テーマ:長宗我部氏家臣の下村家について

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お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

了解いたしました。
まずは自分なりに調べてみます。幸い「大津村史」は国会図書館にもあるようです。そこであればそう遠くはありませんので近々行ってみようと思っています。
[2009年01月07日00時23分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、ご確認いただけましたでしょうか。 そこで『弥八郎』とは計らずも、細川天竺城主孫八郎(幼名孫十郎・後左衛門太夫と名乗っている人物・・前後の詳細は略挿せて頂きます)であり、方や、私共の先祖と書き綴られている人物は、細川氏相伝(普代)之家臣下村氏の長子が当の人物(弥八郎)ですので、御認の無きように今一度御詳査ください。 
此れ以上は、その祖父の時代からの由縁があるために、詳しくはサイト上では御案内不可なれば今後の親交の義(誼)を深める為には、御曾祖父様の書き残された永福寺の過去帳に由来する文書の記述を基に、ご先祖を辿るための大切な史料として、最終的にはお目に懸かって400数十年前の時代の先祖を偲ぶ本願成就を願いましょう・・如何ですか? 南無 合掌
[2009年01月06日09時02分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

ありがとうございます。拝見いたしました。
確かに弥八郎とあることが分かりました。以前どこかのサイトで戸次川の戦いの戦死者が刻まれているという記述を見た時、もしかしたらと思っていましたがやはりあったのですか。
あとは先に書いた曾祖父の書にある「弥十郎」と本当に同一人物なのかを調べたいです。アドバイス等がございましたらお願いいたします。
[2009年01月06日01時12分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、先般のサイトの喫茶室にお送りしましたので一連の写真の一処に添えておりますのでよろしく御覧下さい。 
[2009年01月05日15時25分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

ありがとうございます。拝見できるのを楽しみにしております。

[2009年01月04日17時30分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、並びに尊師・へいさま、明けましておめでとう御座います。
新年正月・・土佐国・浦戸長宗我部元親の菩提寺・雪蹊寺の親族・同族とも三人集いて、或る歴史史実を銅版に刻んで居ります供養の碑を見て参りました。
貴家の曽祖父の書残した主旨の記文の真実を検めて参りましたので、後日先日御案内挿せていただきましたHPの喫茶室にお送りして置きますので改めて御案内いたしますので御猶予をお願いします。
[2009年01月03日16時22分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、其れでは来春の始めに改めてお目にかかりましょう。
牛(丑)に引かれて善光寺の喩えの通り、慶び会える善いご縁の光明の新年で有りますように祈念して居ります。
追申:ヘイさま、重ねて、管理のそんし(師)には、この度の『SHIMO』さまとの出会いの機会を持てました由縁の義、感謝しております。南無合掌
[2008年12月25日11時41分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

了解いたしました。ご連絡をお待ちしております。
[2008年12月25日08時30分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、了解しました・・仰せの通りです。歳の瀬も近づき何かとお忙しい時節なので出来れば何かの良策が無いかとも考えてましたが、貴方様の江戸の近隣に『同族のS氏』が居り、深い繋がりで先祖への想いを一つにしています人物が、多分この『話題の窓口』を見ております。
実は年末から新年に掛けて、当人と四国でお目にかかりますのでその際に個人的コンタクトの方法を打合せをさせて頂きたいと考えます。(少しお時間を下さい)出きれば新年明けまして早い時期に)
如何でしょうか? 敬々白々
[2008年12月25日01時21分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

ありがとうございます。より深い内容に関して公の場では話しづらいので個人的にメール等で質問させていただけないでしょうか?
[2008年12月24日23時52分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、正確に判明しました!私も良く存じ上げております。その寺は河野ご住職の寺です
何時でも御案内挿せてさせて頂きますのでご安心下さい。
土佐大津天竺城の南面には、昔は妙音寺という古寺在り、その寺を訪ねたことも在り、そして永福寺は別所なれども、代々河野氏が住職を努めている寺ですよ!此れで判りましたのでご安心下さい。 取り敢えず御案内まで

