1032 元治元年の全学連 17

助川城は寺小屋

 大和田村へ来ると、茅根貞蔵と名乗る十七才の少年が、同じ年頃の者七名と共に入
隊を申込んできた。このあたりの塾生だというのである。
 この先は陸前浜街道の石名坂の難所。その昔佐竹義重と相馬盛胤が何度も死力を尽
して争った古戦場である。それなのに西山常蔵は会津二本松の藩兵の目をさけ、真弓
から亀作の山越えで来たというので、助川までのここから先の街道すじは不案内だと
いう。
 そこで仕方がないから、入隊を申込んできた少年達に道案内をさせる事にしたが、
隊規だからと馬苅鋏の大きなので髪の毛を揃え、ざんぎり頭にした。すると少年たち
は喜んだ。前髪だちでは子供扱いされるが、みな同じ髪恰好だと、一見どうとも区別
がつかぬかららしい。だから年少の者ほど、嬉しがってしまい、中でも十五才の山田
二郎などは、にこにこして、
「僕は、これに憧れて入隊したのです」などと、ぬけぬけ糸切歯を覗かせる。
 具足櫃の中に、俺はいつも飴菓子を入れさせていたから、それを持ってこさせて、
小姓組の在校生の連中と一緒にわけてやりながら、
「君は、まだ年が若いんだから、いつでも倦きがきたら母上のところへ戻るんだよ」
と言ってきかせると、山田二郎は気をつけの姿はいいが、
「兄さん」とうっかり言い違えて周章てて赧くなりながら「隊長。いま小姓組の人に
も聞きましたが、僕と同年の者が、外に十七八名いるそうじゃありませんか‥‥それ
に貴方だって、二十才。僕の兄さんより年が若いや」と、ませた口調で言い返してき
た。
 二十前の者が、あらかたとは承知していたが、僅か十五才の者まで、そんな二十名
近くも混じっているとは、俺は迂闊にも気づかなかった。馬をとめて、小休止させ、
手をあげて調べさせると、十六才の者は三十名、十七才の者が、やはりそれぐらいは
入っていた。
 みな髪をざん斬りで揃えているから、同じようにみえ年齢の差が判らない。小柄な
者だけが小姓組へ廻されて、後は一般隊員にまじっていたらしい。野口へ残しておい
た残留隊に、少年隊の殆どを置いて来た筈だから、この連中は、みな新しい志願者た
ちなのだろう。取り敢えず十五と十六の五十名近くだけを、各隊から抜いて、新しい
少年隊に組み換えさせてみたが、どうも、それでも齢をいつわって十三、四の者まで
混じっているらしかった。そこで、
「‥‥君が入隊したのは、ざんぎり頭にひかれただけかね」と、棒飴をしゃぶって先
頭についてくる山田二郎にきいてみると、
「とんでもない‥‥本当は、世直しの為です」
 むきになって、まだ童顔そのものをむうっとさせた。しかし、それ以上はうまく言
えぬらしく、兄貴分の茅根の方を振り返った。
「僕も上手な言い廻し方は出来ませんが‥‥」と茅根貞蔵は赧くなりながら「横浜開
港以来、生糸や漆を向こうへ送っている商家はよいが、この物価騰貴で一般は暮らし
がたちゆきません‥‥いまの将軍さまの御政道では、お役人だけが恵まれ、民や百姓
は難儀すぎます。ですから世直しのために命も棄てるのです」
「ほう、君は若いが、憂国の志士だね」
 俺に賞められると茅根は照れながらも、得意そうに同伴してきた少年達を振返りか
けた。そのとき、
「危ない‥‥止って」
 と大声をあげ前衛の土田が手をふって、馬に鞭をくれ駈け戻って来た。そして、そ
れを追いかけるように、銃声が前方から続けて飛んできた。土田衡平は隊列を止めさ
せ、
「大橋宿の入口を扼して、約三百の二本松兵が、待ちうけています」と急いで俺に知
らせ、「ひとかたまりになってますから、砲撃して突きこみましょう」と相談してき
た。
 大砲を並べてる間に、張り切って後退をいやがる少年隊と小姓組を、ずっと後方の
