1038 江戸侠客伝  4

                 花川戸助六

吉原ぞめき

 吉原は見るも法楽、してみて極楽。
なにをするのかよく判りませんが、大変結構な所だったそうで、大門[おおもん]を
入りますと左右に綺麗なお店が並び、着飾った天女みたいな女の人が口を揃え、たと
え見ず知らずでも親しそうに、
「ちょっと、ねえってば、いらっしゃいましな」
「よっておくんなまし‥‥」
と声をかけてよんでくれます。だから俗に「ぞめき」とか「ひやかし」と申すてあい
は、別に登楼する気はなくてもご婦人からこう呼ばれたいばっかりに、なか[仲之町
‥‥吉原]へくりこんだそうでございます。さて普通は、
「ちょっと姿のいい方」とか、
「ねぇ旦那」
ぐらいのものですが、突如としてパトカーの集まってきてサイレンのごとく、
「‥‥スケさん」「スケさまえ‥‥」
と、けたたましい呼声。
 と申しましてもスケといってスケベェというのではありません。なにしろこういう
所へお越しになる殿方で、そうでない方はあまり居らっしゃいません。だから助は助
でもそうではなく、呼ばれたのは花川戸の助六。
「人間手を真っ黒にして働かなくちゃいけねぇよ」
と、つね日頃、馬方やその取締りにあたる子分衆にも口癖に言っていましたから、人
よんで黒手組ともいわれるシンジケートのボス。背に尺八をさし子分を従えて入って
くるのを見かけると、オイラン達は失神しそうにシビれてしまって、
「スケさん」「スケソウダラ」
などと感激の言葉を投げかけ手にしている長煙管(ながきせる)を、みな連子(れん
じ)窓からさしだし、
「ぬしさん一服つけていってくんなまし」
しきりと間接キッスを求める有様。
 これはフロイトさんとおっしゃる方の学説によりますと、女性がロングなものを異
性の肉体の一部へ挿入させたがるのは、自分自身がそうして欲しい願望の現れだそう
でございますが、これが一本や二本ではない。長煙管の雨がふるようだというんです
から、相当やにくさかったことでございましょう。
 しかし助六は、そうした女達には目もくれず三浦屋めざして一直線。すると若衆が
とんで出迎えるようにして、
「これは親分さん、いらっしゃいまし、揚巻さんえ」
と声をかけますと、やりて婆とよばれるのが、
「おいらんがお待ちかねですよ」
いそいそ迎える。すると助六は懐から金を出し、ついてきた子分達にも気前よく、
「おめぇらも何処かでしっぽり濡れてきな」と渡します。
 しかし、子分達には煙管の雨もふってきませんから、なかなか濡れよう筈はありま
せん。しかしそういっても場所が場所です。
「どうせ遊ぶんなら気に入ったのを、選ぼうじゃないか」
 ぞろぞろと連れ立って、ひやかして歩きますが、なかなか眼うつりして、さてどの
女ともきめかね、やれ丸顔がいいの長いのが好きだのと、みんなで御託を並べるもん
ですからきまりません。
 そこで行きつ戻りつ、戻りつ行きつして居りますと、
「みて見ねぇ。まるで野良犬みたいにほっつき廻っているのは花川戸の助六の所の子
分どもじゃねぇか。助六が三浦屋へあがって温っていやがるってぇのに、あいつらめ
きょろきょろ何か落っこっちゃあいねぇかと、ほっつき廻っていやぁがる」
と、聞こえよがしに悪口をつかれ、
「なにをいってやぁがんでぇ。てめぇらみたいに女ならどんなんでも結構だと、股倉
急ぎしゃあがる唐変木とは、こっちとらは違うんだ。まず顔を吟味、下の具合もとっ
くり観相の上であがろうと、それで悠々としてるんだぁ」
とやり返しますと、先方の一団は、
「きいた風なことを抜かしゃがるな。われら神田紺屋町で刀術を教えていなさる鳥居
忠左衛門先生の高弟で、人にも知られた狐の勘次」
「おりゃあ、一刀流免許の狸の太郎」
それぞれ口々に喚きまして、
「おれたちに楯をつきゃあがると、どんな目にあうか、てめぇらだって知っていよう
が」
