テーマ:フランス、アルザス、アナール学派

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お名前: ??网
不?的文章,内容气?山河.禁止此消息:nolinkok@163.com
[2017年03月05日04時53分]
お名前: カーター
 昨日の書き込みに間違いがありました。24ページ後にもフリーデリケに
ついての言及がありました。

「フリーデリケはいつもと変わらなかった。彼女はこの関係がやがて終わり
を告げるかもしれないと思いもせず、考えてみようともしなかった。・・・
馬上からもういちど彼女に手をさし延べたとき、彼女の目に涙が浮かんでい
た。」
 それから、8年後にワイマールのカール・アウグスト公に随行してスイス
旅行をした際に、1779年9月25日に再びゲーテはセッセンハイムのフ
リーデリケを訪れたそうです。
(ゲーテはワイマル公国の顧問となっていた。)


[2016年10月04日20時58分]
お名前: カーター
 ゲーテがなぜフリーデリケと別れたかというと、フランクフルトの都会育ちの
ゲーテにとって田舎育ちのフリーデリケはとても田舎臭く見えたということが言
われています。フリーデリケがシュトラスブルクに来た時の様子をゲーテは次の
ように描写しています。

 「このシュトラスブールクの町の訪問はそんなに長くなるはずではなかったが、
しかし出発は延び延びとなった。フリーデリケは社交の娯楽のために自分の努め
を果たし、私もそれを怠らなかった。けれども、田舎ではあれほど豊富にある様
々な遊びの材料も、都会では間もなく種切れになってしまった。それは姉娘の方
が次第に落ち着きをを失って来たので、事態はいっそう具合が悪くなって来た。
集まる人々の中で、ドイツ風の服装をしているのはこの姉妹だけであった。」

 そして彼女らはシュトラスブルグを出発をしたので、ゲーテは肩の荷が下りた
と言っています。ゲーテの自伝である「詩と真実」では彼女たちが出発した後の
ページでは文学論が展開されていますが、40数ページ後に突然フリーデリケの
ことが出てきます。

 「別れを告げた私の手紙に対するフリーデリケの返事は、私の心を引き裂いた。
それは私を手本として、私に似ようとして修養を積んだその筆跡、その心、その
感情そのだった。今にして初めて私は彼女が失った損失の大きを感じた。・・・
グレートヒェン(フランクフルト時代の年上の恋人)は私の手から奪われたのだ
し、アネッテは私を捨て去ったのだ。今度は初めて私に罪があった。私は世にも
美しい心の奥深くを傷つけてしまったのだ。」

 ゲーテは後悔し、他人のことにも関与し別れようとする人たちを結びつけたり
したそうです。しかし、疑問が残ります。それほど後悔したのであれば、なぜゲ
ーテはフランクフルトから再びシュトラスブルグへ向かいフリーデリケのもとに
行かなかったのでしょうか?法律を志すフランクフルトの名士の息子が、アルザ
スの田舎の牧師の娘との結婚はできないというのが当時の常識であったのかもし
れません。この辺は調査が必要です。
 

[2016年10月03日22時00分]
お名前: カーター
 そんしさま、久しぶりにレスを頂きありがとうございます。一人で書いていましたが、
まさか頂けるとは思っていませんでした。最近はお体の調子はよろしいのでしょうか?
 私はシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒエン」のことは知りませんでした。この歌
の歌詞を調べたところ、まさにゲートの「ファウスト」を下にしています。ファウスト
第一部「グレートヒエンの部屋」に次のような詩があります。

グレートヒエン(ひとり糸車に向かって)

   心の落ち着きは今はなく、
  胸はただ重苦し、
  かつての安らぎ今よりは
  とわに帰り来るまじ。
  「ファウスト(一)」新潮文庫より

 「糸をつむぐグレートヒェン」をウィキぺディアで調べるとわかりますが、内容は
上記のファウストにある詩と同じです。この曲を持ってドイツリートが誕生したと書
かれています。リートはドイツ語で「歌」と言う意味です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/糸をつむぐグレートヒェン

