テーマ:消えた南北朝の里

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お名前: そんし
群馬県の太田市は、新田義貞ゆかりの新田町を平成の大合併で吸収し、その市域に世良田東照宮、新田義貞挙兵地、館跡を含めることになったためか、合併と同時に市章が新田氏の家紋である大中黒に変わりました。

伝統ある新田の地名が無くなるのは淋しいことだと思っておりましたが、市章として残すというのは良いアイデアですね。

もとはといえば明治の町村制施行で新田郡の中にあった大田郷に太田町ができたのがはじめですから、太田という地名は新田郡の中の集落のひとつの呼び名に過ぎませんでした。
まあ新田町にとっては、軒先貸して母屋取られたといったところでしょうか。

[2010年06月14日11時10分]
お名前: 重ねて「三木一草」
 「三木一草」のうち、草は、千種も「播磨国風土記」に由来し、
鉄の生産に関する由緒を持つ地名だとか、そこから、ちぐさ(チグサ)と
家名をした由、出自は、村上源氏で、佐々木導与と同じようですね。
 室町幕府も最盛期は、公家がこぞって、太刀を献上して官位を得るなど
という風潮があった他、天皇自ら槌を振って太刀を作るなどという儀式を
行い、かなり優れたもの作られたとか。
  鉄に係わる座は、織田信長が天下を目指し初めて、座の独占に対抗できた
と言われるほど、天皇との係わりをもちつつ、特別な位置付けを持っていたようです。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E4%B8%80%E8%8D%89
 町村合併が進むなか、別トピで「今コレ」なみの扱いになっているようです。
 禅の「三木一草」は、以前大河ドラマ「太平記」でも紹介されていたような。
  山口県にも、かつて「楠町」がありましたが、大合併でなくなりました。
 山口県は、位置から九州との関係が深いですが、結城氏が残っている事に、
 感心を持っています。藤原秀郷流の結城氏という言い方も、所領関係は、別に
 して、奥州街道沿いに幕命で張り付くという言わば、課役が重く、この頃の
 結城家と足利家は、友好関係が結ばれ、近くの小山家との関係が微妙になって
 いたようですね。平家物語の足利家は、秀郷流ですから、九州の足利への評価
 と重なるようです。

  江戸通
[2008年04月29日16時04分]
お名前: 江戸通
 言葉遊びのような、言い方ですよね。
>三木一草は、名和伯キ、結キ、楠キ、千クサの事
http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%BB%B0%CC%DA%B0%EC%C1%F0%BB%F6
 なに!てんぷら定食で言えば、
 松、竹、梅、それから、柳にちなんだということですか?
 確かに、牛丼や天丼には、松、竹、梅もないから、こうなったということ
でしょうか?
 生き残った、結城市は、さしずめ、風に靡く竹、バンブーか、
 柳といったところでしょうか。木の葉どんぶりと言えば、大葉とか柳の葉
てんぷらだったような(あやしいな)。
 どっちだったか?

  江戸通
[2008年04月29日04時30分]
お名前: そんし
蛇足になりますが三木一草は、名和伯キ、結キ、楠キ、千クサの事ですが、元は中国の故事、三草一木をもじったものだそうです。

で、本家の三草一木が誰のことだかは、わたしゃ知りませんけど紹介しなくてもいいですよ江戸通さん。興味ないんで〜。

千草忠顕と、消えた千種町とは何の関係もないんじゃないかな?

[2008年04月28日17時46分]
お名前: 江戸通
 南朝の勇将を「三木一草」という言い方をします。
 結城親光
 奥州の要衝、白河を任されていた。当時は、秀郷流の結城氏は、結城から離れ、
 奥州街道沿いに拠点を築いていた。
 http://www.city.yuki.lg.jp/index.html
 名和長年
   名和町、町村合併でなくなる。
 楠正成
  楠氏は、播磨の国小野荘に関与したとも、和泉の国臨川寺領を押防したとも
  得宗被官で武蔵の国のかつては、御家人だったとも言われている。
 http://www.pref.mie.jp/
  商業に関係が深く、最近楠城にちなんだ町が合併で消失しました。
  (言っといてあげて、あの町もなくなったの!!)
 千草忠顕 父は六条有忠
 千草町は、町村合併でなくなる。
  http://www.city.shiso.lg.jp/
  今は、「播磨国風土記」により、『しそう』というのですね、武家でもないが、
 バサラのはしりのような人で、大層派手好きだったとか。
  そんしさんの好みではナサソウですが、千草の家名も「風土記」に由来するとか。

江戸通
[2008年04月27日22時39分]
お名前: そんし
遊行笑人さん。北条市も立派な南北朝の里ですね。北条市が消えちゃあいかんでしょう!

