テーマ:消えた有名な逸話

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お名前: そんし

群馬県大泉町に、児島高徳が開基という由緒のある高徳寺というお寺があります。
児島高徳という名前は、今でこそだあれも知らない人物ですが、戦前なら小学生だって知っていた超有名人なのです。

後醍醐天皇が隠岐に島流しと決まって連行されていく途中、これを何とか救出しようとこころみるものの、警護が厳しく断念したのですが、このとき近くの桜の木に、後醍醐天皇を励ます言葉を彫りつけた、という逸話が有名な人物です。

この詩が、戦前では小学校唱歌にもなっていたという、戦前の英雄です。

この児島高徳は、中国地方を本拠に活躍していた地侍ですが、詳しいことはわかっていません。太平記の原作者ではないかという説もあります。

ですが、どう考えてもその終焉の地が群馬県大泉町というのは違和感があるのですが、近くには南北朝の英雄新田義貞の出身地があることから、このあたりは南北朝の英雄の銀座通りみたいなところがあり、まあ児島高徳だってあり、だったのでしょう。

このお寺に行くと、立派な児島高徳の墓という宝篋印塔があり、それらしさを醸し出しています。高台は北の湖と大関だった増位山(現三保ヶ関)の献納だそうです。

相撲と児島高徳って、なんの関係もないように感じるでしょうが、実は関係大ありで、三保ヶ関親方は、この児島高徳の子孫なのだそうです。
[2010年07月17日19時05分]
お名前: そんし
典型的な伝説が一人歩きしていくパターンですね。

観光業者がもっともらしい伝説をねつ造して町おこしをしようと計画する。

それは違うという声は、町おこしに反対なのだ、という踏み絵として使われる。

町おこしに反対している者という烙印はイヤなので、地元の教育者や研究者も含め、誰も異論を唱えなくなる。

観光業者は誰も異論がないことこそが正しいことの証明と主張する。

Wikipediaで、こんな事を主張している地域があると客観的に紹介される。

Wikipediaにも明記されているくらいの定説だと町おこしに逆利用される。

Wikipediaは、「平家落人の里」の意味を客観的に解説しているだけで、内容についての事実関係をのべたものではなく、これは幽霊についてどんなに詳しく解説されていても、幽霊の実在証明とは全く関係がないのと一緒です。

「平家落人の里」という言葉は、実際に平家の落人が隠れ住んでいた里という意味だけではなく、観光町おこしとしてよく使われる用語のひとつでもある、という例示です。

こういう連鎖で間違った伝承の多くは作られていくのではないでしょうか。
大半の人が、あれは観光目的の話だから、めくじらをたてるほどのことではないと考えているとしても、それでも青少年の多くは知らずに信じてしまいます。

史実と異なるのを事実として伝えるのは、やはり青少年に有害な情報のひとつです。これはやはり愚直を承知で、それは違うと真っ向から主張していく人も必要ではないでしょうか。

真実かどうかに関係なく伝承は私も嫌いじゃないですけれど、伝承になるほど湯西川の話は古くからある話じゃないですから、もっともらしくかたるのは百年早いといったところでしょうか。

そんし
[2010年07月17日09時16分]
お名前: カーター
 川俣温泉についてはそんしさんのご指摘のような背景があるかもしれませんが、
川俣温泉からさらに奥の湯西川温泉についてはWikipediaの”落人伝説”と言うサイ
トにはかなり詳しく記述されています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/平家の落人

