1037 江戸侠客伝  3

口入れ屋政吉(まさきち)

「なんでぇ、彫宇の親方じゃねぇか‥‥」
 行きつけの芳村で面白可笑しくもない顔で、宇之吉が盃を舐めていると、番場町の
政吉とよぶ人足の口入れ屋が、
「‥‥どうしなすった」と側へ寄ってきて、
「このところ、すっかり表戸まで締め切ってのお仕事だそうでやすが‥‥いったい、
そんなに心血を注いで何を彫っていなさるんで」
 自分も宇之吉に彫ってもらっているだけに興味があるのか、指先ではさんだ徳利で
宇之吉の盃を満たしながら尋ねかけてきた。
 しかしきかれても、答えようもない。
 そこで宇之吉は口中へ放りこむみたいに酒を呷ってからが、
「やけに難しい注文をつける小娘で、箸にも棒にもかかりゃしねぇ」
と愚痴をこぼした。ところが政吉の方は、
「へぇ、女の子で、紋々を彫ろうなんざぁ嬉しい心意気だ」
 すっかり話に釣り込まれた恰好で、
「石原町の万吉親分のところの一人娘のお花さんが、暮の風邪っぴきをこじらせ、あ
っけなく亡くなってからというもの‥‥お内儀さんが気が違ったみたいになってしま
って、誰か似通った養女をと親分は云いなさるのだが、稼業が稼業だから普通の娘さ
んじゃ荒っぽすぎて駄目だが、そんな娘っ子だったら良いかも知れねぇ」
 乗り気になった政吉は、宇之吉の肩へ手をかけ、
「万吉親分に忠義するにゃあ、お誂えむきのよい話じゃねぇか。どうでぇ、どんな娘
か逢わせてくれろ」
 きぜわしく勘定を台に並べ、まるで外へ押し出すように連れ出した。
 しかし、当人の宇之吉は、まだ呑み足らないのか、それとも話が気に入らないのか、
ふくれ面を夜風になぶらせたまま、
「‥‥とっとと出て失せろと頭ごなしに剣突くらわせて出てきています。もう今頃は、
なんぼなんでも居りますまい」と、首どころか肩までふった。
 しかし政吉は、
「なぁに良いってことよ‥‥居なけりゃそれ迄。もしまだ間に合って、どんな娘か顔
さえ拝めりゃそれで、おんの字だ」
 まるで厭がる牛の鼻っつらを曳っぱるみたいに、宇之吉の袖口をひっぱり、長屋の
木戸口までくると、
「それ見ねぇ、親方んとこの雨戸は節穴が空きっぱなしだから、灯がこぼれていやが
るぜ」指さした。しかし、
「明りが残っていたって、当人がまだ居るとは限らねぇ。散々っぱら脅して出てきた
んだから‥‥」
 宇之吉は自分の男が立たないと云わんばかりに、まだ言い張ったが、裏口から廻る
と、なんのことはない。おかくは逃げ出しているところか、結綿(ゆいわた)の上に
煮しめのような手拭いで姐さんかぶりをし、二た間きりの家の中を、こまめに拭き掃
除していた。
「女だてらに刺青の一つも彫ろうというからにゃ、どんな阿婆ずれか、お引きずりか
と思ったが、こりゃ働き者の娘さんじゃねぇかよ」
 すっかり感心したように政吉は唸り、かぶった物をとって挨拶する顔を見ると、
「えれぇ上玉だ‥‥色が白くて痘(いも)もねぇ。これじゃあ万吉親分の養女に納め
ても、ちゃんと貫目があらぁな」すっかり歓んでしまった。
 しかし、出て行けと云ったのに、まだ根を生やしたように居座ったままの娘に宇之
吉が立腹し、ろくに口もきかない有様だから、飛び込んできた形の政吉も当惑してし
まい、
「何か彫る図柄のことで‥‥おめぇさんと親方は意見がくい違って、いざこざになっ
てるそうだが‥‥いってぇぜんてぇ、おめぇさんは何を彫ってもらいたんだね」
 おかくの前に腰をおろし胡座をかいた政吉が、顔の真ん中を見据えるようにして尋
ねかけた。
 すると、おかくは羞かしそうに、
「かに‥‥」低く口ごもって答えた。
 だから政吉が聞き違え、
「まだ若いから男除けに、渋柿か青柿でも彫ってもらいていんだろうが、そりゃ悪い
了簡だ。いったん墨を入れちまったら、おめぇさんが女盛りになっても、熟柿とは変