山裾へ退避させた。
 土田の言うとおりに、まず五六発、どかあん、どかんと撃ちこんで、
「わあっ」と突撃したら、赤羽根の山の方へ、二本松の兵は泡をくって算をみだして
逃げこんで行った。
「勢いに乗じ追撃しましょうか」岩谷が馬首をよせて来たから、俺は慌てて首をふっ
て、
「山登りに馴れとる奥州兵を、追いかけられるもんか」とやめさせ、また隊伍を揃え
て進んだ。しかし半里ほど、くねりにくねった険しい山峡の谷底を這うように登って
ゆくと、また、前衛から、
「危ない‥‥」という叫び越えが、けたたましくこだましてきた。
 曲がりくねった隘路だから、螺旋を引張って通信もできず、これまでの土田に換っ
て徒歩で斥侯に出ていた修験の田村監孝の隊からのものだった。
 転がるように田村らが遁げて来る後から、石臼、岩石、大木の類が、もんどり打っ
て凄まじい勢いではずみをつけて落下し転げてきた。
「‥‥気をつけろ」と、俺は叫んだ。そして山肌にみな守宮(やもり)みたいに、ぴ
ったり身体を張り付けさせた。土と砂煙が、靄みたいに、たちこめてきた。
 切り立った断崖のような絶壁から、手当たり次第に投げ落とされるから、礫のよう
な小石に当っても眼前に死人が出た。下古内(しこない)神社の弥宜(ねぎ)[禰宜]
をしていた飯田義行である。頭の脳天に、栗の実ぐらいの岩片が刺さり、血を噴出し
た侭、もう、抱え起した時には、すっかりこと切れていた。
 駆足で、早いとこ少年隊と砲車は初めのうちに後退させてあったが、吾々はもはや
進むも退くも出来なくなった。
「陽がくれます」土田が顎をもち上げて呻いた。
 西の空は熟柿みたいに次第に赤く染まり出していた。
「とてもここでは野宿は出来まい。うっかり立った侭で居眠りをして、前屈みになっ
たら、頭を割られてしまう‥‥」と岩谷が呟いている最中に、
「きえーっ」と悲鳴が聴こえてきた。俺は、己れの危険も忘れて首を伸ばして覗くと、
落下してきた赤松の枝に引っかけられ隊の一人が、樹の幹に押し潰されかけている。
「危ない」と飛んでいって、俺が松の木をもちあげ、下敷になっているのを、引きだ
してやっていると、いきなり、
「----軍将」と頭の上で声がした。吃驚して仰ぐと、山肌の蔓草をたぐって、蟹みた
いに横這いしてきた小川村の長谷川政太郎である。
「こらっ子供は危ないぞ」
 思わず、俺は叱りつけた。十八ぐらいだと見て居ったのに、さっき、十五才と言わ
れて手をあげた算数のよくできる少年である。
「こういう山登りは‥‥身体の柔らかい吾々でないと駄目です」
 と蔦かつらに両脚をかけて、山肌の木の根株にぶら下がったまま長谷川は言った。
まるで二十才の俺を年寄り扱いの言い草である。そして、
「いくら大人が威張っても、此処から山のてっぺんへ大砲も射ちこめません。まあ僕
たちに委せて下さい」と、片手を放して鼻の下をこすった。
「----俺たちっていうと」と、俺が聞き返すと、
「急に差別されてしまって、後方へ追いやられている少年隊の連中です。まあ僕ぐら
いに山になれとるのが二十人余りはいます‥‥鉄砲をかして下さい。背にくくりつけ
て、山の腋からよじ登ります‥‥なにしろ、みんな岩百合やわさび取りをして、谷間
を猿みたいに上り下りが出来る手合です。決して心配ありません」と、まだ片手で宙
吊りになった侭の猿みたいな恰好で申し出た。
「----やらせましょう。他に手はありません」
 と山肌を伝わってやってきた岩谷が低い声でささやいていた。
「だが、子供ばかりをやれない。やるんなら俺も行こう」と、俺が陣羽織を脱ぎかけ
ると、
「軍将。僕の足に掴まって、せめてここまで上ってみて下さい。それが出来なきゃ‥
‥お断わりです。ついて来られては、かえって大人は足手まといになる」
