テーマ:私市古墳

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お名前: カーター
そんしさん、書き込みをありがとうございます。騎西町が属していたのは昔の崎西
郡であり、埼西ではありません。埼西地方というのは比企郡小川町あたりのことを
言うらしく、ネットで調べると三菱埼西販売などが出て来ます。でも、崎西をネッ
トで調べても地名らしきものは出て来ず崎西(さきにし)と言う名字の人が出て来
ます。崎西と言う地名はなくなったようです。


[2008年07月12日18時08分]
お名前: そんし
仕事で埼玉県の騎西町に仕事で行く機会がありましたので、お昼時に休憩をかねて騎西城跡に行ってきました。

不似合いな鉄筋の復元天守閣がありましたが、当時はこんな格好の天守閣は、ここには無かったろうなぁーが印象でした。

城跡として当時のまま残るのは、道路で分断されて住宅地の中の民家の庭先にある土塁の一部だけで、これもおおよその場所に当時を再現して土盛りして復元したのだそうです。

実際には3mはあったろうと解説されていますが、本気で復元したら、すぐそばの民家が怒り出すでしょうね。

このあたりはどこの城でもそうなのですが、城を守るのは深い堀や高い石垣などではなく、はまったら二度とあがれない沼地でした。その真ん中に城が造られたのです。

城までの道も沼との境がはっきりせず、関係者以外は到底城までたどり着けなかったので、かなりの堅牢な城が造れました。

復元天守閣は普段は解放していないらしく、中には入れませんでした。となりの資料館まで歩いていたら、滑空してきたカラスに頭をこずかれてしまいました。すぐ近くの木の上に止まって、ケケケケと、変な声であきらかに笑っていました。

カーターさんのお話にあるような「埼西」が元の地名だとするなら、きっと読み方は「サキサイ」だろうな、東の方に「埼」という場所があったんだろうな、などととりとめもなく考えておりましたが、残念ながら「前玉」は西の方角。東に「花崎」なんて場所はありますけどね。

そんし

[2008年07月11日20時33分]
お名前: カーター
白兎の小使い様レスを有り難うございます。日本地図を見れば同じ様な地名
をよく見ることがあります。東京で草津で泊まると言うと群馬の草津温泉に
行くのかと言われることがよくあります。しかし、実際は滋賀県の草津へ行
くんだと言って笑って済ますことがあります。

しかし、今度は群馬の草津に行って見ると笑い事では済まなくなるのです。
関越高速道路を渋川伊香保で降りて、草津温泉方面まで西向きに走り左折し
山を登ると草津温泉なのですが、その左折する交差点に大津と書いてあるの
です。この大津は上州大津と言っているそうです。この草津温泉はその昔近
江の国の人が来て温泉に自分の出身の草津と名前をつけ途中の町に大津とつ
けたようにしか思えません。

現在JR琵琶湖線は、京都ー山科ー大津ー膳所ー石山ー草津と言う間隔で走っ
ています。

[2008年01月20日16時35分]
お名前: 白兎の小使い
お返事ありがとうございます。
>埼玉県の旧南河原村
(現行田市)の隣の町が妻沼町(めぬま、現熊谷市)でしたが、同じ”め”の発音
で売と妻と違いはありますが、良く似ています<
 これには少し驚きました。偶然とはいえ、何か深い意味があるのかもしれません。
 河原町の賣沼神社のあるところは、鳥取平野につながる守りの拠点だったように思えます。八上の中心部はその北東部になります。私都はさらにその八上中心部の北東に当たります。今まで誰も、私都という地名と、瀬織津姫との関連性を指摘した説は出していないようです。しかし、地元で少し郷土史に関心のある人はみんな疑問に思っています。なぜ、ここに私都という地名が残るのか、と。
 八上と類似している綾部に関しては、綾部の近くに天照大神を祀る元伊勢があることです。八上にも天照大神の行宮伝承があります。天照大神の御製も伝わる八上、住んでいたときには何も知りませんでしたが、実に不思議なところです。
 