 実は昨年7月に数十年ぶりに旅館と言うものに泊まってみたいと言うことで、夫
婦で湯西川温泉の”平高房”と言う旅館に泊まりました。湯西川には、鯉のぼりを上
げない、犬や鶏を飼わないなどの風習が残っており、人が山中に住んでいることを
知られないためにそうしているそうです。

http://www.takafusa.jp/

 建物は高度成長のレジャーと言う言葉が流行った時期のものらしく、木造で大変
古いと言う感じがします。夕食は囲炉裏の周りでうずらの串焼き(骨ごとミンチに
した)やニジマスなどが頂ける風情のあるものです。
 その夜はちょうど”竹の宵祭り”をやっていて、子供の着物の着付けショー、伴氏
(平家の落人と言う)の女将さんの湯西川に伝わる民話の語り、平の桜子(櫻井亜
木子)さんにによる琵琶の生演奏による平家物語の語り”安徳天皇入水の”くだりを
聞く事ができました。琵琶の生演奏を聞くのは初めてであり、妻とともに感動して
日本人で良かったと感じた次第です。元栗山村の村長さんが琵琶の名手である櫻井
さんを湯西川温泉に招待したのがこの演奏の始まりだそうです。
 翌日は、落人の生活の模様を展示した”平家狩人村”、”平家の里”などを見学し
て回りました。平家の里ではもう朝の九時から、平の桜子さんの琵琶の演奏が始ま
っており人が集まっていました。

http://yunishikawa-kawamata-okukinu.jp/guide/yunishikawa/

 そんしさんがテレビで見られたのは湯西川の平家大祭の模様だと思います。本当
に平家の落人が湯西川まで来たかどうかはわかりませんが、伝統を受け継いで文化
が護られているのは素晴らしいことだと思いました。櫻井亜木子さんの画像と演奏
は下記です。タンゴと琵琶のコラボもいいです。

http://kihan.ciao.jp/genon/image.php?query=平家琵琶&pageID=1&form=

http://www.youtube.com/watch?v=YMCQ21fzQH0

[2010年06月13日11時02分]
お名前: そんし
栃木県の湯西川温泉といっても、あまり知られていない温泉ですが、ここの目玉が、となりの川俣温泉と同じく「平家落人の里」伝説。

その温泉街の祭り「平家大祭」が今年も行われたというテレビのニュースを眺めていたら、おいおい祭りの主役が平清盛かい。源平の合戦の際には、もう平清盛はとっくに死んでいたよ、とつっこみをいれたくなる映像でした。

まあ平家と言って知っている名前は、平清盛だけなんでしょうから、それはいいとして、だいたい栃木県北部の山中に平家落人の里があるはずないのに、どうして堂々と嘘をつくかなぁ。

源平の合戦とは、たしかにトップは源氏と平氏だけれど、中身は関東と関西の戦争ですからね。間違っても敗れた平家の残党が、敵の本拠地のまっただ中に逃げてくるなんてありえないでしょう。安住の地になりようがないですからね。

そこでどうして川俣温泉や湯西川温泉が平家の落人伝説をねつ造したかというお話ですが、元々は明治の皇国史観で、南朝遺臣が関東北部で活躍した話からはじまって、それなら遺臣が隠れ住んだとしてもおかしくはないだろうという創作からスタートしたのだろうというのが私説です。

ところが第二次大戦に敗戦した後は、南朝遺臣なんて、誰も興味が無くなってしまった。これでは温泉街PR効果はないですから、仕方がないので、当時流行りだした源平の話に乗って、南朝遺臣を平家落人と切り替えることにした。というのが本筋のような気がします。

その証拠に、川俣温泉では、当初は隠れたのは平藤房などという、そんなの平氏にいたかなという名前を使っていました。でもそれはだれだという私の指摘に答えるように、実は平氏の家来筋の藤原藤房の誤りだったといいなおしてきた。

うむ、藤原藤房なら私の出番だけれど、それは平家の家来ではなく、関東北部で活躍した南朝遺臣の万里小路藤房のことだよ。源平とは全く関係のない南北朝時代の人物。しかもその人物だとしても川俣温泉に隠れ住んだという記録はないなぁ。ああ伝説なら記録はいらないのか。

そんなわけで、その時々の有名人を利用して何とか温泉街を宣伝したいという苦肉の労作なんでしょうけれど、歴史のねつ造は青少年に有害ですね。

そんし

[2010年06月07日00時48分]
お名前: そんし
福井市に立ち寄った折に、せっかくなので昔ヒッチハイクで立ち寄った記憶のある「北ノ庄跡」にも寄ってみました。