りゃしねぇし、それに、ばばぁになったら枯露(ころ)柿になっちまうなんざぁ、悪
い趣向っていうもんだ」
 頭ごなしに反対した。そこで宇之吉も、
「ほれみねぇ‥‥誰の考えも一緒だ。そんな見栄えの悪いもんを、この彫宇がやれる
かってんだ。なぁ、せっかく割れ目が入って左右にふっくらしてる所なんだ。桃にし
ねぇ。桃の実だったら、ぴったり巧く納まるように針をさしてやらぁ」
 脇からここぞとばかり説得にかかった。
 しかし、おかくは唇をとがらせ、
「柿じゃありません」と訂正して、
「ほら、海辺なんかで横に這う蟹なんです‥‥あたいが云うのは」
と、両手を横にふってみせた。
「えッ、蟹‥‥あの猿と握り飯をとりあいするあれかい‥‥ねんねだから、話ってい
やぁ、お伽噺しか知らねぇらしいが、彫物ってのは八犬伝とか三国志といった勇まし
い物語から絵柄をとるもので、カチカチ山じゃいけねぇよ‥‥なんなら、もさもさい
つかは黒い縮れ毛の生える所だろうから、それなら薪を背負った狸はどうだろ。両側
に目玉を入れて丸く持ち上がった顔なんか面白いし、なんなら円味をいかして文福茶
釜にしてやろうかい」
 宇之吉も政吉のてまえ、小娘に手をやくところなど見せたくないのか、仏頂面をし
た侭だが、それでも束ねた反古紙の裏に、狸の絵など描いて手渡した。
 しかし、おかくは、くすくす可笑しがるだけ、あくまでも、
「かに、かに‥‥」といいはり、宇之では話にならぬとみてか、政吉に向い、
「おじさん‥‥うちの親方に、蟹が鋏みをふりあげている図にしてくれるよう、頼ん
でおくんなさいよ。ねぇ、男の人があれを近づけてきたら、そこをチョン切ってしま
うぞ、と脅かせる威勢のよい蟹の絵にしておくんなさいまし」
 と膝に取り縋らんばかりにくどいてきた。そこで、
「成程ねぇ‥‥」
 政吉も唸ってしまい、宇之吉の方に向き直ると、
「背負うた子に浅瀬を教えられる譬もあるが‥‥男除けに彫るからには、チョン切る
ぞと脅かすのが、こりゃ何より効き目があるかも知れねぇ‥‥どうだろう。この気っ
ぷなら石原町の万吉親分やお内儀さんの気に入り事はうけあえる。俺が手間代はそち
らからたんまり貰って届けるから、ここは娘の云うように好きな物を彫ってやっちゃ
くれまいか」
 相談するように話をもっていった。


寛政二年夏

「へぇ‥‥この娘っこかい。可愛いじゃあねぇか‥‥」
 石原町の万吉親分は、おかくを人目見るなり気に入って、
「幼い時に親を亡くし、柳島の親類の処で厄介になっているというのなら、別にいざ
こざはあるめぇ。これまでの養育料だと小判の一枚を持ってゆき、向こうの寺の人別
を此方の檀那寺へ移してしまえばよい」
と、仲に入った口入れ屋の政吉に、
「厄介ついでだ、やってくれろ」と、足代を包んでいいつけた。
 さて、蟹の刺青が彫りあがって、万吉の家へ引取られたが、まだ身体が少し針の後
の熱をもっていて、すこし気だるそうにしているおかくを、
「もう此処が、おまえさんの家なんだからね‥‥何も遠慮気兼ねなんか、することは
ないんだよ」
と、お内儀のお六は、まるで死んだ娘が生き返ってきたような喜びようで、箪笥や長
持に蔵(しま)ってあった娘の形身の衣装を出してきて、
「これも皆、おまえにあげるから、ひとつ着てみておくれでないか‥‥」
と、取りかえ引っかえ、まるで着せ変え人形みたいに身につけさせ、
「年恰好が同じだったから、とてもよく似合うじゃないかえ」
 涙を浮べて手放しの喜びよう。そこで万吉親分も、
「もう一、二年もたったら、身内の若い奴らの中から、しかるべき婿を探して跡目を
とりゃせりゃあ‥‥俺も楽隠居ができようって寸法だ。良い娘が見つかってくれたも
んだ」
 すっかり相恰をくずして満足した。そして、
「かく、かく」と、まるで実の娘のように親身になって夫婦して可愛がり、当人も、
