テーマ:弥生時代に関する素朴な疑問

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お名前: 土龍
ごめんなさい、

長すぎたのか、
途中で切れてしまいました。

卑弥呼の話から
仕切直します。

 最後に、広嗣さんは技能者(呪術者)として権力を握った者として「卑弥呼」の例をあげておられますが、「卑弥呼」の登場した時代、列島西部(西日本)社会は「階級社会」に入っていたとみて良いものと考えます。つまり縄文時代の後半や弥生時代の中頃までに見られた上記のような(富の蓄積や技能による)「権力」の発生・成長段階を超え(あるいは終え)、「権力」の確立している段階、王・豪族(首長)・民・奴婢が完全に分離し、「階級間」の異動が困難な時代に入っているわけです。同時代の考古学的諸痕跡もそれを支持します。おそらく卑弥呼は「呪術者」ではあったでしょうが、彼女自身は王族の出身であったと考えるべきです。(ちなみに、近年の考古学的な成果は、卑弥呼が弥生時代ではなく、古墳時代のヒトであった蓋然性を強めていることもあわせて指摘しておきます。)卑弥呼(とその養女壱与)は次の大王政権とその社会システムが成立する過渡期的存在であったとしてよいでしょう。呪術者としての女性王族の姿は、推古・斉明をはじめ、その後の何人かの女帝に見ることができます。その姿を卑弥呼の「残像」ととらえることも可能ではないでしょうか。
[2007年07月23日19時56分]
お名前: 土龍
初めまして、土龍(もぐら)と申します。

う〜ん、富が先か?権力が先か?という問題と理解していいんでしょうか。

狩猟採集社会である縄文時代のことも問題にされていましたが、
考古学でも(学界全般の了解を得てはいないとはいえ)
縄文時代の社会においても(6000年前の縄文時代前期に前後し)
「階層(階級ではない)」が存在したという考え方が提示されています。
では、どうやって縄文社会に「階層」なり「権力」なりが出現したかという問題です。
大きく2つの考え方があると言って良いでしょう。
一つは、フランスの人類学者アラン・テスタールが提唱した「貯蔵経済」が「階層化」をもたらしたというもの。
もう一つは、日本の考古・人類学者渡辺 仁が提唱した「狩猟専従の家族ないし家系が社会的に上位の階層を占める」という「専従狩猟系家族」仮説です。
 前者、貯蔵経済が階層化をもたらしたという考え方は、農耕社会に富の蓄積が始まり、階層・階級社会をもたらしたという説の狩猟採集民版です。北米大陸の北太平洋沿岸の原住民(ネイティブアメリカン)クワキュートル族やトリンギット族、ハイダ族あるいはカリフォルニアの原住民のユロック族・カロック族、北東アジアのニブヒ族、北海道アイヌ等のように特に豊かな環境に恵まれた狩猟採集民の場合、農耕社会同様に多量の食物が貯蔵され(クワキュートル族やトリンギット族、アイヌは鮭、ユロック族・カロック族はドングリ)、これが余剰となって社会の階層性が発達します。これらの多くの部族には奴隷・奴婢とよばれる階層(ただし人口の極く一部)が存在し、また富を蓄えた富者あるいは首長がいます。極端な事例では世襲の貴族階級を生んだ社会(クワキュートル族やトリンギット族、ハイダ族)もあります。縄文社会も非常に豊かな環境のもとで多量の食料が貯蔵された痕跡がありますので、これらの事例と同様の社会が生まれたと考えるのです。
 後者も、前者同様に「階層化」が豊かな環境に置かれた狩猟採集民社会に生じるというものですが、その内容は少なからず複雑です。後者「専従狩猟系家族」仮説は、「社会の階層化」にとって食料の貯蔵を副次的なものと見ます。むしろこうした豊かな環境におかれた狩猟採集民の場合、共同体の構成員(男子)のすべてが危険な狩猟に従事する必要がなくなり、危険でリスクが大きく威信の伴う狩猟活動に従事する狩猟を行う男性を中心とした家族の系列と、狩猟活動に従事することなく漁労や植物の採集で生活する非狩猟系の家族に分化し、儀礼や社会活動の中心が狩猟系家族によって握られると考えます。具体的には北海道アイヌに狩猟系家族の具体例が知られ、彼等は熊猟を行い、またアイヌ文化を特徴づける儀礼熊送り(イオマンテ)の執行を取り仕切ります。前述のクワキュートル族やトリンギット族の隣人ヌートカ族は捕鯨を行う部族ですが、捕鯨活動にあたってやはり銛の射ち手は世襲制で、漕ぎ手の家族との間には明確な社会階層の一線が引かれます。同様に社会のリーダーとなる狩猟系家族の事例の典型がベーリング海他のイヌイット(エスキモー)に見られるリーダー「ウミアリク」です。イヌイットの船には1〜2人乗りのカヤックと10人以上が乗れ捕鯨に使用されるウミアックの2種があります。「ウミアリック」の持ち主にして、捕鯨の主催者、時にヌートカ族の銛射ち同様に銛の射手を兼ね、社会全体のリーダーになるのがこのウミアリクということになります。
 なお、「狩猟系家族」仮説は前述のように考古・人類学の両分野に広いフィールドを持つ研究者渡辺によって唱えられた仮説ですが、渡辺の仮説に先立ち考古学のみに専一した研究者である和島誠一からも、縄文時代におけるその可能性が指摘されたことがありました。また前者、貯蔵による剰余発生の問題も、テスタールとは別途、縄文時代研究者佐々木藤雄により堅果類(ドングリや栗)貯蔵穴の集中管理の問題として論じられています。

