1030 元治元年の全学連 15

「むごい真似を、しやあがる‥‥」
 唖然として思わず眼をそむけた。まったく眼を覆いたくなる光景だった。俺は嘔吐
を堪えた。
 藤田小四郎がわざわざ来てくれて、出動を見合わせるようにと心遣いをしてくれた
が、なにしろ、(農兵の屯所が、お花畑の薬草園)と聞いて、(もしや)と気になっ
て出て来てみたら、この有様なのである。まったく俺は暗然とさせられた。
 ぶんぶん群がってる青蝿を払いのけさせると、その下は、びっしり詰った蛆だった。
顔の目鼻さえも既に判らない。
 白い糸屑の玉みたいに、蛆はびっしり喰いつき、しかも、それが蠢めいている。つ
まんで払い落とすと、ぐるっと縮って粒のように丸まってころころ散らばった。
 皮も肉もあらかた貪られて、眼玉も落っこちたのか孔だけが大きく、拳でも入りそ
うに開いていた。だが、頭のてっぺんの小さな黄ばんだ髷は、やはり昔ながらの伯父
のものだった。俺の父が割腹したときに介錯にきて、それができずに戻ったお人、横
山文蔵なのである。
 門にくくられた屍体を下へ抱えおろすと、縛られていた青竹の貫木(かんぬき)を
抜いた。
 薄墨色になっている古い門板は軋みつつ開いたが、泥飛沫(はね)みたいに所々に
血が凝っていた。
 式台のところでは、従兄たちが三人とも鉄砲で撃ち殺されていた。陽のあたらぬ家
の中のせいなのか、ぶんぶん銀蝿が舞っていたが、まだ産みつけた卵が蛆にはなって
いなかった。
 しかし家の中は奪掠の限りをつくしていて、畳までが持ち出されていた。おおかた、
薬草小屋の板敷へでも運んで行ったのであろう。
 小っぽけな庭だったが、そこだけは何もないから荒らされておらず、早咲きの釣鐘
草が薄桃色の蕾をふくらませていた。俺は、その前あたりに穴を掘らせた。従えてき
た隊員に伯父と従兄の遺骸を、そのまま、そっと埋めさせた。湿っぽい黝(くろ)い
土の色だった。
 しーんと周囲もしずまり返っていた。誰も覗きにも来なかった。
 そこで変に想って右隣の大塚多左衛門宅を覗いてみると、やはり鍋釜まで持出され
空っぽになっていた。がらん洞として骨組だけの家の中だった。
 しかし、どこにも屍体がないところをみると、人間だけはすばやく逃げのびて、難
をのがれたらしい。かび臭い匂いがした。垣根をこわして左隣の新家(あらや)清介
の裏庭へも廻ってみせた。
 確か、ここには、俺より二つぐらい年上の娘がいた、と憶いだしたせいである。

 色白で、常陸女にしては珍しく、ふっくらとした顔立ちだったが、びっしり痘(い
も)がひどかった。
 あれは十五の時だった。俺は伯父の此処の横山宅へ二月ほど、手伝いにきていた事
がある。
 その時、晴江とよぶ娘と顔見知りになった。同じひどい痘相が二人を心やすくした
のかもしれない。
 乾柿や打菓子を、反古紙にくるんで、娘はそっと俺に手渡してくれた事がある。だ
から喰い意地がはっている俺は、その娘が好きになった。
 横山の家から暇をもらって、下市の母の許へ帰ることになった。
 別れをつげたさに、烏瓜の真赤な実が蔓に絡んでいた垣根を、そっと俺は潜ってい
った。
「あんた、でしたの」と初めは驚いたらしいが吻っとしたように少女は言った。そし
て、「父は、御城の御用で支藩の府中へ、上役のお供で出かけた。母と兄は、在所の
磐城の親が急病で見舞いに旅立った。朝から一人きりで留守番だった。とても、怖し
かった」と切れぎれに訴えた。
「今夜ひと晩でも‥‥一緒に居て泊っていってほしい」
 頼まれると、俺はすぐ引受けてしまった。荷物は布包み一個で垣根の下へ置いてき
たから、そっと伯父の庭からこちらへと引っぱって持ち出してきた。もう横山の家に
は、とうに別れの挨拶は済ませてあったからである。
 それから、俺は古い六尺棒を探してくると、不寝番をするつもりで、縁側に腰掛け
ていた。
