テーマ:書評?】「世界史の中の昭和史」

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お名前: 広嗣
>そういえば、今日は真珠湾攻撃の日でしたか。
 日本国内では余り知られていないのかも知れませんが、同じ日に陸軍はマレー半島に上陸する作戦を決行しています。開始時刻はハワイの真珠湾攻撃よりも1時間早い時刻でした。

 今は「太平洋戦争」が広く呼び名として用いられていますが、太平洋戦争は海軍にとっての戦争で、アジア大陸を主戦場とする陸軍からすれば「大東亜戦争」でした。現在一部で「アジア・太平洋戦争」という呼び名を用いる人がいますが、こちらの方が良いと思っています。

 マレー半島上陸作戦の時の指揮官牟田口廉也は、盧溝橋での衝突の際の連隊長でした。そんなこともあり、後のインパール作戦では自分がこの戦争を始めたから自分がこの戦争を終えるのだという趣旨のことを言っていました。

 牟田口は完全に対戦することになる英印軍を見下していました。マレー半島以来の相手と同視していました。この手の思い上がりは、牟田口に限ったことではないのかも知れません。


 話は変わりますが、後年首相と陸軍大臣、参謀総長を兼任するほどに勢力を誇った東条英機が失脚すると、陸軍省内で大きな人事異動が行われました。その中心人物は、その人事異動を指して「素晴らしいもの」と自画自賛しました。その内容は反東条派が東条派と目された将官の陸軍省本省からの駆逐に成功したというものでした。真の適材適所の人事ではなく分派闘争による目先の利害に基づく人事でした。しかしこのことは陸軍に限ったことではなく、広く世間一般に見られることです。ただこうした目先の利害による人事が日本の敗戦の原因の一つになったことは否めません。

 広く世間一般に見られるということについてハンス=フォン=ゼークトの次の言葉を思い起こさせます。「一国民の具有するすべての性質はそのまま軍の性質に反映するはずである。」


>明治の頃には、陸軍と海軍を統括する部署があるにはあったみたいです。
それがいつの間にか・・・。
 時間があったら調べてみます。


[2020年12月10日05時55分]
お名前: ルイ17世
来年は、日米開戦80年ですが、当然ながら戦争体験者(当時20歳の人は100歳!)も
減ってきていますからね。ますます、日米開戦は歴史の話しになるでしょう。
追伸:日本とアメリカが戦争していた事を知らない(学校の歴史は、昭和までいか
ないし)世代が増えているみたいだし。
[2020年12月09日19時50分]
お名前: ヘイ
そういえば、今日は真珠湾攻撃の日でしたか。

「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」なんて本もありますね。

明治の頃には、陸軍と海軍を統括する部署があるにはあったみたいです。
それがいつの間にか・・・。


[2020年12月08日21時37分]
お名前: マック

ずいぶん、古い映画ですけど
映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」
https://www.cinematoday.jp/movie/T0011122

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』特別映像
https://www.youtube.com/watch?v=qvidit313n8

この映画、
主人公の少佐が、2等兵に格下げされ、最前線に
送られる。
そして侵略してきた異星人と戦うわけだが、
戦死すると2等兵に格下げされ、最前線に
送られたところから、生き返るというSFである。

生き返るたびごとに、知識、経験、なによりも戦闘技術
などのスキルは、覚えていて、、
何度もトライして、戦死を数千回???繰り返し、
目標につき進む。

なかなか面白く、考えさせられる映画なのである。

さて、このように考えた。

もしも石田三成が、関が原戦で、何度でも生き返り、知識、経験、
なによりも戦闘技術などのスキルは、覚えていて、、
それで徳川家康にチャレンジしたら、勝機はあるのか。

