テーマ:『書紀』の紀年法

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お名前: サガミハラハラ
神功紀と応神紀は、三国史記とちょうど120年のずれで一致している。
となるとこれを基準にして割り出すことができるのではないだろうか・
[2010年04月16日22時27分]
お名前: サガミハラハラ
さて日本書紀の編者は年代の基準をどこに置いたかである。新しい年代は資料が残っているからそれを基に年代表をつくればよいのであるが、資料の少ない時代はどうしたのかである。問題はどのくらいまでさかのぼれる史料が、あったかである。
国内資料は口承であり、古いものほど年代はあてにならない。せいぜい何天皇の何年とかいう表示であろうが、その何天皇の年代がはっきりしないのである。
そこで記録のはっきりしている外国資料を使うこととなる。
[2009年05月06日16時40分]
お名前: サガミハラハラ
わざわざのお出迎え恐縮です。関祐二さん、私の本よんだでしょうかね?もし読んでいないとしたら、どのように実在を証明するのか興味あります。
[2009年04月24日22時35分]
お名前: 素里奈
サガミハラハラさん。私の投稿にレスしていただき有難うございます。話は記紀年から逸れますが、私は神宮皇后の存在を本当かな?と思っています。しかし最近注目の関 裕次氏は:−その実在を信じ、この女人(じょじん)こそが、『日本書紀』や古代史を考えるうえで鍵を握る人物と論じます。 サガミハラハラさんの絶好調になる見解です。
 
氏はさらに説く、神功皇后は第九代開花天皇の曾孫・氣長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)の娘で、母は葛城高額媛(かつらぎたぬかのひめ)であったという。ちなみに母方の祖は新羅王子・天日槍(あめのひぼこ)である。ソリナさんが喜びそうな見解です。

2倍歴4倍歴干支二回りの件は、別にゆっくりご指導乞う。

取り急ぎ、御出迎えのごあいさつまで。

[2009年04月23日22時09分]
お名前: サガミハラハラ
日本書紀の紀年において、考慮すべき点は倍暦(2倍年暦、春秋暦、4倍年)である。倍暦をかんがえずして正しい紀年を復元することはできないと思う。
[2009年04月23日20時38分]
お名前: 素里奈
 漢字や歴日の伝来したのは、欣明天皇十四年(五五三)である。(記巻第十九その条)従って『日本書紀』の成立以前に干支紀法は採られていないから、これは最初の史書ということか。
殷の干支紀日の方法が、周では周髀(はい)や二十八宿法で一年の長さが天文学的にしられて、前漢の太初元年(前一0四)に干支紀年法が採用され、元嘉暦が生まれた。中国五千年の歴史も三皇帝時代には年月日を記すことはできなかった。帝王の何年目の春とか秋とかいうものである。
百済を通じて日本へ伝わった暦は、天文学史によると、「『日本紀』では中国時代の儀鳳暦と元嘉暦で神武以降五百年は儀鳳暦、それから後は元嘉暦で天皇の世代に遡って推定であって、この変更の日時は安康元年(四五四)であろう。」といった。
現在は『日本暦日原典』『日本暦日便覧』によって、干支年月日をすべて知ることが可能である。ところが日本に暦のなかった時代の記録が、中国や朝鮮の書に記されているために、紀の撰者は、この記録を日本の史伝と合致するように探索した。ところが結果は、天皇の長寿や在位期間に矛盾することが起こった。比定、校合の誤解もあるし、事実の年月日を並列したときの作為もあったことになる。
『日本書紀』の紀年の誤りと年数延長に早く気付いたのは、新井白石であった。
(長い舌は短い手の何とやら、便宜上割愛する)。

[2007年03月21日18時54分]
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