1044 江戸侠客伝 10

本所(ところ)長崎町

 森蔵が鍛冶橋の留吉の許から、無理やりみたいに賑ことお辰を連れ戻してきて、青
木の所へ転がりこんできてから、類は類を呼ぶというが、新徴組崩れの芳蔵や杵五郎
といった連中までが転がりこんできた。
 しかし三人や四人のうちは良かったが、こういった手合いが十人を越えると、たと
え二百俵どりでも天下の直参ゆえ、青木弥太郎は隣近所に気がねして、近くの長崎町
へ長屋を借り、そこへ彼らを住まわせた。ところが日がたつにつれて、大の男がごろ
ごろしていても退屈だから、
「寝る所に飯がありゃあ、それでオンの字みたいなものだが‥‥ちょっと、これじゃ
あ物たらねぇな」
と言い出す者が現れた。
「うん、酒までは、二百俵取りの旦那にゃせがまれないからな」
と集議一決。何かしようという具合に、一同の間で話が纏まった。

 だが、なにも呑み食いのための酒手欲しさからでもなかった。
 なにしろ黒船がいつ何時、墨田川の入口まで近寄ってきて、毛唐兵が乱入してくる
かも知れぬという騒がしさで、
「早半鐘が鳴ったら取るものも取りあえず、まず橋向こうへ逃げろ‥‥そうすりゃ、
おかみが橋を落して助けてくれる」とか、
「それより黒船が、ご府内めざしてよってきたら‥‥お浜御殿で三発続けて狼煙をあ
げるからして、家財や女子供を先に逃がせ」
といった伝達が家主や地主を通して、知らされてくる状態なので、すこしでもガタッ
と音がすれば、誰もが耳を澄まし、
(半鐘か、狼煙か)と、ぎくっとするような有様だったせいもある。
 それに江戸に近い水戸では、この年の三月二十七日に集った私学党が、四月三日に
日光山へ向い、栃木太平山の三光神社に立てこもって、「水戸幕府」の看板を揚げて
いた。
 そして彼らは軍資金集めに、天狗面をかぶって近在の豪農を荒していたので、それ
を真似て江戸でも、暗くなると、
「われらは水府天狗党の別働隊である」
と集団で八百八町を吾が物顔にのし歩き、
「尽忠報国の軍資金を出せ」
とばかり、現金専門に強奪して廻る手合いが多くなった。
 だからといって、長崎町の梁山泊に集った連中も、それと同じ事をして銭儲けしよ
うとしたのではい。それならば森蔵が、前は自分の女だったお辰を通して、
「姐さんの口から、青木の旦那に、ひとつ隊長になっておくんなさるよう、頼んでや
って下さいまし」
などと話をもちこむ筈はない。
 また、いくら無役小普請組になっているとはいえ、天下のお旗本を押込み強盗の隊
長に担ぎあげることもなく、それなら森蔵らが勝手に自分らでやっていたはずである。
 さて、弥太郎はお辰からその話をきくと、
「どうも近頃は、将軍さまお膝元のこの御府内が百鬼夜行の有様。これじゃ天下ご政
道の御威光に係ろうてものだ‥‥何とかせねばと、実は、このわしも思っていた処な
んだ」
 手持ち無沙汰で、退屈していたせいもあるが、すぐに賛成して、
「よし、よし」とばかり、長いのを落し差しに掘割を渡り、長崎町へとおもむいた。
 そして、とぐろを巻いていた連中が、膝頭を揃え迎える中を、かき分けるようにし
て床の間に当る辺りに座をしめ、
「贋天狗退治をするのに、これだけの頭数でたりるのかな」
と一同を見渡した。そしてお辰に、
「久しぶりに俺が来たのだ、皆に一杯呑ませてやれ」皮財布を丸ごと渡した。
 だから森蔵以下みな張りきってしまい、
「天狗党の真似をして、押し借り強請(ゆすり)をして廻っているやつらは、見かけ
は浪士風でも、どいつも無職か職人上り‥‥わっしらと中身はどっこいどっこいです
ぜ」
 胸を叩いて良い恰好をしてみせた。
 が弥太郎は、それに首をふり、
「おめえら一人々々はそりゃ強かろうが‥‥なんせ此処に居る十倍も二十倍もの輩が、