と、くってかかる有様。そうしておいて、
「やい、申し訳ありません、済んませんと土下座してあやまりゃあがれ」
と言いたい放題。
「ううん‥‥」
と、これには助六の子分一同、相手が悪いと互いに顔を見合わせました。
 と申しますのは、幕末まで町道場などが、さもあちらこちらに有ったように伝わっ
ていますが、あれはみな作り話で、そうしたものは小唄や踊りの稽古場みたいに、や
たら有った、というものではございません。
 なにしろ、お上が十手に六尺棒だけで治安を取締まろうというのに、民間の者がヤ
アヤアお面小手などという斬り合いの物騒な稽古など、お膝元の江戸では許される筈
などありません。これは当今でも何処かでゲバ棒道場や、火焔瓶投擲(とうてき)練
習場など民間人の手で作れないのと同じことでございましょう。
 つまり道場と名のれるのは、地方では、御関所や代官所の御用を託されているのか、
ご府内にあっては南北町奉行の御用をうけたまわって捕方に棒術を教えるところと決
っていました。
 それゆえ、そこの門弟といがみあっては、
(背後には町奉行所の目があるから、どんな仕返しをされるか判らない)
後の祟りがうるさかろうと、ふだんは喧嘩っ早い花川戸の子分たちも、うんうん困っ
て居りますと、このとき天の助けか、
「尺八を背にさしたあんしゃんたち‥‥この前、おまえたちを尺八してあげんしたは、
わちきたちでありんせんかえ。店を忘れなんして、まごまごしていなしたのかえ」と、
てまえの店から女郎たちがとんで出てきて引っ張りこんだ。これにはあっけにとられ、
狐の勘次も、
「まんまと、とんびに油あげをさらわれた」
「これを汐に花川戸の一家を叩き潰そうと思うたに、とんだところへ邪魔が入った」
と鳥居忠左衛門の他の門弟共は口惜しがりました。


でっちあげ召捕

「これはこれは市郎平親分とこの姐さんじゃござんせんか。なんで又こんなに早うお
出でなすった。お使いでも頂ければ、この助六がお伺いしましたものを」
とびっくりするのに、
「わたしゃ、うちの人と連れ添って四十年あまり、もう六十の本罫(ほんけ)返りだ
というのに‥‥お前のおかげで三下り半をもたされ、出されてきたんだよ。どうして
おくれだえ」
 かみつかんばかりに歯のもげた口で、もごもご言われて助六もびっくり仰天。まだ
吉原の三浦屋から朝帰りして戻ってきたばかりのところだから、なま欠伸(あくび)
をかみしめつつ、
「いってぇぜんてぇ何のことでござります」ときいたところ、
「助六さん、おまえは男を売る稼業に女房は禁物と、子分衆にも妻帯を禁じていなさ
るだろ。そこで昨日仲間内の寄合いが橋善であってね。花川戸助六みたいな男の中の
男になるにゃあ、やっぱし女房は足手纏いだと、わたしゃ離縁(さら)されてきまし
たのさ。どうしておくんなさいます」
と強談判(こわだんぱん)。
「といって、おたくの市郎平親分はたしか七十。いまさら男を売るのなんのと‥‥」
と苦笑いしてますと、そこへ子分の一人が、
「新川の吉五郎親分の姐さんと東両国仁吉親分の姐さんがみえやした」
という注進。
 血相かえて乗りこんできた姐さん達は、子分の取り次ぎを待っているのかも戻かし
そうに、さっさと履物をぬぎ奥へ通ってしまい、そこで二人の女房も口を揃えて、
「助六さん。おまえが女房をもたないばっかりに、私たちまで男を売る稼業に女はい
らないと出されてきたんですよ。一体この始末どうしておくれだい」
と、初めの内にこそ畳叩いて文句をいっていたが、しまいには、武者ぶりついての大
騒動。それだけでも助六が往生しきっているのに、
「次々と親分衆の姐さん達が押しかけてみえて、とても入りきれないから表で行列を
つくって待って貰ってますが、中には、<女性の敵>とか<助六よ揚巻を落籍(ひか)
して女房にしろ><女房をいやがる男が増えたら女はどうなるか>大きなしゃもじに
字をかいたり、雨戸にかいて心張り棒でおっ立ててきたのもいて、わっしょいわっし
