1039 江戸侠客伝  5

神明の大喧嘩

 見るにみかねて出かけて行った弟分の富士松が戻ってきて、
 甚九郎親方が「任せな」というので、その日はひとまず待って居りましたが、翌日
になっても何処からも改まって沙汰はありません。いらいらしきった弥助が堪りかね
てしまい、
「勧進相撲は今日が千秋楽。この侭じゃあ、やつらは風をくらって旅興行へ出てしま
うじゃねぇか」
と、やきもきしてますと、
「町方へお願いしても、神明社境内で興行している相撲とりは寺社奉行さまのお係り、
それでもたついて居るんじゃござんせんか」
 富士松も慰めてはみましたが、やはり気が気でなく、弥助の眼玉は真っ赤に血走っ
て居ります。
 なにしろ当今とは違いその頃は、百姓は勘定奉行、町人は町奉行。神社やお寺関係
は寺社奉行と分かれていましたので、町方の月番の南町奉行所へ届けでても、おいそ
れとゆくわけがありません。が、そうは承知していても、
「こうなったら、おいら落着いて待っては居られねぇ」すっくと立ち上がった弥助は
豆しぼりの藍の香が、ぷうんと匂う手拭で向う鉢巻。長い鳶口を背中に挟んで尻端折
り。たったっと一人で神明社境内めざし駆けだしました。
  こうなりますと富士松も放ってはおけませんから、
「おうい‥‥待ってくれ」六尺棒の長鳶を担いで後を追いかけました。
 すると、仲間内のことなので薄々事情は察して居ります連中が、
「それッ、二人だけでやっちゃ危ない。俺たちもついて行かざあなるまい」
というので、てんでに手鳶をひっ掴んで走りだしました。
 さて相撲の方は今日が千秋楽のことゆえ、いつものような時間稼ぎの仕切り直しも
繰り返さず、とんとん勝負をかたづけてゆき、羽後秋田五十目(いすかめ)村出身の
大関四つ車大八と、日の出の勢いの雷電為右衛門の結びの一番となっていました。
「双方見合わせて、はっけよい残った」行司が紫房の采配をふりあげて、うまく立ち
会わせますと、共に2メートルに近い巨体をぶっつけあって、火花の散るような取組
み。
 なにしろ四つ車は、かつての横綱小野川喜三郎に土をつけ、引退させてしまった程の
怪力ゆえ、雷電の猛攻をぐっと堪えて揉みあっている最中。
  そのときワアッと聞こえる木戸口の喚声。
  そのうちに蓆(むしろ)で張ってある相撲小屋の外壁が、鳶口を引っ掛けてむしり
とられてゆく有様。これには場内立錐の余地なく詰まっていた観衆も、風がすうすう
入ってくるから、
「これは大変だ。今日が打ち止めとは知っていたが、もう小屋を畳んでしまうとは気
が早い」
と外を覗きますと、め組みの纏(まとい)がみえ、火消しの連中の怒鳴る声がきこえ
てきます。だから場内の客はますますびっくり仰天。
「こりゃいけねぇ火事らしい」てんでに外へ飛び出し泡をくって、クモの子を散らす
ように一目散に居なくなりました。
 そこで、これには土俵の上の二人も、がっちり四つに組んだままだが、顔と顔がく
っついているからして、互いに額をすりよせ、
「こりゃあ、いったい何じゃ」
「うん、お客が一人もいなくなっては取り組んでもおられんのう‥‥」
といっている処へ、め組の連中の引っ張ってきた龍吐水の筒口からシャアと浴びせら
れました。
「水が入った‥‥」と四つ車の大八が勝負をやめ外へでますと己れの弟子の水引清五
郎が、まわし一本の姿で丸太をふり廻し、暴れて居るところ。
 そこで大関の四つ車は、義をみてせざるは勇なきなりと、