 言われて目測ではかると、長谷川の足の先までは二米に近い。いくら蛙みたいに跳
躍したって、届くものではない。それができるくらいなら、この前だって穴に一日も
いなかった。あまり、いまいましいから、左右を振返ったが、土田も岩谷も肩をすく
ませて見せた。やはり山育ちの子にはかなわない。
「大丈夫です」頭の上から、まるで小便でもするみたいに、股をひろげ突き出したま
ま、「隊列の上を渡って歩きながら、山に馴れてる人がいたら、まあ大人でも加えて
行きます。が、その代り、僕を討手の大将にして下さい」と長谷川は交渉してきた。
「よし」と土田が換って返事をしてやったが、
「戦ごっこじゃないんだから、ひとつ間違えば死んじゃうぞ。気の進まん者は連れて
行くなよ。用心しろ」と口添えして注意をした。
「はい」と返事をすると、まるで四つ足の獣みたいに巧みに樹枝や蔓に手をかけ、足
をかけ、すいすい泳ぐように山の斜面を行ってしまった。

 二本松兵が山頂から投げる落下はやまない。石臼はもうないらしいが、いま伐り倒
したばかりのような青臭く根に泥のついた大木や岩石を、次々と息つく間もなく、間
隔を換えては転がして落としてくる。みんな用心して、蝙蝠みたいに張り付いている
訳だが、時たま、「きえーっ」と蛙が踏み潰されたような悲鳴を響かせる。すると、
てんでに近い者が助けにゆく。それでも、
「もう手負いが十名は越しました」と所在なさに指折り算えていたのか、田村が、俺
に声をかけてきた。こういう際にこそ、田村考案の飛行雲車が出来ていれば、空高く
一文字に舞い上って敵を撃破する役に立ったのだが、こういう肝腎な時には、悲しい
事にまだ間に合っていない。
「びしっ、びしっ」と鞭で引っぱたくような銃声が不意に山頂でしだした。そして途
端に、落下する岩石や樹木が、嘘のようにぴたりと止った。だからその隙に、石や樹
の下敷から抱えだした怪我人を、窪地へ移した。長谷川ら少年隊の奇襲が功を奏した
らしい。そこで、
「おお」「おお」と鯨波を、何度もくり返して山頂へ向かって掛けてやった。文字通
りの声援である。
 何十名行ってるか判らないが、それしか麓からは応援してやれなかった。だから、
口の奥から血が出そうになるまで、みんな声をからして喚きを続けてやった。しかし
である。
 やがて銃声は、ぽつんぽつんと雨だれのように、とだえて消えてなくなった。
 殆どが十五六の少年である。俺は胸がしめつけられる想いがした。まったく、じい
んと心が凍りついた。なにしろ相手は百姓や博徒ではなく、れっきとした奥州二本松
十万石丹波加賀守家中の侍どもである。いくら鉄砲だけは扱えても、まだ少年隊の子
供らでは、斬り込まれたら太刀合せどころではなかろう。刀も持っていない。全員玉
砕。討死したのかと思うと、ひっきりなしに泪がこぼれた。
「早く‥‥この隙に軍をすすめましょう。暗くなっては難渋する」
 岩谷が指揮し、急いで隊は前進して行った。だが俺は、立ち去りかねてしまい、断
崖の上を仰ぎながら立ちつくしていた。
 すると黒い人影が、気のせいか、赤黒い崖縁に覗いてみえた。よもやと思いながら
も、胸をはずませて仰いでいると、野猿のような群は、するすると太い蔓を巧みに操
って、次々と舞い降りて来た。
 算えると十六人いる。
 さて何人で出掛けたのか、俺には判らないから、
「おい‥‥長谷川」と、あの少年を呼ばわってみた。すると、
「隊長は討死しました。とても遺骸は重たくておろせないから、埋めて頭の毛だけ切
って来ました」
 と、まだ子供っぽい顔をした少年が、懐から、一と握りの遺髪をみせつ、
「討死三名。敵は森山の方へ周章てて退却しました」と報告した。