ょいやっとります」
との泡をくった子分どもの話。
 助六も立っていって表をのぞくと、これは大変。長年連れ添う亭主から三下り半を
もたされ、出されてきた女達は血相をかえ、
「われわれから女房業をとりあげたら、何になれというのか。失対方策はあるのか」
とアジ演説をするのも居るし、
「三食昼寝つきの女房業を、我らから奪うな」
目の色までかえてたいへんな騒ぎ。いくら男を売る助六もこれでは堪らない。
「まあ、まあ待っておくんなさい‥‥女がひとつ家に居るのは、うるさくてやり切れ
ない。どうせ入用なのはあの時だけだ‥‥とたかをくくって、その気になった時だけ
用いに行っていた。わっしの独身主義が、他の親分衆に羨ましがられ、こんな騒ぎに
なるとは、ちいとも知りませんでした」
 そこで女房を持たず必要な時だけ吉原へ行っていた生活をやめ、三浦屋の揚巻太夫
を落籍して妻帯。子分達にも尺八をふいてくれた春巻や信田巻、ごぼう巻といった女
郎衆をそれぞれ当てがってやって、助六一家も今でいうマイホーム主義となりました。
もちろん後になれば喧嘩でもしあうようになるのでしょうが、なにしろ初めのうちは、
「前みたいに、一回いくらと、やり手婆に揚げ銭の他に、祝儀まで取られなくても致
せるんだから、これは有難やまのほととぎす」
「女房にしてからは、前のように廻しをとられ、ちょっと出て行ったきりで、朝まで
戻ってこねぇような事もなく、口をあけて朝まで一緒に寝ていやがって、甚すけする
こともなくなって嬉しいわい」
と子分たちも皆すっかり喜んで花川戸一家は泰平となりました。
 処がある日のこと、身うけされ助六の妻となった揚巻が、そっと、
「‥‥実は、わちきの父親新兵衛というのが鍛冶橋御門外で、おでんかん酒の屋台を
やっていますが、何といってもよる年波‥‥」いいにくそうに打ちあけてきました。
「ふうん。そうか、そいつは知らなんだ。が、おまえの父つぁんならこの助六にも親
爺さま」と、そこは気のよい男なので花川戸へ引取ることを承知しました。
 そこで使いをやりますと、
「有難いこっちゃ、これも娘を吉原へ売っておいたからの事じゃ。こんなことなら女
の子をもっと沢山つくって片っ端からみなお女郎にしておけば、遊びにゆく世間の男
も助かったろうがわしも助かった」
などと喜び、それまでの屋台道具一式を古道具屋へ叩き売り、その銭でこざっぱりし
た物を身につけ、新兵衛は花川戸へ参りますと、
「この爺さまのおかげで、おれたちも女房が貰えたようなものだ」
と皆が、ご隠居さまご隠居さまと新兵衛を大切にする。助六も出来た男ですから、
「阿父(おとっ)つぁん、阿父つぁん‥‥」
と奉ってくれます。
 そこで新兵衛も喜んでいますと、月にむら雲、花に風のたとえもありますが、役人
がやってきて、
「御用だッ。新兵衛というのは居るか。去年の暮の二十九日。神田三河町の質屋伊勢
屋重兵衛へ押入った強盗の疑いで召捕るぞ」
と新兵衛を高手小手に縛りあげつれて行きました。
 助六は仕事で留守でしたが戻って驚き、
「あの父つぁんに限り、そんな馬鹿なことはない」
奉行所へとんでゆきますと、鳥居忠左衛門の門弟の狐の勘次と狸の太郎の両名が、す
ぐさま役人に、
「助六というのは三浦屋の揚巻を自分が身請けしただけでなく、子分共にもそれぞれ
落籍させ配給したは、これは合計しますると実に莫大な金‥‥こりゃ伊勢屋へ押し入
った大泥棒の本星は爺の新兵衛ではなく助六らしゅうござる」と耳うちした。
「そうか、それならば助六を召捕って牢へ入れてしまえ」
ということになりまして、新兵衛は戻されましたが助六が代って捕えられ入牢という
ことになってしまい、
「私というものがここへ嫁にきたばっかりに、助六さんには無実の罪でえらい災難。
さて、どうしたものだろう」
 起きては泣き、寝てもさめざめ泣くという揚巻の悲嘆のくれよう。しまいには、