「夜露は毒だから、家の中へ」と言われて、草鞋をとって洗足すると「どうせ番して
くれるなら、側にいて、安心してくれねば、とても一人では寝られない」と心細がっ
て少女は甘えた。
 そして蘇芳染めの夜具の中へ入った少女は、俺を手招きした。六尺棒を携えたまま、
俺は裾の方へ脚だけ入れさせてもらって、そのまま腹這っていた。
「油を節約(しまつ)しないと叱られる」と灯を消してから、不安そうに、少女は、
俺の背に噛りつきつつ、
「わたしはこんなひどい痘相(いも)だから、どうせ嫁の貰い手などないのよ。だか
ら‥‥いいわ」と耳許へ息をかけてきたが、俺は背を向けたまま、固い樫の棒を一晩
中抱えこんでいた。まだ齢も若かったし、それにすぐ隣宅に口やかましい横山の伯父
がいると思うと、それどころではなかったらしい。

 ----昔の事を憶い出すと、つい、俺も懐かしくなった。
「晴江さん‥‥」と、葛を植えこんだ裏庭の叢を歩きながら、思わず声を出した。す
ると、かさこそと音がした。気のせいだろうと思った。
 だが、また、うっかり、はずみで「‥‥晴江さん」と二つ年上だった昔の少女の名
を呼んでしまった。するとである。
「‥‥誰れですの」何処からともなく、忍びやかに声がした。
 松風草の小さな黄花を見廻しながら、「田中のげんぞうです」と、俺は名をいった。
 すると掠奪されつくし荒廃しきった縁の下から、もぞもぞと、這い出して来るよう
な音がした。
「おやッ」と覗きこむと、頭を下げ背を曲げたまま、やっと縁下から出てきた昔の少
女は、
「あんた、でしたの‥‥」と、身体を起こすと、懐かしそうに声をかけてきた。
 煤まみれで顔や髪にも蜘蛛の糸を絡ませていたが、少女の時と同じ貌を持ちつづけ
ていた。しかし、さすがに憔悴しきっているらしく、まるで生きている死霊のように
さえ、げんなり視えた。
「‥‥よく無事で助かりましたね」
 生きている人間を見つけ出したのは、まるで奇蹟のような気がした。だから、俺は、
じっと晴江を見詰めた。向こうも眩しそうに初めは、うつむいていたが、悔やみをい
うように、
「おたくの伯父上さま御一家は、みな殺しにあわれたのでござりましょう」と、ぽつ
んといった。
「‥‥ひどいもんです。伯父なんかは門前に張り付けにされ、もう蛆だらけでした」
 俺も声をのんで、いま埋めさせたばかりの釣鐘草の咲いているあたりを、そっと指
さした。
「‥‥渡しは、すばやく床下へ這いこんで、ずうっと、土鼠(もぐら)みたいに潜っ
ていましたから助かりましたが‥‥うちの親兄弟も連れて行かれて殺されたようです」
 泪を指で押さえていたが、しまいには両手の掌で顔ごと覆ってしまった。
「僕が全館連の奇兵隊を預かっているので、その肉親の伯父の横山文蔵が狙われ、お
たくの親ごさん達も巻き添えにあわれたのですか」と、気になることを俺は聞いてみ
た。
 すると晴江は微かに首をふってみせ、まだ泣きじゃくりながら、
「真っ先に襲われたのは楠七平さま御宅です‥‥昔、西山公水戸光圀さまが湊川へ石
墓を寄進された楠公という方の子孫とかいう事を、日頃とても鼻にかけて威張ってい
られたのが、薬草畑の小者共の恨みをかっていたのでしょう‥‥しかし筋向のあなた
の伯父さまが息子さま方と共に防戦されているうちに楠さま御一家は素早く逃げてし
まわれ、逃げ損ねた者がひどい目に逢ったようです」といった。
「では‥‥うちの伯父や従兄らは、魁隊の名で鉄砲をもたされた薬草畑の小者たちが、
楠宅へいやがらせにきたのを追い払おうとして、あべこべに撃ち殺され、手向かいし
たからといって見せしめに張り付けにまでされてしまったのですか」
「はい‥‥早くお逃げになればよろしゅうございましたろうに‥‥」と晴江はまた泣
いた。
 近所をみて廻ってきた隊員共の報告によると、この組屋敷一帯は、向側の楠の宅は
