吉田松陰      その45
村塾に育ちゆく魂
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 さらに「諸生を示す」を詠み進むと、次のような一節がある。
 「ところで、撃剣と水泳の二つは、武技のうちでもっとも大切なものである。
ちょうどいまは夏の盛りであり、また、わが国の周辺にはしきりと外国がうかが
っており、これらは一日たりともゆるがせにはできないのだ。ところが、そんな
ことは遊びごとだとして、実地の鍛練を重んじないで、いたずらに日を送り、学
業を怠ることは十分慎まねばならない」
 撃剣や水泳ばかりではなく時には山に遠足をする。遠足といっても、山の上に
皆が集まり兵学に従って攻防の演習をするのである。
 この年の七月二十日には、蟄(ちっ)居の身とはいえ、藩政府が特に家学教授
のために門人を引見することを許しており、松陰の家学といえば山鹿流兵学。従
ってこれ以後は、公認の形で演習や銃陣を学ぶこともできたのである。
 水泳にしても、当時、水泳を教科の一環とする塾は珍しいのだが、“心身一体”
というのが松陰の教育理念であった。また、“文武両道”という教育理念が長州
の伝統でもあった。例えば、毛利の支藩・長府藩の藩校敬業館の学則をみると「
学を解せず又武芸の一科をも成し得ざるものは嫡子は廃嫡、二、三男は他家の養
子と為ることを得ず」と厳しく定め、家業のある者はまず本業を一生懸命につと
めるのは当然のことであるが、武芸を業とする者は文事がなくては「義理」に通
じることが難しく、また一方、文芸を業とする者は、武を忘れてはいけないこと
は言うまでもないところで、本業の暇には両者とも学ぶように、というのである。
松陰の心身一体にも通じるものではなかろうか。
 さらに松下村塾の教育にあっては、遠足で山に登るにしても、単に兵法の演習
をというのではなく、年長者と幼少組を適度に組み合わせた班分けをして、年長
者が幼少組をかばい助けるといった、相手を思いやる心を養うよう心配りがされ
ていて、ここから自然に連帯意識も生まれてくるのである。
 「要するに、学んでその効果を上げるには、まずお互いに情意相接して心を通
いあわせることが大切なのであり、そうすれば義も理もおのずから通ずるのであ
る。それは、こまごました礼法や規則の遠く及ぶところではない。学ぼうとする
者が自得するところなくして、やたらと言葉数のみ多いのは、聖賢の戒めるとこ
ろである」
とも松陰は書いている。これを松陰の原文でいえば「気類先づ接し、義理従って
融(とお)る」ということになるのであるが、個を尊重しながらも、皆の気分が
融(と)け合う、皆が力をあわせるということを大切にしたところに、松下村塾
教育の注目すべき特色がある。
 一学習塾でありながら、しかも極めて短期間学んだにすぎない者たちが、のち
に、何か結社的な結束力の強さを示した原動力は、まさに松陰のこの「気類先づ
接し、義理従って融る」という言葉に帰するのであろう。