「そうか。御苦労だった‥‥ところで長谷川政太郎の好物はなんだったね」と、俺は
しゃくりあげて聞いた。すると、
「饅頭です‥‥」と、遺髪をみせた少年が、自分のことのように照れて、小さな声で
恥しそうに答えた。
「よし落着いたら、せいろに山みたいに饅頭を供えてやろう。塩餡でなく、砂糖の入
った甘い奴をだ」と、俺は、猿みたいな長谷川を瞼に蘇らせていってやった。
 すると、仲間を失った悲しみも忘れたように、少年は嬉々として俺を取り囲んで、
先に進んだ隊列の後を追った。

 放々のていで石名坂の難所を抜けた奇兵隊は、夜陰にまぎれて水木へ出て、海岸伝
いに川原子(かわらご)から助川へ入城する予定だったが、大瓶(おおみか)を出た
所で動けなくなった。
 みんな多少は、はじけた岩片や小石に当てられていたが、坂を越すまで、気も張っ
ていたし、痛まなかった。それが吻っとすると途端に、歩けないくらい肩先や脚に激
痛をよんだ。
「打身の傷は、こういうもので、後になってから、ひどく痛みだすのです」
 と田村がまめに雪の下草などをつんできて、みんなの面倒はみていた。だが肩や腕
の痛む者は歩けたが、足をやられている者は、槍を杖にしても、どうにも歩くのが無
理らしかった。
 少年隊と小姓組は素早く後退させていたから被害はなく、みな、まめまめしく冷た
い川水をくんできては、動けない隊員の介抱などをしていた。
 俺は黒びろうどの下に、鎖かたびらを着込んでいたから、身体の方は大丈夫だった
が、左の手の甲を、いつ当てられたか腫らしていた。土田は膝小僧をやられていて、
相当の激痛らしく、みつくちの上唇をむきだしにして歯がみしていた。まったく、と
んだ目に逢ったものである。
 さて大人の隊員たちが、あらかた打身で「うん」「うん」いって苦しんでいるから、
少年隊から見張りを一刻交替で三名ずつ出させるように俺はした。二町置きの間隔で
四組だしておいた。
 いつも昼間に一刻半ぐらいずつ仮寝をして、俺は陣中では夜通し起きてる癖をつけ
てたが、この日は気疲れを手の痛みで、つい、うとうと、祠の中でうたた寝をしてし
まったらしい。
「わあおっ」という聞き馴れない鯨波(とき)で、はっと眼をさました時は、既に遅
く、もう×印の二本松の藩旗に、ぐるりと周囲を取り巻かれていた。
 なにぶんにも見張りが、少年たちなので、ついうっかりして立った侭で居眠りでも
していたのだろう。と思ったが後の祭りだった。
 しかし、俺は前もって用心して、手の痛い者と脚の痛い者とを分けて休ませていた
から、体は動かせないが手先は使える隊員たちの方へ、まず鉄砲をもってゆかせて狙
撃の支度をさせた。
 体が動かせる連中には槍をもたせて突きこむ用意をさせた。しかし子供達はどうし
てもあどけなさが月明かりでも見られるから天狗面をみな冠せた。

「さあ、元気で行こうぜ」と、俺は、まっしぐらに×印の旗を目がけて、遮二無二駈
けこんだ。
 耳許や頭の上を、雹みたいに敵の弾丸がふってきた。
 打傷のひどい連中は、せめてかけ声で鯨波だけあげてくれろと言っておいたのに、
槍は振れないからと刀の柄を抱え必死になって、俺のあとを走ってきた。薩摩藩から
加わっている松脇松礼は、ひとに縛らせたのか、腫れ上がった右手に抜身を、手拭い
で落とさぬようにくくりつけていた。
 唯ひたぶるに土砂を蹴り、槍先揃えて脇目もふらず、十三夜の月光の中を、俺を先
頭に歩ける者は一丸となって、敵に向かって駈けに駈けた。
 二本松勢の中にとびこむと、俺は突いた。ただ突きに、突きまくった。
 続くは少年隊と、打身で指先や腕のきかぬような連中である。だから、俺一人の働
きでも、この二本松勢を蹴散らせねば、奇兵隊が全滅する。ともう手の甲の脹れや痛
