テーマ:ライシャワーの日本史

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お名前: カーター
 封建制度は日欧の社会制度の特徴を成していることとそのことが資本主義経済の
発展を促し、日本がアジアの中では先駆けて近代化に成功したことを述べました。
それでは封建制度を経験していないアメリカはどうかと言えば、最近読んだ渡部昇
一の「アメリカが畏怖した日本」PHP新書で、渡部はイギリスのジャーナリストで
あったセシル・チェスタトンの「アメリカ史」を紹介し、アメリカは中世抜きで誕
生した国であると述べています。
 アメリカに入植したピューリタンはカトリックが支配した中世は暗黒の時代であ
ると考え、ピューリタンの理想を古代ギリシャ・ローマに求めました。チェスタト
ンは中世を資産分散主義の時代と考え、近代資本主義社会と社会主義の中庸を得た
制度であったと考えたのです。中世においては古代と違い奴隷制度を千年かけて廃
止しましたが、中世のないアメリカには奴隷制度が持ち込まれました。また、アメ
リカには中世に生まれた騎士道が欠如しており、敵を尊重するといった精神が欠け
いるのでインデイアンと和解することがなく皆殺しへと進みました。インデイオと
混血しているカトリックの南米とは対応が違うのです。
 一方、騎士道に似た武士道の存在する日本では敵を尊重すると言う考え方があり
ますから、日露戦争では乃木将軍が旅順でロシアのステッセル将軍を丁重に扱っ
たり、日韓併合の際には朝鮮の王位を残し、朝鮮の貴族である両班を華族にしたり
しました。また、渡部は述べていませんが日本では太平洋戦争中には「敵兵を救助
せよ」と言う考え方が出て来ます。このようにアメリカに騎士道精神が欠けている
ことがわかれば、東京大空襲、原子爆弾の投下と言った行為も理解できます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/乃木希典
http://www.bushido-seishin.com/
 
 さて、ライシャワーに影響を与えた世界的な歴史家である朝河貫一について最近
勉強をしてみました。「最後の日本人」阿部善雄著、岩波現代文庫です。朝河は日
露戦争後の日本人のアジアにおける独善的な行為を批判し、アメリカ大統領の天皇
宛の親書の原稿を書いたりして、日米戦争回避のために努力をしました。朝河は、
友人への手紙で、次のようなことを述べています。
「多くのアメリカ人において、他国にたいする明白な独善と伝道者的な習癖が、十
分に人道主義的な意味をもつか、もしくは自分の行為は、あまりに青写真的であり
、ブルドーザー的ではないかということについて検討しようとしないのは、アメリ
カ人における一つの謙虚さの欠如を示すものである。・・・人々と国々が歴史や個
性のない馬鹿げた獣であるかのように、国際規模の組織を陽気に組み立てる。」
 そして、朝河は歴史家として、民主主義は絶えず研究され、反省されるものでな
ければならないと考え、「大統領も国務省も政治家も、民主主義にたいして指導的
責任をとっておらず、・・・・将来に向けての彼らのビジョンは、過去の歴史の知
識が機械的であり、浅薄であるため、いたって静的な事実にかぎられた概観の域を
出ないでいる。」としています。
 チェスタトンの中世のないアメリカという考え方と朝河の謙虚さのないアメリカ
という考え方には似ているところがあるように見えます。戦いに勝ってもおごるこ
となく、敵を思いやる謙虚さを持つ必要があることをチェスタトンも朝河も述べて
いるようです。渡部は、東京裁判史観は勝った側の一方的な論理でしたが、サンフ
ランシスコ講和条約はそれが払拭されものであるにも拘らず、未だに東京裁判史観
から抜け出せない日本人の多いことを嘆いています。

