1040 江戸侠客伝  6

神田明神

 神田明神に天野屋とよぶ甘酒屋がある。現在は大祭の時の他は、麹しか売っていな
いが、その頃は赤毛氈(もうせん)を縁台を出し、ごとごと煮たった甘酒の大釜から、
一杯十文で売っていた[現在でも売ってます]。
 弥左衛門町の長屋から、ここへ通いで花は働きにでているが、なにしろ目につく器
量。そこであまり神信心には縁のなさそうな、ろ組の火消し連中も、花を目当てに参
詣にきたり、甘酒を呑みにくる。
 もともと花には、幼馴染みの喜三郎がいるのだが、いなせな火消し連中は叩き大工
と違って、あぶく銭のみいりが多いから、甘酒代に十倍もの値打ちの天保銭を、
「つりは取っときな」
と置いてゆく。だから、それにつられて花もにこにこ愛嬌をみせる。
 ろ組の纏持ちで半次というのが色も白く、彫りの深い顔をしているので花も満更い
やでなく、誘われると両国あたりへも出かけた。
「近頃、時々帰りが遅いようだが」
 これを気にした喜三郎が、
「嫁に早くしたい女がいますから、かまどが持てるよう、給金をあげてやっちゃ頂け
ませんか」
 もみ手をしながら申しでた。
 しかし棟梁は鼻で笑って、
「腕をあげたら、日当も上げてやろう。まだ半人足みたいな仕事っぷりで、嫁をもち
たいなどと生意気なことをほざきゃがるな」
 てんで相手にしてくれない。しかし時たま戻りが遅いだけでなく、花が見覚えのな
い半襟をかけたり、変わったかんざしを差していたりする。そこで気になって湯島二
丁目の仕事の帰りに、そっと明神さまをのぞきに行くと、
「あっ‥‥」喜三郎は眼の色をかえた。なにしろ、ろ組の絆天をひっかけた火消しの
若いのと花は人目を忍んで帰ろうとしているところ。もう、こうなると喜三郎も若い
から前後の見境はない。
「よくも、おれの女を‥‥」
 道具箱の中から、ちょうなを取り出し、これをふりかぶって、
「野郎ッ覚悟しやがれ」
 掛かっていった。すると向こうも、
「なんでい」花をかばって大手をひろげたが、互いに正面から顔を見合わすと、びっ
くり仰天。
「うぬは茅場町の火事のとき、伊勢屋の棟に上って纏をふっていた俺の足を、下から
引っ張りゃあがったあの時の大工じゃねぇか」
 きっとして睨みつけてから、
「飛んで火に入る夏の虫というが、お誂えむきに手前の方から顔をつきだしてくると
は、こりゃ明神さまのご利益か」と首にさげていた竹笛をピイッと吹くと、
「わあッ」と集まってきたのが、明神下御台所町に溜り場をもつ、い組の若い者。
 組こそ違え同じ仲間だからして、
「なんでぇ、この野郎ッ」よってたかって喜三郎に掛ってくる。
 惚れたいとしい花の見ているてまえ、
「なにおッ」と喜三郎も暴れに暴れた。
 しかし多勢に味方は一人きり。しまいには袋叩きにされてしまった。こうなっては、
いくら意気がっても仕方がない。
「殺しゃあがれ」喚いて強がっていたが、しまいには気を失った。
 さて茅場町の火事は二月の初めだったが、この年は気圧の関係か引き続き空っ風が
烈しく、この日、三月四日も辺りが薄暗くなると共に、「ビュウン、ビュウン」凄い
唸りをたててきた。これが有名な、
「文化三年[1806]江戸の桃祭大火」
となるのだが、ぶん殴られひっくり返っていた喜三郎は知る筈もない。しかしガーン
ガーン打ちならされる半鐘は耳に入ってきた。
「‥‥火事だッ」
ようやく正気づいて眼をあけたが、殴られ蹴られているから足腰が痛くて動けない。
 しかし、ぼやけた頭の中で、
(先刻の纏持の野郎め、さぞ向こう鉢巻なんかしゃあがって、良い恰好をお花に見せ
ているのか)
と想うと男の妬情はえらいもので、ふらふらしながらも立ち上れた。
「ちくしょう。惚れた女の前で寄ってたかって、ぶざまな目に逢わせてくれるとは‥
‥情け容赦もない男の風上にもおけない野郎だ」
 喜三郎は柄の長いちょうなを杖につき風下の方へ探しに行った。