みも忘れきっていた。
 槍を斬り折られてからは、がむしゃらに刀を抜き放って、盲目滅法ふり廻した。斬
るなんて心構えのものではなく、棒みたいに撲りつけて廻った。又そうでもしなくて
は、とても手が廻りかねた。
 が無我夢中で暴れ廻っているうちに、次第次第に眼前に立ち向かって来る敵影が減
った。しまいにはいなくなった。そこで、俺は、
「ふうっ」と久しぶりに呼吸するみたいに、やっと息を大きくしてみた。
「えらいもんですな人間の精神力は‥‥刀をつかんだまま突きこんで三人ぐらいは倒
しましたか‥‥」と刀の柄を手の甲に縛りつけた手拭いを、まるで椿の花みたいにし
ながら薩州浪人の松脇がよってきた。
 見かねて俺は自分でその真紅にぐっしょり染まった手拭いを解いてやった。
「成程、これじゃ刀は握れず縛りつけた筈だ」
 と、俺は松脇の掌が、打身で団子みたいに丸くふくれあがっているのを見て驚いた。
 そして振返ると、よく此処まで一緒についてこられたと思われるような、そんな子
供までが反り血を浴びて後ろに並んでいた。
 そして目測でも先刻の祠のところは、十町ぐらいの距離がある。
(ここまで駈け通してきて、よくも、包囲された敵勢の一方をうち破り、突破口をつ
くれたものだ)
 と、俺は自分ながら感心した。
 そして、残してきた連中を収容して、ここから逃げ出そうと考え、迎えに行こうと
しかけた時、また祠の辺りで、火花が散るよう、「ドン」「ドオン」と銃声がぶり返
して鳴りだした。
 土田たちもそれに対して撃ち返しているらしい。
「こっちの街道口の敵は追払ってしまったが‥‥向こう側の二本松勢に攻められてい
る」
「じゃ引返して助けに行きましょう」
 やはり浪人者の峰岸内記が裂いた袖で右腕を吊るしたまま、握れぬ刀を担ったまま
で言った。
 だが少年隊の面々は、初めに俺がいいつけ通りに、手槍を突き立てるとその侭、敵
の身体へ刺し放しで抜かずに放って来てるから、もはや、みな素手なのである。
「誰か、助川城へ駈けて行って応援をよんできてくれ」と、俺も悲痛な叫びをあげて
しまった。

 高橋由之介が急をきいて、馬のあるだけ揃えて駆けつけてくれたから、打身や手負
の者を少年隊が肩をかして海岸へ運び、田楽鼻(でんがくばな)から会溝(あうせ)
まで、辛うじて水路移送できた。
 野口から追われて来た連中は、久しぶりに、俺の顔をみて、おいおい声を出して泣
いてくれた。時雍館で、俺は一年ぐらいしか後輩の面倒をみていないのに、それでも
慕って、新隊員として十三、四の在校生までがぞろぞろついてきていた。
 久しぶりの逢瀬である。酒も肴も買えるだけ求めさせた。少年らの為には、甘柿と、
うまい饅頭を山のように積み上げてやった。みんなを思いきり遊ばせてやりたかった。
 しかしである。
「少年老いやすく、学またなり難し‥‥といいますのに、勉学途中の者に放っておく
のはよろしくない」という意見が多く、それでは、
「開校」ということに翌日からなった。
 しかし、助川城には教材もなければ墨筆もない。そこで時雍館の教授方だった尾形
友一郎先生が白髯をしごいて、馬出曲輪の空地に少年隊を並べ、地面に杖で字をかい
て教え、少年達も小枝を拾って土の上で習字をした。
 もちろん刀槍の実技も訓練はさせたが、
「これでは助川城は寺子屋ですなあ」
 と、先にきて占領していた高橋幸之介は、顎の傷をなぜながら言った。俺も、二階
の大広間の一段高い所にでんと座って、
「一城の主」の気分に浸ったのは一日きりで、あとは毎日、
「子曰(しいのたまわく)」と素読の声をきいていると、どうしても学校の校長の感
じである。
 そこで退屈している大人だけを集めてみた。
「何処へ出陣です」と高橋が真っ先にきた。