[2008年01月17日14時46分]
お名前: カーター
先のメッセージで綾部市に河原と言う地名はないと書きましたが、
下記の通り綾部市中山町河原という字があることが分かりました。
訂正します。

http://www.mapfan.com/add/05/0/ff9CfB4J/index.html

河原と言う地名はめずらしくありませんので、だからどうしたと
いうことは言えません。京都にも河原町がありますし。
[2008年01月01日14時10分]
お名前: カーター
白兎の小使い 様、書き込みありがとうございます。
地図を見て八上と言う地名を見つけることができずレスが遅くなり、どうも
すみませんでした。下記アドレスに詳しい説明がありようやく理解すること
ができました。

>八上の里は現在の八頭町・若桜町と鳥取市の一部(河原町)です。

私は山口県岩国の出身ですが出雲までは行ったことがあるのですが、鳥取県
には行ったことがなく八上と言う地名がどこにあるのかわからなかた次第で
す。今日ようや下記のブログで理解した次第です。おそらく、白兎の小使い
様の書かれたものでしょう。

関西道路地図を見ていたところ、八頭郡河原町(鳥取市に合併か?)に八上
売沼神社と言うのがあり、この辺なのだというのが分かりました。八頭町は
八東町と道路地図には記載がありますが、これは八頭の東と言う意味でそう
なったのでしょうか?

>私都(きさいち)は非常に珍しい地名でその名は大阪の交野と京都の綾部
>そして武蔵七党の私市党として残っているくらいでしょう。私都はもとも
>と私部(きさいべ)で后のための農耕や身の回りの世話をする人たちで
>す。ここにその地名が残るのは、かつて皇后ないし高貴な后が近くにい
>らっしゃったのでしょう。それは八上比売かあるいは瀬織津媛、または他
>のだれかなのでしょうか。

http://blogs.dion.ne.jp/yakamihakuto/archives/3321704.html#top

私がこのボードに書いて来たことが上記では整理されているように見えます。しか
し、地図を見て驚いたのが八上地区に河原町という地名があることです。前の書き
込みにも書きましたが、交野市の私部地区にも西河原、上河原という地名があるの
です。しかし、残念ながら綾部市には河原と言う地名はありません。

>天照大神のお后といわれる 瀬織津姫 が旧八頭郡なかでも八頭町私都(きさいち)
>を中心に多く祀られている

私都は地図にはないとのことでしたが、ネットで調べると次の通りでした。

>1957年 (昭和32年)3月31日 - 郡家町・上私都村・中私都村が合併し、郡家町
>が発足。(6町3村)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%A0%AD%E9%83%A1

郡家町を地図で調べたところ、私都川、私都城跡という記載がありました。まだ地
図には残っていますね。

話は河原町に戻ります。八上売沼(めぬま)神社ですが、埼玉県の旧南河原村
(現行田市)の隣の町が妻沼町(めぬま、現熊谷市)でしたが、同じ”め”の発音
で売と妻と違いはありますが、良く似ていますね?
[2007年12月31日21時52分]
お名前: 白兎の小使い   URL
はじめまして。こちらは因幡の八上姫のふるさとの研究をして、八上 白兎神社というブログを管理している者です。八上にもきさいち(私都)、という地名が残っています。地図上では出てきませんが、地元では今もその名は使われています。そこにある神社には瀬織津姫が集中的に祀られています。そして、全国的に見ても極めてまれな天照大神の行宮伝承や天照大神の御製の伝わる地も八上にあります。イナバノシロウサギ伝承も別のものがあり、八上では、白兎が天照大神を行宮にふさわしい地へと案内した、という伝承が残っています。瀬織津姫は実は天照大神の后神である、という説があり、それを裏付けうるような証拠が八上に残っている、といえるのではないかと思っています。
[2007年12月16日23時37分]
お名前: カーター
埼玉県で私市の名が残っている騎西町の騎西城(私市城,根古屋城とも言う)に
行ってみました。上杉謙信が攻撃したと言われいるそうですが、詳しいことを知り
たい人は下記をお読み下さい。

http://www.asahi-net.or.jp/〜ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Saitama/Kisai/index.htm

 そこでお城の隣の資料館へ行って,騎西町史を探して平安末期の記述を見てみる
と騎西は当時は崎西と書き、この地域は崎西郡を呼ばれていたそうです。平将門を
撃った藤原秀郷の子孫の太田氏が開いた太田荘と呼ばれる関東最大の荘園であった
と言われています。