[2011年07月30日19時40分]
お名前: カーター
 先般、ライシャワー博士がなぜ日本とヨーロッパに封建制度が現
れたのかと言う理由について述べていないと述べましたが、再度
「日本近代の新しい見方」講談社現代新書を読むとちゃんと書いて
ありました。
 第一の要因は、二つの非常に異質な社会的、政治的な要素が融合
しあったもので、土地所有法や租税法のような法令制度と中央集権
的な政府の概念であると述べています。ヨーロッパの場合は、ロー
マに学んでおり、日本は唐から学んでいると言うことです。
 第二の要因は、個人的関係と個人的忠誠心に基づいた社会制度が
あげられ、ヨーロッパの場合はゲルマンの部族国家と戦士団に由来
し、日本の場合は氏族制度に由来したものだとしています。(ライ
シャワーはドイツの部族国家と書いていますが、私は民族を意味す
るゲルマンの方が正確であると考えました。)
 この二つの要素は中国では六朝時代に封建制度の契機となったが
成熟するには至らなかったと博士は述べています。一方、ヨーロッ
パと日本ではこの要素が適度に融合し合い、封建制度と言う特殊な
現象を生む事ができたと言うわけです。
 ヨーロッパでは近代化と言う変革が知的な面、制度の面、技術の
面において起こったのに対し、日本では非西洋であったのに西洋の
近代化の刺激に対して急速に反応して大きな成功を収めることがで
きたと言うわけです。一方、朝鮮は無関心を装い、中国は近代化に
おいて挫折感を味わいました。
 私なりに解釈すると、北米のインデアンが部族の状態のままの社
会で停滞し、中央集権的な考え方に至らなかったことは現在の先住
民の大きな悲劇を生んでおり、一方中国のように中央集権が強すぎ
るとまた社会の発展を阻害すると言うことであり、その組み合わせ
のバランスが大事だと言うことでしょう。
(インデアンに中央主権的な考え方がないと言う事実に白人は気づ
かずに、ブラックケトル酋長の合意があれば、インデアンは了解し
たと考えました。しかし、他の部族との連携は全く取れていないわ
けですから、誤解が生じサンドクリークの虐殺と言った悲劇が頻繁
に起こったとのことでした。)

[2011年06月16日22時42分]
お名前: カーター
 広継さんレスを頂き有り難うございます。歴史の比較は単に制度面
での比較ではなく、気候変動や隣接する国との関係なども含めて考え
る必要がありますね。そうでないと、真実が見えなくなってしまいま
す。
 台湾人の黄文雄氏が新刊を出して、日本人の公共心は魏志倭人伝の
時代からあると述べているようです。同書はまだ読んでいませんが、
「婦人淫せず、盗窃せず、諍訟少なし」と言う内容かららしいです。
魏志にある倭が本当に現在の日本であるのか疑問視する説もあります
が、ここでは論じません。辰韓伝では、「倭人と同じように酒を好み
、道をゆずる」とありますから現在の朝鮮南部と日本のことを書いて
いるように見えます。
 仮に魏志の記述が真実だとしたら、封建制度が日本人の心性を形作
ったと言うよりも元々あった日本人の公共心が封建的な制度を作り上
げたと言うの真実に近いのかもしれません。異民族に支配される恐れ
がある国では中央集権的な専制体制しか考えられず、我れ先にと言う
思考になってしまいます。勉強不足で論理を展開することはできませ
ん。

[2011年06月05日13時52分]
お名前: 広嗣
 ヨーロッパ中世は「中世前期」、「中世盛期」、「中世後期」に大別するのが一般的なようです。中世盛期は一般に温暖な気候で、経済発展や人口増加が見られた時代でした。逆に中世後期は小氷期の時代で、ペスト(黒死病)の流行による人口減や百年戦争のような戦争や経済停滞が起きた時代でした。この時期だけを見れば、確かに「暗黒時代」と言えないことはないですが、一方でイタリアルネサンスの萌芽が見られ、宗教改革の走りのあった時期でした。
 改めて日本史を見てみると、ヨーロッパの中世後期にあたる時期は、鎌倉時代末期から南北朝時代を経て室町時代中期です。鎌倉幕府が倒れ、南北朝時代という戦乱の(?)時代を経て室町時代へと向かう原因の一つに小氷期があるのではないでしょうか。こういう背景があるのか分かりませんが、中国では元から明へ、コリアでは高麗から李氏朝鮮へという時代の動きがあります。蛇足ですが、南北朝の合一が成立した背景に明の成立と李氏朝鮮建国があるというのが広嗣説です。奇しくも李氏朝鮮が建国したのが、南北朝が合一した1392年でした。
>それではなぜヨーロッパと日本だけに封建制度が現れたのか
 難しい問題です。「五大陸」という枠組みで見ると、アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸には中世はなかったといってよいのではないでしょうか。ではアジア大陸の場合は、広過ぎて何とも言えません。そこで東アジアに限定して見ると、日本を除いてやはり中世がなかったのではないでしょうか。
 中国は早くに政治的・文化的に成熟期を迎え、それ以降も政治的な支配民族は変わりながらも、アジア地域、時には東ヨーロッパまで影響を与え続けました。この早くに政治的・文化的な成熟期を迎えたことが、不幸にも中世が存在できない原因の一つになったのでしょう。
 コリアはハングルという優れた文字を生み出すなどの独自色を模索する一方で日本以上に否応なく中国の影響を意識せざるを得ない国でした。このことがコリアに中世のない原因の一つなのでしょう。
 ヨーロッパはキリスト教徒いう文化的権威で統一されていました。しかし政治的には中国に相当する権威は存在しませんでした。ヨーロッパは次第に国民国家と中央集権化の歩みを進めてゆくことになります。一方の日本は、幕藩体制という地方分権の時代になり、国民国家への歩みはありませんでした。このことが今日の「国旗・国歌問題」と歴史的に密接に関わっていると思いますが、本題から外れるので、いずれ折を見て何かの機会に触れたいと思います。