勿論だが、左右の茅根、弓削、近藤の家々も、ひどい掠奪ぶりで建具から台所の水瓶
まで、洗いざらい盗まれて、まったく無人の侭の廃屋になっているというのである。
「‥‥この裏手に大砲隊の陣地があるから、ここを立ちのかせて空地にするため、魁
隊に襲撃させたのでしょうが、ひどい事をするものですね‥‥あなたも、もうこれ以
上は、ここにいては危ない。僕についていらっしゃい」と、晴江にいってやると、
「はい」と言いながら、ふらふらと寄りかかってきた。どうしたのかと聞いてみると、
「もう二日、何も喰べていません」といった。
「じゃあ、昔ぼくがあなたに馳走して貰ったのを、お返しする番ですね」
 と、俺は微笑んだ。しかし肚の中では、肉親の伯父や従兄が虐殺されているのを見
せつけられ、その仇もとれずに引返してゆく自分が、いまいましかった。なのに、
「‥‥早く引揚げましょう。なにしろ吾々は偵察に来たきりですから十人。もし向こ
うの薬草畑の鉄砲隊に見つかったり、大砲隊の敵の連中に、こうして忍びこんでいる
ところを発見されたら、こりゃ受けて立つのが大変です」と、外へ出て見張っていた
西山常蔵が戻ってくるなり、俺を急がした。
「うん‥‥」と、それに同意するしか、俺もなかった。
 なにしろ奇兵隊全員をもってしても、鉄砲隊や大砲隊と正面衝突はできぬと、藤田
小四郎に言われているのに、今つれてきているのは馬のり十騎だけである。無念では
あるが仕方がない。俺は晴江を抱え上げ鞍の前壷に腰かけさせるなり、「それッ」と、
ひと鞭あてた。すると、
「‥‥きいっ」と晴江が妙な声をあげた。鞍から落とすまいと女の腰を俺が強く、ぐ
っと抱きしめすぎたせいらしい。


那珂湊の親分

 お花畑の薬草園の近くにある伯父横山文蔵の組屋敷へ、僅十騎で出かけて行って、
虐殺された遺骸を片づけて戻ってくると、
「あんまり無茶はしないでください‥‥それにしても、よく無事に戻ってこられまし
たな」
 と土田衡平は呆れたが、翌日になると、なんのことはない、当日は薬草畑の農兵は
一人残らず出動して、留守だった事が判ってきた。
 つまり二十二日の朝から、魁隊の二百は、市川方の渡辺半助に引率されて、小川館
の書生達を襲撃していたのである。しかし攻め込まれた側は、
(藤田小四郎は東湖の伜で看板になるから、これを敵の銃弾の餌食にしてはならぬ)
という執行部の意見で、翌二十三日は、立原朴二郎先生が小川館の書生隊の指揮をと
った。
 立原は、藤田とは祖父から二代にわたって仲違いの家に生まれていたが、太平山以
来は全館連の同志として親友だったから、身代わりを進んで引き受け、敵の機動隊と
わたりあったのである。
 立原朴二郎は、田原藩の渡辺崋山と共に、「二墨(にぼく)」と併称される画家だ
ったが、この日は、白ラシャの陣羽織に二間槍をもって、第一線にたった。初めは優
勢で、新町角に本営を設けていた市川三左の許まで肉薄したが、なにしろ学生に比べ
ると機動隊の方が武器が揃っている。
 渡辺半助の指揮する魁隊の二百の銃口にかこまれては、立原朴二郎も勇戦のかいも
なく、白ラシャの陣羽織に、朱色の模様を己れの鮮血で描いて、ついに倒れてしまっ
た。
 渡辺の組下の横田九郎右という者が、薙刀をふるって、その死首を落し、これを高
張り提灯のように竹の先につき通すと、
「ワッショイ」「ワッショイ」と、機動隊は先頭にたて押し寄せた。
 小川館の書道方の先生矢沢十郎は六十七才だが、この日、学生と共に突入し、引揚
げの際に、教え子を庇って踏み止まり機動隊に首を掻かれてしまった。惨殺(ころし)
、逮捕(めしとり)、被害は百をこえた。
「死なば諸共と固く約束した立原先生を討たれて‥‥おめおめ生きていては、約束が
違う」
 と藤田小四郎は、あくまでも決戦を主張したが、武田伊賀守がどうあっても小四郎
の意見をきかず反対して、八月二十八日に全軍を引揚げて、また那珂湊へ戻った。