「事情はわからねぇが、弟子の清五郎を庇ってやらざぁなンめぇ」
蓆をめくり取られ裸で立っている丸太を、左右の手に一本ずつ引き抜き、これを水車
のようにぶん廻しました。
 だから富士松は弥助と一緒に、もうひと息で清五郎の脳天へ鳶口を叩きこめるとい
う処を邪魔されてしまい、
「この水ぶくれめ‥‥」憤然と掛っていきましたが相手は怪力の四つ車。やっつける
積りがやっつけられガアンと頭へ一発。
「ううん」と一声。まるでザクロみたいに頭を叩き割られて、その場で即死。
 こうなるとめ組の連中も、人数がすくないのに気づき近くの火見櫓(ひのみやぐら)
へとんでゆくと、カアンカンカンすりばん叩きに半鐘をうちならす。すると界隈の火
消し連中がそれを聞きつけて、
「それっ神明さまで火が出たらしい」
 てんでに火事装束で集まってきましたのが三百六十と五人。
 これに対し相撲の方は横綱雷電以下フンドシ担ぎまで入れ六十と三人。これが入り
乱れ、血しぶきをあげ、共に引けない男の意地と、各所に分かれあっては互いに一歩
も引かずに血塗れになっての対決。
「この泥さらいめ、くたばりゃあがれ」
「生まれ損ないのでぶ野郎め、覚悟しろいッ」
 互いに鳶口と丸太をふるっての大乱闘。
 弥助は、けんか屋の金八や、こいさみ勇次らの力をかりて、ようやくのことで清五
郎の土手っ腹に、鳶口を叩きこみ、ひるむところを寄ってたかって、顔から肩へ穴を
あけて仕止め、
「お花みてくれ、仇はとったぞ」怒鳴りましたところ、これを聞きつけた四つ車が、
おのれ弟子の敵をとらんと駆けこんで参り、
「フンサイ。フンサイ」とばかり左右の手に握った長い松丸太で金八と勇次の二人を
叩きのばし、ぐにゃぐにゃしてしまうと、
「今度はうぬだ‥‥」弥助めがけて殴りつけてきました。
 が、この時、旅へ出ていました小天狗の長吉とよぶ弥助の舎弟が、半鐘の乱打に駆
けつけて参り、この場の危急をみてとると、見上げる程の巨漢の四つ車の大八をもの
ともせず、
「同じ血を引く兄弟よりも固い契りの‥‥」と言いざま四つ車に掛ってゆき、脳天に
鳶口を叩きこみますと、ふらふらしながらも四つ車は、
「やりゃあがったなッ」四つ輪の荷車を持ち上げ殴り返し、長吉は眼の玉をとび出さ
せて即死。
 修羅八荒。もはや手もつけられぬ屍山血河の有様となったところへ、神明下の当時
名代の生薬屋万金丹本舗の2メートル余の金色大看板を担いできたのが、その暴れ廻
る中へ飛びこみ、
「待った、待った。この喧嘩、土橋の甚九郎にまかせなせぇ」と割って入りました。
 あまりの勇ましさに双方びっくりし眼をやりますと、これへ夕陽にはえる金看板の
光がピカピカして、さながら矢でも射込まれるよう。そこで双方ともに額に手をやり、
「夕陽のガンマンは‥‥」とうとう我慢できかね、眩しそうに額に手をかざして喧嘩
はひとまず中止。
 双方とも仲裁人に任せて落着し、金看板の甚九郎とよばれるようになった当人も、
文化十三年[1816]まで長生きしまして墓は麻布宮村町長安寺に今も有りますが、
さてこの喧嘩の手打式の当日のこと。
 折詰を神田の志乃田寿司から運ばせましたところ、め組の土地(しま)のせいでし
ょうか、同じ折詰なのに相撲側へ配られたのは、当時は安価だった海苔巻ばっかり。
高価な稲荷ずしは火消しの方へ詰っていました。これには仲裁人の甚九郎も往生し、
このとき口にしましたのが、かの有名な「鳶に油揚げさらわれた‥‥」の、名ぜりふ
だそうでございます。