戦ってくれる大名、
静観する大名
裏切る大名
それは、そのまま、同じようになる。

勝機は、岐阜城の織田秀信8000を温存し、家康がくる前に、
豊臣恩顧系大名と決戦するしかない。

徳川は単独で、60000兵といえども、それは小田原城の
北条氏と同じ兵力なのだから。

さて、もうひとつ、
太平洋戦争に勝機は、あるのか???。

これの研究をしていて、反省的な戦略をもっているのが
じつは、海上自衛隊、航空自衛隊なのである。
とても、よく研究されている。
これはアメリカも認めているのだよ。

これはね、日本の自衛艦は、中型の汎用ヘリを2〜3機
かならず搭載している。
攻撃ヘリなら、わかるけど、どうして汎用へリなのか、
鳩山政権のとき中国は、その全貌を知ったらしい。

中国は、驚いたようで、

もう一度
太平洋戦争に勝機は、あるのか???。
結論てきに、「ない」。

しかし勝利条件がちがうのだわね。

それはね、
許してください、賠償金を払いますから、停戦条約
を結んでください。



[2020年12月08日02時38分]
お名前: 広嗣
 最近半藤一利「世界史の中の昭和史」(平凡社)を読みました。世界史を通して日本史を見る歴史観のため、書店でこの題名を見た時、明かりに呼び寄せられる虫のように手が伸びていました。

 「昭和史」と言っても実際は1945年で終わっています。「半藤昭和史3部作」の一冊と銘打っていますので、1945年以降は「昭和史 戦後篇」を読んでくれということなのでしょうか。

 昭和は1926年12月26日以降と線引きできますが、世相はそう簡単に線引きできません。そこで半藤は自身が20世紀最初で最大の事件と呼ぶロシア革命から筆を起こしています。ロシア革命は1917年ですから、日本では大正と呼んでいた時代です。続いてアドルフ=ヒトラー率いるナチスについて書いています。

 ナチスの正式名称は、一般には「国家社会主義ドイツ労働者党」(NSDAP)と訳していますが、今回初めて知ったのですが、「国家」に当たる部分は、「国民」、「民族」、「国粋」など諸々あるようです。

 少し話がずれますが、英語では「国家」に当たる単語は、nationです。このnationは元々ラテン語で(?)「国民」を表す単語だったようです。ドイツ語のこの単語が同じ語源なら、「国民」と解釈する方が適しているように感じます。

 1945年までの昭和は、戦争の時代と呼べると思います。1931年の柳条湖での事件を皮切りに足かけ15年間日本は戦争をしていました。本格的な戦争に突入するのは1941年12月8日からだとしても、柳条湖以降の様々な事変が最終的にこの日に結びついていることから、あながち間違いではないでしょう。

 直接的には1937年7月7日の盧溝橋での衝突でしょう。実際のところ最初の一発は中華民国側が発したようですが、人の領土で堂々と演習をしていた日本軍の責任も無視はできません。国内の軍部の台頭とも相俟って戦局は拡大していきました。

 今「軍部」と簡単に書きましたが、敗戦までの日本軍は統一された日本軍ではありませんでした。軍政は陸軍省と海軍省に分かれ、軍令は陸軍参謀本部と海軍軍令部に分かれたままでした。軍令だけは戦時中は大本営が置かれ、それぞれ陸軍部と海軍部と名乗っていました。問題は大本営がどこに置かれ、総長は誰だったのかということです。

 この本によると大本営は宮中に置かれたようですが、総長はいなかったようです。当時の憲法の規定や宮中という点から総長は実質的に天皇ということだったのでしょうか。憲法の「天皇は陸海軍を統帥する」旨の規定や「軍人勅諭」と言い習わしている勅語の「上官の命令は自分(天皇)の命令と思え」という趣旨の文言から制度上天皇が究極的に責任を負う立場にいたことは明らかです。

 現行憲法の下で天皇には統帥権はありません。現在の自衛隊が1945年8月15日以前の軍部についてどのように反省し存在しているのかは知りませんが、自衛隊の外にいる者は、嘗てのように思い上がり暴走することのないように監視する必要があります。勿論軍部が暴走した背景の一つに当時の政治の腐敗もありましたから、「政治家の責任」にも目を向ける必要はあります。

 他にも書きたいことはありますが、長くなってきたので、一旦終わりにします。


[2020年12月04日05時13分]
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