「阿父つぁん、阿母さん」と、まめまめしく万吉夫婦に仕えた。
 だから、この侭でゆけば、おかくは何の為に蟹の刺青など彫ったのか、まるで徒労
のような形で終る処だったが、一年おいて寛政二年(1790)の夏。
 七月の中旬から連日降ったり止んだりの天候だったが、八月一日の夜明けから沛然
たる豪雨。まるで天と地がひっくり返るような、車軸をも流すような大雨に、南東か
ら凄まじい台風が荒れ狂うよう吹き渡ってきた。
 このため墨田川の水面は溢れ、吾妻橋の七十六間の橋が水中に浸って怒涛のような
激流が枕桁を推し渡してしまう有様。
 石原町も対岸が御厩河岸の浅草御米蔵なので、石垣積みで少し高くなっている関係
からか、まるで盥を傾げたように石原下水濠割へ流れ込んできた濁水が、角の久須美
六郎左衛門邸の塀を押し倒し、黒っぽい泡をたてて磧雲寺の山門を水浸しにした。
 万吉親分は若い者たちを集め、
「戸板でもなんでも水に浮かぶ物をもちだし、それで女子供や病人を、なにがなんで
も救い出せ」
 すでに腰まで水かさを増してきた濁水の中で、梯子の上にのって指図をした。
「へぇ合点で‥‥」下帯一本の若い者達は一人残らず出払っていたので、
「阿母さん、あたいの背につかまっておくんなさい」
 かくも晒木綿の腰巻一つになって、万吉の女房を肩にし、
「御竹蔵の台地が高くなってますから、ひとまず彼処へ」
 板片れや笊や汚物の漂う逆巻く水の中へ、甲斐々々しく出て行こうとした。そこで、
万吉も心配し、
「若いやつの一人か二人は残しておけば良かった‥‥」
と案じ顔で止めにかかったが、
「いいえ阿父っつぁん、私は女でも、まだ若いんですから‥‥」
 にこにこしながら、まるで濁水をかき分けるように、胸の隆起をぶるぶるさせなが
ら青竹を杖に出ていった。
 そこで万吉は、
「気をつけて行くんだよ」と声をかけてやりながら、眼を細くして、
「実の子でも、ああまで孝行はしてくれねぇもんだが、有難いこった‥‥」
と、その後姿を見送っていると、家の戸口から竿の先が、ぬうっと入ってきた。
 はて、おかくが出かけたものの、進むに進めずまた戻ってきたのかと、梯子にぶら
下がりながら万吉が、首を下へ廻したところ、
「‥‥おらぁ、川向こうの儀助だよ」
 舟のへさきを戸口から入れてきて、両国で同業をしている男が呼ばわってきた。そ
こで万吉は喜び、
「ふだんは稼業の上で、とやかくの事もあったが、よく見舞いにきてくれた‥‥俺は
一人っきりだが大丈夫だ。それより娘のかくが女房を背負って、たった今、出かけて
行ったのが気に掛る‥‥おまはん、その舟で俺が処の女共を救ってやっちゃくれまい
か」
 頭を下げんばかりにして、気になる母娘のことを頼んだ。すると、
「へぇ、万吉親分ともいわれなすった御方が、この大雨風の中で、たった一人で居な
さるのかい」
と、儀助は口を開きにやっとした。
「本所(ところ)は、ちょっとの雨でもすぐ水浸りのする処だ。だからこの嵐で怪我
人や死人など出したら大変だと、若い奴らは手分けさせて皆出してあるんだよ」
 万吉がそれに答えると、
「‥‥そうかい。一人っきりで居なさったとは、これぞ天の助けってとこか」儀助は
手にしていた竿をつきだしてきた。
「俺を舟にのっけてくれるより、母娘の方をみてくれろと頼んだばかりじゃねぇか」
 いぶかしそうに、差し延べきた竿を掴んで押し戻そうとすると、
「じたばたしたら、危ねぇじゃないか」
 竿を先をしっかり握った処で、儀助は思いきり引っ張った。
 だから身体を浮かした万吉が、思わず梯子から手を離して、濁水の中へ突んのめる
ように水音高く落ち込むと、
「誰がてめぇなんか助けに‥‥この嵐の中をわざわざ出向いてくるもんか‥‥臭え水
の中だが我慢して往生しやがれ」
 立とうとする肩先を竿で滅多打ちにし、
「何をしやぁがる‥‥」と舟板へつかみかかるのをへ、
