1023 元治元年の全学連  8

藤田小四郎の女

「天狗の面」の効験は、またあった。
 鉄砲を掘りに行く山道で、柴を背に一杯つんだ駄馬をみつけた。これは良いと、
「荷物運びに、いただきましょうか」と西山と高橋が、天狗面を冠って、
「わーっ」と追駆ける、馬子は仰天し泡をくって、手綱を離してしまった。
 しかし馬は、人間より度胸があるのか、別に逃げもせず、これ幸いと、道端の草を
喰べていた。
「柴の束は貰っていっても仕様がない」と、二人は道端へ抱えおろした。
 俺も馬泥棒は嫌だから、二朱銀を一つ馬の代価にと、柴束の上にわかるようにのせ
てきた。そして、明け方に埋めた所を探しあて、
「荷物運びが見つかったからには、みんな持っていこう」
ということになって、鉄砲八挺。玉薬火縄の類一切を、脱走兵たちの血塗れな布子に
包んだ侭で馬の背にくくりつけ、下敷に埋めておいた具足も一領残らず、馬にのせて
しまった。
 柴束に比べると、ずしりと重くなったので、馬はとたんに嫌な貌をしたが、高橋が
だましたり、すかしたりして曳いて行った。
 隊の屯所へ戻ると、隊員が、わあっと出迎えた。
「まる二日も、あんたらがいないから、帰り次第に連絡しろと、藤田さんに言われて、
今、伝令を山頂へ走らせたとこです。だが、無事に戻って来られてよかったです」と
飛んで来た土田が、俺の肩を抱かんばかりにして言ってくれた。
「馬が手に入ると判っていりゃ、酒もついでに買ってきたのだが‥‥」
と断りながら、縄で縛った焼魚を土産にと手渡した。すると、
「こいつは有難い。えらい馳走だ。だが、まさか自分で釣ってきたんじゃないでしょ
うね」と言われて、うっかり、
「そりゃ、銭だして買ったのさ」
 本当の事を言ってしまうと、土田は恨めしそうに、焼魚を横目で睨んで、竹刀だこ
でごつごつした掌をつきだし、
「いくら、残してきてくれました‥‥」
と責めるように、声音を強くした。これが気掛かりだったのだろう。
「ほらよ」と預かっていった財布を、懐から引っ張り出し、紐を頭から脱して手渡す
と、もどかしそうに手をさしこみ、かき廻してから怪訝そうな顔で、財布の中身を覗
きこんだ。驚いていた。
 三つ口を尖らせた土田の顔が、あんまり真剣なので、背後の二人も笑うに笑えず、
とまどって眼をそむけた。
 俺もおかしくなって、吹き出しそうになったから、馬をつないだ門前へ出ていると、
「やあ、お帰えり」
 気さくな声で、藤田小四郎が、駆け足で山を降りてくるところだった。そして、
「伝令の話じゃ‥‥あんた、ひと戦してきたそうだね」と遠くから声をかけ、馬の背
を顎でしゃくって「戦利品かね」と訊いた。
 まさか、本当の話も打ち明けかねて、にたにたしていると、背後から、口がむずむ
ずするのか。
「西山常蔵です」と換わって名乗り出てきた。そして、いつもの調子で、
「麓のわが隊は、言わば第一線。それで敵情偵察を、吾輩が隊長に進言したところ、
豪儀な隊長は、自分で行くとおしゃるので、ここにいる高橋君と一緒に、清滝から、
日光の山麓の立場。大谷川の沿岸を‥‥」と一気に喋舌りだした。
「きみ‥‥」藤田小四郎は呆れたように、
「其処は、諸藩連合の陣屋がひしめいている。敵陣営の中心じゃないですか」と口を
挟んだ。しかし西山は、
「そうです。宇都宮の藩兵が五人一組で、四半刻ごとに巡廻。諸藩詰合番所は、越後
屋という女郎屋の裏手に出来ていました」と余計なことまでいいだした。
「‥‥貴重な経験だ。明日にでも詳細を報告してもらおう。ところで田中君、あなた
は何処で戦われました」
 あっけにとられるように、言葉も叮寧にして、端正な顔の眼のとこだけを、きょと
んとさせた。
 すっかり西山に毒気を抜かれてしまったような感じである。
 俺も困ってしまって頭をかいているのに、西山はここぞとばかり、
「細尾の渡しで、何処の藩兵か判りませんが、鉄砲隊五十、約百名の敵に包囲されま
した。此方は僅か三名。最早やこれまでと覚悟して、敵の手にかかるよりは、潔く自
決しようとしました。すると、ここにいる田中隊長が『吾らを太平山と知って、攻め
掛って来ている以上、ここで死に急ぐは、味方全軍が侮りをうける。それ進め』と、