一本どっこ

 火の手が何ヵ所からも起き、それが星空を朱色に染め、やがて不動さまの紅蓮の焔
のごとく深紅にかえてしまい、火の粉が赤い流星さながら宙にはねだした。
 熱気がこもって息苦しくて歩けもしない。そこで落ちている筵を用水桶に浸し、こ
れを冠ったがジュウジュウ音を立て直ぐ乾いてくる。
「とても野郎なんか追っかけて行けねぇや」とあきらめてしまい、
(こりゃ、てめぇの長屋へ戻らねぇと、弥左衛門横町も危ねえや)
 煙にむせてゴボゴボ咳をしながら、三十間堀までたどりつくと、
「いけねぇ」喜三郎は驚いた。
 紀伊国橋から銀座通りが、真っ赤に見えたからである。
 しかし他にどう行く所もない。
 そこでゴオゴオ唸って強風の吹いてくる地面は進めないから、
「よいしょ」と両替町へ曲り、丸太新道から北久尼橋へ出、そこで今はカジバシ座と
いう地下映画館のあるあたりから、お壕割りの土留めの石垣を腰を屈め、口に濡れ手
拭いを当てがって進んだ。すると数奇屋橋河岸の方から伝政の筏がきて、
「おう喜三郎じゃねえか。飛び火で槍屋町が燃えているから危ないぞ」顔見知りの若
い衆が呼びかけてくれた。が、そういわれても引き返しようもない。だから、
「ありがとうよ」怒鳴り返したが、そのまま進んでゆくとなるとなるほど、夜目にも
灰色に煙に包まれているが、槍屋町の火は南へ移ったらしく、
「おおい、大丈夫か‥‥」
 がなりたてると、聞き覚えのある長屋の連中の声が、
「火がつきゃ前のお堀へとびこむ気でいるが、まだまだ大丈夫だぞぉ」
と返ってきた。そこで良かったと木戸口から息を切らせて飛びこみ、自分の家へ入っ
て手探りで汲みおきの水を飲んでいると、
「‥‥喜三郎さぁん」背中に抱きついてこられワアッと泣かれた。
「どうしたい、お花ッ」
 振り返って抱きしめると、
「阿父っつぁんは、お出入りのお店の土蔵の塗りごめに行って、煙にまかれて死んじ
まったよぉ」
 ヒイヒイ声をたて号泣した。
「こて一挺の左官がやたらに死ぬもんけぇ。朝まで待ってみな」
 慰めていると、濠割りを舟で下ってきたのか、足音がして、
「ほれみねぇ。阿父っつぁんは無事だったろう」
と表へつれ出した。
 が、出逢いがしらに眼に入ったのは、夜目にも白い「ろ組」の纒。
 これには喜三郎も仰天して、
「てめぇらは、さっきの野郎共‥‥うぬらが女のけつばかり追っかけ、火消しに身を
入れねぇから見てみねぇ。お江戸八百八町あらかた焼っ原じゃねえか」
と睨みすえると、纒持ちの方も暗い家の中から、まるで抱きつくようにして花をつれ
てきた喜三郎に、
「この野郎ッ、とんでもねぇ時に、女を引っ張りこんでいちゃついて居やぁがって‥
‥」やきもちをやき、
「こんな晩だ。一人くらい叩っ殺したって燃えてる所へもって行って放りこみゃ判り
ゃしめぇ」
 いきなり鳶口で脳天めがけて打ちこんできた。他の火消しも手のつけられない業火
に、かっかとしているところだから、一緒に、
「てめぇ、きいた風なことをぬかしゃあがったな」と、脇差をおびているのが抜いて
きた。
「うぬらは火消しのくせに火事は放ったらかしで‥‥おれを殺そうってのか」
喜三郎も刃を潜って、
「ふざけるねぇ」と大工道具のちょうなで渡りあった。しかし昼間散々に痛めつけら
れているから、どうも思うように立ち回れない。
「あッ」と声をあげた時は左手を二の腕からバッサリやられ、
「しまった」その場にひっくり返った。血のふきだしがひどく、火消しの連中は、そ
れであわててまた舟にのって逃げていった。
 が、困ったのは喜三郎である。
 きれいに、まっ二つにされたものなら、傷口に芋焼酎でもかけて布で縛れもするが、
皮と肉が少し残ってぶらぶらしている。
 もちろん、くっつけても貼り合わせがきくわけがない。といって鋸を探してひくに
しても暗くて手加減ができぬ。そこで下帯をとって入口の鴨居へひっかけ、
「よいしょ」と空箱にのっかって手首をかけ、ぽんと箱をけとばすと、手の首吊りの
恰好でぶらついていたのがもぎとれた。
「どうした‥‥」急をきいて棟梁が駆けつけてくると喜三郎は喘ぎながらも、
「腕が上った」と鴨居に残っている左手首を顎でしゃくり、
「花と世帯をもてるよう、おれの給金をあげてくれ」と喚いた。
「うん‥‥」これには棟梁も、呆気にとられてしまって、
「それより破傷風にでもなったら大変だ…」
 すぐ手当をしてから、おろおろしているお花に、
「おめぇも、ここまで男に惚れられたら、女としては本望だろ。大切にして仲良く添
いとげろよ」といった。
 しかし、右手だけになった喜三郎への落し前に、ろ組の火消し一同が、数奇屋橋河
岸一帯の口入れの元締めにと立ててくれたので、「一本どっこの喜三郎」又の名を
「腕の喜三郎」と呼ばれる貸元に出世をした。今でも地下鉄南千住駅前の回向院に、
鼠小僧次郎吉と並んで片腕型の小さな墓が残っている。
[原書には、喜三郎にあやかって削りとられるのを防ぐため、金網張りされた彼の墓
の写真が掲載されてます]。