[2011年06月01日08時01分]
お名前: カーター
 今回の震災で助け合う日本人を見て、あらためて日本と中国や韓国との違
いについて考えています。専制体制が何千年も続いた中国と韓国と平安時代
末期から封建制度が数百年も続いた日本との違いが、近くにありながら大き
く異なる国民性を作り上げたように見えます。
 近代化論について早くからこの違いを説いていたライシャワーの学説を再
度学んでみました。37年前にライシャワーの「日本近代の新しい見方、講
談社新書」を読んだのですが、紛失したので古書を取り寄せたものです。当
時駐日アメリカ大使であったライシャワーは、冷戦の時代にあった日米関係
を良好にするために自らの学説を政治に利用したと言う批判もありますが、
それはそれとして日本人はなぜこうなのかと言う問題を考える上で役立つと
考えられるのです。
 その封建制度に関してライシャワーは「人間の社会的地位と機能が、主と
して土地との関係によって決定される制度で、その関係においては、個人の
財産だけでなく、社会的な地位と政治的な機能までも、主として相続関係に
よって世襲され、さらに政治制度が、普通は領地を分け与えることによって
生ずる個人的な忠誠関係の上に成り立っている制度」と述べています。
 この制度は中世ヨーロッパでも12世紀頃にその頂点に達したのであり、
それに似通った制度が存在したのは日本だけであり、室町末期の時期が全盛
期のヨーロッパ封建制度に良く似ていると言うのです。この封建制度のもと
では封建領主が存在し権力が分散され、専制体制の社会に比べて比較的自由
であるため、資本主義経済の萌芽が見られ、寺子屋に見られる教育の発達な
どで近代化への準備がなされていたのでした。
 封建領主以外の階級は政治権力からはっきり除外されるので、身分の栄達
よりも事業の成功などの目標志向的な倫理観の発展が助長され、封建制度下
での強い義務感と責任感が、進取の気象に富んだ企業家精神を生んだとして
います。このことがヨーロッパと日本の大きな特徴を成しているのです。例
えば、土佐藩の武士であって三菱財閥を築いた岩崎弥太郎、官職を捨てて民
間経済の発展に尽くした渋沢栄一などは、自己の達成すべき目標を持ってい
たのであり、中国や朝鮮には同時代にこのような人物は現れなかったとライ
シャワーは述べています。
 日本的な倫理は、武士階級で問われた武士道のみならず、商人階級でも近
江商人は石田梅岩の心学と同様の倫理観を持っていましたし、売手によし、
買手によし、世間によしと言う、単なる売買だけでなく社会的な貢献が必要
であると考えており、現在でも通用する倫理観がすでに江戸時代からありま
した。買う方が一方的に強いビジネスが中心の社会とは考え方が大きく違っ
ているのです。
 ところで、ライシャワーの封建制度について調べているとその考え方はラ
イシャワーのオリジナルではなく、日本の世界的な歴史家である朝河貫一の
考え方に基づいていることを知り驚いている次第です。また、産經新聞を見
ていると「次代への名言」と言うコラムに朝河貫一の発言に関するものが連
載されていたのです。
 朝河は戦前にアメリカで日欧の封建制度を比較研究し「日本の禍機」と言
う著書も出して政治的な発言も行いましたが、その研究が英語で発表された
ため日本では理解されず、日本では無名に近い状態らしいのです。逆に欧米
では評価され、フランスのアナール学派を創始したマルク・ブロックも比較
研究を重視し、日本の封建制を考えるために朝河の研究に関心を持ったと言
われています。「封建社会」と言う大著があるマルク・ブロックの封建社会
の概要を知りたくて「マルク・ブロックを読む」二宮宏之著を見ると二宮氏
はブロックと朝河の交流について言及していました。
 もし、日本がなかったら今のアジアはどうなっていたでしょうか?現在の
ような繁栄は考えられないでしょう。その意味で日本の封建制度、それによ
る近代化は大きな意味を持っています。暗黒の中世と言う考え方は間違って
いることでしょう。それではなぜヨーロッパと日本だけに封建制度が現れた
のかについて、ライシャワー自身も言及していません。