まっしぐら‥‥」
 聞いていると、まるっきり辻講釈師の軍記読みである。呆然として他人事みたいに、
俺が面喰っているのに、
(これは面白い)とばかり、又、替りが前へ出てきてしまった。
「高橋幸之介です。お見知りおき下さい‥‥さて無我夢中で突いては斬り、斬っては
突きまくりますと、流石の敵も、『とても手強し、引揚げよ』とばかり退却。手負い
の者は担いで行きましたゆえ、後に残されたのは、吾ら三人と仕止めた敵の鉄砲兵の
遺体。幸い馬も一頭分捕りましたから、それに悉皆くくりつけ、唯今帰参しましたが、
即死していた八名の中、半数の四名迄は、田中隊長の槍の錆。年は若いがうちの隊長
は書生さんにしては、豪勇の士でございまする」
と、変な賞め方をした。
「ほう書生っぽの学生上りは実戦には強くないのが普通かね」と自分も小川館の学生
である藤田小四郎は苦笑していたが、包から銃口が覗いているのを見つけると、つか
つかと近寄った。手早く一挺ひきぬいて、仔細に改めてから、
「ほう、こりゃ、大公儀鉄砲方井上左太夫さまお改めの『井げた』の焼印がある。火
縄式といっても、御免許の新式銃だ。たとえ十両が二十両出しても、ちょっと手に入
らねえ鉄砲ですよ」
と、すっかり関心しながら、俺に向かって、
「えれえ物を分捕ってきなすったねぇ。火縄銃じゃ日本一って品物です。今の話をき
けば、相当に働きもなすったらしいが、今の水戸政府は、あんたのような人材でさえ
も官学を出てないと無禄なんだ。だから全私学の連中は互いに一致団結。おおいに水
戸全学連の為に頑張りましょうや‥‥」
と言い残すと、すたすたと六角堂の前参道を降りていって、埃っぽい五月の陽ざしを
浴びながら、次の角へすうっと曲がってしまった。だから、俺が、
「‥‥なんだね、あのお人は‥‥俺が為に上から降りてきたかと思ったら、また何処
かへ消えちまったよ」と、妙な顔をしながら見送っていると、にやにやしながら馬の
蔭から土田衡平が寄ってきた。そして、
「なぁにね‥‥」と小四郎の消えた方角を指さし、
「前にね、筑波にいらっしゃた頃の、これが来なすったのさ」と小指をぴょこんと立
ててみせた。
 そして、
「半刻ほども前でしたか、若い娘が此処へ来て『藤田様に逢わせてくれ』と、こう仰
言る。見たところ、武家娘じゃなさそうで御縁辺とも見られません。さては、と思っ
たから、お山の上へ案内して、固苦しい気まずい思いをさせるよりはと、そこは粋を
きかし名主茂兵衛のところへ休息にやっておいて‥‥その旨を、あんたが戻られたと
いう伝令と、途中で行きあったので、さっさと忙しく話をされ、それで行ってしまわ
れたのです」と耳へ口をつけんばかりに教えてくれた。
「道理で‥‥いつも尊大ぶって、恰好をつけたがる藤田小四郎君が、のこのこ山から
駆け足で降りてくるなんざぁ、ご親切すぎて、薄気味悪かったよ。だが土田さん。あ
んた、よくも咄嗟にそこまで配慮したねぇ」と、俺は呆れるよりも感心した。すると、
「なにしろ隊の有り金は、すってん天。あんたらが無事に戻って来たって、どうせ、
いくらも残っちゃいめぇ。どうしたって又藤田さんにお縋り申して、金算段をつけて
頂くのだと思案してる最中に、あの娘さんの御到着だ。嬉しかったねぇ。巧く取計ら
って恩を売っときゃ、金が借りられる。それでわくわくしながら茂兵衛のところへ行
って頼んでやったのです」
と、土田は土田で思惑を話した。
「そうかい。そいつは、大出来だったが、残念ながら持ち戻ったのが多かったろう」
と、俺が揶揄していると、
「田中君」と藤田小四郎が後戻りしてきたとみえて、曲がり角のところから、大声で
扇子で招いている。だから面喰らって、
「奇妙奇天烈なお人だね。なんだろう」
と、小走りに藤田の許へ俺が行けば、
「すまんが、付き合っておくれでないか。野暮用で、ちょっと頼みにくい事なんだが
‥‥」
 白皙の頬のところを赤くして、まるで少女みたいにまつ毛をぱちぱちさせた。
「いいですよ。なんでも言いなさいよ」
 齢は俺の方が藤田より下だが、この時とばかり途端に兄貴風を吹かしてみた。
「‥‥実はねぇ、前に小川館から出向して筑波の町の用心棒に行ってた事があるんで
