1015 サンカ生活体験記 14

 太陽をア。火のことをホと呼ぶサンカ人は信仰として天をまず仰ぎ、火と水と地を
拝み、
(1)人間は太陽(ア)によって生まれ、生かされている。
(2)太陽は火と水のもとで、万物の主である。
(3)太陽がなくなれば、万物はみな滅んでしまう。
(4)自分達に先祖はみな太陽から生まれ太陽に戻り、
(5)心だけは、セブリの子孫に残されて生き続ける。
(6)それで、太陽がモトタマ。
 彼らがマタトマ信仰に一つになったのはというと、西暦663年に郭将軍の進駐占
領が始まる迄の日本人は今いう蘇民将来系の裏日本から入ってきたベーリング寒流に
よる騎馬民族。それと、その前の紀元前三世紀に西南のマレーシアのヤバン(バハン)
より黒潮で各地に漂着した古平氏。(十字軍とよばれる無頼集団によって混血児を産
まされ、圧迫され、耐えかねて紀州熊の浦へ、クサビで船団を作って渡ってきたのは
後の新平氏)それと以前から漂着民の結合人種。
 だからして、「エな男や」「エな女や」と、天の浮橋でのたまわれた伊弉諾を皇統
第一代とし、伊弉冊を皇后として、天孫降臨(アモリ)を学校教育ではしたが、彼ら
は純日本人としては認めない。
 それに民法の第733条には再婚禁止期間もあるし、その後の再婚も許されるが、
サンカ社会では互いの純血同士をばツナガリが結合させ、純種を後世に残さねばなら
ぬ使命感が至上命令なので、相手が死なぬ限りは蒸発や重婚などはあり得ない。それ
に、なにしろ女上位ゆえ、後家となった場合は単身の相手を見つければ押し掛け再婚
は一年の喪が明ければ自由。

 なにしろ女の子袋、つまり子宮を空けておいては純血種が世に出て来ない。そのた
め、一般の家庭では戦後は、あまり産むと美容上よくないと一人か二人産むとみな奥
さんが不妊手術をする。
 しかし、トケコミでも、サンカ人間は純血種の日本人を絶やしてはいけないから、
何人でも産めるだけは子袋を休ませておかずに次々と作る。だから、そのために夫の
方へかぶさっていき、「しっかりやってちょうせ」と、マムシの粉を呑ませて、口で
咥えて大きくさせ、道端でも立ったままでも寸暇を惜しむみたいに懸命に励むのは好
色ではなく、純血人種を増やさん悲壮感である。
 互いに隣り合っていても別個のツナガリが来るから、双方ともまったく気づかなく
ても、七世紀から郭ムソウこと日本名藤原鎌足のチョンガー占領軍によって次々と産
まされた混血児のまた混血児の子孫どもが産むのが一児かニ児の現代にあっても、ト
ケコミシノガラの日本人達は「産めよ殖やせよ」と、どんどん純日本人の子種を純日
本人の親達の努力で今も生産する。
 シノガラはセブリ時代の昔から、絶対に他には口外しない、何も本当の事は口にせ
ぬのがハタムラとよぶ厳しい厳正な相互扶助法で、千三百年にわたって秘密主義を守
り抜いてきた。
 タテマエとホンネというが、三角寛が彼らを外見だけで貧乏人とみて、内務省警保
局の民族融和事業会の金で、前述したが、四斗樽の菰かむりの酒に牛肉と野菜を各1
5キロ余。握り飯の大きなのを240個を馬車につめるだけ乗せて荒川べりで自在鉤
(テンジン)を五セブリごとに張らせ、
「ざっくばらんに話そうや」
と、集まった者らに酔わせて日当百円ずつ払って聞き出そうとした。
 約束どおり五十三セブリ百六人は集まったものの、彼らはみなタテマエしか話はせ
ず、帰りがけに「ご馳走さまでした」と礼儀正しく挨拶をし、「写真も断わったゆえ」
と金は返された。
 「純日本人」として、彼らの持つ誇りを新聞社社会部サツ廻りの三角寛先生は、甲
府警察刑事課出身の島田留保や、すべて警察情報によって、民族学の知識などなく、
皇国史観に迎合していたので、まるで日本版ジプシーみたいな感じさえ与えているが、
彼の本に出てくる写真にしても、戦前は誰も洋服などはサラリーマン以外は着用せず、
子供も私だって和服だったのである。
 私の推測ではトケコミしているシノガラは、現在のところ約15パーセントぐらい
であるが、今みたいに藤原氏の混血児[サンカのように純粋な原住系でないという意
味]の庶民が一子かニ子なのに対して、最低九人は産んでいる我等サンカ人は、五年
もたてば比例は三対七、十年過ぎれば半々。逆にぐっと多くなって純日本人の血が激
増する。
 憲法第九条では、日本は戦争を放棄している。しかし、それは日本だけの話で、他
国では放棄していない。だから攻め込んできた際に、開き直って「日本は戦をしない」
と拒み叫んでも、相手は「ああ、そうでしたか」と引き上げて行くだろうか。沖縄で
しか本土決戦は経験していないが、満州で国民軍、旧八路民国軍、ソ連囚人部隊に散
々な目にあった私はよく知っている。
 が、二十代の思向調査では、逃亡すると答えたのが35パーセント。やむなく戦う
というのは21パーセント。降参して助命を乞うのが26パーセント。他の大学生は、
その場にならねば答えられぬと逃げをうっていた。
 逃げるといっても、アメリカみたいにカナダやメキシコみたいな陸続きの国のない
日本である。降参して助命を乞い奴隷になるのは、歴史は繰り返すというが、既に七
世紀にやったこと。<天の古代史研究>には、その間の事はよく出ているし、<野史
辞典><庶民日本史辞典>[ともに八切氏の著書]にさえ目を通していただければよ
く判ってもらえる。
 なにしろ、マッカーサー進駐時代に、唯の一度の反抗を起さなかった。世界史でも
異邦人に占領されて、てんでレジスタンスせぬような民族はいない。つまり、徹底し
た従順な奴隷根性の国民ゆえ、占領さえすれば言いなりになると、何処の国からでも
狙われている日本である。いくらこっちからは「人類はみな兄弟」とか、「世界の人
よ、こんにちわ」と良い子ぶりっこしていても、虎視耽々と狙われているのは今や常
識ともいえるだろう。
 その時、侵略された時に、敢然と戦ってくれるのはシノガラ日本人しかいないかも
しれぬ。十四世紀にわたって純血を固く守ってきた真の日本人のサンカ人だけが、今
度はCIAに懐柔されることなく、我等日本列島を死守してくれるものと、私は心よ
り期待しているのである。
 オカミにべったりしたがる日本人は、星条旗にもべったりした。しかし、それらは
雑混血で、純粋のヤマト民族[原住民系といった意味]は反体制であれ、いざと言う
時には日本を必ず死守し護ってくれよう。