「てめえって老いぼれが本所深川を押さえ、一切を取り仕切っていちゃあ‥‥この儀
助が羽を延ばそうにもその余地がねぇ‥‥汚ねぇ水葬れんで悪いが、どうせ老い先短
い命だろう。ここは諦め器用に死んでくれろ」
と、足でその手を力まかせに踏みにじり、
「泥水のんでここで仏になってしまえば、それこそ誰が見たって水死で通り‥‥怪し
むこっちゃねぇ。まぁ恨みてぇんなら、こんな大雨を降らせた空でも、あの世から呪
いやがれ」
「畜生ッ、ふいを突きやがって、こんな没義(もぎ)道をしくさり、それでもうぬは
男か。やい、尋常に話をつけやがれ」
 呑んだ泥水を吐きつつ、ざんばら髪の万吉は吠えたてたが、
「何を世迷いごとを云っていやぁがる。それよか念仏でも唱えやがれ」
 儀助は唾をはきかけた。そして襟筋へ竿の先を突きこむなり、
「早く冥土へ行けるよう、たんと泥水をすすりやがれ」
と搦(から)みつけた竿をねじって力まかせに水中へ押し込み、泡ぶくの浮くのを、
「三つ、四つ」と数をかぞえ、
「よっしゃ、もうぼつぼつ良かろうかい」
とは口にしたが、それでもまだ用心して、舟のへさきを泡ぶくの上へ、沈んだ万吉の
重しをかかるようにのせ、
「‥‥何年に一遍もねぇこの嵐の大水で、とんと俺にも運が向いてきたものだ。雨降
って地かたまるというが、これで風雨がおさまりゃあ、川向こうの此方も俺が縄張り
か‥‥花も嵐も踏み越えて生きるが渡世の男の道‥‥とはいうものの、万吉の老いぼ
れた白髪頭をこうして舟板で踏んづけてる心地は、まるで天下をとったようなもんだ
わさ‥‥」すっかり悦に入ってほくそ笑んだ。


妙な噂が

 さて、この寛政二年八月一日の江戸の台風洪水は、流失家屋三千に死者も万近く出
ての災害で、石原町万吉の死も、「不慮の災難」という事で済まされてしまい、檀那
寺の大徳院で八月十五日に葬式がいとなまれた。
 しかし不意の椿事なので、遺言とてもない。
 お内儀さんの方は、おかくが背負って御竹蔵の方へ避難していたので、幸い一命に
は別条なかったが、四十年近くも連れ添ってきた万吉親分の俄かな死に、がっかり気
落ちしてしまい、さながら病人のような有様。
 そこでやむなく、おかくが喪主となって葬式はいとなんだが、さてその後の事は、
別に誰とめ合せるといったような話も決っていなかったから、とりあえず女手で取り
仕切って行く事となった。
 はたからみれば、まだ十八になったばかりの、番茶も出花といった器量良しのおか
くが、帳場に座り込んで大の男を顎先で使うのは、大儀そうな感じも与えたが、万吉
子飼いの清次、常助といったのがついていたから、おかくはそれ程までに煩わされる
事もなかった。
 そこで暇さえあれば奥の間へ引っ込み、あれ以来寝たっきりの万吉の後家に寄り添
って、
「阿母さんあんばいはどうでございます。おみ脚でも揉みましょうか」
 自分も幼い時に親をなくしているので、さながら産みの親に仕えるように重湯を作
って口へ入れるのを手伝ったり、痒いところへ手が届くような看護をしていた。そこ
で一家の者はもとより近所の者からも、
「幼い時から貰い子をしたのでもないのに、よくまぁ、あすこまで孝養を尽くせるも
んだ。うちも実子は他所へやってしまって、改めてどこからか貰い子でもしたいもん
だ」とまでいわれるようになった。
 さて、こうした具合に近所の褒められ者になると、お節介というのか、外へ出た処
をそっと寄ってきて、辺りをはばかりつつ、
「あのね、おかくさん‥‥おたくの若い衆には云いにくくて黙っていたが、実は、あ
の嵐の時に、川向こうの両国の儀助って親方が一人で小舟を漕いで、あの嵐の中をお
たくへ来たのを見かけた者がありますのさ」
 袖を引っぱって耳打ちしてきた者がいる。
 これには、おかくも驚いて、
「あたいが阿母さんを背負って出かける迄は、誰も来てなかったから‥‥じゃあ、そ