 「野ばら」や「糸をつむぐグレートヒェン」が歌い継がれる背景には、ゲートと捨
てられたアルザスのフリーデリケの悲しみに共感するものがあるからでしょうね。

 最後にフリーデリケの肖像画をもう一度どうぞ。どう見てもドイツ的ではありません。
ゲーテの「詩と真実」を読んだのはこのフリーデリケに会いに行きたかったためです。

https://de.wikipedia.org/wiki/Friederike_Brion
[2016年08月05日23時11分]
お名前: そんし
アルザス地方が野バラつながりで、日本人に親しみのある場所という話は興味深く読みました。

野バラに曲をつけた音楽家として、シューベルトとヴェルナーがよく知られていますが、子供の頃からロマン派ご本家のひとりシューベルトの大ファンだった私には、野バラといえばシューベルトとなります。

もしかしたら日本では街角のチャイムなどで、一般にはヴェルナーの野バラのほうが知られているかもしれませんが。

シューベルトは、ゲーテに心酔していたようで、代表作のひとつ「糸をつむぐグレートヒェン」もファウストを原典にしています。クラッシックファンじゃないと、どこがいいのか皆目わからないような曲ですが。

ですから私は「グレートヒェン」と聞くとゲーテより先に、シューベルトが浮かぶというわけです。この曲には、なんとなくシューベルトの本拠地のウィーンのイメージがありましたが、違っていたのですね。

歌曲には「リュート」という分野があるのですが、シューベルトが作曲した「糸をつむぐグレートヒェン」がドイツリュートの草分けの曲として位置づけられていますので、音大の声楽科の学生には必須知識でもあります。ですから、声楽科出の学生にとっては、グレートヒェンで浮かぶのはゲーテではなくシューベルトということになりそうです。

リュートは日本語では歌謡曲となるのですが、今ではクラッシック用語が一般用語になる過程で、大衆音楽という意味に変化してしまいました。

そんし
[2016年08月01日07時59分]
お名前: カーター
 なぜゲーテやその恋人の住んでいたアルザスにこだわるのかと疑
問に思う人がいるかもしれません。それはこの地がドイツとフラン
スの国境にあるからではなく、日本人もドイツ人も良く知っている
あの歌の生まれる元となったからです。それはシューベルトとウェ
ルナーの作曲で有名になったゲーテの詩「野ばら」の舞台だからで
す。

 「わらべは見たり、野中のばら、
  清らに咲けるその色めでつ、飽かずながむ、
  紅におう野中のばら。」

 この童はドイツ語ではKnabe つまり少年で、野ばらはゲーテが愛
したアルザスの乙女フリーデリケのことを意味しているのです。

 高橋健二訳の訳詩を見ると次のような表現があります。

 「小ばらは言った「私は刺します、いつも私を忘れぬように。
  めったに折られぬ私です。」
  ・・・
  小バラは防ぎ刺したけれど、泣き声、ため息、かいもなく、
  折られてしまった、是非もなく。・・・」
       新潮文庫、ゲーテ詩集より

 ゲーテに捨てられたフリーデリケは仕返しをしようにもできず、
ただなき悲しむしかなかった気持ちが、小ばらが刺すと言う詩的な
表現で書かれているのです。

 ゲーテに捨てられたフリーデリケは一生独身で過ごしたそうです。
ゲーテは一生このことを後悔し、罪過の念からフリーデリケを「フ
ァウスト」にグレートヒエンと言う名前で登場させます。ファウス
トのグレートヒエンはアルザスのフリーデリケがモデルなのです。