てんでに荒していやぁがるんだ。とても、これだけじゃ手が廻るめぇ」と言い切った。
「‥‥そうか。此方も五人一組にしても、せめて四組か五組は居るから、今の倍は雁
首を揃えなくちゃあ駄目か」
 森蔵も指折りしつつ考えこんでしまった。
 すると、酒や肴を用意して戻ってきたお辰が、さながら助け舟をだすように、
「本所本瓦町(もとがわらまち)の料理屋小倉庵の若旦那長次郎さんてのは、やっぱ
り、あたいのお馴染みさんだったから、賑に聞いたと尋ねて行きゃあ、腕っ節の強い
板前上りなんか、十人位はすぐ世話してくれますよ」
「そうか、そいつはかたじけねぇ‥‥」
 森蔵も歓んだが弥太郎も満足そうだった。


任侠隊誕生

 青木弥太郎が、集めた連中に新たに、「任侠隊」という名をつけると、同じ小普請
組の旗本の津田小次郎、塚田万次郎といった次男坊たちが、道場の竹胴をつけ手拭で
鉢巻をして駆けつけてきた。
 小倉庵の長次郎は、板前は自分の店の鉄次しか連れてこなかったが、当時、「江戸
の相政」とよばれていた日本橋箔屋町政五郎の許から、命知らずの強いのを十人ばか
り借りてきた。森蔵はそこで、
「よっしゃ」とばかり六人一組の編制で、贋天狗退治に、その晩から取りかかった。
 お辰も今でこそ他人にはなっているが、かつては身請けされて暮した仲。
 それに、その身請けの時に算段した金の出所がまずく、森蔵は露見したら危ないと
新徴組を棒にふったのゆえ、云わば己れが為にしくじったようなものと、そんな想い
でいたものだから、
「しっかり、やってきてお呉んなさいまし」
 出かけて行きかけた背後を追って行き、火打ち石で切り火をして門出を浄めなどし
た。
「こいつは姐さん、有難うござえやす」
 前には、なぁおめぇと裸にむいて抱いた女でも、今では自分から進んで青木に献上
してしまったお辰ゆえ、森蔵はその心ざしが嬉しくなって、肩をいからせ、
「天狗を追っ払って、たんまり御礼でもせしめて来やしょう」
 勇んで五人の隊員をつれ、ぞろぞろ繋がって長崎町を後にした。
 そして、入江町から橋を渡って、
「今夜は夜ぴで掛ったって贋ものを捕まえ、初手柄をたてなくっちゃなるめぇ」
 一晩中歩き廻ってでも、天狗にめぐり逢わねばと意気込んで、新辻町の袂を曲がる
と、
「誰かッ‥‥」叫んで柳原四丁目の方から、小僧が一人泣きながら駆けてくる。
「もう出っくわすとは‥‥縁起がよい」
 勇みたって小僧が走ってくる方へ、
「それっ」とばかり飛んでゆくと、古着卸し問屋兼安の潜戸(くぐりど)が、すこし
口をあけ灯影が棒みたいに外へ突き出ている。
「任侠隊だぞ」と、それをこじあけ中を覗いてみると、お決まりの黒装束が、太いだ
んびらを抜き放ち、差し出された金包みが不足だとごね、しきりに脅しをかけている
処。
「ふてぇ奴らだ、やっちまえ‥‥」
 森蔵を先頭に店の中へ雪崩れこむと、
「なんだ、てめえら‥‥同業か」
「この家はわれらが先口、他へ行け」
と口々に喚く黒装束の四人の者へ、
「こちとらぁ、お旗本青木弥太郎さまを頭とする任侠隊‥‥こうして弱きを助け、お
めっちらみたいな悪を征伐するんだわさ」
 気持ちのよい啖呵をきってから、抜く事もあるまいと鞘ごと振りかぶって行くと、
「まあ待ってくれ、分け前は出すから見逃してくれ」と掛け合いをしてくる有様。
「うん‥‥」森蔵はいわれて、すこしその気になったが、伴ってきた五人が張りきっ
ていて、向こうの云う事など耳にもかさず、
「一人残らず縛ってしまいましょう」
 店の土間に積んであった荷作り用の縄束を引っ張り出してくる。
 そこで黒装束も縄目に掛っては大変と、
「話の判らねえ唐変木だ」と外へ飛び出し、
「来るならきてみゃあがれっ」
と抜身を大きく振りかぶってみせる。
「なんだ、やる気かッ」
 森蔵が抜き放ったから、五人の隊員も、