 那珂には、湊の小十親分と呼ばれる、もう八十に近いが頗る達者な博徒がいた。漁
師上りだというだけあって、耳は遠いが頑丈な身体をしていた。五、六百人からの乾
分をもっている常陸きっての大親分である。本隊では、この親分に目をつけて、なん
とか仲間に誘い込もうと、奇兵隊の宿舎を割り当てた。昔、武田派の谷田部運八が匿
れていた旧縁もあった。
 親分の離屋を、俺と晴江はあてがわれていた。母屋の六畳三間を幹部が借り、隊員
達は、納屋と、干し小屋に分宿していた。
「いっそ、手に手をとって、お前さん達は、欠落(かけおち)しちまったら、どうだ
ね」
 花畑から俺についてきて、片時も側を離れまいとする晴江のいじらしさにほだされ、
小十郎親分は、飛び出した長い眉毛を揺さぶり乍ら言ったりする。そして時には真剣
に、
「旦那は、まだ若けぇから、いろんな事を想いなさるんだろうが、俺っちがような爺
さまになって、振返って考えてみると、男の仕合わせちゅうものは、手柄を立てる事
でも、銭儲けでもねえ。てめえのために、己れを忘れて尽してくれる女をもつ事さ。
そんなのはまぁ、おんまり滅多に見つかりもしねえが‥‥運よく旦那は、滅法もねえ
内儀さんを持ってなさる。戦なんか、およしなせえやし。そっと、若い者に舟を出さ
せ、逃がしてあげやしょう。何処ぞへ行って、二人でお暮らしなせえ。それが、正真
正銘、生きてゆくって、しろもんだよ」などという。
「生きるって‥‥そんな事かねぇ」
 噛んでふくめるように親分に言われると、まるで、死んだ父か、俺の知らない祖父
から、こんこんと訓されるような気になるから妙である。
 人間も八十といえば、俺の四倍も生きている訳になるから、いろいろ言われると、
(成る程なあ)と思ったり、(そうなのか)とも考えさせられる。博徒といっても名
僧智識の感がある。
「‥‥旦那たちの戦は、大砲まで引っ張ってやんなさるから、俺っち渡世人の喧嘩
(でいり)とは規模(かまえ)が違うが、やんなさってる事は、同じこったねえ。所
詮は、御武家仲間の縄張り争いじゃ御座んせんか。お大名が御貸元衆なら、城代家老
ってのは代貸。浪人さんは俺っち仲間でいう、旅人だねえ」と、うがった事もいう。
だから、「違えねえ」と、つい相槌をうたされてしまう事もある。すると、また、
「戦や喧嘩はしたい奴だけが、やったら好い。なんの係りもない者や、気の進まぬ者
が、捲き込まれるもんじゃねえ。旦那は、まだ若いが奇兵隊の大将だ。それくれえの
目はしは、利くだろうじゃねえか。これから戦をまたやって手柄を立て、旦那が男を
売る。するってえっと、好い顔になんなさるから、お城の豪い衆の娘でも、嫁に貰え
るかもしれん。また褒美でも、たんまり貰えば、その銭で綺麗な娘を手に入れられる
かもしれん。だが、見栄えは良いだろうが、それで仕合わせになれると思ったら、よ
ほど、こんこんちきだねえ‥‥男女の仲ってのは、ひっついてたら情が湧くっていう
が、しらみじゃあるめえし、くっついていたって湧くとは限らねえ‥‥情なんてもの
は合縁奇縁。しんこ細工みたいに拵えさせたり、垢みてえに溜まるもんじゃござんせ
んよ。損得を抜きにして、初(はな)っから相性ってのが決まってるんだよね。探そ
うと思ったって、なかなかそいつは金の草鞋をはいても見つかりそうもないのが、旦
那は運よく、もう手に入れてるんだ。決してお二人は、お離れになっちゃいけません
ぜえ‥‥いいですかい」
 あんまり親分が、俺の顔さえみると、くどいくらいにそうした話をするから、てっ
きり晴江が泣きついて頼んでいるのかとも思った。
 だから疑って晴江をつかまえて、
「俺とお前の事は、内輪だけの話。構えて他人さまなんかに、お聞かせしちゃあいけ
ないよ」と、たしなめてみた。すると早速、晴江は、
「はい、申訳ございませぬ」と手をついて詫びはしたが、どうも、身に覚えはなさそ