[2008年12月21日03時55分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

わりに大きくそして楷書に近い書体で書かれていまして「宗」です。
また宗派は分かりませんが過去帳写しには永福寺とあります。
[2008年12月20日23時56分]
お名前: 水軍丸船長を
SHIMOさま、重ね重ねお願いが御座います・御家の先祖代々の菩提を弔う佛教の宗派・寺院をお聞かせ願えませんか?・・大変重要な条件の一つなのです。
下村氏も土佐の国にては、時代に追って、禅宗・真言宗・日蓮宗と、数々の代々の信仰の宗派が見受けられます。例えば、細川氏は、禅宗の名僧夢窓国師(疎石)の開祖の吸江庵(寺)を庇護崇拝して、その寺社奉行職を委ねられたのが長宗我部家だったのですが、土佐守護代細川氏は、代々日蓮宗も菩提寺として、土佐の守護代の時代から、日蓮宗の京都・頂妙寺の末寺を館近くの郷に建立して妙国寺として、其の屋敷跡には勝元の名を継いで、細勝寺在り。元の妙国寺は、高知市内の山内家菩提寺・禅宗真如寺並びに要法寺也、近隣には、二度の移転先の妙国寺も現存して居ります。また、もしも訪れる機会あれば、阿波の国から土佐の国境には、岩原・大豊の山奥の里村在り、其処には下村氏の御子孫が多く住まいして、今に山の諸処は下村姓を名乗る家々が軒を連れて、多く在り、阿波の国主・小笠原氏と氏名を二分する領域なり。(ご参考までに)その在所には、豊永町には定福寺(じょうふくじ)と言う古刹在り・・下村氏も多く名を刻む寺なり。其処に近く岩原郷には、下村氏先祖の由縁の古き石積の三塚も現存しており、7曲(転び)がり、8起きの難所なれど嘗て船長も訪ねたことも思い出します。先々ご縁があれば御案内しますよ。  


我等三族の菩提由縁の寺々と既に
[2008年12月20日22時13分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、度々重ねてお尋ねします。・・謂名の一字『宗』でしょうか・『宇』でしょうか?
微妙な事柄ですが、その家々で代々用いる名前の一字、一字に先祖を辿る『鍵』が有るのです。
例えば、或る書では、長曾我部と・・長宗我部とも。土佐にては香宗我部氏と名乗る一族も見ゆ
これに付いては異説では、曾我部が正しいのか?・・曾と宗が?・・香と長とは香美郡と長岡郡との在所で区別してウジナ・氏名の名のイニに、一族の冠に定めたも古来から聞いております。
貴家の書置きの書の御名の一字は『宗』・・又は『宇』でしょうか!?・・草書は崩すとなかなかに、今でも古文の勉強会に学ぶ小生も見間違える一字なのです!
別のサイトで、草書の『興』と『奥』の一字の解読で難儀しておりますので、是非お尋ねする次第です。よろしくお願いします。南無
[2008年12月20日20時43分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、家紋のことは、我々の系統の嫡男の家筋の家紋と、二男・三男(我家の先祖)と四男(今のところ後世のこと不詳)、夫々大津天竺城落城後において養育(育成)された家筋が違っており、最も下村氏を継いで大津村に在住していたのは、嫡子也。
家紋は江戸の同族の友に尋ねるに、『三ッ千鳥』との返信がありました。『雁金』と『千鳥』では聊か相異があろうかと考えますが、何かの繋がりが見付かれば良いのですが。
また、天正5年丁丑(1577年)は、長宗我部元親の軍勢は、阿波の国に攻め入り・吉野川沿いの山城の地の城を攻め落としていた様で、その一連の地方の戦闘(戦場)で討死為されたのではと推測します。是非解読できまして、新しい情報(年代や人名)が判ればご先祖供養の旅へのご協力惜しみません。 合掌
[2008年12月20日19時20分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、有り難う御座います。家紋のこと了解しました。
実は、大津村史にも見られました記述はほんの一部文で、其れ以前の先代の時代の背景・経緯は、通祐の4人子の兄弟の行く末には、各々の生育の状況が有り、今少し情報を交わしながら真実に近づいて見たいと願って居ります。必ずご先祖に繋がる史実が導かれることは信じていてください。 合掌 
[2008年12月20日16時06分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