 ファウストの中のグレートヒエンは、次ようにつぶやきます。

  「ああ、苦しい、苦しいわ。心の中を往ったり来たりする、
   どうしようもないこの苦しみからなんとかして
   逃れられないものかしら。」
 
 ファウストを若い時に読んだ時には、フリーデリケのことは全く
知りませんでした。2010年にアルザスを再訪し、フリーデリケ
のことを知り、ゲーテの自伝である「詩と真実」を読むことでその
詳細を知ることができました。

 このフリーデリケの肖像画は前回の書き込みで紹介しましたが、
どう見てもゲルマン的なすらりとした高い背、金髪、細長い顔では
ありません。日本人にもいそうな丸い顔ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=reh-2P7AP4M

http://www.geocities.jp/lune_monogatari/heienroslein.html

[2016年03月18日23時27分]
お名前: カーター
 30年前に初めて仕事でフランスのアルザス地方へ行きました。
その頃からアルザスの民族衣装で女性が頭に大きなリボンを付けて
いるのが気になっていました。

 それから2010年にアルザスを再訪し、ゲーテがアルザスに来
ていたこと、ゲーテが捨てた恋人であるフリーデリケの肖像画には
彼女が頭に黒い大きなリボンをしていることも知りました。黒いリ
ボンはプロテスタントの象徴と言われています。

 最近妙にこのリボンが気になり、数ヶ月前にブルターニュ地方の
女性はコアフと言う白いレースの被り物を着けると言う内容のテレ
ビの番組を見ました。それからあの気になっていたアルザスの黒い
リボンはブルターニュと同じようにケルトの伝統ではないかと思う
ようになりました。

 ネットで調べるとドイツよりもフランスの方が好きなHANSI と言
う画家が書いた「アルザスの歴史」の中で「ケルト人がアルザスに
そしてフランスに住んでいた。」とアルザス人がフランス人と同じ
ケルト系であると主張しているのを見つけました。元々アルザスに
はケルト人が住んでいたのですが、ローマ人が征服し後にゲルマン
系のアレマン人が住み着き、現在はゲルマン系の文化が残っている
ものです。

 コアフの伝統を持つ地方は、WIKIPEDIAによればノルマンディー
ブルターニュ、アルザス、プロヴァンスといずれもフランスの辺境
です。フランス人とは元々はローマ化したケルト系の民族ですが、
後にゲルマン系のフランク人に征服された人々のことです。

 アルザスにはドイツ系の文化が残りましたが、基底にあるのはロ
ーマ人の支配を受ける前のケルトの文化ではないでしょうか?ゲル
マン系のアレマン人が侵入してもケルトの伝統であるリボンは残り
宗教改革の後にプロテスタントであることを主張するため、ブルタ
ーニュのコアフと同じ色の白いリボンは黒く変わった。これは私が
考えた仮説です。アルザスの博物館などを訪問して調査する必要が
ありそうです。

https://de.wikipedia.org/wiki/Friederike_Brion

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A2%E3%83%95

http://yaplog.jp/aizienne/archive/454

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol12-3/nakamoto.pdf

[2016年03月04日23時54分]
お名前: カーター
 広嗣様、ご説明頂きありがとうございます。
鈴木晶子先生とは下記のような人ですね。ドイツですごい勉強をされて、
ドイツ文学や哲学の背後にあるギリシャ的、ローマ的なものを指導教官か
ら学んだと言われています。普通の人ならここまで勉強を続ける前にギブ
アップしますから、尋常の人ではないと思われます。

http://www.cwr.kyoto-u.ac.jp/rensai/2009/08/0107suzuki.php


 フィリップ・アリエスと言う人はアナール学派で日曜歴史家と言われた
人で心性史を研究された人のようです。「子供の誕生」とか「教育の誕
生」とか言う本があります。このような研究の際に、ギリシャ時代の教師
について考えたのかもしれません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%B9

[2013年10月28日21時47分]
お名前: 広嗣
 教師が奴隷の身分とされた理由は分かりません。古代ギリシアで教師は今で言う家庭教師にあたります。生徒と起居を共にし、「学校」にも行っています。この「学校」がどういうものだったのか、説明はありませんでした。