 墓があるから実在といえるかどうか疑わしい。なにしろ玉田玉秀斉グループによっ
て、明治三十九年三月に大阪市南区北炭屋町百七十番地の柏原政治郎の圭文堂から生
れたもので、片腕の喜三郎が弱きを助け強きをくじくという身体障害者の武勇伝が、
さきに日清戦争や当時の日露戦争の傷病軍人を勇気づけるものと認定され、日赤病院
の推薦や、軍部の多量お買上げで有名になったもので、尾上松之助の映画でも一般的
になったのである。


                江戸の相政


惣嫁のいる土手

「五文渡しの舟が出るぞお…」
 船頭が掌を筒にして呼びかう鎧の渡しは、今は証券街中央の兜橋の所だが日暮れ時
になると、小網町行きの客でごった返す。
「早くゆかぬと間に合わぬ」武家奉公の折助仲間や、お店(たな)者がひしめき合う
せいである。
 というのは、対岸の裏河岸は千葉から蛤や浅利を運んでくる行徳河岸だが、その先
の稲荷堀の酒井雅楽頭中屋敷の黒板塀にそった蠣殻河岸の土手に、上総あたりの娘た
ちが、その頃の天井知らずの物価高には、とても普通の稼ぎでは追いつかぬのか、秘
かにこの辺りまで舟で来だして、「惣嫁(そうか)」とよばれる客引きをしだした。
 すると、これがまだ素人同様ですれっからしていないから、「ありゃ良い‥‥」と
すっかり人気をよんで渡し舟で先を争い、男たちがわれ先にと集まってくるのである。
 が、いくら男が詰めかけてきても娘達は嬌声をかけ呼ぶわけではなく、客がつくと
叢の茂みの中へ、かき分け入ってゆくだけだから静かなものである。
 だからそれに眼をつけた政五郎は、ここの土手へ隣町新右衛門町小間物屋の娘美代
を、なにくわぬ顔で連れ出してきてからが、
「いい月だよなぁ」といいつつ、土手の叢に転がっている一組ずつの組み合わせを、
恥ずかしがる娘に指さし覗かせ見せ、
「郷に入ったら郷に従えってことがあらぁ、ここへ来たら皆さまと同じようにしなく
ちゃあ、いけねぇんだよ。いいね」
 いってきかせて押し倒そうとしたが、
「こわい‥‥」と美代はおびえてしまい、
「盃事をあげるまでは」と胸を突っぱって政五郎をよけ、身体を起すと海老みたいに
丸まって震えだした。そして泣き声たてて、
「いやん、帰る」といいだした。
 のち新門辰五郎と並んで、大江戸最後の任侠と謳われた相模屋政五郎も、この時は
まだ十九才。だから止むにやまれぬ血気の盛り。
「とても祝言するまで、お預けくった犬みたいにチンチンして、いや出しっ放しで待
って居られるかい」と突き出した物をもて余し、
「いいよ、美代ちゃんがそんなに冷たいんなら‥‥おいらにだって覚悟があるよ。惣
嫁というのは誰の嫁にもみんななってくれるんだ。銭を結納にもってゆきさえすりゃ
あ、すぐその場でああして寝てくれるんだ」
 客と別れ一人になった女を見つけ立ち上がりだした。これには美代も周章てて、
「いやん‥‥」すねるように裾をつかんだ。
「なら、こっちで間に合わせてくれるかい」
「だって、そんな‥‥おそがい[名古屋弁で『怖い』の意]、怖いわ」
