吉田松陰      その40
諸著が語る思想
*[4]*
 安政三年の著述といえば、「丙辰幽室文稿」にもふれておかなければならない。
これは「文稿」という題名が示す通り、まとまった著述というものではなく、多
くの短文をまとめた、いわば所感集、随筆集といったもので、安政三年の正月、
心新たに記した「幽室の壁に題す」に始まり、以下五十数編の短文が収められて
いる。
 その内容は、読書記、知友へ与えた書、回顧的な記録、生活の中での雑感など
多様で、それだけに松陰の生身の体臭を感じさせるといった面もある。
 また、前記「幽室の壁に題す」もさることながら「七生説」「野山獄記」「默
霖に与ふ」「松下村塾記」「太華翁の講孟箚(さっ)記評語の後に書す」といっ
た、松陰の思想を知る上に重要な位置を占める文章も、この文稿の中に収められ
ているものである。
 さらに世俗的な興味からいえば、この文稿中に収められている「河豚(ふく)
を食はざるの説」なども、ふくを売り物としている地に住む者としては見逃しが
たい一文である。
 冒頭の「幽室の壁に題す」は、野山獄から出獄して間もなく、実家杉家の一室
に落ち着いて迎えた正月だけに、幽囚の身とはいえ心あらたまるものがあったの
であろう、極めて謙虚に「今巳(すで)に家に反(かえ)る。家庭の間、恩、義
を掩(おほ)ひ易し。況(いわん)や余世に於て頗(すこぶ)る多口(たこう)
を増せるをや。一たび吏議に係らば、父兄の恤(うれ)へを致すこと細(すくな)
からず、故に自ら之れが誓を為(つく)らざるを得ざるなり。今乃ち区々として
誓を為ることかくの如し。壁に題して自ら警(いまし)む」と自戒しているので
ある。
 しかし最後を「国の為め道の為め、勉励して惰(おこた)ることなくんば、則
ち他日の刮(かつ)目豈(あ)に測るべけんや」と結んでいるところが、いかに
も松陰の不屈の心を示している。
 一方の「河豚を食はざるの説」も、別の意味で松陰の性格、あるいは生き方を
物語っている。
 「世に言ふ、『河豚は毒あり』と。其の之れを嗜(この)む者特に衆(おほ)
く、余独り食はざるは、死を懼(おそ)るるに非ざるなり、名を懼るるなり。夫
れ死は人の必ずある所にして、固(もと)より懼るるに足らざるなり。然れども
死生も亦大なり。苟(いやしく)も一魚の小を以て、而も死生の大を致す、顧(
おも)ふに士名を辱しめざらんや」と記しているが、こうした意識は松陰に限ら
ず、誠実な人生感、使命感を持つ当時の武士共通の意識であったろう。
 ただ松陰の場合、美味だからといって食べるのは、清国の人たちがアヘンたば
この魅力に負けて悪習に陥っているのと同じことだと言い、「故に今日の河豚を
嗜(この)む者は他日阿片を貪(むさぼ)る者なり」と、痛烈に言い切っている
のが面白い。