私の記憶にある「北ノ庄跡」は、とてもちいさな児童公園で、ブランコかすべり台と砂場があって、母子がふたりあそんでいて、その一隅に似つかわしくない柴田勝家の銅像が、知る人もなく寂しそうにポツンとあっただけでした。

ところが今回立ち寄った同じ場所には、当時と同じ柴田勝家の像はありましたが、なんと児童公園だった場所には立派な神社ができており、祭神は柴田勝家でした。しかもあの頃はなかったはずのお市の像まで立っていて、三人の子供の記念碑までありました。
城の石垣があった場所らしく、発掘調査した跡も展示保存されていました。

前に来たのは戦国ブームのずっと前の話ですからね。柴田勝家なんて全国的には知る人の少ない人物でした。お市なんて影も形もなかったくらいですからね。おやおや時代により評価も変わるものだとあきれて眺めてきました。

その柴田勝家の像は、戦国ブームのずっと前に造られた像ですから、いかつい無頼漢のような鬼の形相です。今作るとしたら悲運の将のようにいい男で描かれるのでしょうか。

[2010年05月16日03時19分]
お名前: 素里奈
孤鞍衝雨叩茅茨     孤鞍(こあん)雨を衝いて茅茨(ぼうし)を叩く
少女為贈花一枝     少女為(ため)に贈る花一枝(し)
少女不言花不語     少女言わず花語らず
英雄心緒乱如糸     英雄の心緒(しんちょ)乱れて糸の如(こと)し

解説本によると、作者大槻盤渓(おおつきばんけい)は仙台藩の儒学者。経史詩文の外、「洋楽に留意し、砲術を広め、衆論を排して開港を説いた。奥羽聯盟に活動して獄に下ろされた後は悠々詩文を楽しんだ。
大意は、太田道灌が武蔵野へ狩りに出て、俄か雨にあい、とある農家へ蓑を借りに行った故事を詠じたもの。ただ一騎雨中を冒して田舎家を訪れると、少女が出てきて山吹の花一枝、無言のままさしだした。「七重八重花は咲けども山吹の、みのひとつだになきぞ悲しき」と古歌をよみ蓑が一つもないと床しく断ったが、道灌その意をさとらず困惑の態であるというのである。
【字解】孤鞍=ただひとり馬に乗ってゆくこと。茅茨=ちがやといばらで葺いた屋根。
詩形の約束ごと、 承句の末尾の 枝(し)、結句の終りの糸(し)でおなじ韻を踏む?
になっている。 参照文献:古今名詩集撰

[2010年05月11日06時33分]
お名前: そんし
越生というと梅林しか思い浮かびませんが、今の季節の山里は山吹ですね。

本当に山吹の里伝説地は関東一円にありますね
越生も道灌本人ではありませんが、その父親が住んでいた場所ですので、道灌ゆかりの地には違いありません。ちょっとでも関係があればみんな山吹の里というわけです。

山登りを趣味にしているので感じるのですが、この季節登山口はいずれの場所も山吹の花でいっぱいです。少し高度を上げると山吹はなくなり、今度はヤシオツツジで埋め尽くされます。つまり山吹の里とは、山里を意味する隠語でもあるわけです。