「大丈夫だってことよ、なぁ、おいらのことを美代ちゃんが好きだって証拠ぐらい、
見せてくれたって良いじゃないか」
 ようやく云いくるめ捻じ伏せてしまい、のけぞる美代の上へ覆いかぶさったとき、
「‥‥かりこみだ」と突然の叫びがした。
「お手入れだぁ」女たちの悲鳴が聴えた。
 ぞめきお素見(ひやかし)に化けた下っ引連中が、永久橋の本多肥後守上屋敷脇か
ら甚左衛門横町まで、地引き網みたいに張っていたらしく、土手っぷちの下から、
「わあッ」と狩りの勢子(せこ)よろしく、ときの声をあげて這い登ってくるなり、
「御用だ、神妙にしゃあがれ」
 口々に喚いて逃げ惑う女や男の肩口へ、情け容赦もあらばこそ十手を叩きこんだり、
抱えた六尺棒で滅多打ちをくれだした。
「なんで、こんな大捕物になりゃあがった。この土手に天下を狙う大伴の黒主(くろ
ぬし)でも匿(ひそ)んでいやがったんか?」泡をくった政五郎は、
「起きるんだ。早く逃げちまおう」
と美代の手をひっぱった。ところが、
「痛い‥‥竹箒の柄でも身体に刺さっているみたいで動けなんぞできゃしない」
 地べたへ釘づけに貼りつけられでもしたような、憐れっぽい声をだして美代は、
「良いから貴方だけ逃げて‥‥」
 自分でも起きようと腰を浮かしはしたが、それもならず、掌で土手の草をむしるよ
うにして突っ張りつ、悲壮な叫び方をした。
 が、そういわれても、ではお先にと逃げ出しもならず政五郎は、
「確りしな、お美代坊、おいらがおぶって行ってやろう。背を貸すよ」
 あべこべに向かって己が腰を屈めたとき、
「助けておくれよう」と土手下から逃げてくる女達が、横から突き当ってきた。
 だから身体を浮かした恰好の政五郎は、もろに弾みをくって転がり落ちた。
 しかも悪いことに土手の下積みの石の角に、いやという程脾腹(ひばら)をうって
しまった。
 そこで、美代のことが気になっても今度は自分が立てぬことになって、
「うんうん」蹲(うずくま)ったまま唸っていると、ガタピシ軋む木輪の音が地響き
みたいに伝わってくる。痛む下腹を抑え伸び上がってみれば、荷車に何人もの女が縛
りつけられてゆく処。
「そうかぁ‥‥女狩りだったのか。ここら辺りに出る上総女は泳ぎが巧いから、水の
中へ逃げられないよう、あっしてくくってゆくんだな」政五郎は泣き叫ぶ声をききつ
つ考えた。
 そして、
(夜鷹狩りなら、れっきとした新右衛門町の小間物屋の娘の美代には係り合いもなか
ろ)
 ほっとして夜空を仰ぎみたが、
「まだ、あの侭で寝転がっているんじゃあ、夜露に当って毒だろ」
 すこし痛みがおさまると、もとの場所までよじ登っていってみた。
 が、何処を探しても一向に見当たらない。
「美代ときたら十七にもなるのに、からっきしねんねで甘えん坊だ。さっきだって女
ならうちの阿袋さんにしろ、平気でいつも自分からやりたがってることをしてやった
だけなのに‥‥まるで死にそうに暴れやぁがった。しかしあの騒ぎには仰天し泡くっ
て、てめぇでさっさと家へ帰ったんだろう」
と、また鐙の渡しから政五郎もひとりで戻った。


