ廻
ったせいか。
 翌日になると、有色人種どもが、
「俺も」「自分も」次々と名のりでてきた。
 みる間に三十人からの頭数になった。
 とても二つぐらいの卓のかすりでは食わしてゆけなくなった。そこで波止場へも、
四つぐらいテーブルの毛布掛けの野天の鉄火場をつくった。
「国定一家って高張提灯がほしいところだ。各場所(しょば)へ一つずつ出しゃあ恰
好がいい」
 加助は残念がったが、無いものねだりである。仕方がないから古板に白ペンキで
「La casa es kunisada」
つまり「国定一家」とかいて、その看板を揚げさせた。


メリケン女侠

 このままでいってくれたら、まあ国定一家は、おおいに日本の任侠道の途を、ここ
でひらきもしたろうが、月に群雲のたとえもあって、そうは順調にゆかなかった。
 なにしろ当時のサンフランシスコは、ゴールドラッシュで人口は鰻のぼりに増えた
ものの、南部と北部の対立にあけくれしていたアメリカ合衆国は、準州にも加えず放
りっぱなしの状態だった。
 だから引き続きスペイン人の治安判事の統治下にあって、赤服のカーニー軍の兵隊
が警察がわりにサンフランシスコの巡羅をしていたが、これが一にも賄賂、二にも賄
賂である。
 加助や佐市の国定一家の盆へも、鉄砲をもった兵隊がきては、さも当たり前みたい
に、
「デメ(出せ)」と冥加金を取り立てる。
 まごまごしようものなら、卓の上にある客人の場銭まで、さらえて持ってゆこうと
する。
「ノーエス・ミイオ(私んじゃねえから)」
と弁解して断わろうものなら、
「ポール・ケ(何をぬかす)」と卓子にドカンと鉄砲玉を撃ち込んで乱暴をする。
「くそったれ、鉄砲をもって賭場荒しなんぞされて‥‥おとなしく引っ込んでいられ
るかい」
 度かさなる乱暴に、短気な佐市が向こうっ腹をたてた。加助も腹をすえかねていた
から、
「青い目んたまの奴らに舐められたんじゃ、死んだ忠治親分に申しわけもねえ」
ということになった。そこで佐市は、身なりこそ今では三度笠や一本どっこの旅鴉ご
しらえではなく、ちゃんと縞柄の背広を着てはいたが、すぐさま長脇差をもってきて、
「よっしゃ、殴りこみだ」
 景気よく我鳴りたてた。加助も、
「うん、やろう」
と二つ返事で承諾はしたものの、カーニー軍というのは。アンジェロの兵営に何百と
いるのである。だからして、
「こっちの身内は中国人共で高だか三十人。どうだろうか」加助は首をひねった。
 しかし佐市は、あくまで強気一点ばりで、
「頭数なんか一々よんでいちゃあいけませんやあ、天保七年[1836]に忠治親分
が前橋のご城下大度の関所破りをしたときだって、向こうは何百といたのに、御身内
衆で従ったのはたったの三十人きり。それでも威風堂々と大手をふって、関所役人を
尻目にかけ通り抜けなすったという話ではござんせんか‥‥」
 すっかり息がってしまった佐市は、てんでカーニーの軍隊をなめきって昂然として
いる。
 そこで加助は困ってしまって、相変わらず酒場でフレンチカンカンを踊っているメ
リーのところへ顔を出すなり、
「他人には相談できない話だが、どうしたもんだろう」打ち明けてみた。
 すると日本の女なら、こういう時には、
(そんな危ないことは止めておかんしょ)
と首をふり、すぐ佐市のところへ行って意見してくれるところだろうが、こっちの金
髪女は血の気が多いのか、あべこべに、
「ムイ・ビエン(好いと想うわ)」
 にこにこと、すぐ賛成してみせた。
 そこで当てがはずれ、加助がしょげると、
「アユダル(手伝ってあげてよ)」