「生き胴の試し斬りができる」それぞれ大刀を鞘ばしらせて掛って行く。が、向こう
は唯の脅しだったらしく、
「本当にやる気か」と訊ねてきて、
「そうだ」返事をしてやると四人とも、
「なら、やめだ」と四つ目橋と南辻橋の方角へ別れて逃げ出してしまった。
 そこで森蔵も、新徴組時代の言葉使いで、
「口程にもないやつめが‥‥」
と肩を怒らせ、恐る恐る潜戸の内側から覗いていた兼安の番頭へ、
「われらは南割下水青木弥太郎さま手の者とは、最前も申したとおりじゃ。後はよく
戸締まりしておくがよいぞ」
と云い残し、次は菊川町から西町へでて、舟会所のある猿江橋の大榎の辺りまで、と
っとと足を運んでゆくと、又しても、
「ガン、ガン」金盥(かなだらい)を烈しく叩く音。
 それを聞きつけ小名木川の向こう岸、扇橋の呉服尾伊勢屋へ、急いで駆けつけてみ
ると、今度は浪士風の山岡頭巾を冠ったのが、これまた刀の柄に手をかけての押借り
強談の真最中といった風景。だから、
「‥‥賊は斬り棄て御免なるぞ」
と森蔵が今度は最初から抜刀して掛って行くと、向こうの三人は、
「尽忠報国の軍資金集めに邪魔だて致すかッ」
 喚き返してきて、
「待て外へ出る」と店の前へ踊り出はしたが、これもまた斬り合う気はないのか、そ
のまま大久保佐渡守と松平能登守の屋敷の、間に挟まった油掛横丁へ走り込んでしま
った。
 追いかけても仕方がないから、森蔵らは、そこから森下町へ廻って、襲われていた
油屋を助け、明け方近くなって戻ってきた。
 そして茶漬に丸干で飯をすませ、そのまま森蔵らはぐっすり寝てしまった。
 が、昼すぎに起きてみると、昨夜それぞれ手分けし、見廻りにでかけて行った他の
者も顔が揃っていた。そこで互いに、
「聞きしにまさるひどいものだ。犬も歩けば棒にあたるというが、あれじゃあ百組ぐ
らいの群盗が、てんでに横行しているわけだ」
と、互いに手柄話というより、あまりにもひどい無秩序ぶりに呆れてしまった。
 青木弥太郎も、ねぎらいに顔をだして、
「‥‥昔は刀の鯉口三寸抜いたなら、士分の者はその家が断絶。浪人なら所払いと厳
しかったから、抜刀なんかする手合いはなく、おかみの捕方も六尺棒で取締まれたん
だろうが、長州征伐このかた侍でないのまで刀をさすものだから、抜きたくってしょ
うがないらしくて白刃を振り廻す。そこで捕方も危なくって、とても棒だけでは掛っ
てゆけねぇから、放りっぱなしなんだろうよ」と説明をした。


泥水育ちの女

「おかしいねぇ、変じゃないか‥‥」
 お辰が南割下水の青木邸からやってきて、
「おまえさん達は何町の何屋と何屋を助けてやったと、毎晩の手柄を殿様に報告して
おいでだが、その中の何処からも梨の礫(つぶて)。此方へも礼がきてないらしいし、
向こうのお屋敷へも一文の謝礼も来ちゃあいないんだよ」
 ずけずけした口調で一同を見渡し、
「まさかと思うけど、賊のやつらから落し前をとり、それで夜明けまで外廻りしてい
た事にして白首なんか抱いていたんじゃなかろうね」ぐっと睨みつけた。
 その切れ長の眼許をまぶしそうに、
「姐さん、おまはんは吉原の泥水をくぐっていなさるから、そんな勘ぐりをなさるが、
そいつは悪い了簡だ‥‥わっちだって他の奴らだって、礼金がたんまり届いて分け前
を貰い、それで遊びに行くのを愉しみに‥‥どいつもこいつも観音さまにゃ御無沙汰
だ」
 森蔵が一同に代って弁解をした。
 が、お辰は立て膝のままで顎をしゃくり、
「だったら可笑しいじゃないか‥‥お旗本青木の殿さまの御名をだしてるんだろ。い
くら商人がせち辛くても、押借りが助かったものなら、小判の五枚や十枚は菓子箱の
中へでも入れて届けにくるのが当たり前だろ」
「そりゃそうだ。最初(はな)からその見込みで‥‥人助けして呑み料を稼ごうって