檻に入れられた女達

 口入れ屋といっても、日本橋界隈の丁稚小僧の年期奉公だけを扱っている相模屋は、
暗くなると表の大戸をしめてしまう。
 そこで裏木戸から潜りこんで勝手口で、泥塗れの手足を洗いでいると、
「どうした。喧嘩でもしてきおったか」
 物音をききつけた父親の貞右エ門が姿をみせ、気難しく叱言を浴びせかけた。
「そんなんじゃねぇ。捕物の巻き添えをくったんだよ」と、むくれていい返したとこ
ろ、
「こっちへ早く上がってきなさい」
 怖い顔をして自分の居間までつれこみ、
「喧嘩口論なら大事はないが、捕物の見物などし、巻添えにされ、もし間違えられて
御縄を頂戴し牢へつれてゆかれでもしてみぃ。この相模屋の暖簾に傷がつくではない
か」
 頭ごなしにがみがみ文句をつけられた。
 そこで政五郎が閉口して手をふり、
「阿父っつぁん。巻添えといっても土手から滑り落ちて、ちょっぴり手足をすりむい
ただけだが、女狩りなんだから間違ってもおいらがしょっぴかれるわけはねぇ」
 いいかえしたところ、文句をつける継穂(つぎほ)がなくなって、貞右エ門はしょ
うことなしに横を向き、父子の間だが座が白けた。そこで、
「なぁ阿父っつぁん。なんで目明かしってのは、あんなに精出して女なんか捕えるん
だろ」
 首をすこし曲げて尋ねかけてみると、
「そいつは、おまえ‥‥」と貞右エ門は、
「‥‥目明かしや下っ引きというのは、南北奉行所へ出入りを許されているが、『同
心何某様御知(みし)り』といった門札を貰う程度の扱いで、びた一文のお手当も頂
いちゃいねぇ。やつらの給金や盆暮節季の銭も出所は一切、新吉原からなんだ。だか
ら吉原の商売の邪魔になる無許可の岡場所は放ってもおけんから、やつらは嗅ぎ廻っ
て岡場所を根絶やしにしようと、見つけ次第に踏み込んではしょっ引く。そこで『岡
っ引き』ともいうだろうが‥‥」
 訊かれたのに気をよくしたような口調で、
「捕まった女たちは吉原会所から各女郎屋へくばられ、そこで年季なしの生涯只働き
の勤めをさせられる‥‥まぁ世の中に仕込みが掛からぬこんなぼろい話もない。そこ
で会所では月決めの手当の他に、捕まえてきた女一人にいくらと奨励(はげみ)金を
やるらしい。元手いらずに儲かるから下っ引きは仲間でくんで、夜鷹まで網にかけて
御用弁にするんだ」と教えた。
 口入れ屋稼業で時には身売りの相談をもちこまれ、女衒(ぜげん)を通じて吉原へ
世話をする貞右エ門にとっては、岡っ引きのそうした捕物は、いわば商売の邪魔。だ
から口から唾をとばして伜にしゃべっている最中。
「旦那。新右衛門町の小間物問屋さんから‥‥此方の若旦那は戻っていなさるか?と
のお使いがみえてますが」と番頭が知らせにきた。
「えッ、お前は小間物問屋の娘を連れ出していたのか」びっくりした貞右ヱ門にどな
られ、
「美代ちゃんは堅気なお店(たな)の娘‥‥間違って連れてゆかれたとしても大丈夫
でしょう」
 父親のてまえ照れ隠しに頭をかくと、
「この馬鹿ったれめが‥‥そうならそうと何故すぐ小間物問屋さんに教えに行かなん
だ」
 泡をくった貞右ヱ門は店へ駆けてゆくと、大戸の潜りから入ってきて、提灯片手に
土間に立っている使いの番頭に、
「わしが一緒に伺ってお話しましょう」
 あたふた出かけていった。政五郎も気になったが、一緒について行けば向こうの親
爺にも怒鳴(どや)しつけられそうなので、自分の部屋にひっこんでその侭布団をか
ぶって寝てしまった。
 朝になってみると父親の貞右ヱ門は小間物問屋へ行ったまま、まだ戻っていないと
いう。
「事の起こりはお前じゃないか。男らしくしゃんとして行っておいで」
 心配して一晩中起きていたのか赤い眼をした阿袋に、追い立てられるように新右ヱ
門町へゆくと、そこの主人と一緒に父親は弾正橋を渡った八丁堀の宗印屋敷前の囲地
(かこい)へ出かけているとの話。朝飯前のかったるい腹をかかえ、福島町から橋を
渡り、恐い顔をした門番が立っている松平越中守上屋敷の、白壁について松屋町まで
出て、教わった囲地へつくと、
「わいわい」心配そうな顔をしたのが人垣を作って、しきりと中を覗きこんでいる。
 が、見廻したところ、貞右ヱ門も小間物屋の主人の姿も混じっていない。そこで番
人の目を盗んで中へ入りこむと、構内にはいくつもの建物がある。薄暗くてはっきり
としないが、
「てえッ‥‥」眼がきくようになると政五郎は、己が目を疑うような叫びをあげた。
 皮つきの丸太で組んだ檻が並んでいて、女がかためてそこへ放りこまれている。
 柵の間から手を出し救いを求めている恰好のもいるが、あらかた泣きつくし喚きす
ぎ精根つきはてた様子で、放心したように重なりあって座りこみぼんやりした侭であ
る。
 が、夜鷹でも抱主というか親方がいるらしく、それが下っ引きの云うなりの銭を払
って檻までくると、迎えにこられた女は狂喜せんばかりに出口へ這ってゆく。
 女衒とみえる人買いや、近在の街道筋の女郎屋や飯盛女を仕入れにきたのが、顔を
丸太格子にくっつけんばかりに覗きこんで、
「手足の小さな女が道具が良い」とか、「見掛けさえよければ客がよくつく」
などと勝手なことをいっては吟味し、下っ引きに銭をつかませると、てんでに女を連
れ出してゆく。だから政五郎は、
(うちの阿父っつぁんは知ったかぶりをして、吉原へ納める為に女狩りをするんだと
いってたが‥‥これじゃあ、下っ引きの連中の自侭な商売じゃないか。こんな儲け口
ばかりに憂身をやつしていやぁがるから、泥棒も捕まらねぇんだ)呆れ返っていると、
その肩を背後から、
「こら何をしとるか」貞右ヱ門に突かれ、
「美代さんを乗せてゆくんだ。近間だから町駕をよんでこい」
 振返るなり耳が痛くなる位に怒鳴られた。