 アリストテレスは出身地の置かれていた状況や教師という職業から奴隷であった可能性は高いです。

 放送授業の中で担当講師の鈴木晶子氏は「フリーランス」という言葉を使っていました。フリーランスと言えば、組織に属さず自身の力で収入を得る人々です。能力と運に恵まれれば、更に良い条件で使用者を見付けることが可能だったと言えます。

 古代ギリシアの奴隷は、それぞれに独立して生計を維持できたわけです。教師以外に奴隷が従事した職業に船乗り、家内使用人、野外作業人、商店や事務所の書記、会計係などがありました。こうして見ると、古代ギリシアの奴隷は、生まれた地でそれなりの教育を受けた人が多く、戦争で負けてその地に連れてこられなければその地で立派に市民として生きられた人々だと言えます。

 余談ですが、市民の生業は何だったのでしょうか。印刷教材に「公職」という文言があるので、軍人や文民としての官吏、今で言う公務員になっていたのでしょうか。

 教師と生徒の関係については特に触れていません。フィリップ・アリエスという名前が、放送授業中に出てきましたが、こちらは後日また触れる機会があるとのことでした。


[2013年10月27日08時05分]
お名前: カーター
 広嗣様、放送大学の「教育文化論特論」を学ばれているそうで素晴らし
いですね。私は2年間やったので疲れたのと退職後のごたごたがあるの
で、今期は休んでいます。
 アナール学派に教育学の分野からのアプローチとは面白いですね。教師
が奴隷であったのは、おそらく戦争で負けたか何かの理由によるのでしょ
うか。アリストテレスはアレクサンダーの教師でしたが、トラキア生まれ
でトラキアはマケドニアの支配下にあったそうです。そうすると、アリス
トテレスは奴隷の身分だったのでしょうか。
 若い高級な身分の市民と高齢で身分の低い教師の間の関係について、も
し「教育文化論特論」のテキストはどのような内容になっているのかご紹
介頂ければありがたいです。この関係を分析したアナール学派の歴史家は
誰なのでしょうか。
[2013年10月19日10時32分]
お名前: 広嗣
 えっと・・・、途中で「書き込み」をクリックしてしまいましたが、元々「教育文化論特論」でアナール学派に触れたのは、例えば古代ギリシアの師弟関係における感情などがどのようなものだったかを探求しようとした人々が、アナール学派だったというわけです。

 古代ギリシアでは教師は奴隷でした。古代ギリシアの都市は、市民、在留外国人、人口の多くを占めた奴隷で構成されていました。現在ではアメリカ合衆国の奴隷像から使用人に鞭打たれて肉体労働に酷使される人々の印象が強いですが、古代ギリシアでは違いました。しかし奴隷である以上身分は低く、かつ教師は高齢の人物がなっていました。

 若い高級な身分の(?)市民と高齢で身分の低い教師の間にどのような感情の行き来があったのか、そこにアナール学派は着目したわけです。


[2013年10月19日08時25分]
お名前: 広嗣
 アナール学派(L'école des Annales)は「年代記」や「紀要」を意味する「annales」を題名とする雑誌を発行していたことからこう呼ばれています。

 放送大学の「教育文化論特論」でアナール学派に触れていたので、書き込みをしたくなりました。

 ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AD%A6%E6%B4%BE によると、「旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている。」と定義付ています。謂わばアナール学派は学際的な歴史学と言え、教育文化論も学際的な教育学と言えます。そういうことでアナール学派が出てきたのでしょう。