 私市党が騎西町あたりから起こったと言う説に対して、騎西町史は否定しており
騎西の名前は崎西郡の崎西から来たのであり、また騎西の地域にいた武士団は武蔵
七党の野与党であり私市党ではなかったと述べています。しかも私市党は河原氏や
久下氏など七党の中でも勢力が弱く埼西郡まで影響力を持っていたとは思えないと
書いています。騎西の名前が私市から来たと言う説は誤りであるとはっきり述べて
います。下記のように埼玉県の観光情報の騎西城には私市と言う文字は見えませ
ん。

http://www.sainokuni-kanko.jp/sightsee/search_sight.php?mode=data_detail&id=259

 騎西町には上崎、下崎と言う字(あざ)はありますが、私市や私部と言う字はあ
りません。騎西城を私市城とも言うのは俗説のように見えます。

[2006年08月27日10時20分]
お名前: 江戸通
 私も、生駒に居たことがあります。
> また、「私」に「きさ」という音が当たるか否かつう問題もあろうか???
 当時は、始めての市場は、愛知か大和かとか、ツバクロイチとかが
話題でした。古典時代は、愛知から静岡にかけて、30Mの官製道路がみつかり、
話が変わったようですね。
 中世荘園では、サイフ(財布)は、十貫単位の割賦のことで、今では、
為替手形に相当するものをいうようです。
 和同開珎の時代から、十貫文単位が財布であったようですね?
 では、端数はどうしていたのでしょう?目録や使い走りが多用されて
いたのでは、ないかと考えています。
 端数は、財布ではありませんでした、地方差ということがやはりあるのでは、
岡山県中部の鉄、紙の産地では、割賦が多用され、端数は、
派遣された地人の祝儀だったり、選別だったり、宛がい扶持
だったりしたようですよ。最近知りました。
 市と門なんていうとアカデミックなんですがね。

  江戸

[2006年08月24日01時25分]
お名前: カーター
 ATTILAさん、広嗣さんレスを頂きありがとうございます。せっかく
いただいたコメントについては、下記のような調査内容でお答えした
いと思います。

 ある方からご教示をいただいて綾部市の大志万(おおしまん)氏が
綾部市の私市地区いらっしゃると言うことで、大志万氏についてネッ
トで調べました。大志万氏には宮司をされた人がいらっしゃり、私市
がなぜ綾部にあるのかと言う疑問を出していました。先祖は兵庫県氷
上郡から丹波の私市に移住したと聞いている?その先祖とは赤井氏で
はないか?それについて平家物語に詳しい人からコメントがあり、私
市は武蔵七党の一つだから先祖は東国から来たのではないかと言う結
論でした。「平家物語を熱く語る」と言うBBSの中の議論です。

 しかし、昨日さらに交野市の私部について調べたところ、概略は次
の通りでした。つまり、私部、私市は広辞苑にあるように皇后の世話
をするところを意味し、敏達天皇の時代に蘇我馬子は姪の豊御食炊屋
姫を皇后としました。それに対抗するために、物部守屋は物部氏にと
って重要な土地である交野の地を皇后に献上することで勢力を盛り返
そうとしました。交野は皇后陵となり、その中心地となったのが、私
部、私市であったのです。その辺のところが、日本書紀にも記してあ
ると言うので、見てみました。

『5年春3月10日、役人が皇后を立てるように申し上げた。そこで
詔して豊御食炊屋姫尊(後の推古天皇)を立てて皇后とした。二男、
二女が生まれた。・・・・・・・
 6年春2月1日、詔により日祀部(ひのまつりべ)、私部(きさい
ちべ。皇姫のために設けた部)を置いた。』
    日本書紀 上、宇治谷孟訳、巻第二十 「敏達天皇」から

 上記の内容は交野市の地名に疑問を持った地元民がボランティアで
後世のために調査したものだそうです。アドレスは下記の通りです。

http://www.eonet.ne.jp/〜yumesite/timei/kisabe1.htm

 このように考えれば綾部の私市は物部と言う地域があることから考
えても、皇后に献上された土地であるために私市と言う名前がついた
と考えた方が自然です。平家物語で私市党が知られているからと言っ
て、東国からの移住という説は短絡すぎるように見えます。しかし、
綾部と物部氏の関係はよくわかりません。
 私部地区には西河原、上河原いう小字があり、私市地区には中川原
西川原と言う小字があります。素人的に考えれば武蔵の河原氏は交野
の私部、私市地区から出て来たと考えてもおかしくないです。しかし
検証が必要です。先の書き込みのアドレスでは、私市円山古墳が表示
されませんでしたので、古墳については下記を参照下さい。

http://www5.nkansai.ne.jp/off/a-siryoukan/

 畿内政権と結びついた由良川の王者とは誰のことなのでしょうか?