の後かしら」
といぶかって、家の中へ戻ってくると、清次と常助の二人へ、
「変な事を耳にしてきたんだけど‥‥儀助の奴が何しに此処へ来たんだろうね。同業
の誼みで阿父っつぁんを助けに来てくれたものなら、もう手遅れで間に合わなかった
のかしら‥‥」
 すぐさま尋ねてみた。すると二人も互いに顔を見合わせ、
「そいつは初耳だが、おかしな話でございますねぇ‥‥あの野郎、それが本当なら、
その事を云いに来てもよいのに、葬れんの時だって面も出しゃあがらねぇし、妙ちく
りんだ」
「うん、舟まで持ってきたというからには、もし、うちの親分が梯子から足を滑らせ
ていて、打ち所が悪くて潜っていなすったとしても‥‥まだ、もがいているところだ
ろうから助けられた筈だ」
「それに、わざわざ漕ぎ出して舟き来たもんなら、あっちこっちと声をかけ探し廻っ
てもいい。なら近くに俺達が素っ裸でもいたんだから、その時儀助を見かけてる筈だ」
「だが吾々二人だけでなく、うちの若い奴らで儀助を見たのが一人もいないって事は、
やつがあの嵐に紛れてそっと忍びこんで来たんじゃなかろうか」
となった。そして、
「そう云やあ‥‥うちの親分が亡くなってからというもの、まるで待ちかねていたよ
うに、儀助のやつめ此方とらの縄張りへ平気で、ちょかいをかけていやぁがる。こり
ゃ姐さん、臭えやァ‥‥」
と清次はいきまいた。そこで、おかくも思わず溜息をもらし、
「あの嵐の中で人助けの為に皆を出してやり、一人っきりで残っていた阿父っつぁん
へ、理不尽な事をしたとあっては許しておけないわ。ねぇ、みんなを集め両国へ殴り
こみをかけようじゃないか」
 眼に涙を浮べて切り出した。しかし常助も、
「まぁ待っておくんなせぇ、いくら怪しいからといっても、はっきり証拠をつかんで
いない話だから、此方の当て推量だけで、まさか両国へ討入りも出来ますまい‥‥」
と止めにかかった。
「そうかい‥‥」と、おかくは答えたものの、眼に口惜し涙を一杯に浮かべ、ちりち
りした顔つきになって、
「‥‥あたいはこれまで掛け違って、その儀助とかいう奴とは逢ってもいない。だか
ら顔を知られていないのを、もっけの幸いに、たとえ身体を賭けても、きっとその手
証とやらを掴んでやろうじゃないか。どうだろう‥‥」
とまで言い出した。
「まぁ、ちゃんとした証拠か、本人の口裏でもとれたら、ふてぇ野郎は叩っ殺して、
亡き親分の仇討ちは致しますが、あの悪賢い儀助の奴、巧く尻っぽを出しますでしょ
うか」
 二人は互いにまた顔を見合わせ、自信が持てないような言い方をした。が、それで
も、おかくは(こうと心を決めたからには‥‥)といったような、悲壮な決意を眉字
に示し、
「でも、あたい、やってみる」きっぱり云ってのけた。


江戸の湯屋(とうや)

 風呂といっても、幕末までは何人もが肩までどっぷり浸かるような浴槽は、まだ鍛
工技術の関係で、大きな釜が鋳造できぬからなかった。
 関西へゆくと美濃の関の鋳物師部落で、一斗釜を拵えていたから、その底に浮板を
入れ湯を湧かす五衛門風呂があったが、街道筋では夏場に限って天水桶にためた雨水
を、陽射しに温めて汗流しに旅人に使わせ、これを「水風呂」とよんでいたくらいの
もの。
 だから寛政の頃の江戸の湯といえば、閉め切った湯室(ゆむろ)の中で、むんむん
と湯気をたてる、今でいう蒸風呂。だから男は下帯をしめ、女は湯巻をして狭い石榴
(ざくろ)口から入り、そこで身体を蒸して垢をこするといった具合。
 だから入口こそは、「おとこ」「おんな」と文字は出ているものの、石榴口を腰を
下げて入ってしまえば、男も女も混浴。
 といって、当節のような生れた侭の姿ではないから、女も胸をあたりを屈み込むよ
うにしているだけ。
 なにしろ湯気が濛々としているから、余程の好き者が眼を皿のようにしても、混浴