腕に桜の刺青(もんもん)

 天保四年(1832)、政五郎が二十三歳になった春。
 風邪をこじらせて貞右ヱ門が亡くなり、「相模屋」の跡目をつぐ事になった。
 だが、あれから女房にした美代は、どうも相変わらずの蒼い顔で寝たり起きたりの
暮らしだった。
 なにしろ四年前。素人娘を承知で、惣嫁と一緒くたに荷車に縛りつけていった岡っ
引は、親許から纏ったものを引き出し、それから戻ろうとする魂胆だったが、囲地
(かこい)へ放りこんで家へ戻ってしまった後。
 張り番に残った下っ引き連中は、そうとは気づかず、
「一人おぼこい小娘がいたじゃねぇか」
「どうせ明日になりゃあ吉原のちょんちょん格子か、何処かの地獄宿へやられる娘だ」
 もちろん貞右ヱ門と美代の親が囲地を教わって、その頃には引き取り方に銭をもっ
て迎えにゆき、充分に間に合ってはいた。だが、いくら戸を叩いても、美代にかわる
がわる挑んでいた連中の耳へ届くはずもない。
 ようやく朝になって入口の貫木(かんぬき)のとれた頃には、美代はもう死んだよ
うになっていた。
 駕でつれ戻って本道(いしゃ)をよび煎じ薬を呑ませたが、そんなことで本復する
わけがない。