弾家飛び地

 土橋丸屋町とは今の銀座七丁目の新橋の辺りで、ここは鈴ヶ森や神田下お玉が池と
同じ弾左衛門地の飛び地で、江戸府内の特殊地域。のち薩摩の益満休之助らが潜伏し
江戸城放火の根拠地にした治外法権地。それに甚九郎は、弾左衛門家手代でお玉が池
へ千葉の馬医者の伜の周作の道場をたててやり、自分も代稽古していたり、歌人とし
ても当時有名な井上石香の身内で異母兄だったとの説がある。生れた時に弾左衛門家
へ届け出がなかったので別扱いで、寺に死後は埋められたというが、江戸時代は売薬
は、薬師寺医王山系の専売で、他の者にはやれぬから、弾左衛門系の万金丹の金看板
が話に出てくる処をみると関連性はあるらしい。



               夢の市郎兵衛


糸屋の娘

「惚れるなら相撲は明石で、男は夢の市郎兵衛」
 寛永年間の江戸八百八町にその名を謳われましたこの二人は、のち日本最初の横綱
となった明石志賀之助と、固い契りの義兄弟の盃をかわしあったる人入れ稼業の夢の
市兵衛。
 これが二人とも恰幅(かっぷく)がよく頗る男前ときています。そこで連れだって
歩きでもしようものなら、これまた大変とんでもない大騒ぎ。
「ちょっと見てごらんな、好いじゃないか」
「ほんに堪らないねぇ、むずむずするよ」
「あんな男に一度でよいから抱かれたい」
 岡惚れといいますか群集心理と申しますのか。女という女は、鍋やお釜を火に掛け
ているのも忘れ、ふっとぶように表へ駆け出して溜息吐息。気の早くゆく女は二人の
腰の辺りに眼をやっただけで、もう堪らなくなってしまうのか、
「ああ、ゆくゆく‥‥」後姿を未練たっぷりに見送りながら失神してしまいます。
 当時の事ゆえ救急車などありませんから、明石の弟子や市郎兵衛の子分が戸板をも
って後からついてゆき、道端にぶっ倒れた失神女を次々と収容し担いでゆくといった
有様。
 なにしろテレビやショッピングセンターもなかった江戸時代なので、若い女は他に
気を紛らすこともなく、褌一つの明石志賀之助の一枚絵を今日のピンナップのごとく
壁に張りつけ、
「このお方のこの下はどんなであろうか」と褌の所を指で撫ぜさすって妄想を逞しく
しているような好きもの女も多うございますから、実物をみてひっくり返るのが続出
しても不思議はありません。
 さて日本橋本町一丁目糸屋庄助といいますのは、江戸でも指折りの豪商で奉公人だ
けでも百を越そうという大店。ここに娘が二人おりまして、これまた結構な美人。い
ずれが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)といいたい絶世の器量よし。
 ですから十四、五の頃から引く手あまたで、
「どうかてまえの伜めにお輿入れ願いたい」と申し込んでくるのが引き切らず、
「私どもの店の嫁になにとぞ頂きたいもの」と進物まで持って頼みに参ります。
 さて、いろんな商家より貰いにきますが庄助にすれば、どちらかの娘に婿をとって
糸屋をつがせねばなりませんし、それに掌中の珠のような美しい娘を、おいそれと他
家へやる気も致しません。
 また姉妹も親の家ぐらい居心地の良い所はありませんから、降るように縁談がきて
もさっぱり嫁ごうとは致しません。そこで飴売りなどが、この評判姉妹のことを、
「本町一丁目の糸屋の娘、姉は二十一妹は二十、妹ほしさに御所願かけて伊勢に七度
熊野にゃ三度‥‥」
などと太鼓を叩いては唄い歩きます。が、流行歌(はやりうた)にまでなるというの
もよしあしのもので、嫁に欲しいなどと申し込んで断られた若者たちのやっかみでし
ょうが、
「あの齢になっても嫁入りしないのは、小野小町と一緒であすこに穴がないからだ」
「穴なしでしょんべんするたびに火吹き竹の細いのをさしこみ、それを下女がスウス
ウ吸い出してとってやっているって噂だぜ」
「まるっきりの穴なしではないが筆の軸がやっと入る位だから、親の庄助が姉妹を並
べて寝かせ細い笹竹を入れては、大きくなれ大きくなれと掻き廻しているそうだ」
 まるで穴掘りのボーリングでもしているみたいな風評がたち、これが面白いから次
第に江戸中にひろまり、やがて庄助の耳へも入るようになりました。
「人の口に戸は立てられぬというが、丹誠して育てた姉妹に片輪よばわりの蔭口がと
んでは、こりゃ店の暖簾にも傷がつく。さてどうしたらよいものであろうか」
 すっかり胸を傷めましたが、まさか年頃の姉妹をよんで、変な噂が出廻って心配だ
から、確かめるため覗かせてくれぬかともいえません。そこで妻をよびよせ、
「そなたにはちゃんと有るのに何故娘らには無いと蔭口がたつのか。何か心当りはな
いか」と尋ねました処、
「さあ、大きくなってからは私も覗きこんだことは有りませぬが、赤児の頃は襁褓
(むつき)をかえるとき両脚もちあげ、開げた口をよう見ております。決して穴なし
ではありませぬ」
「成人するにつれ土砂崩れの様な事があり、その穴がふさがったという事はないか」
 焼野の雉夜(きぎす)の鶴と申しますが、子をもつ親心はいたましいもので頬をす
り寄せんばっかりに、夫婦して心配致しましたが、なにしろ性教育を学校やテレビで
教えなかった頃のこと。
 とても当人の姉妹をよんで露骨にあれこれ尋ねたり、間違いないか指でも入れて見
せてくれぬかとは、いくら親子の仲でもいえません。


