1027 元治元年の全学連 12

「これは、これは‥‥」
 と、名主は別に厭な顔もせず迎えてくれた。普通は同じ所へ戻ってゆくと、
(せっかく厄介払いして追い出したのに、また逆戻りしてきた)といった表情を、露
骨に見せられるものである。だから多少はその覚悟はしていたのに、すこし意外だっ
た。
 思(おもい)川と鬼怒川に挟まれた土地だから、川魚の味噌煮が一切ずつ、晩飯の
膳に付いていた。ぼらのような味だった。御仕きせの濁酒も丼に一杯ずつ出た。
 ちゃんと泊まり賃を払うのが、判ったせいなのか。昨夜より、ほろ炊き大根の煮し
めが、一皿よけいに付けてあった。感じがよかった。
 膳をかたづけに来た後になって、名主が顔をだし、
「大将さまのお床だけは、母屋の方へ敷きましたから‥‥」と言ってくれた。
 たまには俺も一人で、ゆっくり寝たかった。それに、あの騒動のあった今日である。
「済まぬ」と、俺は礼を言った。そして、
「‥‥俺だけは母屋でねる。お前らはここで寝かせてもらえ」
 と高橋たちに言い残して、俺は名主の後から庭下駄をつっかけて、案内されるまま
に青いひいらぎの樹の蔭になっている母屋へいった。
「ここでござりまする」と明り障子をひらくと、柔物(やわらかもの)の夜具がしい
てあった。
 しかし、それはよいが女がいた。手をついて頭を下げているから、年恰好は判らな
いが四角く座って畏まっていた。
「‥‥寝かしてくれるのはいいが、その人は邪魔っけだね。なにも、そんな気遣いま
でしてもらわんでもいいですよ」
 狼狽して、俺は赤くなってしまっていた。
 そのくせ肚の中では、(俺は、まだ若いんだ。女がほしけりゃ自分でくどけるんだ。
なにも当てがってまでしてもらうことはない)
 と、そんなむくれきった気持ちにもなっていた。だから憤ったように、
「有難迷惑ですよ」と、またさらにつけ加えた。
 すると、名主は、
「‥‥これは、わたしの家内です」といった。
 だから、俺は余計に向っ肚をたて、
「そんな婆なんか押しつけられて堪るもんです‥‥」とまでは口にしなかったが、睨
みつけ、
「さあ、早く引きとって下さい。ぼくは今日は疲れていますから、もう寝ます」
 と立ったままで乱暴に袴を脱ぎかけた。
 なのに、その女は、うつむいたままで、今度は、しくしく泣き声を響かせてきた。
 だから、俺はびっくりしてしまった。
(ここの名主の娘かなんかに惚れられて、それを冷たく拒んだからとおいおい泣かれ
るのなら‥‥まだ話も判る。だが、名主の妻なら四十女であろう。なんで、俺はそん
な年増に見こまれて、泣いてまで口説かれる筋合いがあろうか‥‥太平山の蕎麦屋の
頬っぺたの赤い娘とは、あのまま別れてきたが、俺はどうして、いつも野趣にとんだ
のばかり、こう好かれる女難が何故あるのだろうか)
 疑問に思って、名主の方を見た。そして、
(いくら自分の家内が、俺のような若い男をみて変な了簡を起したにしろ、夫の立場
として、妻の貞操管理(みさおまもり)くらいはすべきことである。それなのに手伝
いというのか。こうして協力しているとはなんたる事であろうか‥‥この名主という
のは、婿養子か何かで、この妻女に頭が上がらない腑甲斐ない亭主なのであろうか)
とも考えた。
 しかし、名主の方も、俺が厭な顔をしてみせても、これも四角く座りこんでしまっ