 さて、「貯蔵経済」による余剰・権力の発生と、狩猟者という技能の特化による権力の発生という権力発生に係わる2つの仮説は、経済人類学者によって唱えられた2つの社会モデルである「ビッグ・マン」と「グレート・マン」にほぼ重なります。ビッグ・マンはニューギニア地方に典型的に見られるリーダーあるいは社会システムです。ビッグ・マンはたいてい多くの妻を持ち、彼とかれの家族の労働によって自らのもとに多くの剰余を蓄積します。ニューギニアは農耕社会ですが、主作物は保存のきかないサツマイモとヤムイモ(地方によってはタロイモ)なので、剰余は作物以外のモノ、豚(彼等が最も価値をおく家畜であり食料)・子安貝・石斧などの形で蓄積されるのです。蓄積された剰余=富は、他人に婚資として貸し出されたり、祭宴の時に大盆振る舞い(たいてい多量の豚が殺され調理されます)されて放出されます。ビッグ・マンはこうした「貸し」や大盆振る舞いによって支持者を得て、自己の権力を確立します。ビッグ・マンの詳細については、アメリカの経済人類学者(だった)M.サーリンズの『石器時代の経済学』を参照ください。
 一方のグレート・マンですが、これもニューギニア地方に見られるリーダーの形態です。フランスのやはり経済人類学者モーリス・ゴドリエがフィールド・ワークをするなかで指摘したリーダーのタイプで、ビッグ・マンが蓄積した富を源泉にリーダーシップを確立していくのに対し、狩猟者や呪術、あるいは戦士といった技能によってリーダーシップを発揮します。ゴドリエはサーリンズが描写した「ビッグ・マン」システムとは異なるリーダー像としてこれを「グレート・マン」と呼称したわけです。
 欧米で、こうした未開社会(伝統社会)のシステムがさかんに検討されたのが60年代〜80年代くらいですが、近年の度重なる調査が明らかにしてきたことは、「ビッグ・マン」と「グレート・マン」が対立するリーダー像あるいは社会システムではなく、両者の境界線が至極あいまいだということでしょう。「ビッグ・マン」的なグレート・マンもいれば、「グレート・マン」の要素を兼ね備えたビッグ・マンもいるということです。
 縄文社会の「権力」なり「リーダー」あるいは「階層性」も「貯蔵経済」か?「狩猟系家族(家系)」かということではなく、両者の性格が複雑に絡み合うものであったと考えるのが妥当でしょう。近年の考古学的な調査の進展が明らかにしてきた縄文時代における「権力」の問題、考古学的に残された「不平等」な痕跡の背景には、こうしたリーダーの姿があったものと考えます。