解読は一通り終了しました。ただ所々分からない漢字がありますが内容は大体理解できます。これからそれらを再度見直してみようと思っています。
家紋は「丸に尻合わせ三つ結び雁金」です。
[2008年12月20日14時38分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、御覧に頂けましたか!・・ほんの一部の文章ですが参考に為れば幸いです。
先ずは、お手もとの書きとめられた書物の御解読を進めてください。
私共の手許には、その家系の奥書が幸いにして先祖より孫々に引き継いでいる書物が御座いますので、此れから先にて貴家との繋がりに期待して首を長くしてお持ち申して居ります。
其れに最も重要な史料として欠かせないのが、先祖代々用いられた『家紋』が、キーポイントに為るので、もし判ればその形状を聞かせて下さい。(頑張って下さい)期待して居ります
[2008年12月20日08時20分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

写真拝見させていただきました。ありがとうございます。曽祖父の書にあるそのものの名前ではありませんが確かに何かつながりを感じさせ非常に興味深いです。その書が何を参考に書かれたのがが分からないので手当たり次第いろいろな資料を見てみようと思っています。
[2008年12月20日02時12分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま<天正5年丁(ひのと)丑(うし)干支ですね。この年は1577年に成りますので其の年に卒為されたのでしょうが、19986等は月日としても難題ですね?
それから、曾祖父殿の生年月日は私の母が明治36年でしたから、概ね同世代ですね!
明治時代の方々は、多く人は達筆でしたので、毛筆で草書書きの文書があるから読むのが大変でしょう! 其れから天正年間は長宗我部氏の四国平定の軍を馳せていた時代ですので、巡回と言うよりは、各地への進攻の戦場にて(戦死)没したのでしょうね!亦詳しくお話しましょう。
[2008年12月18日23時48分]
お名前: 水軍丸船長
ダブりましたのでご容赦お願います。
[2008年12月18日23時28分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、天正5・・丁の記号と以降の数字は文字化けでしょうか?(多分)確認を。
其れから、御案内挿せていただくHPは『伊予中世史への招待』で検索を掛けてください。
継ぎに一覧表の右側に『喫茶室・写真コナー』の項目がありますのでクリックして開いていただいたら、直ぐ頭のテーマに送って置きましたから、是非赤線を引きました部分が、『弘次郎』の概略が書かれて居りますので御覧に成って参考にして見てください。取り敢えずご案内まで
[2008年12月18日23時22分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、天正5・・丁の記号と以降の数字は文字化けでしょうか?(多分)確認を。
其れから、御案内挿せていただくHPは『伊予中世史への招待』で検索を掛けてください。
継ぎに一覧表の右側に『喫茶室・写真コナー』の項目がありますのでクリックして開いていただいたら、直ぐ頭のテーマに送って置きましたから、是非赤線を引きました部分が、『弘次郎』の概略が書かれて居りますので御覧に成って参考にして見てください。取り敢えずご案内まで
[2008年12月18日23時19分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま、

「下村半次兵衛末弘は一子宗十郎を伴い四国を巡回中、共に相次いでなくなり末弘は天正五丁丒年歿と推測される」と読めるところがあります。手がかりになりますでしょうか?
また曽祖父は明治40年代生まれです。
あとそのコピー写真を是非拝見させてください。よろしくお願いいたします。
[2008年12月18日22時47分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、今年も後僅かになりました!・・この前の投稿の氏名欄に題目を書き込みましたので御免。早速ですが、来年是非高知図書館への来訪はより詳しくご先祖の出自を訪ねる出発点かと考えますが、私の手許に旧長岡郡『大津村史』がありましたので、該当箇所と思われる文書の一部を私の長い付き合いのHPを通して、コピー写真を投稿しておこうと考えますが如何でしょう?・・宜しかったら改めて御案内します。 ご意向を聞かせて下さい
[2008年12月18日18時14分]
お名前: 寛永から天保年間までの義
SHIMOさま、出来れば貴方様の曾祖父殿の年代をお教え下さい。
多分、江戸末期から明治に掛けての誕生〜生存は其の後の年代ではないでしょか? 徐々に光明を照らし会わすことも可能かと。(表題の時代であれば、その家筋を継いで居られるご先祖であれば大変に驚くべき出会いに為る可能性を現しておりますので、是非身近に古文(草書文)のお詳しい御仁・例えば古文学先生、書道の師の方が居られれば解読して頂ければ宜しいかとお奨めします