御前試合

 さて低級講談などになりますと、寛永年間に、大久保彦左衛門が審判役を相い勤め、
三代将軍家光の御前にて天下の剣豪がずらりと、きら星のごとく並び互いに技を競う
というのが有りますが、これも誠は真赤な嘘。
 元和元年大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼし天下平定致しました徳川家では、すぐさま治
安維持に武家法度をだしましたが、追っかけ寛永六年十二月と続けざまに、
「鯉口三寸抜いたならお家は断絶身は死罪」の取締条例が強化されました。ですから、
そんな御時世の寛永年間に将軍家みずからが、武術試合など見物なさる筈はありませ
ん。
 ではまったくの出鱈目かと云えばそうでもなく、寛永十七年[1640]に御前試
合のあった事が左大臣藤原教平(のりひら)卿の書にございます。
 が場所は江戸ではなく京、御前といっても将軍さまでなく天子さま御上覧で、やは
り武術の一種でありますが角力(すもう)の大試合でした。
「どうしてぇ明石関。この頃とんと訪ねてくれねぇじゃないか」
両国相撲部屋へ市郎兵衛が心配して顔を出しますと、
「うん。実は来る七月七日に御前試合があるが、これまでは東の大関がわっち、西の
大関は京の仁王太夫と二本立てだったのを取組ませ、勝った方に肥後の吉田司家から、
横綱という新しい位が出るんだそうな‥‥」との話。
「そうかい。おりゃ仁王なんて野郎は知らねえが、お前ほどの怪力なら負けるこっち
ゃねぇ。勇んで行ってきなせぇ、目出てぇ事だ」
 市郎兵衛が励ました処、明石ははらはら落涙して首をふります。そこで、
「どうしたんでぇ、まさか怖気ついたとも見えないが」不審がって尋ねますと、
「京が地元の仁王はびた一文いるまいが、江戸から向こうへ弟子共をつれてゆくとな
りゃ、おれには百両って金がいるんだぜぇ」
 口惜しそうに肩震わせての打ち明け話。これには腕には自信のある市郎兵衛も、な
んともならず、
「親の血をひく兄弟よりも固い契りの義兄弟じゃねぇか、まかせてくんな」と、両国
薬研堀を出ましたが、五両や十両ならいざしらず百両となっては借りにゆく当てもあ
りません。
 とぼとぼ一石橋を渡って北鞘町へぬけ、本町一丁目までさし掛りますと眼についた
のが、糸屋の看板。そこで市郎兵衛は飴屋の唄を思い出し、そこで当たってくだけろ
と覚悟をつけ、
「まっぴらごめんなせぇ」と入っていくと、番頭が、
「いらっしゃいまし、こりゃあ親方さん」と迎えますのに、
「折り入って旦那にお目に掛りたいんで、よろしゅうお頼み申しやす」と奥座敷へ通
され庄助に逢いますとすぐさま、
「おたくの娘さんに縁談をもってめぇりやした」と切りだしました。しかし庄助は手
をふって、
「ご親切は有難うございますが、高望みして嫁にゆきそびれている娘ゆえ、せっかく
の申し出ではありますが」と、すぐ断りをいった。そこで、
「お嫁にお貰いしたいというのは実は明石関で‥‥」
と名をだしますとこれには庄助もびっくりし、内儀をよんで、すぐ姉妹の意向をきか
せますと、
「もう大喜びで是非ともゆきたいと、そない申しております」まるで自分が嫁入りす
るみたいに、内儀が真っ赤になって知らせにきました。
「そうですかい」
 これには切羽詰って金策のつかぬ侭に飛び込んでしまった市郎兵衛も、ほっとした
ように合点はしましたが、
(なにも、俺は嫁入りの仲人口できたのではない。こうして此処へやって来たのは、
もともと金ぐりをつける為だったのだ)
と思い直し、すこし厚かましい話だから次の機会にとも考えたが、なにしろ急場の入
用で、延引もできぬから、
「御得心下さったものならば婿引出物に、百両がとこ貸してやっちゃあ頂けませんか」
手をだしますと、
「うちの娘は穴なしだなどと噂が立っています。まさかとは思いますが金だけ取って、
後になって肝腎な当人をやにが詰った煙管みたいに、通らない使えないと返してよこ
されちゃたまりません」
 そこは糸屋も商人のことゆえ、もしもの用心にと駄目押しをしてきます。