す。その時あの‥‥宿にしてたとこの小娘と、つい出来ちまったんだ。そいつがねぇ、
あろう事か、日光まで探しに行って、そちらにいないからと此処まで追っかけてきた
んです‥‥が、昔は昔。今まさか、おおっぴらに山頂へも連れてはゆけません。とい
って、まんだ十六のおぼこです。まぁ、来るにゃ一人で来たもんの、こんな物騒な御
時勢に、娘の一人旅じゃ追い返しも出来ないじゃありませんか。そこで田中君、筑波
への便がある迄、こっちへ置いとこうと思うんだが、どうだろう」
「それで、わたしに‥‥」と聞き返していると、
「うん。向こうっ気の強い、当節の女の子だ。山へじかに来るなって言ったって、の
このこ登りかねないしろものだ。それに当分こっちへ滞在させるとなると、誰かに面
倒たのまにゃならん。なぁ田中君、他聞を憚る事だ、助けてくれないか」と手を合せ
る真似までした。
「先代さまの神輿を担いできた大将が、色ごと見せちゃ、他がうるさかろう。よろし
い、引受けましょう」と、俺が二つ返事で承知してやると、
「済まないねぇ。せっかく手柄を立てて、戻ってきたばかりの豪傑に、とんだ野暮を
頼んだりして‥‥だが田中君の分隊は他国者ばかりだ。君をおいては他に頼みようが
なかったんだ。本当に僕は恩にきます‥‥」
 喋舌ってる裡に、茂兵衛の名主屋敷の白壁塀に突き当たった。
 門をくぐると、作男らしいのが、ぺこりとお辞儀をして、離れ屋の方へ無言のまま
案内した。忍ぶ草がびっしり茂って垣根を埋めていた。
 隠居所にでも前に建てたのか、八坪ぐらいの棟が、垣根の向側の銀杏の樹にくっつ
いていた。
「‥‥俺だよ、小川武勇だ」と小四郎は旧名を名乗りながら、振返って、
「ご厄介だが、ついて来てもらったついでに引き合わせておこう。まぁよろしく田中
君、万端とも頼みますよ」と俺の手を握った。
 女みたいに白くって華車な指さきだが、小四郎の掌は、鉄でも張ったみたいに硬か
った。竹刀だこであろう。
「いらっしゃい」と、すすけた明り障子があいた。皓(しろ)い女の貌がちらっとみ
えた。
「八重って名だ」と引合わせて、
「こちらは麓の隊の大将だ。これから、ご厄介になるお人だ。よろしくお願いするん
ですよ」
 言われて娘は、俺の方に向き直って叮寧に頭を下げた。
 ちらっと視た時、(何処かで視たような顔だ)と思ったが、白粉や紅で化粧してい
るから、とんと思い当らなかったが、正面から面を合せると、向こうは澄ましていた
が、こちらは、どきっとさせられた。
 なにしろ昼前に、あの薄草の根株の中で抱いてしまった女の貌である。
 俺は相手の女が平静そのものなのに引きかえ狼狽しきってしまい、これは西山や高
橋に逢わせては、まずかろうと、女の身になって心配し、
「‥‥先刻こられた六角堂の隊は、私は藤田さんのような書生の部隊ではなく、諸国
浮浪の寄り集りです。危険ですからあの隊へ直接に来なすちゃいけません。此処の作
男を便によこしなさい。いつ何時でも、御用にゃ飛んで来ます。初手(はな)からこ
れだけは固く約束して下さい」
と言いながら、俺は、まじまじと娘を見詰めて感心した。汗びたしになって、黄ばん
だ茎の根っこに転がっていた饐(す)えたような女の面影は、もう何処にもなかった。
白粉と紅をちょっと塗っただけで、女ってこんなに変わってしまうものかと、俺は唯
もう舌をまいてしまった。
 なにしろ、たいした別嬪ぶりで、耻しそうに、色白な小四郎に寄りそってるところ
なんぞは、まるで錦絵でみたお雛さまの一対である。
(それにしても、この俺と向き合って平気でいられるとは‥‥女とは案外なものだな)
 すっかり度肝をぬかれて、俺が感心していると、さすがに向こうもうるさく思った
のか、両手を改めてついて、低い声で、
「よろしゅう」と、早く出てゆけといわんばかりに挨拶した。そして小四郎と二人き
りになりたい思いざしで、涼しげな眼を伏せた。なんだか変だったが、
(そうか判った。俺たちは天狗面をつけていたから、この娘はてんで気がついていな
い)と、やっと判ってきた。
 なにしろ顔をつき合せているのに、八重という娘が眉ひとつ動かさず澄ましかえっ
