テーマ:李綾

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お名前: 子路
題名が間違って『李綾』になってますぜ。
[2006年11月30日18時50分]
お名前: カーター
>司馬遷以外は武帝の怒りを買うのを恐れて沈黙したり迎合したのでしょうね。こ
>うした行動は、現代でもちょくちょく見られるものです。

 広嗣さんレスをありがとうございます。司馬遷は、李陵と友人であったために、
弁護したのでなく、自分の正しいと信じる意見を述べたのです。「李陵は、五千に
満たぬ歩兵を率い、深く敵地に入って数万の軍勢を抑え、敵に死傷者を収容するい
とまさえ与えなかったのです。 」
 司馬遷は、武帝の怒りを買い宮刑(刑罰として去勢する)を受けましたが、自決
の道は選びませんでした。「死んで後世に文名を残せないのを恥じたからです。富
貴でありながら、その名が磨滅した人は数えきれません。すぐれた、非常の人だけ
が、その名をたたえられるのです。西伯(周の文王)は拘留されて『周易』を作
り、孔子は漂泊の旅に窮して『春秋』をものにし、屈原は追放されて『離騒』を詠
み、・・・」   「ものがたり史記」陳舜臣著、朝日文庫

 日本に司馬遷のような人物はいますかね。権力に迎合する人はたくさんいますが
信念を貫く人は、平沼赳夫くらいですか。
[2006年02月04日23時13分]
お名前: 広嗣   URL
>李陵は漢の武帝の時代に辺境に派遣され匈奴の大軍と戦い、俘虜となった武将です。捕虜となった李陵を漢帝は裁判にかけますが、司馬遷がのみが弁護にあたりかえって司馬遷は宮刑を加えられました。

 アジア・太平洋戦争(世界史としては第二次世界大戦?)中の「戦陣訓」ではないですが、「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」ということなのでしょうか。

 司馬遷以外は武帝の怒りを買うのを恐れて沈黙したり迎合したのでしょうね。こうした行動は、現代でもちょくちょく見られるものです。


[2006年01月29日21時57分]
お名前: カーター
「李陵」は、中島敦によって書かれました。戦時中に短編を多数発表した作家で
す。李陵は漢の武帝の時代に辺境に派遣され匈奴の大軍と戦い、俘虜となった武将
です。捕虜となった李陵を漢帝は裁判にかけますが、司馬遷がのみが弁護にあたり
かえって司馬遷は宮刑を加えられました。
 「マケドニア」のスキットで述べたアレクサンダーの軍がスキタイの軍に悩まさ
れた漸減戦術について、中島の李陵には匈奴の戦法について次のように記されてい
ます。

「李陵が全軍を停めて、戦闘の体形をとらせれば、敵は馬を駆って遠く退き、博戦
を避ける。再び行軍を始めれば、又近づいて来て矢を射かける。行進の速度が著し
く減ずるのはもとより、死傷者も一日ずつ確実に殖えて行くのである。飢え疲れた
旅人の後をつける曠野の狼のように、匈奴の兵はこの戦法を続けつつ執念深く追っ
て来る。少しづつ傷つけて行った揚げ句、何時かは最後の止めを刺そうとその機会
を窺っているのである。」
         「李陵・山月記」中島敦、新潮文庫

 狼のように執念深いと言う表現はうまいですね。モンゴル族が狼の子孫であると
言う伝説があるのもうなづけます。この小説「李陵」は、「漢書」の「李広蘇建伝
」「匈奴伝」「司馬遷伝」を原典としていますが、昭和19年に中国語に翻訳され
中国でも読まれたといいますから、いかのこの作品が優れていたかと言う事でしょ
う。

[2006年01月28日11時40分]
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