て、てんで動こうとはしないのである。
「あんたらは‥‥ぼくの寝るところでも、見物するおつもりなんですか」
 と、あまり癪にさわるから、俺は言ってやった。
(自分の妻へ若い男を取りもち、それだけではあきたらず、実地を検分しようとまで
している名主に)俺は呆れ返ったからである。
 が、その頃になって、やっと、しくしく泣いていた女が、眼頭を指さきで押さえ、
「‥‥お願いです」と低く頼んできた。
「とんでもない」俺は言下にことわった。
 それなのに名主の方までが、
「ひとつ、なんとか‥‥」と頭を畳へすりつけた。熱心なものである。
 俺は不快さを露骨に顔に出して、
「なんですか。揃いもそろって‥‥」と叱りつけるように、等分に睨みつけた。
 しかし、女も四十ぐらいになると図々しくなるのか、
「そこを‥‥なんとか」と、こうきた。
 そりゃ西山や高橋に言わせれば、(女というのは明りを消してしまえば、みな同じ
だ)そうではあるが、この年令の女は、俺にとっては、どうしても母を連想してしま
う。
 なにしろ母親というのは有難いものであるが、きわめて口うるさい恐っかないもの
なのである。それなのに、その感じのする女をどうして抱けるものか。本当の母へだ
って、まさか、そんな親孝行はできはしないものだ。なのに、まして名主の妻のごと
きは、これは縁もないあかの他人である。迷惑きわまると肝癪[癇癪?]を起した。
そこで、
「困りますね」と、はっきり俺は拒絶した。

「‥‥俺は、どうも軽率な処がある」
 馬からおりて杉の木につなぎながら考えた。
 もう栃木の町は、ほんの二、三町で、灯火がかたまって蛍火のように視えている。
 まさか名主夫婦の一人娘が、この栃木陣屋から戻されず、(それをなんとか救け出
してくれろ)と二人で頼みこんでいるとは、初(はな)っからてんで気がつかずに、
つい俺は若いもんだから、すぐあの方ばかり考えこんでしまって(てっきり名主の家
内に恋恋慕されてしまったもの)と早や呑みこみして、頭ごなしに、にべもなく拒み
通してしまったものだから、さて話の真相が判ってからは、これはいやはや、なんと
も引っ込みがつかず、向こうは、
「なにも、お疲れのところを‥‥こんな暗くなってから、お出かけ下さらなくとも--
--」
 とは二人がかりで引き止めはしたが、こちらとしては、なにしろばつが悪いものだ
から、
「ぼく個人が頼まれた事は私用です。ですから朝になってからでは公私混同になりま
す。それに吾々は旗印でもお判りのように『全館連』つまり書生っぽの学生運動なん
ですから‥‥芝居の河内山宗俊みたいに『娘を戻せ』と、表だって栃木陣屋へ押しか
けられもしません‥‥まあ、様子をみるだけでも、ちょっと馬に、ひと鞭あてて行っ
てきましょう」
 と、俺は一人で出てきてしまったのである。
 が、馬をおりた途端。
(変だ)(誰かにつけられている)とは、妙に気づいた。というのは、後ろの方で、
ぱかぱか響いていた馬の蹄の音が、こちらが下馬して暫くすると、本来なら行きすぎ
てしまうべきなのに、それらもふいに、かたりと何も聴こえなくなったせいである。
「‥‥俺が甲府城や府中の城とりの話をしたから、それでは『水戸領内の全館連を一
つにして蹶起した本来の書生運動の趣旨に反する』と岩谷が刺客を向けてきたのかな?