「いっそ、死んでお詫びするしかない‥‥」
と花川戸の家をそっと抜け出し、身投げするつもりで大川端へと向かいました。


任侠小伝次

 青い十三夜の月の浮かびます川の流れを見詰めながら、袂へ石を入れて重しになし、
揚巻が、
「なみあぶだぶつ‥‥」
と身を投じようとしましたところ、
「早まっちゃいけねぇ」
と柳の木蔭からとんできた男が抱きとめ、淡い月の光で顔をすかし眺め、
「おやっ、おいらんじゃねぇか」と声をかけ、
「おめぇは浮川竹の勤めだった身だったゆえ、日に何人と客をとっているのだから、
一々男の顔など覚えもなかろうが、おれも抱かせて貰ったことのある吝な野郎で、奥
州伊達生れの牛若小伝次って小悪党だ」
と名のり、それから優しく、
「いってぇ、どうしたわけか話してみねぇ」親切に声をかけてきました。
 さて、女というのは勝手なもので、いくら肌身を許しても好きな男の外は、まるで
竹輪ぶでも口ん中へ入れて頬ばりしゃぶった位にしか、思わないものである。
 牛若小伝次なんかもその口で、そうしてなんした覚えさえ碌すっぽない相手だが、
男というのは、たとえ一度でも抱いた女は忘れないもので、まるでてめぇの女のよう
な錯覚まで起しがちのものである。だから小伝次も同じことで、助六入牢の件をきき
ますと、すぐさま勇みたち、
「よっしゃ、蛇の道は蛇ってこともあらぁ。ひとつおいらが本星を見つけてやろうじ
ゃないか‥‥が、おまはんも吉原へ行って昔の朋輩衆に助っとして貰いなせぇ」
と、すっかり親身になって花川戸まで送ってくれました。そこでこれには揚巻も気を
強く持ち直し、
「‥‥考えてみれば吉原にいた間、日に五人はなんしていたから、年に千八百人の数。
それに十七の年から身を沈めての六年越しゆえ、このわちきには延べ一万からの相手
がいたことになる筈」
と指おり算(かぞ)え、まず住所の判っている男たちの許へ、去年の暮れの伊勢屋の
強盗の心当りや聞いた話はなかったかと、上が紅で染めてある艶っぽい巻紙に文をか
いて差出し、今でいう公開捜査に踏みきりました。
 さて、これを受取った男たちはみな己惚れ気から、
「揚巻太夫からとは懐かしいねぇ。おれにまだ気があったのか。さりとは喜ばしい」
とか、
「一ぺんこっきりの俺を覚えていてくれるなんざぁ、嬉しいねぇ。頼まれりゃ越後か
ら米つきにだって出てくるってじゃねぇか」
といったあんばいで、それぞれ神田三河町へ集って、どんな野郎が押し込みに入った
か聞きまわっての大騒ぎ。
 やがて、(三人組で親玉は先生)と呼ばれていたってな事も花川戸の助六の揚巻の
ところへ、昔のご親類すじの男が、次々と捜索し知らせて参りました。
 牛若の小伝次も一晩だけだった仲ですが、それでも引き受けたからには、あちらこ
ちらへ潜りこんで調べての結果を、猫のように屋根伝いに忍んできては、
「おいらん、こりゃあ、どうも、やっとう使いの神田紺屋町の鳥居忠左衛門ってのが、
臭いやねぇ」
と教えにきました。そこで揚巻も、はっと思い当り、
「私も忘れていんしたが、そういえば鳥居というお侍は、わちきを落籍(ひか)そう
としていたことを、後で聞きんしたぇ」と訴えました。
「そうかい話の筋はよめた。かなわぬ恋の意趣ばらしに役人と組み、でっちあげで御
牢へ入れやあがったんだ。まごまごしていると助六さんは殺されるよ」
「ええッ、それは一大事‥‥おうそうじゃ、これからなりと、わちきは御奉行所へ駆
け込み訴えに行きんす」
と立ち上りかけるのを、屋根の上で腹ばったままの小伝次は、
「待ちねぇ、奉行所の役人もぐるでやってる事だ。それより証拠をまず先に揃えなせ
ぇ。急いては事を仕損じる」
と言い残し闇の中へ吸い込まれるよ消えました。
 さて、手証を揃えてといわれても、これは花川戸に座って居ては何ともなるもので
はありません。そこで駕篭をよんで吉原へ行きますと、鳥居忠左衛門の門弟たちがよ