うだった。
 湊へまた舞い戻って来てからは、船着場に二つ巴の幔幕をはって、出入りの船から
運上とよぶ課銭を取って、奇兵隊の賄いをしてる。だから親分は、それが目障りで俺
を追い払おうと、お為ごかしを言うのかとも考えた。だが、もともと、この課銭とい
うのは、これは藩の収入で、ここの親分には係り合いがない。今度は那珂藩だが、前
に来ていた時は、対岸の祝町の陣取り遊郭に本陣を構えて、やはり船の運上は収入に
当てていたのである。だから、やはり関係はないらしい。
 なのに、あけくれ八十才の博徒の親分は、俺をつかまえては晴江と逃げろという。
(まさか、やきもちをやいて癪に触るから、何処かへ行ってくれ)というのでもなさ
そうでる。といって、こちらから、
「僕たちは、全館連といって水戸領内二十三の私学が一つになって、新しい世直しの
目的に立ち上がったものです」などと説明をしたところで、(人生八十年の体験は、
いろけとくいけの二つしかない)と、そう決めこんでいるだけの、学のない小十親分
に通用する筈もない。
 だから思案にあまって、俺は土田衡平の許へいって、すこし照れながら、
「あの爺さまは、俺の顔さえみれば、晴江と手にてをとって道行(みちゆき)しろ、
舟の手配もしてやるといっているが、あの女は、そんなに佳い女なのだろうか」と訊
いてみた。
 すると土田は頭をかいて、
「のろけを言いにこられたのですか」と苦笑した。
「違うよ」と、俺は詳しく話をしてみた。
 すると土田は暫く考え込んでいたが、
「爺さんは、自分らを仲間に入れられないように用心しているんです‥‥まあ嘘だと
思ったら、当ってみてごらんなさい」
 ち智慧をつけるように教えてくれた。
 そこで早速俺は親分の居間へ入って行き、
「ざっくばらんに聞くけれども、親分、ひとつ死に花を咲かせる気はありませんか」
 耳元へにじりよって、率直に大声で話しかけた。例の銅壷の方も火鉢の中でごとご
と音させていた。
「とうとう切出してきなすったね」と親分は、にやにやしながら「それを口に出さな
きゃ、あんたも好い男だったんだが‥‥」と、さも惜しそうに言ってから、「いいか
い、宇都宮戸田因幡守さまが七万七千石、分家の足利の戸田大炊頭さま一万一千石。
上州高崎の松平右京さまは八万二千石、下総古河の土井大炊さまが七万石、武州忍
(おし)の阿部能登さまは十万石、総州の関宿の久世出雲さまは五万八千石。下総佐
倉の堀田相模さまが十と一万石。‥‥これに遅れて九月十五日に参陣したのが、壬生
三万石の鳥居さまと、お膝許の常州下妻一万石の井上さま。遥々奥州から着到された
のが二本松十万石の丹羽加賀さまと、福島の三万石の板倉内膳さま。今んとこだけで
も、あんたらの相手は締めて六十七万八千石。向こうはえれえ御威光だあねえ‥‥な
にしろ笠間の田沼玄蕃さまの許へ集った諸国軍勢は二十万っていうじゃねえか」と丹
念に指を折った。
「‥‥へえッ」と、俺が面喰った顔を見せると、
「そりゃもちろん言い値だよ。掛けてある。うちの若い奴らが探索したところじゃ、
まあ好いとこ半分以下の七、八万。その中の二、三万は、軍夫に狩り出した近在の百
姓だろうね」と慰め顔をした。
「しかし‥‥差し引き五、六万にしたって、たいした数だが、此方は、御覧の通り三
千で出て行って、戻ってきたのは二千余。ざっと三十倍だ」
 と、俺は唇をかんだ。すると向こうも、
「そうだろ旦那。死に花咲かせろなんて世辞にも言えめえ。これで戦うなんぞって意
気があるのは、飛んで灯に入る夏の虫だよ。よくねえ。よさなきゃ駄目だよ」と、ま
た説教である。
「親分、俺なんかに言ったって駄目だよ。親切気があるんなら、武田伊賀守耕雲斉っ
て、長い白髯のばした、権柄なお人に言ってくれ」と耳許へ声を近づけると、親分は、