[2008年12月18日11時54分]
お名前: 水軍丸船長
寝起きばなに書き込みましたので、SHIMOさま、はじめ所々誤字の打ち込みがありますので御判読ください。失礼
[2008年12月18日07時35分]
お名前: 水軍丸船長
SIMOさま、おはよう御座います。実に興味深い・・お名前が出てまいりましたせすね!
実は、我等一族(三家名)には、善く名前に使われる一字に其の由来があるのです。
『弘』『廣』の一字が用いられている『末弘・すえひろ』のこと、亦、『半次兵衛・はんじひょうえ』が草書書きで見て取れる・・とのこと!此れから先の御解読が楽しみです。(出きれば年代が判れば尚確かな確証が見つかります)
その理由は、ご存知と思いますが、実は大事な判断材料(要素)なのですが、余り個人的な情報開示はご先祖も望まない処も否めず、こらから奥に進むためには是非、祖の御仁の書きつけを正しく読みとって頂くのが最良の近道ですから努力為さってください。
但し、今回のお名前の心当たりは昨夜(今朝かも・真夜中)から、少し史料を調べて見ましたところ、心当たりが見付かりました。・・『廣』『弘』は『大津村史』にも乗っている下村家名の流の末裔にも『弘次郎』の名前が見られ、私共の家流にも『廣〜・何某』『〜廣・何某』と書かれた人物も有ります故に。
今後の流れにては、是非お目に掛る時節が来ることを期待して居りますので、頑張って下さい。

[2008年12月18日07時31分]
お名前: SHIMO
ヘイさま、水軍丸船長さま、

わざわざご訂正そしてそれに対しフォローしていただきありがとうございます。

現在曽祖父の書を一字一句読みながら電子ファイルにする作業をしています。文語体でなおかつ崩し字が多いため非常に手間取っております。
そんな中、下村半次兵衛末弘という名前がでてきました。その書には弥十郎(弥八郎?)の祖父であるとあります。その名前について何か心あたりはありますか?
[2008年12月18日00時53分]
お名前: 水軍丸船長
ヘイさま、お気使い無用です。・・それらの経緯も十二分に了解して居ります。
我等一族の系統図は、幸いにて長き時代を累々と継いでおり、手許に大切にその原典も所蔵しておりますので、土佐の国の守護代細川氏と・・長宗我部氏の複雑な因縁・拘りの義の奥(深層)も、其れなりに整えて居りますので、SHIMOさま曾祖父の書付があれば、曾祖父の出自は、我等同族(三族)の系統なれば、自ずと訪ねて祖先の菩提に辿り着けるものと念じております。南無
[2008年12月17日14時23分]
お名前: ヘイ
自己レスです。

>ただし、SHIMOさん言うところの下村弥八郎と同一人物であるかどうかまではわかりません。
同姓同名の別人ということも十分ありえるわけでして。
生存していた時代がいつ頃なんでしょうかね。
上の話は、戦国時代で、それも豊臣政権の頃の話です。

スレッドタイトルの「長宗我部氏家臣」というところを見落としていましたね。
というか、下村弥八郎とか弥十郎とかの名前にに神経が行きすぎでした。

上記の部分については無視してください。

謹んで陳謝。


[2008年12月17日13時27分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、お役に立てて善かった・・ご先祖の菩提を偲んで菩提寺・墓所を訪ねることは尊き子孫の仏心・先祖ノ導く所以の現れだと。南無
吾が一族の先祖代々の菩提寺も墓所も同族で守り通して現存しており、また出家の僧の先祖由縁の寺々が、北総・尾張・京都・讃岐・土佐の国々に現在も仏縁が受け継がれて居りますので、貴君のお住まいの東京にも、真に幸いにして見近に此れを知る先祖を同じくする同姓の人も居り、何れかの機会に見えて頂く事も出来ましょうから、今後の御交流の先には、お互いに先祖を偲ぶ真の歓びを分かち合う事も出来ようかと期待しております。合掌
[2008年12月16日05時24分]
お名前: SHIMO
ありがとうございます。

やはり勘違いのようですね。

あと検索をしてみると"大津村史"は県立図書館などにあるようです。近くはありませんのでそれまで自分なりにできるだけ調べて下準備をして行ってみようと思います。きっと何か新たな発見があると期待しています。