ているものだから、俺は呆気にとられていたが、そうと納得できたからには、
「では‥‥」と、俺が帰りかけると、
「何とか頼んだぞ、田中君」
 女の前なので、藤田小四郎は途端に威厳を取り戻して、横柄な言い方をした。離れ
るのを待ちかねていたように、八重の手で、ぴしりと明り障子を閉める音が背後でし
た。
 門のところへ出てから、俺は鼻さきを拳固で横こすりしながら考えた。
「なにしろ、女というのは肝が据っとるものだのう」と、もう一度、薄っ原で仰向け
になっていた時の女と、いま藤田小四郎に寄り添って甘えていた情景とを比べてみて、
「うん、立派じゃ。まるで別人のようだ」
 すっかり感じいってしまった俺は、感激のあまりひさしぶりにその夜は蕎麦屋へ泊
まりに行ってしまった。

「まあーっ」
 けたたましい、みよの声に愕いた。
 裏井戸で口をそそぎかけていたのをやめて、裏木戸から首をさしこむと、まるで迷
いこんだ猫が追われてるように、みよは、あちらへ、こちらへ、一人でうろちょろし
ている。
「どうしたんだ」声をかけると、みよは、
「あの、藤田さまが‥‥」と油障子の向こうを指さした。
 こりゃ動転するのも無理はないと想った。俺は笑ってしまった。
 なにしろ(あの殿方が店へ来るなら、蕎麦を何杯出しても銭は無代でよい)と、岡
惚れしていた相手なのである。そこで俺は、
「やけに早いですね」
 今度は此方が女の手前、すこし貫禄をつけた声で、蕎麦屋の店へ藤田小四郎を迎え
入れた。
 はじかれたように、みよは、ずんぐりした身体を周章てて奥へ隠した。照れている
のらしい。
「‥‥田丸さまの御実兄、おお監察の山国兵部様と、立原朴二郎先生が、江戸の小石
川御藩邸から、殿様の名代で、今日ご到着の予定‥‥」
と、まず小四郎が早口で用件をきりだした。
「へぇ、山国さまだけが御上使なら、こりゃ紛う事なき吉報だが、立原先生ってのは、
あんまり気にいりませんね」と、俺は言った。

 立原朴二郎というのは槍術の誉れが高く、南画も巧みで、尾張田原藩の家老渡辺崋
山らと共に、江戸で画会までやる程の、水戸では名の通ったお人だが、その祖父が、
有名な立原甚五郎翠軒先生なのである。
 水戸彰考館の総裁になった翠先生が、或日、ぼろ布買いの丁稚が、論語を空んじて
背負荷して歩いているのを見つけ、奇異に思ってつけてゆくと、備前堀を渡って、下
市七軒町の古着屋へ入って行った。早速そこの主人に訊くと、与助という十三の小僧
で、これと逢って話をしてみると、向学心に燃え仲々に見所がある。
 そこで可哀そうに想って先生が、その丁稚お前借りの銭を払ってやり、身請けした
恰好で自宅の下男にして、十五の時、次男の生まれだからと、二郎左衛門と元服させ
た。十八の時に、時の老中の白河城の松平定信の殿さまに、(正名論)を著作して献
上させるように計った。これで水戸でも認められて彰考館へ入れてもらい、のち進物
番にまで出世して二百石どりになった。そこで往年の丁稚が幽谷と号して、大日本史
刊行に携わっている裡に、翠先生の後をついで、「史館総裁」の要職にまでつくよう
になった。
 ところが、権力を握ると、恩師立原翠軒先生の一派を史館からも放逐したから、
「飼犬に手を咬まれた」と立原先生は激昂されて、藤田幽谷は破門処分にされた。
 さて、幽谷の伜の藤田誠之進は東湖と号して、先代斉昭さまのお取立てで藩政を握
ると、これも立原先生の流れをくむ藩の重臣結城寅寿ら一派を、今度はお役向きから
も一掃した。だが安政地震で藤田東湖が圧死すると、反対派がすかさず、城内三の丸
に弘道館を設けこれを官学とした。藤田一派は、追放されて地方の私学に落ちていっ
た。
 その東湖の忘れ形見の信(まこと)が、小川武勇の名で育てられたのも、これは立
原先生一派に仇されぬよう、藤田の血脈と知られぬ為だったそうである。
 さて、その立原翠軒先生の孫というのが、今日来るという立原朴二郎その人なので
ある。
「こりゃ今日は、とんだ巌流島ですね」と、俺も江戸の芝居をひいて軽口をいった。
「乗込んで来るのが向こうだから、立原先生が宮本武蔵で、ぼくはやられる方かい。
いやだね、この人は‥‥皆も、色々と取沙汰して緊張しているが、立原先生は、絵ま
