テーマ:古代史】「魏志倭人伝」における倭人の領域

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お名前: 広嗣
 まず確認をしておきたいのですが、私が否定しているのは、任那日本府であって、任那の存在そのものではありません。

 任那の記載が、「宋書倭国伝」にあるのは、事実で、倭国にとっての故地である任那に関する権限を主張するのは、当然のことでしょう。新羅や百済にも触れているのは、激しい領土の争いがあったということなのでしょうか。

 揚げ足取りになるかもしれませんが、カーターさんの指摘した箇所は、倭王讃の遣使ではなく、倭王珍の遣使です。何故ならその直前に「讃死して弟珍立つ」とあるからです。

 「宋書倭国伝」を読んでいない人への参考として結末を言うと、珍は「安東将軍・倭国王」に除せられています。

 任那日本府については日本がコリアを植民地にしていた時代から発掘による証明が試みられていました。しかしいずれの場所も証明ができませんでした。即ち任那日本府という仰々しい名前の組織は存在しなかったと言うことです。元々朝鮮半島南端部は倭人の領域でしたから、植民地のような連想をさせる日本府などというものは、必要なかったのでしょう。


[2014年08月19日08時17分]
お名前: カーター
 NHKの番組とは下記だったと思います。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3440_all.html

[2014年08月15日15時56分]
お名前: カーター
 私が先に述べた内容は下記にも同様のことが書かれて
います。NHKの放送の内容と同様です。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm

 任那も宋書倭国伝に記載があるとのことで、岩波文庫の
「魏志倭人伝・後漢書倭伝、宋書倭国伝・隋書倭国伝」を
見てみました。61ページには、下記の記載がありました。

「自ら使持都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事、
安東大将軍倭国王と称し、除正せられんことを求む。」

 これは三国時代の後の南北朝の宋の第三代文帝の時代に倭王の
讃(応神天皇)が中国に使節を出し、倭が六国の将軍であること
を認める様願い出たと言うものでしょうか。

 中国の公文書である宋書に「任那」の名前が出て来ることは、
事実を確認することの重要性を示しているようです。




[2014年08月15日15時45分]
お名前: 広嗣
 カーターさん、resをありがとうございます。

 昔学生時代に「北九州と朝鮮半島南部は共通の文化圏だった」という趣旨の内容を読んだことがあります。そして前掲の文献の内容です。しかし近代の日朝関係史が、韓国側に事実を事実として捉えられないトラウマを与えています。

 日本もコリアも、比較的長く国としての領域が安定していた数少ない国であると思います。しかし沖縄や北海道が名実共に日本領になったのは、1868年以降のことです。北海道は松前藩を除けばどこの国のものでもなかったと言えます。沖縄は薩摩藩の支配を受ける半独立国でした。沖縄は天皇の権力を受け入れていなかった点で日本領ではありませんでした。

 「琉球処分」までの沖縄は「日清両属」と言われますが、同じく「日朝両属」だった対馬には対馬守がいましたが、沖縄には琉球守はいませんでした。それに対馬には対馬藩がありましたが、琉球は琉球藩はありませんでした。こちらは徳川の権力との関係になります。

 琉球はさておいて、対馬藩は同時に朝鮮の権力支配も認めていました。こちらは形式的であったという人もいますが、実態はともかくとして、この事実からでしょうか、対馬は韓国領だと主張する強硬意見が韓国にあります。しかし朝鮮が朝貢という形で清の王の権力を認めていた事実を考えると、中国が韓国は中国領だと言い出したとしても、反論できないという火の粉を浴びることになります。実際、近代以降列強に奪われた領土の一つに朝鮮(朝鮮半島?)を挙げている話を聞いたことがあります。


[2014年08月12日02時45分]
お名前: カーター
 朝鮮南部では近年日本と同じ前方後円墳が発見されており、
NHKでも報道されました。しかも日本より新しいものだそうです。
江上波夫氏(故人)はこれを北方騎馬民族の辰国(任那の別名)が
日本へ来る前の遺跡であり、騎馬民族征服説が証明されたとして
いました。
 しかし、現在では半島から日本へ来たのではなく、日本から朝鮮
へ渡った人達がいてその人たちが前方後円墳の建設を指導したと言
われるようになっております。韓国の学者もあるべき論ではなく、
事実を事実として受け止めると言う研究をしなければならないと、
NHKの番組でも発言していたようです。
 
[2014年08月09日18時01分]
お名前: 広嗣
 前回書き忘れましたが、「魏志倭人伝」に言う倭人の領域は、現在の日本に留まりません。「三国志」「魏書」「烏丸鮮卑東夷伝」を素直に読むと、倭人は現在の朝鮮半島南端にも住んでいました。朝鮮半島南端と言うと、「任那日本府」を連想する人がいると思いますが、任那日本府は後世のでっち上げです。一方の韓国からは「日本は韓国の領土」などという強硬意見も聞こえて来るかも・・・。(\(^^\) (/^^)/)


[2014年07月30日07時52分]
お名前: 広嗣
 通称「魏志倭人伝」によると、2世紀後半から3世紀初めにかけて倭人30カ国が、後漢や魏に使節を送ったとされています。

 「倭」=「倭人の領域」=「古代の日本列島」と考えるのが、一般的ではないでしょうか。しかし「魏志倭人伝」を読むと、そうは言えないことが分かります。

 まず倭は古代の日本列島かという問題です。古代の日本列島には隼人や蝦夷といった人々がいたことも分かっています。このことは「倭」=「古代の日本列島」と考えることに無理があることを示しています。倭と古代日本列島との関係は、「倭」⊂「古代の日本列島」と考えるべきです。

 陳寿が「魏志倭人伝」で列挙した30カ国の他に邪馬台国と対立していた狗奴国がありますし、邪馬台国より東に行くと、同じく倭種の人々が住んでいるとあります。このことは「倭人」⊂「倭の領域」という関係が成り立つことを示しています。

 邪馬台国は北九州にあった、いや「畿内」大和だ、いやバルタン星だと(ぇ)主張するのは、それぞれの勝手です。しかし「魏志倭人伝」を信頼して読む限り、「「魏志倭人伝」に言う倭人の領域」⊂「倭の領域」⊂「古代の日本列島」という等式が成り立ちます。



[2014年07月27日05時22分]
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