また何かわからないことがありましたら質問させてください。
[2008年12月16日00時50分]
お名前: 水軍丸船長
へいさま、仰せの通り也。土佐浦戸に長宗我部家の菩提寺(雪蹊寺在り)には天正14年丙戌(1586年)十二月十二日於豊州(戸次川の合戦)長宗我部信親公忠死御供の衆の銅版には、我等の先祖下村弥八郎の名前が刻まれて居ります。・・其の後は当然ながら細川源左衛門(宗兆)は十市細川氏の当主にて、長宗我部氏の重臣にて、四国制覇の陣頭に立って、善戦の功ありし、供に従いて、我等天竺細川氏の温故を請うたる芳(吉)奈衆の家臣団一族が守った・幡多郡(宿毛・芳奈)の鶴ヶ城城主なり。是非土佐の国に来訪の際には足を延ばして見て下さい。

[2008年12月15日13時27分]
お名前: ヘイ
下村弥十郎となると、確かにわからないです。
下村弥八郎なら少しは出てきます。

http://history.log.thebbs.jp/1112843594.html
こちらの情報によると、下村弥八郎なる者は長宗我部信親の近習として戸次川(へつぎがわ)の合戦に参加。
ほぼ全滅ということなので、討ち死にしたのでしょう、十中八九。

ということであれば、
長宗我部家の菩提寺・雪蹊寺に墓がある可能性も捨てきれない。
http://shikoku-net.co.jp/88/8833.htm

ただし、SHIMOさん言うところの下村弥八郎と同一人物であるかどうかまではわかりません。
同姓同名の別人ということも十分ありえるわけでして。
生存していた時代がいつ頃なんでしょうかね。
上の話は、戦国時代で、それも豊臣政権の頃の話です。

それとも、下村弥十郎という名前で、どこかに墓があるはずだという話なんでしょうかね。

それはそうと、長宗我部信親は別名、弥三郎とも言われてます。この当時の土佐では、人の名に「弥」という字を使うことがはやってたのでしょうかね。


[2008年12月15日12時07分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMOさま、下村弥八郎のこと・と・『弥』十郎との記述は、多分?・・孫十郎(幼名)のことを混同去れているのではないのでしょか?・・文明17年(1485年)頃に天竺城主・右近花氏(花氏は元は京都西山の人で、土佐に下って二位少将花氏と称したと。また、此れ御仁の長子が孫八郎であり、細川氏の縁故の御仁かな?幼名が孫十郎左衛門太夫と名乗って居りました)です。
其れゆえに下村弥八郎は細川氏(京兆家)の普代家臣(家老職ではと考えてます)の家柄(家系)の人物であり、土佐大津の下村氏の先祖ですね!其れ等から察して、弥八郎と天竺城主孫八郎とを錯誤して・・弥八郎を・・幼名弥十郎と混同されて記載(曾祖父のお方が記憶いるのでは)ないのでしょうか? 多分相だと船長は判断します。ご参考までに
[2008年12月15日05時39分]
お名前: SHIMO
ヘイさま、水軍丸船長さま、

とても参考になりました。ありがとうございます。訪れたいという気持ちをより強くいたしました。
ただひとつ気になることがあります。曽祖父の書には下村弥十郎という名がありそれが弥八郎と同一人物であると書かれております。下村弥十郎という名は検索しても見つからなかった為、私はその1文だけで下村弥八郎が先祖であると理解しておりました。しかしながらその書を改めて読んでみたところその根拠が書いておらず、推測で書かれている可能性が否定できないと今思っております。この書き込みをする前にこのことに気づくべきでした。申し訳けありません。
何かの勘違いで実在する人物ではないかもしれませんが、もし下村弥十郎についてご存知のことがございましたらご教授ねがえますでしょうか?

またメールアドレスも付加しましたのでこちらのほうにもご連絡いただけますでしょうか?