[2013年10月19日08時13分]
お名前: カーター
 先のストラスブール訪問でゲーテがストラスブールに留学してい
たこと、またアルザス州セッセンハイムの牧師の娘であるフレデリ
ケをゲーテが愛しながら、彼女を捨てて自分の学業のためにフラン
クフルトに戻ったことが妙に気になりました。
 色々調べている内に、その辺の事情がゲーテの自伝である「詩と
真実」に書かれていることを知り9月頃から読み始めています。
ゲーテが子供の時に、フランクフルトの裕福な貴族の家系であった
ため、ゲーテの家がフランス軍の司令官の居住地になったことが記
されており世界史的に見ても興味深いです。
 ゲーテの最初の恋人と言われるグレートヒエンとの恋は、ゲーテ
が詐欺事件に巻き込まれたことを契機にグレートヒエンがゲーテの
元から去ったと言う経緯も記されています。ゲーテは一時ライプチ
ヒへ法律を学ぶために留学した後、一旦フランクフルトに戻って来
ますが、教育熱心な父親を避けるために今度はストラスブールへ留
学します。
 ストラスブールのあるアルザス地方は1648年の30年戦争後
にフランスに割譲され、ゲーテ(1749年〜1832年)の時代
にはストラスブールはフランス領でした。ゲーテは「この地は取り
返さなければならない」と述べています。

 最近ストラスブールは、NHKの「世界ふれあい街歩き」と言う番
組でも紹介されたので、見られた人も多いと思います。番組の紹介
は下記です。

http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/detail/arukikata/101210.html

 今日のテレビで有楽町の国際フォーラムで行われているマルシェ
ドノエル(クリスマス市場)が紹介されていました。12月25日
まで行われていますので、東京在住あるいは仕事の方は行ってみら
れてはいかがでしょうか?

http://plaza.rakuten.co.jp/gateau2006/diary/201012110000/

http://www.t-i-forum.co.jp/noel/outline/

[2010年12月19日14時36分]
お名前: 訂正
アンリ・ピレンヌはフランスの歴史家と言うよりベルギー
生まれの歴史家でした。詳しくは下記をどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・ピレンヌ

[2010年09月23日14時40分]
お名前: カーター
 マルク・ブロック著の「奇妙な敗北」岩波書店を読み終わり
ました。マルク・ブロックはフランスの歴史家で1929年に
リシュアン・フェーブルと共に「アナール」誌を創刊し、著書
には「封建社会」「フランス農村史の基本性格」「歴史のため
の弁明」などがあります。フランスのリヨンに生まれましたが
先祖はアルザス出身のユダヤ人です。1919年〜36年の間
にストラスブール大学で教鞭ととっていました。1944年3
月にレジスタンス活動中にゲシュタポに逮捕され銃殺されまし
た。
 私は学生時代に「歴史のための弁明」を読み感銘を受けまし
た。その考え方とはブロックがアンリ・ピレンヌ(フランスの
歴史家でブロックの師)といっしょにストックホルムに行った
時に次のように語ったものです。「われわれがそこに着くやい
なや、彼は私に言った、『まず何を見ることにしようか。ま新
しい市庁があるようだから、まずあれから始めようではないか
』と。・・・『もし、私が好古家であるならば、古いものしか
注意しないだろう。けれども私は歴史家である。だから私は生
活を愛する』と。生きているものを理解するこのような能力、
これこそまさしく歴史家の優れた能力である。」
     「歴史のための弁明」岩波書店
 歴史とは単に政治史だけでなく、社会経済史から始まって生
活史まで含み、全体を見る眼が必要だと言っています。また、
時間軸で見る見方はブローデルの「地中海」藤原書店が有名で
す。