で描かれる文化人だ。話し合えば、親子三代の敵同士も氷解するよ。もはや現代は官
学も私学も提携して、水戸全学連をもって天下国家をも握ろうというのが立原先生の
趣旨なんだ」と、けろりとし、
「あっ、そう、そう」と、まるで忘れていたのを憶い出したように、一分金をつまみ
出すと、
「君、これを」と台の上に、ぴかりと光らせた。
「えっ」と、俺は思わず蒼ざめてしまった。
 言わずとしれた、薄ヶ原であの女に握らせてきた額金である。びくっとしてしまっ
て、さすがに声も出ない。
 昨日は、ぜんぜん気がつかぬふりをしていたくせに、本当はあの女は、ちゃんと感
づいておったのかと、身の毛もよ立つ思いをした。
(俺が帰った後か、寝物語に、一切合財を洗いざらい喋舌ってしまったのだろう)と
想像すると、
(こりゃ、いくら知らぬ事とはいえ、藤田小四郎の女を、先に借りてしまったのはま
ずかった。どういう事になろうか)と狼狽しきった。
 それなのに相手は、その一分金を白い指先で弄びつつ、
「おさめて下さい」と、そんな言い方をした。
 これには、ますます周章てだした。
 思いきって(この一分金はなんだ。いくら知らぬ事とはいいながら、俺の女に乱暴
してそれで済むと思っているのか)と頭ごなしにきめつけてこられたら、俺だって、
言いようもあるし、弁解もできる。なにしろ知らずやってしまったことである。
 もし(士道にもとる)ということなら、西山や高橋のしたことも、俺一人がひっか
ぶって、(では割腹しよう。介錯してくれ)ともいえる。なのに唯、つきだした一分
金を、
(これは証拠品だ)といわんばかりに突きつけられては、なんの方策もたたない。
 俺は気が短いから我慢しかねて、殺意さえ感じた。
「‥‥この一分は、あの女の人が出したんですか」と開き直って小四郎にいった。
「‥‥お見通し。だが気にする事はない」
「気にするなって、言われたって‥‥」
 つい本音が咽喉から出てしまった。俺は、じっと耳をすませて、小四郎の言葉を待
っていた。
 もし言い方がひどすぎたら、(仕方がない。斬り払おう)と、そっと唾をつけ刀の
目釘まで濡らした。
「‥‥小川館にいた頃は僕はまだ書生っぽで天保銭一枚ももてなかった。だから、あ
れの家におった頃も、あの八重の小遣いを廻してもらっていた。だから、今も、その
つもりで困っているだろうと‥‥屑まゆなんか集めて、やっと、この一分金をこさえ
て、ぼくを喜ばせようと、あの娘は持ってきたのです。いじらしいじゃあないですか」
「うん‥‥」と、俺は唸ってしまった。
 すると、それを感心して唸っているのと勘違いして小四郎は、
「いまの僕は、そんなに銭に困らないが、それを言ってしまえば、折角の気持ちが仇
になる。そこで有難く貰ってはきたものの、何分、日光の東照宮と聞いて、向こうの
山の中まで彷徨(さまよ)い歩いてまで届けに来てくれた‥‥こりゃきみ、女の誠心
のこもった尊い金なんだ。だから他と混ぜて使っちゃ罰が当ると、僕は思ったんだ。
そこで、八重の身を案じてくれる昨日の君の言葉を思い出して、(あの八重が、どん
な娘か)ようく判ってもらうためにも、これを君の酒代に進呈したいと思う。判って
くれるね、この気持ち。よろしく頼みますよ‥‥だが八重はこの僕によこした気の一
分だ。あれには本当の事を言っちゃあいけません。それでは女の純情に対して身も蓋
もない」
 俺も台の上の一分金を受取ってから、
「そうだ‥‥本当の事を言っちゃあ身も蓋もねぇ」と鸚鵡返しに言ってしまった。
 話が終ると、小四郎は本営へ戻って行った。
「見てたら、藤田さまがお前にぺこぺこ何度もお辞儀してたねぇ。随分お前は出世し
ちゃったんだね」
 みよが、べったり身体をくっつけてきた。
「おい、あんまり側へよらんでくれ‥‥頼むからな」
 みよの身体を押しやるように、肩でつついて、俺は言った。妙に女というものに、
鼻白んだような気分になっていたせいなのかも知れない。


宇都宮藩陣所

 弟に当るもとの水戸町奉行田丸稲之右衛門さまより、五つ上だというから六十五歳。
(それにしては、お元気なものだ)と、俺は山国兵部共昌(ひょうぶともまさ)さま