 百両といえば大金ですから無理もありませんが、ここでもたついて居ては、せっか
くできかけた話も水泡に帰すとあわてまして、
「まぁ何を言いなさる。明石関の得意は相撲四十八手の内でも突き落しに突っこみ、
あれだけの力で捻じこめば穴はなくとも明きましょう」
「そういやあ、あの大きな身体で打ちこめば、掛矢で樽の栓口をあけるより楽なこと」
 すっかり話が纏まりまして百両を受取り、これで明石関の一行を出発させました。
 ところが二日程たちますと糸屋からの使い。
 何事かと市郎兵衛が顔を出しますと、
「明石関は尊い天覧の場所前に女は禁物と、盃はあげたが肝腎な方は覗きもせずに、
お弟子衆をつれて御発足。そこで娘や女房はとても気に病んで、それ以来ろくに食事
も致しませぬ。親分あなたが仲人なんだから、娘をつれてゆき立会いで何とか口明け
をしてやって下さらん事には困ります」との、たっての相談。
 旅費の百金捻出のためとはいえ、当人の明石関に一言の相談もせず、勝手に縁組を
とりきめてしまったゆえ、
(それで彼奴め臍を曲げ、祝言はあげたが‥‥その晩なにもせんと出立してしまった
のか。それとも穴なしの世間の噂をまともにきいて、無理やりに、こじあける事もな
かろうと、その侭で一夜を過ごしたか、どちらかであろう)
と考えたが、市郎兵衛は糸屋に対しては約束してあるところゆえ、
「へぇ、場所が済みしだい明石関に、巌をも通す一念で頑張らせましょう」
 そこでやむなく京上りを承知したところ、内儀は足弱だからと、その代りに妹娘が
ついてゆくことに話がなりました。
 そこで市郎兵衛は、
「へぇ大切なお娘ごを御預りしてゆくからには、道中で蚤一匹くわせるこっちゃああ
りません。ご心配なく」と、その翌朝お江戸日本橋七つだち行列揃えてという程でも
ないが、三梃の駕でエッサホイホイと品川から川崎。
 やがて箱根八里をこえて大井川を渡り、江戸から八十八里遠ざかった尾張の宮へで、
そこから桑名へ海上七里の船にのりましたところ、
「見てみな。えらく器量良しじゃねぇか」
「あんな別嬪を両手に花とは悪い野郎だ」
 陸の上は駕で通してきたので人目にふれずでしたが、乗合船ではいくら市郎兵衛が
隠そうとしてもそうはゆきません。唄にまでうたわれた姉妹の美貌は人目をひき、そ
れを見せまいとする市郎兵衛が悪者扱いにされる有様。
 ですから心配し桑名へつくなり名物の焼蛤にも眼もくれず、すぐさま駕を傭い京ま
での二十九里二十町の道のりを、急げや急げと三日で乗りつぎ、粟田口から三条大橋
までついた時はもう陽あしも落ちていました。
 橋の袂の草州庵で京名物の普茶料理を食したのち、江戸相撲一行の宿を探しました
が、市郎兵衛も姉妹も京へ来たのは初めてゆえ、てんで地理が不案内。そこで道に迷
ってあちらこちら尋ね歩いているうちに、次第に夜もふけわたり東山三十六峰草木も
眠る頃合となってしまいました。
「なんとか今夜のうちにと足を棒にして探し廻ったが、こりゃ何処ぞで泊めてもろう
て明朝のことにしましょうかい」と五条大橋の近くまで参りますと、いきなり闇を破
って突如きこえる剣戟の響き。
「はて牛若丸と弁慶の立ち廻りにしては騒々しい」
 びっくりした市郎兵衛が娘達を、柳の木陰にひそませて近寄ってゆきますと、
「京所司代板倉重宗さま御手つきの者じゃ」
と取り囲む役人に対し蓬髪の浪人の群れが、
「われら豊家恩顧の大坂浪人だ。天に一つの日があるごとく、この世に義理がなくて
はならぬ」互いに丁々発止と斬り合っています。
 そこで市郎兵衛は、
「あいやお待ちなせぇ」両手をひろげてそこへ駆け込み、
「わっちゃあ江戸からきた夢の市郎兵衛という吝な野郎だが、天子さまのお膝許でチ
ャンバラはいけませんぜぇ」とばかり双方をぐっと睨みつけました。すると、
「そういえば明日は女の天子さまが、男の裸のもつれ合いを御覧遊されるための天覧
御試合がある。その仕度もあるゆえ浮浪の輩など構うて居られぬわい」
と引き上げまして、残った浪人共も、
「危ういところを千万忝けない」みな最敬礼して散ってゆきました。