とはいえ朧気にしか女の上半身さえ霞んで視えぬ。
 だから湯へ通ったとしても、あまり眼の保養にはならないのだが、両国の儀助は二
日に一度は湯屋の暖簾をくぐる。
「昔は湯女とかいう仇っぽい女がこういうところにはいて、背中の垢を掻いてくれた
り、出ると酒の酌もしてくれ‥‥ろくすっぽ拝めもしない女の裸に、もやもやしたも
のを昂ぶらせている野郎には、裾を開いて用を足させていたというが‥‥近頃は御政
令とやらで湯女はご停止(ちょうじ)の野暮ったさ‥‥だから、こうして湯気に蒸さ
れにくるのは暇な御隠居か、俺がような疝気(せんき)もちだけだろうじゃねぇか」
 と、このところ、二の腕から肘の関節にかけ鈍痛のする辺りを、指先でもみほぐし
つつ眼を閉じ、ぶつくさ独り言を洩らしていると、柔かな物が倒れてきて、
「あら御免なさいな‥‥」
 鼻先にいきなり黄色い声。
 はっとして眼をあけると、こんもり丸まっちい物が儀助の頬から離れたが、まだ眼
の前にぶら下がっている。
 いくら濛々と湯気がたちこめた中でも、こう眼串につき刺さったように近くにあっ
ては、乳房の先の桃色のとんがりまでが視えた。
 だから儀助もあわて気味に、
「なぁに、足を滑らせるのはよくあること。此方は大丈夫だ何ともないが、おめぇさ
ん脚でもすりむきゃあしなかったか‥‥」
 己れの娘ぐらいの若い相手だが、腕は痛んでも根っからの女好きの儀助のこと。そ
こは別人のように優しく声をかけてやり、
「‥‥風呂なんていうと背中へお灸の痕を並べた婆しか入りに来ないものなのに、お
めぇがような若い別嬪が湯にくるなんてのは珍しい。何処か温めなくちゃならねぇ病
気持ちかえ」
 親切そうに話しかけた。そして、にやにやしながら、
「こうして一つの湯室へ入りわせるのも、多少の縁というもの‥‥裸ん坊で云うのは
気取ってるみたいでなんだが、おいらは両国で儀助といやぁ知らねぇ者もない男だ。
なんでも相談にのってやるし力にもなってやろうじゃないか」
と声をかけたところ、娘は羞かしそうに白木綿の湯巻に包んだ腰をくねらせながら、
ほっとと笑い出してしまい、さて耻しそうに、
「私めは昨年より既に嫁入りしました身ですが‥‥嬰児(やや)を身ごもらねば晴れ
て披露して頂けない足入れ婚‥‥よって、こうして身体を蒸し温め子宝を納めやすい
ようにと、人様に教わり、初めて湯へ来ました身‥‥いくらご高名な親分さんでも、
こればっかりは、お力になって頂くわけにもゆきますまい」
 胸の隆起を両の掌で覆いながら、はっきり云いきった。
 しかし儀助は、
「ああ、そうかい」とは、にこにこして口にしたものの、
「おめぇ、子宝が入りゃあよいんだろう」
と手を伸ばし、むっちりした白い肩をつかみ、
「誰が子種でも、おめぇの身体の中へ入っちまやぁ、それで良いってものじゃねぇか
よ‥‥」
 耳朶へ湯気よりも熱い息を吹きかけてきた。
 そこで女も、軽くうなずきはしたものの、
「‥‥ですが、いくら身篭ったとしても、うちの人の子種じゃない、あなたからの貰
い物だと判ったら、わたしは追ん出されてしまいますよ」思案顔でためらってみせた。
 すると儀助は、もうひと押しとみてとったか、声も荒々しく、
「おめぇの亭主が、そんな無法なことを云いやがったら、この儀助が承知しねぇ。襟
首つかんで詫びさせてやろう‥‥なぁ、だったら良いだろうが」
と、かき口説きにかかった。が、女は首をふり、
「親分がどんなに腕っ節が強いか知りませんが‥‥指で己れの腕を按摩しているよう
じゃ心細くって」
 湯気で濡れているのをよい事に、儀助の掌から丸まっちい肩を抜いてしまい、しな
をつくって恨めしそうに唇をとがらせた。
 だから儀助もこれには苦笑いをして、
「そうか。よしよし、じゃ明日もこの時分にここへ来るがいいぜ‥‥そうすりゃ俺が