く登楼する松葉屋へゆき、
「なんとか、うちの宿六ならぬ助六さんを助け出さないでは、この身が立ちませぬ」
と頼んだところ、女は女どうし、やつれはてた揚巻の風情にすっかり同情したその店
の女郎たちは、
「まぁ、わちきらに委せて居ておくんなまし」と請け合ってくれました。
 さて、そうとは知らず鳥居忠左衛門の伴をして、又も吉原へくりこんできた狐の勘
次に狸の太郎は、いつものように松葉屋へ登楼。
「間夫(まぶ)は引けすぎというが、早うに来てやった、嬉しかろ」
「あちらこちらで、もてもてで仕様がないが、馴染の其方の許へ来てやったんだぞ」
 二人ともいろいろ恩にきせ、さて、いよいよ行動開始をしようと致しますと、敵娼
(あいかた)の女はいずれも大根より太い脚をより合せた侭。押せども引けどもセメ
ダインでくっつけたように開こうとはしない。
「おいおい、好い加減にせぬか‥‥」
「いやでありんす」
「何がいやじゃ、導入反対とは怪しからぬではないか‥‥これさ、まじめにやれ」
「いえ、オフリミットでありんす」
 どうしても、いつものように迎え入れようとは致しません。これには、ほとほと手
をやき足をやき、くさらされてしまい、
「こういう時に、どうしてひろげるかは一刀流の免許の中に入っとらん」
「神蔭流の極意に、押さば押せ、引かば引けというのがあるそうだから、待っていよ
うか」
と仕方なく待機の姿勢でいますと、やがて聞こえてくるは吉原田圃からのコケコッコ
と一番鶏の鳴声。
 すっかり、じらされてしまった二人は、眠さは眠し、まだの事は致したし、ほとほ
と困惑しきってしまい、
「われらが他の女ごにもてるは、男っぷりが良いゆえ。そう悋気を起さんと頼む」
などと尖った狐づらを畳にすりつければ、隣室でも、
「なんでもいうことを聞いてやるから、此方のこれを‥‥」
と、現物をつき出して見せているようなそんな有様。
 さて、こうなると二人の敵娼はここぞとばかり、
「去年の暮にぬしさんは、神田三河町伊勢屋の仕事をすれば、たんまりお宝が入るか
ら、正月の晴着を作ってやるといいなましたが、あれっきりではありませんか」
と双方の部屋できびしく責めたてました。そこで、
「そげぇな約束をしていたは忘れとったが‥‥伊勢屋へ押込んだ稼ぎは、みんな先生
が懐ろへ入れてしまわれたのだ」
 それぞれ二人ともやむなく本当の処をつい白状してしまったのを、そっと廊下で聞
いていてくれました松葉屋のお内儀(かみ)が証人となり、すぐさま恐れながらと訴
え出ましたので、奉行所の役人と組んで悪い事をしていた鳥居忠左衛門も、ここに悪
運つきてついにお召捕り。
 新兵衛の身代わりに入牢していた助六は無罪放免となりまして、揚巻の働きと共に
ますます江戸市中に花川戸助六の名をあげましたというお話‥‥もちろんデフォルメ
です。


助六の誕生

 では真実は何かといえば、弾左衛門家の六人の手代衆の内の一人が、花川戸聖天町
に住まっていて、山田浅右と同じように代々にわたって助六名を継いでいたからだが
モデルではない。
 弾左衛門というと非人頭としかみないが、<続八切裏がえ史>にも詳細が出ている
ごとく、家康入部の時に室町にいたのを譲って、隅田川向こうの新地に移っていたが
関東から東北へかけ、支配の人頭税を徴収する外、あんどんの芯になるイグサや、お
きようのモグサ染料のコングサ緑色茶その他の専売権に鉱業権、アマダナとよばれた
日本橋の魚河岸や各地の漁業権、塩魚販売権まで一手に握っていたから、表向きは十
万石の格式だが、弾左衛門の実収は四十万石とも五十万石ともいわれている。
 故三田村鳶魚の考証の中にもはっきりと、
「江戸の札さし大名に金融していた蔵前の商人は、弾左衛門の金を動かしていたので
ある」
と、謂うなら今の日銀総裁みたいな存在だった弾家のことを説明している。だから六
名の手代も大名の家老なみで、山田浅右が関谷の長吏出身の牢獄奉行石出帯刀への出