ですから、いずこの地も山吹の里でいいと思いますね。

[2010年05月08日11時35分]
お名前: カーター
 5月4日に娘が所沢のマンションに帰ると言うので埼玉県行田市の私の家から、
越生町を経由してドライブしました。越生町には太田道灌が蓑を借りようとしたら
山吹の枝を娘から差し出されたと言う山吹の里公園があります。
 東松山から鳩山町方面に走ると越生町に入ります。山富貴と言う看板を見つけた
ので駐車場に止めると、何と日本料理の店でした。山吹の里公園は隣にあると言う
ので車を移動させました。まず目につくのが大きなひなびた水車です。回りにはた
くさん黄色の山吹の花が満開になっています。ゆかりの太田道灌の話は碑に記載さ
れています。
 水車小屋の裏山には二種類の山吹の花がたくさん植えてあり、周辺全体が山吹色
になっています。黄色の花を見るのは初めてではありませんが、山吹色の花をつく
づくと眺めるのは初めてでした。でも、太田道灌と娘の話と周囲の車が多い風景と
はどうしても重ね合うことはできませんでした。
 埼玉県の西部の都幾川、越生、毛呂山町などは、平地の多い埼玉県の風景とは異
なりもうすでに秩父の風景に近いものがあります。毛呂山町の「おたかうどん」で
はゆずの香りのするうどんを楽しむことができます。うどんの店の回りではうぐい
すが競い合うように鳴いています。周辺にはチューリップやすみれなどを植えた庭
園があり散歩を楽しむことができます。”ふき”の原っぱには雉(きじ)の雄が歩い
ていました。美しい日本の国鳥です。近所の人に「きじがいる」と話しかけても珍
しいことではないように「のどかですから」と言う返事が返って来ました。川沿い
を上流へ進むとうしろから「ケーンケーン」と言う雉の声が聞こえて来ました。

http://www.e-yamabuki.com/index.html
http://www.route254.com/see/yamabukinosato/park_yamabukinosato.html
http://www.route254.com/soba_udon/otaka/main.html

[2010年05月08日10時01分]
お名前: 江戸通
>「どたま勝ち割る」
 ヘイさん、怒りの表現ですね。
 実際は、何処までやったのか解りませんが、
 壱、切腹して武士の面目を立てたい
 弐、できれば、頭をつぶしておみやにされたくない
 参、石を抱いても浮かんでやりたくない
 このあたり なの ですが?
 矢口の渡しには、止まったことがない、停車したこともない
 まーよく見かけたことは、ありますが。

江戸通
[2010年02月27日04時33分]
お名前: ヘイ
>「腹を掻っ捌き、頭を勝ち割る」

関西方面で使われる河内弁では、「どたま勝ち割る」と言います。
「どたま勝ち割ったろか〜。」みたいな使われかたをします。

河内というか関西方面でいくならば、楠正成ですか。こんな言葉使ったのどうかわかりませんけど。

河内弁つながりでいくならば、「耳の穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせたろやないけ。」というのも懐かしいです。

藤田まことさん、おなくなりになったんですね。ご冥福を・・・。


[2010年02月26日22時54分]
お名前: 江戸通
> 世良田東照宮のとなりの歴史博物館や、鎌倉の七里ヶ浜には、新田義貞が、
>おきまりのポーズで、太刀を両手で捧げ持っていて、このポーズは
>昔はよほど有名なポーズだったらしく、今でも手話で「新しい」を意味するポースと
>して残っています。新田義貞の「新」だということのようです。
>誰でも知っているポーズだから採用されたのでしょうから、
>よほど有名だったのでしょうね。

 「新」(しん)が手話からなくなった?
 矢口の渡しでは、有名な新田義興の「腹を掻っ捌き、頭を勝ち割る」あたりが
 新、(あたらしい)の手話に採用?なんていうのはあまり感じはよくないですね。
  なんでも時価240万円相当の大変高価な銅像で、地元では、宇都宮餃子のように
 直ぐには、再建できず困っているそうです。
  福井県の眉間に矢があたって絶命するポーズというのもなんですな。
  歴史上の人物で新田義貞も疎かに扱ってはいけないと実感しています。


江戸通
 

[2010年02月25日08時27分]
お名前: そんし
まあたぶん銅のスクラップとして売るために盗んだのでしょうね。
いまどき新田義貞じゃ美術品としての値打ちはゼロでしょうから。

たいていのスクラップ業者なら、あのまま持ち込まれて
盗品だと気づかない日本人はいないと思いますから、
盗んでも売れないって考えるのが普通だと思いますけど。

そのまえに、中は空洞だからたいした価値はないことくらい
子供だって知ってるはずですから、よほどのマヌケでもないかぎり
盗もうなんて発想そのものがでてこないと思いますけど、
そんな知識すらないコソドロとはどんな人間なのか興味津々。

そんし

[2010年02月20日20時39分]
お名前: ヘイ
新田義貞の銅像盗まれる=群馬・太田
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_thief3__20100220_17/story/20100219jiji8986206/

だそうです。

変なやつがいるもんだ。こんなもの盗んで売るつもりなのかね?