 大きな乳房を下から押さえ、ついでにブラブラふってみせては赤い気焔をあげた。
 なにしろ、この前この酒場へ侵入してきて、メリーをかっぱらって逃げかけた無法
者というのも、カーニー軍の軍属みたいなあぶれ者連中だった関係上、それからとい
うもの、メリーは兵隊嫌いになっていたせいもある。
 そこのところは加助だってわからないわけでもなかったが、酒場の姐ちゃんに助っ
人してもらったからといって、できる喧嘩(でいり)でもなかった。だから戻ってく
るなり佐助に、
「メリーは助けてくれるとはいっていたが、たった三十人でカーニーの兵営へ殴り込
みをかけるのは、どんなものだろうか」
 亀の甲より齢の功で、若い弟分に云ってきかせた。なにしろ腹を立てるという事と
斬り込むのとは、どうも一つにしない方が、まあ無難に思えたからである。すると、
「兄いはまんだ此方の言葉に馴れていないから、ただ頭数だけで心配するが‥‥この
土地の人間が喋っているのを聞いてみなせえ。とうにスペイン人の手を離れていると
想っているのに、カトリックのスペインの判事と赤服の兵隊のやつらが、のさばりか
えっているからして、誰しもみんなスペイン嫌いだ‥‥だから俺たちが殴りこみさえ
かけたら、皆が後押しをしてくれる。気にすることはねえんだ」
 土地の人間のいまいましがって零す愚痴を、しょっちゅう聞いている佐市は、あべ
こべに加助を慰めにかかった。そこで、
「そうかなあ‥‥これが日本なら、兄弟分の貸元衆に伝達をつけ、あっちから何人こ
っちから何人と人集めをして、それから左封じの喧嘩状(はたしじょう)をもってゆ
かせ、それッと景気よく繰り出すんだが、此方では、この国定一家の他には御同業盆
ござ渡世のおなかまもいねえ。てんで打つ手も何も考えられんのに、いいのかい。そ
んなに強気で‥‥」と心配したが、佐市は、
「まあ兄い、ひとつ委してやっちゃあ頂けませんか」胸をはってポンと叩いた。

 ----スペインとカリフォルニアの摩擦は、ゴールド・ラッシュが始まってからは、
土地の人気も荒くなっていたせいもあり、「記録」では西暦1849年の嘉永二年の
夏に、モンテレーに集った住民がスペイン軍に反抗し自治警察制度を叫ぶ大会をもっ
た。騒動になった。
 さて、こうした反目の続いているとき、アメリカ合衆国のポーク大統領が、スペイ
ンに対してキューバ島の買収を申し込んだものだから、
「われわれはキューバを他へ分割するよりは‥‥むしろ大洋の海底へ島が沈んでいく
のを見る方が望ましいのである」と拒否されてしまい、
「それでは実力行使で」とキューバへ渡ったロベスやその一党は、スペイン軍に捕え
られ銃殺された。
 そこでアメリカはスペインの首都マドリッドに、ルイジアナ出身のソーレ大使を抗
議に送った。このため現地スペイン軍は、
「おのれアメリカ野郎め」と、時来たらばカリフォルニアを奪還しようと密かに兵力
を増強していた。
 ところが、これに対してロッキー山脈を探検したり、カリフォルニア征服にも功の
あったアメリカ人のジョン・C・フレモントは、この形勢を憂え、
「危機である」と叫び、アメリカの新聞にも所説を発表した。だが彼は共和党に所属
し、大統領候補になったが、民主党のブカナンに負けたから、
「選挙に利用せんための放言だったらしい」と軽視された。
 このためカリフォルニアの危機は放っておかれた。そこでサンフランシスコの人間
は、「このままではスペイン側にいつなんどき、どんな目に吾々はあわされるかもし
れん」この当時は、まだ合衆国に入っていなかっただけに戦々恐々として自衛策を講
じだした。