[2011年05月29日16時42分]
お名前: カーター
>西欧との比較は大いに結構です。しかし、その比較は己を真に理解するために他
>者と理解するものであって、「先進」と「後進」に分けるだけの比較は、もうす
>る時代ではありません。
 
 広嗣さんレスをありがとうございます。私が高校の日本史の教師から授業を受け
たのが1972年です。私が高校生の時代はベトナム戦争の最中で、米軍基地のあ
る山口県の岩国市にはたまに反戦のビラを配る人たちがいました。当時は、革新思
想が主流であり、朝日新聞の言論が世論を引っ張っていました。
 そして「ライシャワーの日本史」が書かれたが、1986年です。ライシャワー
は、すでに駐日日本大使をやめておりハーバード大学に戻り平穏な日々を送ってい
た時期だを思われます。日本のパワーは抜きん出ており、超円高が始まった時代で
もありました。アジアの後進性をうんぬんする時代は終わり始めていたのでしょう。
そういう時代だからこそ、ライシャワーが江戸時代、明治維新などを賛美すること
が可能であったと言う風にも考えられます。
[2006年03月02日22時06分]
お名前: 広嗣
 ライシャワーが日本文化が複数の文化(古代日本の土着の文化とより高度な中国の文明)の合流で成り立っていると指摘しているのは、慧眼です。しかし、北欧羅巴(アルプス以北?)の「古ゲルマンのルーツと古代ギリシャ・ローマの文化遺産」ほど単純ではありません。

 土着文化一つをとっても、所謂有史以前の移住と交流で、既に多層の文化構造が出来上がった見られるところがあります。また「高度な中国文化」も、例えば音読みが漢音や呉音のように複雑になっていることが示すように、多重の構造になっています。

 どこの文化も、他者と全く交流も移動もなかったということがない限り、土着だけの文化や外来だけの文化はあり得ません。島国の文化は、大陸に比べると、様々な文化が多面的・多層的に成り立っているという話を聞いたことがあります。その点では北欧羅巴というよりは連合王国と比較した方が良かったと思えます。

 ライシャワーは「日本では二君から封土を受けることは許されなかった」という趣旨のことも書いています。しかし、江戸時代は天皇と徳川将軍との二重権力構造ではなかったかと思います。武士に限った話ではありますが、ある藩を治める権限は将軍から、従三位や従五位などの官位は、天皇から与えられるものでした。ただ、実権は将軍が握り、天皇は形式的な権力であったために、政治的な混乱は避けられました。

 さて、明治維新ですが、カーターさんの高校時代の先生が指摘したように、ブルジョワ革命ではありませんでした。西欧羅巴を基準にすれば、確かに当時のアジアは、「後進国」でした。その「後進」を強調したのは、明治維新からの伝統でもあります。

 西欧との比較は大いに結構です。しかし、その比較は己を真に理解するために他者と理解するものであって、「先進」と「後進」に分けるだけの比較は、もうする時代ではありません。


[2006年02月25日10時05分]
お名前: カーター
間があきましたが、ライシャワーは日本の江戸末期の社会について次のように述
べています。ライシャワーにとって、江戸時代の鎖国は社会の進歩を後退させたも
のではなく、むしろ社会を成熟させたと述べており当時としては開明的です。
 「日本は二百年の余にわたって強制的に門戸を閉ざし孤立していたわけだが、だ
からこそその間、絶対平和と秩序とを保っていられたのだとも言えるし、きわめて
高度かつ複雑な経済ならびに社会体制、高レベルの教育、驚くほどの経済的知的統
一性、それに高水準の政治的有能さを発展させていたのである。日本は決して後進
国家ではなかった。よしんば西欧に遅れをとっていたとしても、それは科学技術の
分野においてだけであった。集団としての統制力や協調ための技量においては、西
欧のどの国よりも進んでいたのである。
 1860年代から1870年代にかけて、一大変革がみられたにもかかわらず、
それにともなう暴力の発動が比較的少なくてすんだのは、秩序と和を重んじる法的
手続きに長く慣れ親しんできたことが理由であったといえよう。」
    「ライシャワーの日本史」国弘正雄訳、講談社学術文庫