そういえば、いつのまにやら大塔宮護良親王ゆかりの奈良県の大塔村は五條市に、和歌山県の大塔村は田辺市に吸収されて消えていました。

いろいろと興味を覚えて、ランダムに眺めてみましたら、赤松円心の赤松郷などは、ずっと昔から上郡町のひとつの地区名としてしか残っていなかったみたいで。

まあ桜井市とか四条畷市など、そう簡単に消えそうにない元気な場所もあるみたいですが。南北朝の古戦場としての輝かしい歴史がなければ、まさか「畷」が地名になることは無かったことでしょうね。
[2008年04月18日06時25分]
お名前: 江戸通
そんしさん、神奈川県の藤沢あたりの町村合併もと考えて
おりましたら、現在進行中か、うまい例がみつかりませんでした。

>群馬県の新田町も合併で消えました。戦前なら、
>誰も疑問を感じない当然のことのように、太田市にかわって、
>新田市という新市名が採用されたことでしょう。
 あと気が付いたのですが、九州下向で対戦した相手というのが、
 竹下合戦で対した武士が、まず、向かい合って戦っていますね。
 多々良浜の戦いです。
  因縁というか、奇将と言う言い方も、勝利よりも東海道を遊びながら
 下り、箱根周辺では、寺に篭り、竹下合戦に及ぶというあたり、まだまだ
 勉強が必要という気がしました。
http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/10_004.htm
  新田では、江田館も有名な史跡だったのですね。
 建武新政での役職を新田家が牛耳っただことで、一応の名分は、双方に建った
 ということなのでしょうか。(誰とだれ?えっ)
  新政の一つの方針として、承久以来の北条家が与えた所領を天皇(尊治親王)
 が、与え直すという過激なものが含められていたのが、大きな混乱の原因に
 なったようです。
>神皇正統記
 でも。北条義時(江間の小四郎)は、批判してはいかんとしていました。
 足利尊氏にも好意的ですね。
  九州と箱根(藤沢、足柄あたりまで)は、同じ位のバランスで、
 大きな難問だとまた感じました。

  江戸通
[2008年04月12日16時38分]
お名前: 江戸通
 記録所   五番 奉公人   名和長年
 雑訴決断所 五番 奉公人   同上
 
 所領    鳥取県(?)

 侍所頭人  
       一番  新田義顕
       二番  新田義貞
       三番  新田行義
       四番  長井広義
       五番  新田義治
       六番  武田信貞

 是に対し、足利尊氏は、武蔵守の官位を得、所領三十箇所を加増されたのみで、
官途なし。

 たかうじ と言うと、北条高時(ほうじょうたかとき)の偏倚(?)とされ
尊治親王の一字から、尊氏(そんし)と呼ばれるのを好んだではないでしょうか?

江戸通
[2008年04月12日01時20分]
お名前: 遊行笑人
ヘイさま、お久し振りです。 伊予の道後の湯築城も昨年には、名誉ある日本名城100選に選ばれて、近世江戸時代築城の日本有数の華麗にて勇姿を其の侭に残す松山城(勝山城とも?)と併せて、歴史的中世の時代を語るのみならず、遡ること日本最古の道後温泉の里に在する瀬戸内水軍河野氏の歴史に偲ぶを憚らない居城・舞台為らん哉。
古くは同国風早郡の北条の里・高縄山の麓・・河野氏の発祥の地も、北条市から〜松山市に合併して居ります。時代の流れとは云え・・松山市北条町の名に細々と地名を残すのも心もとない感も隠せない。合掌

[2008年04月10日19時07分]
お名前: ヘイ
「そんし」というHNは、足利尊氏の尊氏から来ているのではなかったのですか?

