吉田松陰・外伝   その2
留魂録に託するもの
*[2]*
 「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。蓋(けだ)し彼の禾
稼(かか・穀物のこと)を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至
れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴(れい・甘酒のこと)を為(つく)
り、村野歓声あり。未だ曾(かつ)て西成(五行説で秋は西にあたるといい、秋
に植物が成熟することをいう)に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず」に始
まり、「義卿(松陰)三十、四時己に備はる、亦秀で亦実る、其の秕(しいな・
実のないもみのこと)たると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の
微衷を憐み継紹(けいしょう・受けつぐこと)の人あらば、乃ち後来の種子未だ
絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり。同志其れ是れを考思せよ」に終わる第八
章は、松陰が自らの生死の哲学を語ると同時に門弟・同志に託す思いを訴えた白
眉(び)の名文である。現代語訳でその全文を掲げておく。
 「今日、死を思い定めて安らかな心境でおられるのは、自然における四季のめ
ぐりから悟るところがあったからである。おもうに穀物の場合、春に種をまき、
夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬に貯蔵する。秋から冬を迎えるころには、人々
は皆その年の収穫を喜び、酒や甘酒をつくって村々に歓声が満ちあふれる。いま
だかつて秋の穀物の実りをみて、一年の労働の終わることを悲しむ者がいると聞
いたことがない。私も三十歳にして一生を終わろうとしているが、いまだ一事も
成しとげずに死ぬことは、穀物が未だ花を咲かせず実をつけなかったことに似て
いて、惜しむべきことかもしれない。しかし私自身の場合でいえば、今が花咲き
実りを迎えた時であり、何で悲しむことがあろうか。なぜなら人の寿命というも
のには定まりがなく、穀物などが必ず四季を経て実りをもたらすのとは異なる。
しかしながら人間、十歳で生涯を終わる者にはその十歳の中におのずから四季が
あり、二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四
季があり、五十歳、百歳にしてもそれなりの四季がある、十歳をもって短いとい
うのは、命の短い夏蝉(せみ)を長生の霊椿と同じ次元出考えようとするもので
あり、百歳をもって長いというのは、逆に長生の霊椿を命の短い夏蝉と比べよう
とするのと同じことで、ひとしく天寿を理解しないことである。私は三十歳、そ
れなりの四季はすでに経ており、花を咲かせ、実をつけてきた。それが単なるも
みがらで次の実りをもたらす種子とはなり得ないものなのか、あるいは成熟した
粟の実で再び収穫をもたらし得る種子となり得るかは、私の知り得ないところで
ある。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでや
ろうという人がいるならば、それは私の実が種子として絶えずに穀物が年々実っ
て収穫をもたらすことであり、恥じずにすむものである。同志よ、どうかこのこ
とをよく考えてほしい」
 己の生涯を四季の循環の定めに置く心境は、まさに心蹟百変してたどりついた
崇高なる達観というべきか。そして松陰の志は、高杉晋作らの門弟によって見事
に受け継がれ、松陰が願いとしたように実りある種子であったことを立派に証明
することになるのである。そればかりか、松陰の種子は今なお多くの人々の心に
発芽をうながし続けているのである。