向役で、首斬りと諸大名との連絡係を役目にしていたごとく、助六は芝居能狂言興行
の支配を代々にわたって監督し、幕末になると江戸三座を己が屋敷側の聖天町へ移し
てしまった程である。
 だから助六へのお追従で芝居者は、助六をスターにするのを作って上演していたの
である。



               金看板甚九郎


め組の喧嘩

 〜水茶屋の女くどくは二十文〜というのが有ります。料亭へあがって妓をよぶにし
ろ、吉原(なか)や千住(こつ)の遊郭で遊ぶにも、それ相当な掛りが致します。
 ところが出がらしの渋茶を、一杯もってくるきりの水茶屋娘は、齢も若くすれて居
ませんうえ、茶代を二十文もはずめばニコッとして手を握らせ安直でございます。
 まあ当今で申しますなら、酒場やナイトクラブの類でお高い洋酒を飲むより、純喫
茶の看板のお店でコーヒー一杯でねばって、そこの女の子を引っかけてしまうのと同
じ趣向。クイック・アンド・イージーってのが色ごとにも持てはやされるのは、今も
昔も変りありませんから、芝神明社の境内にも、「黒猫」の「タンゴ」といった看板
はありませんけれど、あんこをべったりつけた「黒ねり団子」の店の脇に、水茶屋が
軒を並べております。
 さてその一軒よしやへ入ってきましたのが土地の町火消し、め組みの袢天(はんて
ん)をひっかけた富士松。よしやと看板のでて居る店ですから、よしゃ良いのにこの
男、女房持ちの癖して、
「なあ、お前、使ってへるもんじゃなし、浮気をしねえか」
 やぼなくどき方をしております処へ、入ってきましたのが同じめ組だが纒持(まと
いもち)の弥助。苦みばしったいなせな男ぶり。これが見るにみかね、
「見りゃアまだおぼこい生娘じゃねえか。よしねえ」
と叱りつけますと、富士松も照れてしまってそれからは来ても尻をさすることもなく
なりました。そこで、お花は、弥助に対し、
「‥‥なんて頼もしい男だろう」
と想ったのが始まり、さてそれからというものは、寝ては夢起きてはうつつ幻のとい
った具合になり、また弥助も若い男のことゆえ、そのお花の気持が嬉しくて通ってき
ます。
 だからお花はますます胸の高鳴りを覚え弥助のきた日は、暗くなっても夢いまださ
めやらぬ想いで、
「月が鏡であったなら、いとし貴方の面影を‥‥」などと口ずさんで居ります内に、
若い男と女のことゆえ何処の深みにはまったかは判りませんが、二人とも深い仲とな
ってしまいまして、
「ねえ、忘れちゃいやよ、忘れないで‥‥」
といえば弥助とて憎かろう筈もなく、固く抱きしめて、
「誰よりも誰よりも、おめえを愛す‥‥」
と人目忍んで逢瀬をもつようになりました。
 ところが、水茶屋のことゆえ先客万来。
 神明社の境内に勧進相撲が開催されますと、そこの連中も参ります。横綱は信州小
県郡大屋村出身の雷電為右衛門ですが、大関は四つ車の大八。さて当今はテレビ時代
でお相撲さんも見てくれのよい好男子ばかりですが、昔は鬼瓦みたいな恐いのばかり
で、
「‥‥おす」
 彼らのような巨大漢にのしのし入って来られますと、お花のような若い娘は盆をも
つ手が震えて落しかける有様。
 が、なにしろ相撲取りといいましても、雷電は出雲の松江侯のお抱え。四つ車は四
国の蜂須賀侯お出入り。その下の連中もめいめい御ヒイキ筋がありまして、そのため
金廻りはきわめて良ろしく十文の茶代に銀の小粒一つも放りだし、
「ごっつぁんです‥‥」
と戻ってゆくから、水茶屋にとっては大切な上得意。
 ですからお花も貰うお宝のてまえニコニコ愛想をよくしていますと、四つ車の弟子
で水引き清五郎、という前頭三枚目をとる獅子っ鼻のどんぐり眼が、
「おりゃアおめえが好きだぜえ」
ともちかけてきました。そして日に何度も通ってきては、こ当りに、
「どうでえ。どうでえ」とつつきます。
 向うは何も力を入れてというわけではなく、撫ぜられるだけですが、突かれると飛