日の下開山(ひのしたかいざん)

 さて話変ってその翌日。時の帝明正さまは二代将軍徳川秀忠の娘和子姫が中宮とし
て御所へ入られ生み奉った女一宮さまで、七歳の御即位にして、この時十九歳の麗し
き女王陛下であらせられます。男のストリップなどお好みともみえませんが、関東よ
り供してきています女官共が是非ともと御願い申しあげて開かれましたのが、この御
前試合。
 御会議御殿に御簾をたれたもうて御座所。御鞠場にしつらえた土俵をかこんで御所
内の女官、それに拝観を許された町の者たちは行司が、
「東イ、輪島」とやれば、わじまわじまと声援。行司が、
「西イ、角島」と軍配を返しますれば、かくじまかくじまと声をからしての声援。
 やがて最後の結びの一番に、行司が、
「西イ大関仁王太夫」と呼び出し奴の声で土俵の上へあがってきましたのは、その名
のとおり仁王さまそっくりな巨漢。身体中に針金のような剛毛がびっしりはえ、唇は
クッションのごとく厚く眼はらんらんと燃え、さながらキングコングそっくりな有様。
ところがこれに対し行司が、
「東イ大関、明石志賀之助」と名乗りをあげましたのは、江戸八百八町の娘どもを悩
殺させただけあって、肌は雪よりも白く顔は可愛く当今ならさしずめ佐良直美かピン
キーかピーターかといったおもむきの美しい偉丈夫。
 ですから正面の御簾の中からも、左右の女官も思わず溜息を、ヒヒインと馬の嘶き
のごとく漏らしてしまい、これが交響曲のごとくに響きわたります。しかし控えの吉
田司家は、天下泰平の文字の入った軍配をもったまま無念無想。ところが明石に力水
をつける弟子の一人が心配そうに、
「関取、相手の仁王は所司代さま御抱え力士ゆえ、これをぶち負かしたら、わしらは
無事にとても江戸へは戻れぬ、という噂はまことでごんすか」
 明石に向かって囁いてきました。
「うむ」
うなずき便殿脇の幕前を見渡しますと、それと一目で判る所司代の家来達が、肩怒ら
せじっと此方を見守っています。
 そこで明石志賀之助も、噂というがさては本当の事だったかと気がつき、せっかく
兄弟分の市郎兵衛が百両作って出してくれたのに、こりゃ申訳ないとは想いましたが、
伴ってきた弟子達にまでとばっちりはかけたくない。次の機会に横綱のチャンピオン
ベルトは奪還すればよい。今日のところは負けてやるべぇかと涙をのんで覚悟致しま
した。
 が土俵で四股をふんで向き合いますと、仁王太夫はもう勝負はついたも同様と獅子
鼻をひくひくさせ、嘲るような薄笑い。これには我慢する気でいたのが辛抱しきれず、
そこで、「八百長反対」とばかり、まるで黒い霧をふっ飛ばすように、掛ってくる仁
王をぶちかまし向こう脛に蹴たぐりを掛け、よろめくところを持ち上げ、ずってんど
うと砂をかませました。