考えついたのが、この任侠隊の始まりなんだもんな」
 しどろもどろに森蔵が困っているのを、
「姐さん‥‥そんなにお疑いなら‥‥わっちらが女遊びをしているかどうか、はっき
り確かめてみなすっちゃどうです」小倉庵の長次郎が割って入って口をきいた。
 これにはお辰も顔を赤らめてしまい、
「勤めしてる時なら、束になって掛ってきても‥‥おまえさんらの三十人くらいは瞬
く間に済ませもしようが、今は堅気、しかも歴(れっき)とした御旗本のご新造なん
だよ」
 きっとして眼じりを吊りあげ叱りつけた。
 が長次郎は手をふって、
「姐さん、そうまでは云ってねぇよ‥‥俺が口にした確かめてくれとは、仕方がねえ
から疑いをはらす為、ここでみんな下帯をとって、ずらりと並んでみせるから、それ
で確かめてほしいと申し上げたんだ」
と、まず自分から立ち上がりかけた。
 が、気の早い相政一家の若い衆は、
「まっぴら御免なすって‥‥」もう出したままで背をのばし、
「姐さん、ほれこの通り」突き立てて見せてしまった。
 そこで青木弥太郎が、
「‥‥何をしておるのか」難しい顔で入ってきたが、話の筋道をきくと、
「おめえら男だから遊んでない証拠を立てて見せられるが、女だったら濡れ衣をはら
そうとしたって、立てようがねえじゃねえか」
 怒鳴りつけはしたものの、破顔一笑。
「あまりいきの良いのを並べて、うちのお辰に見せやあがるなッ‥‥昔が昔だ。摘ま
み食いしたくもなろうじゃねえか」と、真顔でいった。
 これにはお辰も照れてしまって、
「いやですよ‥‥」とばかり部屋から逃げ出した。
 さて、青木弥太郎を取り囲んだ一同は、
「わっしらが夜ごと歩き廻って懲らしめているのに‥‥てんで御利益がねえってのは、
一体どういう事になっているんでしょうね」
「いまいましい話だが‥‥まさか今から、礼はどうしたとも聞きにはゆけねえ」
 それぞれ、むくれた顔を並べたて数珠みたいにつないだ。
 しかし青木弥太郎も当惑気味に、
「礼をもってくるだろうと高をくくって始めたのは、此方の一存による処だから‥‥
まさか挨拶に来ねえからって、此方から呼び出しはかけられまい」と腕組みした。
「とは云うものの、変ですね‥‥陰徳あれば陽報ありで、何処か一ヵ所あたりは礼金
はまあまあとしても、角樽の一荷ぐらいは此方へ届けてきてもよいのに‥‥」
 小倉庵の板前だった鉄次がぼやいた。
「そうだ、どこのお店(たな)でも押込みに入られた後は、町方の御用聞きに届けは
するだろう。それで気が済んでしまうだろうか」
 相政一家の兄い株連も妙な顔をした。
 そこで森蔵が膝を叩いて、
「うっかりしていた、唯おっ払うだけでなく役向きの方へも、こりゃ今夜からは、ち
ゃんと届けねばなるまい」ようやく思い当たったように口にした。
「そうだ、違いねえ‥‥」
 鉄次も、おでこを叩いてひとつ唸った。
 すると唐紙の外から、
「鍛冶橋の留吉親分なら、人入れ稼業の他に南町奉行(おみなみ)の御用を拝してい
なさる‥‥あの方に通しておきゃ間違いないだろうよ」
と、お辰が忠告ぶった声をかけてきた。
 青木や他の者は、そうかといった顔でうなずいたが、森蔵だけは、
「あの女‥‥なんでもかんでも、てめえの親類筋で、かたづけようとしてやぁがる‥
‥」
口の中でぶうすか声にならぬ声をだした。


「徳川小僧」「葵小僧」

 森蔵は気が進まず賛成しなかったし、相政から来ている兄い連も、
「お上の御用聞きってのは、昼間は十手を見せびらかして呑み屋の女なんか、あっち
こっちでいたぶっているが‥‥暗くなると、そんじょそこらの泥棒よりは土地かんも
あるし手口も巧いから、うぬが手引きして廻り‥‥そこで近頃は、御用聞きがぐるだ
からと蔭では、御用盗とまで云ってるぐらいだ」
とたしなめはしたのだが、長次郎が、
