テーマ:「繋がれば力」は誤り。

書き込み欄へ テーマ一覧に戻る
お名前: おおっと(ootto)避けてきた
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E4%BA%BA
 殆どウィキペディアですが。
  ローマと蛮族の土地購入は、半分が原則で、自作地一、小作地一というのがありまして、
 人口が希薄になった地域では、歓迎され、そうでない地域では、紛争という
 相場が受け入れられたか?
  ヴァンダル人の戦闘員の比率が何故あれほど高かったという疑問に
 答えているようです。
  名将「ヴェリサリウス」が、あっいたのと言ったとか。
 この人は「テマ」と言われる軍管区の申し子のような人で、普遍主義による、
 野戦機動軍の創設という軍事史に残る業績を残しました。
  傭兵に多数のフン族が登用されていた事に、異を唱え、給与の高額化を嘆き
 ました。
  宗教的な普遍主義とは明らかにことなるのですが、現在のイスラエルが、
 教会主義を法律に取り込み、明らかに現行議論を停止していうよです。
 つまり、普遍主義を尊重しているわけです。

  江戸通
[2008年01月19日02時16分]
お名前: 更に、格子状隊列
 バンダル人の侵入により、ローマの秩序は、
至処で寸断されます。
http://shuncolle.nifty.com/shuncolle/word/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E4%BA%BA.htm
 いまのオランダ周辺に住んでいた、ゲルマン人の一部が、旱魃とも
陥没とも言われる、地殻変動の結果、流民化したものではないかと?
 丘では、農民であった西ゴート人は、海に入ると海賊となり地中海を
略奪して回るということがありました。
 なかでも、バンダル人の攻略方法は、集団の4割以上が、兵士となる
すさまじいもので、数多くの都市や街が攻略されましたが、ローマ皇帝や、
法王がとった方策を無効にするように、守備兵の少ない街を狙ったらしい。
 何時しか、アッチラ王亡きあとのフン人騎兵を傭兵とする部隊を討伐軍に
編成していました。
 長年、外交のあったヌミディア騎兵は、砂漠の向こう、サハラの反対側に
中心を移したものと思われていたらしい。
 末期のローマ帝国は、傭兵とそれにまつわる外交問題など、関心を示す
余裕などなくしたらしい。
 フン人の故郷は、中国ということでは、一致していますが、故国というと
どのあたりを示すのか興味あるところですね。
 アッチラ王を基準にすれば、黒海周辺ということになるのですが、不明です。
 また、この頃のフン人は、キリスト教に同調するものが多く、アッチラ王の
早すぎた死は、天罰だと言うものが多かったとか。
 格子状に隊列をくむのは、一列と二列が交互に入れ替わり易くする為で、
大体、縦10人、横16人程度を一小隊とす部隊毎に、交代したようです。
 また、第三列は、投槍一本の他に、長槍を持ち密集隊形で攻撃が可能な隊列
をしていたようです。
 騎兵を両翼に配置するというのは、アレキサンダー三世以来の方法で、用兵が
巧みでなければ難しいらしい。
 ペルシヤでの対戦では、心持端の方に、アレキサンダー三世の戦車や騎兵が集中
するナポレオンのような用兵による包囲殲滅の図が残っています。

  江戸通
  
[2008年01月15日22時48分]
お名前: 格子状隊列
 ローマ中隊のクインカンス隊列(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Legion.png
 殆ど、ウィキペディアからの引用ですね。m(__)m
 第一列と第二列は、装備は同じ、長めの盾と冑、武器は、投槍
 第三列は、盾と冑、チェーンメイル(鎖帷子)武器は長い槍
 この他に、第一列に皮の冑と簡単な盾を持った、軽装歩兵が散開する。
 という様式が一般的だったようです。
  第三列は、裕福な子弟や古参の者が多く密集隊形も可能な隊列だった
 ようです。
  イタリアにあったギリシア系諸都市の戦争で、マケドニアの密集隊形や
 象との戦闘も経験はあったようですが、特に象との戦闘には、不得手だった
 ようです。
  ザマの会戦でこの頃、よく言われるようになったのは、この中隊の隊列に
 象侵入経路を作り、象を通して戦闘したということです。単に、アフリカに
 渡ったということではなく、アフリカ象の習性も熟知した結果、得意の隊列
 に像の道を造ることも可能だったということです。
  司令官は、平時は、執政官という二人制の大統領が兼任することが、普通
 なので、大統領権限の行使で戦争するので、ある程度、司令官の個性が尊重
 されていますので、細部が不定です。
  第三列は、元老院階級のもの含まれ、第三列の投入という場面は、不吉の
 というより形勢不利の場面が多かったようです。