[2010年02月20日09時27分]
お名前: ヘイ
言問橋で思い出すことというと、ちばあきおの野球漫画ですかね。作者は既に亡くなられているんですけど。

キャプテンとプレイボールでしたか。キャプテンが中学時代。プレイボールが高校時代でした。
プレイボールで主人公は墨谷高校の生徒。ライバル校東都実業だったかな。ライバルというほどではないのだけど、言問高校というのがちらっと出てきます。
墨谷高校というのは墨田川高校のことなんでしょうかね。ともかく、フィクションですから、すべて架空の学校であります。
そういえば、業平小学校は実在するんですね。

業平橋の南西の方角に本所という地域があります。
子供の頃、怪談本所七不思議という映画をテレビで見たことがありまして、子供ながらに怖かった覚えがあります。
この映画は本所七不思議を元に作られたものですけど、元ネタは知らない人が多いんじゃないですかね。
幽霊の話ではなく、お化けのたぐいなんですけど、七不思議のうち狸囃子だけは怖くなかったなあ。

時期的には、ちよっとずれてたかも。


[2009年09月18日23時31分]
お名前: そんし
浅草に言問橋という橋があります。在原業平が隅田川で詠んだと言われている、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥我がおもふ人はありやなしやと」にちなんだ名前ですが、すぐ近くには業平という地名や業平橋という駅名も残っています。

都に残してきたひとを想い、都鳥という名を持っているなら、都に残してきた人の様子を聞かせて欲しいと問うせつない歌です。

この言問橋のそばには、老舗で評判の言問団子のお店があります。
今は高速道路の入り口のそばにあって、交通量の多い道路に挟まれる格好になって、駐車場もなく近くに駅があるわけでもなく、とても不便な場所になっていますが、それでも人気は相変わらずです。

実は言問橋のたもとにあるお店だから言問団子なのではなく、言問団子のお店のそばにある橋だから言問橋なのだそうで、橋の名前があとからできたのですね。そうなると橋の名前にちなんだ言問通りも、元をたどれば言問団子ということになるわけで、たかが団子とあなどれない。

ちなみに雑学ると、在原業平によれば都鳥は白い鳥なのだそうで、現在の都鳥は黒ですから、これはユリカモメの事だろうと言われているそうです。

もうひとつ雑学くるなら、TBSアナウンサーの外山惠理は言問団子の娘なのだそうです。

そんし

[2009年09月18日13時35分]
お名前: そんし
先日日暮里駅に初めて下りたところ駅前に大きな石像がありました。
鷹狩りの武将の像で、鷹狩りの武将姿で有名なのは太田道灌と源頼朝くらいかなぁと眺めたのですが、石像の主の碑が見あたりませんでした。

あとで思い出したのですが、そういえば道灌山というのはあのあたりにあったはず。きっと太田道灌の像なのでしょうね。

で太田道灌の鷹狩り姿がなぜ有名なのかと言えば、ここの最初に書いた「山吹の里」伝説に由来します。戦前ならば子供でも知っていた有名な逸話です。

ある日、鷹狩りの帰りに雨に降られた太田道灌が山里の一軒家に立ち寄り、出てきた娘に簑を貸して欲しいと頼みます。娘は返事に代えて山吹の小枝の先に一首添え、黙って差し出します。
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに無きぞかなしき」
その意味を理解できずに城に帰った太田道灌が歌の師匠に尋ねたところ、
「貧しい家ゆえ、貸して差し上げられる簑のひとつも無いのです」
という意味だと知らされ、自らの不勉強を恥じてより一層の勉学に励んだ。
という逸話です。歌は古歌からの引用ですが、その逸話もまあたぶん作り話というのが一般的な戦後の評価です。