び上がる位に痛い。それにこれが、当今のはしたないスタンドや、キャバレーあたり
の女の子でございますと、
「好きな人ならいいけれど、貴方なんか百万円くれたっていやぁよ」
と千円位でも恐れ入る御面相のがタンカをきりますが、昔の娘さんはそんな具合には
男に恥をかかせません。唯もう恥ずかしそうにお花もうつむき、縁台に「のの字」を
かいては風になびく枝垂(しなだれ)柳の風情。
 そこで通ってくる水引清五郎も、
「ありゃア俺に満ざらでもねえらしい。女ってのは強い男にひかれるッてえがどうや
ら俺にホの字らしいなあ」
 ものは取りようで一人で意気がってしまい、稽古の合間、勝負の後先に、お花のい
る茶店へ通い詰め、しかも根気よくねばりますから一日に何十杯もの出がらしの茶を
呑みます。
「これ清五郎や、おめえの腹は近頃ガボンガボン鳴っているが、まさか腹の中で金魚
をかってる訳でもあるめえ」
と師匠の四つ車大八に意見されましても恋に狂った男心の一念で、
「相撲は身体を大きくしなくちゃと、師匠にいわれ腹を皮をひろげ延ばそうと、中か
ら拡張工事をして居りますんで」
 言い逃れしまして又もや懲りもせず茶店通い。そのうちに、
「ここの勧進相撲も後二日で打ち止め。すぐどさ廻りの花相撲の興行に出なくちゃな
らないのに、なかなか首尾できぬがどうしようか」あせりが出て参りまして、
「よっしゃ、こうなったら相撲四十八手も、あっちの裏表四十八手も絡み合う分にゃ
同じこった」
 よからぬ事を決心してしまい、その日の夜。お花が店先へ葭簀(よしず)を張りめ
ぐらし、住居へ戻ってゆくあとをつけてゆき、人影のない所を見計らいまして、むん
ずとばかり四つに取っ組んで、
「まってぇ‥‥」とお花が悲鳴をあげるのに、
「立ち会ってしもうたからには、待ったなしじゃ」
無理矢理に脚で脚をこじあけ、浴びせ倒しに転がして、とうとう上へのってしまいま
した。


甚助・甚九郎

 土橋丸屋町に住まって居りまする口入れ家業の甚助とよぶ男。なんでこういう名に
なったかと申しますと、これにはわけが有ります。
 吉原から身請けして嫁にしましたのが、お職まで張っていた器量よしで馴染みも多
く、せっかく親許身請けの恰好で値切ったにせよ、大枚三十両という資(もと)を出
していますのに、どうも前の男から呼び出しをかけられると、いそいそ出ていきまし
て何かをしてくれる気配。
 これでは亭主としては気になってなりません。
 あちら立てれば此方が立たず嫁の見張りにかまけて、稼業の方はつい放ったらかし。
そこで当時はジェラシーのことはジンスケと申しましたので、これが呼名となってし
まったという次第。
 さて五年たって、苦界勤めをした女には珍しく女房が身重になりまして、丸々とし
た男の子を生み落しました。
 隣り近所の者や、子分方の者達が打ち揃って口々に、
「おめでとうごぜぇやす」と祝いに来ましたが、当人は喜んでいいのか悲しいのか、
てんで自身がなく、皆が立ち戻った後、
「これさ女房。われが産んだ児は俺が種か」と寝ている処へ尋ねにゆきますと、
「なにをいってんだい。私ゃお前の女房だろ。その女房が産んだ児は亭主の子と決ま
っているじゃないか」
 てんで相手にしません。しかし人間の子を一人養ってゆくのは大変なことなので、
念には念を入れ、
「おれはときたま出かけてゆくおめぇの後をつけ、何も彼も知ってるんだ」と睨みつ
けましたところ、女房はうるさそうに、
「そんな事は時たまだが、亭主のおまえとはしょっちゅうじゃないか。数からいって
も多数決、文句をお言いでないよ」とあしらわれました。そこで甚助は、
「廓(なか)に居た頃は、ありんす言葉で色っぽかったが、がきを産んでからのガラ
ッパチぶり。女とはこうも変わるもんか‥‥」
 すっかり立腹しましたが、身請けする時にかかった三十両を思い出すと、