青天の霹靂(へきれき)‥‥しょうもん会
[これは故八切氏の出版された『古代争乱資料大成別巻 平将門記』(日本シェル出
版刊)で引用した資料に絡んだ、おそらく著作権上のいざこざを争った裁判に関する
記述だろうと思います。よって、八切氏亡き今となっては終わってしまった事なので、
関係者(会社)の名などはイニシャルとさせていただきます。]

 「天の日本古代史研究」に、今年でようやく終末を迎えられそうだと書いたところ、
昭和五十七年三月八日、東京民事二十九部で判決を聞きびっくりして高裁へ控訴。こ
れでは死ねそうもない事になり悲観。
 「将門記」という古代史料の私の本は、南方民族の古代海人族が何故に寒冷の東北
へ追われ、今もショウモン部落と呼ばれて特殊地みたいに扱われているかの謎解きで、
当時の藤原体制が火山灰地だった坂東八ヶ国が耕地になって売買できるようになった
ので、でっち上げの叛乱で追った事実を解明した本で、将門の首塚が十余もあるのは、
彼に似たレジスタンスは何人もいたが、彼は実在はしていないと解明した本で、頼山
陽の、比えい山上で純友が「俺は関白になるから将門には新皇になれ」といった芝居
が、反体制であると評判になって五柳亭の読本流行。
 元禄時代に真福寺[名古屋市中区大須にある]へ通っては蔵本[リスト]全部を写
した「張府志」「塩尻百巻」の天野信景も同寺には見当たらぬとす。
 「日本文芸協会」の通達では、出版筆者名を明らかにすれば全文引用可なのだが、
G思潮社のK.I.の許へ事前に何度も電話をかけ、念のために出した複写葉書のコ
ピーも裁判所へは提出した。H[から]も本を二部受け取った旨の返事がきている。
 それなのに判決は「無断転載」、発売即日に強制執行をかけてきたので、やむなく
和議に応じて九割は回収。損害は一千万円を越えているのに、またしても再版二千刊
行の予定が五百しか出せなかったための「得べかりし利益」の損害賠償が又も、一度
の電話もなく提訴されたのである。
 第一回の裁判長の本人尋問の際に追求されると、K.I.は前のが残っています、
再版は実はしてませんと答え、裁判長は、嘘偽の提訴とは何事かと叱責をした。だか
ら公訴棄却かと思っていたところ、三年目に裁判長が前検事に変わった。
 相手方の弁護士が検事を何十年もやっていた先輩。特捜の検事も呼び出しをかけて
きて、和解しろというのを断わると断裁屋を全部調べたので、[断裁屋は]怖がって
途中で未断裁の本を返してきた。こちらは断裁に持ち込んだ数と、その断裁料の領収
証の提出ゆえ、戻されてきたのが加わると数が増えるのは当然。
 が、判決は数が合わぬから疑わしいとの主文で、検事から横すべり判事が一方的に
決めつけ、結審から一年たって三人めの判事から、相手方の主張を全面的にとりあげ、
慰藉料百万円の他に七十万円の支払いを判決。漢文の読み下しは翻訳権で、著作権が
あるというとてつもない判例を下した。
 漢文は西暦673年に御所へ入った郭ムソウ将軍が、築城積石供出令とともに「則
天(漢字)使用令」を布令し日本文字にとされている。
 中央公論社「切腹論考」や日本シェル出版の「忍術論考」に、桑田忠親が、畠山晴
行の「埋蔵金物語」をそっくりそのままカッパブっクスにより刊行したのを「どろぼ
う論考」として書いた事に、桑田の弟子でK学院大学の歴史主任教授にしてもらった
Hの恩返しがこの裁判の真相だが、Hは「週刊読書人」にて、「将門を特別部落の先
