テーマ:井伊直虎

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お名前: マック
ネタばれ・・・・

前回の井伊直虎は、

「竜宮小僧走る」
松平元康の独立行動が、決定的となる。
怒った今川氏真が、駿府に人質にしてあった元康嫁の瀬名姫を処刑しょう
とする。そこで竜宮小僧こと井伊次郎法師直虎が、文字通り走って
身体を張って阻止しょうとする・・・・・
たいへん、つまらない、ストーリィだった。

今回の
「さらば愛するひと」
井伊家当主で、次郎法師の従兄弟である井伊直親の主従20名が、
掛川城主朝比奈泰朝によって殺されるまで。
このとき次郎法師は、瀬名姫のもとを尋ねるが、
とにかくひどい脚本だ。
あまりの内容に、呆然。

関係のない話に飛びますが、
「精霊の守り人」
これを大河ドラマにすべきだ。ただし視聴率は、一桁で
人気があるとは言えないですけどね。
綾瀬はるかの殺陣というか戦闘シーンが、アクテイブで
よいのだ。短槍というか鉾槍は、刺突と斬撃の両方が出来、
いわゆる棒術ですよね。

ウワサによると「精霊の守り人」に予算を掛けすぎて、
その反動で、前回の真田丸の後半は、予算カットで、
いろいろ問題があったとか?????。

さて精霊の守り人で・・・・
(1)新ヨゴ皇国総兵力:歩兵3万兵
(2)カルバン王国総兵力:騎兵2万騎
(3)ロタ王国総兵力:歩兵と騎兵6万兵
(4)サンガル王国:水軍・兵力不明
(5)タルシュ帝国総兵力:20万兵

この兵力数が、もっとも重要になるのだ。


[2017年03月22日05時06分]
お名前: そんし
一応あとで観ようと録画はしてありますけれど、大河見るのは2月にはやめてしまったので、その先のストーリーがよくわかりません。いきなり桶狭間になってるし。展開早くて、先に行って間が持たなくならないですかね。

本能寺の2ヶ月後の天正10年8月まで生きていたそうですから、神君伊賀越えの際に活躍した養子の井伊直政の話あたりが最終回付近の話題になるのでしょうかね。

そんし


[2017年03月16日12時00分]
お名前: マック
織田信長の幼名は、吉法師である。だからといって
僧籍にあったなど言う人はなし。

さて桶狭間の戦いがあり、次郎法師直虎は、ただ泣いている
だけ、もう見るのは、やめようかな。

[2017年03月15日03時46分]
お名前: マック

次郎法師は存在しているらしい。当主の直盛の嫡子である
ことも間違いない。
直虎が男であったとすると、これはこれで
問題である。

直虎は男性である説を唱える、井伊家後援会の話では
直虎は次郎法師ではあらず、親戚筋になる関口氏からの
養子であるといっている。

まったく合戦、戦場に出た形跡の無い井伊直虎であって
不思議なことである。


余談:
ちなみに徳川家康の正室の生母は、井伊直平の娘らしい。
これは間違いなし。

[2017年02月21日12時13分]
お名前: カーター
直虎が女であったと言う根拠は何かあったのでしょうか?
会話の部分はフィクションでも仕方がないですが、物語の
展開は史実に基づく必要があるでしょう。アイデアが尽きた
のならいっそのこと大河ドラマを一時中止してみてはいかが
でしょう。歴史を題材にしたドラマ派ほかにもあるでしょう。
先日の東京裁判の番組は賛否両論があるでしょうが、面白か
ったです。戦勝国のオランダ、フランス、オーストラリアの
判事が英米のやり方に疑問を持ったと言うのは印象に残りました。


[2017年02月03日23時05分]
お名前: そんし
女城主井伊直虎説を唐突に主張しているのは小和田哲男ひとりだけで、史学の定説にまではとても持ち上げられない、いわば小和田史観なわけですが、それだけで一年間の歴史ドラマを書き上げてしまう脚本家には恐れ入ってしまうわけです。

まあドラマは楽しけりゃいいのですが。
上杉謙信を女にして大河ドラマやるようなものですから。

小和田哲男は静岡県の人だということは古くから知ってましたけれど、教授って肩書きからしてまともな正史学者か御用学者なんだろうと昔は思っていたのですが、いまはちょっとわたしの見方は変わってきています。皆さんはどういう立ち位置の人と認識しているのでしょうかね。

甲陽軍鑑なんて私からみるとトンデモ本にしか感じられないのですが。
まあ感覚の話ですけれどね。われらが仲間みたいで悪い印象はもちろんありませんが。

そんし

[2017年02月03日11時32分]
お名前: マック
井伊直虎の関連本は、さぞ本屋に並んでいると思いますが、
最新本は無くても適当に書いてみよう。

戦国大名総覧 秋田書店
によると、もうこれも古いなあ、平成2年の本だ。

駿河守護の今川氏が遠江の守護も兼任していたこともあったけど、、
一応、戦国時代の遠江の守護は斯波氏。

今川6代目の義忠の時代
遠江の代表的な国人領主は・・・・・・・・
東部】横地城主の横地氏、勝間田城主の勝間田氏
中部】殿谷城主の原氏、見付橋城主の狩野氏、
西部】井伊谷城主の井伊氏、引間城主の大河内氏。

今川6代目の義忠が、遠江の東部】に侵攻して、横地城主の横地氏、
勝間田城主の勝間田氏を討伐に成功する。
しかし凱旋途中に残党に襲われ戦死。

今川6代目の義忠の正妻の兄が、後の北条早雲で、まあ活躍するわけだ。
義忠の嫡子龍王丸は当時6歳。

龍王丸が7代目の今川氏親で、遠江をほぼ完全に領国化に
成功し、三河にも侵攻を開始していた。

今川義元は、この氏親の子供になるわけだ。




[2017年02月02日04時47分]
お名前: そんし
井伊直虎の大河ドラマが始まりましたが、南北朝人間の私は、井伊谷というと真っ先に井伊氏ではなく宗良親王を思い浮かべます。

後醍醐天皇が吉野に逃れて南朝を宣言したころ、再起を測った南朝方は、関東にて南朝方をまとめ上げて京を攻めようと、東に向かいましたが、台風で計画は頓挫してしまいます。

かろうじて助かった家臣団の一派に、宗良親王を擁する、新田義興、北条時行軍団がいました。新田義興は新田義貞の次男、北条時行は北条高時の子で中先代の乱の主役です。

新田義興と北条時行は親同士が宿敵の間柄という関係であり、また、やはり北条時行と宗良親王も親同士が宿敵という奇妙な集まりが、協力して軍団を作っているという不思議な光景でした。

この3人が難破船からかろうじて助かってたどりついた場所が井伊谷城でした。従って井伊氏は南朝方でしたが、やがて足利一門の北朝方今川氏の勢力下におかれてしまいます。

戦国時代の今川氏と井伊氏の微妙な関係は、南北朝の対立以来の対立関係だったわけです。

戦国時代の主要な砦や戦場の多くは、南北朝時代においても、重要な拠点でした。南北朝史を確認すると、戦国時代にボッと注目されたのではなく、古くから要所であったことがよくわかります。

そんし

[2017年01月10日14時05分]
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