の赫ら顔を仰いだ。
 眉も白くなって髷も薄くはなってるが、なにしろ声が若々しくて張りがある。
「わしゃねぇ。お前さんのお父つぁん、源之介さんも、生前、見知っているが、好い
息子さんにおなりだなぁ。さだめし泉下できっとお喜びだろう」
 お目通りするようにと山頂の本営へ呼ばれたから、このところ新調した黒木綿の紋
服をひっかけて、畏まって出てきたところ、何の事はない。ざっくばらんの扱いで、
面はゆい想いだった。
「お前さんは、根っからの水戸っぽだから、根生(こんじょう)はありなさるんだろ
うが、あとの連れてった二人は浮浪の徒だそうじゃないか。そんな虫けらみたいな牢
人者にも、先君烈公さま御神威(みいつ)が授かって‥‥今度の働き。わしゃねぇ、
とても喜ばしいと思っているよ。なんしろ、噂がね、水戸の御城下はおろか、お江戸
の藩邸にもひろまってますよ。手槍だけもった三人が、百人の鉄砲隊をぶち破って、
残っていた屍体だけでも八つ。こりゃ大変な事だよ‥‥三人の鉄砲打ちが、百人の歩
兵をやっつけて遺棄屍体八って例はあるが、今度がような反対な事は、いくら戦史を
調べてみても見つからないよ。まったく前例もない話だね」
 この人は大監察というお目付役の他に、軍学者として、先代さまに御進講まで申上
げていた方。史館の先生たちも、戦の故事来歴は問い訊すという程の専門家。その老
人が、相恰をくずして喜んでくれるんだから、まったく世話はない。俺は仰向いて聴
いていたきりだ。
「大なる敵軍を小なる軍にて破るを、奇襲という。よって、大なる敵勢を僅少な兵数
にて滅ぼすを、わしは『奇兵』と名づけ、君らの隊を、本日只今より『奇兵隊』と命
名しよう。古今東西に、その例もみない隊名だが、なんだかきっと将来には、この隊
名を真似する所もあろうよ」
と予言するみたいなことを言ってから威儀を正して、言葉遣いも改め、傍らの紙包み
をひらくと、二間もあろうと思われる晒木綿を展べ流した。墨痕雄渾に、奇、兵、隊
の三文字が、布地に踊っていた、すぐ旗竿につけられるように、布環(ちち)もつい
ていた。
「有難うござります」
 俺も肩をはって、恭々しく押し頂いた。山国さま程の人に、揮毫してもらった軍旗
を立てられるのは、まことに名誉な事である。
「まあ、ひとつ‥‥楽にしなさい」
 隊旗の授与がすむと、赫顔の老人は、眼を細くして、自分も膝をくずした。
「わしと立原君が、中納言さまの御名代で当地へ来ると、此処の諸君は、われら二人
に是非とも加盟してくれ、入ってくれたら数千の味方を得るより有難いと、こう口々
に申されとる‥‥」
と、口濡らしに茶碗をとって、一と息のんでから、
「さて‥‥当地へ来て、神前に祀られてある先代様の御神像を拝み奉って、それから、
君らの戦功品のあの敵兵八人のうこん染め軍衣をも見せてもらったよ。なにしろ噂は
聞いていたが、槍と鉄砲では、長篠合戦以来、鉄砲が強いとされとるが御定法だ。だ
から、内心はまさかと思っていましたよ。まったくの処がご当人の前では言いにくい
が、半信半疑だった。ところがだね、戎血(じゅうけつ)でかたまった布地を、仔細
に拡げて拝見すると、紛う事なく‥‥お前さんの槍先で刺し貫かれたのが四着。管槍
を使った西山とかいう浮浪の刺痕のが二着、太槍で縫いこんだ高橋のものが二着。正
真正銘どれもこれも間違いもない。それで、立原君と二人で考えた。わが国は神州不
滅の地であるが、こういう奇蹟にも近い戦果は、豪勇胆力だけのものではない。これ
こそ神助。つまり昇天された先代の斉昭さま源烈公が神として護っておられるこれは、
なによりの証拠だ。この山にいるものは、こりゃ神兵だ。われらも天佑を信じ、神慮
にこたえ、加盟しようと、そこで決意したのだよ」
と温顔を畏まらせて、そんな言い方をした。
 俺としては鉄砲を包んできた脱走どもの戎衣は水洗いでもさせて、衣類の不足して
いる新入りにでもくれてやる気だったのだ。ところが、戦功品として召し上げられて
しまい、木彫りの先代さまの木偶(でく)に、お供えとしていま飾られている。
 それを見て、この六十五才の老体が、神助だと感激して、全学連のこの部隊に入隊