  江戸通
 


[2008年01月13日10時51分]
お名前: ハンニバル戦争
 正月特番に促されてのちょと端折って行きます。
 イタリアを粗(ほぼ)統一したローマは、シチリア領有を巡って、
隣国カルタゴと戦争になります。
 カルタゴは商業国家で、ローマは農業国家という対立もあったのですが、
この戦争が、様相を一変させました。
 ハンニバル(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB
 この戦争は、かならずしもカルタゴが仕掛けたとは言い難く、
ローマの商業組合が再三、元老院に救援を求めていたが無視されていた事が、
背景にはあります。
 ローマは、市民皆兵が原則ですが、この原則が、十年に渡る戦争で、
壊れはじめ、なかでも、カンネーの戦いで8万7千の民兵が喪失という
事態で、大変なことになりました。
 スキピオという名門貴族をアフリカに派遣することは、
ベルベル人(ヌミディア人)と交渉し、傭兵交渉を許すと言う
賭けを元老院が許可した事になりました。

 スキピオ.アフリカヌスの記事(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
 騎士という言葉は、ラテン語では、元がはっきりしませんが、
第二列というラテン語が、裕福な家庭の子弟で構成されており、
馬を飼う習慣があったことから、騎士と何時しか呼ばれ、軍役
にも騎乗で参加することがあったので、騎士というのではないか
と考えています。
 補助兵種として外国人が傭兵として参加する始めとなり、現在でも
モロッカがその国なのですが、当時は、砂漠の奥の国とされ交渉が困難
でした。
 当然、給料の要求も高かったのですが、ローマとしては、第二列として
の騎士階級が始動をする事になりました。
 また。アウグステヌスの「告白」にあるようにもし、声が大きければ、
ベルベル人の聞く事になり、アウグステヌスも救援を受けたであろうという
外国人の雇用合戦まで尾引く一大事になってしまいました。
 ハンニバル.バルカは、黒海で毒を呷り、スキピオは、ローマで倒れた。

  江戸通
[2008年01月12日23時14分]
お名前: 古い話
 実際のところ、王制時代の記録は、不明確な点が多い。
残された記録には、コレギオ(?)ラテン語は、ローマ文字
をそのまま読むことがおおいので、これでいいと思われる。
 このコレギオ(組合)、建築家、大工、石工と多様な組合
があり、中世にいたるまで存続した組合の記録は、王制時代
に成立したものである。
 王制期の動員体制は、殆ど記憶になかったが、組合ということ
では、思い出すことがあるのです。
 柘植久慶(つげひさよし)さんの「戦争で読む『ローマ帝国史』
建国から滅亡に至る365の戦い」 PHP文庫を読んで思い出した。
というところです。記事の大半は、柘植さんによることになりますね。
 フリーメーソンも古代の組合を継承するという自負があるようで、
4つのロッジを統合して近代フリーメーソンを作ったというイギリス
でも、後国民統合本部となるロッジ以外に、スコットランドに発生した、
古代派があり、古典古代以来の伝統を継承を主張しているようです。
 広く知られているようにフリーメーソンは、石工の組合が、バンダル人
の侵入で、破棄された勅令に対抗するため、宮仕えの職人という一般的な
方法以外で、時の権力に特許を得た組合が源です。
 領主に使える人では、人数の点でも技術の継承という点でも、汎ヨーロッパ
的な組織が必要という建築現場の要請もあったようです。
 帝政期にもあっても、元首布告の形で、組合の存続は政治と引き換えに
許容されていたようです。多くは、全ての組織は、政治への介入を行なう
要素をもつ、故にXXXXに対して(徒)党を禁ずるというような形の、一見矛盾する
ような勅令で、組合の政治活動を禁止し、組合を保護従属させていること
が、近年多数発見されています。
 ラテン地域(ラチウム)は、小アジアからの殖民都市が、ローマ、エトルリア
以外にもありイタリアでもかなりの先進地域であり、北のガリア人など明らかに
後進的な地域と隣接しており、平和的な発展は望めない状況にあったのは、
確実だったようです。他地域に比べ、遥かに軍事的な怪物都市ローマという性格
は、かなり以前から見られるようです。