「勝負あった」と行司から勝名乗りをうけた明石は、その場で注連縄はった横綱を拝
領。ついで、「日の下開山、日本一」の薄墨の女房奉書を賜るの栄に浴し、感激して
弟子共と御所を退出。
 さて、酔ったような気分で坊城小路まで出て参りますと、いきなり、
「御用だ」「神妙にさっせ」と捕方の群れ。これには愕き、
「何をしゃあがる」傍らにあった牛車をエイッとばかりに持ち上げ、これを水車のご
とく振り廻せば、そこへ負けた仁王太夫が弟子共を引き連れ、
「先刻の遺恨思い知ったか」手に手に大脇差をもって斬りかかってきます。
 これには素手で戦っていた明石の弟子共も追い散らされ、今や牛車を振り廻す明石
関のみが取り巻かれた恰好で、すでに風前の灯。
 この時かけつけました夢の市郎兵衛が、姉妹は怪我をさせぬよう遠くへ残し自分一
人が道中差を引き抜き、駆けこんでくるなり、
「やいやい多勢かかって、なんて汚ねぇ真似をしやがる」
 当たるを幸いバッタバッタと斬りまくりますと、それまで樹陰に隠れていた板倉の
家臣団が、
「王城の地を汚す不届き者め、叩っ斬れ」と押寄せてきます。
 味方は二人なのに、適は多勢で黒山のような有様。
「こいつはなんともなるめぇ」
 さすがの明石志賀之助も力つきて、牛車を向かってくる連中に投げつけ、後は落ち
ていた丸太ん棒を振りかぶって、息を荒くしますと、夢の市郎兵衛も、
「‥‥うん」がっくりしてしまい、もはやこれまでかと諦めかけた時、人垣をおしわ
け、
「御助勢に参ったぞ」と、飛びこんできましたのは前夜、五条大橋で救った浪人の群
れ。
「川べりに吾らがのって参った舟がござる。この場はまかされて落ちのびられよ」
 てんでに刀や槍をもって現れてきた思いもかけぬ助勢の面々。
 これには力つきはてていた両人も、地獄で仏にめぐり会ったように喜び勇み、明石
志賀之助と夢の市郎兵衛は、真っ青になって震えている糸屋の姉妹へ、
「さぁ早うお出なさいやし」急がせまして河岸の小舟で三条まで下り、そこから草津
まで駕をはしらせました。そして、
「もう此処まで落ちのびりゃあ、所司代役人も追ってはくるめぇが、散々な目にあっ
たものだ」
 宿へついてほっとしますと身体中の節々が痛みだし、食事を済ませた後も市郎兵衛
がうんうん唸っていますと、見かねたのか宿の女中が、
「これは土地名物じゃ。やいとすえんかね」灸にもぐさを山に盛ってきました。
「済まねぇこいつは有難えや」喜んで受け取るなり自分の脚に盛り上げ点火しました
が、思い出したように市郎兵衛は、
「おう大変な頼まれ事があった。おめぇの腰にも灸をすえさせろ」
側へ寄りましたので、
「おりゃあ大丈夫だ。何をする」周章てて明石がよけかけますと、
「おめぇ盃事だけで肝腎なことはまだしてねぇんだろう。これさえやれば巧くゆく。
ほら、きゅうすれば通ずだよ」