「あんな女にゃ未練はないが、出した小判が惜しくてならぬ」と何事も辛抱し、その
子を吾が子として育て上げましたが、名前だけはどうしても意地をはり通して、
「甚が苦労したんだから甚九郎‥‥」と命名をした。
 やがてその子が十六歳になった寛政八年[1796]。女房に浮気をさせまいと一
人で何人分も気張りすぎたのが、どうやら過労の原因であわれ死去。
 そこでまだ若い甚九郎が二代目となって稼業を継ぎましたが、
(散々、女に苦労して死んで行った親爺のことを、仇やおろそかにしてはいけない‥
‥おれは金輪際女になんか迷うこっちゃあない)と、脇目もふらずに仕事に精を出し
ました。
 さて、男というものは女に煩わされないと仕事の能率もあがるもので、
「土橋の甚九郎に頼めば、間違いなく人手は揃えてよこす」
と、あちらこちらで評判になり、甚助の頃は、しがない桂庵みたいな口入れ屋だった
のが、甚九郎の代になると、やがて次第に大きくなり、現在の飯田橋職業安定所なみ
の規模にまで拡張。子分の数も増えてきまして、
「お大名の口は此方へ一列に並ぶ。阿波の蜂須賀さま御国入りの行列の供揃いの欠員
補充だよ。踊る阿呆に見る阿呆。えらいやっちゃと、四国へ行くと向こうの女ごに凄
くもてるよ」とか、
「町方へ奉公したいのは此方へ順に並ぶ。火事の好きなのはいないか。め組みの町火
消で六人の口がある。いなせな恰好で、子守っ子の阿魔なら直ぐ引っかけられるよ」
「女は桂の向側へ並ぶ。三食昼寝つきのお手かけさんの口があるよ。相手はさる大身
のお旗本だが、もう七十歳だから女の道具はあまり痛まず、貰うだけの物をためこん
だら、新品同様で何処へでも嫁にゆけ直せるお徳用の口だ」
 まるで喧嘩でもしてるように喚きあって、働き口を求める男女を子分の者がさばき
ますのを、甚九郎も大福帳と矢立を手に指図して居ります。するとそこへ、富士松が
やってきて、
「親方、お手がすいたら話をきいてやっておくんなせぇ」声をかけてきました。
 そこで甚九郎が何事かと、
「ここは騒々しい、裏から廻ってきな」と川べりの住居の方へつれてゆきますと、
「喧嘩をする頭数を世話してやっちゃア貰えませんか」いきなり切り出してきました。
だから面喰って、これには甚九郎も眼をむき、
「いくら人の口入れ稼業が商売にしろ、喧嘩の助っ人の世話なんか出来るもんかい」
と一喝しました。
 が、どうも唯ならぬ様子。そこで、
「まあどんな事情か‥‥話てみねえ」
 いわれて富士松は口惜しそうに噴き出る涙を拳固でこすりながら、
「まぁひとつ聞いて下せぇ親方さん‥‥わっちの兄いの弥助のレコが神明の水茶屋で
働いていましたが、昨夜店をしめての戻り道。まるで車力にひき潰された蛙みてぇに、
白い股倉ひろげての最期。余っ程重たい物に押しつぶされたらしいと、あたりを見廻
して調べた処、落ちていましたのが相撲の使う大判の膏薬のひっぺぇ剥がし。そこで
すぐさま神明の勧進相撲にかけつけ、終わりかけの相撲を眼を皿のようにして見てい
ると、膏薬の剥がれたのが土俵へ上がってきた。行司の名のりでは、シコ名を水引清
五郎とよぶ雲をつくような大男‥‥てっきり、お花にしつこく云い寄ってきていたこ
の男こそ、押し潰してしまった犯人に違いねぇんで‥‥」と訴えてきました。
「そうかい。弥助とやらにしてみれば、てめぇの女の仇討ちなので、公私混同して組
の者の手は借りられねぇ。そこで、ここへ申し込めばすぐ人手が間に合うと評判のわ
っちの処へ来なすったのか」
 いわれて富士松は手を合わせ、助けてやっておくんなせぇと拝む仕草をくり返し、
「親方なんとか、ひと肌脱いでやっておくんなせぇ」
と頼みましたが、甚九郎は首をふって、
「人殺しってぇのはお上のご威光で、町方のお役人にしょっぴいて貰え、ちゃんとし
たお裁きもして頂ける。てめぇらどうして勝手な真似なんぞしちゃあいけねぇよ」
年は若いが貫禄をみせて懇々と言いきかせました。