「渡世人の果たし合いなら、まあ、この爺に免じてと仲裁にも入れるが、将軍さま御
目代と旦那がたとの喧嘩(でいり)じゃ、てんで格式が違いまさぁね」と笑いながら、
銅壷の湯をくんで、ほうろくで煎ったほうじ茶を呑ませてくれた。
「ところでね‥‥この二十五日の夜明けに鹿島灘から相模灘をぬけて、伊豆の下田へ
出る丸万の煮干船は毎月五の日の定期便だから、もう運上は先払いで奇兵隊のお調べ
はありません。それに船出場ではなく、すぐこの裏から出帆します。それで下田へお
行きなさいやし。大沢村の久六ってえのに、伝達(紹介状)はつけて上げやす。ゆっ
くりそっちで長逗留し、新しい世渡りでも考えたら如何でやす」
 と親分の方が、こちらへ顔をつきだし耳うちしてきた。だから、
「‥‥どうして、あんたは、そんなに俺にお節介をやくんです」と、俺が言うと、
「実は‥‥」と口ごもってしまった親分は、暫くして、「おれっちの莫迦を口にする
みてえで耻しいが、あの晴江さんぐらいの年頃の娘を、俺も持ってたんだが‥‥仲間
内の義理で銭が要るんで、人買いに売っ払っちまってそれっきりよ‥‥もう何十年も
前の若い頃の、ばかだった頃の話だがねえ‥‥」しゅんと洟水をすすった。
 そして胡座をかいていたのを座り直すと、
「あの晴江さんってお人は、俺っちが若気の過ちで叩き売っちまった俺が一人娘に、
そっくり生き写しなんだ‥‥なあ頼みまさあ‥‥旦那の手で、あの娘さんを仕合わせ
に丸髷結わせて、生涯仲よう添ってやっちゃくれませんか」と節くれだった手を前に
つきだし、
「この通りだ。この小十が頭を下げてのお願いだ‥‥ひとつ罪滅ぼしに、頼まれてや
っておくんなせえやし」と頭を下げ、ううと低く哭きだした。

「‥‥俺は泣くのは子供だけかと思ったら、八十の爺さまに泣かれてびっくりしたよ」
 と、俺は有りの侭を晴江に話した。そして、
「どうする」ときいてみた。もちろん、俺は抜ける気はないが、あれだけ八十才の親
分に泣きつかれては、この晴江一人だけでも下田へ落としてやらないといけないよう
な気がしたからである。
 しかし晴江は、うつむいて黙りこくった侭だった。仕方がないから、
「こっちは二千位しかいないのに、幕府(こうぎ)の機動隊が十万も攻めてくるんだ
よ‥‥俺も後から下田へ行くから、あんただけは先に早く批難したがよいよ」と、す
すめてみた。
 すると、晴江はやっと顔をあげたが、眼に一杯泪をためたまま、俺を睨みつけてい
た。
「どうしたんだ」と声をかけると、こっちも泪をみせて、
「私一人だけ行けとは、あんまりです」
 と、さも怨めしそうな口のきき方をした。俺は狼狽してしまい、
「二十五日といやあ、明日の朝じゃないか」と、さも初めて気がついたような振りを
してみせ、
「よし、よし、一緒に行ってやる」と、そんな口のきき方で、晴江をなだめた。
(船にのる所まで一緒に行ってやり、あとは船頭に頼んで、晴江だけを下田へやろう)
と、そんな心づもりをしたからである。

 小納屋色の空が、薄紙を剥ぐように、白っぽくなって来ると、青味がすこしずつ差
してきた。
「馬印は、神社の鳥居の絵‥‥また壬生藩鳥居丹波守の手勢です。奇兵隊を目標に攻
めこんで来るとは、昔のことを、よくよく根にもっているんですね」と栃木の事を憶
い出して土田は言った。
「そんな昔でもない。俺たちが鳥居の陣屋から鉄砲八挺頂いたのは半年前だ。だが、
それにしても執念深い三万石のお大名だ」
 苦笑いは洩らしたものの、因縁づきの相手と判ると、すこし薄気味悪くなった。
 鞍の上に伸び上がって見渡すと、深い沼田の続いた馬渡の岡に、もう何本もの白い
鳥居の旗が風になびいていた。
「よし、やるか」と、俺は元気よくいった。
 しかし気になるのは、やはり晴江のことだった。なんとかして船までは同行してや
るつもりで、夜明けになったら早起きしようと思っていたら、こちらが起きる前に、