するというのだから、俺はとんだ罪作りをしてしまったと、うしろめたさに顔を伏せ
たっきり上げられもしなかった。
 勿論、今となっては
(鉄砲を買いに行って、相手に一杯喰わされ、そのいまいましい意趣ばらしに、暗が
りから天狗面をつけての不意討ち。それに愕いて腰を抜かした奴らを、面白半分に芋
刺しにしてきた)
などとは打ち明けられない。
 しかし俺が、かしこまって俯向いているのを、恐懼感激しているとでも思ったのか、
。山国兵部さまは、すこぶる機嫌のよい声で、
「この侭、残留してくれと、田丸や藤田は言うのだが、君命を受けて使いに来て、帰
らずじまいでは、吾らの立場もない。また引き止める方も、これは義にもとる。よっ
て、ひとまず戻り出直すことになった。それで本日午後ここを発足し、水戸のお城へ
今夜は泊まって、明日は出府する。ついては、水戸へ寄るついでに其方の母、亡くな
った田中源之介の後家どのを招いて、見た侭の話をして喜ばしてやりた。なんぞ、言
づけがあれば、伝えて遣わそうぞ」といってくれた。親切が身にしみた。
「恐れながら」と俺は、袂の中に放りこんであった一分金を摘まみだした。あの曰く
つきの金である。それを差し出して、
「はい、藤田小四郎君より、てまえ個人に酒肴料として賜っていたものです」と前に
おいた。
「泣かせるねぇ、お前は‥‥命がけで戦ってきて、それで貰った褒美の金を、まだ若
いのに酒にも使わず、苦労してる母者へとは‥‥今時の若い者にしちゃ出来すぎてる。
余っ程、死んだおまえの親爺は、出来ぶつだったんだね」
 言葉づかいを崩して、老人は眼顔を押さえた。年をとると泪もろくなるとは聞いて
いたが、陽焼けした渋紙色の赫ら顔を、くしゃっとさせたところは、まるっきり茹で
た蟹である。
 俺も何しろ忌々しい金なので、厄払いするようなつもりで出したのに、こんなに言
われては困ってしまう。だからして、
「それで母と伯父の横山文蔵に、薬喰いに鰻でも食するように」と両手をついてしま
った。
「うん。結構な事だ。が薬喰いなら、鰻より牛の肉が好い。先代さまは四十二の厄年
の時に、労咳、つまり肺の病をなされてな。朝鮮人蔘を浴びる程に服用されても効果
がない。そこで侍医の玄伯が、四つ足の肉は嫌じゃと仰せられるのを、必死になって
牛の肉汁を作ってすすめ、焼いた肉まで食して頂いた。天保十二年の事じゃ。わしは
お側御用を勤めていたので、嫌がる殿さまに食べてもらうため、牛の肉汁はおろか味
噌焼きしたのまでも御相伴をした。ご奉公とは申しながら、当初はとても辛い事で、
げげと内緒で吐き出したり、己が邸へ戻れば塩を頭からふり掛けてもらってお清めも
した。ところが一年と二月ぐらいで、殿様の血を吐く大病が、すっかり牛の肉の効き
目で本復。まるで生まれ変わられたみたいにお元気になられて、それから二十年、六
十一才まで長生きされたのだ。わしのように、大病をせなんだ者は、もうそれ以上の
年になっても、ほれこのとおり、ぴんぴんしとる。‥‥ずっと食べ馴染んだ牛の肉を
今でも月に両三度は頂いておるからじゃ」と、効能書きをのべた。
 先代水戸斉昭公は、漁色のための精力剤に、牛の肉を嗜み、近江牛が美味なのによ
こさなくなったと、井伊大老と不仲になったのだと聞いていたが、側近の山国兵部の
話では、肺病を治すために、侍医にすすめられ、強制的に喰わされたのが始まりだそ
うだ。そういえば、この兵部老人にしろ、弟の田丸様、武田の耕雲斉先生。先代の御
側に仕えていた連中は、みな七十近いのに、壮者を凌ぐ元気旺盛ぶりである。二十年
前から、忠義のために喰わされ、味を覚えてしまった牛の肉のせいだ。というが、そ
んな精力のつくものなら、未亡人の母には、やはり鰻の方がよいと俺は想った。

「これは困ったですなぁ。奇兵隊なんて、奇妙な名になると、騎兵と間違えられて、
総員馬にでも乗らんと恰好がつかんのに、ここにあるのは、柴をつんでいた駄馬一頭」
「それにね、土田さんとも相談して、天狗党という名にしようということになって、
ほら、天狗の面を買い集め、鉢巻も名入りで出来てしまっとる。いまさら、そんな隊
名の変更は困りますよ」
 西山や高橋は、俺が下賜されてきた旗の包を前にして、なかなか承知しなかった。