 江戸城の無血開城を見てもわかるように、世界中の歴史の中で大規模な戦いを経
ずに革命がなされた明治維新のような例はありません。30数年前になりますが、
私の日本史の教師は西欧の市民革命と比較して明治維新がブルジョアによってなさ
れたものではないとか、政治思想が未熟であったとか教えたものです。これについ
て、ライシャワーは次のように述べています。
「つまり、明治維新とは、一つの歴史理論の枠の中にきちんとおさまるたぐいのも
のではないのである。」
 西欧の市民革命と比較して、アジアの後進性を述べるところに、西欧中心の史観
があるのであり、我が高校日本史の師(日教組)はマルクス主義に起居していたの
です。マルクス主義は正統的な西洋経済史の歴史観の変形であり、アジアについて
アジア的生産方式とか述べ停滞の歴史であると見ていたのでした。
 西欧の近代化と比較すると言った従来の手法から離れた、独自のアジアの近代化
と言った研究が望まれます。日本ー韓国、台湾、香港、シンガポール、そして中国
と言った一連の流れをどのように見るかです。改革の主体は?その思想は?皆さん
のご意見に期待します。

[2006年02月05日22時02分]
お名前: カーター
 上杉鷹山のことで読み始めた「ライシャワーの日本史」ですが、日本人の歴史家
と違って日本のみならずヨーロッパの歴史についても知識があると見えて、双方の
歴史が比較されていて面白い内容となっています。
 私は30年前に、講談社新書から出ていたライシャワーの「日本近代の新しい見
方」(現在、絶版)と言う本を読んだことがあります。日本がアジアで最初に近代
化に成功した国となった理由として、ライシャワーは日本の封建制がヨーロッパの
のそれと類似していたことを上げていました。封建制は、中国や朝鮮の中央集権的
な専制体制と違って、地方の自主性が尊重されますので、創意工夫により経済(特
に商業)が発展します。以前「朝鮮の近代化」のところで「親日家のための弁明」
を引用して、朝鮮は二千年以上も中央集権的な専制体制が続き、封建制にも至って
いなかったと述べましたが、そこが日本と韓国、中国の違いなのです。
 ライシャワーの視点はこのような問題意識からスタートしていますので、この比
較と言う点からライシャワーの主張を引用してみましょう。
「北ヨーロッパの諸民族は、常に二つの遺産を意識してきた。古ゲルマンのルーツ
と、古代ギリシャ・ローマの文化遺産がこれである。同様に、日本も二つの遺産を
受けついでいる。一つは、古代日本の土着の文化であり、いま一つはより高度な中
国の文明である。」  
 「仏教は、中国文化を日本に伝えるための重要な媒体をはたした。ちょうどキリ
スト教が、地中海文明を北ヨーロッパに伝える媒体として機能したのと同じであ
る。」         第一部伝統的な日本、2中国の模倣時代
 「日本の上流武士たちは、文化の面でも無教養な田舎者ではなかった。これは、
多くのヨーロッパの封建貴族と異なる点である。」(鎌倉時代)
           第一部伝統的な日本、4封建社会の発展
 「一人の人間が二君以上からも封土を受けるというようなヨーロッパの封建制度
でしばしば起こったごとき混乱は、日本では絶対許されなかった。」  
 「旧朝廷から引き継いだ制度的残滓はほとんど消え去り、完全に封建的な社会が
出現した。これは西欧封建時代の最盛期に似ているが、組織としてはずっとうまく
できていた。」(室町時代)  
 「その体制は、根本的には封建制度であるが、高度に組織的で安定した段階に達
していた。それはヨーロッパのどこにも類をみないものであるばかりでなく、少な
くとも18世紀末までには、組織、効率、秩序の点において、同時代のヨーロッパ
のどの王国よりもすぐれていたほどである。」(江戸時代)
           第一部伝統的な日本、5封建制度の成長と変遷

 江戸時代に対する賛美は、愛する日本に対するライシャワーの思い入れが強すぎ
る感じがしますが、鎖国による混乱の回避、参勤交代による江戸の繁栄などにより
江戸時代の諸制度が有効に機能したとして江戸時代が明治以降の日本の繁栄の基礎
となったとしています。明治以降については、次回で。

                       カーター

[2005年10月16日15時37分]
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