」と初めは思った。
 しかし岩谷は、小川館の教授方をつとめる他に玉造館の館長もしている竹内百太郎
とは、なんでも相談する男だし、その竹内は、いま筑波にいる。そうなると、
「まさか岩谷個人の考えで‥‥単独で刺客をよこす筈もなかろう」と考えられた。
 そこで、
「はて何者だろうか」と首をひねって、杉木立から街道へ出たところ、薮の蔭から、
「エーイッ」と槍がきた。しかも左右から同時、まるで田楽刺しである。
「たあッ」と、俺は背後へ跳ねとぶなり、
「やあッ」と腰の刀をひっこぬいた。
 もちろん居合い抜きの要領で、抜いた途端に右へ左へ、槍のけら首を叩いた。
 が、一本は、ばっさり斬り払えて、穂先がまるで氷柱(つらら)のように、ごろっ
て地面へ転がったが、そんなにうまく二本ともは斬り落とせはしない。あべこべに、
こちらが袴を斜めに縫われた。
 すんでのところで脚のふくらはぎを、ブスッと刺されるところだった。
「何奴だッ」
 と、俺もあがってしまって、声を震わせながら、それでも、その袴に刺しこんでき
た槍の柄を、
「こんなもんッ」と、力まかせに二つに斬り下げた。
 しかし、槍は二本ともかたづけたが、
「‥‥そんれ」「やんれ」
 と、馬で追ってきたのは、二人か三人の筈なのに、十人ぐらいの連中が、薮の中か
ら刀をふりまわして、俺一人を囲んできた。
 どうも先に一人早や駆けしてきて、仲間を集めて待ち伏せしていた模様である。数
が多すぎる。
 ということは、明らかに岩谷らの刺客ではないことになる。すると、
(土地者‥‥栃木陣屋のやつらだ)と、俺もやってのみこめてきた。
「来るか」
 と、すこし後ろへ退がって、背後を襲われぬように木立に背をつけ、
「たあッ」と斬り掛ってくる丸まっちい影を、「お面ッ」とかけ声をかけておいて、
実際に横なぐりに下胴を斬った。
 次のは、向こうが大上段に構えて、じりじり寄ってくるから、こちらは星青につけ
る振りをしてみせ、腰をひねるなり、
「お突きッ」と、これは額面通りに、向こうの胸の肋骨へ突きたて、えぐって引き抜
いた。
「たんだ一人じゃ。叩っ斬れい」
 と、向こうは、まだ数が多いので遠巻きにしたままで気勢をあげている。しかし、
こちらは、そうはいかない。どうも、今のお突きで折れはしなかったが、刀の刃こぼ
れがしたらしい手ごたえである。
気にした。透かして視ようとした。だが十三夜の月の光では、ただ刀身は青白く冴え
わたるきりで、刃先のこまかいところまでは離れていては見えはしない。
「これは厄介なことになった」と舌うちしていると、ポカポカと藁沓の音。
 馬のかけてくる音がする。耳にきき覚えがある土田衡平の走らせ方である。他にも
聴える。
「しめた」と思った途端、「ここだぞぉ‥‥」と、俺は大声をあげた。
「‥‥何処です」と西山の呼び声がした。
「街道の薮のところ。木立にいるのが、俺だ」と、手をふりたい気持で叫んだ。
「‥‥いかん。奇兵隊じゃ」
 と、取り囲んでいた連中は、近づく馬の蹄の音に顔をしかめ、倒れた二人を四人掛
りずつで担ぎあげると、街道すじでは後を追われると思ったのか、竹薮の背後になっ
ている小山の方へふっとんで逃げてしまった。
「‥‥お怪我は」と高橋がまっ先にとんできた。俺は、
「こりゃ返り血だ」と、べっとり顔にあびている腥さいものを袖で拭ってみせた。
「お一人だけ母屋で寝られるというので心配して、見張りを出しておきましたら、単
騎でお出かけというので、びっくりして追ってきたのです」と土田衡平が説明し、俺
の刀身を、ためしすかし、
「こりゃひどい‥‥鋸みたいになっています‥‥すんでのところで折れるところです
ね」
 といって、どきりとさせた。


栃木に焼かれて

 法螺貝と陣太鼓を、序破急の音頭に合せさせて、城内口から隊列を繰り込ませ、栃
木の町民が土下座して迎える中を、脇本陣押田屋源平方へ、俺は入った。