そこから鷹狩り姿と言えば太田道灌というわけなのです。

先日神奈川県の伊勢原市にある大山という山に登ったのですが、登山口まで行く道筋の途中に太田道灌の墓という案内がありました。太田道灌が暗殺されたのがこの地なのですが、地元では、ここらへんに混乱があって、大山こそが山吹の里だと勘違いされて伝わっているようでした。

同じく、ここが山吹の里と自称している場所に、太田道灌が築城したとして知られている川越城の川越市や、太田氏が支配していた岩槻市があり、どちらも市花がやまぶきでした。岩槻市は現在さいたま市に吸収合併され無くなっています。

そんし

[2009年09月05日08時57分]
お名前: ヘイ
ポーズの問題は置いとくとして、有名な像としては札幌のクラーク博士や上野の西郷さんですかね。
西郷さんが連れている犬は、色々と議論があるみたいで雄と雌を間違えて像を造ったみたいね。名前は「つん」とかいうそうです。
靖国神社にある大村益次郎の像は、オフ会で知りました。

ローカルネタになりますけど、博多の東公園には亀山上皇や日蓮聖人の像があります。

それから、話題が違うかもしれないけど、こんなニュースも。

卑弥呼?それとも後継者? 大規模周濠の一部を初確認 奈良・箸墓古墳
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080827/acd0808271107006-n1.htm

私には難しい話なので、よくわかりません。(笑)


[2008年08月27日18時49分]
お名前: 江戸通
 生品神社の新田義貞像
http://www.freebeesbank.jp/growing/back_number/2004_15/waga.html
 他に「るるぶ」などでも取り上げられてます。
太田道灌の像
http://blog.livedoor.jp/john96pierre/archives/51615759.html
 東京国際フォーラムですか、あまり中に入ったことがない。残念
 ついでに、日暮里にある道灌像
http://housendou.jugem.jp/?eid=655
 高山彦九郎
http://www.sunfield.ne.jp/~hikokuro/#■高山彦九郎の人物像

http://burari2161.fc2web.com/takayamahikokurou.htm
 京都では、必ず膝をついて京都御所に向って頭を下げて、入京したとか

江戸通
[2008年08月26日18時31分]
お名前: 驚愕【水七則
 取り急ぎ!
http://web.soshisha.com/archives/word/2007_0510.php
 どこかに、HPぐらいありかな?
なんてとんでもない。 黒田如水?東京都水道局、小林一重?
 知らないよね!
みんな知ってる?
 憤慨やるかたなし。
>源田實
 「飛行教官から教わった言がある。」
 特攻隊?

なかなか面白いですね「新、お言葉ですが」
 返すがエスも残念。出典は何か聞き忘れました?マジで。
栃木の植木住職が、伝えていた?

 えっ。

江戸通
[2008年08月25日21時27分]
お名前: お口直し
 いやー方言なんでしょうね、直すと日本語には
ならない。
 原因というか、鎌倉公方足利満兼が、弟二人を、篠川、稲村に奥羽の代官として
派遣し、後見として上杉朝宗を施行させたとありますから、管領上杉氏が頭にあると
混乱する訳です。
 どちらも今の、福島県で、須賀川市、郡山市であのあたりの出身だったらしい、
関東管領といっても、関東の北端と言っていい南方にしか力が及んでいなかった
のが現実らしい。
 足利尊氏が、後醍醐天皇に疎まれ中央政局から外された大きな理由として、
十三湊周辺の有力荘園を複数恩賞として所望したとありますね。
 足利家としては、実情はかなり把握していたらしい。