よろしくお願いいたします。

下村
[2008年12月14日23時41分]
お名前: 水軍丸船長
SHIMO・下村さま、今年も師走の半ばを過ぎ、今回の出会いは、真に不思議なる仏縁かと受け留めております。
もし、宜しければ、ヘイ氏のご案内の土佐旧幡多郡有岡・真静寺(しんじょうじ)の歴史を御覧になって、其の後で『城ノ観賞の旅・二人で城ある記』で検索を懸けて見て、左側の全国の城郭の訪問地から、高知県を選び、土佐大津城と鶴ヶ城の写真集を御覧下さい。
城郭研究の絶え間ない探訪・究極の尊敬する先師のHPですので、謹んで御紹介させて頂き、是非御覧下さい。(個人的にも同行・先達役の由縁にて懐かしい御親交の誼の思い出の1ページ也)
[2008年12月14日15時53分]
お名前: 水軍丸船長
下村さま、ヘイ氏の御案内の義・・既に恩地の同族の方々には、土佐と江戸の直系・子孫には情報提供して居ります。(ご安心ください)
是非、曾祖父様の残された書記を大切に御保管下さいね!・・何れ我家之系図と照合挿せて頂くことも有ろうかと。 ヘイ氏の御案内の『サイト』にもご遠慮なくアクセスして、お仲間にどうぞ!・・謹言・・すべて先祖の佛縁かと念じて居ります。南無
[2008年12月14日14時44分]
お名前: 水軍丸船長
ヘイさま、お久しぶりですね!・・ご親切な御案内の義深く御礼申し上げます。
お覚へ頂いており改めて感謝します。真に二度有る事は三度有りの諺の如き出会いかと感じております。ご助言感謝
この件に付きましても、信頼源の『尊氏』のサイトで奇跡的出会いを導いて頂いた過去の出来事を彷彿とさせられ・・想いを重ねております。但しご時世の風評として、個人的な情報交換を『凡的手法』にて交信するは聊か難儀な時代と感じる次第です。
いずれは、御親交を深めまして、ハンドルのSIMO様(多分に下村様)と確信しての説話ですので、此れからの道筋は、同族の友(真の血筋)の醸成の道程にて、尽力させて頂きますので今後ともご教授お願いします。 敬々白々 合掌


[2008年12月14日13時11分]
お名前: ヘイ
こんにちわ。

http://www.ehime.net/bbs/yuduki/?7030

これによると、真静寺へ行ったほうがよいかも。

http://www.kochinet.ed.jp/nakasuji-e/database/11.htm
マップはこちら。
http://shrine-temple.jp/50374590

事前に真静寺の住職にでもお尋ねしてみるのも悪くはないでしょうね。


[2008年12月14日11時58分]
お名前: 水軍丸船長
下村さま、ご先祖の墓所は、土佐守護代細川氏と家臣衆は、天文13年辰甲(1544年)に長宗我部国親の夜襲にて土佐大津天竺城で討死なされております。其の後のことは詳しくは控えさせて頂きますが、先ずは此の古城跡をお尋ね為さることが宜しいのではとお奨めします。
これも何かのご縁なれば、来年にでも個人的にコンタクトを取ることも貴家のご先祖供養の本願の一助になれば幸いです。 今後ともよろしく
[2008年12月14日05時50分]
お名前: SHIMO
水軍丸船長さま

御情報ありがとうございます。是非その本を拝見したいです。
しかしながら私は関東在住で簡単に行くことができません。実は曽祖父の記録が見つかる前は私の家系の起源が土佐にあるということは恥ずかしながらまったく知りませんでした。ただそれ以降一度高知県にある先祖に関係するところに足を運んでみたい、そして先祖のことをもっと知りたいという思いが強くわいてきていろいろと調べていたところこのサイトに出会った次第です。
来年前半には行くつもりです。その際どこがいいでしょうか?お墓があればぜひおまいりしたいと思っています。下村弥八郎の墓とかはあるのでしょうか?

よろしくお願いいたします。
[2008年12月14日03時25分]
お名前: 水軍丸船長
始めまして・・下村弥八郎の記録が残されておりましたとのこと!・・土佐大津天竺城主細川氏の普代家臣の下村氏の家柄です。永正16年(1519年)頃の武人の家柄ですね。
個人的には、貴方様に、より詳しく御案内ができますが、相当以前にはこのサイトで過去に遡り、200年程前のご縁が見つかったこともありますので、もしご先祖の事をお尋ねに成られるご希望なれば、一度土佐之国の『大津村史』(昭和33年旧大津村役場発行の村史)を高知図書館等に蔵本があれば御覧に成れば宜しいかと考えます。(微妙なテーマですので個人的にお尋ねの具体的な質問があれば支障のない限りご協力いたします) 
[2008年12月13日22時02分]
お名前: SHIMO
長宗我部氏家臣の下村家について何でも結構ですのでお教えいただけないでしょうか?
最近私の曽祖父が残してくれた記録が見つかりそこに先祖が下村弥八郎であることがかかれておりました。他のテーマで下村家のことは触れられておりますがほかにご存知のことがありましたら是非お願いいたします。

[2008年12月13日18時56分]
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