子分の強そうなのを十人ぐらいは、ちゃんと連れてきて見せてやる。なら良かろうが
‥‥」
と口にした。すると女はきまり悪そうに、
「あなたはご時分の子分衆の前だから、それで良いかもしれませんが、わたしは牝馬
じゃあるまいし、みんなの見ている前での種つけは厭ですよ」と睨む真似をした。
「違いねぇ。ありゃ見世物にするもんじゃねぇ」
とは合点したものの、その気になっているから意馬心猿。
「じゃあ‥‥どうすりゃ良いんでぇ」
 絡みつくよう話しをもってきた。すると女は仏頂面をしたまま、
「今時分の午さがりは空いてますから、来いとおっしゃるなら明日もこの時刻に、こ
こへは参りますが‥‥」
と口にしてから笑えくぼを下頬に作り、
「このあたしにだって、ああそうかと判るような、何ぞ強そうな自慢話しでも明日は
聞かせておくんなさいましよ」
 云い残すと、水を手桶にくんで、熱くなった身体に浴び、円い腰の割れ目をくっき
り晒木綿に浮かせた身体を、
「はい御免なさいよ」
さっさと先に石榴口から四つ這いになるようにして出て行ってしまった。


白州吟味

「おめぇもこの辺の者なら、石原町の万吉は、名ぐれぇ知っていよう」
 翌日、午下りの人気のない湯室の中で、汗をたらして待ちかねていた儀助は、石榴
口から這うようにして入ってきた昨日の女を見かけると、浴びせかけるように声をか
け、近寄ってくると湯巻に手をかけ、ぐっと引き寄せてから、
「あれを、たった一人で眠らせてしまったのは、この俺さ‥‥」
というなり、ぐっと腰のくびれを抱え込み、そのまま寝かしつけるように床へ身体を
横たわらせ、
「どうだ聞いて驚いたか‥‥それぐらいに強い男の子種なら、おめぇも仕込み甲斐が
あるってもんだろう‥‥なぁ、それに俺は義理固いから責任はもってやる。子が腹に
入るまでは何度でもしてやるから安心しろよ」
と、白晒の湯巻をめくりあげたが、その途端、
「なんでぇ、こりゃあ‥‥」
 たちこめた湯気を払うように手をふって、穴があくぐらいに屈みこんだまま覗きこ
んで、たまげた声で、
「い、いれずみ、しかも、蟹じゃねぇかよ」
 喘ぐみたいに吃ってからが、
「こ、こりゃなんでぇ、何て真似だい」
 しゃがれ声をあげ、横這いしている蟹の刺青へ薄気味悪そうに手を伸ばした時、
「‥‥蟹は挟んでちょん斬ってしまうんだ‥‥さぁ入れてみな」
 まるで別人のように言葉づきまで、がらりと変えた女は、股倉を大きくひろげ儀助
の腕をぐっと抱え込むように挟みこみ、脚を縄のようにねじりあげた。
 これには儀助も仰天し、せっかく外しかけた下帯もそのまま、脇から首を出してい
た物も縮って引っ込んでしまい、
「よ、よしやぁがれ‥‥悪ふざけも大概にしやぁがれ」
 なんとか振りほどいて逃げようとしたが、下になっている女は左手をのばして、縮
こまった物をを無理矢理に引っ張り出し、
「さぁ、ちょん斬ってやるから何んしてみな」と喚きたてた。そこで、
「まぁ待ってくれ、夫のあるおめぇに横恋慕して、道ならぬことを仕掛けたのは俺が
悪かった」
 儀助は腰を締めつけられて蒼くなり、引っ張られながら、
「そ、そこには男の急所‥‥頼むからそんな無茶して引っ張らないでくれ‥‥銭を出
しておまえがご亭主にも詫びはするから」
泣かんばかりにして謝ったが、
「何をちんつん‥‥たわごとをお云いだね。わたしは、まだこう見えたって嫁入り前
の一人者なんだよ」
といいざま、右手で湯巻の端に結び付け隠してきたらしい剃刀を抜き出すと、それで
左手で引っ張っている物を、
「石原町万吉の娘おかく‥‥とは私のこと。阿父っつぁんの仇、覚悟をおしよ」
と牛蒡(ごぼう)でも輪切りにするよう切り落してしまった。
 これには儀助も何条もって堪るべきと、眼を白黒させ、
「ふむ」とふんぞり返って、切られた所から赤黒い血を迸らせてのたうった。