 江戸通  m(__)m
[2008年08月20日11時59分]
お名前: 江戸通
>皆さんもおもしろポーズの像を知ってたら教えてくださいませ。
 残念ながら像は、よく知りません。高山彦九郎の像はちょっと面白い
といえば、面白いポーズですが、大きすぎて(笑い)
http://okhome.fc2web.com/scene/0608.html
 金ヶ崎の戦いですね。「犬死に」と酷評されてますね。
 太田区矢口の渡しには、新田義興が江戸に騙され、ふねの上で、
 横一文字に刀をねじり 骨をまでかき回し腹を切って、川に沈んだ
 という話しが残されていますね。
 「七生マデ汝ガ為二恨ミを報ズベキ者」と言って江戸を、怨霊となって
 死なせたとあります。
   近くには、太田道灌の「水七則」の碑と言うのを、市議会議員がたてたのでが、
 未だに出典は不明です。
  一説には、「鷹狩をする徳川家康」像を二宮尊徳の代わりに置き、江戸もとい
 東京の守りを固める呪術だとか。
  水の守りは、太田道灌に頼みますか?一昨年行った、宇都宮で行なわれた、市議会
 議長会の会場でも話題になっていたようです。
  太田さんの了解が取れなかったのかな?

  江戸通
[2008年08月20日01時20分]
お名前: ヘイ
弁慶立往生
http://sutekinaomaturisyasinnkan.web.fc2.com/tatioujyou.html

立往生は言葉の意味としては確かに変わってきてますね。死ぬという意味ではなくて、何らかの事情で身動きがとれないというようにね。
弁慶でお決まりのポーズといえば、歌舞伎でいうところの勧進帳でしょうか。だけど、演芸ネタですから、歴史とは関係ないかも。

畠山重忠の像ですが、昔の馬は今のサラブレッドとは違ってそんなに大きくはなかったんじゃないですか。

小田原の連れション像はわかりませんね。小便小僧とはちょっと違うような・・・。

新田義貞の名前は知ってますけど、七里ヶ浜でのポーズというのは知りません。知らないほうが悪いのだと言われればそれまでですけど。高山彦九郎の像なら知ってますけど、面白くも何ともないですし。

すんません、真面目に考えすぎですね。


[2008年08月16日17時23分]
お名前: カーター
畠山重忠の馬を抱えた像は下記のようなものです。
川本町の畠山重忠公史跡公園 の中にあるようです。
逸話は源平盛衰記に紹介されているそうです。

http://www.asahi-net.or.jp/〜ab9t-ymh/kakuchi/yorii01/hatakeyama.html

[2008年08月16日14時44分]
お名前: カーター
 日本史ではなく中国史になりますが、元の意味を全く知らずに使っている言葉に
完璧という言葉があります。中国語の成語として「完璧帰趙」(璧をまっとうして
趙に帰らん」と言うのがありますが、完璧の壁は真ん中に穴のあいた宝玉のことで
完璧とは傷のない玉が元の意味です。
 中国の戦国時代、趙の国に「和氏の璧」と呼ばれる立派な「璧」があり、それを
秦の国王「昭王」が欲しくなり、秦の15の国と交換しようと言う提案がありまし
た。しかし、藺相如(りんしょうじょ)と言う人が秦の国へ使いに行きましたが、
秦には城と交換する気配がなかったため、藺相如は璧を命懸けで持ち帰リました。
「完璧而帰(璧をまっとうして帰る)」という故事から、 完璧 は大事なことを成
し遂げることや、欠点が全くないさまを意味するようになりました。中国でこの故
事は「完璧帰趙」として辞書には載っていますが、完璧にあたる中国語は完美(ワ
ンウェイ)と言う言葉があてられており、中国では完璧という言葉は使われなくな
っています。
 「史記列伝二、廉頗藺相如列伝第二十一」から

[2008年08月16日11時46分]
お名前: そんし
比喩として誰でも知っている言葉として残っているのに、元の逸話は完全に忘れられてしまっているというのも、よくありますね。

