テーマ:浅間山の噴火

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お名前: K
遺骨は鑑定の結果嫁姑ではなく母娘だったようですね。
なかなかお嫁さんが姑を背負ってまで逃げようとは思わないでしょう…実の息子が背負わないものを嫁が背負ってたまるもんですかって(^^)今の時代に生まれて良かった現代女でした!
[2009年02月03日09時04分]
お名前: ATTILA
 火山学関係を拾い読みしてますが、かなりヤバイようですねぇ・・・

 これも、そんしさん用かな?煙に巻かれないようにご注意
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/news/2000/asama/2004/pic/asama0901d.jpg

http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/news/2000/asama/index.html

 三宅島噴火から4年目になったそうで・・・後輩が、三宅島に移住して、アウトドアライターとかで食えそうになった途端に全島非難でした。
 早く帰れればいいのだが、島の人達は大変です。
[2004年09月21日01時52分]
お名前: そんし
天明の大噴火の時に折り重なって死んでいた人の骨を見て、涙しない人はいないでしょうね。
すぐに思い浮かぶのは、親思いの嫁が、命の危険を顧みず、普段から嫁思いで慈しみ深かった、病気の姑を背負って、そのか細い足で必死に階段を駆け上り、神社の上からは、先に逃げ延びた人々が声を枯らして声援を送る中、あと一歩のところまできたところで、泥流に飲み込まれてしまった様子です。

歴史の真実は、もしかしたら、たまたま偶然に折り重なっただけの二人だったかもしれません。もっとひどい解釈をするなら、老人が逃げる若者に、すがりついてきたのを、必死にふりほどこうとしているあいだに、泥流にふたりとも呑まれてしまったのかもしれません。

でも我々は、そんな解釈は絶対に許さないでしょう。歴史の真実とは、そうやって事実を前に、人の心がつくりだすものです。科学的な考察は、事実以上の想像は許しませんが、本来歴史を発掘したなら、それを見て感じる人の心を理解することが歴史学というものである気がします。

誰かが私欲のためにゆがめて解釈し、これが唯一の歴史事実で、そこに歴史の教訓があるなどと言い出さないように、人は、自分の目で歴史に直接触れて感動する心をいつも持っていたいものです。歴史ファンとは、そういう存在なんでしょうね。

[2004年09月20日08時43分]
お名前: ATTILA
 追分宿じゃなくて、蒲原宿なのかなぁ?自信なしです。(-o-)

1783年(天明3年)噴火
浅間山の天明3年噴火は、その規模や被害の大きさと、江戸時代中期の比較的新しい噴火ということで多くの古記録が残されています。これらの記録を解析してまとめると右図のようになります(天明3年噴火の経緯参照)。新暦の5月8日から始まった噴火活動は、8月2日を境に大噴火に移行し、プリニー式の軽石噴火が激しくなりました。8月4日夕刻には北麓に火砕流が流下し(吾妻火砕流)、8月5日にはやはり北麓に蒲原岩屑なだれが流下して蒲原の集落を飲み込みました。蒲原岩屑なだれは吾妻川に流入し、泥流となって利根川を流れ下り銚子まで到達しました。この蒲原火砕流/土石なだれとそれに伴う泥流による被害者は1400人にものぼりました。噴火の末期には溶岩も流下し,鬼押出し溶岩流と呼ばれています。

http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=BMM7&ac2=&ac3=2861&Page=hpd_view
[2004年09月19日00時53分]
お名前: ATTILA
 これは、そんしさん用かなぁ・・・

「2003年版 浅間山火山防災マップ」より抜粋
http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=BMM7&ac2=&ac3=2859&Page=hpd_view


 そういえば、天明の噴火の時に埋まった追分宿の神社の階段から発掘された人骨二体は、若い女性と古びた女性だったそうですね。若嫁が姑を助けようとして、あと数段というところで火砕流に呑み込まれたと推定されたとか・・・

 今ごろのヤンママには期待できそうにないはなしかな?

[2004年09月19日00時31分]
お名前: ATTILA
 気象庁ご提供のWMV画像でぇ〜す

http://bousai.maechan.net/volcano/asama/tonesabo/kaei/

 北軽方面からの連続スティールでぇ〜す

http://www.kitakaruizawa.net/index-m.htm
[2004年09月16日01時17分]
お名前: 広嗣
 震源が遠くても地質の関係で震度が高くなることはあるようですが、そんしさんの推測通り関係はありそうな気がします。昼前の地震で「たがが外れた」格好になったのではないでしょうか。

 今の時点で観測されている規模の噴火は、21年ぶりだそうですが、果たしてこのままで終わるのか、終わらないのか。普賢岳や三宅島のような規模の大きいものになるのか、ならないのか。仮定の話ですが、大規模な噴火が起きれば、世界的な気象変動もさることながら、普賢岳や三宅島とは比べ物にならない大きな影響を及ぼすことは間違いないでしょう。

 暴災の日の始まりとならなければ良いのですが。


[2004年09月02日00時59分]
お名前: ATTILA
http://www3.nhk.or.jp/news/2004/09/01/k20040901000142.html#

 NHKです
[2004年09月02日00時54分]
お名前: そんし
しばらく前から、私の住んでいるところからも浅間山の白煙がはっきり見えるほど活動が活発になっていたので、気になっていたのですが、今夜噴火したようです。

昼間、福島県のほうを震源とする地震があったのですが、遠くの地震なのに、このへんでも震度3と、いやに震度が高かったで、変な地震だと、みんな話していたところでした。関係あったのでしょうかね。

江戸時代の大噴火のとき、火砕流で全滅した村の発掘調査が行われた事があり、発掘調査に参加した人から、様子を聞いたことがありました。
神社に逃れようとして、老人を背負った若者が、階段を登っている途中に間に合わず、そのままの格好で果てた姿が発掘された様子を写真と一緒に説明を受け、胸を打たれた記憶があります。

まさに今日は関東大震災のあった防災の日。自然災害はこわいですね。

[2004年09月01日21時22分]
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