「そりゃ岡っ引には酷い野郎も多いのは事実だが、姐さんの知合いの御用聞きなら、
まあ間違いなかろうって云うもんだ」
と受けあってしまったから、青木弥太郎もその気になったらしい。
 それからというもの留吉は、若い者を従えて長崎町へ出入りしだし、森蔵にも、
「俺がような男を売る稼業のもんが、任侠隊って名のつく屯(たむろ)へ知らん顔じ
ゃ罰当たりだ」
とかなんとかいっては、
「まあ知らねえ仲じゃなし、一つうまく力をあわせ、俺達がお江戸八百八町の守り神
になってやろうじゃねえかよ」
 肩を叩かんばかりに馴々しくした。が、時には仇っぽくなったお辰に眼をやって、
「ますます女っぷりが良くなりゃあがった」
などと未練気をみせ、そっと小当りにあたって、口説いたりもしてみたらしい。
 が、お辰の方には、もうその気はないらしく、てんで相手にはしていないらしかっ
た。
 さて、飛鳥山の花見も雨にふられて、あっという間に終ってしまった三月二十二日。
留吉がやってきて青木弥太郎を待ちうけ、顔をみるなり、
「殿様‥‥徳川(とくせん)のお扶持を賜っている金座役人の中に、ひでえ奴が居り
やすね」
 口惜しそうに腕まくりをした。青木が、
「‥‥どうしたのだ」ときくと、
「天下をひっくり返そうって企んでいる長州の奴に‥‥そっと此方の金を廻して裏切
りしようってんだから、ひどい話じゃありませんか」と留吉は息巻いた。
「そうか、そうと判っているのなら‥‥何故ふん縛ってしまわねえのだ」
「へえ、出来ればやりやす‥‥しかし金座は御勘定奉行差配下で、町奉行では手が届
きやせん‥‥殿様は評定所書物方から勘定方吟味役にもなろうとした御方、それぐら
いはよく御存じでしょう‥‥駄目でやすぜえ」首をふって顔をしかめた。
 が青木弥太郎は、それに、
「管轄違いといっても吟味方へ願い出れば、向こうと掛け合ってもらえるぞ」といっ
た処、
「そりゃそうですが‥‥まあ三月はたっぷり掛りましょう。なのに金座役人上月小藤
次が長州へ廻す金を、本所中の郷の別荘で引き渡しするのは、今夜か明朝って云うん
ですぜ」
 頭を抱えこむようにして溜息をついた。
 だから青木弥太郎は、にっこりして、
「心配するな‥‥そうしたお上の手が廻りかねる処へ、乗りこんでゆくのが吾ら任侠
隊だわさ」と言い切った。
 ところが、留吉はいわれて顔をあげたが、
「殿様は御存じねえが、いま密かにこの江戸表に居残っている長州っぽは、斎藤弥九
郎の練兵館で熟頭をしていた桂小五郎とか、錚々たる腕ききばかりだ。そこへ此処の
連中じゃねえ」と情けなさそうに見渡した。
 そこで青木弥太郎は己れの掌の竹刀胝(だこ)をみせ、
「おれはこうみえても北辰一刀流の目録だ。今日は自分で行ってやる。なら良かろう
が」にたりとしていってのけた。
「と、殿様が、ご自身でお出まし‥‥ならば間違いなしってところだ」
 ほっとしたように留吉は戻っていった。
 庭の八ツ手の葉に西日がさしこんでくると、弥太は伸びあがって、
「贋天狗退治じゃなく、本物の長州っぽ征伐だ」と、一人でゆくといいだした。
「‥‥そうはゆきやせん。隊長一人ゆかせては、任侠隊の名がすたりやす」
 長次郎が板前の鉄次や相政の若いのを二人選んで、暗くなって出かけてゆく弥太郎
の後をついていった。
 しかし中の郷へついて、上月小藤次の別荘を四方から手分けして見張っていたが、
なかなか目ざす長州っぽは現れてこない。
 そこで青木は詰まらなさそうに、
「帰る」といいだした。が、長次郎は、
「せっかく隊長がお出ましになったのに、手ぶらでお戻りになるって手はないでしょ
う‥‥まあ忍びこむだけは入ってみて、様子を探りましょう」と、かきくどいた。
 鉄次も側へよってきて、
「ここは別荘だから、事によったら長州っぽの匿れ家になって居るのかも‥‥」と告