当方、太田市の南にある熊谷に住んでおります。地名の由来は南北朝よりもちょっとばかり古いようです。

地名といえば、江戸時代から明治への移行期もかなり問題があったみたいですね。県の命名とか。


[2008年04月09日14時13分]
お名前: 遊行笑人
そんし殿・真に寂しき哉!・・せめて字の地名だけでも?・・・残して欲しいものですね。和氏や新田氏や・・伊予も四国中央市なんて!・・・土佐の高知も、一条氏の中村も四万十市・・紛らわしいの高岡郡内窪川周辺も四万十町と真に??・・道標も見迷うことしきりとか。・・日本最後の清流に拘ること、自然の姿を懐かしむも、何かと不思議な行政感覚?・・道路標識を替えるのにも多額の税金湯水の如く・・暫定ガソリン何某道路族の遣い放題の無駄遣い・・・真に日本政府の自惚れかと?!!!。 今一度坂本竜馬の選択と洗濯と心持を偲びたい気分なり

[2008年04月08日20時46分]
お名前: そんし
遊行笑人様。いやいや公の場所で名乗ったのは、わたしのほうが、あちらよりずっと古いです。わたしのハンドルネームは、あくまでもひらがなのそんし。

地名決定の瞬間というものは、その時代の世相が色濃く反映されますから、後々の人が平成時代を想う際には、昨今の新行政名も重要な資料になりえます。南アルプス市も、さくら市も、四国中央市も、平成とはこんな時代だったという、未来の研究家に貴重な資料を残しました。そういう意味では南セントレア市も、太平洋市も、平成を語る代表的こっけい地名になりえたのに残念です。

南北朝の地名が消えてるなと感じたのは、少し前に仕事で行った、茨城県の筑西市での事です。ここは近隣の市町村が合併してできた市で、「筑波山の西」という意味ですが(実際は北西)、そのなかに関城町という町がありました。関城というお城があったことが由来の町名ですが、神皇正統記を書いた北畠親房が、関東の南朝拠点最後の砦としたのが、この関城で、戦前の皇国史観的教育では、子供達が涙無くしては聞けなかっただろう話として「関城の書」という有名な実話が残っております。

そんな大切な地名の関城さえ、近隣の合併に巻き込まれて消え、そのことを誰も問題としない時代になったわけですから、すでに南北朝タブーなどという言葉は、すっかり過去のものになったということでしょうね。20年前なら、こんな事を誰もが読めるおおやけの場所に披露することすらためらいを感じましたから。

ちなみにこの筑西市、安倍晴明の出身地で、小栗判官の地元なんだそうで、これに北畠親房を加えれば、歴史B級問題に出てくる人物ゆかりの地になりますね。

そんし

[2008年04月08日15時39分]
お名前: 遊行笑人
そんし殿(尊師と記す可きか)・・・お久しゅう御座います・・お元気で安心しました。
この度の題目は、中世以前に遡り、歴史の古き里々の新統合(市町村合併による安易な改称・名)と行政区画の心無い合併の弊害の故、現代の行政(主に現国政の地方分権の名に借りて、安易な税政・経済効果と合理性のみの法制化にての負の債務の大儀名分の転嫁・合理化システム構築の・不憫な横暴とも?!)・・大和の国のなごりを失する想いの感なり。懲りぬ倣いの不審な軽はずみの悪行の所以かとも?!。・・・現代に生きる者の命の源流は、川之流れ大海に注ぎ又天の自然の輪廻天象(敢えて地球上の気象の理)如く、せめて古之源流を未来永劫に継ぐことの貴さを知らしめる事こそ、今の日本国で生(命)を保つ人々の役割ではないでしょうかね!?。

[2008年04月06日21時11分]
お名前: そんし
なにやら穏やかではないタイトルですが。

南北朝時代を語るとき、「南北朝の里」が全国にある事が楽しさを倍加させてくれます。おらが村の南北朝という具合です。

戦前の皇国史観華やかだった頃ならば、南朝のふるさとであった事が、鼻高々の自慢話だったり、北朝ゆかりの地であることが、なにやら後ろめたかったりと、ひとそれぞれの南北朝があったのですが、戦後は、戦前の教育の反動なのか、時代を語ることそのものが無意味とされてしまいました。

ここのところ、平成の大合併で、全国の市町村が次々と合併し、新しい街が誕生していますが、そのかげて、多くの南北朝ゆかりの地名が消えて行ってます。特に戦前なら絶対にありえなかったような、南朝ゆかりの重要な地名が消えていくのを見ると、時代が変わったことを痛感します。

鳥取県の名和町が合併で消えました。たぶん戦前なら合併した町の中でも、もっとも輝かしい地名として、名和市という市名が採用されたことでしょう。群馬県の新田町も合併で消えました。戦前なら、誰も疑問を感じない当然のことのように、太田市にかわって、新田市という新市名が採用されたことでしょう。

菊池市や結城市などは残っていますが、千早赤阪の地名も、まもなく消滅するような話を聞いています。

南北朝の面影が、ますます遠くなっていくようです。

[2008年04月03日11時40分]
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