テーマ:神社史

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お名前: カーター
 私の両親は山口県の柳井市出身で、下記の神社に関係していた
ようです。氏子と言うのは先祖代々近くに住んでいる人々の事を
言うのだと思います。両親は柳井から岩国に出て来ていますから
氏子と言う意識はなかったと思います。しかし、3年前の両親の
30周年の法事の際には、この神社の上山さんと言う神主にお願
いしたようです。もちろん私の場合は埼玉まで来ていますので、
すでに氏子とは言えないでしょう。

http://www.yanaicci.or.jp/yanai/famous/s-ootara.html

https://www.youtube.com/watch?v=2cKb0u2fGRY

 私の妻の両親は下記のような狐の嫁入りで有名な山口県の下松
市の法静寺の檀家でした。道路をはさんで向かいがお寺なのです。
ですから何か行事がある毎に、義母はお稲荷さんに参ったりお手
伝いに行ったりと忙しかったようです。現在妻の実家は妻の妹が
守っているのですが、お寺の世話はしておりません。ましてや、
埼玉に来ている私の妻に檀家の意識はありません。

http://www.yanaicci.or.jp/yanai/famous/s-ootara.html

 氏子であるとか檀家であるとかは本人がそう思うかによってい
るのではないでしょうか?結合がゆるいのですね。

[2016年02月15日21時52分]
お名前: 広嗣
 カーターさん、レスをありがとうございます。

 日本人は「無宗教」であると言われていますが、宗教心がないのではなく、特定の宗教に帰依することを恐れながらも宗教心のある国民と言えます。これを外国で例えばキリスト教徒に説明するのは、困難ですが、自信を持って良いと思います。「日本の誇り」を言う人がいますが、これも日本の誇りと思って良いでしょう。

 殆どの日本人は、子供が生まれれば神社にお宮参りに行き、結婚式はキリスト教会で挙げ、葬式は仏教寺院に依頼して、不思議に思いません。初詣は神社仏閣と神社に限らず仏教寺院にも行きます。全ての宗教が信者と称する人数を総計すると、日本の人口を遥かに超えてしまいます。一度でも参拝すれば、神社(神道)なら氏子、仏教なら檀家とされてしまうのでしょうか。


[2016年02月07日14時33分]
お名前: カーター
 神社の歴史の主題とは異なりますが、日本人の宗教について感じているこ
と述べたいと思います。

 先日ヤフーニュースでしたか、中国人は高速列車や航空機まで作れるのに
なぜ書き易いボールペンが作れないのか?と言う記事が出ていました。ドイ
ツの職人と言うのは中国人のように目先の金を目当てに仕事をするのではな
く、いいモノを作っていい仕事をするのが目的であり、ドイツには天職と言
う考え方がありキリスト教の考え方がベースにあるなどと言ったことが書い
てありました。しかし、日本人も職人が多くいいものづくりをするが、日本
人は無宗教ではないか?と言う疑問でその記事は終わっていました。

 私は中国人が書いたその記事を読んで、それは宗教と言うものついての考
え方の誤解から来ているのではないかと思いました。日本の神道には、教義
がなく定期的に礼拝に行く必要がありません。キリスト教やイスラム教に比
較しゆるいのです。しかし、日本人は年始には神社にお参りし賽銭を入れま
す。また観光地に行けば神社やお寺で礼拝をします。また、日本にはお天道
様が見ているからと言って、拾った財布を自分のものにしたりすることは戒
められています。落とし物は本人に戻って来るのが日本なのです。
 
 また日本にはアメリカやイギリスのようなチップの制度がありません。い
いサービスを受けた時に、10%〜20%の割り増し金を払うと言う習慣で
すが、先日香港に行った際にガイドさんに「香港はイギリスの影響を受けて
いるのではホテルではチップが必要である。」と言われました。香港のホテ
ルで広東料理を頂いてチップを払うとボーイは感謝の意を表しましたが、翌
日香港の和民(カジュアルレストランとしているが日本の居酒屋と同じ)で
チップを払おうとしたら、香港人の店長から必要がないと言われました。チ
ップと言うわずらわしさが必要がない日本式を導入しています。

 しかしこのようなチップについて、イギリスの思想家であったベーコンは
ユートピア論の「ニュー・アトランティス」でチップの習慣を批判していま
す。チップは二重取りであるとしてニュー・アトランティスの官吏は受け取
らなかったと述べているのです。日本のホテルでもボーイはチップを受け取
りません。ボーイはいい仕事をして客に喜んでもらうのが目的であり、チッ
プを目的に仕事をするのではありません。その意味でホテルのボーイと日本
の職人は同じ価値観で動いていると言えます。

 このような日本人を見て、イスラム教徒は最もイスラム的な民族は日本人
であるとか、またサウジアラビアでは理想社会の日本などとテレビで紹介し
ているそうです。ですから日本人が無宗教であると言うのは誤りであり、日
本人は一神教的な意味ではない宗教心(神道に仏教思想が加わったもの)を
十分持ち合わせていると言っていいのではないでしょうか?神道はキリスト
教的、イスラム教的とは異なる日本の宗教であると言っていいと思っている
ところです。


[2016年02月06日23時17分]
お名前: 広嗣
 最近新谷尚紀『神社に秘められた日本史の謎』(洋泉社、2015年)を読みました。

 日本の文化と神社は、密接な関係があります。神社の起源は、日本文化の草創と同時に始まったと言っても過言ではないでしょう。本書は52の疑問に回答する形をとっています。

 神社は元々建物はなかったと言います。祭りのたびに社を作っていたのです。祭りが終われば、解体されていました。それが常設の神社となったのは、中国やコリアの影響と言います。神社という言葉も中国に起源があります。勿論中国起源だからと言って神社が中国に起源があるわけではありません。

 神社と言いますか、神道との関係で述べないといけないのは、仏教です。学校で「本地垂迹説」を習ったと思いますが、本地垂迹という言葉も、元々は仏教用語です。本地は歴史を超越した永遠の釈迦とし、垂迹は歴史的に実在し成仏した釈迦を指しています。また中国でも同様の考え方があり、儒教の聖人や道教の神仙を仏や菩薩の化身と看做す考え方がありました。

 この本は結構目から鱗が落ちる本で、僧兵の神社版の神人(ジニン)がいたのを初めて知りました。

 現代の神社の最大勢力と言えば、神社本庁でしょう。神社本庁は本書でも言うように一個の宗教法人です。しかし伊勢神宮を本宗とし、各地にある組織が行政組織と誤解されかねない神社庁と名乗っている点で、元々国家神道を理想として設立されたことは間違いないでしょう。

 神道は教義や教祖がいない点で特殊な宗教と言えます。また高度に発展した文明でこのような宗教が一大勢力を保っているのも、特殊と言えます。国際的にも例はインドくらいしか思い浮かびません。殆どの人が「無宗教」を自認しながらもこれだけの勢力を保っているのも珍しいと言えます。


[2016年02月05日13時45分]
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