 今日は天狗面を冠らず、立烏帽子をつけ、紅鹿毛の乗馬の左右は、弓をもった小姓
八名に守らせ、旅宿へ入ってからは、二つ巴の幔幕をはらせて、そこに小姓を立番さ
せた。
 芝田屋と川辺屋の旅篭に分宿させた部隊に、本営の押田屋を守らせ。紅白の吹き流
しと、全館連の大旗に仁と義の小旗を掲げさせた。
 なにしろ「脅かしましょう」というのが土田の案なので、一切の采配を委せて、俺
は頭痛がするからと、宿に入るなり横になってしまった。肩がこったからだ。
 日光例幣使街道の宿場の中では、巴波(うずま)の川港から生糸を横浜関門へ送り
出してる賑やかな町だが、宇都宮藩戸田因幡守の支藩、下野足利一万一千石長門守の
支配地である。
 しかし生糸や蚕の種紙を、儲かるからと関八州から買いあさるので「物価騰貴は栃
木から」といわれる位の土地である。
 だから、この前に太平山に陣をしいていた時は、戸田長門守の家来で、ここの栃木
陣屋を預かっている根岸多十郎から表向きは、「陣中見舞」もちろん裏を返せば(栃
木を荒らさないでくれ)という金が、本営の田丸稲之右衛門の許へ届いていた。
 麓の六角堂にいた奇兵隊には、別につけ届けはなかったが、執行部から、
「栃木の町へは隊員を入れぬよう」だからこれまでは栃木へ入っていなかったのであ
る。
 しかし一昨夜みたいに理不尽に襲撃されたのでは、黙っていられない。それに、あ
れだけ用心して名主の屋敷まで向こうが見張っているのでは、「娘を返せ」といって
も、ふつうでは戻すまいということになった。そこで、
「募金を名目に、隊ごと堂々と乗りこみましょう」という事になった。
 勿論、金は欲しい。なにしろ百名欠けても、まだ四百の隊員である。
 日に三食くわせ馬の飼葉や泊り代をみると、どうしても雑用共では一日に四十両ぐ
らいは掛かる。
 だからして、
「闇討ちされた仕返しに、纏まった政治献金と、ついでに横浜関門から直接に仕入れ
ているという奉行所自慢の異国の鉄砲や弾薬も頂きましょう‥‥娘も引取って名主に
戻してやります」と西山が、修験者上りの弁口の巧い村田入道というのを伴って自信
満々と出かけた。
 しかし栃木陣屋の中に奉行所が含まれているというので、陣屋の根岸多十郎の手代
だという熊倉嘉三というのが応待にでてきて、西山や村田が、何といっても、唯、
「仕方がない。とりあえず、此方で金だけは募めてみましょう」
 ということになって、奉行所の背中合せの満願寺の本堂へ、栃木の上町、中町、下
町の、貿易で儲けている商人共を呼び集めた。ところが来たのは奉公人ばかりで、
「てまえ一存ではかり難く、立ち戻りまして、主人でも良く申し聞かせ、後刻おって
伺います」と次々にみんな変えられてしまった。
 その後ろ姿を見送りながら、俺は溜息をつき、
「どうも、借金には、こつがあるらしい。俺達は初めてなので、どうも、はかばかし
くゆかん」
 と土田が苦笑いをみせながら、その侭、町通りへ出た。が、分宿の川辺屋の前まで
来ると、此方をめがけていきなり走りより、
「‥‥おん大将と、お見かけ申しまして」と必死な顔をして訴人して来た者がある。
「なんだ」と立ち止まって、話をきくと、
「やまと町の造り酒屋、住吉屋の娘えいが、昨日、此方さまの隊員に斬られ、手当の
甲斐なく、今しがた息を引取りましたが、あわれ十五の娘ざかり。親ども、町内中み
な泣きあかして居りまする。繊細な婦女子をこのように酷く殺傷されるのが、全館連
のの学生(しょせい)さんの趣旨と思えませぬし、また貴方さまの御指図とも考えら
れも致しませぬが‥‥」と絡みつかれた。
 平身叩頭して喋っているが、逆ねじを喰わされた。町内の組頭だという五十男の声
は野太く、見る間に町の者がぐるりと輪をつくってしまった。
 同行の土田に調べさせると、昨日の午後、四番隊が町内巡視の時に、豆腐売子の間
