テーマ:魏志倭人伝と日本神話(お遊び)

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お名前: コンコン
みなさま、わたしのお遊びにつきあっていただきありがとうございます。
遊び続き
神名を役職のようなものとした理由
 年神という神様がいます。この年神には、大年神・御年神・若年神がいまして、親・子・孫になります。つまり年神という役職を代々親子で受け継いでいるわけです。日本の神様は死にます。イザナギ・イザナミ死んでますよね。だから同じ神名でも時代が変われば代替わりしていると考えたわけです。(大年神・・・門松に宿る神様。御年神・・・お年玉の語源)

倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)箸で陰部を突き刺してしまって死んでしまった。

神話で、織女が梭(ひ)で陰部を突き刺してしまって死んでしまってますね。これを見て天照大神が、天の岩戸に入ってしまいます。
 守宮さんが箸は、当時なかったと書いていますが、箸ではなく、梭だったら面白いですね。

ここでお遊び
天照大神はもともと男神だったという説も存在します。
阿麻氐留(アマテル)神社(アマテラスは「アマテル」の敬語)、天照國照彦火明命を祭っています。
この火明命の別名が大年神。この大年神は中国地方での呼び名。関西では大物主と呼ばれています。(御年神は神武天皇の妃。つまり伊須気依姫、あるいは高照姫とも呼ばれ、記紀の中ではでは比売多多良伊須気余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)などと呼ばれている神様つまり大物主の娘(古事記。日本書紀だと事代主の長女))
 卑弥呼(日巫女)、天照大神、倭迹迹日百襲姫命は一応太陽神火明命で繋がります。 
[2009年06月29日23時16分]
お名前: 守宮
ちょっと、「遊び」の主旨から外れます。

古墳の編年研究(形態の変化から相互の新旧を明らかにする方法)に照らせば
箸墓が最古の「巨大前方後円墳」であることは間違いない。

近年進む発掘調査の結果に鑑み、
現状、箸墓の築造時期が考古研究者の言う
「布留0式」段階であることは動かないでしょう。
箸墓の周溝下層から出土していますしね。

「布留0式」の年代が3世紀の末なのか?
新聞紙上をにぎあわせたようAMS分析が出した
3世紀中頃(240〜260年頃)という数値が正しいのか
先日の日本考古学協会総会の発表でも揉めていましたけど、
(詳しく知りたい方は「布留0式」で検索してみてください)

まあ、魏志倭人伝に記載される卑弥呼の死(246年頃か?)
とほぼ同時代かそのちょっと後に箸墓が築かれていることもまた
確かなのです。

もちろん、
「箸墓」の主が「卑弥呼」かどうかとは
別に論じられるべき問題だとは思いますが・・・念のため。
[2009年06月18日17時27分]
お名前: 江戸通
 年代が卑弥呼と同じと言う事を強調していますが、一般的なことが
当てはまるか?
>やっぱり箸墓は卑弥呼の墓だったと、とにかく卑弥呼というキーワード
>を出しさえすれば予算が出てくるらしい関西の歴史学者・・・
>というと語弊がありますが、とにかくどこから出てくるのか、
>毎年毎年、あのあたりでは卑弥呼騒ぎが年度末予算時期の恒例行事
>みたいに繰り返されますね。

 ずううーっと昔、名古屋のチームが調べた時、もちろん周辺部ですが、どうも
天武期に改葬された痕跡があると指摘しています。
 これを踏まえて、市の学術調査も創建当時は、更に巨大だったのではとしている
ようです。
 予算や政治のこととなると、江戸時代末期に、国学の隆盛と共に、治定作業が
行なわれたようですが、古墳を農道が走るという遺蹟(?)も当時見つかっています。
 現状では、卑弥呼を強調することはできそうもないですね。
 自民党の総務会長の発言を聞くかぎり、農家が勝ってに畑作に転用した印象を
 受けましたが、決してそんなことはないと思います。
  予算の現状が厳しいことからの発言でしょうね。

>倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)
 
 MSIMEでは、正しく変換できるか不安で記事にもしなかったのでした。
 小碓尊(おうすのみこと)こと日本武尊(やまとたけるのみこと)が祀られる
 という白鳥陵は、小碓尊の魂が乗った白鳥が飛び立った土地三箇所が、陵と
 されているほどですから、誰がという疑問は答えるのは難しいでしょうね。
  神話の性格からも、陵の規模からも当然、姫のものではないというのが一般的
 ですが、巻向遺蹟の中心という位置、周辺の建物の遺構から、当時の社会が
 更に解明される事が課題だと思います。

江戸通
[2009年06月17日06時32分]
お名前: 守宮
 ちょっと専門を囓っている者の端くれとして一言
 卑弥呼と言えば、予算が付きやすいのは九州であろうが
大和であろうが同じ事で、どちらの側も
どうこう言えるような立場ではないんですが・・・・。

 某吉野ヶ里遺跡復元の金のかけ方は、あれはあり得ないでしょう。うん。
復元された望楼や高殿、柱に貫材を入れてありますけど、
貫材の本格的使用は鎌倉時代から
(世界最古の木造建築「法隆寺」には「貫材」が使われてません)
(後漢〜三国時代の陶製小建物−墓の副葬品−にも「貫材」は認められない)
他の建築史家から異論があったのに、あれ建てちゃったのは・・・・・・・。
(もちろんあの遺跡から、建物の貫材使用をうかがわせる資料は出土してません) 
ついでながら、ここに復元されている建物達は
卑弥呼の時代より年代的に古いものです。
「卑弥呼」や「邪馬台国」で予算取ちゃったのは、これまた如何?