「森山の兵隊だよ。百姓や博奕打ちならいざしらず、ちゃんとした侍がだね山の上か
ら石臼や木を投げてよこすとは、以っての外ですよ。この間は海岸づたいに避けて来
たが、油縄子(ゆなご)の先の下孫村に、二本松の本営がある。彼処を今から突きこ
んで、先日の葬い合戦をしよう」といってみた。すると、
「‥‥えっ」と高橋が面喰ったから、俺はしめたと思った。
「味方のお前が魂消げるぐらいなら大丈夫。向こうだって、思いも掛けてないだろう」
と気をよくした。
 馬が七十頭しかいないから、人数も、それに限った。少年隊の中でも、馬乗できて
志願する者は、後学のために許したら十八名もいた。久しぶりだからと、せがんで同
行する高橋を、羨ましそうに西山常蔵は城門の石段まで見送りに出た。

 三つ梅鉢の幔幕はった名主の家が二本松勢の本陣である。
 だから吾々の馬は上孫(かみまご)よりの橡(くぬぎ)林へとまいをかませてつな
いだ。嘶(いなな)かれては、ことだったからである。
「表門は俺」「裏門は高橋」と二手に分かれた。
 まず敵の追出しを高橋の三十人隊にやらせておいて、此方は、表正面の山椿や小松
の茂みに、そっと身を隠し銃口をずらりと並べた。
 まさか裏から襲われるとは思っていなかったらしい二本松勢は泡をくって表へとび
出してきた。
 こちらの鉄砲は前もって、門までの距離を計って照準がつけてあったから、これで
は百発百中に近い確率。ばったばったと、まるで射撃場で的を狙うようなものである。
あんなに、あっさり人間は死ぬものかと思うぐらい、他愛なく、蝗(いなご)みたい
にばたばた飛び上がって倒れた。中にはきりきり舞いをして死ぬのもいた。
 ぼつぼつ頃合だから、突っ込ませようと、撃ち方をやめさせかけた時、
「わーっ」と門口から踊り出して来たのがいる。そこで「新手の敵か」と、こちらの
気早な者が、また撃ち出しかけるのを、俺はびっくりして、
「よせッ‥‥」と周章てて止めさせた。
 なにしろ先頭が高橋で万燈提灯のように、槍先に首をつき刺して振ってみせている
のである。
「危ないじゃないか」と、俺が駆け寄って叱りつけると、高橋は振るのを止めたが得
意げに、
「裏口から入って仕止めました‥‥これが二本松藩の先手大将の丹波十郎兵衛です」
と取った首を槍ごと突きだしてみせた。
「よし、よし、お手柄だった。その首実検は戻ってから城内でやろう」
 と言いのこし、そのまま、急いで敵営の中へ、俺は飛びこんだ。すると思った通り
麗々しく、「戦利品」と大きな木札をぶら提げて、槍の束が積んであった。
 森山合戦で、少年達が、俺の言いつけ通り敵兵に突き刺した侭、放ってきた手槍で
ある。実はこの六十本を取り返したかったのが、押寄せて来たのが俺の肚である。
 二本や三本なら、町の道具屋でも売っていようが、これだけ纏まってはちょっと手
に入らない。
 ついでに二本松勢の槍や鉄砲など、目星い武具は悉く頂いて、それに大事な煙硝樽
を奪い表の三つ梅鉢の幕に包んで引揚げて来た。
 この勝ち戦に味をしめ翌日は岩谷敬一郎が馬五十兵百五十の陣容で、宮田の大雄院
に本陣を置く大谷与兵衛の陣を襲って、首級十八、米俵四十。味噌、梅干七樽を、馬
の背にくくりつけて戻ってきた。軍用金らしい千両箱を二つ持って来たから、たがね
でこじ開けると、中から小判と小粒でどうにか八百両余りあった。
 するとその夜、土田と西山も、競争意識に駆られたのか、少年隊五十と野口組百を
連れ出して、滑川浜(なめかわはま)の植木小川勢の陣屋を急襲。
 塩二駄。干魚生魚三駄。鉄砲十二挺。焔硝鉛五駄という、結構な戦利品を土産にも
ち帰ってきた。
 少年隊は別に勉強道具にと、墨と筆と白紙二百帖を、これも大切そうに持ち帰って
来た。