抜けづらしたのが、隊員のざんぎり頭をみて、指さして大声で翻弄した。威信にかか
わるからと抜刀して脅したところ、住吉屋の見世先から、釜場へ逃げ込んだ。明るい
街路から、いきなり薄暗い所へ駆け込んだから、その隊員は、目さきが見えなくなり、
振りかぶった太刀で誤って其家の娘に手傷を負わせてしまった。浅手のつもりだった
から陳謝して立ち戻り、夕刻見舞いに又いったところ、住吉屋の大戸が下ろしてあっ
て、中へ入れなかった。という話である。
 これでは過失で、隊員を責めようもない。
 だから、俺は高橋を呼んで、隊の有金をきき、その中から詫び金に二百両を包ませ
た。
 残りは十四両しかない。だから高橋はすっかり情けない顔をしてみせるが、災難だ
から、こればかりは致し方もない。
「‥‥部下の手落ちは、俺の過失。まして人の命は金では賄えぬもので、まことに申
訳とてないが、いま調べさせたら、人違いで誤っての事と判明した。本人も詫びを言
ってるから、これを香華の料に納めてくて、ひとつ勘弁してやってくれちゃくれませ
んが」
 頭を下げて、俺も誤った。話がつくと、後始末を、ここの区域担当の二番隊の者に
いいつけ、俺は本営の押田屋へ戻って来た。
 すると、村田入道が待ちかねていて、
「再三、再四、強談しましたところ、夕刻の七つ刻(午後四時)まで待って欲しいと、
熊倉嘉三が、いましがた此方へ挨拶にきました」と報告した。
(隊の残金が、たった十四両に減った)と高橋に聞かされて、土田も周章てたのだろ
う。急いで作らせた割当の差紙を、主だったところへ、隊員にくばらせていた。そし
て、俺に、
「しめて六千両の割当ですから、まぁ半分の三千両は集るでしょう」と報告をした。
「‥‥金もほしいが、気になるのは名主の娘だが」と、俺がいうと、西山が、
「それは募金をすませてから、鉄砲と一緒に直接談判で、今度はとってきます」
 と、唇をかんではっきり言った。
 やがて梅干し入りの大きな握り飯一個の昼食が終ったころ、遠くでゴロゴロ雷がな
った。
「おやっ」と耳をすましている裡に、雷が近づいてきて、沛然たる大雨になった。周
章てて二つ巴の幕や吹流し家の中へ取りこんだ。
 二時間あまりで雷雨が去ると、すごしやすい涼しさになって、間もなく約束の午後
四時がきた。
 だが、それから一時間ぐらい待ったが、奉行所からは、なんの音沙汰もなかった。
 まるで、一切合財が、今の大雨と共に流されてしまったような恰好になった。
「この侭では、夜になってしまいます。隊伍をととのえて、談判しに行って下さい」
 村田入道が、かんかんになって肚をたて、息まいて俺に進言しにやってきた。
 もう、それしか、打つ手もない。という状態になった。螺旋通信器が、すぐさま川
辺屋と芝田屋へ出動を告げた。

 小川町の奉行所の門前へ行くと、高張提灯を左右に立て、紋付着袴の熊倉嘉三が、
麻上下をつけて、床机に腰かけ待ち構えていた。
「‥‥出頭元締の栃木陣屋の奉行職、根岸多十郎に面談所望じゃ」と、俺が大声で呼
ばわって、馬から飛びおりざま駆けよったのに、相手は、
「てまえが代理にござりまする」と、にべもなく、冷ややかに断った。
「何故あって‥‥約束の刻限を守らぬ」
 頭ごなしに、大声で叱りつけてやると、
「解答の必要がございませんゆえ、刻限もありませぬ‥‥強いて談合を所望されるな
ら、足利へ行かれて、戸田家のご重役衆となされませ。当地は出先の役所にすぎませ
ん‥‥」と言い残したまま、さっさと門内へ引きこもろうとした。
「では、吾らの求めを、この奉行所は、断ると申すのか」と、俺もかあっとしてしま
った。
「----如何にも左様」と熊倉が振返った時、あまりの挨拶に、俺の右手は、差し替え
たばかりの新しい貞宗を抜き放っていた。もちろん刀身は跳ねとんで延びていた。
 熊倉の麻上下が斜めに斬り裂かれ、真紅の血汐が、遁げる肩先に迸っていた。だが、