江戸通
[2007年11月17日11時37分]
お名前: 法の公布
 古典古代では、法律は、

 a,砂に書いておく
 b,チョーク(石膏石、しっくいの欠片)で板に書く
 c,同じく              外に書く
 d、銅版に釘で書く
 e,石に刻む
 と色々な方法がありました。
  ギリシアでは、議場の広場に砂を撒き、一指し指で法案を書いておき、
 そのまま、法律にするという古風な方法が好まれたらしいですね。
 地震や雷でもないかぎりそのまま残る事が多い、ギリシアの風土を活かして
 いますね。
  ローマでは、机の上に古参議員が、指で盛られた砂に法律を書くという
 方法に発展したらしい。
 有名な「十二表法」等は、人民をにらんで銅の板に、鉄の釘状のもので、
 法律を書き、外に飾ったということで、平民と貴族の対立を表面沙汰にした
 いい例ですね。
  この、共和制発足の下になった法案を、まったく覚えていませんでしたね。
 王様は、息子がぐれたので、遠征先で追放処分になり、なんと14年に渡り、
 ラチウムを舞台にローマ侵入を試み、失敗してしまいました。
  一時は、北ラチウムは、エトルリア南ラチウムはローマといった版図を発生
 しましたが、ローマ市とラチウムという無難な政体に落ち着きました。
  これにより、小アジアからの移民が多かったこの地域は、ローマ市が、
 プリアモスの末裔という名誉を勝ち取ったのです。
  貴族と平民という政体は、内戦の結果でした。数学的な、5分割案は、机上
 の空論となりました。
  色々な史料に登場しますが、源法案は、机上に消えました。

  江戸通

[2007年10月27日00時56分]
お名前: 江戸通
 1l=149円、
 と
  「繋がるの終焉」
 収斂を目指して野心的な投稿を志します。
 
 ローマ共和制が、発足した当時のローマ軍の軍制。
 第一階級
   百人隊 80隊 騎兵 18隊 1800騎 工兵200名
   鉄冑 銅盾 胸甲
 第二階級
   百人隊 20隊
   鉄冑 木盾
 第三階級
   百人隊 20隊
   鉄冑 木盾
 第四階級
   百人隊 20隊
   投槍
 第五階級 
   百人隊 30隊
   石  但し 貧民層を含めて 6万人の動員が可能

 という、法が施行され針さ出されていたらしい。なにぶん、司令員であった
 王が遠征中に追放されていたので、実際に如何運用されたかは謎です。
  このような、動員体制で、文化的にも技術的にも遥かに高度なエトルリア
 をラテン同盟が征服したところで、ローマ共和制が始まりました。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/profile/608.htm
 常に、元老院が民意を代表する。民会の多数派は元老院であり民会は、
 民意の平均に過ぎない。是に、対抗するのは、「兵員会」であるかも
 知れない。
  武装自弁、国民皆兵の市政です。


 江戸通

[2007年10月13日01時06分]
このテーマについての発言をどうぞ。(管理の都合上書き込み時のIP情報を内部保存しております)
氏名 削除コード
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。