げた。
「それもそうだ‥‥」
 弥太郎もその気になってうなずくと、
「では」と門の処へ駆けていった相政の若い者が、力まかせにどんどん叩き、
「任侠隊のお調べだ。あけなせぇ」
と呼ばわって開門させ、
「さあ殿様‥‥」すぐさま中へ案内した。
 しかし邸内くまなく探したが、目ざす長州侍は居らず見つかったのは、油桐紙にく
るんだ三百両の金包みだった。
「これが長州へゆく金なんでしょう‥‥」
 いまいましそうに長次郎は、鉄次に眼くばせしてからが、
「‥‥これさえ持って行っちまえば、長州っぽが来たって後の祭りだろう」
 その金包みを抱えて外へ出てしまった。
 ところが、この二月後の五月二十七日。
 青木弥太郎は根津宮永町の岡場所へ、うっかり足を踏み入れたところで、根津の勘
八という下っ引に絡まれ、あげくのはてが月番の南町奉行所へもってゆかれた。しか
し、
「直参の御旗本が町方お召捕りって、御法はないから‥‥いくらお取りこみのごたご
たの折でも、間もなく殿様はお戻りだろ」
 皆が気にして話し合っていたが、二月たった七月三日。お辰が南町奉行所へ呼び出
され、そのまま女牢へ放りこまれてしまい、その上、小倉庵へ戻っていた長次郎や鉄
次までも、御用弁にされてしまった。
 ところが小倉庵というのは、その頃、亀清と並び称される本所本瓦町の大料理屋だ
ったので、これは大評判になり、西南の役の翌年には、『小倉山青樹栄昔日新話(あ
おきはさかえるむかしのしんわ)』という題で、当時流行の実録小説本にもなって弘
められた。
 が、その明治十一年刊の本では、弥太郎は故意に文中では青木栄の名に変えてある。
 が、明治二十年になって伯円がこれを種に己が講釈に仕立てた際は、
(御直参旗本が泥棒扱いされたのは古今に例がない)という処からか、武田伊織と、
その名を変えて、「徳川小僧」の名をつけた。だから大正に入って活動写真になった
時は「葵小僧」の題名ともなった。そしてその中で、鬼神のお柳として出てくるのが、
お辰なのだが、小説や映画では牢に入っては居られず、外から牢破りするようになっ
ているが、実際は捕われていたのである。


伝馬町揚屋牢(あがりやろう)

「どうでぇお辰‥‥おめぇにゃあその気がなくても、此方とらぁ大ありだ。魚心あり
ゃあ水心の譬もあらあな‥‥どうでぇ、うんと承知してくれさえすりゃあ、捕り違い
ってことにして、すぐにも御赦免にしてやろうぜ」
 板囲いの土間の折檻部屋へ連れ込み、留吉はここぞとばかりに、くどきにかかった
が、
「何をお云いだい‥‥勤めをしてる間は、おまえがような男にも、そりゃ肌身を許し
たが‥‥今は抱かれてやる義理なんか有りゃあしないんだ」とけんもほろろ。
「ちえッ何を云ってやぁがる‥‥森蔵と転がりこんで来ゃあがった時、ずうっとこの
俺に抱かれずめだったは誰だったっけえ」
「よしとくれ‥‥あの時は、弱きを助け強きをくじく男だなんて‥‥おまえの効能書
きをまにうけ、うっかり信じこんでいたからさ。だがねぇ、あたいを取り戻したいば
っかりに、うちの殿様まで捲き添えにし、まんまと罠にはめるような小汚い真似する
ようなのは、面もみたくないよ」
 おちょぼ口から唾まで吐きかける始末。
「せっかく、おかみの御慈悲をかけてやろうと、わざわざ呼び出して下吟味してやっ
ているのに、太い阿魔っちょだ」
 いくら惚れこんでいても、こうまで悪態をつかれては、留吉とても可愛さ余って憎
さが百倍。そこで後手に縛られているお辰を、六尺棒で滅多打ちにしてから女牢へ戻
した。
 だが、こうなると留吉は穏やかでなくなった。もしもお辰の口から洩れでもして、
上月の別荘へ弥太郎らを差し向けたのが、自分の策略と判ってはまずいと心配した。
 そこで、なにがなんでも青木弥太郎を早く服罪させてしまおうと考えた。