「交通渋滞で車が立ち往生」なんて良く聞きますが、「死んじゃったのかい!」と突っ込みを入れたくなります。平泉あたりに、「弁慶立ち往生の像」なんてのが、ありそうな気がしますね。

「天王山」「関ヶ原」「三日天下」「一豊の妻」などに至っては、比喩としても消えてしまっているので、像で残ってるなんて考えられないし。

しばらく前に、クイズ番組で「元祖御三家といえば舟木一夫と西郷輝彦と、あと一人は誰?」という問題がでて、思わず「おいおい、それが元祖御三家かい」と言ってしまった私は・・・。

[2008年08月16日00時38分]
お名前: ヘイ
吉良町では 吉良さんは 名君である
http://www.town.kira.lg.jp/pub/kyouiku/sanninsyu/kirakou/index.htm
比較的よく知られた話ですね。

豊臣秀吉の手は六本指とか。
多指症
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%8C%87%E7%97%87
さて、真偽のほどやいかに。

怪談で知られる番町皿屋敷ですが、元ネタは彦根藩にあるとか。彦根市の長久寺には、お菊の墓とつなぎ合わせた皿が6枚あるそうです。
ところが、お菊の墓や皿は彦根だけでなくて全国各地にあるみたいです。皿も全国各地合わせると、18枚になるとか。
上方落語で皿屋敷というネタがありまして(播州皿屋敷になりますか)、お菊さんが有給休暇とるために2日分数えるというオチです。それが丁度18枚。

こうやって調べてみますと、そんしそんの主旨に沿うようなものはなかなかないです。

カーターさんへ

佐々木小次郎ネタ、ありがとうございました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%B0%8F%E6%AC%A1%E9%83%8E
佐々木小次郎には謎の部分も多くて、とりわけ年齢関係でしょうかね。吉川英治の影響なんでしょうね。


[2008年08月14日19時52分]
お名前: カーター
武蔵が出たところで佐々木小次郎はいかがですか?山口県の岩国の出身です。
美男子ですね。

http://members.jcom.home.ne.jp/artbara/java-bara/murashige/kogilo1.html
[2008年08月13日12時23分]
お名前: ヘイ
スレッドの主旨に合うかどうかわかりませんが、こんなものを。

下関銘菓 巌流本舗の「おそいぞ武蔵」
http://www.ganryu.co.jp/musashi.html

ネーミングがなかなか面白いです。

待ちくたびれてイライラする時に、おひとついかがですか?


[2008年08月12日19時56分]
お名前: そんし
太田道灌の「山吹の里」で思ったのですが、誰でも知っている有名な日本史逸話と信じていたら、いつのまにか消えてしまっていたお話というのが、いろいろありますね。

各地の史跡を訪ねると、そんな消えた逸話にちなんだ銅像石像が建っていたりして、ああこれはあの話を知らないと意味が通じないな、と苦笑することしばしです。

熊谷の近くに畠山重忠にゆかりの場所があるので行ったことがあるのですが、「馬を背負った銅像があったりして」などとつぶやきながら行ってみると、みごとに本当にあって大爆笑したことがありました。これも逸話を知らないと、あの人どうしたのって事になるでしょうね。

世良田東照宮のとなりの歴史博物館や、鎌倉の七里ヶ浜には、新田義貞が、おきまりのポーズで、太刀を両手で捧げ持っていて、このポーズは昔はよほど有名なポーズだったらしく、今でも手話で「新しい」を意味するポースとして残っています。新田義貞の「新」だということのようです。誰でも知っているポーズだから採用されたのでしょうから、よほど有名だったのでしょうね。

皆さんもおもしろポーズの像を知ってたら教えてくださいませ。史跡散歩も最近飽き気味なので、別の切り口で遊んでみたいなと考えています。たとえば小田原あたりに、連れ小便の像があるとか。山口では、必死で矢を折ろうとしている像があるとか。

そんし

[2008年08月12日18時57分]
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