 が、翌日になると、此方だけでなく、全部の名称が一時変わってしまった。
 山国喜八郎、つまり兵部老人の意見に従ったという話である。
 田丸総大将が総帥になり、元取の竹田百太郎と岩谷敬一郎は、軍正職、輔翼職と、
舌を噛みそうな難しい名前になった。
 此処へ来てから集った書生の八百名は四組に分けられ、天地竜虎を一字ずつ新しく
隊名の頭にした。筑波から、源烈公の神像を担いできた小四郎の隊は、藤田隊を改め
て、神衛隊になった。これが全学連の中核自衛隊なのである。
 俺は、藤田と同格に出世して、共に、軍将という名を貰った。他の学生は、一応み
な士官という格になった。
 こう一遍に名前替えでは、こちらだけ文句を言っても始まるまいと、高橋達も諦め
た恰好になって黙ってしまった。それで、貰ってきた旗を、雨になったらすぐ取りこ
むように言いつけて、三間竿に通して六角堂前へ立たせていると、狗がいたら、きっ
と吠えつきそうな男が入ってきた。
 蓬(よもぎ)みたいな、ぼうぼうとした頭をして、眉や眼は、りんとして立派だが、
顔の真ん中が、すこし欠けて落ちた男だった。
 そいつが、ふんぞり返って、
「奇兵隊副軍将、飯田軍蔵利貞」なんて、すこし、ふがふがした声で、着到の挨拶を
するものだから、まず西山が見つけて、覿面(てきめん)に嫌な顔をした。
「うちにゃ副大将に土田さんがいる。あんな奴は追い返しましょう」
 高橋も息まいて、顎の傷痕を逆撫でしながら、肝心な土田自身は落ち着いたものだ
った。
「軍さ目付、つまり軍監が本部から廻されてくるのは定法だ。それに、ありゃ、きっ
と水戸者だぜ。この隊の幹部は、田中軍将だけが土地者で、あとはみんな浮浪の他所
者。それで、もう一人、水戸っぽを増して安心していたいと、藤田さんあたりがよこ
したのさ」
 聞いてみると、案の定、藤田小四郎さんとは数年前からの交際で、常陸木戸村の郷
士。学校は大久保館で純粋な水戸っぽだった。
 軍蔵も、幹部に一人ずつ引き合わされると、
「‥‥俺は」と自分の顔のまん中に指をさして、
「これだから、この隊へ廻されたらしい」しみじみした声で唸っていた。
 痘づらに、みつ口、傷面に眉なし。それに鼻欠けときてるもんだから、同病相哀れ
む代りに、みんなで腹を抱えて面白くもないが、大笑いした。
 苦笑程度で初めはつきあっていた軍蔵も、西山が得意になって、
「だから、吾々は、外出には他所行きの、こういう面をするのです」と、天狗面をひ
っぱり出してきて冠ってみせると、さすがに、
「これは好い、これは好い」と、とうとうふき出して笑ってしまった。
 しかし口を大きく開けてる程には、それ程愉快そうでもなかった。だから病気に罹
った時の経緯をきいてみると、百文の遊興費を三十文に値切ったから、そこの中年女
に変な娘を当てがわれたせいなんだという。それをきくと西山が、
「いくらでも銭をとって儲けりゃあいいと、おおかた行燈部屋へでも入れていた病気
の女をあてがったんだろう。ひどい事をするもんだね」と気の毒がるより肚をたてた。
「‥‥して、そこは、どこの娼家です」
と高橋も、ひとごとではないと息まいた。
 飯田は下唇をかんでいたのをやっとあけ、
「東照宮さまへ‥‥他の郷士の伜共と行った時の帰りだったから、日光山の麓の立て
場‥‥名前なんぞ、覚えちゃいません」と、ぶすっと言った。
(日光山麓)ときいた途端、聞き出した高橋も、俺も、ぎくっと眼の色を変えた。
「そのお女郎部屋は‥‥越後屋って名前で、その中年女は、眼の細い狐みてえな女じ
ゃなかったか」
と、思い出させようとしたが、
「なんでも報恩講の宿を借宅していて、一年ぐらいしか、お目こぼしがないと言って
たから、もう引き払って、その店はない筈です」と飯田軍蔵は首をふった。
「諦める事はねぇ。その店はある。東照宮さまの日光山なので、仮営業のお目こぼし
式に、一年ぐらいずつで御許可を繰り返して貰い、お上を憚ってはいるが、店は続け
てる。越後屋って、赤提灯に字が入ってたろ」
 せきこんで俺は告げてやった。だが当人は記憶がはっきりしないのか、遠くを見詰
めるようなまなざしで、じっと考えこんでしまったきりだった。