駆みたいに扱うとは何事か」と見得を切っているが、現実には、結婚や就職に差別さ
れる事への反対を唱える人々が「しょうもん会」を作って会報も出しているのを、H
は何もしらぬ。
 天ぷら屋上がりのK.I.はポルノ裁判を最高裁までもっていったので、新左翼の
大立ものとされている男だが、民事でも陪審員の裁決で民主主義が判事で判決する外
国では絶対にあり得ぬ妙な判決で、おかげで自分の始末をする自由まで私はまた奪わ
れてしまい、泣きの涙である。
 和解がすみ半年もたってから、刊行しもせぬ再版を刊行した事に対しての損害賠償
事件に、彼らが書店で求めたとか他から聞いたというのなら無断かもしれぬが、刊行
前に連絡して贈本しているのが何故に「無断」の判決となるか。裁判所とは公平なも
のと思っていた私は唖然とした。
 事前に連絡のあった証拠があるのに、無断転載とし、出してもいない再版を刊行し
たと損害金を出せというのでは、普通なら恐喝罪で刑事事件である。ところが、ヤメ
検とよばれる検事上がりの弁護士で、裁判所へ提訴さえすれば、嘘が通れば道理が引
っ込むというか、うまくゆくのである。

 「しょうもん会」に話は戻るが、同和組織にも入っていなくて、彼らよりも差別を
受けている。
「自分は天皇狙撃の難波大助の子孫である」とか、「大逆事件の幸徳秋水の子孫だ」
と名乗り出る者はいない。それなのに、天皇に代わって新皇と称した将門の子孫を、
誰が名乗るだろう。
 つまり、耕地になった火山灰の坂東八ヶ国を多賀城の弁髪兵で追い払って分けあっ
た藤原一門の日記には、「叛逆したからやむなく討伐したのである」と筆を揃えて書
き残している。
 が、門付けの「デロリン祭文」の元祖の唱門[しょうもん]が、物貰いのため語部
として廻って歩き、話を勇ましく有名にしているのを土地の者はみなよく知っていた
し、唱門伝説で将門の存在は架空と判っていたから、東北の相馬氏や千葉氏は、戦国
時代となって藤原氏の勢力が衰えてくるや、その荘園を奪い、奴百姓を畏服させるの
に利用。幕末に頼山陽の芝居で有名になり、軟派や硬派の読み本が出され、古い年号
で古本屋へ流れたのを、坂東八ヶ国の耕地奪取のため公家が書いた日記が裏付けにさ
れ、さも実在したごとくに木版バレン刷りの一冊で、本物らしく信じられた。
 そこで、目をつけた薩長の連中が討幕のアジビラというか聖書のごとく、勿体をつ
け次々と利用させた。
 なにしろ徳川綱吉の代から王と名乗っていた。後に「王政復古」と大政が奉還され
るのも、このためである。一般大衆煽動には数多くの版木を作って「お札ふり」を各
地でやらせたが、各藩では改易取り潰しを惧れて、反徳川など上士は思いもよらなか
った。
 そこで山陽の遺児の儒学者頼三樹三郎が将門記を次々と筆写させて、王に代わるの
は心配する事はないと、討幕の藩を増やす目的に二百部しか刷られなかったのが次々
と各地で写されて広まった。そのうちの一冊が真福寺にも奉納され、それがまた写さ
れたのが本当のところらしい。
 Hの読み下し文も、訓読点や反り点を各頁ごとに誤っているが、原文そのものもひ
どいものであるのも筆写のせいである。
 さて、各府県の同和対策窓口にも相手にされぬ人々は、「しょうもん会」を作って、
一遍上人の京空也堂に本部をおき、関東は加藤衛、関西は平正明、早石悦治、中島登、
大図口承といった役員の方々で、結婚・就職の差別撤廃解放運動を現存しているので
ある。