 しかし先だつものは武器弾薬である。
 すると当時アメリカ国内にブラウンという過激派がいて、これがヴァージニア州の
ハーバースにある合衆国の海軍兵器庫を襲う手筈だという情報が入ってきた。
「サンフランシスコ防衛のためである」
と血気にはやったカリフォルニアの連中はそれに合流した。
 さてロバート・E・リー海軍少佐の海兵隊と戦って、分捕った火器や弾薬を持ち帰
ってきた。


男心に男が‥‥

 太平洋のサンフランシスコの反対側。
 大西洋サウスカロライナ州のチャールストンに、ブカナン大統領の命によって、サ
ムター要塞に届ける軍隊と食糧をつんだ汽船が入港してきたときのことである。いき
なり、「ダガアン」「ガバアン」と南部同盟政府(コンフデレイト・ステーツ)の軍
隊が、これに砲撃を浴びせかけてきた。スペインとサンフランシスコの戦より、アメ
リカ国内の衝突が始まってしまった。
 サムター要害のヤンキー軍も、これには愕き汽船を擁護するために、南部に応射し
た。
 ここに三月四日。ブカナンに代ってリンカーンがワシントンに入って大統領に就任
し、要塞のアンダーソン少佐に対し、まず篭城に必要な食糧を陸路から送ることにし
た。
 しかし四月十二日。南軍は総攻撃にでた。
 アンダーソン少佐は猛火に包まれた要塞をまる二日にわたってもちこたえたが、つ
いに死傷者が続出して、開城のやむなきに至ってしまった。
 そこで十四日の昼。「ヤンキー・ドウドル」のマーチを鼓笛隊に演奏させながら、
生き残りの兵をまとめ少佐は要塞を出た。これまでの合衆国政府の、「星条旗(スタ
ーズ・エンド・ストライプス)」は降ろされた。代って新しい、「星と横木旗(スタ
ーズ・エンド・パーズ)」南軍同盟の国旗がくすぶる要塞にひらめいた。ここにおい
て合衆国大統領リンカーンは、
「七万五千の民兵に、三ヶ月の兵役を」
と布告をした。これが南北戦争の始まりである。
 さて戦火は、こうして大西洋岸でまず始まったが、二十日には太平洋岸のサンフラ
ンシスコにも、この国内戦の知らせは入ってきた。
 リンカーンでさえ初めは長びくと思わず、三ヶ月の予定とみた南北戦争が、サンフ
ランシスコではなおさら形勢がはっきり判らない。だから、住民たちの騒ぎは大変な
ものだった。
 すると、この混乱を好機とみて、
(アメリカが国内戦を始めだした。もはやこちらまで手を出してくる気遣いはあるま
い)
 高をくくったスペインの判事は、すぐさま軍隊を、
「タンタン、タータン、タンタン、ターン」
 軍鼓を叩かせサウスアリットから、サンフランシスコの町へ入ってこさせると、ベ
リケリー街の建物をあけさせ、兵舎としてここへ進駐してきた。
 ----のち明治三十一年(1898年)にアメリカとスペインの戦争がおきて、スペ
インが敗北しフィリッピンまでアメリカが占領する頃になると、誰も赤服のスペイン
兵をみても恐れなくなった。
 この三十七年前の文久元年のときは、まだそうではなかった。「エスパニョール」
といえば、赤鬼ぐらいの響きがあって、女子供は馬車に荷物をつんではリチモンドの
兵の方へと逃げ出した。
「‥‥とうとう土壇場へきましたぜ。ねえ兄い」佐市は背広の腰に縄をまきつけ、そ
こへ長脇差をぶちこんだ向こう鉢巻で現れた。
「こっちから殴りこむのにゃ反対だったが、向こうさんから景気よく押しこんでこら
れたんじゃあ、こりゃあ降りかかる火の粉は、仕方がねえ。払わざあなるまい」
 加助もやっと覚悟をつける羽目になった。
「だが、おりゃあ大工や左官のパッチをだぶつかせたような、ズボンってえのじゃ性
