吉田松陰      その37
諸著が語る思想
*[1]*
 安政三年(1856年)から四年にかけて松陰が数多くの著述を残しているこ
とは前回述べたが、そのいくつかの内容を紹介し、当時、松陰が抱いていた思想
の一端に触れておきたい。
 「講孟箚記(さっき)」とともに松陰の主著の一つとされるのが家学・山鹿流
兵学の「武教全書」を講じた「武教全書講録」である。この著述は、安政三年八
月二十二日から同年十月六日にかけて、親せきの子弟を相手に「武教全書」の序
論にあたる「武教小学」を講じた講義ノートで、厳密にいえば「武教小学講録」
とでもいうべきものである。
 松陰の講義録の特徴は、単にその著作の内容を説明するにとどまらず、私はこ
う思うという自己の見解が付け加えられているところにある。
 ところで、この講義のテキストたる「武教小学」は序章に続いて「誠実であっ
て自らを偽らず、つねに士としての正義を思って自ら励ます、これが人との交わ
りを最後まで続けていくための道である」といったようなことを論じている「夙
(しゅく)起夜寐(ひ)」(朝早く起き夜はおそく寝る、日夜職務に精励するこ
と)の章を全体の大綱とし、以下「燕(えん)居」(自宅にいること)から「言
語応対」「行住坐臥(ざが)」「衣食居」「財宝器物」「飲食色欲」「放鷹(よ
う)狩猟」「与受」に至る八章がその細目に当たり、これらを自ら実行して子々
孫々永久に伝えようということを述べた「子孫教戒」の章を結末とするが、さら
に「総目録」の章が加えられて全体を終わっている。
 松陰の講録は、それら各章についての解釈と見解を述べており、例えば細目の
一つ「与受」の章では、人から物をもらうのに貪(どん)欲と清廉との区別があ
ることを述べている。
 そして貪欲と清廉の区別については、それが義に当たっているか否かを考えて、
受け取るか辞退するかを決めるべきであって、そのものの多少や軽重を計るべき
ものではないという素行の見解を紹介。
 さらに「武教小学」には、「主君に仕えている士で、俸禄(ろく)のほかに物
や金をもらいたがる者」とあるが、現在の士で物や金をほしがらない者はいない
ようだ。彼らがその金や物をもてあそびおごったり、また蔵いっぱいに蓄えて死
蔵するなどということは実にあわれむべきことだ。金品を蔵にためるというのは
守銭奴の類(たぐい)であり、また金をもてあそぶというのは「孟子」にいう「
知り合いの困窮者に施しをして、自分の徳をほめたたえてもらおうとする」の類
である。一方は吝嗇(りんしょく)、他方は驕慢、その趣は違うが、士としての
当然の道理を失っているのはどちらも同じである。ただ、蓄財も子孫に賢者が出
て義挙の資財となったり、驕奢(しゃ)な者が貨財を派手に使って窮乏な者がそ
の余恵を受けるならば、あながち避難すべきことともいえない。しかし、現在の
仕官の士が施与(人から金品をもらう)をむさぼる場合には、ほとんどそうでは
なく、仲間内の歓楽に費やされて余滴は近隣に及ばず、自分を喜ばすが窮乏の者
や子孫の仕事にも役立つことがないとあれば、驕奢や吝嗇よりも悪い−−などと
いった見解を述べている。
 まさに時代を超えて、今日にもそのまま通用する見解であろう。