 ところで、注意しておかなければならないのは、縄文時代に発生したリーダーや階層がそのまま弥生時代に繋がるものではないということです。
 縄文時代に散見される大規模記念物(径数十メートルの土手やストーン・サークル、三内丸山で有名になったような巨木柱列・)希少な装身具・長距離交易・特別に飾られた器・副葬品を持つ墓といった「不平等」の様々な痕跡は、弥生時代を早々に迎える西日本ではなく、中部・関東〜東北・北海道に濃厚に見られるもので、それも縄文時代前期以来晩期に至るまでの間に、各地で出現しては消えるといった性格のものです。縄文時代の「階層性」「不平等」の痕跡は晩期の東北地方(いわゆる亀ヶ岡式土器の時代)にクライマックスを迎えますが、この地が弥生文化の揺籃の地とはなることなく、やがては西日本から流入する弥生文化に席巻される運命にあります。
 縄文社会は高度に発達した狩猟採集民社会として 社会が複雑化しついには「階層性」「不平等」を有するところまでは進んだのでしょうが、狩猟採集社会の経済的な限界を乗り越えることなく、社会進化の次のステージに進むことなく終焉したわけです。
 
 縄文時代の終末期、西日本に入った水稲耕作は人口の拡大を可能にし、「東高西低」の形勢を一気に逆転、西日本を文化の中心地に押し上げました。縄文社会は狩猟採集社会としては限界値ぎりぎりまで人口を拡大し社会を複雑化させましたが(縄文時代の最盛期列島には20万人超の人口があったものと推定されています。同じ時期、既に新石器時代に入り農耕・牧畜を開始していたイギリスブリテン島の推定人口が1万数千人ですから、この数字は異様です。)しかしながら非農耕社会としてはそれが限界であり、それ以上の社会の規模拡大と統合をはかることが出来なかったのでしょう。水稲耕作によって、弥生社会は容易にその壁を乗り越える事となったと考えられます。
 拡大する弥生社会の中で、(狩猟採集システムとは異なる農耕システムを基盤として)上記同様いやそれ以上の「富」の蓄積、「階層化→階級化」、リーダーシップの獲得が過速度的に進展したとしてよいでしょう。

 最後に、広嗣さんは技能者(呪術者)として権力を握った者として「卑弥呼」の例をあげておられますが、「卑弥呼」の登場した時代、列島西部(西日本)社会は「階級社会」に入っていたとみて良いものと考えます。つまり縄文時代の後半や弥生時代の中頃までに見られた上記のような(富の蓄積や技能による)「権力」の発生・成長段階を超え(あるいは終え)、「権力」の%8
[2007年07月23日19時52分]
お名前: 広嗣
 弥生時代には稲作の拡大もあり身分の格差が現れてきたと言われています。

 定説では富める者が権力を握ったとされていますが、そんなに単純な話なのでしょうか。確かに「唯一の超大国」アメリカ合衆国は、富める国です。しかし、大統領はどうでしょうか。資産から言えば在野のビル=ゲイツやジョージ=ソロスの方が資産があるのではないでしょうか。

 日本は国際的に見れば「富める国」です。しかし、「経済一流政治二流」(?)という言葉が示すように、「富める者が権力を握った」という説は、一面からしか捉えていない説と言えます。

 権力を握るには、その人の政治力や運、野心なども大いに関係しています。

 縄文時代も当時の人々は「個人営業」だったわけではないでしょう。農耕や狩猟・最終を個人個人でやってできないことはないとしても、厳しい自然を相手に生きる上で仲間は必要だったと考えています。つまり集団生活を営んでいたわけで、そうするとその集団を率いる人が必要になります。大きな格差がなかったとされる縄文時代に指導者になった人は、どんな人だったのでしょう。やはり政治力や指導力がものをいったと考えます。

 弥生時代にも富以外の要件で王になった人物がいることを古文書は伝えています。卑弥呼です。所謂「魏志倭人伝」は、一度男子が王になったが国が乱れ、卑弥呼が王になって統率したと伝えています。「魏志倭人伝」は卑弥呼を邪馬一国(邪馬台国)一の資産家とは伝えていません。「魏志倭人伝」を見る限りでは、呪術力故に王になったと考えて良いでしょう。


[2007年07月21日14時59分]
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