 留吉はかねて付け届けをして眼をかけてもらっている与力の三好善介の許へ頼みに
行き、その伝手(つて)で町奉行池田播磨守の奥向きへ、小判を底に並べた菓子折を
すぐさま届けた。
 そして自分は、神田から本所へかけて押込みにやられた商家の主人共の、口書きを
急いで集めさせて、大福帳のように綴じあげにかかった。
 数日たって三好善介の介添えで、奉行に面接が許されると、留吉はその分厚い口書
き綴りを差し出し、あらゆる押込み強談の一切を青木の所業にしてしまい、恐る恐る
に、
「何分とも御直参のお旗本ゆえ、みな町屋の者は泣き寝入りでございます」と訴えた。
 播磨守は、小判を届けられているてまえもあるから、
「そうか、御家の武士の風上にもおけぬやつ、きっと糾明して後難を残さぬようにし
てくれようぞ」
はっきり請け合った。
 しかし、この時代は将軍家直臣を、町奉行だけでは断罪できなかった。それゆえ、
竜の口の評定所へ身柄を運び、池田播磨守は大目付神保伯耆守、目付一色邦之助の二
人と共に取り調べに当った。
 もちろん神保邸や一色邸へも留吉はすかさず廻り、
「なにしろ青木弥太郎さまは御直参の身分ゆえ、もし御赦免で出所されたら、被害届
を出しました商家の主人は、こりゃ無礼討ちになろうと皆すっかり蒼ざめております
る」
 それぞれ小判をつめた菓子折を、それら町屋の者の志と詐って届けておいた。
 だから大目付けや目付の二人も、
「弱い町人を脅し廻ったとは、許し難い奴である」初めから悪党扱いして掛ったから、
「いい加減にさっしゃれ、盗賊を追い払ったる身共を‥‥あべこべに賊に仕立てて何
の駅があろう。もし、将軍家奉公人のてまえに、賊の汚名を冠せられるに及んでは、
徳川(とくせん)家は盗人に代々扶持しおかれたと天下の嗤いものになり、おてまえ
らも賊の同輩となる道理がお判りめされののか」
 縛られている弥太郎の方がかえって叱りとばした。
 しかし、そう云われたからといって、それもそうだと判るような役人は、いつの世
にもいない。
「不届きな奴である‥‥牢問いにかけい」
となった。面目にかけて無理矢理にも白状させてしまえとばかり拷問が加えられた。
 大きな鎖の環のついた柱を背に動けぬようにくくりつけられ、三角算木を五本並べ
三寸釘の先の出た算盤板の上へ座らされた。
 そして上から、長さ1メートル巾30センチ、厚みも同じの伊豆板を、膝へ一枚ず
つのせられるのである。一枚の目方が45キロだから、二枚で90キロもの重量にな
る。
 それでもじっと堪えていると、牢屋同心が、
「これッ、早うに申上げぬか」
「さっさと恐れ入って白状しませぬか」
 左右から石の端に足をかけて踏みにじる。
 だから石の下の膝は皮がさけ肉が切れ、下の算盤板の角が向脛にくいこみ、骨まで
釘が突き刺さってくる。ここまで苛まれると、人間は案外に弱いものだから、誰もが、
(どうともなれ)とやけっぱちになるか、まるっきり乱心してしまって正体をなくし、
やりもしない事でも、やったろうやったろうと責められると、つい云われる侭に、
(やった)と云わされてしまうものだが、
「‥‥うむ痛い。だが、一向に身に覚えがないぞ」と、青木弥太郎は頑張った。
 この間の事情を、明治十一年の実録本は、
「石数五枚を算える程の、伝馬町に牢ができてから前例もないような、ひどい牢問い
にかけられたが、それでも青木は屈伏しなかった」
とするが、五枚では225キロ。大の男が四人も膝の上にのった事になる。
 すこし誇張がすぎるようにも思うが、外部から御用聞きの留吉が、御用盗の手引き
をしたり尻拭いしての泡く銭を、せっせと役向きに撒いていたから、その突き上げで
弥太郎も女をとられた留吉の怨みから、牢屋では相当以上に酷く扱われたようである。