「襲来ッ」と早鐘がカンカン鳴らされた。
 だから晴江にしても旅支度どころではなく、唯おろおろして、俺の着付けに忙殺さ
れてしまい、今朝か二十五日で、例の船が出るというのに、その話をしている暇もな
く、こうして前線へきてしまったのである。
 だから(今頃どうしているか)と思うと、やはり気がかりでしょうがない。
 しかし、敵を目前にしては、それを考える余裕さえ、今の俺にはないのである。
「本部は何処にしますか」と土田が側へきた。
「‥‥なにしろ半分は野口へやってきて、たった百五十の奇兵隊に、本部なんかいら
ないが、あの磯崎の山へでも。全館連と奇兵隊の旗をたて、松の木に、二つ巴の幕を
ひっぱってかけておきたまえ。あの辺ならば人家もないから、鳥居勢が大砲玉をどん
どん飛ばしてきても差支えなかろう」と俺は指示した。
 そして岩谷敬一郎には「君は阿字ヶ浦から浜田と、前浜の線までを見てくれ。磯崎
の本陣は空っぽでも、廻りに味方が、すこし出没してないと、見た目にも話が嘘にな
る」と命令した。
「尤もだ。引きうけました」
 騎馬十五、徒足(かち)三十の岩谷隊は、まだ、すっかり明けきってない冷風の中
を、砲車をひいて東へ向かって駆(はし)って行った。
「すると、あなたの隊は」と土田が、俺に聞いた。
「ほら」と馬渡の敵陣を指さして「あの沼田の中に五、六軒百姓家が見えるだろ。彼
処じゃ女子供の迷惑になるから、その左手の本郷よりの丘、雲雀丘といったっけ、彼
処へ駆けて行って、一番隊と、三番隊に、逆茂木でもこさえさせて、仮りの陣屋をつ
くる」と、俺は指さした。
「第一線。敵のまん前ですよ」
 心配そうに土田は言って、「じゃ、その仮陣が出来上がるまで、残りの四番、五番
の両隊で、敵の眼を他所へ引っぱっておきましょう。迂回して横道よりの宮前の森あ
たりに隠れ、彼処から率先射撃をばらばらやって敵をへこまします」と、それに作戦
をつけたした。
 そして自分は朱色の天狗面を、額からぐっと下へおろすと、俺に一礼してから部下
を振返ると、
「いいか、行くぞ」と一声。そのまま、ま一文字に海岸よりを、大きく外廻りをして
進んで行った。なるべく一兵も損じまいと、迂回して気を使ってるのが、ありありと
視える。
「よし、一番隊と、三番隊、これから出発する」
 俺も天狗面をつけて、大声で呼ばわると、高木と御室が、ちょこんと左右に馬をの
り入れて来た。西山と高橋の二人を野口へやっているから、彼らが今、その代りを勤
めているのである。
「おい大丈夫かい」
 まだ馬のりに馴れてない御室勘太郎を気遣ったが、若い博徒上りの隊長は、よせば
よいのに、
「大丈夫でさあ」と憤然として駒の横首を、ぴしっと叩いた。だから、それに愕いた
のか馬は、「ひ、ひーん」と鼻つらを振り黄色い歯をむいて駆け出してしまった。
 まさか、勘太郎一人を先に、つっ走らせる訳にもゆかないから、俺と高木も、すぐ
追いかけた。徒歩隊も後から走ってきた。
 部田野と柳沢の方角から、敵方の大砲が釣瓶打ちに砲撃されだした。
 すると、十三奉行の丘に砲列を敷いている味方の大久保七郎右の隊が、これに反撃
を加えだした。
 が、極めてこちらの命中率がよくて部田野の敵の本陣は中根よりに後退している。
なにしろまだ砲撃戦の最中なので、
「敵総軍の歩兵頭の北条新太郎ってのは、出来物だそうですが、肝甚な総隊長、大公
儀名代日根野藤之助って大将が、根っからの柔軟旗本で、耳へ綿をつめこんでるそう
ですよ」
 などと何処で聞きこんできた噂なのか、のんきに構えて、小休止した一番隊の学生
たちが話しこんでいる。しかし三番隊は博徒が多いせいなのか、その前線で彼我の弾
丸が唸りをあげて飛び交う下で、賽ころをふって丁半をやっている。えらい度胸であ
る。しかし、俺は(晴江はあれからどうしたろうか、船へ乗ってくれたろうか)と、
まだそれを気にしていた。