(サンカ語の)藤原王朝前日本歴史

 さて、私は三角寛の本をよく読んでいたので、北九州にはセブリなどなく、サンカ
人間はいないものと、生前の彼に逢った時にも確かめたが、
「筑豊灰坑に吸収されてしまったから、サンカはいなくなったんだ」
と言下に断言されたから、そうかなぁと考えたものである。
 ところがである。
サンカは一人もいないと民族融和事業会が発表しているのに、福岡市に住んでおられ
た医学博士戸上駒之助先生が、九州のサンカ達の病気治療にセブリを廻りつつ、彼ら
のサンカ言葉を蒐集し、福岡の印刷所で一千部のみ半世紀前に本にされたという話を
洩れ聞いた。
 当時、九州では、元々新羅系と高麗(こま)系によって古代から開けた土地ゆえ、
サンカとよぶ古代海人族の末裔は忌み嫌われていた。それゆえ戸上博士は迷い、サン
カとよぶ言葉を内容にも使うのを避けて、「言語と歴史による日本の民族」の名で刊
行したが、七世紀までの日本とは、西暦663年に白村江で大勝した郭ムソウ将軍が
翌年五月十七日に御所入りをなして、日本全国に「漢字使用令」などの法律を発布し、
築城用積石の供出命令を出している。
 そして、縄文原住日本人の男は、人間狩りをしてこれを奴隷となし、[進駐軍側も]
初めは二千だが四千に増えたが単身の男ばかり。そこで女を行き当たりばったりに手
込めにして廻るのも大変ゆえ、女の彼処を戸とみて開戸とよぶゲットーに収容。
 アメリカのテレビ映画の「ルーツ」にも出ていたように、白人の主人に産まされた
子でも、奴隷女の腹からなら、やはり奴隷として売買されるのは日本の方が先進国で、
既に七世紀から、藤原鎌足と名を変えた郭ムソウによって実施。つまり縄文時代から
弥生時代に変わった[?]。
 それまでの古代海人族のサンカ語が、「イ・アル・サン・スウ」の弁髪進駐軍によ
って混同しない侭のがセブリに残っていたから、戸上博士は古代の純日本語として現
存しているのを集めた。
 しかし、「サンカ語」という題字は、たとえ自家版発行にしても、オカミの弾圧で
つけられはしなかったのである。それに、九州で昭和初年の僅かな部数で、半世紀も
たった今では「戸上駒之助」の名だけは有名だが、本の方は俗に「郷の義弘とお化け
は見たことがない」のである。
 というのは、私がようやく入手できたのは、前に述べたアメリカ三世シノガラ中尉
から自室へ招かれた際に、原文と英文で訳したのを見せられ、「これで祖先の言葉を
マスターして渡ってきた」と見せてくれ、原語つまり日本語の貴重本は自分には難し
すぎるから、珍しいなら復刻版でもと、何十カラットのダイヤよりも貴い原本を、わ
ざわざアメリカから持ってきたのに、「いいですよ」と渡してくれた。
 初めて手にした時の感激は忘れられない。小倉の読者も探し、送ってくれた。しか
し、現代では三角寛が面白く造語したのが本物のように思われている。どうも、それ
とのくい違いもあるからして、「藤原王朝前日本歴史」という、判る人には判る題と
して八百部のだけ改めて限定として、大冊本なので四千八百円送料負担で予約順に発
送している。


サンカにつき根本的に研究せねばならぬ本

[これは、八切氏の他の著書の案内頁、つまりCMですので、カットさせていただき
ます]


サンカ語 スメル語、ムンダ語、太平洋語に於ける語彙比較表

旧恩師高楠順次郎博士の厚徳院よりの本を参考にさせていただき、「知識民族として
のスメル族」の一部をばサンカ語と対比したものである。
[だそうですが、パソコン通信では転載不可能な文字・記号が多々含まれてますので、
残念ながらカットさせていただきます。


私のいたセブリ地帯図

[これは、愛知県海部郡(名古屋市の西部にあたる)の地図から、八切氏がセブリ生
活を体験した津島市の東側部分、県道津島名古屋線付近、日光町のあたりの抜粋縮小
図が、参考のために縮刷して載せてあるようです。
 この地図は、影丸が八切氏に資料として送ったもの(人文郷土地図発行社、『愛知
県2 津島・海部郡全図及周辺図』)で、いつだったか八切氏に上機嫌で、『君に貰
った地図が役に立ってねぇ‥‥忘れていた事を思い出せたよ』というような事を言わ
れまして、その時は(なんだろう?)とわけが解らなかったのですが、この本を見て
納得したという次第です。

以上]