[2006年08月20日14時01分]
お名前: ATTILA
> 交野市の私市、北埼玉の騎西(私市)、綾部の私市と三箇所
>あることになります。カーターさん[2006年08月18日12時08分]

 うーん、三ヶ所しかないということでしょうか。ということは、小生の「私設or法外市場説」↓は怪しいかもですね。
 そもそも、地元民?の青少年どもo(^-^)oが言い交わしていた程度の情報ですしねぇ・・・

 また、「私」に「きさ」という音が当たるか否かつう問題もあろうか???

 なにしろ小生は当地ではガイジンなもんで、おかしな音(読み)は異国の地元民の慣習だろうくらいしか思わなかったものですから。(^^ゞ
 そもそも、近畿の地名で漢字と読みの関係を合理的に考えるのは無謀だと思ってますし・・・。日本で一番訛った地域ではないだろうふか?(^^ゞ


> 小生が聞いていた由来は、荘園の管轄外に出来た「私設の交易市場」
>とかですね。ATTILA[2006年08月18日18時22分]


 それにしても、「私市」という地名と「私部」という地名が隣接してるのも不思議ですね。どっちかに吸収されてしかるべき感じがします。

 丹波や北埼玉の場合は、近辺に「私部」の地名があるんでしょうかね?



[2006年08月19日23時30分]
お名前: 広嗣
 私部は初めて知りました。「后部の音便か」ということは、元々は「きさきつべ」とでも言っていたのでしょうか。

><私市(きさいち)>
 小生が聞いていた由来は、荘園の管轄外に出来た「私設の交易市場」とかですね。

 今で言う「闇市」なんでしょうか・・・。少なくとも荘園側から見れば。


[2006年08月19日21時13分]
お名前: ATTILA
磐船街道

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生駒市の南田原から磐船を経て、私市から枚方に至る道は磐船街道といわれ、古代の有力氏族物部氏がその祖神と仰いだ、饒速日命(にぎはやひのみこと)の河内降臨の神話と深い関連がある。饒速日命の降臨の記事は「古事記」(712)、「日本書紀」(720)に見え、饒速日命(にぎはやひのみこと)が神武天皇の東征にさきだって天磐船に乗って高天が原から畿内に天降ったと書かれている。
そして、長髄彦の妹御炊屋姫(みかしやひめ)を娶って、可美真手命(うましまでのみこと)を生んだとある。
(略)
http://murata35.cool.ne.jp/hosinomati/katanokodo/iwahunekaido.htm

 こんなことらしいですね。なぜか、吉野方面(南)から生駒山塊の東麓に沿って枚方・淀川方面(北)に抜ける街道筋だったようです。


[2006年08月18日19時23分]
お名前: ATTILA
 河内私市ですか・・・ なつかしいなぁ・・・

 子供の頃に、その沿線に住んでました。今は「学研都市線」などといふ生意気な名でとおってますけど、小生の頃は「片町線」でした。

 高校も、その沿線でしたので、今でも地付きの連中は暮らしてるのでしょうねぇ。同窓会名簿を見ると交野市役所に勤めている人もいるようで・・・

<私市(きさいち)>
 小生が聞いていた由来は、荘園の管轄外に出来た「私設の交易市場」とかですね。

<私部(きさいちべ)>
 ふーん、はじめて聞きました。(^^ゞ

 昔からあったはずなのにぃ・・・、多分、「私市」やその奥ににある「磐船神社」が、当時のハイキングエリアあので、その名だけ記憶に残ってるんでしょうね。
 「磐船神社」方面には、川遊びやハイキング、キャンプなどで度々遊びに行きました。「磐船神社」は「磐船伝説」と関連付けられていますね。修験道の神社という印象があります。