俺が飛込むより、向こうの熊倉はもう逃げ足で、門へ駆け込むところだったから、た
いした手応えではなかった。
 そこで、俺は、
(しまった‥‥かすった)と慌てた。すぐさま後を追っていった。
 そして急いで閉めた門扉が、まだ一寸程あいていたから、そこへ手をさしこんで、
こじあけようとした。すると、
「ダ、ダーッ、ダン、ダン」と扉ごしに、一斉射撃が、此方へ弾丸を浴びせかけて飛
んできた。
 俺の立烏帽子が身代わりになって、弾丸に吹き飛ばされてしまった。もうすこし下
ならば額に命中。俺は即死であったろう。
 談判に来たのだから、槍、鉄砲は宿舎へ置いて来たままの吾々である。陣屋の大屋
根や奉行所の廂(ひさし)、門内の松の木から狙い撃ちをされた。だから隊員が、続
けざまに将棋倒しになった。
「‥‥ひけ、宿へ戻って、こっちも飛び道具をもってこい。此処は、それまで、俺が
一人でも喰い止めてやる」
 俺は大声で呼ばわった。そして最前の熊倉の血糊でべたついた貞宗を振り廻した。
「畜生め‥‥壬生が加勢に入っています」
 西山が無念そうに伸び上がって指さした。
 神社の鳥居の壬生藩の旗印が、爽やかな雨晴れの西日に照らし出され、それが二重
丸の戸田の旗に混じっていた。
 以前に奇兵隊に鉄砲八挺とられ耻をかいた怨みをはらすべく、ここへ駆けつけたの
だろう。なんたる言だ。
「吹上の有馬勢も加わっています」
 俺が身体を庇うように、前に立ちはだかった高橋幸之介が歯噛みをした。
 昨日吾々が入ってきた時から、近接諸藩に合力を頼みこみ、刻限を夕方まで延期し
てきたのも、協同の戦闘準備を整えるため、向こうの時間稼ぎだったのである。
「まんまと、一杯はめられた」と口に出したあと、(俺は若すぎる)と咽喉のところ
で呟いた。
 ----まったく、俺は自分で情けなくなった。
 弾丸よけに、近くの荷車や、戸板を積み重ねた。しかし烈しい弾雨で身の置き所も
なかった。なにしろ斬り込んで出てくるならば、こちらも迎え討てるが、敵は小高い
奉行所の建物を利用して、其処から、吾々を眼下に見降ろし撃ちまくってくるだけで
戦いようもない。
「‥‥火矢です」と西山が悲壮な叫びをあげた。
 せっかく弾丸よけに積みあげた畳や板や車の俄か作りの防塞が、めらめら焔をあげ
て燃えだした。
 仕方がないから、手近な商家の店先へ入り込むと、其処へも、油縄に火をつけた征
矢が、びしびしくる。火がつく。燃えてくる。つまり吾々を火攻めにして、外へ転が
り出たところを、次々と狙い射ちにし仕止める作戦なのらしい。
 先刻の大雨で屋根も壁も湿っている筈なのに、四時間余りの日照りで乾いてしまっ
たのか、矢襖を作って射込んでくる油火矢に、轟々と火の手は音をたて、軒から軒へ
と燃えひろがる。
 土田が立て篭っている中町、村田入道のいる四番、五番隊の古久町も、黄ばんだ白
煙が這めぐって、濛々と燻し出されている模様である。
「町木戸は、みな固く締められています。吾吾は‥‥まんまとうまく、陥穽にはめら
れました」と高橋が、煤けた顔で知らせにきた。
 なにしろ二三百挺も揃った敵の銃口が、煙にまかれて這いだしてくるこちらの隊員
を、次々と鳥網にひっかけるみたいに捕殺してしまうのである。だから、みるまに奇
兵隊の死体は、栃木の町を埋めだしていった。

 みじめな敗戦だった。
 煙攻めにあって、噎せてしまって咳き込んで、苦しまぎれに這い出したところを狙
撃され、みな無念そうに死んでいた。五体ずつ納めて担ぎだしてきた遺骸だけでも、
隊の長持に十棹もあった。
 ようやく夜明けに小山まで血路をひらいて潰走すると、そこの寺に長持を預けて埋
葬を頼んで、そこから古河と下妻の中間にある三和の諸川宿まで、吾々は追われるよ
うに息もたえだえに退却した。
「もう、ここまで逃げてくればよかろう」と生き延びて来られた者は、そこで皆ひっ
