テーマ:新羅琴=伽耶琴

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お名前: 素里奈
正倉院には新羅琴が二張り残っている。これは金泥新羅琴とも呼ばれ、『雑物出入帳』に「表は金簿をもって輪草形、鳳形を押す」とある。金箔で文様をあしらっているところから、こう名づけられたようである。琴の胴体は桐の木の一木をくりぬいてつくられ、尾端は羊の耳の形をし、弦は十二本である。新羅琴は伽耶琴(가야금・[kajagum] 名 『楽』  
伽耶琴(かやきん)12本の弦を張った撥弦(はつげん)楽器)・◆伽耶国の于勒(우륵・u-ryeuk.・ウルエク)がこれを新羅につたえたといわれる。正倉院の新羅琴で注目されるのは、琴に紐をつけ頸にかけて弾くようになっていることであって、今日の伽耶琴は李朝時代に改良された。
 
楽器のほかに、東大寺の法会後の会食などに使われた、佐破理加磐・佐破理皿・佐破理匙とよばれる銅に四〜六パーセントの錫、鉛を混入した合金の食器が残っている。佐破理とは鋺などの食器を意味するサバri (sabal/사발・【沙鉢】陶製の鉢。どんぶり) のことで、轆轤びきの鋺 四、五個を順に入り重ねにし、蓋をかぶせているところから加盤(重鋺)とよばれるようになったのだろう。正倉院には、加磐だけでも四百二十六口、皿、匙をくわえると一千点をこえる食器類がある。これらの包装に使った紙に記された文字から、八世紀前半に新羅の公の工房でつくられたものであることが判明している。
 
 佐破理匙のなかには、円匙と楕円匙の二本を一組にして紙で巻き、十組を一束として縄状の紐でしばっているのがあって、輸送用の荷作りをしたままの状態で保存されている。また、正倉院には燭台用の金銅剪子(鋏)があって、これとまったく同じ形式のものが新羅慶州の雁鴨池から見つかっている。このほかに「新羅武家上墨」と陽刻した墨ものこっている。なお、「買新羅者解(かいしらぎものげ)」となづけられた文書によると、大仏開眼会が行われた直後の七五二年六月、鏡や五重鋺、盤、匙箸などの他に唐の文物や東南アジア産の香料、染料を購入している。これらを持ち込んだのはおそらく金泰廉一行に随行した新羅商人で、彼らは唐の沿岸を舞台に活躍していたのである。
 話が横道にそれたが、東大寺は鎮護国家のイデオロギーの総本山となり、クニごとに国分寺と国分尼寺が建立される。新羅は武力で征服した百済と高句麗の民衆を華厳宗をもって手なづけた先輩国だったので、聖武天皇はその経験をとりいれ、「天平」の世をつくろうとしたのだった。
  
(参考文献:和光大学名誉教授・李進煕氏著書『日本文化と朝鮮』NHK Books)
ハングル・ローマ字などの固有名詞の解説は、素里奈加筆による)。


[2009年10月22日22時12分]
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