お名前: すべては坂本 !
日本史上発の比叡山焼き討ちの首謀者と
されていた織田信長ですが、実は、焼き討ちは
坂本周辺しかしていなかったらしい。というのが
平成の調査で判明したのでした。
朝倉氏、浅井氏の砦として使われ宮廷の講和を
持ち出して、その場をしのいだあと、比叡山攻め
を敢行していますが、麓の日吉神社周辺は、
豊臣秀吉、坂本の中心街は、明智光秀が担当したらしい
のですが、当時の町金の中心と重なりあっていたらしい。
別スレッドで、七福神を取り上げたのですが、維新
当初から、別扱いはされていたらしい、漫画などでも
取り上げられることがある、チリ船問題もこちらの延長線
上にあるらしい。また、京都で幕府と織田信長が、対戦
したときは、今度は、当時の金融街の中心で戦闘しています。
ただ、比叡山攻めは、一年以上の期間をあけているため、
得意の連格子等を導入できたらしく、必ずしも、戦闘がなかった
のではなく、山上に堂宇は少なく、拍子抜けしたらしいことが
記録にもあったらしいですね。長篠の戦いでも見せた、単に、柵
を越える簡易城壁を移動させつつ攻撃する戦法は、織田家の
内紛時代から、馬廻り衆に慣れさせていたらしいです。
しばい
[2002年6月8日 23時39分20秒]
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お名前: しばい
弁財天神
松平春嶽 中川宮朝彦親王
木戸孝允
大久保利通 西郷隆盛
坂本竜馬 大村益次郎
勝 海舟 吉田松陰
土方歳三 高杉晋作
陸奥宗光 山岡鉄船
徳川慶喜
幾松
山縣有朋
会沢正志済 斎藤弥九朗
維新十二人衆というとこのように、まとめてみました。
吉田松陰の辞世の句は、
此の程に 思い定めし出立つは
けふきくこそ嬉しかりける
となるそうです。大和魂の歌は、メモのような小さな紙に書いて、
弟子に渡したものらしいです。いまでも、七福神は、案外流行りですが
当時から、流行っていたらしく、女性というと、まず、富の神弁才天
を思い浮かべなくてはいけないらしいです。弁財天は、インドでは、
「サラスヴァティ。ラハッシャ。ウパニシャパッド」には。
サラスヴァティとして現れ、河の神であったものが、日本では、
「金光明最勝王経」を読呪する語法善神とされ、必ず、一人では
仏教としては、お祭りしないそうです。
国分寺では、必ず置かれていたお経だそうで、そんな、名前が、
東大寺の正式(律令制)名称だったような覚えがあるのですが。
(^^ゞ
しばい
[2002年6月2日 21時53分1秒]
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