「もとはといえばうちの伜の政五郎が、とんだ所で連れ出したばっかりの災難ゆえ」
 昔気質の貞右ヱ門が嫁に貰いにいったが、
「ひどい傷物になってしまった娘。今さら貰って頂けるものではありません」
 小間物問屋も義理固く突っぱね断ってきた。しかし当人の政五郎にしてみれば、
「こんな事はなんでもないよ」と口説いてしまった手前、今になって、
(何人もに悪戯(わるさ)された後では真っ平御免)
とも言えぬので、自分で是非にと頼みにいった。小間物問屋も口では強いことをいっ
ても可愛い娘のことゆえ涙をこぼして喜び、
「それではお言葉に甘えさして頂いて」
と相模屋へ嫁によこした。が政五郎一人でさえ痛がって腰を抜かした程の美代の事な
ので、同じ晩に続けざま何人にも朝まで輪番制に突かれてしまっては、腰の蝶番がも
ろに外れてしまったものか、嫁にきても殆ど寝たり起きたりで半病人の有様。
 しかも、その時の恐ろしさが骨の髄まで身にしみこんでいるらしく、今だに、
「恐いよぉ」と夜中にうなされる事がある。
 それも時たまなら仕方がないが、ひどい時にはそれが毎晩のように続く。これでは
政五郎も堪ったものではない。
 といって美代が可哀想だから、女遊びをしにゆく気にもなれない。
そこで通り三丁目の大通りを越した呉服橋よりの樽新道の「丸定」という賭場へ手慰
みに通いだした。
 すると、時たま隣合せに座る御家人くずれらしい男が、賭場の帰り道で、
「貴公の所は口入れ屋だそうだが、わしのような者の奉公口はないか」
改まった調子で話かけてきた。そこで、
「さぁ今いわれて直に御返答もできません。が、何とか心当りを当ってみましょう」
と、その場は別れたが、なにしろ両腕から桜の刺青(もんもん)が覗いている侍くず
れでは、お旗本の用人の口があっても世話はできない。
 が刺青があるからといって、まだ固苦しい武家言葉が唇の端ばしから洩れるのを、
町火消や材木屋へも話は持ってゆけない。
 そこでその侭にして放っておくと、次に逢った時には、
「先日依頼した件、なんとか早急に計ってくれぬか。実は屋敷から持ち出してきた物
も、どうやら底をついてきたのだが‥‥」
切羽詰ったように頼みこまれた。
「仕方がねぇ。じゃ、いっそのこと今夜からでも汚い所だが、わっちの家へ来なすっ
たら如何さまで‥‥そうすりゃ人探しにくるのも多いこったから、相対ずくの相談で、
とんとん拍子に巧く口が決まるかもしれません」
 刺青などしている割にはすれてもいないし、人品骨柄いやしくない育ちとみて、政
五郎は侍言葉の若者を家へ連れ戻った。
 ところが、この金四とよぶ若者は見掛けによらず、四角い文字も達者ですらすら書
ける。その上、二一天作の五と政五郎には何度やっても、数が合わない算盤がパチパ
チとこれまた器用にこなせる。そこで、
「口入れ屋といっても年季奉公のお店(たな)者だけの周旋では面白味がない。武家
屋敷の供揃えが臨時仕事ゆえ儲かるが、請求書や受書の計算を勘定して出すのが大変
だったが‥‥こりゃ良い。他所へ世話するより此方が使いたい」
と政五郎は帳面つけをさせて感心し、
「どうだい金さん、おめぇさん俺が処の帳つけをみちゃあくれないか」
ときりだした。
 もちろん落ち着き先を探していた処だから、金四の方とて否やのあろう筈もなく、
「では、よろしく」と箔屋町へ一緒に寝泊まりする事となった。が、十日、半月とた
つと、
「つかぬ事を伺うが、ご妻女は嫁にこられた時から、あないに具合が悪いとか‥‥」
 どうして半病人の女をよりによって貰ったのか、といわんばかりな顔をしてみせた。
 そこで政五郎は、丁度さし向いで盃を交わしあい、酔っていた時でもあったから、
「これまで他の者にゃあ、女房の恥だし俺にとっても聞えの悪いことゆえ、これっぽ
っちも口外した事はなかったんだが‥‥」
と愚痴まじりに四年前の、蠣殻河岸の捕物で美代が災難にあった話を洩らし、
「なぁ金さん、お上御政道ってのは正しくなくっちゃあいけねぇのに、その裾の方の
木っ葉役人ってのは利得に眼がくらみ、罪咎もねぇ者に、とんだ阿漕をしゃあがるよ
な」
 盃の端をがりがり噛りそうに怒りをぶちまけ、口惜しがってくだをまいた。
「そうか。ちいとも知らなかったが、御上御用の岡っ引てのは、そんな非道を致して
居るものか」金四も若いだけに、すぐかっかとして眼をすえっ放しに、
「仇を討とう」と、これまたいきり立った。