 おかくは女の身だしなみで、反り血を浴びた湯巻を、掛け水をくんで手桶で洗い、
用意して石榴口の外においてあった新しのを、すぐさま腰にまきつけるなり湯室を出
て着物を纏った。
 さて、清次と常助の二人は、おかくの云いつけで湯屋の外で待っていると、
「お待っとうさん‥‥」と、そこへ現れたおかくは、濡れ手拭いの間から、
「ほら、阿父っつぁんの敵の首だよ」
赤黒く縮んだ物を覗かせた。
「なんですかい」と不思議がると、
「これが両国の儀助の首じゃないか‥‥」
 おかくは流石に烈しい息使いで云い、
「でっかい頭の方の首は、石榴口から小娘のあたいが引っ張ってこられっこないじゃ
ないか‥‥これは雁首だけど、いいだろ」
 初めて羞しそうに云い、そのうちに張りつめていたものが、がたついてきたのか、
清次に押しつけるように手拭にくるんだまま手渡し、貧血しそうに、
「おまえ、持って行っておくれよ」
 歯の根を震わせ脅えたようにおののいた。

 まさか、万吉親分の跡目のおかくを縄付きでも出せまいと、清次が、儀助殺しを背
負って月番の南町奉行へ、
「恐れながら」
と自訴してでた。
 しかし屍体は男の一物が斬り取られている。そこで町奉行池田筑後守の差紙で、お
かくが石原町から引っ立てられた。すると当人は初めから覚悟の事ゆえ、
「清次ではありませぬ。この私が阿父っつぁんの仇をとったのです」
 きっぱりと白状してのけた。しかし、池田筑後守が不審がって、
「儀助程の悪賢い奴が、いくら湯気に蒸され上気していたとは申せ、其方ごとき小娘
に男の急所を掴まれ切断されるとは解せぬ。何んぞ仔細があるのであろう。神妙にせ
い」
と問い詰められると、
「恐れながら‥‥」ことわってから、おかく、股間をひろげ、
「ご吟味の程を」恭々しく申し述べた。覗きこんだ奉行は、
「うむ」と唸ったが、やや暫く眺めてから、
「養女の身でありながら、孝行せんとする汝の健気なる志に、天もうたれ給い刺青の
蟹が、鋏をふりあげちょん切ったものであろう」
 昔の事ゆえ粋な裁きで、おかくも清次もお構いなしの放免となった。
 しかし、風呂場での人殺しというのは穏やかではないというのか、翌寛政三年(1
791)正月十一日付けをもって、蒸し風呂とはいえ、「男女混浴の禁止」というの
が発布された。
 さて、これでますます、
「養女の身でありながら、万吉親分の仇討ちをした女の中の、女一匹」と、すっかり、
おかくは評判になって侠名を謳われたが、
「あの女のお裾の蟹は、本当に入り込もうとするのを筒切りするんだそうだ」
といった噂も、まことしやかに伝わってしまった。
 それを耳にした荒井町裏の宇之吉は、
「‥‥だから云わねぇこっちゃねぇ。俺が云うように桃の図柄か、五月節句の鐘鬼さ
まにしておけば、五月の鯉の吹き流しで、すらすら入って、ゆうゆう揺れる、と縁起
が良かったろうに」
と、己れが彫った蟹の刺青を、いまいましそうに後悔したが、今さら消して彫り変え
られるものではない。後の祭りだった。
 さて清次と常助は、いちまでも女のおかくに、荒い稼業を取り仕切らせるのも可哀
想だと、まだ独り身の若者を、あれこれ物色してみたが、どれも顔色を変え、
「姐さんは別嬪で良い女だが、女房となりゃ眺めてばかりもいられませんで‥‥」
とか、
「いくら器量よしでも、男のあすこをちょん切られてしまっては」
 みな尻込みしてしまった。そこで仕方なく、おかくは女の身ながら石原町万吉の跡
目を継ぎ、一人で切り盛りしていたから、「蟹のおかく」と、その名を謳われたが、
三十、四十になると刺青も、若い時のような水々しさがなくなったのか、それとも毛
深かったのかは知らないが、「毛蟹の、おかく」とも異名をとった。
 押上の常照寺という寺に、昭和二十年三月の戦災で焼けるまで、「孝養院毛角大姉」
と彫られた墓が、ちゃんとあったそうである。