テーマ:幕末】卒兵帰藩

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お名前: 江戸通
 新選組の活動は、注目されていますが、内部情報と
いう批判は、確かにありますね。浪士組として上京し
やはり、浪士(狼士:壬生のおおかみ)がいいって言う
のでしょね。
 出羽.庄内(並列ですよね。)から出た清川八郎が、
受けでは、かなりいいからですね。
 京都警備は、藩邸を中心に諸藩にも、割り当てられて
おり、京都警護を担うというのが諸藩のステータスで、
これをしなければ、発言力もないという事ですね。
 寺田屋事件の時なども、かなり京都市民の取り調べも
かなり行われており、一般には、泣き寝入りが普通だった
ようですが、祇園の有力者などを誤認逮捕したひにゃ〜、
それは、もう政局どころではなくなるのは、世の常ですね。
 実際、「卒兵帰藩」といっても、単に兵を京都市内から
撤退させるのがせいぜいだったかも。
 ちなみに、池田屋事件のおり幾松を水攻めにしたと、噂
された某藩は、大変だったようでね。それにしても、
誤認逮捕でもなく、確信犯に根負けっていうやつらしいですね。
 なんか、現代の縮図のようだな〜。
  江戸通
[2004年08月19日21時21分]
お名前: 江戸通
 松平宰相こと、加賀松平家が幕末上州四日市藩の
前田家から、党首を迎え、京都から藩屏として、
兵を帰藩させていたことが、判明し、鳥羽伏見の図
からも、加賀藩の侵攻ラインが消えています.
 中川宮義彰親王は、何処の兵を連れて鳥羽伏見に
向かっていたのでしょう?
 無類の陰謀家と呼ばれた親王ですが、現実は、如何だった
のか?
 実際、東寺には、北陸三藩の兵は集まっては、(どこでしょうね。)
いたのでしょうが、この地方の政権交代には、
宮も困惑したでしょうね。
 幕末の尊王攘夷の風邪は、北陸にも吹いたようで、
前田利家の直系の幼主を迎えると言う案は、今、迎え
られたようですね。
 お願いですが、土佐藩の隣にいた官軍は,加賀藩では
ないようです。「卒兵帰藩」ですから。
  江戸通

[2004年08月18日23時55分]
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