 大阪できの講談の主人公で、明治四十一年十二月に、講演者松月堂魯山、製本発行
所大阪市南区心斎橋南詰め東入名倉昭文館より刊行された。が、当時、松月堂が本名
で明治の史学会に入っていて、関西では歴史の先生で通っていた権威で、市郎兵衛も
有名になり実在のごとくにされている。なお松月堂には他にも、<柔術剣豪吉村又右
衛門宣光>などがある。骨つぎで知られる名倉堂は版元名の名倉から便乗してつけて
開業との説もある。



                 腕の喜三郎

数奇屋橋河岸

「こりゃあ変てこな風むきだ」
 指を立てた若い衆がべろりとしゃぶって、
「てへえッ、汐からい。まんだ時季はずれだが海からの辰巳ッ風だ」
 あわて気味に小屋の方へ向かい、
「おおい皆な、材木が流されちゃいけねぇ。今の内に縄のかけ直しをして固くしとか
なくちゃあ」
と叫んだ。木場というと深川だけに限るように思われているが、この文化三年(18
06)の頃には、今の銀座の数奇屋橋の下の流れにも、筏にくんできた材木が溜めて
あった。
 さて若い衆に声をかけられた伝政の親方は、居合わせた頭数をすばやくよんでから
が、
「これだけじゃ人手不足だ。ひとっ走りいって棟梁んとこの、若い者を借りてきな」
 どすのきいた声で呼ばわった。
 さて、河岸につながった弥左衛門町。
 当今では読売新聞や東映パラス座の並んだ賑やかな一角だが、その頃は、しじみや
とか叩き大工の棟梁長屋があった。そこの一軒の左官屋の娘で花というのが、この長
屋では飛び抜けての器量よし。
 界隈の若い者から目をつけられ、なんやかんやと言いよられていたが、同じ長屋の
大工喜三郎と幼馴染みでもう出来ていた。そこで、
「風がおかしいから川が溢れるかも知れねぇな」と覗きにきた喜三郎に、花はびっく
りしてしまい、
「阿父っつぁんが、まだ戻ってこないんだよ。どうしよう」
 泣きそうな顔で甘えてみせた。
「いいって事よ。おれが見てやらぁな」
 ここぞとばかり喜三郎がよいところをみせていると、そこへ棟梁の使いがふっとん
できて、
「おお、喜三は居ねぇか」
 吹きすさぶ風にたてつけの悪い板戸が、がたぴし鳴り通す中で喚くのが聞こえてく
る。そこで、
「おう、なんでぇ」と花の家から顔を出すと、
「伝政さんとこの材木が危ないから、すけにゆけって棟梁のいいつけだ」
といわれた。しかし、たった今、花に約束をしたばかりの喜三郎は、
「おりゃあ手が放せねぇんだ」
ぶっちょうづらをしたが、
「てめえ、棟梁のいいつけが聞けねえのか。ろくすっぽ腕も上がらねえ半ちくのくせ
しやがって‥‥」
 怒鳴りつけられると、ぐうの音もでない。片手拝みに花にあやまり、裾をからげて
駆け出した。
 が、数奇屋橋河岸へとんでゆき、材木問屋の若い衆に指図されるまま、肩に縄束を
かけ忙しく働いているうちに、辰巳の風向きが急に真東からのに変ってきた。
 時候からいえば東風でもよいのだが、これが飛鳥山あたりから突きこむように吹き
荒れて、そこへ、ジャンジャンすりばん叩きに半鐘がなってきた。
「火事だッ」
 こうなると昔の大工は大変である。自分らが普請した家を守らねばならぬ。そこで
喜三郎をはじめ駆り出されてきた面々は、「それッ」とばかり棟梁の許へ駆け戻り、
名入りの絆天にきかえ、
「茅場町の伊勢屋さんの近くだ」
 まっ先にかけだす棟梁の後に従って、眼もあけられない向かい風の中へ一団となっ
てかけだした。
 しかし現在の鎧橋、その頃の鎧の渡しの見える所までくると、提灯掛け横町と細川
越中守下屋敷の前に、今でいえば非常線。い組の提灯をもった町火消しが縄を張って
通せんぼうをしている。
「済まねぇ兄い方、お出入りのお店へ行くんだ。通しておくんなせぇ」と、ここは抜
けられたが、
「駄目だ」と次の角では、ろ組の小頭に剣つくをくわされた。
 すぐ眼と鼻の薬師堂に上同町からの火の手が迫っていて、黒い煙が渦をまき火の粉
もとんでいる。
 だから、ろ組の町火消しが殺気だつのも判るが、道路向こうの伊勢屋へ梯子をかけ
て、長い鳶口で叩きこわそうとしているところ。
「冗談じゃねぇ。おれっちが柱一本だって心根こめて削った家だ」
 びっくりして止めようとしたが、ろ組の連中は相手にしない。
 燃えてくる火の手をくいとめる為に家をこわす、破壊消防だとは判っていても、手
塩にかけた建物を無惨にたたき壊されるのを、黙って見ては居られない。
「ちくしょう‥‥」
 棟梁が喚いたとき、伊勢屋の主人が裸足のまま表へ飛び出してきて、
「おう良い時にきてくれた」
 助けを求めるよう手をふった。
 お出入り先の主人に呼ばれては、いくら火消しに止められても、呼び出さぬわけに
はいかぬから、
「おう野郎どもッ」
 さえぎる火消しを振り払って棟梁が、店先めがけて駆け込むと喜三郎は掛けてある
竹梯子をよじ登り、纏をふっているのを、
「よしゃあがれ」下から足を引っ張った。