 冒頭の「奇妙な敗北」でブロックはフランスのナチスに対す
る敗北について「わが軍の司令官たちは、山積みする矛盾の中
で、1940年において、1915〜18年の戦争をそのまま
なぞるつもりだったのだ。ドイツ軍の方は、1940年の戦争
をしていたのである。」と述べています。
 つまり、フランス軍の指揮系統は古くさい官僚的なもので連
絡が悪く、ドイツ軍の装備は飛行機や戦車といった近代的な機
械によるものであったのに対してフランス軍には車はおろか、
バイクさえ十分に配備されていなかったと言うものです。
 また、「ナチの革命は『驚異と新奇』を理解する能力のある
者たちを軍であろうと、国家であろうと指揮官にすえた。」と
も述べています。また、フランス軍の幹部には老人が多いがド
イツ軍は全般に若く見えるとも言っています。大鑑巨砲主義に
陥り、レーダーなど電波兵器を軽視して敗北した日本もフラン
スと同じく古い考え方によっていました。

 アナール学派の著書にはリシュアン・フェーブルの「フラン
スのルネッサンス」、「歴史のための戦い」、フェルナン・ブ
ローデルの「歴史入門」「地中海」などがあり、日本人では福
井憲彦氏の「新しい歴史学とは何か」講談社学術文庫、「時間
と習俗の歴史」筑摩文庫などがあります。

[2010年09月18日17時38分]
お名前: カーター
 17年前にストラスブールに行った時に写真ガイドブックの
「アルザス歴史と情趣」と購入し、最近ほこりを払って読み始
めています。
 ストラスブールの北にセッセンハイムと言う村があるのです
が、ストラスブール大学で勉強していたゲーテはフレデリケと
言う娘と恋に落ちました。しかし、ゲーテは勉学の必要を感じ
てフレデリケを別れてフランクフルトに帰りました。そのフレ
デリケとの恋を歌った詩が「野ばら」であり、ウェルナーやシ
ューベルトの歌になったものです。

http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/gardennobara2.html

 現代の価値観で当時のゲーテの決断を非難することはできま
せんが、納得がいかず色々調べていますが、良くわかりません
。ゲーテは貴族の生まれでしたが、フレデリケは牧師の娘であ
り身分が違っていたためだとも言われています。
 アルザスでもう一つ日本人に馴染み深いのが約20年前にフ
ジテレビのドラマとなった「アルザスの青い空」です。ニーダ
ーモルシュヴィールと言う村が舞台になったそうです。坂口良
子と山下真司が主演したそうです。

http://www.ac.auone-net.jp/~s-masaki/sub5-3.htm

[2010年09月05日17時11分]
お名前: カーター
7月にストラスブールに行った時にホテルに迎えに来てくれたの25
年来の知り合いのバイヤーですが、彼の車ははベンツのMクラスディー
ゼル車でした。ストラスブールから郊外へドライブに行き、こぎれいな
レストランに入ろうとしたのですが、7月からバケーションで店は休み
になっていました。営業しているレストランに入るとドイツ人の年配の
観光客でいっぱいになっていました。
 ドイツが第二次大戦で負けてからストラスブールを引き上げドイツへ戻っ
て行ったドイツ人達は結構たくさんいるそうで、昔の思い出に浸っているよ
うでした。今回はスペインの客の所へ行ってからパリ経由でストラスブール
へ来た時に、パリの税関の若い職員が英語ができず、フランス語で言われて
困ったが、黒人のフランス人職員がすぐに英語で搭乗券のことだと言ってく
れて助かりました。バイヤーにそのことを話すと彼は「我々は英語を話す。
我々はフランス人ではないからだ。・・・我々はアルザス人だ。フランスと
ドイツの双方の文化を持っているのだ。アルザスは日本人にも評価されてい
る。日系企業の工場も多い。東京の銀座でアルザス物産展が予定されてい
る。」などと良くしゃべります。車を走らせて商談のために会社へ向かう車
の中で次のような話となりました。
 「アメリカ的な価値観が全盛を極めたので、金融危機になった。フランス
の被害はイギリスやドイツに比べて少ない。新自由主義に走らなかったから
だ。ミッテランの時代に社会主義となった後に、一部揺り戻しがあったが、
国有企業をはじめとして公的な機関はフランスには多く、民間企業ほど影響
は受けていない。・・・あの黒人を見てみろ。幸せそうだろう。アメリカの
ような格差はないのだ。これでいいのだ。」
 通貨がユーロになってから、両替の仕事が少なくなったからか銀行は両替
業務を中止していました。そしたらどこで両替をすればいいのかと聞いたと
ころ、郵便局だとのことでホテルのとなりにポストがあり、公務員の女性が
フランス語で両替をしてくれました。でも、となりに黒人の紳士が英語で説
明してくれたので何とかなりました。日本には大阪に友達がいるので良く行
っているとのことでした。
 翌日、エンツハイム空港へは電車(フランス国鉄)で行きましたが、切符
の買い方がわからないので、駅員に聞いたところ英語でちゃんと説明してく
れたので助かりました。何でも民営化すればいいと言うわけではなく、国営
でもちゃんと機能している企業があるのです。まさにフレンチバラドックス
です。(下記参照)