くり返って、死んだように眠ってしまった。なにしろ呑まず喰わずに半日以上戦って
きたのだから、ぐったりしてしまって、そのまま、夕刻近くまで寝てしまった。
 俺も目がさめてから立鳥烏帽子だけ撃ち抜かれたものかと思って、身体を眺め廻し
てみたら、狩衣の袖にも、焦げた弾痕が三つもあった。
 土田は左の二の腕の肉をそがれてしまい、まだ痛そうに顔を硬ばせて起きてきた。
そして口惜しそうに、
「どうも、ありゃあ、初手から仕組まれていたのと違いますか」と話し出すから、俺
もそれに頷くと、西山が這ってきて、煤まみれの真っ黒な顔で、
「残念です」と男哭きにオイオイやりだした。
 なにしろ初めての負け戦なので、
「うん」と唸ったきり、俺も物もいえない。
 しかし高橋幸之介だけは元気で、隊員に布包みを箱ばせてくると、
「まあ、これを見て下さい」とひろげた。
「‥‥こりゃ、小判じゃないか」
 と土田も傷の痛みを忘れたように、きょとんとした。俺も面喰った。そこで、
「どうしたんだ」と高橋に聞いてみると、
「‥‥さっき算えましたら千二百両あります。前の十四倍ですが‥‥貰い溜めです」
といった。
 詳しく訳を聞いてみると、隊員が弾丸よけに店先へ入ると、
「あなたらに入り込まれると、奉行所の火矢で焼き払われる。これを差上げますから、
二、三丁ぐらい先まで行って下さい」と各商家が競って、五十金、二十五金を、惜し
げもなく、隊員に手渡して難を逃れようとした。そこで、その小判を高橋が次々と預
かって、一つに集めたら、それだけの金高になったというのである。
「雨上りなので、燻すぐらいのつもりで、火掛けをしたらしいが、相当燃えたねえ。
あれじゃ栃木の町は、あらかたなくなったね。まあ火つけは奉行所自身だから、後で
相当にもめるだろうよ‥‥」
 などと話しあっていると、街道よりの隊員たちが、みな置きだして騒いでいる。さ
ては、
「‥‥敵襲か」と泡をくっていると、
「なあんだ‥‥お前らだったのか」と二人の男が伴われてきたのをみて、西山が素っ
頓狂な声をあげながら、俺に向かって、
「ほら、何日か前に、石橋宿で、岩谷さんの虎勇隊の三橋に、連れて行かれた百一名
のうちの一人なのです」と引き合わせた。
 俺が岩谷と言い争っている間に(消え去った脱走兵の二人だ)というのである。し
かし二人の者は、どちらも神勢館の塾生で、別に悪びれたふうもなく、
「‥‥早く筑波へ戻っていただきたいと、元気を取り戻した吾々は、みんなで手分け
して、こうしてお探しに来たのです」と、本当に嬉しそうに、俺を仰いで、白い歯を
みせながら迎えに来たと告げた。
「へえ‥‥」と此方は思わず、互いに顔を見合わせてしまった。三橋に引き抜きされ
たものとばかり思っていたのが違いだったと判明した。神勢館や大子(だいし)館に
いた事のある三橋が、後輩の塾生で、既に疲れきっているのや弱っているのを、先に
連れ戻ってくれただけだとわかって吻っとした。
 二人の話によると、着到した日は、三橋から引き継いで飯田軍蔵が、薬など面倒を
みてくれたが、忙しいといえて次の日はもう顔も出してくれない有様。しかし若いか
らいんなその後本復し、あらかた次々とみな元気になったものの、所在なさに手分け
し奇兵隊を探しに出まわっている。というのだった。
 此方は栃木の敗戦で、欠員もできたし、傷養生の者も、かなりいる。だからこの際
は、一路八王子を迂回し甲州路へ入るのは、とても無理だから、ひとまず筑波へ戻り
元気を回復したという百名を加え入れ、改めて部隊の再編成をしようということにな
った。
 此方から筑波までは六里。急げば今日の日没までには着到してしまう。だが、全員
では、とても前の薬王院には入りきらぬから、また野宿をさせられぬように、先に、
「戻る旨」の使者を立て、隊は暑い日中はさけて、もう一晩ここへ泊って、夜明けに
出発しようという事になった。