 あのへんは、古歌にも歌われてますので、記憶がごちゃごちゃです。(^^ゞ


[2006年08月18日18時22分]
お名前: カーター
綾部市の歴史を調べていたら古墳時代の地名は下記のようになっていた
とのことです。何鹿とかいてイカルガと読み、私部と書いてキサイチと
読むらしく私部が現在の私市になったものかもしれません。他にも、物
部、漢部とか日本書紀に出て来そうな地名があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
何鹿 16郷

現在の綾部市は、古代丹波国何鹿 (イカルガ) 郡に当たり、郡内はさらに
16の郷に分けられていました。

加美 (カミ) 郷・拝師 (ハヤシ) 郷・八田 (ヤタ) 郷・吉美 (キミ) 郷・高津 (タカツ) 郷
・志摩 (シマ) 郷・文井 (アヤイ) 郷・栗村 (クリムラ) 郷・私部 (キサイチ) 郷・高殿
(タカドノ) 郷・小幡 (オバタ) 郷・物部 (モノベ) 郷・吾雀 (アススギ) 郷・漢部
(アヤベ) 郷・三方 (ミカタ) 郷・余戸 (アマルベ) 郷      

(綾部市資料館のHPから)
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一方、交野市を調べてみるとその中心地には私部(キサベ)、私市(キ
サイチ)と言う地区が別々に存在しています。地元の画家の方が下記の
ように交野市の市街をスケッチされています。

http://kishimoto-sketch.cool.ne.jp/osaka-katano.htm

綾部市の旧名が何鹿 (イカルガ)と言うのも何やら大和の斑鳩よりも
古そうに思えますね。綾部市は日本海に近いですから。
私部、私市という地名があちこちにあるのは何か意味があるからかと
思い、広辞苑で調べてみたところ次のように記してありました。

きさいちべ(私部)
后部の音便か。后妃のために置いた部。敏達天皇の時、后妃個人個人の
ための名代(なしろ)の部の代わりに后妃全員のために置いたと言う。
「私」の字をあてたのは中国の古典に后妃のための官を「私官」と記し
たことに寄るか。きさいべ。
きさいべ(私部)
きさいちべに同じ。

綾部市に物部郷があったと言うことで、調べてみると物部氏は交野市に
拠点があったと言うことがわかりました。交野市の私部に住吉神社があ
りました。綾部の私市と交野の私部には、物部氏を通じて何かつながり
があったのでしょうか?収拾がつかなくなりました。

[2006年08月18日14時41分]
お名前: カーター
8月12日〜17日にかけて、妻の母の容態が悪いので家族4人で車で帰省しま
した。埼玉県の行田市から山口県の下松市までのドライブでしたが、通常なら中央
道と名神高速を通るのですが、渋滞を避けて上信越道路から北陸道、舞鶴自動車道
を通って中国道を走りました。帰りの舞鶴道路では丹波篠山の西紀サービスエリア
で休憩を取りました。戻ってから、地図を見ると小次郎さんの大山荘にも近いこと
がわかりました。丹波篠山は黒豆の産地であり、この地域の人は大豆イソブラボン
の効用から高血圧の人は少ないとテレビで聞いたことがあります。黒豆をアンにし
たお菓子をおみやげに買いました。
 
 前日には、妻の妹の家に泊まったのですが、苗字の事典と言う本を見せてもらい
ました。娘が河原と言う苗字を探し、たくさんあるため「武蔵」と言う注のついて
いる河原を見てみると私市党の一派と書いてありました。何と読むのかと聞くので
「きさいち」と読むのだと説明し「私市の地名は大阪の交野市にもある。交野市の
私市から北埼玉(騎西町)に移住したのではないか」と説明したところ、「良く調
べたね」と娘が感心していました。
 
 さて、丹波篠山から綾部の方へ走ると、トンネルの前に土がむき出しになったと
ころが見えます。運転していた娘が「何だあれは。古墳か?」と言うので、良く見
ると「私市古墳」と書いてありました。「何でこんなところに私市と言う地名があ
るのだとう?」と思いました。帰ってこの古墳を調べてみたのですが、地名につい
ての由来はわかりませんでした。古墳の説明は下記にあります。

http://www5d.biglobe.ne.jp/〜tosikenn/kohun1.html

 交野市の私市、北埼玉の騎西(私市)、綾部の私市と三箇所あることになりま
す。小次郎さんは、丹波の歴史に詳しいと思いますが,ご存じでしたらご教示頂き
たくお願い致します。

[2006年08月18日12時08分]
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