http://www.amazon.co.jp/フレンチ・パラドックス-榊原-英資/dp/4163726802

http://www.lochol.jp/News/news01_1.html

[2010年08月28日21時30分]
お名前: カーター
 今年の7月に17年ぶりにフランスのアルザス地方のストラスブールを仕事で訪
問しました。25年前に始めたアルザス近郊にある会社とのビジネスが2000年
以来途絶え、世の中も変わったため復活のために訪問したものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ストラスブール

 ストラスブールの大聖堂及び町並みは古くなった感じはあるものの17年前とほ
とんど変わっていません。大聖堂のある広場の中にあったメリーゴーランドは古く
なったのか動いていませんでした。

http://blumchen.blog13.fc2.com/blog-entry-337.html

 初日はグーテンベルグの像がある広場のレストランBrasserie "Au Guthenberg"
で夕食しました。ハンバーグとジャガイモ、パンとビールと言う粗末なものです。

 この地は、元々ケルト人が住んでいてローマ時代に要塞ができドイツ人が入って
来てからライン河の水運による交易を利用した町ができたものです。最初は神聖
ローマ帝国に属しゲルマン社会の中で北方のハンブルグなどと同じように自由都市
として発展して来ました。しかし、17世紀にルイ14世の時代にフランスとな
り、普仏戦争後にドイツとなりシュトラスブルグと呼ばれ、その後第一次大戦、第
二次大戦を経て、独仏の間を行き来し、現在はフランス風にストラスブールと呼ば
れています。

 サラリーマン生活30数年で最初の出張がドイツのハノーバーであり、その後デ
ュッセフドルフ、ミュンヘンなどを訪れ、長らくドイツ的なものにあこがれてい
ましたが、今回ようやくフランス的なもの目覚めたような気がします。帰国後にす
ぐに中公新書の「フランス三昧」、「ストラスブールの歴史」と言う本を読み、8
月からNHKテレビのフランス語講座を見始めたり、また最近若い時に影響を受けた
フランスを代表する歴史家でアナール学派を創始したマルクブロックの本「奇妙な
敗北」も読み始めました。

 今後、このスレッドでマルク・ブロックやアナール学派について紹介して参りま
す。アナール学派で現在巨匠と言われるのは名作「地中海」を著したフェルナン・
ブローデルですが、その基礎を作ったマルク・ブロックはユダヤ系フランス人であ
りストラスブール大学を卒業しています。

 このように現在のヨーロッパを考えるのに、フランスとドイツの抗争の場となり
ユダヤ人が最もフランスで多かったアルザス地方について学び、欧州議会が置かれ
ているストラスブールの歴史を研究することは意味があるのではないかと考えてい
る今日この頃です。その手法は政治史でだけでなく社会経済史を重視し、個別のみ
ならず全体を見る視点を取るアナール学派のものです。

 今後、アルザス、ストラスブール、マルク・ブロック、アナール学派などドイツ
との対立的な視点からフランス的なものについて書いて行きます。

[2010年08月22日12時01分]
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