閉話休題(それはさておき)
箸墓のある纒向遺跡一帯に研究者(考古学)の関心が集まるのは
「卑弥呼」や「邪馬台国」云々が問題なのではなく、
そこがほぼ間違いなく初期大和政権の「揺籃の地」であったからに他なりません。
そして、その「揺籃の地」に
突然隔絶した規模の規模を持って築かれた前方後円墳が「箸墓」だった。
この「箸墓」の築造以降が初期大和王権の確立=「古墳時代」と考えるわけで
これは「箸墓」が卑弥呼の墓かどうかとは、
(研究者レベルでは)全く別問題と認識すべきものと思います。
大和王権の確立過程を明らかにするため、
「箸墓」およびその周辺遺跡の調査は欠かせないのです。

最後に、お遊びにちょっと加わりましょう。
箸墓築造時の3世紀に日本に「箸」はありませんでした。
(「箸」が無いことは「倭人伝」にも書いてありますよね)
「箸墓」の主が「箸」で陰部を突いて死ぬことは有り得ないのです。
書紀編纂時、何らかの伝承が紛れ込んだか、創作と考えるのが自然でしょう。
(「箸」の記述は他所でも見えます。
記紀編纂時、貴族や役人の箸使用が一般化していた考古学的痕跡と矛盾しません。
ただ、記紀の編纂者達は「箸」使用の歴史については無頓着だったようですね)

これもお遊びですが
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命と考えれば
倭人伝の卑弥呼の弟は
ミマキイリヒコこと崇神天皇と考えるのが自然ですね。
これは通説通りで
身も蓋もない話になってしまって申し訳ありません。
崇神天皇のおくり名は「ハツクニシラススメラミコト」
これは解説するまでもありませんが、
「初めて国を治めた天皇」という意。
やはり身も蓋もありませんけど
これも通説通りで妥当かなと・・・・。


[2009年06月12日17時22分]
お名前: そんし
お遊び版の魏志倭人伝と日本神話のくらべっこですね。

やっぱり箸墓は卑弥呼の墓だったと、とにかく卑弥呼というキーワードを出しさえすれば予算が出てくるらしい関西の歴史学者・・・というと語弊がありますが、とにかくどこから出てくるのか、毎年毎年、あのあたりでは卑弥呼騒ぎが年度末予算時期の恒例行事みたいに繰り返されますね。

それでは、私には元祖エロ本としかたとえが見つからない日本書紀には箸墓の主は誰と書いてあるかと言えば、こうです。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)が、夜だけしか通ってこない夫の大物主神に、顔が見たいと言ったところ、朝になったら櫛箱をみるように言われ、開けてみたらヘビが入っていた。

驚いて大声を上げたら、夫は、恥をかかされたから、恥ずかしい思いをさせてやると怒って三輪山の方に飛んでいってしまった。

それを見て座り込んでしまった姫は、そこにあった箸で陰部を突き刺してしまって死んでしまった。だからその姫の墓は箸墓と呼ばれている。

つまり、ここでは卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命だったということになるわけです。それも結構悲惨な最期ですね。悲しいはずの葬儀で、死因を聞いた参列者が、笑いを堪えてうつむきながら、肩を上下して明らかに笑ってるという光景は悲惨そのものです。

それが卑弥呼だったとしたら、日本の歴史は箸で陰部を突いて死んでしまった人から始まる、というかなり悲惨なことになってしまいます。

そんし

[2009年06月12日01時18分]
お名前: コンコン
1.邪馬台国では、もともとは男の王(スサノオ)を立てていたが、
 7、80年が過ぎ、国内が乱れ、戦争が何年も続いた(その泣く有様
 は、ものすごくて、緑の山々が枯山になり、海や川の水が乾ききっ
 てしまうほどでした。この悪い神が起こした乱暴な物音は、ハエの
 ように世界に満ち満ちてしまったので、あらゆる災いごとが次々と
 起こりました)。

2.そこで諸国が一人の女子を王とした。名は卑弥呼(アマテラス)
 といい、年はとっていたが、夫はおらず、弟(スサノオ)が補佐し
 て政治を行っている。

3.卑弥呼が(天の岩戸)死に、その後男の王(スサノオ)を立てた
 が、国中がこれに従わず、お互いに殺し合い(スサノオは高天原に
 滞在するが、そこで粗暴な行為をしたので)、1000人あまりが
 死んだ。

4.そのため卑弥呼の一族で13才の壱与(アマテラス)という女子
 を女王とし、国中がようやく静まった。

(注)アマテラス・スサノオ・・・個人名ではなく、職名みたいなも
   のと思ってください。
  2の弟(スサノオ)が補佐して政治を行っているは、スサノオ系
   統の神々(大国主・大物主(年神))等の活躍を考えると本来、
   倭の支配権はスサノオにあるように思います。
  3は、話が逆ですが(スサノオが暴れた結果、天の岩戸に隠れる)
   、魏志倭人伝の順番の方が、話の流れ的にはいいと考えました。
[2009年06月02日13時29分]
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