にあわねえや」
 かびくさくなった、栃木から身につけてきた盲縞をひっぱりだして着ると、手甲を
つけ脚絆をまいた。
 そして額に白鉢巻をきりきりとしめると、さて集まってきた子分たちに、
「かねがねスペインの赤服野郎に縄張荒しをされ、いつかは一泡ふかせてやらねえと、
盆ござ稼業の男が立つめえと、かねて覚悟はしていたが‥‥向こうの方から殴りこみ
をかけてきゃあがった‥‥俺っち盆のかすりでパンに有りついている無職もんは、こ
ういう時こそ手前(てめっち)の身体をはって、かねて御贔屓の旦那衆のために、ひ
と肌ぬがなくちゃならねえ。しかしだな。おめえらはおれっち日本人(ハポネス)と
は違う。だから命の惜しいやつは無理とはいわねえ。今のうちにリチモンドの丘へと
っとと、ずらかりやあが。構ったことじゃねえぜ」
と加助の口からいってきかせた。佐市も、
「おれっち二人は、てめえらは知るまいが、赤城の山でたてこもりなすった国定忠治
親分の盃をもらった上州長脇差‥‥死ぬことなんか、これぽっちも気にしてねえ男ん
中の男だが、といって、おめえらまで無理に巻き添えにしようなんのと、阿漕な真似
はしたくねえ‥‥生命(いのち)の惜しいやつは遠慮なんかしねえで、とっとと消え
ておくれよ」
 ぐるっと見廻していってのけた。
 しかし、中国人の南京や、キューバあたりの黒いの、メキシコ野郎といった顔ぶれ
で、てんで一つに纏まっていない連中だったが、此方のいう事がのみこめると、
「情けねえことを、云わんでほしい」
と口々にいいだした。つまり一緒に斬りこみに行くというのである。
「てえッ泣かせるねい」
 佐市は汗をふく恰好で眼をこすった。
(いざとなれば三十人いても、半分も残るまい)と思えばこそ、ずっと反対してきた
加助だったが、思いがけぬ若い連中の意気ごみにはたまげてしまい、ううんと唸り、
「男心に男がほれて‥‥血の雨ふらすかサンフランシスコ」と唇をかんだ。
 すると、そこへメリーが長いスカートをつまみあげながらやってきて、
「‥‥どうせ酒場もスペイン兵に占領され、ただ呑みされてしまうに決っているから、
酒樽はみんな今のうちにあげますって、マスターが云ってたわよ」と教えにきた。
「そいつは有難い」と喜んで、三十人の子分をやって運ばせると、樽は十ばかりだっ
たが、度の強いウイスキーの瓶入りの木箱は、山と次々にもちこまれてきた。
「こういうときは、薦かむりの鏡を抜いて、樽の香りのぷんとする柄杓でグイッと冷
やで呷って出かけるのが定法だが、こっちの丸樽じゃ愛想もこそもねえやな」
 せっかく着物姿に縄だすきをかけた喧嘩仕度で、加助は惜しそうに口ずさんだが、
子分どもは、
「ただで酒呑めるのテンホーね」
とかなんとかいっては、樽の方から空にしていた。つられて佐市も、
「酒なんて兄い‥‥呑んで酔っ払えば、それでいいんじゃありませんかい」
とかなんとかいいながら、自分も一緒になって呑みだすと、メリーも日本の女なら、
(お酌を‥‥)とでもいうところを、
「デメ・デメ(私ものむわ)」とばかり、ぐいぐい強いのを呑んでは、
「ウイッ、フイッ」とげっぷをはく始末。
「おう、たいがいにしねえか。あんまり酔っ払ったんじゃ足腰が立たなくなるぜ」
 見るにみかねて加助が口に出した頃には、みんな好い心地になってしまって、もう
巡(まわ)りの早いのは、グウグウ鼾をかいていた。
「なんせ、ろくな稼業もしてねえもんだから、こいつら、てんでなっちゃねえ」
 加助は慨嘆して、ぶつくさ文句をいっていたが、自分も身体がとろんとしてきて、
そのまま眼をつむって寝てしまったらしい。